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Essay 944:人間心理の弱さのカタログのようなコロナ構造分析

 〜まるでデビルマンみたいな
 〜敗血症はいいのか
 〜大したことないから難しい
 〜ボタンのかけちがえ
 〜人間心理の弱さのカタログ


2020年07月20日
写真は、夕焼けではなく朝焼け。場所はちょい前に出したRussell Leaの別写真。
そういえば「燃える朝焼け」(Heart of Sunrise)って曲がYESにあったなー。




 なにかとお騒がせのコロナですけど、世界中でなんだかワケがわからない様相を呈していますねー。前々から思ってたんですけど、この病気って、妙に人間のツボというか、痛いところ、弱いところをついていて、それがめちゃくちゃ厄介なのだと思います。

 これを誰かが最初から設計してやっていたとしたら、めちゃくちゃ頭いいです。これだけ頭が良かったら、もうそいつがコロナによって世界制覇したとしても、その資格はあるかもって思っちゃうくらいです(笑)。

デビルマンみたい

 「デビルマン」というレジェンドになってるような名作マンガがあるのですが、コロナの展開をみてるとデビルマンを思い出します。なにがというと、人間の弱点を巧妙に突いている点です。この漫画では、200万年の眠りから覚めたデーモン達が、いつの間にか地球を我が物顔に占領している人類を滅亡させて、地球を奪回しようとするのですが、力まかせにはやらない。個別の戦闘能力だったら比較にならないくらいデーモンの方が強いのだけど、数では人間の方が圧倒的に多いし、人間には組織力があるので迂闊に攻めたら返り討ちに遭うかもしれない。そこで、デーモンのリーダー悪魔神サタンは、記憶をなくして一時期人間飛鳥了として生活して、人間の心理とその弱点を探る。

 そして出てきた答が、人間は恐怖心を刺激されると信じられないくらいアホになる習性があること、その恐怖心は自分が信じてるものが信じられなくなること、自分の隣にいる家族が実はデーモンであり自分を殺そうとしているのだと疑わせること。そうすれば恐怖にかられた人間は疑心暗鬼に陥り、人間同士壮大に殺し合いをするようになるから、あとはほっといても自滅する。なので、最初に全人類にバーンとデーモンをの恐ろしい存在を誇示し、次々に特攻隊のように人間に乗り移り、醜い化け物のような姿で死ぬという状況を世界的に繰り返す。最初の特攻隊は完全に捨て玉なのだけど、今この瞬間にも自分がそうなるかもしれず、あるいは自分の隣の人間がそうなるかもしれないという状況は、人間の恐怖を極限まで高める。

 ということで、デーモンがやったことといえば、バーンと出てきて総攻撃と恐怖を植え付ける特攻をちょっとやっただけ、多分時間にして数時間程度の攻撃をしただけ。あとはじっと人類が自滅するのを待つだけという、なんともコスパのいい戦略。そして、そのとおりに互いに殺し合い、魔女狩りのバトルロイヤルのようなことを繰り返して、滅亡してしまう人類。人類なんかちょろいもんよ、という話なんですけど、今こうして書いていても良く出来てますね。


 この恐怖心を刺激され、アホになって迷走して、自滅するという流れが、なんとデビルマンと似てることよと思っているわけです。

敗血症

 前々から何度も書いてますけど、新コロナって、大騒ぎするほど凄い病気ではないと思います。軽視して良いとは言わないけど、他の病気を圧倒して、しかも世界恐慌以来の大不況を人為的に引き起こすという大犠牲を払ってまで、こればっかに専心しなきゃいけないほどのモノなのか?といえば疑問はあります。

足立氏の逝去

 いきなり話は飛びます。敗血症です。
 先日、僕の好きな日本のギタリストの足立祐ニ(YOU)氏が敗血症で逝去しました。もう大ショック。彼のことは、いつか趣味のブログで思いっきり書きたいとは思いつつ、書きたいことが多すぎて結局何も書けずじまい。彼のギターは、聴けば一発でわかるくらい特徴的なんですけど、何がそうなのかと言われるとうまくいえない。独特の音色とか音作りというのはよくあります。ジミヘンのクライベイビー(ワウ)とか、クィーンのブライアン・メイのフェイズアウトトーンとか、シグニチャーになってる音はあるんだけど、足立氏の場合、キモはそこではない。確かにストラトなのに、あんなに丸く暖かく伸びやかに弾く人は珍しいから、そこもトレードマークにはなるんだろうけど、でも本質は違う。

