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Essay 948:カレント(潮流)
 世界は右傾化しているのか、それとも左傾化しているのか

 〜ヤンキー右翼と生徒会長左翼の「あれ?」
 〜本来全く別次元、右が出っ張れば左が引っ込むというゼロサムではない


2020年08月17日
写真は、前回に続いてPort StephensのNelson Bayの夕暮れ。


カレント(潮流)という概念


 "current"というのは、水や空気の「流れ」のことです。「流れ」にもフローとかストリームというコトバあります。ここでは個人的な意味として、カレントは「海流」のように大きな流れを意味するものとします。大きく社会の動き方、その方向性、流れですね。時代はだんだんこっちに流れていくとか、それを話題にします。

 これを書こうと思ったのは、今回のコロナ、特にポストコロナにおいて、これまでの流れがあれこれと変わってしまったことです。これまではA→Bに流れていたんだけど、必ずしもそうとは言えなくなった。それは一時的なことなのか、それとも永続的なものになっていくのか。場合によっては、これまでと真逆の流れになってる事柄もありますし、ここは順行だけど、この部分逆行という感じにあちこちに乱れがあったりまします。また、流れが乱されたことによって、そこに流れがあったんだということに改めて気づくということもあります。

始点と終点、対極点 

 流れを考える場合、「ここから」「ここまで」という始点と終点が観念できるでしょう。川でいえば山奥の水源地から大洋に接する河口までとか。海流でも赤道あたりからアリューシャン列島あたりまで、とか。社会的には、例えばグローバルの流れとして、世界の各地が孤立してバラバラだったのが、シルクロードとかで細々と行き来し、さらに大量の人とモノの往来が始まり、やがて世界は大きな一つの村みたいになっていくのか、とかね。「東から西に流れている」というときに、「東ってどこよ?」ということがそこまで際立って明確なものではなく、なんとなくレベルではあっても、あっちの方向が東で、こっちの方向が西くらいはわかるでしょう。

 その流れを考え、その対極点を考えていくと、ときどき、「あれ?」とこんがらがることがあります。

 例えば、コロナによってロックダウンやらワクチンやら国家管理の色彩が強くなっているのだけど、これは世界の右傾化を示すものなのか?という議論があるわけです。一方では、BLMなどこれまで半ばシカトされてきた弱者に対する救済的な正義を求める声が世界同時多発で起きているのは、弱者救済という左翼的な潮流が強くなっていること、つまり左傾化しているのではないかという議論もあるでしょう。

 つまり、今世界は、あるいは日本は、「右傾化」しているのか?それとも「左傾化」しているのか?です。

 これ、よく分からないんですよね。そもそもそこで右翼とか左翼とか言うことが自体に違和感があるし、その概念そのものも本質と属性が入り乱れて、なにがなんだかよく分からない。意外と難しいですよ。

 先に僕自身の結論らしきものを書いておくと、
 右翼・左翼の本質論と、国家権力の強弱は本来何の関係もない、というのが一つ。もう一つは、
 右翼左翼は、それぞれ全然次元の違う話で、同じ水平線に立って、右が強くなれば左が弱くなるというゼロサムの関係にあるものではない、という点です。


右翼左翼と国家主義は別問題

 君が代歌ったり日の丸掲げたり、隣国に対するヘイトを撒き散らしたり、天皇陛下が絶対で、靖国神社に参拝にいけば右翼ってもんでもないと思うのですよね。それってただの属性というか、ファッションであって、右翼の本質ではないでしょう。国家の言うことが絶対で、個々人の権利は国が許した部分だけであって、国に逆らうやつはそれだけで非国民だ、なんて主張が右翼的だとされますけど、それも違うでしょう。

 なぜなら国家の力が強くて国民を抑圧してるかのように見える北朝鮮や中国、あるいは旧ソ連や旧東側諸国は、右翼的か?といえば、バリバリ左翼でしょう?なんつっても共産主義そのものを国是として掲げているのだから、あれ以上の左翼集団はいないでしょ。

 また右翼の人々のバイブルとなった北一輝という人がいます。彼の思想は2.26事件につながっていきましたけど、2.26って軍事クーデターです。思いっきり国家に逆らってます。明治以来、日本で行われたたった一つの戒厳令、今でいえば自衛隊の治安出動、国家の軍隊が国民に銃口を向けるという異常事態は後にも先にも2.26事件だけだった思います。そのくらい思いっきり国家にタテついてるわけですけど、でも「右翼的」なんですよね。

 だから国家の言うことを聞いてれば右翼で、逆らったら左翼って、そんなアホみたいにシンプルな話ではないということです。ゆえに右傾化左傾化を考えるにしても、そもそも始端と終端である右翼左翼の概念そのものがよくわからんのです。

 もともとはフランス革命後の議会で(議長席から見て)左側に座っている進歩革新主義的な一派(ジャコバン派とか)と、右側に陣取っていた保守勢力(王党派)あたりが語源になってるんだけど、この時点での本質は保守(旧王族貴族の利権確保)と革新(新興市民の利権伸長)だと思います。

 国家主義云々は、どちらの勢力が国の実権を持つかによって変わってくると思います。急進派(革命派)が国家の実権を握り、強烈な権力を築いてしまったら往年のソ連や中国になるわけで、革新派=国家になるから、左翼=国家主義になります。文化大革命のときだって、国家に忠誠を尽くためには激しく「革命的」でなければならないわけで、公式文書にもやたら「革命的努力によって(農産物の収穫が増えたetc)」とか革命の大安売りです。現在の中国で本当の実権をもっているのは軍隊だとされていますが、その名前は未だに人民「解放」軍ですからね。人民の自由のために戦ってる軍隊=誰と戦ってるんだ?って気がしますが(笑)、その解放軍が国家そのものになって逆に人民の自由を抑圧してる。

