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Essay 958:世の中どうなっちゃうの?ワタシはどうなるの?
〜オーストラリアの人口増加率が減ることの意味
〜週休4日賃金カットと副業市場の意味
2020年10月26日
写真は、夜明け目前のEnmore。ロックの街EnmoreにふさわしいGraffitiで、写真右の方はまだまだ続きます。無秩序で殺伐としているようで、見方を変えたら、なにやら童話の挿絵のような。これは、写真を見てから後付けで得た感想ではなく、実際に現場に立ったときに、なんか演劇の舞台みたいだなーと思ったものです(だから写真を撮ったんだけど)。
世の中どうなっちゃうの?
目の前の政治的なゴタゴタや一過性のあれこれは置いておいて、コロナをきっかけに(原因ではなくても)世の中はどうなちゃうの?という話が盛んです。そしてそれに対応するためには個々人はどうしたらいいのか。ものすごーい量の不確定要素があるので、これじゃあ!とは言えないのですが、現実社会でその先触れになるようなことがチラチラと見受けられます。あたかも、カーテンが閉まっていて中が見えない部屋に、ときおり風が吹いてきてカーテンが揺れ、そのときにチラと部屋の中が垣間見えるように。
思うに大きく分けて2つの系統があって、
(1)論理的に詰めていけばこうなっていくだろうという系統
(2)必ずしも論理的にそうなるものではないのだけど、これをいい機会に何かを変えようという動きがでてくる系統
(2)の場合も、そういう動きが本格化してきたら、じゃあその先はどうなるの?という推論が出てきますし、その推論を導くためには、なぜそうなるのか?を考えねばならない。(1)においても、理屈はそうでも現実に本当にそうなってるのか?という検証は必要で、いずれにせよ現実と原理とはイーブンにみておかないとならないってことでしょう。
「どうなっちゃうんだろうね?」とシュミレートや推論をしていくこと、思考実験みたいなものですが、これが結構面白いんですよね。「ああ、なるほどね、じゃあアレもこうなるのか」とか将棋の読み合いみたいな感じで。この種の作業はいつの時代でも必要なのですが、このくらい先が読めない時代になってくると、もう全員必須の教程くらいの感じがします。そのあたりを書きます。
とりあえず題材としては、(1)論理的帰結の例として「オーストラリアの人口増加に急ブレーキがかかるとどうなるか」がひとつ。もう一つ(2)イベント系として、「週休3-4日賃金大幅カット」「副業募集」です。
オーストラリアの人口増加に急ブレーキがかかるとどうなるか?論
根本が変わるくらい巨大な変化
参考テキストとして、上げておきます。コロナ対策で国境を閉鎖している結果、今年の移民数は激減です。国境の完全開放は来年後半とすら予測されているのですが、ほぼ1年プラスアルファの期間の閉鎖によって、確実に移民数は減ります。と同時にオーストラリアの人口数も構成も変わります。
その時期に凹むだけだろ?と捉えていると間違いで、実はかなり根深い問題をはらんでおり、オーストラリアという国のあり方、これまで社会を動かしてきた根本原理そのものまで書き換えてしまうだろうという民間の専門機関(Deloitteという有名な経済コンサル会社でよく出てくる)のレポートを紹介しているのがこの記事です。
なぜそこまでいくのか。
移民数の減少は、人口の増加率の減少を意味します。人口増加率の減少=平たく言えば「人があんまり増えない」=という事態は、全てのことに影響し、“The arc of our nation’s history is bending before our very eyes, a smaller and older Australia awaits us,” オーストラリアの歴史の流れは、今まさに我々の目の前で変わろうとしており、より少人数でより高齢化した未来のオーストラリアが我々を待っているだろう」「それは必ずしも悪いことではない。しかし間違いなく巨大な変化であり、この国の未来をいろいろな方面で変えていく」と。
人口の将来予測は、全ての国政と民間経済の計画のベースになります。将来的に何人になるから今のうちのどのくらいインフラを充実させるべきかとか、将来の人口予測をもとに長期的な計画は立てられている。それが変わってしまったら、全部パーとまでは言わないまでも、大きな影響を受ける。高速道路にせよ、鉄道網にせよ、学校にせよ病院にせよ、このくらいの人間がいて、このくらい利用するだろうという前提で作っているのであり、同時にこのくらいの利用者がいるなら、このくらい収入が入ってくるだろうという収支計算につながってきます。作ってみたけど、思ったほど誰も利用しなかったら、作り損というだけではなく、将来のメンテ費用などを考えれば巨額な損失になります。
この変化は道路や設備インフラに留まりません。多くの福祉系計画もそうです。年金などの老後サービスなども、この種の人口動態予測によって精密に計算され、収支が合うようにするでしょうし、健康保険などもそう。それは政府系がそうだという以上に、民間の保険会社もビビットに再計算するでしょう。
そういえば、日本では来年から火災保険と地震保険の料金が激しく値上がりするそうですが(「30%増も…来年1月から火災保険料と地震保険料が大幅引き上げ 保険会社間でバラツキ」)、世界的な自然災害の増加がそれを引き起こすわけで、日本では台風被害の多さです。地震保険は東北地震のときのツケがまだ残ってるそうで(いきなり上げられなくて3回にわけて上げたらしい)。