 特徴的なメロディラインもあります。なんでこんなメロディを思いつくんだ?というくらい誰にも似てない。テクニカルな速弾きもすごいけど、大きめのビブラートをきかせたゆったりしたフレーズのなんとも言えない叙情性。だけど、そもそもなんであんなメロディラインになるのか?ってところがキモです。それはもう「足立氏だから」としか言えない。本人の人格や人間性が、ひいては人間存在そのものが音やフレーズになってて、そこが最強のオリジナリティになっている。素顔の彼は、コテコテの大阪人で、お笑い大好きで、非常に気さくな人だったといいます。ミナミを歩いてたらばったり出くわして、「最近どないしとん?」と声をかけてくるようなお兄さん的な佇まいがあって、それがそのまま音やスタイルになってる感じがする。これってドエラいことですよ。

 アートの世界でオリジナリティというのは鬼のような領域で、ある程度技量がプロレベルになったあとに必ず襲われるのがこの葛藤。いかに世界最高レベルに上手くても、他の人がやるのと変わらないんだったら「自分、要らんやん?」ってことになる。役者などは、まだ自分の肉体存在を出せるから、比較的オリジナリティに苦しむ度合いは少ないけど、音楽、それもボーカルではなく誰がやっても同じ音が出る楽器を使いながら、誰が聞いても一発でわかるような自分らしさを出すっていうのは、もう至難のワザです。それもテクニカルな部分ではなく、自分の人格や存在とリンクさせる。足立氏の場合、出す音と自分とをあそこまでシンクロさせられるものなのか?と、そこが驚異です。

 と、書き出したらいくらでも書けるのですが(この曲のこの部分が、とかいくらでも言えるし、言いたい)、その足立氏の死因は、敗血症。享年56歳で僕より若いのもショックだけど、もっとショックなのは死ぬ2日前までブログで元気に書いていたことです。ほんとに、あっという間に連れ去られてしまった感じ。

 この敗血症なんですけど、なにこれ?と思って調べてみても、よくわかりません。ウィルスでも細菌でも原因はなんでもよさげなんだけど(敗血症菌やウィルスがあるわけではない)、感染にかかって、本来の免疫低下や体調の悪さと相まって、全身の免疫がメタメタになって、自分の免疫で自分の臓器を攻撃したり、要するに身体のメカニズムがぐちゃぐちゃになって崩壊するみたい。だからものすごく足が早く、、抗菌薬投与の開始が1時間遅れるごとに死亡リスクは7.6%上昇するとも言われる。そのくせ初期症状は区別しにくいし、展開もその人の状況によって違うから、素人からみてもこれは治療が難しいだろうなと思います。また、一命をとりとめてもきつい後遺症が残るケースが多いそうです(日本敗血症連盟始動、救命率向上へ啓発や調査 )。

 ほんと死神みたいな病気で、知らないうちに背後に立っていって、大鎌を振り下ろされたら終わりだという、「隠れた殺し屋(hidden killer)」という異名もあるそうです。

 で、この敗血症ですけど、全然珍しくないそうです。死者の5人に1人は「敗血症」 死因でがんを上回るというBBCのニュースがありますが、これは1月20日付けで、もしコロナが騒がれなかったら、こっちを騒いでいたかもしれないし、こっちを騒ぐべきだとも思います。

 今年になってからニュースになったのは、科学誌ランセットに掲載された、米ワシントン大学の研究チームの論文が発表になったからだと思われます。この論文によると、「敗血症による死者が年間推定1100万人」。これはショッキングは数字で、これまでの推定の2倍で、がんによる死者数を上回る。過去の世界的な推計では、敗血症の患者は年間1900万人・死者は500万人とされていたけど、これは欧米の一部の国々の調査に基づいていたもので、今回は広く195カ国の医療記録を分析したところ、患者は年間4900万人・死者1100万人という驚くべき数字になることがわかった。死者1100万人といえば、全世界の死者の5人に1人が敗血症で死んでいることを意味する。日本での死亡者は10万人と推計されている。

 敗血症 - 早期発見の重要性によると、「敗血症はどんな感染症関連の疾患よりも高い死亡率と罹患率です。敗血症は、救急部を受診する患者、特に市中肺炎などの上気道感染を訴える患者で増加傾向がみられ、特に高齢者が多く発症」「過去10年間、救急部における敗血症診断の報告数は3倍に膨れ上がり、心筋梗塞の診断数を超えました。敗血症の症例数は、肺癌、乳癌、前立腺癌やエイズ患者すべてを合わせた数よりも多い」と。

 要点をまとめると、
 (1)死亡率が高く、かかったら1時間単位で急速に悪化する
 (2)世界で1100万も死んでいる、
 (3)がんの死亡者よりも多い、
 (4)肺ガン+乳ガン+前立腺ガン+エイズの合算数よりも多い、
 (5)過去10年で救急部の敗血症診断数は3倍に増えている
 (6)日本では死亡推計10万人
 (7)助かっても後遺症が残るおそれ

