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Essay 965:解体・分散・個性回帰というエントロピーな時代精神


〜世紀の火事場見物・大統領選挙から見えてくる深層潮流
〜オーストラリアの移民増政策とコロナと人口分散


2020年12月14日
写真は、Lindfieldから撮影したきれいな朝焼け。西空ではなく東空です。つい先日撮りました。遠望しているのはChatswoodの高層ビル群。

 

よく分からない時代

 いや〜、最近は世の中の動きが混沌としてきて、よくわかりませんね。
 もしかしたら「この世界のことがよく分かる時代」が終わりかけているのかもしれません。ま、もともと「分かる」わけもないのですが、表向きは「正史」と言いますか、これが正しいという見方がまかり通ってて、それで皆、なんとなく「わかったような気になれた」のでしょう。でも、それもそろそろ終わりになって、これだという決定版がなくなる時代、人によってかなり違った見え方をして、それがそのまま乱立する時代、です。

例えば〜

 例えば、地球の温暖化にしても、それが錦の御旗のような絶対正義みたいになってる人(国)と、やや懐疑的な人とでは見え方は違います。懐疑派の中でも、そもそも温暖化していないという人もいれば、温暖化はしてるかもしれないが炭酸ガス主犯とする因果証明は微妙だとする人もいるでしょう。あるいは温暖化肯定説の中でも、最近ノルウェーでしたっけ、もう手遅れ説が出て、今この瞬間にCO2ゼロにしても(ありえないけど)、それでももう間に合わない。これが世界のSNSを駆け巡り、多くの学者から反対の意見が出ています(例えばの出典)。

 例えば、コロナについても、とても怖いんだから徹底的に防御しなきゃダメ説から、あんなの嘘っぱちだ説があり、その間にニュアンスの違う考え方が多様にあります。そんなに怖くはないけど対策は取るべき論があり、その対策の内容も、(a)PCR検査を沢山やる vs 偽陽性や無症状感染が多くて意味ない、(b)マスク絶対 vs それは盲信と気休めであり逆弊害もある、(c)ロックダウン必須 vs 全面抑圧よりも医療機関の拡充や老人保護の強化などピンポイントにやるべきという考え方もある。さらにワクチンについても絶対救世主説もあれば、悪魔説もあり、中間にできれば射ちたい←→射ちたくない心情が人によりけりグラデーションである。また経済とのバランスを精密に考えるべきだとしても、その線引でまた違う。具体論として日本のGO TOの是非論でも違う。自粛論の可否でも違う。また、各国政府の対応も、よくやってる説もあれば、全然ダメ説もあるし、意図的に引き伸ばしてるんじゃないの?という説もあるし、意図はともかく一つの見解を全員に強制するのは良くない説もあり、さらにその中でも思想統制みたいで嫌だという概念論や、地域により町により千差万別なのに一つのフォーミュラで処理という発想が大雑把すぎてダメだという説もある。

 国家経済についてはさらに分かれてて、国家財政のプライマリーバランスが大事だという人もいれば、それって要するに大増税しまくり+福祉年金減らしまくり=貧乏人は死ねってことだから、MMTだかなんだか知らないが、本当に困ってる人がいたら惜しむべきではない説もあります。これまでのような新自由主義的&資本主義をさらに展開して経済成長する以外に方法はないんだという説もあれば、それって結局は弱肉強食をさらに極限化するだけであり、結果としてより少数の寡占状態になり、それは貧富格差の絶対固定になるのだから、成長至上主義という根本発想を転換すべしという説もあります。個々人のレベルに置き換えれば、エリート勝ち組を目指すのが最適解なのか、お金以外の価値を広げていく生き方が最適解だという人もいるでしょう。

 国際関係でいえば、今年か来年には経済力で中国がアメリカを凌駕すると言われている(説により時期はマチマチだが、大まかな傾向は同じ)わけで、いよいよ16世紀のルネサンスと大航海時代、植民地時代から始まった西欧支配覇権構造が揺らぐという、数百年に一度クラスの世界史の転換点が来ているという話もあります。その認識自体にはそう大差ないが、その対策として、何が何でも覇権死守という発想もあれば、中国その他の新興勢力と新たな調和を考えるべきという説もあります。

 この種のことは幾らでもあります。先週やった性の二元論から個性化にしても、そこが揺らいでくると、結婚制度それ自体の是非も俎上になります。別に結婚がダメというつもりもないが、男女の結婚=人生という一つのパターン自体、もっと広げたほうがいいという方向に流れるでしょう。実際、非婚化の流れは明らかだと思うし、結婚圧力も年々下がってるとは思います。また結婚生活の内実についてのネガ(DVにせよ、虐待にせよ)も語られる。他方一夫一婦制は、性の多様化で同性婚が認められるのと同時に、三人婚とか複数婚を積極的に認めようとか(イスラムでは昔からそうだし、どこの国でも昔は普通にそうだったけど)いう流れもあります。タガが緩んできてるな〜というのはありますが、それをもって良しとするか、嘆かわしいとするかは人によりけり。