「取らぬ狸の皮算用」といいますが、この諺の教訓は、不確定要素を希望的観測全開で確定視するのはアホだよってことであって、「皮算用」自体は誰もやります。ラーメン屋を開店するときだって、毎日お客さんが200人入ってくれて、客単価が1000円だとすれば毎日20万円入って、月に450万、うち家賃がいくらで、光熱費がって計画はたてます。住宅ローンを組むときだって、毎月いくら、ボーナス時にいくら、何年で完済という計画が自分の稼ぎからして現実的かどうか考えます。ゼロから始めるときは、予想といってもかなり不確定であり、それなりに安全係数をカマすでしょうが、毎年同じようなことをやってる場合、まあ今年もこんな感じだろうというかなり精密な計算になるでしょう。
現在の時点で、2022年までに予定していた人口増加数に比べて、コロナによっておおよそ60万人くらい少なくなることが予想されるそうです。これはこの会社だけではなく、政府ですら予算案では、来年後半まで閉鎖が続くと仮定するなら2年スパンで100万人くらい少なくなると考えている。
あ、ここで気づいたけど、一つ注意を促しておくべきは、オーストラリアのセンサス(国勢調査)は、国民や国籍を考えないということです。とある特定の調査日にオーストラリアに存在しているすべての人を対象にします。留学生や観光客も含まれます。その反面、その日に海外旅行に出ているオーストラリア人は対象から外れます(そういうのはまた別の統計で調査する)。この国籍無視のリアル主義は、それが社会や経済の現実だからです。観光客だってオーストラリアに居る以上、税金は払う(消費税やガソリン税、利用料など)し、消費もしてくれる、交通機関も利用しますからね。
なので60万なり100万なりの人口減少は、単に永住権取得者が減るというだけではなく、観光客や留学生、その他のビザ(労働ビザ、研究ビザ、各イベント招聘ビザ、ワーホリビザなど)によってオーストラリアに滞在する人も含めています。日本的には「人口=国民総数」と思いがちなんで、そこはちょっと違うし、もっとリアルに考えているよという点、お含み置きを。
なので60万なり100万なりの人口減少は、単に永住権取得者が減るというだけではなく、観光客や留学生、その他のビザ(労働ビザ、研究ビザ、各イベント招聘ビザ、ワーホリビザなど)によってオーストラリアに滞在する人も含めています。日本的には「人口=国民総数」と思いがちなんで、そこはちょっと違うし、もっとリアルに考えているよという点、お含み置きを。
移民の減少の意味
問題は、これらの人口の減少が、もっぱら移民の減少によって引き起こされることです。コンスタントに数十万から百万というオーダーで移民が増えるというのはデカいことです。
彼らは優秀な消費者であり、かつ納税者でもあるから、(もっぱら移民減によって)人が増えないということは、歳入欠陥を意味します。つまり、国としてはアテにしていたほど税収がはいってこない。ただでさえコロナ対策で大盤振る舞いしてて本家が炎上しているところに、アテにしていた将来の税金が入ってこないというのは死活問題です。結局どうなるかといえば、国民に跳ね返ってくるのであって、年金が減らされたり、健康保険の負担率が増えたり、利用料金が値上げになったり、増税されたり、です。この意味で、人口は一種の「運命」のようなものだともいわれます。
先程の「人口」のところで述べたのと同じことですが、「移民」といっても、学生ビザやワーホリのような一時的な滞在者も含めての話です。大都市の低賃金のカジュアルジョブや地方の農業は彼らによって成り立ってるようなものですからね。彼らがやがて労働ビザを取って永住権をとったり、恋に落ちて結婚ビザで定住したりするわけだし。また新たに外から永住権を取って入ってきたりもするわけで、そういった人達がオーストラリア経済を支えているだけではなく、積極的に拡大している。ガンガン消費し、住宅投資をし、会社をおこし、人を雇用し、結婚し、子供を作ってくれる。そういう人々を毎年数十万単位を輸入してるからこそのオーストラリアの現在です。
どんな国、どんな社会でも、生産部門をやる機関車のような人達と、彼らに養ってもらう客車の乗客のような人々がいます。人の一生だって、最初は幼児少年で養ってもらわないといけないし、途中で疾病事故にあえば養ってもらいつつ療養しなければならないし、最後は老人として養ってもらう。それはもうネアンデルタール人の頃から原則は変わらんでしょう。そこに機関車人材だけ輸入することができたら、それはもうチートレベルに有利なことです。オーストラリアはそれをやってきた。
僕がよく「オーストラリアは移民だけで食ってるようなもの」とか書いてますけど、本当にこの国はそうだと思うのですよね。移民というのは、永住権のボーダーが厳しくなってることもあって、パスしてくる連中はかなりデキる人々であり、かつ相対的に若いし、健康です。またそうでなければ永住権やら労働ビザ出してくれないし。国としては即戦力です。彼らがガンガン働くから人手不足の業界も回していける。
だか、これが一時的にでも減ると、その分まず消費は減る。そして出生率も減る。子供も減るし、子供を生んでくれる女性も減る。オーストラリア人だけだったら出生率は低いですからね。子供が減れば、将来的に学校の統廃合も考えなければならないし、教育関係の産業、雇用それらも無傷では済まない。