 これ、ヤバくないですか?心筋梗塞やガンよりも多いんですから。
 僕自身、将来病死するとして、新コロナで死ぬとは全く思いませんけど、敗血症で死ぬ確率はかなりあるなと思いました。てか、単純に数字でいえば、一番確率高いんじゃなかろか。しかもあっという間だからなー、ガンのように余命○ヶ月とか猶予もない。ブログを書いた翌々日にはもう死んでいる。

 で、思ったんですけど、1月段階にこういうショッキングともいうべき敗血症のレポートが出て、世界的にも報道されているんだけど、それを上書きするように新コロナになったわけです。でも、新コロナってそれほどのものなのか?勃発してから半年以上経つけど世界の死者数は60万、敗血症の1100万規模に比べればまだ20分の1程度。日本に至っては10万人対1000人、百倍だよ。

 新コロナが重いか軽いかではなく、扱いに関する比較の問題として適正なのかです。どうも適正ではないような気がする。敗血症なんか、今の今までろくに意識もしてなかった、年間そんなに死んでるヤバい病気であることを認識すらしてなかったし、ましてや今日の患者発見数なんか知らない(発表もされてないだろう)。これだけの敗血症であっても、騒がれなかったらほとんど誰も知らず、誰も知らなくても日々大した問題はない。いや、本当は問題あるんだろうし、「世界敗血症デー」を9月に設定して啓蒙活動を広げようとしているくらいです。でも逆に言えばそこまで努力しないと広まらない。つまり世界で年間1000万死んでいてさえ、知らなかったり気にしなかったら別にどうということもないという事実がある。

 ということは、新コロナも政府もメディアも敗血症と同じくらいの扱いをしていたら、多分大した混乱もないまま過ぎていったでしょう。これは間違いないと思います。「最近、また厄介なインフルだか風邪だかが流行ってるらしいよ」「ふうん、でも毎年そんなこと言ってるよね」てな感じ。

大したことがないから難しい

発見や対応が難しい

 新コロナの対処は難しいでしょう。だからこそ大騒ぎしてるものの、なかなか収束しない。したと思ったらまた勃発して第二波とか言っている。

 でも、思うのですけど、なんでそんなに難しいのか?です。
 いろいろな理由がありますが、総じて言えば、もともとそれほど重い病気ではないから、だと思います。皮肉な話というか、当然の話というか。

 これがとても分かりやすい重病だったら、発見もしやすいし、また対応もしやすいでしょう。

 オーストラリアにはレッドバックスパイダーという猛毒をもつ蜘蛛がいます。噛まれてほっといていた死ぬ可能性大という凄いやつです。オーストラリア全土にくまなく存在しますし、1センチくらいで小さいのでわかりにくいです。毎年200-250人くらいレッドバックに噛まれているのですが、しかし、噛まれて死んだ人は1955年が最後で(血清が開発される前年)、それから一人も死んでいないそうです(4年前に一人死んでるという話もあるけど、病院から無事退院して、それから一週間後に死んでるので死因は不明=出典)。

 なぜそんなに死なないのかといえば、非常にわかりやすいからだそうです。軽く噛まれた程度だったら大したことはないそうですけど、シリアスに噛まれた場合、めちゃくちゃ痛く、震えや、発汗、悪寒、吐き気など症状も非常にわかりやすい。これはただ事ではないとすぐわかるし、レッドバックについてはほぼ全員知ってるし、また全国いたるところに血清が用意されてるから、早期発見早期対処がしやすい。だから犠牲者が出ない。「わかりやすい」というのはとても重要なポイントだと言えます。

 新コロナの場合、ここが致命的にわかりにくい。なんせ8割くらいは感染しても無症状ないし軽度だから、それに気づかない人があまりにも多い。また症状も普通の風邪〜肺炎とほぼ同じだから、判別しにくい。

 感染の蔓延を防ぐには、今やってるように感染者を発見したら、過去の行動歴を調査して感染ルートをさぐり、且つ同心円を描くように接触者を検査して広がるのを防ぐことになるのだけど、8割くらいステルスがいたら、これは難しいですよ。

 通常、危険な感染病の場合、症状も劇的だったり特徴的だったりするから、感染対策は比較的しやすいでしょう。また感染したらほぼ全員がなんらかの異常を訴えるのなら、それもまたかなり見えやすいと言えます。

 新コロナの場合、そこが非常にわかりづらいから問題になっているのだとも言えます。つまり地引網的にものすごい広範の検査作業や封じ込めをしなければならないので、その作業人員や予算だけでも膨大になるし、また広範な封印措置(ロックダウン)に伴う生活不便や経済影響も広くなる。しかし、どんなに頑張っても、可能性としては、ステルス(無症状)の人からまたステルスへ、また無症状へと、何代も感染リレーはあるんだけど表には出てこないというケースもありうるでしょう。忘れた頃にぽっと出てくるということも理屈の上ではありうる。抗体検査で認知されてない感染者がだいたい10倍以上いるというのは、ある意味絶望的とさえ言えます。