 また、この世の見方そのものについても、メジャーメディアの言ったとおり鵜呑みにする人もいれば、その対極になんでも穿って考える陰謀論があります。多くのはその中間派で、メディアが必ずしも事実を述べているとは限らないと思いつつ、かといってメディア以外の情報源を開拓するでもなく、個別に他の面倒くさい資料を探して突き合わせて検討するとかやらないから、洗脳されないぞと言いながら洗脳されている人もいるでしょう。テレビなんかも、もうここ何年も見てないわって人もいれば、テレビがないと死んじゃうという人もいるでしょう。

いろいろな要因

 何故こんなに意見がバラけて、統一見解みたいなものが薄らいでくるのか?
 思うに、世界の基礎構造みたいなものがごく自然に変化しているので、これまでの世界観に無理が生じてきているのが根本原因でしょう。そして、それを世界レベルで自由に情報が流通することで、オルタナティブ(もう一つの)のものの見方が広まりやすいことも挙げられるでしょう。

 いくつかの原因を思いつくままに列記すると、
(1)資本主義体制の限界
(2)技術革新の踊り場
(3)でもIT分野での伸長
(4)西高東低の西欧覇権からその他のエリアへの覇権移動
(5)国家制度の賞味期限
(6)メジャーメディアの凋落
 などなど、、、

 一番根っこにあるのは、いつも言ってることですけど、(2)でしょう。昔みたいに無から有が出てきたみたいな巨大の技術革新はないですからね。ヒッタイトの製鉄技術の昔から、技術に社会は規定されてきた。大規模な運搬手段が船しかなかったからこそ、世界の都市は港のある川や海沿いに存在せざるをえなかった。明治維新の近代化でも政商三菱の中核として日本郵船とか造船や重工が国策的な地位を占めた。鉄道が一般に普及すると私鉄各社が阪急財閥のように出てきて、付随して沿線に広大な分譲住宅地を開発し、ターミナル駅が大きな商業地になり(渋谷とか)、人々のライフスタイルを決定していった。

 でももうネタ切れ、踊り場、頭打ち。一方でそれでも支障ないくらい、十分豊かに幸せになれる物質水準に来ている。昭和30年台みたいに、自宅に冷蔵庫を買うのが「悲願」みたいなことはない。

 このネタ切れ前提に立つからこそ、資本主義がヤバくなっていくのだと思います。資本主義というのは頑張った人にはご褒美という正義はあります。まだまだ開拓する未来があるなら、頑張って新しい技術や商品を開発すれば金持ちになれるし、皆も喜ぶし、競うことで社会は発展する。だから先があんまり無くなってきたら、もう資本主義やめてもいいんですよね。開拓のための手段であり、正義の根拠がなくなるんだから。それでも尚且やろうとするなら、利潤極大化という特徴だけが暴走して、儲かりゃいいんだ銭ゲバ風になって、労働者を搾取しまくって儲けるとか、国家を使って戦争まがいのことをやって儲けるとか、反対する人を押さえつけるために又国家を使って法律作って抑止したり、メディア抱き込んでそういう論調にならないように仕向けたり。また、商売のパイが広がらないどころか、人口減少や少子高齢化、貧困化によって縮小していったら、あとは猛烈な争奪戦になります。年々減っていく利権を巡って仁義なき戦いが勃発し、一般市民がバンバン流れ弾に当って死んでしまう(希望が見えずに自殺とか)。

 中国や、インドやロシアなどへの覇権移動も、簡単に言ってしまえば、先進国が「先進」できなくなったから、あとから来た連中に追いつかれてるわけでしょう?まだまだ肥沃な未来があったなら、がんがん突っ走って、逆にどんどん差をつけても良いのに、それが出来ないからこそ問題。スマホを作ったはいいけど、今となったら中国韓国メーカーが世界の出荷台数の大半を占めるようになっている。でも、それ以上に売れる商品を作れなかった。先進国は先進してこそなんぼであって、先進できなくなった時点で終わりでしょう。

 もう一つの要素は、ネットやIT技術の進展でしょう。これが鬼子のようなもので、旧来の体制を守ってくれるどころか破壊するツールになっているという皮肉がある。何を言ってるかといえば、この種の高度に情報・知的技術=効率化ツールというのは、進展すればすればするほど人間が要らなくなる。「効率化」って本来そういうことだし。だから発展すればするほど、皆が失業して経済的に困る。ネットの進展は、eコマースを発展させましたが、労働人口でいえば減ってるでしょう。アマゾンの成功は世界中の本屋さんを廃業に追い込み、膨大な失業者を生んだことでしょう。店舗という存在が昔ほど重要でなくなるなら、商店街がシャッター街になるように、大きなショッピングセンターもテナントが入らなくなり、やがてそれはテナント料や不動産価格に影響し、さらに建築需要の減少になる。一方、eコマースが隆盛になったとしても、サイト作りのスタッフ総数が国内支店の店員総数を超えるとは思えないし、新たに職創造されるのは、倉庫や配送センター、配送業というロジスティクスくらいのもんでしょう。

