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Essay 954:「朝三暮四」経済と未来の個人資産「自信」


2020年09月28日
写真は、Glebe。水浴びしているワンコが気持ちよさそう。  これは今年の1月に撮ったものです。まだこの時点ではコロナは中国の話で、オーストラリアでは山火事で空がくすんでいるとか言ってる「古き良き時代」の光景



ここ一週間のオーストラリア

 これだけでエッセイ2回分くらい語れますけど、今回はサラリと流します。

なんかチューニングがズレてる

 前回の続きのようなところから始めるなら、まずオーストラリアの政治状況ですけど、なんも進展してません。いや、政府からいくつかの発表があったんですけど、「なにそれ?」みたいなやつが多くて。

 来月に発表される予定の予算案ですが、漏れてきた話では景気刺激策として減税、それも高所得者を対象とするという金持ち優遇予算だとか。「は?」てな感じで、今世界は格差是正をどうするかが二大テーマの一つだと思うのですが、なんで思いっきり逆走するわけ?意味わからん。ということで発表される前から叩かれています。



 また先週示された新しい景気刺激策は、ニューエネルギーに力を入れるとかいうことまではいいんだけど、これがガス発電をメインにしようという、これも「はあ?」という。
 直近のターンブル首相(スコモー君が経済相だったときのボス)に「クレイジー」「ファンタジー」と一蹴されています。


 さらに、評判倒れとの批判が厳しい全国インターネット網(NBN)も、7年もの間オリジナルの「全家庭に光」に変えて、銅線とかハイブリッドとか混入してスピードを遅くさせておきながら、今更原案に戻って「アップグレード」とか言われてもね、7年もの間何やってんだ?って話です。これも即座に最初に全部光の原案を立案して実行していたラッド首相から、叩かれてます。


 また、銀行に対する「貸し手責任」(ちゃんと資産調査をして貸せる範囲でしかかせないという法的義務)を撤廃しよう、いくらでも貸せるようにしようという案が出てて、これも叩かれてます。それまで銀行の不正行為(貸し出し限度を詐欺的な調査方法で誤魔化していた)は大々的に行われたロイヤルコミッションで徹底的に糾弾されていたのにも関わらず、です。またタイミングも悪く、これから先、JobSeeker打ち切りなど皆の生活が苦しくなるなか、必要なのは公的な生活支援であって、単に借金を増やすことではない。そこで貸す側のリミッター外してしまったら、限界を超えて借りまくって、最後は大爆発するだけの話で何の対策にもならないし、むしろ事態を悪化させるでしょう。これも出た瞬間に叩かれてます。


 なんか何をやっても叩かれてるようで可哀想な気もするけど、しかし、ダメダメ過ぎるでしょう?なんでこの政権はこんなにもチューニングが狂っているのか?ここまでくると「やってる感」よりも「間抜け感」の方が強い。

 そうかといって、最大の懸念となっている支援策の延長や拡充については何も言わず、国境封鎖の解除についての見通しについても何も触れず、それも含めてコロナ対策の大局的な方針も言わず。要するにやるべきこと、語るべきことについては何も言わず、意味がないとうよりも有害っぽく見えるものを「不況対策」の名目でやろうと。何なんですかね、これ。ガスにせよ何にせよ各業界との利権話とかあるんですかね?日本の自民党政治は、基本的に利権調整政党だから利権の絡まないことは何にもやらないし、支持者も何らかの形で利権をもってる人達だけど、オーストラリアでもそれっぽい部分はあるのかな。

 オーストラリアの二大政党は、リベラルとナショナルのコーリション(連立)とレイバー(労働党)ですが、現実的な政策においては、そんなに違いはないです。だから第三政党のグリーンズなどに若い世代の人気が集まったりしますし、ときどきインディペンデント(無所属)がキャスティングボードを握ったりもして、そこそこ機能はしてます。

 ただ、伝統的にレイバーの方がビジョンや理念はあって、ときとして理想に先走る部分もあるんだけど、新しい時代をこうしたいという意思は見える。遡れば、それまでの人種差別が正義でもあった白豪主義の廃止を宣言し、マルチカルチャリズムに180度大転換したのもレイバーだし、オーストラリアは西欧ではなくアジアなんだと積極的にアジアに溶け込もうとしたキーティングも、リーマンショックを矢継ぎ早に手を打って食い止め、中国との関係改善をしたラッド、温暖化防止に真剣にコミットしたジラード、いずれもレイバーです。それだけに既得権益層を傷つけることもあり、定期的に政権交代があります。期間的に言えばコーリションの方が長いんじゃないかな。今のスコットモリソン政権は、本来なら前回の選挙で負けてレイバーになるところだったんだけど、なんの偶然か奇跡的に勝ってしまって現在の状況になってるわけですけど、基本「なにもしないで現状利権を守る」的なリベラルよりも、結構ガシガシやっていくレイバーの方が、今のような国難的な状況には向いてるような気もしますね。

 ただし、ダメなのはオーストラリアだけではないです。
 アメリカは、もうなんというのか、もうすぐ南北戦争パート2(内戦)になるんじゃないの?ってくらい国が壊れてきてますし、むしろ意図的に壊しているかのようにも見える。

 日本の場合は、もう支離滅裂というか、何を30年前の規制緩和とか、デジタル庁とか意味わからないんですけど、まあ政治やるつもりもないだろうし、やってる暇もないんだと思います。多分、安倍首相という強力な看板が外れたことで、その裏にあった醜悪な利権構造が晒されることになるだろうし、まともに検察が機能してたら3回は有罪判決が出ただろうあれこれをいかに隠して逃げ切るか、またアメリカ内部の権力構造のねじれと圧力との対応などをどうするか、解散をいつやるかとか、いわばこれまでの隠蔽・防衛・逃走のための生贄の人柱みたいに据えられたのが今の菅首相じゃないんですかね。とりあえずヤバくなったらこの人を火だるまにしておけばいいか、みたいな感じがします。