また減少の理由が、日本のようにナチュラルな少子高齢化なら、まだ予期もできるし準備もできるけど(まあ、実際にはできてないけど)、今回のように降って湧いたように突然起きてしまったら、どの程度対応できるかどうかかなり怪しいです。てか、行政系に関して言えば、本来予定していた分についてすら、非現実的なウェイティングリストなどで(前に書いたよね)実際に対応できていないわけで、これに想定外がドーンと増えたら、かなりヤバい。
では来年しばらくしたら元に戻るのかといえば、これも世界の情勢待ちです。おそらく国境を開けば再度感染は増えるでしょう。オーストラリアの移民元で大きなところと言えばインドとその周辺ですけど、感染数が世界的に言えば少ない日本と違って、インドからの人の動きをフリーにするまでかなり時間がかかるかもしれない。感染そのものは、世界的に言ってまだ半分もいってないだろうから、先進国では緩めては締めて、開けては閉めてを繰り返しつつ徐々にこなしていくだろうけど、他のエリアはまだまだこれからってところもあるでしょう。
それにオーストラリア自体が、これまでかなり無傷できてるから、ワクチンも含めて、ほぼひとあたり全員感染ってところまでいくのは相当時間がかかる。かかってる間にもどんどん人口増加のアテはずれ被害は続く。
というか、これまで感染を抑えられた国は、ある意味ワクチン頼みなわけでしょう?大体が台湾とかNZとか国土も小さく、海で守られているからシャットアウトしやすかった。オーストラリアでも田舎の州になるほど被害が少ない。だけど永遠に被害が少ないままかどうかはわからない。というよりも、住民の抗体保持率が極端に少ない初期の処女状態のまんまだから、何年後であろうが、いざ感染が勃発したらすごいことになります。数回前のコロナパズルのときだったかな、世界の国々をみて小さいけど感染をおこした、アンドラとかマン島とかは世界最悪レベルのすさまじいことになってます。一方、国境封鎖やロックダウンが続けば続くほど経済は疲弊します。既にGDPの減少率でいえば、NZの減少率はオーストラリアそれよりもはるかに甚大でした。
だから、こういったエリアがそのまま平和に推移するためには、ほぼ100%に近い効能を持つワクチンが、少なくとも来年中には全国民に行き渡るくらいのタイム感で導入されるという条件によります。しかし、FBの記事にも書いたけど、一般にワクチン成立の条件は50%以上の効能だといいます。だけど50%では困るでしょう。小さな国、村だと、一旦炎上し始めたら、逃げ場がない分、そこがクルーズ船と同じような培養場みたいになってしまう。だもんで50とはいわず100%に近いワクチンが条件になるわけで、その可能性に賭けてる時点でギャンブルに近いなーと思うわけです。まだヨーロッパやアメリカのように馬鹿正直に炎上しては規制し、解除しては炎上しを続けてこなしていく方が現実的だとも言えます。
ま、それがどうなるかはわからないけど、コロナだけでもかなり厄介なのに、ここにきて人口問題が長期的にかぶさってくると、さらに世の中が変わっていく因子が増えていくと思います。
これまでオーストラリアの人口は2029年には3000万人になると予想されていたのですよね。でも、今年の3月末現在で2565万人です。あと9年で3000万人になる(あと450万人増える)という前提で話や計画を進めていた国が、とてもそんなには増えないということになると、どうなるか?です。
というわけで、2500万人のうちの60-100万くらいなら大した事なさそうだけど、そんなことはない。一時的現象どころか、将来に永遠に残るくらい歴史の転換になりかねない。過去30年間、人口増加(移民輸入)によって成長してきた国であり、これが成長しないという前提になってまうと、物事を動かしている論理そのものが変わってしまう。
ま、必ずしも人が増えないのは悪いことばかりではないですよ。オーストラリア的に過密気味だったシドニーやメルボルンはもっとスカスカになってほしいですしね。環境的にもそうです。国の適正人数なんかあってなきがごとしで、少なければ少ないなりに、多ければ多いなりにやりようはあります。問題はそれが急に変わってしまって、従来のシステムや発想を組み替え直さねばならない点であり、そこでロスが生じ、ひいてはこれまでの方法論が変わっていく。
不動産価格の変化とオージーの生き方
そしてこの記事には書かれてないけど、僕が懸念するのは、不動産バブルです。毎回言ってるけど(笑)。そんなに人が増えないなら、アホみたいに上がってる不動産価格が暴落するんじゃないかってことです。毎年何十万人も輸入してるからこそ、都市をはじめ人口爆発状態になり、常に居住用不動産は足りないからガンガン作っても元が取れたし、いくら高くても買っておけば将来的に値上がりするから資産になると。その前提で、建築会社はバンバン先行投資をして、皆の将来設計資産として不動産があったわけです。でも、そんなに増えないという話になると、ゲームの根本のルールが変わってしまう。今、僕が注目しているのは、これらの影響がどういう形で現実に出てくるか、です。この種の人口動態による変化というのは、非常にテンポが遅いです。日本だって少子高齢化、地方の過疎化は、遡れば昭和の中頃から叫ばれてたわけですし、実感としてシミジミと分かり始めてきたのは直近数年のことだと思います。なのでオーストラリア的にも、ボディーブローのように効いてくるから、その痛みが顕在化するのは随分先の話になるかなって気もしますね。しかし、テンポがゆっくりな反面、その影響は絶対的ですよね。それをひっくり返そうとしたら、途方もなくドラスティックなことをやるか(日本でいえば一千万単位で外国人を受け入れるとか)、同じくらい時間をかけてもとに戻していくしかない。