 AIになって不要になる仕事とか話題になってますけど、ネットやらITというのは、僕は昔から墓穴産業と言ってますけど自分の墓を自分で掘ってるような側面はあるのですよね。ネットの進展によって、メジャーメディアは沈没傾向に歯止めがかかりません。広告にしてもネットのほうが多くなる時代ですしね。

 そして、それ以上に、多種多様な意見を見ることができるので、人々の考え方は自然と多様化していくでしょう。もともと十人十色、千差万別なのが個性であるんだけど、情報が少ないと同じ色に染まる。戦後の力道山と美空ひばりやら、巨人大鵬卵焼きだったのが、今ではベストテン的な歌番組すら乏しい。随時いくらでも自分で探せるようになると、本来の多様性を取り戻してきます。それはイイコトでもあるのですけど、同時に、「まとまり」という意味では欠けてきます。上で述べた諸問題についても、これだけ意見が違う人と、なんで同じコミュニティ、なんで同じ集団でやってかないといけないの?って話にもなります。

 つまり、だんだん集団の構成員(国民でもなんでも)の意向を一つにまとめきれなくなってくる。それではヤバいので、あの手この手でメジャーメディアを従わせたり、忖度させたり、ネットに書き込みさせたり、芸人に喋らせたりする。年を追うごとに露骨になる。しかし、なりふり構わず露骨にやればやるほど、そこらへんに敏感な人は一層毛嫌いするようになるし、逆効果になる面も多い。

 そして、そういった疑問は、そもそもこれだけ豊かになった時代に、こんなに大人数でまとまって一つの統一的な集団を作る合理的な理由はあるのか?という根源的疑問に行き着きます。こんなに考え方が違うのに、なんで一つの価値観を強制されなければならないの?また、これだけライフスタイルが違うのに、一つのライフスタイルモデルで何でもかんでも決めなきゃいけないの?こういった素朴な感覚が、集団の接着力を徐々に溶かしていき、解体していく。一方、仮想通貨の出現は、国家の通貨高権すら危うくするので、ますます国家の存在理由が減ってくる。もちろん民族的な統一性とかいう意味ではあってもいいけど、別にそれならそれで、ゆるい連合体でもいいわけだし。

 つまり時代の流れの本質は、「解体」「分散」「個性回帰」など、エントロピーの自然増大のような感じではないかと思われるのですよ。ところが、旧来の流れは、新自由主義的な寡占化のように、より巨大な集団を形成していく真逆な方向なわけです。ここに根本的なミスマッチがあり、その深層海流の激しい衝突が今の時代の混沌を作ってるような気がします。

 そういう前提状況にコロナなんかが起こったもんだから、その化学反応が面白いわけです。そして、今はアメリカ大統領選の面白いあれこれがあります。これがもう最新型って感じで。


大統領選挙のゴタゴタが象徴するもの

世紀の見物

 「またトランプがしょーもないことを」と泡沫的に考えてると損しますよ。トランプを支持するかとかどうでもいいです。どうせアメリカの選挙権なんかないんだし。それよりも、生きててこんな面白い現場を見ることができるなんて〜って、エキサイティングな火事場見物の気分です(そのうち日本にも波及するんだろうけど)。追ってないと勿体ないです。

 いや、このくらいメジャーメディアが浮いてるのは初めて見ました。てか、「従来どおりの世界観の人」と「もうちょっと角度を変えて見ようとする人」が分かれて来てます。

 よく騙し絵パズル(錯視)や心理テストなどで、白黒の図形で、白を背景に黒くシルエットで描かれたとすればこう見えるけど、黒を背景で白が図形だと思うとこう見える、というのがあります。まさにそんな感じ。

 先週の状況は、メジャーメディアではあまり報じられてないけど、テキサス州が、不正選挙を疑われている4州に対して憲法違反であることを最高裁に訴え、それに他の州が相乗りして、20州かなが集まってます。対して、4州側についているのがまた他の州で、20州対22州のような感じですか。細かな数字は不正確なんだけど、まさに国を割っています。もう話はトランプがどうとか不正選挙がどうとかいうレベルを越えてきて、合衆国を二分して対立し、殆ど南北戦争というか、東西戦争の関が原というか。一個人の問題が国家を二分する体制の問題にまで拡大している。

 しかし、国を分けるような大喧嘩を、民主的に選挙で選ばれたわけでもない最高裁「ごとき」が決めることが出来るのかといえば、まあ、しないんじゃないかなーとか思ってたら、案の定、却下でした(審理すらしない)。まあ、そうだろうな日本の最高裁がよくやる「門前払い」。自衛隊違憲訴訟を出されても、「高度な政治性」なんたらかんたらで司法判断は「敢えて避ける」「統治行為論」ですね。そういうのは「ウチでは扱ってません」という、よくある役所の窓口のたらい回し。