コロナと国境閉鎖

 今、世界でもっともホットで焦眉の急の課題は、一体コロナをどうやって収束させるのか、具体的にその象徴とも言える国境封鎖をどうするのか?です。

 この点、世界各国は本当に真剣に考えないといけないのだけど、あまりにも難しいので、なかなか語れてない感じがしますね。その意味でいえば、ヨーロッパって既に国境を開いているし、なんだかんだいって一番先進的ではあります。一番古臭くて頑固な部分もあるんだけど、進取の気風、実験精神などは旺盛で、そのへんはさすがって気もします。

 メジャーなメディアでは通り一遍のことしか書いてないのですが、世界を見渡すとときどきいいこと書いてあります。最近読んだなかで読みごたえがあったものを紹介しますので、ご興味があればどうぞ。

 といっても指摘することは誰もが同じで、いくら難しいとか、決めると政治的に傷がつくとかビビって何もやらないと、どんどん経済的には悲惨になってくるから、どっかで腹をくくってなんとかしないといけないよということです。
 これはForeign Policyって専門誌の寄稿文ですが、”Even as they struggle to control the pandemic, governments should move quickly to reopen borders instead of giving in to xenophobia, nationalism, and illusions of autarky”という見出しによく表現されてます。「いくら各国政府がパンデミックのコントロールに四苦八苦してるとはいえ、ゼノフォビア(外国人恐怖症)に屈したり、ナショナリズムに陥ることなく、また自給自足鎖国経済の幻想に酔いしれることなく、国境は速やかに開かれないとならない」

 次は、World Crunchというデジタルベースの国際メディアです。
 ここでは、モロッコとヨーロッパ、カナダ、そしてオーストラリアの事例が紹介されています。オーストラリアはわかるからいいけど、モロッコが初耳で。モロッコは世界でも一番厳しいってくらいロックダウンをやったんだけど、それだけにハードな経済的打撃を受けている。当たり前な話なんだけど、だからといって軽視すべきではなく、本当にかなり深刻なことであり、もっと真剣に考えるべき。さらに問題なのは、じゃあ国境を開いたら全てはもとに戻るのかというと、戻らない、ということです。そんなに簡単な話ではない。

 ヨーロッパの場合、第二波だといって浮足立ってる国が出てきて足並みが乱れているのが問題。例えばいきなりハンガリーが再度閉鎖とかやるもんだから、観光客とか国際線とか混乱を巻き起こしていて、やるなら周辺国と調整してやるべきだと。EUでも統一的なやりかたにすべきと。でないと、いつひっくり返されるかわからないということになり、おちおち観光もできないわけで、これがどれだけ回復に水をさすか、という議論がいまヨーロッパでやられている。といっても、国よってスタンスは違ってて、ドイツの場合は、国境に再閉鎖は絶対に避けるべき(開けっ放しにしておけ)とメルケルが力説してて、それも"at any cost"(どんな犠牲を払ってでも)とまで言っている。ヨーロッパの場合、シェンゲンの調整もありますし、そう言う点も含めて進んだ話になってますよね、あそこは。

 カナダの場合ですけど、大問題なのがアメリカとの国境を開くかどうかです。両国ともまだ開いてないのですが、人口密度が低いこともあって被害は少ないカナダからすれば、炎上しまくってるかのように見えるアメリカとの国境を開くことに躊躇いがあるのは、まあ分かりますよね。特に国境に接してる自治体は、我々に決定権をくれと言っている。一方、アメリカのトランプは、もうすぐ国境開けちゃうし、っていつもの調子で怪気炎をあげているので、カナダも生きた心地がしないとか。


 次は、その名もエアポート・ワールドという空港関係の業界紙なのかな、もう専門現場なだけに真剣です。他のエリアは「難しい問題ですね」とかどっかしら他人事みたいに語ってればいいかしらんけど、空港業界は生きるか死ぬかの瀬戸際ですからね、いきおい話も真剣になる。


 真剣な分だけ提言が具体的で参考になります。いずれ開けるとしても、本当の問題は14日の検疫で、こんなことやってたら事実上面倒くさくてやってられない。だから14日検疫をどうやって行うか?が焦点になるだろう。その場合、相手国に着いてから14日検疫をやるのではなく、飛行機に乗る前に14日検疫ないしそれに代わる安全証明のようなシステムを作るべきだと。それは各国政府、航空会社、空港のコラボによって作り上げていくべきだという至極もっともな話です。

 実際14日なんかやってられないし、ワクチン頼みとかいってもいつ出来るかもわからん、出来たところで効果もわからん、副作用もあるかもで、そんなに期待できない。じゃあ、永遠にダメかよとか言ってる場合ではないので、なんとかいい方法を協議するしかないと。仮に14日拘束があったとしても、外国のホテルでやるよりは、自国内部でやった方がやりやすい。精神的にも予算的にも。これは私見ですが、馬鹿正直に同じところに14日監禁されるのではなく、普通に生活しつつ3日毎に検査を受けて、直近連続4回以上OK、最後に空港でOKだったらよしにするとか、やり方はあるんじゃないのか?