 ということは、右翼左翼と国家とは直接にはリンクしないということです。

 「国家」というのは、権力闘争に勝った側についてくる優勝カップやご褒美みたいなものだと思います。それは幕末において、賊軍薩長が官軍薩長になったように。よくある「錦の御旗」の争奪戦ゲーム。

 では、フランス革命時の原点にもどって、右翼左翼は保守・革新の争いだとするにしても、何を持って「保守」といい、なにを「革新」というかについても実は曖昧です。だってその時の状況によって違うんだもん。「保守」というだけでは「現状維持がいいな」「変えるのはやだな」「昔はよかった」と言ってるだけで、それ以上の内容は無い。空っぽの容器のようなものです。保守の内容は、その時点でのその国の「現状」とはなにかによって決まる。したがって、仮に北朝鮮に民主革命が起きた場合、「保守」というのは、これまでの金日成とその後継者による社会主義(左翼)政権ということになります。そうすると保守勢力=左翼勢力になっちゃうわけで、ここでも「あれ?」ということになります。

アメリカの状況

 さらにアメリカの場合に目を転じると、もっと「あれ?」になります。

 アメリカの二大政党は、共和党(リパブリカン)と民主党(デモクラッツ)ですけど、一般に共和党の方が、保守的で、右翼的で、タカ派(喧嘩上等)のバイオレンス派で、民主党が革新的で、人権派で、平和主義のハト派だとされます。

反国家的な右翼の共和党

 でもね、右翼的だとされる共和党の方が国家の強権を認めるとかというと、話は逆になるのが面白いところです。

 今回のコロナに対して、こんなの詐欺だとか、俺は絶対マスクしないぞとか、ロックダウンをやめろとか言ってるのは共和党の方が多い。そして、そうやって国に抗議してる連中の中には、ファーライトと呼ばれる極右勢力(ネオナチとか)もいます。

 で、彼らは、民主党よりも激しく国家に逆らって文句言ってるわけなのですが、同時にそれこそが「アメリカ精神」だということで、うれしそうに星条旗をぶんぶん振り回しているわけですよ。ということは、彼らの論理(感覚)によると「国家」と「アメリカ」は違うんですよね。アメリカ(的なるもの)は大好きなんだけど、国家はうぜーなと思ってる。これは右翼なんでしょうか?

 なんでそうなるの?ですが、そこがアメリカという国の成り立ちの面白いところで、もともとはイギリスや大陸で居場所がなくなったピューリタンとか、食いっぱぐれた奴とか、一旗揚げるために来た奴とか、反逆者や反骨精神が原点になってるので、個人の独立精神が強い。なんでアメリカで銃規制が全然進まないのか、なんで国民はそんなに銃にこだわるのかといえば、「てめえの身はてめえで守る」のが建国以来の原則だからでしょう。国に守ってもらおうとは思わない。

 ゆえに共和党は伝統的に小さな政府を志向する。国家が財政を傾けて福祉を充実するとかいう話にはそんなに興味がない。ある意味、思想的には一貫してて、食い扶持を稼げるかどうかも「てめえの甲斐性」だろって発想があるのだと思います。でも、その一方で、国家間の争いになると、喧嘩上等系の血が騒ぐのか、俄然張り切って、イケイケで好戦的な方向にいく。そのときは激しく国家主義的、愛国的になる。でも、これは日本やドイツの軍事国家(ファシズム)的なものとはちょっとニュアンスが違う気がしますね。要は、単に「喧嘩になるとアツくなってる」だけじゃないかって気がしますね。

 アメリカ人のことをヤンキーといいますし、なぜか日本の不良少年達もヤンキーと呼ばれたりするのだけど(何故なの?誰が言い出しの?)、奇しくも似てるんですよね。共和党は、いい意味でも悪い意味でも原始アメリカ人ぽくて、先生や体制に対して聞き分けが悪くて、反抗的で、腕一本でのしあがっていくぜって感じのタイプ。ビジネスでいえば、アクの強い一代で成り上がった富豪のような感じかな。まさにトランプみたいな(でもトランプは共和党内部でも持て余している感じだけど)。

左翼思想の原点マルクス主義とその消滅

 一方、アメリカの民主党は、理不尽に虐げられた人々がいるのが許せない系で、国家・社会・経済の歪みを是正していこうという点に主眼があると思われます。世直し系、左翼系です。

 ここで左翼とは何なの?という、おさらいをしてみたいです。
 左翼=マルクス主義=社会共産主義になったのはなぜか?といえば、産業革命後の荒っぽい原始資本主義の歪み(イギリスの16時間労働で過労事故死が続いていた炭鉱夫(女性・子供))を目の当たりにしたヒゲの青年マルクスが「なんでこうなっちゃうの?」と突き詰めて、弱者の理不尽な状況=労働者の搾取、その修正=労働者革命と資本主義の克服と共産(社会)主義という形にまとめあげたのがいわゆるマルクス主義です。その実践(ロシア革命)をしたたかにやりとげたのがレーニンであり、果実として産み落とされたのがソ連。

 そしてその思想と行動を世界に輸出していったというのが左翼の原型なのでしょう。当時、左翼学校ともいうべき土地はロシアではなくフランスのパリであり、フランス革命の流れからいっても弱者の反逆のメッカでもあったのは何となく頷けます。パリ・コミューンとかあったしね。世界各国のスーパーエリート留学生が集ったのもパリで、中国のケ小平とベトナムのホー・チ・ミンは留学生仲間で、ホー・チ・ミンによると、ケ小平は意外とグルメで、クロワッサンはモンマルトルのどこそこでないとダメだと言ってたらしいです。カンボジアのポルポトもパリに留学してます。