だもんで、本格的にはまだ形となっては出てきてないと思います。とりあえずはダイレクトに留学生減少が影響するエリア、シェア代や家賃が下がってきていることとかそのあたりです。そこから次に広がるとして考えられるのは、やっぱ不動産投資としてどうなのか?(皆がどう思うか?)です。既に住宅ローンの返済の猶予がおわった10月から、銀行と返済者(大量にいる)との間で交渉がはじまっていると報道されてます。銀行も理解を示しているものの、無限に猶予はできないし、いつかはなにかの形で出てくると思う。それを注視している、不動産保持者は、もう早めに高く売って逃げ切ろうという話になるのかもしれない、この機会に買おうという人も出てくるかも知れない。ちなみに、僕が今住んでる大きなテラスハウスもオーナーが売りに出すことにしたらしく、毎週インスペクションやってます。たしかに、危機感がまだそれほどない現在なら売り頃なのかもしれない。
あと、オーストラリアでも地方都市は不動産が上がってるようですね。テレワークの影響もあるし、大都市に住むのって、本来オーストラリア人的にはそんなに好きではないですからね。んでも、テレワークってどこまで続くのだろうかという不安もあるし、地方都市がこれから興隆する可能性はどれだけあるのか。このあたりも注目ポイントです。これは日本も全く同じことですし、次に述べる保守本流の人々の働き方の変化にかなり密接にかかわってくると思います。
僕の見た感じ、悲観論と楽観論との間にある非常に狭い尾根道という感じで、スパンを短くしたら、経済回復が始まった!って話になります。だから不動産も大丈夫だ〜!みたいな見方。そりゃ突然のロックダウンでドーンと一回下がってますから、どこをみてもそれなりに回復はします。そこだけに視野を限定すれば明るい感じですけど、長期的にどうか?となると分からんですよね。だからちょっと暗いニュースが続くと悲観論に傾き、ちょっと明るいニュースが続くと楽観論になる、でも振り切って一方に確定することはできないというヤジロベエのような感じです。
もう一点ワイルド・ゲス(荒っぽい予想)をするなら、人口問題のダメージが皆に認識されるくらいひどくなってきたら、やっぱ移民増やすしかないという方向にいくんじゃないかということです。これまでの分の遅れを取り戻すくらい、例年の2倍とか3倍とか増やすかも知れない。カンフルのように即効性ありますからね。
だけど朝三暮四の例じゃないけど、あまりにも先を見た賢い政策は、皆に理解されなくて、ボロカス叩かれて廃案にされてしまうリスクがあります。政府だって、どこだって、今回僕が書いているくらいのことは当然知ってるはずです。だけど、それを言っても多分支持されない。いよいよ被害が大きくなって、殆ど手遅れ状態の悲惨な事態になって、誰の目にも明らかってくらいになると、話も通しやすいのかな、だから敢えてそこまで引っ張ってるのかなって気もしなくもない、、こともない、、、どっちなんだ(笑)って話ですけど、これ、わからないんですよー。彼らが本当は深謀遠慮でやってるのか、単なるアホなのか、なかなか決めがたい。
なんで注目するのか
ところで、僕がなぜここに注目するかと言うと、個々人の人生計画に直結するからです。正直いって、僕個人は天下国家の経済やら政治やら、それ自体は実はそんなに興味ないです。いろいろ書いてるから興味ありそうに見えるかもしれないけど、あくまでも自分の人生行路を見はるかすための必要情報に過ぎないです。山に登るとか、船出するなら、天気予報は絶対に知っておかないと命にかかわるでしょ?で、自分自身はそういう生き方をしないにしても、マジョリティがそうならば間接的に影響をうけます。日本もオーストラリアも、マジョリティの皆さんの人生計画の大綱は、仕事とマイホームみたいな感じですよね。キャリア形成と資産形成です。より高収入のジョブに就くこと、そのためにはどうしたらいいか、どういう学歴が必要か、職務経験が必要かで逆算して、だから今日、これをやってるんだというキャリアの道筋があり、一方ではマイホームを買っておいて将来的に安定資産にしたいという道筋もあります。
日本ではもう不動産神話はバブル崩壊とともに過去のものになりましたけど、オーストラリアではまだまだ不動産神話が盛んです。おかげで、世界第二位か第三位の不動産の高い国(ライバルは香港とバンクーバーだったかな)になってます。そしてそういう不動産を「持てるもの」「持たざるもの」が社会の階層を作っているかのようなところもあります。が、これがコケたり、暗雲がたちこめてきたら、一体オージーのマジョリティは何に寄りかかって人生計画を建てるのだろうか?なんですよね、僕が興味があるのは。既に、若年世代は賃金もクソ安いわ、職経験自体も少ないわで、マイホームなんか絶対無理って人も多いです。相続税ゼロだから遺産でころがりこんできたら別ですけど、今は長寿化してるから、それって自分が60歳くらいにならないと生じない話だったりもするわけで。だからメンタルやばくなると。
日本のおける正社員の解体とカジュアル化
週休3−4日制度と給与減少
一方、日本においてはみずほ銀行が、週休3日ないし4日、それに伴って賃金もカットというプランを出して話題になっています。テキストとしては、まずビジネス・インサイダーの
これは一番標準的というか、この動きに賛成する社員も多いとか、将来のキャリアのためにスキルアップに利用しようとか、コストカットの目論見はないというみずほ銀行のコメントをそのまま紹介したりとか、まあ、当たり障りのない感じです。ツッコミが浅いというか。