 じゃあどうなるの?ですけど、こういう抵抗は無限に方策があるのですよね。大統領選って、かなり手続が複雑なので、あらゆる段階で文句はつけられる。極論すれば、俺はちゃんと投票したのに、いい加減な集計や不正があるなら俺の投票権は侵害されたので、その無効を確認する、また投票権侵害の損害賠償を求める、慰謝料も求めると、数多くの人が次々に各地裁に提訴したらどうか?とかね。同じネタでも原告が変わればまた変わるし、別に司法手続だけが手段の全てでもない。

 だんだん分かってきたような気がするけど、あれは広報戦略なのかなと。もちろん勝てば蟻の一穴になろうが、仮に連戦連敗であろうが、とにかくやり続けることで世論は喚起できるし、問題点を指摘し続けられる。もっともその過程でダレて、マンネリになって人心が離れて自然消滅するかもしれないけど。それならそれでしょうがないんだろうけど。

 それが民主体制であろうがなんであろうが、一定の数の人々の主張というのは現実的にはパワーになります。最終的には法的手続とかいう枠を超えて、俺は認めないぞ、という人がそれなりの数が居た場合、もはや形ばかりの法とか秩序によって解決するのは不可能。権威、秩序、法制度というのは、皆が守るという共同幻想の上に成立してるんだけど、守らない人が一定以上出てきたら幻想は崩れて、実効力がなくなる。学級崩壊みたいに、先生の権威が失墜して誰も教師の言うことをきかなくなったら、そこで終わりです。新たな秩序は、新しい「恐い(or 人徳のある)先生の登場」という「新しい現実」がなければなされない。

 法といい秩序というのは、そういうナマの現実パワー(大多数の意見の一致)があったればこそ作られたものであり、その後形ばかり残ったとしても、従わない人が大量に出てきたら、また原則に戻って、戦国時代のような現実パワーとパワー衝突になります。古来、国というのは、そういう溶鉱炉のようなパワーダイナミズムのなかで出来てきたわけで、そのレベルにまで戻すのかな、という気もします。対岸の火事として見る分には世紀の見ものであり、なんせ国ひとつ出来る生成ドラマを見てるわけですからね。

 だから内戦とか、国家瓦解とか言われるのでしょう。米軍はもっぱらトランプ寄りで、CIAはバイデン寄りだと言われてたりしますが、米軍が来年からCIAの対テロ作戦に協力しないと言ってるらしく、国家内部の機関相互にも亀裂が走ってる感じがします。これはトランプ系メディアの情報でなく、れっきしたメジャーメディアabcの記事ですよ(Pentagon weighs cutting most of its support to CIA's counterterrorism missions)。

一体何がそんなに対立しているのか

 でも、なんでこんなに大事になってるのか?です。メジャーメディアの言うように、単にトランプ個人が負け惜しみとか往生際が悪いだけだったら、他の20州が独自に異を唱えたりもしないでしょうし、集会にあそこまで多くの人が集まりもしないでしょう。

 確かに何らかの意味で不正はあったんじゃないかと思う人が4割とか8割とか言われているわけだし(人により、意見により)、僕もはたから見てて、まあなんかやっただろうなとは思います。だけど、それだけではないでしょう。不正選挙といわれる今回の現象が、彼らのなにかの感情を刺激しているのだと思います。でなければ、権力者同士の権力闘争なんか、庶民にとってはどうでもいい話ですから。

 では、なにがそんなに人々をエキサイトさせているのか?トランプ派の皆さんは何が気に食わないのか?それは、トランプとバイデン(民主)のよって立つ価値観の違いはどこにあるのか?でもあるでしょう。僕が推測するに、単に不正があったというだけではなく、それをゴリ押ししてくるところ、とにかく物事は俺らが決めるので、お前らはただ従ってればいいんだよと言わんばかりの傲慢さ、反対する声に耳を傾けようとしない部分、それを総意と偽って押し付けてくるあたりが気に食わないのでしょう。いわば詐欺と押し売りをかけ合わせたような部分。

 それが、ここ数十年、アメリカの庶民や中間層がずっと味わってきた鬱憤に重なるのだろうと思います。投票結果を見ても、ものの見事に大都市はバイデン民主党で、その他のエリアはトランプです。ディープステイトとかエスタブリッシュメントとか言わなくても、「今の体制でうまくやってる連中」、いわゆる勝ち組派と、今の体制で割りを食っている連中がいて、その後者がトランプ派なのでしょう。

 それが感じられるのは、メジャーメディアやらバイデン陣営は、本来チャレンジャーであるはずなのに、やたら「体制的」だからです。ここでいう「体制的」というのは、現状でうまくやれてるから変えたくない派、とにかく現状維持絶対派であり、それに対する批判は、誠実に向かい合って討論するというよりも、「一笑に付する」という態度をとりがちなのが体制派・現状維持派です。特に突っ込まれるとヤバいときにそうする傾向がある。