 右翼と違って左翼は理論的にも歴史的にも経過がわかりやすいのですが、時が経つうちにだんだんあやふやになっていきます。

 社会主義政権が成立したソ連、つづいて中国、北朝鮮、東欧、ベトナムと広がっていくうちに、思想と闘争が広がったというよりは、米ソ二大覇権のソ連側の勢力が広がっただけという、単なる国際覇権競争だと思います。 左翼思想(社会の不正義を修正し、弱者を救済する)はただのタテマエになっていく。それは、アメリカ覇権主義が、民主とか自由をただのタテマエとして利用していたのと同じことです。

 社会主義政権になったところでは、左翼思想=国家思想ですから国家万能的な方向にいきます。政権を奪取できずに、まだ資本主義体制の国では、権力奪取「中」の革命勢力になり、資本家とつるんだ国家から弾圧を受けることになります。日本では、その当時の「主義者」「アカ」などの蔑称が広がり、労働組合とか、ビラ撒いたり社会運動をしたり政府を批判したりするとそう言われた。驚くべきことに、ほとんど一世紀くらい経っていても未だにそういう言い方をするシーラカンスみたいな人もいますね。

 しかし、上述したようにレーニンが成功して権力を奪取し、プロレタリアート独裁とかゲットした権力を揺るぎないものをしていく過程で、本来のマルクス主義的理想は、ただの国内権力闘争になったし、戦後の冷戦体制ではただの国際勢力争いになって、本来の意味は失われていると思います。また時代の流れと科学技術や生産性の向上によって、左翼的な発想は時代からズレていきます。全体的に平和で豊かになっていき、一般労働者がそこまで理不尽に搾取されなくなるにつれて退潮していった。大学は学生運動の場ではなく、ただのレジャーランドになり、労組の加入率は減っていった。

 そこから先は、左翼思想に親近性があるとか、属性が似てるって世界になると思います。右翼もそうだけど、どちらも本質は溶けて無くなってしまい、あとは「〜ぽい」「いかにも〜的な」という属性があるだけだというのが僕の考え方です。

 事実、世界を見回しても、左翼の本質的な行為と、レッテルやポリシーとしての左翼主義とは、かなり食い違っています。例えば、社会的に弱い人々(老人、病院、障害者など)に手厚いケアをしようとする福祉国家は、その本質において左翼的だし、差別を不平等を許さない度合いが強いほど左翼的と言ってもいいんだけど、しかしそういう国ほど自分らのことを左翼だとは言わない。

 例えば、福祉の充実している北欧諸国があります。殆ど共産主義みたいに税金が高いけど、国家のケアは徹底しているし、差別や不平等も少ない。でも、彼らが自分らが左翼であるとか、共産主義であるとか全然思ってないだろうし、またそういう人も少ないでしょう。

 オーストラリアも同じです。オーストラリアは全然共産主義的ではないし、思想的にはかなり反共なんだけど、でも実践的には非常に左翼的です。つまり弱者救済がかなり徹底して行われているし、伝統的なオージーの気質(イーガリタリアリズム=徹底した平等主義)は、ナチュラルに左翼的です。また伝統的に労働者の権利がめちゃくちゃ強い。その昔は年がら年中ストライキをやってたらしいし、今でのAWARD制度や最低賃金なんかも高い。

 面白いんですよね。北朝鮮とか中国とか左翼を国是としている国のほうが実際にはかーなり非左翼的であり、左翼を標榜していない国の方が、非常に左翼的な実践を行っているという。もうこれだけ見てても、世界を左翼右翼で見ることが、いかにナンセンスかだと思います。

 一方、左翼的発想は時代にズレていたのだけど、何周回も遅れているうちに、こんどは時代の繰り返しから、また先端に来ているとも言えます。高度成長やバブルみたいに国民全員が豊かにリッチに享楽的になってた時代はとっくの昔に終わりを告げ、リストラ、派遣などで労働者がどんどん追い込まれてきているにつれ、再び、別の形で搾取されてきているので、左翼的な考え方、理不尽な不平等の糾弾と修正がまた時代精神になりつつあるとも言えます。

反体制だけどエリートでもある民主党

 アメリカの民主党は、これら左翼直系の流れをストレートに汲むものではないです。アメリカは総じて大の共産主義嫌いですから(一応共産党はあるらしいが泡沫的存在)、アメリカ民主党にそういう思想的な根っこがあるわけではない。その意味では全然左翼ではない。でも左翼っぽくはある。

 その社会のメインストリームに押し出されて割りを食っている層というのは常にどこにもいて、その不正義が許せず、なんとか直そうとするのは、とても左翼「的」です。それがマルクスのいう「資本主義の本質的問題」に起因していないことでも=つまり人種差別や男女不平等であろうが=割を食っている人がいるのはおかしいという発想は残る。

 このような社会的な問題に注目する人々の属性としては、世界中だいたいそうですけど、総じて知能指数が高く、比較的経済的にも恵まれており、教育水準も高い。なぜって、そうでないとそういう面倒くさい問題に目を向けてる余裕がないからです。満たされているがゆえに世俗にスレてなく、まだ理想を思う余裕はある。日本の学園紛争でも偏差値の頂点である東大と京大が最大の闘争拠点だったし、根性据わってるのも多かったといいます。もともとマルクスの思想(「資本論」)は読むのが大変だし(分厚いしね)、あの理論を咀嚼できるのはそれなりに頭が良くないと無理ですし。

 アメリカの場合、それがベトナム戦争を契機とした反戦ブーム、ロックやヒッピームーブメントとつながり、一つのカルチャーを形作ります。映画「いちご白書」的な世界ですね。そして時が下り、資本主義がますます洗練され、グローバライゼーションや、新自由主義になっていくにつれ、左翼的親近性のある民主党的勢力は、もともと勉強がよくできる人たちが多いこともあり、ビジネス界のCOEやら高級官僚や政治家やら弁護士やらになっていき、そのうち彼ら自体が資本主義そのもの、国家権力そのものになってしまっていくという妙な話になっていったというのが、僕の感じ方です。