それをもう少しツッコミをいれたのが次のITmedia ビジネスオンラインの記事です。
社員のライフスタイルの多様化やスキルアップのチャンスとかいうのもあるんだろうけど、でも賃金は減らすんだから、どう考えても人件費カットの狙いはあるんじゃないの?と。そうでなくてもメガバンクは大リストラ実行中だし、いろんな銀行が合体しまくったみずほの場合は特に不要部分が多い。みずほは、もともと1万9000人の人員削減を目指しているし。さらに、なんでも企業頼みの政府が、70歳まで雇用継続しろとか余計なことを言ってくるけど、持ちつ持たれつだから無下にもできない。困ったもんだという前提事情はあると思います。
もっとトータルによく書けているのが、ワイアードという世界レベルのIT雑誌の日本語版です。なんかビジネス専門誌よりもIT系の雑誌の方がツッコミが深いですよね。
これはみずほではなく、世界的に労働時間短縮の歴史と流れを書いてくれてて面白いです。今回みずほが注目されてますけど、世界的にはどこも同じようなことを言ってるわけで、別にみずほだけの話ではないです。結局、100働く人を50人キープして50人クビにするくらいなら、仕事を50に減らし(給料も減らし)100人雇用し続けたほうが良いだろうというワークシェアリングの発想です。
週休二日制は、もともと大恐慌の1930年代にこの観点から考案されたといいます。その後も、1980年にはイギリスのサッチャーが、2008年の金融危機ではドイツ政府が似たような時短制度を導入し大量失業を防いでます。今回のコロナでも英下院議員の超党派グループは2020年6月にその旨の申し入れをしてます。、
時短は、単に雇用が守られるというだけではなく、生産性も上がる。総じて言えば労働時間が短いところの方が生産性は高いという研究結果がたくさんでている。英国のヘンリー・ビジネス・スクールが19年に実施した研究によれば、生産性の向上だけではなく、導入企業の4分の3以上(78パーセント)が従業員の幸福感が向上したと回答したほか、ストレスの減少(70パーセント)や病欠日数の減少(62パーセント)も報告された。つまり、この労働形態によって従業員の全般的な生活の質が向上したと。
ということですが、まあ週休3日なり4日なりがベストかどうかはわからないし、むしろ一律に決めてしまうことが問題なのではないかという指摘もあります。だいたいすべての仕事が予め決まった時間内に存在&完結するわけではない。週休4日でもなおもダラダラするところもあるし、週休ゼロの馬車馬状態ですらこなせないくらい大量の激務場もあるわけで、そんなのいくら決めても絵に描いた餅でしかない。かといって、完全に仕事があるときはあり、無い時は無いとする完全受注オンディマンド方式にしてしまったら、今度は職の保障がゼロになることにもなって好ましくない。
また、一番大きな問題は、給料が減ることです。
まあ、ある程度高給をもらっていて、月70万貰ってるのが月60万に減ってもいいから、もっと自由な時間が欲しいよって人はいるとは思う。ある程度稼いでいる人は大体において超激務であり、そう思う人多いんじゃないかな。僕も弁護士やってて激務過ぎるときは、心からそう思ったし、年に一度も預金残高とか見なかったですね。自分がいくら持ってるかなんか知らん!って感じ。そんなもん見てるヒマもないし、とりあえずメシが食えて家賃が払えたらそれでええわって。だから、何よりも時間が欲しかったですね。収入半分になってもいいから自由時間が欲しいって人、結構周囲にいましたよ。
しかし、既にローンを組んでしまったとか、大きな支出を予定してる人、ある程度高い生活水準にしちゃった人は、ベースになる給料が4割も減ってきたら死活問題でしょう。だから、喜んでばかりはいられない。また、最初からそれほど貰ってない派遣やカジュアルの場合、働く機会が失われるのはこれまた死活問題です。
ただ、ここで注目しているのは、世界で、そして日本でも、正社員とかフルタイムとかいうカッチリした仕事のフォーマット、それは人生のフォーマットといってもいいけど、そういうものが徐々にリラックスしてきている、ゆるんできている、自由度が高くなっていることです。同じことをネガな言い方をすれば、どんどん給与保証や生活保障が薄くなって、不安定になってきているということです。
これは先のほどオーストラリアの不動産人生設計の揺るぎとちょっと似てるんですよね。これさえやっておけば大丈夫、これをやらねば人生はダメだみたいなドグマが緩んできていることです。
副業人材募集
一方では副業労働市場が活発になってきているらしいです。これと、上の時短賃金カット、そしてコロナのテレワークを重ね合わせてみると、メイン本業は、たとえ給料が減ったとしたも、ガチガチに拘束されない方が良い、自由度が高いほうがいいと。同時に、足りない部分は副業で補うという流れになります。
もちろん、そんなに上手くいくわけないだろって話もあります。副業募集でも何百倍の狭き門だし、超即戦力を求められるから、それまでの実績経験、そしてリアルタイムの実力が問われます。甘くはないでしょう。
でもね、これって、世界的に広がりつつある労働のカジュアル化、さらには僕がやってるUber Eatsのようなギグ・エコノミーの広がりとリンクしている、、というか、はっきりそのものズバリを意味するのだと思います。
そのへんヤフーがよくわかってるなーと思うのは、 もうはじめっからギグだと謳ってるところですね。
内容もどんどん整備していって、広げていこうという、軌道に乗せよう発想がわかります。
ところで、ワタシはどうなるの?