 例えば、とある団体で幹部だけお金を使い込んでるとか、問題提起する会員がいた場合、だいたい公式見解は「一切そういう事実はない」と木で鼻を括ったようなものであり、且つカップリングするのは、問題提起した会員を人格的に貶めることです。「ヘンなことを言うヘンな人」という仲間はずれ扱いです。そして、多くの会員を「寝た子を起こ」した状態にしてはまずいので、あんなヘンな人と付き合ってるとアナタまで変な人として仲間はずれになりますよとさりげに脅す。医学界の本流のガン治療に異を唱える医師は変人扱いされるし、医局でも冷遇される。大学でも企業でもどこでもそう。勿論政治でもそう。「あんな三流大学卒のやつの言うことなんか」「あんな定職にも付いてない人の」という「あんな〜人」構文みたいな。それが差別の温床にもなる。逆に、誰も逆らえないくらい偉い人が言うと(でも呑めない場合)、今度は完全シカトをする。ま、戦術としてはそれが最善なんですかね。実体論に踏み込んだらボロボロにやられてしまうんでしょうし。

 こういう対応を取っているところは、基本、後ろめたいところがあるんだなって僕は思うことにしてます。ほんとにズルいことしてるか、あるいは無能なんだろうなと。そして、今回のバイデン民主党ならびにメジャーメディアはまんまその通りの対応です。あれだけ続々と証人や内部告発者が出てきたり、数学的におかしいとか、IT技術的にどうのという実体論があるにも関わらず、"baseless"の一言、「なんら問題はない」「イジメはなかった」的な。さすがにそれを言い続けるのも厳しくなってきたら、今度は「結果に影響を与えるほどの」という限定をつけ、さらに「裁判所がそういったからそうに決まった」という、どこまでも実質論に踏込むのを避ける。あげく、ツイッターにせよ、YouTubeにせよ、FBにせよ、そういう話題を出しただけで、アカウント凍結やら削除やらしている。

 なんか、もう露骨すぎて笑っちゃうくらいなんだけど、そんなに実体論に踏み込むのがイヤなのか?と思っちゃいますよね。心象的にはどんどんクロになりますし、不正があるかどうかなんかどうでもよくて、そういうファシズム的な行為をしたという、ただその一点で、僕はおかしいと思います。その一点だけで十分だと思うし。

どうなるのか?

 そんなの僕には(誰にも)分からないですけど、このまますんなりバイデンになったとしても、あとが大変だという気がしますね。勝負は終わった、ノーサイドだって爽やかな感じになりそうもないですもん。どうかしたら、もともと歴史的にも独立志向の強いテキサス州あたりが基軸になって、合衆国離脱とかいう「面白い」展開になるかもしれませんね。

 一方、子分の日本はどうなるのか?という、まな板の上の鯉状態なんですけど、バイデン側があそこまで必死に守りたかったもの、これまでの利権構造というかビジネスモデルというか、大きく仕掛けて大きく儲けるみたいなパターンを継続するなら、またあちこちで戦争(みたいな小競り合い)をやるんでしょうかね。

 ここに中国というワイルドカードが出てきます。これが、先程述べた西欧覇権の凋落と新時代の関係になっていくと思うのですが、口ではなんだかんだ悪口言うけど、今の先進国で中国と完全断交してやっていける国はないと思いますよ。一昔前は世界の工場だったけど、今は世界の消費地で、先進国全部足した人口のその倍以上の肥沃な市場ですからね。これにインドが同数以上あるわけで、そこでの市場競争で負けたら、本当にもうあとがないでしょう。だからほぼ絶対に中国市場から弾かれるわけにはいかないでしょう。

 バイデンが中国とつながっているとかいっても、僕は全然悪いことだとは思わないし、今どき中国と全然つながってない、なんのパイプも持ってない政治家なんか役に立たないとすら思ってます。実際そうでしょ。問題は、いかに河豚の毒にあたらず美味しい部分だけを食べるか、という方法論でしょう?

 おそらくは、冷戦のときのように、右手で殴って、左手で握手をするみたいな話になっていくのかなとは思います。世間的に注目を浴びる陽動作戦として、軍事的な緊張を演出しつつ、しれっと貿易やらでは最恵国待遇をゲットしているとか、スムースに進むように要人にせっせと賄賂を送りまくって販路を開拓するとか、そのくらいシタタカにやらないと国際ビジネスにはならんでしょ。金儲けも楽してたらダメですから。で、その陽動の八百長みたいな部分で、やれ尖閣やらなんやらで、日本が矢面に立たされる局面はあるかもしれないですねー。「お前、ちょっと行ってこい」って。いつぞや、石原慎太郎がアメリカに呼びつけられて同じことを言われて、帰ってきたらいきなり都知事のくせに尖閣問題に火をつけましたからね。あれと同じこと。で、米軍もしっかりサポートしますよーとかいいながら、屋根に登らされてから、ハシゴを外されるとか、ありがちだな。