 例えば日本に限らず弁護士層は基本民主党的で左翼親近性があります。なんせ「人権擁護」「社会正義の実現」がアイデンティティでもあるのですから。その原点的な姿勢をそのまま貫いて政治家になる人も多いです。アメリカの民主党ではクリントンがそうですし、キューバのカストロなんかもそう。その一方でもともと高偏差値と富裕な出自から財界や官界の中枢に行く人も多い。それは弁護士世界の中でも、大企業の顧問になっていく連中もいれば、庶民の権利保護に走り回る連中もいるのと同じことです。そうなると対立しそうだし、事実対立もするんだけど、しかし同じ村の出身者ということで親近性もあれば交流もあるのですね。同じサロンで話は出来るのですよね、

 それが今のアメリカの民主党だと思います。もともとあった東部エスタブリッシュメントの後継として、世界の経済や官僚など権力の中枢へ進んでいき、それが支持基盤になっていく。そこで妙な自己分裂、自己矛盾が起きてきて、本来、差別や不正相手に戦うのが好きな人達が、自分ら自身がまぎれもなく強者・保守勢力そのものになってしまったがゆえに、理想を追う反面、現状の経済的優越状況を保全するというアクセルとブレーキを両方かけるかのような状態になる。

 では軍産複合体とかいわれる「軍」の存在はどうか?ですが、アメリカの場合、中国がそうであるように「軍」という存在が大きいです。これにCIAやらの国家情報系と、ロッキードなどの産業系がくっつきます。だけど、東西冷戦終結後、彼らは大きなリストラにあって存続が危ぶまれていたこともあり、生き残りに必死です。中国の軍隊は、共産党の一党独裁の大きな利権体制のなかでぬくぬくやってればいいけど、アメリカの場合は頑張って稼いだり、存在感をアピールするしかない。いやあ大変なんだろうなーって推測します。

 でもアメリカに正面切って喧嘩ふっかけてくる国はないから、なんだかんだ理由をつけては世界各地の紛争を煽ったり、無かったら捏造したりして、「需要」をつくる。その需要創造の過程で、中東の石油利権やら中央アジアのグレート・ゲームの資源競争で儲けるとかいう財界の意向が噛み合ってなんだかんだやる。イラクと喧嘩し、「てめえ、ヤバい武器もってるだろ?」(大量破壊兵器の隠匿)というチンピラみたいに因縁をつけてその国の元首(フセイン)を殺してしまったのがイラク戦争だし、あとになって大量破壊兵器なんか存在しなかった、全部間違っていたというのが発覚しても、ごめんの一言もいわない。もうかなり無茶苦茶。そこまで頑張っても、世界的にも紛争が減ってきたし、戦争自体が流行らなくなってきてることあって、911テロで無理やりイスラムを敵役にしたり、イスラム国を作ってみたりというほとんどプロレスみたいな話になります。だけどもういい加減ネタ切れでしょう。

 今では、ゴリゴリの軍備などではなく(そういうのは日本に押しつけて高く買わせればいいし)、情報化社会→ビッグデーターの管理社会になるにつれ、CIA的な超管理国家的なコンテンツの方が重宝するようになってきてるのではないかしらねー。

 ま、このへんは僕もよく分かって書いているわけではなくて、要するに、なんだかごちゃごちゃしてきたなーってのを言いたいだけです。図式的には共和党が喧嘩三昧で暴れたあとに、民主党が尻拭いをするとか、レーガンと父ブッシュがどんぱちやったあとにクリントンが和平に走り、子ブッシュがドンパチやったらオバマが尻拭いをするという。

 だけど、そんな図式的なもんでもないなーとは思います。オバマ政権も、オバマケアなど福祉政策では本来の民主党的なことを頑張るんだけど、WikiLeaksなどでは、ヒラリーがドイツのメルケルの携帯電話を盗聴していたという事実がすっぱ抜かれてもしているしね。アメリカの軍勢力もだんだんジリ貧だし、石油産業も石油自体の価値が下がってきてることもあってイマイチだし、だんだん民主党的な基盤、スマートなエリート資本主義財界に取り込まれていってるような気もします。そのへんは、そんな詳しくないんだけど、印象としては。

 ところで、僕が個人的に、アメリカの民主党や左翼的だと思われた人々は本当に反戦なのか?というのを疑問に思うようになったのは、タリバンを批判してアフガン介入とかやりはじめた頃ですね。曰く、イスラム原理主義の下では女性の人権が非常に抑圧されている、変なものを頭からすっぽり被せられて可哀想じゃないかという発想は民主党的、左翼的なんだけど、そのために軍隊を派遣するとかやりだして、そのうち「イスラム女性の解放」という最初の大義はだんだん言わなくなってきたし、今となっては誰も問題にしていない。要は戦争(てか軍備の無駄遣いと消費促進)をやりたいための方便としての人権じゃないの?という疑いです。

 つまり、かつてのソ連などの左翼系国家が、「被差別人民の解放と救済」というタテマエを輸出しつつ、自国の利権確保に走り回ってたのと同じように、アメリカの民主党的勢力もまた、「自由と民主主義」を商品として輸出しながら、利権確保や政治利用してるだけなんじゃないの?という見方です。まあ、かつては中南米でせっせとそれをやってたわけですが、全世界的にもやるようになってきたと。

 それが嘘くさいぞというのは、かつてのウクライナ騒乱のときに結構バレてきてます。今現在の香港の民主闘争やらにも、なんかあざとくて電通みたいな演出くさいものがあるぞ(キュートなヒロイン役に焦点をあててみたり)というのは、世界の何割かの人(わからんけど、半分くらい?)は疑ってるんじゃないかな。そして、このコロナの一件にしても、無理やり危機を煽ってるあざとさや嘘くささが感じられるのですな。

 傲慢な白人オヤジがブイブイ言ってるような共和党的な覇権戦略は、ある意味わかりやすかったんだけど、民主党的覇権戦略というのは、一見ベビーフェイスで、耳障りのいいことを前面に立ててくるから、その分よけいにタチが悪いとも言えます。