 だけど、どの国の政府を見てても、あんまりそんな話はしてないのですね。なんでそんなに前向きじゃないのか?わざとじゃないのか?ってくらいですね。

惰眠と迷走の世界と「朝三暮四」の麻酔切れ

 コロナ問題がはじまった頃に、「朝三暮四」の話を書きました。もらえる餌の量について、朝3つ夕方4プランと朝4つ夕方3プランで要は同じなんだけど、猿はガンとして朝4を主張。今だけ、金だけ、自分だけ的な感じで、目先の利益にくいつく猿の先見性の無さですけど、コロナも全く同じ。危機のタイムラグによる判断のミスです。

 感染被害はすぐにわかるから朝なんだけど、経済は遅効的・波状的に悪くなるから夕方。だから経済がひどいことになるぞといっても、ピンとこない。なんとなく抽象的でよくわからないからって蔑ろにしておくと、あとになって死ぬような思いをする。まあ、考えてみれば何だってそうで、しんどいけど今のうちにやっておけば、後ですごい効いてくるんだけど、うだうだいって先延ばしにしていると、あとになってキッチリ地獄に落ちる。

 オーストラリアの場合、JobKeeperなどの効果的な対応があったこともあって、経済打撃の程度や痛みが見えにくくなってる部分はあります。もともと痛みを緩和するためにやってるので、それでいいんですけど、「今ココ」の現在地感覚がわかりにくくもなっていいる。

 ロックダウンをやって、VIC州以外ではかなりノーマル化しつつあります。それに伴い、ほとんど瞬間的に蒸発した仕事も増えてきて、一気に回復って話ですけど、でも、いいとこ半分くらいです。それなりに良くなったけど、回復には程遠い感じ。

感染よりもタチが悪い経済不況

 しかし、経済というのは感染症よりも遥かにタチが悪いと僕は思うのですね。病気の感染は、一回かかってしまえば、基本それで終わりです(例外はあるが、あくまで例外)。でも経済の場合、何度でもかかるし、キリがない。むしろ雪だるま式にどんどんひどくなる。基本一発ポッキリの病気なんかに比べてはるかに厄介です。そのくせ最初は小さく始まるので実感がない。実感がないから見通しを誤る。また、病気の検査は即日ないし数日以内に出ますから、リアルタイムにわかるんだけど、経済の場合は、四半期という3ヶ月以上たってからわかるという情報の遅延性もあります。

 雪だるま式、波状的というのは、例えばレストランやカフェなどがコロナ対策による営業規制によって経営打撃を受けます。Eat Inはダメとか、営業時間を減らされるとかで客数が激減するし、損益分岐点に届かないのでやればやるほど赤字になるという第一次被害があります。と同時、ないしちょっとあとになって第二次がきます。例えばテレワークなどでビジネス街で働く人口が減って、営業許可時間中であろうが、ロックダウンが解除されようが、それでも売上が減ると(その分、郊外のカフェが賑わうというプラスもあるけど)。

 さて、このあたりからぶわっと拡散しはじめるのですが、外食産業がダメになることで、直接的にはその店の仕入先が打撃を受けます。多くは農産物などの食材、農業漁業の生産や流通が打撃を受けます。僕も前にはカフェに卸してたデリバリーやってたけど、カフェがこうなったらロジスティクスもあがったりですもんね。また、インテリアなどの飾り付け、特に高級店などの場合、フラワーアレンジメントなどその種の産業も打撃を受けます。定期的にリノベーションをしたり新規開店をしたりで儲ける建築業が受注減になり、そのための建築やインテリアデザイナー、あるいは建築資材の運搬などの業界もダメ。改築資金を融資することで儲ける金融系も仕事が減るし、開店その他の広告関係の業界も打撃を受ける。家賃が払えない、新規開店が減るということでビル経営や不動産業も影響を受ける。

 それぞれの業界で売上不振になることで、残業代が減り、ボーナスが消え、さらに労働時間も減り、派遣の雇止めが起こり、リストラになり、ひいては会社そのものが潰れて全員路頭に迷うことにもなります。とりあえず残業代が減っただけでも、皆の可処分所得は減るから、ちょっとした生活の贅沢(ちょい高価な外食とか衣服、趣味、旅行)などが減りますから、そのあたりの業界も影響を受けます。

 ココが結構キツいと思われるのですが、起業、あるいはより文化的に前進しようとする場合、「多少値段は高いんだけど、でも質が良いもの、新しいもの」というエリアがあり(多少値段は高いけど美味しいオーガニックとか)、それらが経済や新しいライフスタイルを開いていく最前線になるのだけど、「高い」というだけでもう売れないから、そのへんが討ち死にしてしまいます。結果として進展のない詰まらない社会になるし、起業意欲も減るから潜在的な力も落ちる。つまり単にお金がない以上に、生きることの楽しさが減るのであり、経済以上に最大幸福値が下がる。

一部から一般に拡散していく被害

 「可処分所得」というゼネラルな結節点を通過することで、悪影響はプリズムのように全方向に拡散します。可処分所得を何に使うかは人それぞれですからね。またこのあたりは心理的な要素が強いから、実際の打撃よりも拡大する傾向もある。今までは2万円浮いたら2万円使ってたけど、先が恐いから2万円浮いても貯金をしておこうとかになるから、実際には実被害ゼロであったとしても、財布の紐が固くなることで、本来使われるべき先が打撃を受ける。ちょっと値の張るファッションとか、パソコンや家電、車の買い替えなんかも、まあ急ぐことはないかで取りやめになる。

 こういった変化は全員が毎日やりますから、積み重なると膨大なものになります。そうこうしているうちにどんどん飛び火していって、経営がヤバくなるところが出てきて、そこでまた賃金カットなりリストラが行われ、それがまた新たな原因になって、、ということで感染に似てるんだけど、無限に連鎖するし、また自分に返ってきたりする。でもって、いよいよ破綻するとなると、潰れたら連鎖倒産というクラスターが生じたりもします。