 それに緊張状態になると、日本政府も美味しいですよ。もう問題山積みだわ、無能すぎるわ、展望なさすぎるわ、八方塞がりですからね、何を言ってもやっても叩かれるなか、軍事というのは免罪符マイティカードです。「この非常時に何を言っとるか、この非国民め」という物凄いレトリックを使えますからね。このマジックワードで年金カットしようが、消費税を上げようが、何でも出来ます。そのための国民洗脳費用で、今季大赤字で死にそうな電通(電通初の赤字転落! 大手各紙は「忖度」なく報道したか?)が儲かるわ、電波芸者(懐かしい言い方だ)の芸人連中もお呼びがかかってうれしいわ、どんなに不正を働こうが非常時カードで切り抜けられるから裏ではやりたい放題だわ、だから、日本のエスタブにとっても美味しい話になる可能性は高く、だからやるかもねー。

 実際、「さらなる日米軍事連携強化を要求 CSISが「第5次アーミテージ・ナイレポート」で対日政策提言」という、ジャパンハンドラーで一部では有名なアーミテージ(まだ、のさばってるんか、このおっさん)が、日本を「対等」という美名のもと矢面に立たせようという意欲満々みたいです。やれやれ。

 だけど、他方中国の立場からしたらどう見えてるのかな?
 おそらく彼らが見てるのは、未来において自分が率いていくアフリカなどの第三世界の動静でしょう。偽善であろうが、戦略であろうが、中国のアフリカ投資は凄いですから。また、地政学的には昔からグレート・ゲームといわれた中央アジアが焦点じゃないですか。カザフスタンとかあそこらへん。極東沿海部は、日本が盛り上がるほど興味も無いような気がしますね。一応やるでしょうし、それなりに手抜きはしないでしょうけど、見えてる風景は違うんじゃないかな。その中に、アメリカもそうだけど、先進諸国は過去の遺物というか、代替わりした社長が先代の時代の重役連中を扱うような面倒くさい感じという気もしますね。

 中国を敵視するのは結構だし、備えあれば憂いなしだろうけど、もっと今の中国がリアルにどうなってるのかを知るほうが先でしょ。その意味で中国の国内メディアは面白いです。

 例えば、今、ウルグアイ(南米)の美味しい牛肉が、アリババ経由のeコマースで中国市場で売れているとか(出典)、オージービーフ危うしです。今中国で売れている牛肉の25%はeコマース経由であるが、近い将来50%になるかも、そしてウルグアイの食肉国内機関は、その美味しさをスマホですぐに見れるようにストリーミングで流しているそうです。努力してるのだよね、ウルグアイも。

 こういう動きって先進国メディアはそんなに見えてない。視界に入ってないというか、地球の大部分を占める(人口的にも面積的にも)非OECD世界で何が起きているか、どうなりそうかって未来志向な視界は少ない。こういうのを見てから先進国の中国情報を見てると、なんとも古いんですよ。ひたすら敵視とか、もう怯えきった老人の強迫神経症みたいな感じで、トランプだろうがバイデンだろうが、そこは同じ気がする。日本の国内だって似たようなもん。もちろん商社とかビジネス系はシビアに見据えているだろうけど、迂闊に口にすると国内で叩かれるから言わないだろうけどね。かくして、老世代はどんどん時代に取り残されていくってことなんじゃない?そっちの方が問題なんだと思うぞ。

コロナと脱都会の分散指向

 意図しているのか、してないのか、それはわからないのだけど、コロナ対策が長引くにつれて、これまでどこの国も悲願であった人口分散が出来るようになってます。

オーストラリアの移民増確定政策

 脱都会は日本でもありますし、オーストラリアでもあります。オーストラリアはもともとあったんだけど、コロナでさらに拍車がかかった感じです。

 ここで、FBで紹介したThe Budget confirms Morrison wants to reboot mass migrationという記事にリンクするのです。

 FBでは、2023-4年に20万人規模のネット移民増(ネット(差引勘定)でそうだから単純受け入れ数はさらに多い)を予定していて、人口増による経済維持というオーストラリアの基本路線は変わってないことを書きました。

 この背景をもう少し書くと、これが興味深いので引用しますが、

 The "big Australia" project emerged around 2005, under a Howard-Beazley "unity" ticket. Via the Treasury, it’s been passed down through six prime ministers, bypassing voters and elections.
 「この(人口の)大きなオーストラリア作戦は、2005年頃、ときの与野党首脳であるハワード・ビーズリー時代に出現した。もっぱら財務省経由で、この作戦は歴代6人の首相に継承されているが、選挙民や選挙はスルーされている(※それが政治争点になることは注意深く避けられてきた、という意味)。

 以下、大意を訳すると、モリソンは去年、移民を16万に制限するとか言ったけど、それは永住権発行数のことで、実は予算案のシュミレではネット移民増は27万になっていた。そしてコロナのあと、16万とか言ってたのを忘れたように、16-21万とまた増やしている。レイバーの、クリスチャン・ケネリー議員が、移民増と国内失業問題との関係で独自の意見を言っていたが(※この人が一番問題をよくわかってると思うけど)、圧力がかかったのか、みなと同じ歌を歌い始めた。