 といいつつも、アメリカ民主党の支持者の大半は、原点的な素朴な弱者救済の実践だけを考えているんだと思います。真面目に素朴にやってるんだと思いますよ。また民主党支持者といっても社会階層によって全然違うでしょう。黒人やヒスパニックなど被差別的な立場にある人達は、本質的に「粗野で傲慢な白人アメリカ」を地で行くように共和党には肌が合わないから消去法的に民主党だし、民主党の原点的な世直し部分、人に優しい部分をいまだに大事に思ってる人たち(多分これが圧倒的な大多数)もいるわけですよ。

 ただ権力の中枢にいけばいくほど、東軍西軍みたいにきれいに割り切れるもんでもないし、イロイロあるんだろうなーってことです。でもそれは一概に劣化したとか、悪者になったとかいうものではなく、数え切れないくらいの利害が渦巻いてる中で、自分に決定権があったらどうするか?といえば、あっちの顔も立てて、こっちの言い分も聞いてとかやってかないと実際には廻っていかないでしょうし。

反エリート主義のトランプ

 トランプが出てきて、アメリカのメディアがこぞって批判しまくって、今でもそうしているのはなぜか?ということですが、マスメディアだって権力の一部であり、エリートといえばばりばりエリートでしょう。生半可の学業成績ではなれないしね。それは日本も同じでしょ。

 繰り返しになりますが、アメリカの民主党は、もともとが毛並みも良いエリートの卵が、そのナイーブさで「いちご白書」的に反国家や人権、自由、差別反対を唱えていたのだけど、だんだん卵から本物のエリートになるにつれて国家中枢そのものになっていったように思われます。で、財界はおろか、西部資本やら軍ともうまくやるようになってきて、陰謀論でいうディープステイト的な立場に近いんじゃなかろか。

 そして、今となれば、その彼ら自身が「1%が99%を支配する」という非常に不平等な社会を構築してしまっている。名門アイビーリーグの大学に進んで、MBA修士を優秀な成績で卒業し、新自由主義経済を推し進め、「労働者の生身の生活」を「人件費」という記号に置き換え、資本主義が本来持っている収奪機能を洗練させていっている。

 あんな無茶苦茶なトランプが、なぜ多くのアメリカ人に支持されているのか、なぜマスメディアの露骨なバッシングに耐えて大統領になれたのかといえば、僕が想像するに、アメリカ一般民衆の「心情」だと思います。思想じゃなくて、感情です。

 なんか見えないところで大きく割を食ってる気がする、なんか騙されている気がする、なんでこんなにリストラされるんだよ、なんでどんどん生活きつくなっていくんだよ、こんなに奨学金負債を抱えてもちっとも成功しないじゃないかという不満。なんとなく、スーパーエリート達にしてやられているような気がするんじゃないかな。

 トランプは、ある意味では反エリートの英雄でもあり、エリート村の出身ではないし、彼らの論理に従わない。かといって、西部劇から米ソ大国覇権主義に移行していった右翼的な根っこがあるわけでもない。そのどちらでもない。だから期待できるという感じでしょうか。

 ところで今度のアメリカの大統領選挙も、アメリカのマスメディアはトランプが負けるものだと決めてかかってるけど、でも、やっぱ再選するんじゃないかな?というのが僕の予想です。だって、バイデン、華がないもん。

 多分、バイデンの代わりに、民主党の原点であろうような、それだけに時代遅れになり、またそれだけに逆に新鮮でもある、本来の意味でのゴリゴリの左翼のサンダースが候補になってたらわからなかったと思いますよ。あるいは副大統領に、オバマの奥さん(ミシェル)を担ぎ出してきたら、カリスマ性で勝負できたと思いますけど、バイデンじゃ無理っぽい気がしませんか?何回見ても顔を覚えられないんですよね。副大統領の候補になった女性も、何度聞いても名前を覚えられないし。

まぼろしの右翼左翼

 つらつらまとまりもなく書いてきたのは、右翼左翼といっても、その本質的なものと実際に世の中の動きとは、ぜーんぜん一致してないということが言いたいのですよ。てか、右翼左翼なんかとっくの昔にねーよ、もっと言えば、かつて本当の意味で一度でもあったことがあるのだろうか?とすら言える。

属性〜ヤンキー右翼と生徒会長左翼

 僕の意見としては、右翼左翼は、多分に属性的なもの、気分的なもの、人間のタイプみたいなものだと思いますね。それ以上に、政治的な立場や勢力になるようなものではないんじゃないのかな。

 属性で語ったほうが右翼左翼は分かりやすいです。

 それは例えば、学園生活でいえば、右翼はヤンキー的な不良的な要素、あるいはゴリゴリの体育会系の要素が強い。不良と体育会系をかけあわせると暴走族カルチャーになって、暴れてるくせに、先輩絶対のタテの規律がやたら厳しい。自由なんだか、不自由なんだか。

 一方、左翼は生徒会長グループみたいに、明朗快活で、学業成績も優秀で、信望もある。しかし(だからこそ)正義感は強くて、納得いかないと先生にも食って掛かったりもする。

 典型例は、今の世田谷区長の保坂展人氏でしょう。彼が「デビュー」したのはまだ中学生か高校生で、麹町中学での内申書裁判です。中学時代にビラ配りをして内申書に悪く書かれたことを国家賠償として提訴。最終的には最高裁で敗訴するんだけど、当時の麹町中学って、そこから日比谷高校にいき、東大にいくのが日本のスーパー定番エリートコースだったのですよね。別におとなしくしていれば何の問題もなく東大卒にエリートになれたと思うのだけど、これが契機で最終学歴は高校定時制中退です。しかし、その後教育ジャーナリストになり、衆議院議員になり、世田谷区長になってます。ある意味ほんと典型的で、エラくなってもブレてないところがあって、2014年の都知事選では23区長のうち舛添氏を不支持にした(細川氏を支持)唯一の区長であり、とにかく地べたを這いずり回るようにして動き、納得いかないことには徹底的に戦うという左翼の素朴な原点みたいな匂いはしますね。コロナ対策の世田谷モデル(PCR検査を「誰でも いつでも 何度でも」と提唱)なんかでもその片鱗は伺われるでしょう。