 上の記事に書かれていましたが、”While the first wave of job losses during the pandemic disproportionately fell on young, low-paid women in the services sector, retrenchment is now hitting older, higher paid men across a range of industries.”「パンデミック期における失業の波は、最初は人口割合比を越えて若年層、サービス産業の低賃金の女性労働者が犠牲になったのだが、だんだん高齢化し、より高給を得ている男性労働者の産業に広がっている」。

 ”The only two sectors that shed jobs over the three months to August were the male-dominated areas of construction (-11,200) and utilities (-14,200).”「(一般にはロックダウン明けで失業が回復している)6-8月の3ヶ月で失業が増えている業界はたった2つであり、それは建設業(11200人減)とユーティリティ(ガスや電気などインフラ)業界(14200人)である」

 (以下原文は示さず訳だけ)最新の国内統計によると、8/22-9/5期の2週間では、男性の人件費の減少は、女性のそれの二倍になっているし、パンデミック開始からのトータルでいっても男性は5%減になる(女性は4.3%減)。

 給与減でも、この3月から通算しての男性の給与は6.7%減っており、女性の場合は0.9%に過ぎない。これは女性の場合、もともと低賃金だったりパート、カジュアルジョブが多いのに対して、男性の場合は高い給与の正社員に被害が拡大していることを示唆している。

 意外かもしれないが、(儲かってるとされる)鉱山関係の人件費の低下は15.7%減であり、これはホスピタリティ産業(観光や外食など接客サービス業)のそれをほんの少しだけど上回るのである。

 オーストラリアの就業統計は数十万規模の職の増加という「力強い回復」を示しているのではあるが、人件費や給与という側面でみると大きく落ち込んでいるのである(つまり職の数は増えているけど、給料は減っている)。そしてこれはVIC州だけの話ではなく、NSW、QLD、ACT、NTいずれも減少している。

 というわけで、既にドミノ倒しの「第二波」がひろがりつつあります。いや、本当はもっともっと早い時期にそうなっているんだけど、前に書いたように経済統計はタイムラグが激しいから、今の時点のリアルタイムではもっと先まで言ってるでしょう。

 いよいよ今週から(てか先週の金曜9月25日で)JobSeeker(失業保険など)のコロナ特別増額分が減ります。フォートナイト(2週間)で550ドル増やしてもらっていたのが、250ドルになります。2週で300ドル減(週150減)の影響を受けるのが、およそ200万人いるとされます。たった週150とかいっても、受給を受けている人達にとっては切実な額であり、トータル割合でいえばきつい。またそれが200万人もいるとなると、全体では馬鹿にできない。週150ドル分(1日20ドルちょい)使えなくなるのならば、その節約分として、コーヒー飲みにいくのをやめようかな、外食やめようかなということになったりして、それだけ復興過程にあるカフェその他が打撃を受けるでしょう。単純計算でも確実に毎週150ドル×200万人分消費が減るわけで、これがボディーブローのようにきいてくる。そして、来年になったらさらに250減らされて、コロナ特別手当はゼロになります。同じようにJobKeeperの1500は1200に減らされる。

経済統計とタイムラグ

 だけど、こういった状況の結果がわかるのは、今年の12月とか、来年の2月とかなんですよね。タイムラグがあるから。

 ちなみにUber Eatsから先週の金曜日にプロモーションが来て、幾ら以上頼むと配送料が無料になるよとかいって、丁度政府手当が切れる頃を見計らってやってるわけです。さすが世界の民間企業、もう「迎え撃つ」って感じのタイム感。でも政府は、数ヶ月遅れで経済統計が出て、今更ながらメディアに流れて、批判が高まって、ようやくなんかやる(シカトもある)ということで、タイム感違いすぎ。もう政府とか国とか何のために存在しているのかわからん。

 過去一年間の自分のお小遣い帳を作ってみて、いったいどこで何を買ったのかリストアップすると、その数だけ自分は消費者であることがわかる。人にもよるけど少なくとも数十から数百種類の買い物をしており、ここで一人の人間が失業その他で消費力が落ちると、これまで買っていたものを手控えるようになるからそれだけあらゆる方面に悪影響が出る。ちなみに、日本で消費税減税が提案されるのも、これと逆の話で、その分だけ消費力が高くなるので全体にとって有益だということでしょう。

 ゼネラル化したドミノ倒しは、無限にリバウンドしながら国全体の体力を削ぎ落とし、健康を悪化させます。人体と同じで膨大な数の細胞が関係しあっている。最初は単に足を挫いただけだったんだけど、適切に対処しないとマトモに治らずに持病化し、それによって運動不足になって健康な血流や代謝が落ち、さらに次の問題(内臓やらホルモンやら)を引き起こし、動くことがかったるくなることと、不健康で気分がすぐれないことからさらに精神がダウナーになり、活力が下がり、ストレスが増えて万病のもとになる。コマメに動くことがないので手軽でパターン化された食生活に陥り、栄養の偏りが次の問題を引き起こす。ずっと動かないでネットばかりやるようになるので、同じ姿勢が長時間続き、それがまた背骨の歪みや腰痛などを引き起こす。どんどん体調や気分が落ちるので、どんどん動かくなくなり、そのうち本格的に名前がつくような病気になり、それによって、、、無限連鎖です。経済も同じことです。

実体経済から資産への波及

 ここまでは実体経済の落ち込みで、金融経済や不動産など資産方面にはまだ顕著な影響が出てきてないです。実体経済から遊離しまくった金融関係(株の相場とか)は経済原理からすればありえない現象なんだけど、皮肉なことにそれが今回はクッションになっている。が、いつまで続くのか、という問題があります。