 与野党は示し合わせたように移民増加については触れないでいる。議会での発言でもちらと触れた程度だ。

 Their silence wants you to regard net migration of 200,000 as normal and necessary. It was unknown before 2007. It’s much more than twice the long-term average. It would return Australia to an extraordinary immigration dependence compared with major OECD economies.
 彼らの「沈黙」は、あなた(オーストラリア国民)に、移民20万人規模は「普通」であり「必要」だと思ってもらうためのものだ。しかし、こんな大人数は2007年以前にはありえなかったし、長期的な平均値の二倍を超える大人数なのだ。この数値は、OECD諸国のなかでも突出した移民依存国にオーストラリアがなることを意味している。

 Why this policy inertia? It’s not just Labor being “correct” or the Coalition looking after developers. It’s also Treasury, dogmatic about population as a “growth” lever. To achieve their hallowed 3% real GDP growth in 2023-24, they want mass migration.
 なぜ、このような政策の「慣性」が出来てしまっているのだろうか。それはレイバーの好きなポリコレでもなく、コーリション(連立与党)が開発業者の面倒を見るからでもない。これもまた財務省であり、人口こそが成長の操縦桿なのだというドグマである。ともすれば虚しく響きがちの23-24年の実質GDP成長率3%を達成するためには、膨大な人数の移民を必要としているのだ。

 Hence, in Morrison’s choices for post-COVID stimulus, the population ponzi is still a winner.
 かくして、ポスト・コロナの経済刺激策として、モリソン首相の選択として、オーストラリアの人口ポンジー詐欺は今なお健在なのである。
 (※ポンジー詐欺とは、FBでも書いたけど、ネズミ講のようなもの。多くの人に投資を進めて金を出させ、でもその集めた金をどこにも投資せず、既存の会員に配る。新会員が増えれば増えるほど配当は増えるんだが、要するに最初からタコ足配当をやってるだけで、資産はなにもないから、どっかで新会員が途切れたらそこで終わり、元本もかえってこない)。

 そして、興味深いと言ったのは次です。
 With migration on hold, and locals quitting the cities, COVID is a chance for Morrison and premiers to really catch up on infrastructure. It seems they prefer the fake congestion-busting that inevitably attends inflated (1.5%) population growth.

 コロナで移民がストップしているさなか、オーストラリア住民がどんどん脱都会で地方に住み始めており、これはモリソン首相や各州知事にとってはインフラ整備のための千載一遇のチャンスである。人口増加(1.5%)に不可避的に伴う都会の混雑緩和が成功したかのように見せかけることができるのだ。

 Again, the insinuation is, that an open “market liberal” economy can’t or shouldn’t manage its migration flows.
 その暗喩するところは、自由市場経済のメカニズムは、移民の流れをマネージすることは不可能であり、且つやるべきでもない、ということである。

 最近の経緯をみると、移民局は、年間の永住権発行数を実に計画通り正確に交付している。不可思議なことではあるのだが、驚くべき優秀さで財務省のネット移民数にも合わせている。

 Morrison can expect support from Labor, Greens, Treasury, Reserve Bank, state premiers, developers and employers, academia and mainstream media. Who needs voters onside?
 モリソン首相の移民増政策は、野党レイバー、野党グリーンズからの支持、財務省、中央銀行からの支持、各州知事、開発業者、雇用者、学術研究者、そしてメジャーメディアからの支持を期待できる。いまさら、選挙民の支持など要らないのだ。

 Come 2022, I doubt that migration levels will be framed as an election issue. The Liberals and Labor won’t give the populace a say on population. In practice, the Greens are no different.
 来たる2022年の総選挙においても、移民受け入れ数については選挙の争点にはならないだろう。リベラルもレイバーも大衆に対して人口について語ることはないだろうし、実際のところそれはグリーンズにおいても同じだからだ。


 とまあ、オーストラリアの人口増加詐欺的(笑)政策はこの先も続くだろうという記事です。

人口増とインフラと地方分散

 それはそれで分かるのですが、その中でひっかかったのは都会のインフラ整備です。

 人口増加とインフラ整備は宿命の天敵であり、シドニーの混雑ぶりは一貫してます。なんせ、僕がこのエッセイを始める前のシドニー雑記帳時代から触れているくらいです。もうこれ以上移民を入れないでほしいというのは、結構平均目線での気持ちでもあったのですよね。道は混むわ、駐車はできないわ、いいかげんにしろって感じ。

 だから、移民増をこれからやるにしても、最大の問題は都市部のインフラだと思います。シドニーは、自動車道も、新メトロも急増ピッチで工事してます。デリバリーーやって深夜に走ると、けっこう工事現場にぶつかって難儀してます。そのくらいやってるけど、それでも追いつかない。