 総じていえば、右翼ヤンキー的な方は、あんまり勉強が得意ではないが、左翼は勉強が得意な人が多い。右翼は、暴力だろうがなんだろうが(わかりやすい)「力」に対する原始的渇望が強く、あんまりモノを深く考えずに、水戸黄門的な薄っぺらい(それだけに分かりやすい)勧善懲悪の白黒ゲームで決したい、そこでの気分的な良さを追い求める傾向がある。だから、時としてその一部はDQN的な方向にいったりもする。また、暴走族カルチャーが特攻隊長など軍隊を擬似的に真似たり、制服類似のものを作ったり、愛国的カルチャー的なものに馴染みがある。また、職業的な暴力団が、だいたい職業的な右翼団体とつながってたりたり(てか別組織、別働隊)するのもそうです。勉強が不得意な分、力によるわかりやすい集団統制を好むのかな。

 左翼系はもともと地頭がいい人が多い関係か、力よりも理論を好み、理論的正当性でものごとを決することを好む。知性優先だから、それが良い面にでればピュアの理想を追い求めることになり、いい仕事をすることもある。が、悪い面が出ると、キレイゴトばっかり言ってて実行力がない偽善系に映ったり、頭でっかちで細かな理論の誤謬をお互いに攻撃しあって、すぐに仲間割れして内ゲバになりやすい。一方ではもともとの出自(比較的経済的に富裕出身で地頭が良い)から、社会の中枢にはいっていく人は多い。

 だけど、そのあたりはほんと「属性」であり、いっそ「偏見」と呼んでもいいくらいかもしれないです。ただし、大雑把な人間類型や、嗜好や性向はこんな感じじゃないかなーって思う。

右翼の本質

 では右翼左翼の「本質」はなにか?ですけど、僕の感覚でいえば、まず右翼の本質は、国家が関与してくる以前の自然状態の社会を理想とする発想だと思います。

 それは日本でいえば、「日本人のふるさと」的なイメージ的な光景です。厳しいけど凛としたお父さんと、優しいお母さんがいて、祖先や大地の恵みに対する感謝の気持ちを忘れず、慎ましく、しかし思いやりにあふれた理想社会=昔の日本です。もっとも、かつてそんな日本は一度も生じたことないと思うし、その光景のバックボーンには封建主義というバリバリの国家体制があったわけなんだけど、そこでそんな難しいことを考えずに、漠然とした心情的な郷愁感みたいなものが本質だと思います。日本は神の国だとか、そういうのが好き。

 昔の自民党のタカ派とか右翼的なおじいちゃん達の発想は、男尊女卑であり、優しいお母さんへの郷愁というマザコンであると思いますね。今もそうだと思うけど、夫婦別姓は絶対反対だとか、女は家で炊事と育児をしてればいいんだとか、女系天皇は絶対ダメだというのも、過去への郷愁というか、それが居心地がいいんでしょう。

 アメリカの共和党や右翼的なもの(白人優越主義)とかも、自然状態のアメリカ社会を理想としている。つまり荒くれ者が競い合ってるワイルドな西部で、腰の拳銃だけを頼りに、独立独歩でやっていけて一人前であり、その過酷なくらいの「自由」こそがアメリカの自然状態の本質であると。またその競争を勝ち抜いた奴が君臨するのは必ずしも悪いことでないよ、それで割りを食ってると思うなら頑張って勝ち抜けばいいのだ、そのフェアな戦いの場は保障しよう、それで勝てば称賛しようと、だから頑張れって感じなんだろうな。

 でもそれらは心情であり、美学であるから、これを理論化するのは難しいです。もちろん真面目にレベルの高い右翼系の人々もいますし、仕事もしているんだけど、もう審美学の世界でしょうね。例えば「日本精神とはなにか」とか、日本的な立ち居振る舞いの美、生きざまの美というのは、どこから由来して、何に本質があるかとか。また天皇の存在をどう理論的に位置づけるか、北畠親房の神皇正統記から由緒正しい来歴を語るとか、それを日々の生活や仕事、政治にいかに体現させるか。

 僕自身、その種の感性は嫌いじゃないですよ。武士道よりも前に、「もののふ」「ますらお」とか言われてた頃からの理想のカッコいい人間像みたいなものはあります。「名こそ惜しけれ」的なね。だけど、そういうのってコトバにして言ってしまっては意味がなくて、日々の行動や生き様で表現する以外にないと思うですよ(全然表現できてないけど)。だもんで、基本的に政治とか討論とか、そういうの向いてないのですね。もともとがそういうレベルの話でない。

左翼の本質

 左翼の本質は、自然状態の否定、あるいは不完全性を前提にすることだと思います。

 つまりほっておいたら弱肉強食になってしまい、強いものが弱いものを収奪し、趣味から発想から全部押し付けて、それを理想だとうそぶくようになる、それはおかしいと。社会に自然に内在してくる初矛盾や欠点に目がいき、それに腹がたち、なんとかしたいと思う。大資本にこき使われる労働者の救済であるとか、不当に差別されてる人々(女性とか)の問題とか、そういうテーマに焦点を当てる。

 左翼は、「間違っているから直す」という点にポイントがあり、修理屋さんみたいに機能的な発想がその原点にある。マルクス主義とか資本主義がどうのとかいうのも、間違っている物事がたまたま資本主義や労働搾取であるからそうなっただけとも言える。