 さしあたっては家賃凍結やらローン返済凍結も徐々に解除になってくることです。
 

 スリーパー問題と言われてますが、3月からローン返済のモラトリアム(半年)がなされているので、ローン返済者には楽だったです。てかね、この半年、JobKeeperなり、テレワークなり、ローン猶予なりそこそこに手当がなされていたので、コロナ以前よりも楽になってる人もいます。いわば一時的に強力な麻酔薬を射って眠らせているようなものです。そりゃ痛くないよ。だけど、そろそろその麻酔も切れてくるわけです。前回のエッセイで書いたように、本来なら麻酔が効いている間に手術をしなきゃいけないんだけど、本質的なことは何もやってないといっていい。天文学的な額の税金注ぎ込んで麻酔をかけるだけかけて、でも何もしないで、そして麻酔が切れてきましたーという馬鹿な話になっている。

 オーストラリアの銀行もいきなりローン督促とかはしないで徐々にやっていくけど、無限にモラトリムというのは出来ないと。そりゃそうでしょう。だから既に電話かけて話を始めているらしいです。一方、立ち退き請求を禁止している期間も来れるので、既に大家からガンガン電話きてるテナントも出てきているようです。

 事の道理としていえば、ローン返済や支援もいずれは尽きるし、そうなれば強制競売になり家を失うことになる。その数がどのくらいになるのかはわからないけど、少なくとも住宅ローンモラトリアムを受けている数だけで50万件はあるといいます。もしこれら全てが一斉に競売になるとしたら、50万世帯のホームレス予備軍(多くは実家や賃貸にいくだろうが)になるでしょうが、それ以上に恐いのは、それがオーストラリアの世界で三番目といわれる不動産の高値バブルが弾けることでしょう。

 持ち家率の高いオーストラリア人にとってそれは悪夢でしょう。なぜなら人生設計も老後計画も木っ端微塵になるからです。既にスーパーアニューション(厚生年金のようなもの)の取り崩しを認めているから、これでも年金基金が空洞化してるわけで、ダブルできます。

 ほんでもって、不動産など資産バブルがやばくなってくると、さすがに超越的に飛行していた株価その他の金融商品もやばくなり、ここが崩壊すると、金融機関の破綻、預金封鎖など広がっていきます。

日本バブルやリーマンとは違う

 今回の不況は、これまでの日本のバブル崩壊、リーマンショックとは性質が違います。日本のバブルは、もっぱら不動産などの資産バブルであり、あぶく銭で浮かれていた金持ちから先にやられてます。僕の当時の依頼者も、相続で3億円相当の不動産をゲットしたけど、1年後には負債総額10億だして自己破産しました。3億も担保にいれたら10億は引っ張ってこれたという時代(1億で現物株買って、それを担保にして3倍枠で信用取引をすれば1億で4億分勝負できるし)。だから、はじけたといっても社会の中の上っついた部分が消し飛んだだけで、地道に暮らしている人にはそんな影響はなかったです。

 リーマンショックの場合は株の暴落だからもっぱら金融商品です。それにアメリカ発だったから日本では直撃は避けられてます。オーストラリアは食らったけど、それでも海ひとつ隔てているし、アメリカほど異常ではなかったから、まだマシでした。

 このように日本バブルにせよ、リーマンにせよ、実体経済の問題ではなかったのですが、今度は実体経済から先に始まってます。本格的な不況です。火遊びしてて手足を火傷しましたというのではなく、今度はちゃんと内臓から骨からやられていくタイプのものです。豪華客船でいえば、甲板よりも上層階で花火が爆発したとかいうのではなく、船底が傷ついて水がはいってきて徐々に沈没していく系のやつです。だからキツイんですよね。

 その厳しさはこれからどんどん実感としてわかってくると思いますが、例えば個々人レベルでのリカバリーがあります。上っ面のバブル崩壊で下の実体経済がしっかりしてたら、仮に上で大損して無一文になっても、まだ地道な仕事はあるのです。でも下からやられていくと、下の仕事が減っていく。今回のコロナの特殊性もあるのだけど、バイト、カジュアルなどがまずやられてます。サラリーマンがリストラされたときの駆け込み寺のような存在だったタクシー会社すらも倒産してます。

 あと今回の場合、その発生原因はハッキリしてて、ロックダウンなどのコロナ対策をやったからです。発生源やメカニズムがこのくらい明瞭なものもなく、それだけに対処も簡単なんだけど、問題はそれが出来ないということですね。まあ物理的には全然可能なんだけど、これまで半年かけてマナジリ決して一大事のように大騒ぎしてたものを、一夜明けたら、もういいことにしましょう、なかったことにしましょうって出来ないことです。それが出来るのは、なんでもかんでも忘れっぽい日本くらいかなー。危機と流行を同じレベルで捉えるという、すごいアホというか賢いというか(笑)。

 もっとも、調べてみるとオーストラリアの検査数はここに来てかなり減ってます。感染者数が減ってきたから検査も減るのが自然なんだけど、でも減りすぎ。いつぞやの日本みたいに、こっそり意図的にテスト数を減らして感染数を減らして、フェイドアウトしたいのかなーという気もしないでもない。

世の中が変わるということ

結局全員が既得権者

 大局的な視野でいえば、大きく時代が変わろうとはしているのでしょう。もう資本主義も、経済成長なんたらも、国家主導も、先進国がリードしようとする国際体制も、なにもかもが賞味期限切れで腐ってきてる。本来、内在的にもっていた筈の自律調節機能(ひどくなる前に自然にまともに復元する)が壊れてきている。例えばこれだけ貧富格差が開いたら自然とそれを是正するような力が働いたりするんだけど、そうはならない。あるいは人手不足だったら賃金はうなぎ登りに上がり、それによって社会の底辺から潤ってきて消費が活性化していくはずなのに、賃金は全然上がらない、などなど。