以上、オーストラリアの人口減少と、日本(世界)の労働のカジュアル化と見てきたのですが、大きな視点で捉えてみると、行くつくところは同じかなーという気もしますね。何が同じかというと、広い意味でいえば、固定的な発展パターン(発想)が頭打ちになり、それを前提にして新しい最適化が始まっているという点です。
オーストラリアの人口も、これだけ毎年増えるんだから、これだけ成長できて、これだけ高いビルを建てて、どんどんやって〜というパターン。また、不動産もガシガシ値上がりするから、無理に無理を重ねても早いうちに買っておくほうが結局は得で、それをするためには奨学金を借りてでも学歴ゲット、インターン修行で高給ジョブをゲットしてという方法論。日本でいえば、高学歴で有名どころに就職して、それで一生OKさって固定的な成長方程式(個人の)が、終わるということです。それがもういい加減ヤバいってのは昔から言われてきたことだけど、コロナを一つのきっかけにして(ってコロナが無くても遅かれ早かれそうなったとは思うが、時間は短縮できた)、じゃあ次にどうするの?というやり方が現実にこの世に生じてきた、という意味で画期的です。
本業正社員、資産不動産の獲得、これらは安泰のようでいて、牢獄でもあります。日本では、なまじ就活に成功して「いいところ」に入ってしまったら、なにがなんでもしがみつかないと〜という強迫観念にかられる部分もあるでしょう。オーストラリアでは、無理に不動産買ったら、あとは人生の最も充実した期間をモーゲージ(住宅ローン)を払うためだけに費やしてしまうという問題もあった。
そういえば何の洋画だったかなー、とある殺し屋と、それに対抗するこれもアンダーグラウンドの人がピストル突きつけあうという緊迫の場面で、殺し屋が「なんで、あんなクソ野郎を守るんだ?」と聞くと、"paying the mortgage"(住宅ローンを払うためだ)と答え、「じゃ、お前はなんで、殺し屋なんかやってんだ?」と聴いたら、"paying the mortgage"と殺し屋が答え、二人の間に奇妙な脱力感と虚しく白けた空気が流れるという。笑ったけど。
オーストラリアでテレワークが比較的好意的に受け入れられ、且つ大都市から離れた地方不動産のレントや値段が上がっているということは、もともとコロナがなくても、もっとゆったりやりたいよって潜在的な意向が強かったと思うのですよね。そんなガシガシやるのってオーストラリアに向いてないし。
日本だって同じことだと思います。東京の人口が減少に転じて、田舎暮らしを考える人が二人に一人はいたというのはコロナ前からそうです。経済成長とか言われても、一般人にはあんまり実感ないし、運が悪かったらいくら頑張っても一生派遣だし、クソだよなーって状況もあった。オーストラリアの若いのだって、こんだけ家の値段が上がったら絶対無理系だし、大学行こうにも年々学費は上がるし、企業がどんどん採用を増やすかといえばAI合理化その他で減らしてるし。
巨視的にみれば、これまでの固定成長パターンというのは、あまり皆を幸せにはしなくなってるんだと思います。既にそっちに賭けてしまった人は、そうなってもらわないと困るだろうけど、でも、今ならまだやりなおせますしね。住宅ローンが〜とかいっても、まだ値崩れしないうちに損切で売ってしまえばいいわけだし。日本で一流企業とかいっても、企業そのものが明日はどうなるのかもわからんし。
不安定と自由は同じことです。安定固定を絶対基準にしたら、不安定はそのまま不安要素になりますけど、安定固定を絶対基準にせず、流動性を基準にしたら、それは自由度が高まること、自分が生きていける可能性が広がることを意味するわけですから、歓迎すべきでしょう。
つまり、労働がカジュアル化するなら 人生もカジュアル化してしまえばいいってことです。
画像的なイメージで言えば、これまでは、「天国への階段」のように、天国に続く一本道があって、それをせっせと登っていき、そこからコケたら死ぬしかないみたいなものだったのが、広々した原っぱで三々五々花見をやってるような世界になるということです。
バリエーションはむちゃくちゃ沢山
今はテレワークだ、地方不動産や経済だ、週休4日だ、副業だってパターンになってるけど、もっとパターンは増えるでしょうし、それらを組み合わせるのは個々人の自由ですから、そのバリエーションはむちゃくちゃ沢山あると思います。あまりにも多くのバリエーションや派生状況が考えられるので、到底整理できず、なので思いついたまま書き綴っておきますね。本業(正社員で企業勤務)+副業って方程式に固執する必要はないです。本業あるいは副業のところに起業をもってきてもいいわけですしね。また1+1である論理的必然性もないでしょう。細かい副業を3つ、ジャグリングしながらやっていく、要するにフリーターと同じパターンでもいいわけでしょう。
別の言い方をすれば、職や仕事がコマ切れになってきた。定食や会席料理のように、はじめから終わりまで全部決まってて、ここだけくださいってのはダメだったのが、全品アラカルト方式になって、居酒屋で注文するように、これとあれとで適当に組み合わせればよくなったと。
この流れは、もう10年以上前から、シェアリング経済が始まりギグ・エコノミーになり、企業経営についてアウトソーシングや断片化が出てきた頃から見えていたとも言えます。「言えます」というか、その頃から僕は言ってたぞ。実際、今の自分だって、本業はAPLaCで、コレ一本だと自由度がなさすぎるから副業だって数年前から始めて、今はUber Eatsやってますけど、それと同じ流れです。新しい時代というよりも、もうとっくにそうなってると思うし、本音でいえば「何を今更言ってるんだ」って気もします。
とは言うものの、社会の人々はほんとロングテールで、最前線と最後尾との間には優に一世紀くらいのタイムラグがあるでしょう。全体が動くというのは、本当に難しくも気の長い話なのですよねー。それもあって、船の先端に立って、水平線を凝視しつづけるようなことは必要だと思うのですよ。自分の身の振り方を決めるためにも。そして決めてすぐ動けるわけでもないし、大体1−2年の準備期間はいるとしたら、1−2年前に変化の兆候は掴んでおかないといけないでしょう?