 左翼は、自然状態だと弱肉強食が行き過ぎることを前提にするから、その歪みを修正するものとして国家の役割を想定する。だから必然的に福祉国家になり、大きな政府を求める。手厚い保障をするためには、税金を高くして、国家の権力を強大にして、細かなところまでケアできるようにするからです。

 コロナについても、国家が外に出るなとか、マスクをしろとかあれこれ制約をかましてくるのに対して、左翼側が自由を求めて反発するかといえば、逆に従順です。むしろもっと徹底的にやれというくらい。国に守ってもらいたい人たちだから、そういう点では国が強権的に出ることを歓迎する。アメリカでもコロナの制約に従うという人は民主党支持者のほうが多いらしいですからね。

類似点と差異

 右も左も、その理想とする部分は理解も共感も可能です。誰でもそうじゃないかな。それを右翼と呼ぶかどうかは別として、「古き良き」「素朴な生き方への郷愁」というのは誰でもあると思いますよ。僕にもある。一方で、現実問題として、目の前にどう考えても理不尽な状況があったら、これは直すべきだとも思うでしょう。これも誰でも思うと思う。でもこの2つは全然矛盾しない。同時存在可能。古い郷愁を持ったら、目の前の不正が許せるようになるかといえば、そんなの関係ないもんね。

 つまり右翼と左翼の本質は、立脚点が全くかけ離れている。全然次元の違う話だと思います。

 日本の郷愁右翼の風景のなかに、親は子を守る、お兄ちゃんは小さな弟妹を守る、世間は持ちつ持たれつ、渡る世間に鬼はなし、助け合いが大事とかいうもあると思うのだけど、だとすれば左翼思想(弱く虐げられた者を守る)も右翼思想の中には入ってることになります。実際、2.26事件を行った将校兵士達のモチベーションは、田舎に残してきた親兄弟があんなに苦しんでいるのに、中央政府の政治家や財界はこんなに腐敗していて許せないという思いであり、その視点からすれば、あれは右翼革命というよりは左翼革命であるとも言える。てか、困ってる人を助けることは、右も左も同じく言うはずだし、本来右も左もないのだと思いますね。

 だけど、右翼は「助ける」「不正を直す」という部分にはあんまり興味がなくて、ひたすら郷愁的な美しさを麗しさを賛美するところにポイントがある。一種の美学的な構造を持つ。生理的な感覚の気持ちよさに原点があり、あくまで情緒的であり、それだけに論理的整合や具体的政策に欠けるのが欠点です。

 さらに現代社会に右翼として流通しているもの(本物の右翼からしたらニセモノって言われそうな)の欠点は感情に傾斜しすぎているので、思考停止することであり、思考停止を拡散することです。タカ派や右翼的な「政策」といっても内容以前に数が全然少ない。日の丸を掲げようとか、君が代を歌うとか、隣国にはガツンと毅然としてとか、そのくらいでしょ。でも、例えば日本の諸問題、増え続ける空き家問題とか、マンションの老朽化によって廃墟化スラム化する問題をどうするかとか、具体的な話になると何も政策がない。君が代を謳ってれば地方の過疎化が解決するというものではない。複雑な金融政策や財政投融資をどうするとかいう話になるともうお手上げでしょう。要するに感情優先だから、面倒くさい話には興味がないんでしょ。

 それもあってか、日本には左翼系の政党や団体は多いけど(NGOなんかベーシックに分類すれば左翼系が多いでしょう)、右翼系の政党や団体は少ないし、あったとしても大日本○○社という街宣車でワーワー言ってるだけって感じ。唯一それらしい政党として、なんだっけ?田母神氏などがやってた次世代の党(後に「日本のこころ」と改称)も、2014年総選挙では議員2名(比例代表141万)が、2017年総選挙には当選議員ゼロ(比例代表8.5万に激減)になって消滅してます。

 ちなみにプロの政治家で、本気で右翼というのは殆どいないと思います。ただ右翼系は感情系でわかりやすく、「大して勉強しなくても政治活動をやってる気になれる」というお手軽ツールですので、草の根的にはそこそこ広がっている。それは嫌韓本とかヘイト本が、出版不況でも比較的売れているのと同じことで、右翼的な「おー!」を唱えているとそこそこ票が取れるから、やってるだけのことだと思いますね。日本会議とかに属してるのが多いのも、ほぼ集票的な利害打算でしょう。実際にプロで各種委員会でやってこうと思ったら、きちんと政策を勉強しないと出来ないし。逆に言えば、知名度だけでスカウトされたタレント議員やら二世議員などでは、とりあえず右翼的なことを言っておけば間違いがない的な感じでしょ。政治家の公式HPとかみると、大体見えてきますけどね。やたら「美しい日本を取り戻す」系のまるで無内容なのがありますよね。グラフや表を、個別の条文をふんだんに引用して具体的な政策を語ってるのは少ないです。そういうのは単なる頭数揃えのために雇われてるだけでしょう。

 ということで、右翼と左翼というのは本来別次元の話であり、右翼と左翼が同じ水平線上にあり、こっちにいったら右翼で、こっちにいったら左翼ってなるものではない。カレントが川の流れだとしたら、左翼と右翼がどっちかが川上で、どっちかが川下だったらカレントはあるけど、そもそも同じ川ではないから関係ない。左翼がアマゾン川なら、右翼はガンジス川みたいなもので、全然別位置にあるから、どっちがどうという関係ではないと思います。

 だとすれば、冒頭の話に戻りますが、世の中が右傾化してるのか、左傾化してるのかという設問自体がナンセンスだと思います。もともと次元の違う話なんだから、右翼的な要素が強くなりつつ、左翼的な要素が強くなるという同時存在も可能であるし、どちらも減退するということもありうる。どっちがが強くなればどっちか弱くなるというゼロサムの関係にあるのではない。

それでもカレントとしていえば 

 左翼と右翼が左右対称のものではなく、まーったくなんの関係もないのだとしても、それでも右傾化するのか、左傾化するのか潮の流れはどっちなのか?といえば、うーん、むしろ左傾化するんじゃないですかね。