 現状のシステムで利益を得てる人達は、出来るだけ変わらないで欲しい。だから意識的にせよ無意識的にせよ、問題に深くつっこんだり、議論すること自体を避けようとする。やればボロが出るし。そうでなくても、なんだかんで現状の理不尽や、不公平、矛盾が見えてきてしまうわけで、出来ればそういう話から逃れたい、せっせと話題そらしのネタを使う。

 ただそれだけではなく、現状がおかしいなと思ってる人、変えるべきだと思う人でも、じゃあどうすればいいのか?となるとよくわからないんだと思います。小手先の改善では済まなさそうだし。最初は部分的な補修で済むかと思っていたら、どんどん根本的な問題になってきて、もう建物の基礎部分が腐ってるから、一回全部壊して更地にしてゼロから建てたほうがいいですよ、みたいな話にもなる。そうなると、今の自分の生活やポジションも全部破壊されてしまう。例えば今の金融経済はおかしいから一回ドカンとクラッシュさせてリセットかけましょうかというと、今の自分の預貯金はパー、将来の年金などもパー、金融のみならず不動産なども無傷では済まないから、手持ち不動産もパー、将来的にアテにしていた相続資産も全部パー、当然今の仕事もなくなり、無一文で路頭に迷うことになる。「更地からやりなおす」とはそういうことなんだけど、そこまでやりますか?というと、誰もが煮えきらなくなる。その意味では、誰も彼もが既得権者なわけで、だから全員で、どんどん熱湯になる風呂に入って茹でカエルになるのか、どんどん冷めていくぬるま湯に入って全員で風邪をひくか、です。

個人レベルでひそかに変わる

 じゃあ、絶望しかないわけ?というと、別にそんなことはないです。今現在、全員揃って救われる、これだというハッキリしたモデルがない、まだ見つからないというだけの話でしょ。どってことないわな。だって、見つかるかも知れないんだし、あなたがそれを見つけるかもしれないのだよね。

 てか、多分、全体でどうとかいうのはかなり先になっての話で、その前に個々人の動きがまずあると思います。多くの物事がそうであるように、最初は、ひとりひとりの個人的な営み、ややもすると「密(ひそ)やかな」行動から始まり、気がついたら同じことをしてる人が結構いて、それを外部の人が「最近の現象」として取り上げたりして、そして一回忘れられ、数年後にまた大きく取り上げられる頃には、半ば常識化していて、そのうちにそれがマジョリティとは言わないまでも、そこそこの大きさになっていって、最後は古い抵抗勢力が必死に変化を否定している、、みたいな感じじゃないですか?例えば、うーん、だいたいなんでもそうでしょ、夫婦別姓とかもそうかもね。あるいはずっと独身でいるとか、離婚するのがむしろ普通だとか。

 だから、こういう時代において、世界はどうなればいいかはわからないけど、こと自分の生活に関して言えば、こうしよう、ああしようというのがあって、実行する人が出てきて、それがだんだん当たり前になっていって、、、ってことですよ。むしろ世界のシステムの変化とか、時代の方向性なんてのも、全部後付の理屈というか、あとになってネーミングしてるようなものです。日本のバブルだって、その最中には誰も「バブル」なんて言葉を知らなかったですもん。弾けてしばらくしてからですよ、あれは何だったんだ?という話になったときにバブルという言葉が出てきた。だからやってる最中は、何をやってるのか誰も位置づけられないし、言語化もできないし、そうする必要もない。ただ、個々人の生活において、よしこうしよう、株を買おうとか、無理して家を買おうとかやってただけです。

未来の個人「資産」

 そんな不確定な未来において、資産なり資本になるもの、生きていくなかで原資となるものはなにかな?といえば、まあ頑健な肉体と、確固たるスキルとか、洞察力や実行力、陽気な楽天性、人付き合いの上手さとか、信頼できる友達とか、、、いくらでもあります。ひとことで言えば人間力ですけど、経済資産としてカウントされにくい、あるいは履歴書に書けそうで書けないものが、むしろ大事だとは思う。会えば誰でも不愉快になるような奴が10億円貯め込んでいるのと、会えば誰でも好感を抱く「人なつこい笑顔」を持ってる無一文の奴とで、5年や10年ではなく50年スパンで生存能力や幸福到達可能性を比べてみれば、後者のほうが高いんじゃない?

 このへんはいつも書いてることですけど、今回、それに加えてふと思ったのは、やっぱ「自信」が大事かなと。

 なぜこの文脈で自信が資産になるかですが、こういう不安定に動いている時代においては、確立している世間的な尺度で自分の身の振り方を決めているのは致命傷になりかねないからです。つまり、世間的にハイステータスだったり、勝ち組的な存在になろうとか、そこにしがみつこうとしていると危うい。時代の流れでそこが火事になっても、そこにある財宝に未練があるから逃げ遅れて焼死するリスクがある。もっとも、今の日本も世界も、しがみつこうという人達が「火事は存在しない」と頑固に認めようとしないから、現実的対応が遅れるし、将来ビジョンも描けないし(描きたくないし)って感じで迷走してるんでしょうけど、それも時間の問題でしょ。