それはさておき、自由度というのものを基軸に自分と社会を見てると、その自由度が広がるかどうかがポイントになります。でも安定というのを基軸にみると、そこは見えないでしょう。自由度という意味では、かなり広がってきましたねー。副業募集でも完全在宅でOKというテレワーク前提もありますからね。
一つできてしまえば後は応用ですから、いくらでも広がります。テレワークでも、これを極めていけば、いくらでもひろがります。全然会社に行かなくても良い形態だったら、都心から郊外へどころか、インターネットさえつながれば、山奥の炭焼小屋に住んでいようが、さらに海外に住みながらでも出来るわけでしょう?まだまだ労働市場・仕事市場が成熟してないので、選べる余地はすくないですけど、この流れが加速していって普遍的になれば、職と住まいは完全に切り離せるわけですよね。
ここからさらに発展していきます。だったら、オーストラリアに住みたい〜といっても、必ずしも永住権でなくても良いことになりますよね。行きたいなってときに観光ビザを取って、家具付きのフラット借りて、しばらくやって、3ヶ月か半年に一回戻ってとかも出来るわけで、福祉とか行政とか考えなかったらそれでもいいわけですよね。
従来、収入を得る方法に、住まいや生活形態は厳しく規定されていたわけですよ。収入が高くて安定してるほど規定は厳しい。名門企業に入れば、それは高収入で安定してるけど、独自のカルチャーに染まらなきゃならないし、自由時間も自由じゃなくてイベントなり飲み会なりの参加、サビ残、接待、ひいては結婚にいたるまで封建制度のように規定されてるところもあるわけですよ。そこまでひどくなくても、職場から通勤1時間以内とかいう制約はあった。でも居住の良さを考えれば通勤2時間になってしまい、そこが都心サラリーマンの永遠のジレンマで、小田急線や中央線や総武線でお父さんが2時間通勤頑張っていたわけですよ。そのくらい職によって、生活と人生のあり方が規制されていた。
それが開放されたら、かなり楽ですよー。そりゃ、漁師をやろうと思ったら海の近くにすまねばならないとか、スキーのインストラクターをやろうと思ったらスキー場に居なければならないとかいう制約はあるでしょう。しかし、それですら、Zoomのワンポイントレッスンで教えるだけならスキー場に居なければならないという話でもない。大学の頃、スキー部の連中の練習をみてたら、膝を曲げてアヒルみたいなしんどい格好でひたすらヨチヨチ歩いてて、ああ、スキー=膝関節と筋肉なんだなって思ったわけですが、同時にスキー場に行く前に話は決まってしまうのだなとも。漁師だって、漁業権だけ持ってて、実際に操業するのは集めた連中にやらせるという形態もあります。オーストラリアでも、「パーフェクト・ストーム」という映画もそうだったと思うけど、船長と航海士とか二人くらいがチーム組んで軽い起業みたいな感じでやる。あとは臨時のバイトを雇って、船主からレンタル料を払って船を借りて、しばらく操業して、収穫が市場で売れた収入から、経費を差っ引いて、バイト料払ってとかやってる。だから漁業権や船のオーナーは必ずしも海近でなくてもいい。
一方、正業メインが週3日勤務であったとしても、副業がスキルアップでもいいわけだし、趣味でもいいわけだし、この際自給自足農場をやろう、家庭菜園から始めてって人もいるでしょ。でも週2で通うだけなら埒があかないけど、週4日も通えたら、そっちをメインに住んで、都心を仮住まいにすることも可能。あるいは、伝統芸能を学ぶためにパートで師事するなんてこともできるかもしれない。これに完全テレワーク副業だけで埋め尽くせたら、べったと好きなところに住み続けることも可能でしょう。
大手企業だけの話でもないですよ。むしろ人手不足に悩む中小企業の方が、週3勤務でいいから、在宅で帳簿つけてくれたらいいからって仕事を細切れにして、人件費を抑える方法だってあります。
建築現場なんか現場の作業員は、昔っから口入れ屋とか暴力団系が仕切ったりして、その日の朝に人を集めてとかやってたわけだから、これを現代化すれば最初からスマホのギグ・エコノミー化できるでしょう。アプリを開くと、各現場の仕事内容と募集人員が書いてあって、クリックしたらさらに細かく業務内容が書かれてて、気に入ったらポチ登録で仕事ゲット、給与は銀行振込と。今のフリーターでもスマホ命で仕事を受けたりしてるけど、もっとシステマティックに出来るはずですし、実際にはやってるんじゃないかな。
こういった流れが、もし本格的に立ち上がっていくなら、また関連する新しい仕事群が出来てくるでしょう。仕事を出す側としては、いかに効率よく仕事を細切れにするか、いかにして人を選ぶかという、新しい仕事体系と人事体系が求められます。そしてそのノウハウを教えるとか、肩代わりしてやってあげるようなコンサルティング系の職業が増えるかも知れないですし、これまでコンサルティング的立場にいた税理士、金融機関、顧問弁護士などは、そういった技術にも精通して顧客サービスを向上させ、差別化をはかるという流れがでてくるかもしれない。