 その意味でいえば、コロナになって都会の人口減少と公共交通機関のガラガラぶりは楽です。その代わり、皆が車になったので、混雑はひどいし、中古車価格は30%以上あがったらしいけど。

 もしかしたらですね、賢い政治家の皆さんは、コロナを利用して、在宅推奨とかいって、この機会に都会人口を減らしたいのかなという気がしたのですよ。それがメインではないにしても、そのメリットは計算してるんだろうなと。

 だからこそ、うだうだやって、なんだかコロナ危機を引き伸ばしているような感じがしても、実際に引き伸ばしているかどうかはわからないけど、しかし長引いたとしても、それでも長期的な視点に立ったらプラス面もあるということです。

日本だって、世界だって同じこと

 これは、日本においても、個々人においても同じです。

 日本では人口増はないですけど、都会の満員電車の苦痛は相変わらずです。そして、インフラが足りない代わりに、インフラの老朽化があります。東京のインフラは、1964年のオリンピックに合わせて作られたものが多く、もうとっくに耐用期限(50年とか)を過ぎていて、本来なら首都高も全部壊して新築しなきゃいけないという話を聞いたことがあります(例えば、「「これはひどい…」 首都高の腐食に絶句 寿命迎える東京五輪の遺産」参照)。人間が減ってくれるのは、ある意味では好都合です。ま、人が減っても老朽化の言い訳にはならないけど、手当はしやすくなるでしょう。

 また、地方では逆に人が居なくなることでインフラの老朽化が加速しています。例えば空き家の増大、町の空洞化など、集落というインフラそのものが老朽どころか消滅しかかっている。老朽家屋は、そこに人が住むだけである程度防げるし、商店街も人々が増えれば回帰の目もある。また、最近、人が減った田舎の方では野獣被害が激しくなっているといいます。もうクマや猪に襲われるのが日常化していて、日本の地方がサファリパークみたいな方向に進んでいる。これも人が増えることである程度防げますし、延命もできます。ただそこに人が存在するというだけで、結構メリットはあるのですよね。

 と同時に、個々人の欲求にも合致する。
 というのは、先に書いたように、皆さんリアルに経済成長とかそういうギラギラしたことではなく、落ち着いたゆとりのある自分らしいライフスタイルを求めているし、脱都会で自然の豊かな地方で、仕事もボチボチくらいにとどめておいて、のんびりやりたいという意向が増えているらしい。

 実際、成長が頭打ちであるし、今のままでも(生活不安さえなければ)別に幸福になるのに物質的に支障はない感じ。だから高度成長時代のように、何が何でも生産のための一極集中とかやることにリアリティがなくなってきているわけですよ。

 これからの時代の先進国は、もう若いものみたいに(笑)、ギラギラ&ガツガツしなくても、適当に散らばって、分散して、のんびりやっていくという時代に流れになるのではないかと。誰かが企画してそうするというよりも、歴史の必然としてそうなるんじゃないかな。

 だから、コロナで在宅が増えようが、あるいはみずほ銀行その他で週休4日給料減額でもWelcomeって人が意外と多いのも、不透明な時代に副業やフリーランスなどに注目が集まるのも、これも自然な流れだと思います。

 そして、それは、地球全体でいえば、欧米に集中していた覇権と利権が、全世界に分散していく過程と、こじつけではあるのだけど、なんか似てるんですよね。

 もう、そんな覇権とかさー、エリートとかさー、勝ち組とかさー、もういいじゃん、暑苦しいじゃんって気分です。アメリカに話を戻るんだけど、僕の感じるところ、バイデン民主エスタブ系というのは、それとは違って、旧来の流れの中で成立してますよね。ギラギラエリート派。だけど、時代的にだんだん流行らなくなってきている。ジリ貧気味。だから焦ってる感じがするのかもしれないな。

 冒頭に書いた、エントロピー増大=巨大集団が解体されて、分散され、ひとりひとりの個性に回帰していくというバラバラ化の潮流と、とにかく一つの型にかっぱし嵌めてそれで大きく支配しましょう、儲けましょうという新自由エスタブの潮流とのせめぎあいです。でも、流れとしては、前者の方がより自然なだけに強い。大体、この宇宙でエントロピーの法則に勝てるものなど存在しないんですから。

 本当の課題は、そういう分散をいかに実り豊かに実現させていくかの方法論だと思います。地方に回帰するとかいっても、地方は地方で相変わらず旧態依然とした部分も多い。昔ながらも良さも濃厚にありながらも、昔ながらの悪さもまた濃厚にある。都会の先端にいて、見切りをつけて地方にいく連中、脱バイデン民主系とでも言うべき人達と、昔ながらの周回遅れのようなトランプ的地元民とで、どう融合させていくかですね。また、都会からの民が、地方にいかなる実りをもたらすか、経済的にも文化的にも、そういう手土産をいかに用意できるかとか、そのあたりが未来志向の議論になっていくのかと。






文責:田村


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