 で、そのしがみついてる価値観が本来の自分のものだったらいいです。自分の価値観や信念に殉じて滅ぼるのも、十分にアリだとおもいますからね。しかし、多くの場合は、周囲がそういう感じだから自分もそう思ってるという付和雷同ではないのかな。ほんとの自分の価値観ではないし、自分の魂の底から出てきた決断でもない。だから「なんとなく」「付き合い」でやってるだけじゃないのか。みんなが行くから大学、偏差値高いと良いらしいとか、派遣よりも正社員の方がエラいとか、その程度。そんな掘り下げて考えるような機会も少ないだろうし、掘り下げて考える方法も教わってないだろうし、考えるための素材もそんなに得ていないでしょう。でも、そんな付き合いレベルで勝った負けたとかやってて、挙句の果てに逃げ遅れて焼死、とか馬鹿すぎないか?てのがひとつ。

 もう一つは、世の中変わっていくときに、既に確立している世評とか価値序列というのは、大体まあひっくり返りますよね。だって過去の蓄積によってそうなってるだけだから、変わりやすいといえば一番変わりやすい。したがって、旧来の価値序列に依拠するのはリスキー過ぎるという実戦的な意味もあります。

 そして、本質的には、そういう世間の価値観みたいに影響されること自体がダメじゃないかと。他人に言われてフラフラしてるという時点でもうダメだと。じゃあ、なんでフラフラするのかといえば、自分に「自信」がないからでしょ?本当の本当に自信があったら、どこで何をしようと俺は俺だと力みもせずに思えるだろうし、自分が自分として成り立つために他人の承認や称賛なんか要らないでしょう。逆に他人に批判や悪口なんか屁とも思わんでしょう。

自信がないとアジャスト出来ず、サバイブできない

 それがどうしてこの時代に特に必要なのかといえば、こういう時代には、真剣に生き延びようと思う人だったら、多分どこかの時点でマジョリティとは違う道を選ぶと思うからです。そこで違う道をちゃんと選んで実行するためには、それなりに自分に自信がないと出来ないでしょう。

 正社員でかなり給料もいいんだけど、クソつまらんとか、やっぱ私に合ってないわとか思って、全然違う方向性に行くのは勇気がいるでしょう。とりあえずの資金稼ぎに、外国人労働者に混じってコンビニでバイトしたり、農協いって大根洗ってたり、それって世間的にみれば「落ちぶれた」ように見えるだろうし、プライドも傷つくかも知れない。そこで、ほんとに自信があったら、別にそんなの気にもしないでしょう。

 そこまで大々的に人生航路を変えなくても、生活費が厳しくなってきた時点で、断捨離アジャストして風通しをよくするために、高級マンションを安い賃貸に変えてみたり、衣服その他の「見栄費用」を圧縮する必要があるでしょう。それが出来る人は、伸縮自在に暮らしていけるけど、それが出来ない人はやっぱ厳しいです。自己破産予備軍というか、身の丈を越えた虚栄は身を滅ぼしますからね。自己破産案件はかなりやりましたけど、「わかっているけどやめられない」という見栄なり惰性なりが一番ヤバいですね。

 僕だって、日本で弁護士やってて、つまらん、飽きた!的に何の目算もなくこっち来て、金がなくなりゃ便所掃除もやるし、カート集めもやるし、今はUber Eatsで1日3時間労働でやってますけど(だんだん極めてきたぞ)、だからどうとか思わん。フラットに見れば、新しいことをやるのはとりあえず新鮮だし、発見の嵐だし、「これはこれで面白いな」とか思ってしまうもんです。

 それって言ってみれば「自信」があるってことなのでしょう。自分が自分があるためには他人の評価なんかどうでもいいですから。また自分が自分を評価するにあたっても、他人や世間を尺度にしませんしね。自分が納得してればそれでよく、それ以上になんだかんだ考えない。そのくらいでないとこれからの時代(今までもそうだけど)やってられないだろうし、人の目を気にしてたら、ほんと何もできないですよ。

 その点、オージーはあまり気にしないので、今回のコロナで都会脱出してる人が一層増えているそうです。もともとその傾向はあったのだけど、テレワークその他でいよいよ拍車がかかったというか、シドニーでも離れたサバーブ、あるいはシドニー外の中小地方都市の家賃が上がってるそうですから。日本でも、東京の人口が減ってきて話題になってますけど、単にコロナ回避というだけではなく、もともとうんざりしてる層が一定数いるし、チャンスがあれば地方暮らしを考えている人が多い(漠然と思うくらいのレベルも含めれば半分そうだとか)。

 しかしこれだって「みんながやるからやる」ってレベルになるまでは未だまだ先が長いでしょう。ここ当分は個人的な動きでしかないと思います。ほんでもね、こんなのある意味早いもの勝ちで、皆が〜とかいって見定めてから動いたとしても、そこは地方都市でキャパが小さいから、既に就職先も先に取られているし、あとからはいったら家賃でもなんでも無駄に高くなってるかもしれない。やるなら早いほうが何かと得。だけど、それをやるためにはマジョリティに逆らう根性は必要で、それは自分の価値観であり、自分の価値観を信じることができる「自信」でしょう?だからそれが資産になっていくだろうなってことです。

「自信」があるという体感感覚

 今回僕がここで書きたいのは、「自信がある」という体感感覚です。僕自身、他人や世間の尺度なんか屁とも思わないタチですけど、それを「自信がある」という言語化をしてしまうと、ちょっと違うんじゃないかとも思うのですよ。上に縷々(るる、長々と)書いたように、説明としては「自信」という言葉を使うのが一番的確なんだけど、いざそういうポジションに自分がいると、そういう表現はちょっと違う気がするのですね。そこを書いておきたいです。