 理由は簡単で、世の中の流れとして、皆の生活が苦しくなる方向に進んでいるからです。社会的弱者が増えているし、相対的に自分自身も弱くなってきているから。実際に、どんな職業についていても、将来大丈夫ってことは言えない、何がどうなるかわからないという不安感は、前に比べて増えていると思います。不安どころか、実現して、マジに生活ヤバくなってる人も多いでしょう。だからこれを何とかしなきゃ、何とかしてくれって感覚は強くなってるだろうし、コロナで経済破綻が進む将来においてはますます強くなるんじゃないかってことです。また、格差が拡大し、固定していくにつれて、「階級闘争」というカビの生えた昔の概念も、新たな意味をもってきそうだし。早い話が、生活ヤバいんだから、日の丸振って君が代歌って、おーとか叫んで遊んでる余裕はねえんだよってことですかね。

 もっとも世の中の右傾化を心配する人は、かつての日本でも関東大震災があり昭和恐慌があり、経済ダメダメになったからこそ戦争に活路を見出したのだから、同じパターンでいくんじゃないかってことですよね。そりゃ局所的には戦争特需はありますけど、あの頃とは経済規模が全然違うから、そんなの一部にすぎないでしょ。それにあの頃は、帝国主義や植民地時代だったから、大陸に攻めていって、満州やら中国やらで分捕ってくればいいじゃんって「活路」はまだあったんだけど、今どき領土を得て、奴隷人民を得たところでそのメンテ費用の方がかかるから赤字ですよ。西欧の植民地経済だってトータルで決算したら赤字だったという説もあるくらいだから、あのやり方は結局儲からない。そもそもどこと喧嘩してどこを征服するのか?ですよね。

 最近はやりのベーシックインカム論も、あれも左翼的といえば左翼(共産主義)そのものですからね。でもベーシックインカムが左翼的だとはあまり思われていないように、左傾化といってもイメージするような感じではないと思います。

 まあ、考えてみれば、資本主義が行き着くところまでいって行き止まりになり、どうしようもなくなって、乗り越えられるという意味では、最初にマルクスが言ったとおりの展開であり、本当の左翼はこれから始まるのかもしれないです。でも、もう長い間の左翼属性=ソ連など資本主義を経ないでいきなり社会主義化してしまった異常形態ばかりメインになって、そのカルチャー=左翼になってしまった刷り込みがキツすぎるので、これから本当に左翼的になったとしても、全然左翼っぽい感じがしないということなのかもしれないです。

 ただし非左翼的なカレントもあるとは思います。左翼の本質はぶっちゃけ「生活苦しい」だと思うから、その意味では左翼的な発想なんだけど、その解決方法がちょっと違うんじゃないかな。左翼の解決方法は国家です。国の手によって矛盾を解消し、不平等を是正し、富の再分配をすることです。でも、ポストコロナの流れでいえば、国家への幻滅、大企業や大組織への不信感もあると思うのですよ。個々の国家のマネージメントがヘタだということ以上に、今の国家の限界みたいなものも見える。そもそも一つの考えで全員が同じことをするという国家のシステムそれ自体が妥当なのか?という疑問ですね。格差拡大とかずっと前から言われてるけど、全然良くならないじゃん。やる気あんの?てか、やる気あったとしても、それが出来るの?無理じゃない?ってね。一方大企業だから安泰だってものではないし、企業の生き残りのために自分がリストラされるかもしれない。

 そうなると左翼的な国家社会システムを変革して良くしていくという流れと同時に、そういう大きなシステム(国や会社)にはもう過度に依存するのはやめよう、個々人がそれぞれに自立してやっていく時代じゃないの?という流れもまた出てくると思います。誰かや何かをアテにして、期待して、待ってたって何も起こらないよ、ただ立ち枯れていくだけで、それってヤバイよ、自分で頑張るしかないよって発想です。そういうのも増えていくような気がします。でもって、それって非左翼的といえば、非左翼的なんですよね。国家社会から軽く離脱していくみたいな感じね。でもそれが右翼的なのか?というと、それも疑問だし。

 田舎にいって自給自足なんて典型的だけど、それって昔のヒッピーコミューンと似てて、それが反戦平和のヒッピームーブメントの一環であり、また物質文明よりも精神性を重んじようという流れであるという意味では軌を一にすると思います。当時のカルチャーが左翼的なものと親近性を持っているとしたら、こういう流れも左翼的と言えるかもしれない。

 だけど、そこらへんになってくると、こうも言える、ああも言えるって話になってきて、論じること自体に意味がないような気もしますねー。

 突き詰めていけば、右翼的な感覚というのは、その民族が慣れ親しんでいる古くからのカルチャーや習慣を賞味すること、つまり温泉入って、皆で鍋をつついて、ほんわかいい気持ちになって、ああ、日本っていいよねという「ちょっといいよね」感だと想うのですよ。民族的ミームの共有とか、連帯的幸福感とか?一方左翼は、同じバイトしたのに、あいつは日給3万貰って俺は5000円ぽっち?なんだよそれ、ちょっと待てよって感覚、「ふざんけんじゃねえよ」って怒りが原点だと思います。でもって、そんな感情は、誰でもどこでも普通に感じたりするわけであり、それをいちいちこれは右翼で、これは左翼とか言ってること自体がナンセンスだと思います。無理にでもそう言ってしまえば、そう言えないこともないけど、だから何なの?です。そう言ったところで何かが解決するわけでも、何かが良くなるわけでもないしね。


 FBであげた動画を撮った場所ですけど、夢に出てきそうな風景だなーと思った。殆ど無音で静謐で、雲の感じなんかも微妙にシュールで。ダリの絵というか、Pink Floydなどのヒプノシスのジャケットみたいな感じ。

 ペリカンくんが井戸端会議してました


文責:田村


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