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Essay 968:負荷→慣れ→制約→打破


今年から又ちょっとエッセイのやり方を変えようかと


2021年01月02日
写真は、フェリーから見た絵葉書ショット。

長くなる悪循環

 一昨年は週イチというペースを意図的に変えました。去年は、腕が鈍ってないか確かめたいということもあって又週イチに戻して1年やってみました。

 で、今年は(って別に暦年単位で計画してるわけではないのですが)、また変えようかと。ペースもやや不定期で良いなと思うのが一つ、もう一つは半強制的にでも短くすることです。定期性をやめるのは、またルーチン化して生活がワンパタになりつつあるので、意図的に乱したいからです。後者の「短く」は、実はこれまで過去に何度も試みてます。ある程度続くんだけど、しばらくすると、またなし崩しに長くなってしまったりするわけで、難しいところですけど。

 なんで長くなるのか?ですけど、せっかく思いついた面白い(と自分では思ってる)ネタを削るのがしのびないからです。ついつい書いてしまう、だから長くなる。同時にフィードバックもしてて、ちょっとした小ネタくらいだったら、「これをメインテーマにするのは無理だな」と思ってしまうのですね。敢えて一本書くほどの大ネタでもないなと。

 でも、これ悪循環だなーと思いました。長い大作指向になってるから、小ネタでは独立できない。そうすると思いついた小ネタを活かそうとすれば、「そういえば」「閑話休題」的に挿入話として入れざるを得ない。そしてそんな小ネタを入れたりするから、結果としてどんどん長くなるという。これは悪循環だな〜と。

 それに、一本大作指向でやってると、対象ネタが狭くなるのです。ちょっとしたことは書けなくなってしまう。そういう小ネタはFBなどに書いたりするんだけど、FBには以前リンクシカト事件を食らってるし、GAFAやビッグテックという存在への最近の一般的な不信感もある。ある日突然アカウントが抹消されても、全くなんの救済手段もないというのは前回(リンク不可事件)で分かったし。派遣社員よりも不安定な身分なのよね。実際、本HPのいいねカウントも実に不可思議な動き(何年も止まってたとかと思うと、堰を切ったように急増し、またぴたっと止まる)があるし、もうパーマネントなメディアとしては信用できないな、アテにならないなと思わざるをえない。ある日抹消されたときのためのFBのバックアップも、めっちゃやりにくいし。他方、FBの利用者は年々減少してメディア価値は下がってる。ならば、せっかく自前のHPがあるんだから、そっちに書けばいいじゃんってことです。FBには一般広報とリンクを貼るだけでいいかと。

 それもあって、もうFBに書くくらいだったらエッセイに書こうと。FB用の小ネタであってもいいじゃん。でも、そんな小ネタで「今週はたったこれだけ?」とか思われるのもナンなんで、じゃあ不定期にしようと。前は不定期にして回数は減りましたけど、今度は増やすくらいの感じで。同日に数本というのもアリだなって。

 それに分解してバラしたほうが読みやすいし、あとで検索もしやすいでしょう。例えば、前回のエッセイでも、メインテーマは本業とお金の関係で、世界時代的な傾向として両立しにくくなってるから分離しちゃえって話でした。でも、「教え子という”非日常”がインパクトがある話」とか、「自営、フリーの収益構造の不思議な面白さ」とか、「井上陽水などの創造力の話」とか、これらは関連するエピソードなんですけど、独立単体でも扱えます。てか、独立単体で扱ったほうが読みやすいし、記憶に残りやすいでしょうしね。

負荷→慣れ→制約→打破

 なんだかんだ書いてますけど、底にあるのは、同じことが続くのがイヤなんでしょう。「治において乱を好む」ってほどではないですけど、同じことの繰り返し、シーケンサーみたいなパターン化すると、もうなんか腐臭が漂う感じがしてイヤだというのは自分の中にあります。弁護士業だってそれでイヤになったようなもんですから。

 反面、巻藁千本突きみたいに、なにかを向上させる過程で必須となる繰り返しはそんなにイヤではないです。なぜなら非常に微細ではあるけど向上してるから。繰り返しているけど常に進んでいるから。APLaCそのものも動いてないようで動いているから良い。でも同じところをグルグル的なのはイヤ。だから絶えず変えてみたい。トライはしたい。

 一方で、生活に一定の負荷や義務は不可欠だとも思ってます。変えるといっても、楽な方向に変えていくと、ほんとダラけてくる。エッセイも、これだけ週イチで書くのはそこそこ負担ではあるのですが、その負荷を外してしまうのは良くないなとは思います。早朝マラソンみたいなもの。Uberもそういう意識でやってます。だけど、負荷がやがて慣れになり、慣れが発想や行動の制約や枷になっていったらそれもダメだろうと。敢えて完結している均衡を打破せねば。

 そういえば、Uber Eatsもコロナと同時くらいにはじめて、大分コツも分かってきたんですけど、もう段々飽きてきましたね。それに、ここんところ悪夢のように交通切符をビシバシ食らって(その前のデリバリーでは距離で数倍走っていながら一度も食らってないのに)、もう呪われているか、なんかの祟りではないか?ってくらい。ま、一定周期でこういうドツボ期は常にあるんですけど(かつて15連チャンで毎日なんかあった時期がある〜「呪われた平穏な日々」というエッセイネタにした)、このままでは免停食らうのも時間の問題的になってて、そろそろ違うことしろよっていう天の声なのかなーと言う気もしてます。

 しかしですね、実際、国境開くまでも辛抱だ、暫定だって思ってたけど、全然開かないし。とりあえず最速で3月17日って言われてるけど、それもどうなることやら。1月にまた閣議で考えるらしいけど。

 日本もそうですし、オーストラリアもそうですが、これまでがコロナ的に平穏だった(欧米などに比べて)だけに、ちょい本格的に動き出すとすぐパニックになりますよね。騒ぐだけで、うろがきて、結局何も出来ない為すすべもないって1年になりそうな気もします。今年はいろいろ大きく動きそうなんだけど、「動く」だけで「進み」はしないというか(笑)。そんなの待ってても時間の無駄っぽいし、親が淋しそうにしてるから一回帰るか(戻ってくるけど)とも考えてます。時間の有効活用という意味で。

 なんてね、そういう感じで話を続けていくと長くなるので、ここで強制切断します。ぶちっ。







文責:田村


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