 別にそんな「自信がある」という勇気凛々的な感じじゃないですよ。「自信」ねえ、はあ、まあ、そうなんですかねー、よくわかんねーけどって感じです。「自信」というのはもともとが評価的な概念でしょ。自分はこれで「良い」のか?いや良いのだ!と思うのが「自信」なんだろうけど、その「良い」とか「悪い」とかいうのが評価的な座標でしょ。だけど、自信あり=他人の評価を気にしない、というのでは「なく」、他人であれ自分であれ「評価」なんかどうでもいいと思ってる。「評価」って何よ?誰か通信簿つけてるの?そんなヤツが実在するの?どこに?気のせいでしょ?って感じ。そもそも評価的な座標にいないし、そういうことに興味がないのですよね。

 確かに「これは俺には無理かな」「これならできそうだ」とかいうのはありますよ。だけどそれは自信とかいう「信じる」な感じではなく、もっと冷静な「自己査定」です。服や靴のサイズ合わせみたいに、ちょっと大きかな?とかそんな感じで思うだけです。

 「ここがダメ」「もっとこうすればいい」とかいのは常に思いますけど、それもスポーツの技術論と同じで、「踏み込みのタイミングが早すぎる」「手首の返しが十分ではない」とかそういう自己査定レベルになってしまいます。

 それが出来ないから自分はダメだと思わないし、それが出来るから自分がイケてるとも思わないし、そこまでそんなに自分に興味がないというか、そんなに静止的にとらえていないというか。評価される客体として自分があるわけじゃなくて、存在・行動する主体として自分があるだけなんだし、、ってわかりにくいかな?ぶっちゃけて言えば、好きだろうがキライだろうが「自分」があるのは、もうどーしよーもない現実なんだから、考えたってしょうがないでしょ。もう死ぬまで付き合うしかない。そこは絶対動かない。ならば考えるべきは、いかにして有効に自分を活用するかであり、その方法論と実践であり、それしかないです。

 車を運転してるときみたいなもので、いざ運転席に座ってしまえば、その車がどういう形をしていて、どういう色をしてるかなんか見えないですからね。運転しながら思うのは、その車の性能とかクセとか、それを踏まえた上での上手な乗りこなし方ですよね。やれ加速が悪いとか、ブレーキが甘いとか、燃費が悪いとか、タイヤがすべってきたとか、変な音がするぞとか。しかし、それすら全体の10%くらいで、あとの90%はその車に乗ってどこに行くのか、何をするのかでしょう?それに似てます。「自信」とかいう概念が入り込む余地が無い。

 要は現実に生きていくなかで必要なことをやればいいだけですからね。不足な部分があったらそれは改善すればいいし、改善がすぐには出来ないときには、それが足を引っ張らないような局面にどうもっていけばいいかを考えればいいし。要は生きていくためにあれこれ考えてるなかの一つに過ぎないです。

 つまり、自信があるか・ないかという問題のたて方やモノの見方をしてないのですよ。

 これは人によって違うとは思いますよ。
 でもね、単なる虚勢とかカッコつけでなく本当に「自信ありげ」に見える人がいるわけなんだけど、多分、思うに、彼らに聴いてみたら「自信あり」という感じには捉えていないような気がします。なんかもっと他の思考パターンで処理してるような気がしますね。

 だもんで、これから不確定な時代にあれこれ思いもかけずにあれやったり、これやったりするでしょうし、思い切って崖から飛び降りたりすることも、うまくいかずに雌伏○年ってときもあるだろうけど、そこで支えになり、活力になるのは「自信」だろうなーってことです。

 そして、その「自信」は、意外と「自信」という形では意識されないんじゃないかなって思います。

動かないとわからない

 ではどうやってその自信らしきものに至れるのか?といえば、うーん、とにかく動け!ですかね。考えすぎるとグチャグチャになるので、動いてると考える時間が減るし。てか、考える内容が変わるし。例えばスポーツなんかでも、全くやらないで考えていると、スポーツの効用とか、チームプレイは自分に向いてないとか、そういうゴタク(抽象的なテーマ)でモノを考えてしまうでしょ。でも、実際に身体を動かしていくと、考えることはもっと具体的になります。もうちょっと速くできないのかなとか、なんでここでそうなるのかなとかとか、くそ全然勝てないぞとか、自然と技術論や実践論になると思います。

 それは勉強でも仕事でもなんでも同じですけど、動いて現実にぶちあたれば、自然と具体的に考えるべき事柄が出てきますから、あとはそれをやってるだけです。なんもしてないときに、不完全な情報をもとに出来るとか良いとか考えて、「いや俺には出来る『はず』」というのが「自信」とかいう物事なんじゃないかな。でも「筈」とか言ってる時点でもうダメだろ。情報が足りないんだから。

 自信というのも一種の自己査定、自分はこのくらいって感覚だと思いますけど、それって抽象的な空間で思ってたって埒が明かないです。なんとでも考えられる。なんとでも考えられるから無限の迷宮を彷徨することになる。ところが、現場で現実にぶち当たってれば、いきなりわかります。服を試着してみて、「ダメだ、こりゃ」と一発でわかるように疑問の余地なく明瞭にわかる。試合に出てボッコボコにされたら、こらあかんわ、歯がたたないわって一発でわかる。一発でわかることを抽象的にあーだこーだとは考えないです。その代わり、どうすればいいのか?を考える。

 多分、そうやって日々ぶち当たってあれこれやってるだけです。
 それを第三者からみると、いかにも行動的に、いかにも自信に満ち溢れているかのように見えるだけだと思います。別の言い方をすれば、自信のある人と自信のない人がいるのではなく、(本当にやりたいことに向かって)動いている人と動いてない人がいるだけなんじゃないの?って気がします。

 だもんで、逆説的な言い方ですけど、自信をつけるにはどうしたらいいですか?といえば、「自信」とかいう物事を考えなくなったらOKだと、思います。



文責:田村


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