人事においては、オンラインだけでぽんと採用としていきなり任せるギグの場合、採用テストをやるとしたらどういう試験にしたらいいかって業種も出てくるでしょうね。従来の人事部の技術ノウハウだけでは無理だと。そのあたりは心理学のエキスパートとか今でも結構あるとは思いますよ。オンラインで受講してもらって、実際の場面を再現しつつ、あなたはどういう対応をしますか、AからEまで選べとやらせるとか(実際にCOLESでもそういうのはあったぞ)。それで、その人の心理傾向とかかなり分かるんじゃないかって思います。飽きっぽいとか、実直だとか、ムラがあるとか。たしか仕事のムラはクレペリン検査でわかるんじゃなかったっけ?地味な仕事のアウトソーシングだったら、細かいところで手を抜くか、抜かないかの差がデカイので(帳簿とか)、そのあたりをきめ細かく判定する技術、そのやり方を売り込む業種。
他方、就活のあり方も変わるでしょう。もう新卒だけが就活ではなく、死ぬまで全部就活です。どういう副業やテレワークの場合、どういうキャリアがあって、どういう人材が求められるかとか、同じのような仕事に見えて、これはブラックだから意味ないとかいう「新ブラック」みたいな領域も出てくるでしょう。そのあたりを見極める技術、経験、そしていくつもの職をジャグリングしてやっていくノウハウ。そういったものは未開発のままですから、個々人の頑張りに期待されますし、同時にそういうものごとを指南する産業も増えるでしょう。でもって、いい加減な情報に振り回される人も出てくる。
一方、固定パターンが薄らぐとしたら、じゃあ今のような大学とか学歴とかどうなるのか?といえば、そのままの形では通用せんでしょ。ましてや大卒だから高卒だからなんてのはギグ・エコノミーでは通用しないです。実際にその仕事ができるか出来ないか、それがすべてですからね。でもね、ある程度裁量性の高い仕事、まとめあげるようなマネジメント職の場合、過去の経験が必要だし、一定の素養証明も必要とされるだろうから、その証明として一定レベル以上の学歴は意味はあるでしょう。まあ、「まんざら馬鹿というわけではないんだな」って程度でしょうけど。また、大手に就職する意味としては、仕事を覚えたり、経験を積んだりという学校的な意味が強くなると思います。さらにいえば、実務能力絶対重視の環境になれば、正社員も派遣も関係ないでしょう。出来るかどうかですからね。
その意味でいけば、大学で学ぶ意味も、仕事をする意味も、より実質的に洗練されてくると思います。行けばいいんだみたいな粗雑なやり方ではダメで、例えば法学部に入るとしても、法学をやると何が良いのだ?と突き詰めて考える。単に「潰しがきく」とかそんな馬鹿みたいな話じゃなくて、法律学、特に法解釈学は、社会のあらゆる人々の立場、思い、利害を分け隔てなく正確に汲み取って、それを均分に配慮しながら一つの最適解を出していくこと、その最適解をどんな場合にも通じるように洗練した形にすること、そしてそれを誰に対しても理路整然と説明できること、などの能力がつく。これは千変万化するビジネスの現場において一つの共通の解を導きだすための基礎技術になりうるし、それを部下や上司に顧客に誤解ないように説明するためにも有用な技術になりうる。これは将来どんな職業をやるにしても得ておいて損はないものであるから、だからやるんだ、ってくらい正確に把握しておく必要があると思います。同時に、学校や予備校の進路指導などにおいても、そのあたりは的確に言えるようにしておいた方がいい。
というわけで、いくらでも発展していきますね。一つ前提が変わると、じゃあこうなる、ならばここもああなる、そうするとこうなる、結局そうなると、、という感じで、次々に展開していきますから。
いつもの話になりますが、今の先進国の技術水準と国民の教育水準(読み書き計算は当然できるくらい、今どき読み書きが出来ない人は総理大臣くらいにしかなれないし)があれば、生産性は十分に高いのであり、全員が必死こいて働く必要もない。ならば、自由にそれぞれのペースで仕事を組み合わせればいいわけですよ。物理的には可能だったんだけど、制度的&心理的に解除するのが難しかったのが固定成長天国階段パターンだったわけですよね。そこが緩んでくれたら、かなり楽になるなーという気はします。その流れの加速ブースターみたいな存在としてコロナがあるなら、もしかしたらトータルでは黒字かも知れない。ま、そこは人それぞれの立ち回り方によると思いますけど。
僕なんかからすると、すごい楽しい時代になりそうで、メンタルなんか病んでる場合じゃないだろって気がしますけどねー。てか、やるべきことが山程あって、考え込んでるヒマなんかないでしょ。副業なりパッチワークを縦横無尽にジャグリング出来れば出来るほど人生の自由度は高まるのなら、それが出来なければ袋小路だってことでもあるし、ならばそれが出来るような自分、「なんでも出来る自分」を鍛えなければならんでしょ。また自由に、融通無碍に〜とかいっても、自分のライフスタイルや思考・発想・行動がガッチガチに固まってたら意味ないし。
文責:田村
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