 でも、思うんですけど、対応が難しいのは、新コロナが凄い病気だからではなく、逆に大したことない病気だからじゃないか。感染しても大多数は平気って、それってそもそも大騒ぎしなきゃいけない病気なのだろうかと。そこに何か根本的なボタンの掛け違えがあるような気もします。

治療やワクチン、新薬などの対応策が難しい

 これも、もとからそれほど大した病気じゃないからこそ、難しいと言えるんじゃないか。

 最近、抗体ができても3ヶ月くらいで消えちゃうというニュースがありました。これも大袈裟でもとの発表までさかのぼって調べると、一定時期経過後に7%が消滅、またしばらくたつと14%消滅で、別に全員の抗体が消えるとは言ってない。あと無症状感染者の抗体の方がなくなりやすいらしいです。これも、なんで消えちゃうのかです(これも本当に消滅したのか、役目を終えたから数が減ったので検査時にみつからなかったという可能性はないのかとか議論の余地はある)。

 そもそもなんで大多数が無症状ないし軽症で済むのかでいえば、自前の免疫機構で処理してしまったわけですよね。免疫は難しくて、別に抗体だけではなく、白血球やら、B細胞やらT細胞でしたっけ、もうめちゃくちゃ迎撃体制は豊富にあるわけで、新コロナも抗体以外のやりかたで迎撃してるんじゃないかって話もあります。もとから免疫が強い健康体の人の場合、抗体とかやらんでも撃墜できてしまうから、だから消えるということがあるのかもしれない。一般に人間の身体は非常に合理的にできていると聞きます。必要性の薄いものはバンバン消えてしまう。記憶だって必要がなくなったらバンバン消去してしまうのと同じ(使わなくなった昔の電話番号はすぐ忘れる)。

 薬について、あれが効いたとか、これが効きそうとか、議論百出してるんだけど、なんかいまいちよくわからないのですけど、なんでそうなのか?

 これもちらと前に書いたことですが、新コロナで死亡する場合、肺炎が重篤化する場合と、血液に異変が起きて死ぬ場合とかあって、後者の場合に人工呼吸器とかやっても意味ないし、違った機序で身体が壊れていく。つまり、既存の病状を悪化させる契機として新コロナはあるのであり、新コロナ独自の症状というよりも、症状そのものは、その人の持病によるのでしょう。だとしたら、新コロナに対抗する薬といっても、パターンが違うし、そのパターンは人によるんだとしたら、なかなか決めにくいと思います。

 つまりですね、新コロナには、バコーン!という強烈な個性が乏しいような気がします。それ自体は大した病気ではないと思われるのもそこですし、自前の免疫システム、あるいは過去の抗体(BCGとか)の応用とか使い回しでいけちゃってるじゃないかと思われるケースもあるしで。

 ただしかし、新コロナが、とある既存の病気に、とあるタイミングで、とある状況のもとで侵襲すると命の関わるくらいやばくなるというのが厄介なのですね。そして、何が「とある」なのか?といえば、それは個々人のもとからの健康状態によりけりという捉えどころがないのが難しい。

ボタンの掛け違い

 新コロナをみて、また敗血症を調べてみて、思ったのですけど、これらはそれ独自の殺傷力が強いという類のものではなく、もともとの自分の不健康状態を悪化させて、場合によっては死に至らしめる触媒みたいなものだろうと。敗血症の場合は、感染するウィルスや細菌はなんでも良い感じで、それによって全身の免疫機構がガタガタになる、そのガタガタになる状況そのものを言ってるみたいです。

 だから対応としては、一つには、常日頃の健康管理ですよね。免疫が低下するような不健康な生活態度や習慣をやめろと。運動不足、睡眠不足、過労、ストレス、、、耳にタコのような健康念仏みたいな事柄ですが、それを怠ると、こうなるぞよ、と。

 もう一つ、新コロナの場合は既存の病気を一気に悪化させる可能性があるので、その悪化しうる病気ごとに対応策や注意事項を細かく詰めていくべきだと思います。現場では、とうの昔にやっておられるとは思うのですが。

 つまり新コロナに焦点をあてようとしても、なかなかピントが絞りきれないのですが、逆に個々の人々の持病や健康状態にフォーカスした方が良いと思います。感染を防ぐというよりも、感染しないように防衛するコツ、感染したとしても抵抗力をつけるように、抵抗力が下がってるときは早くそれに自分に気づくこと、また悪化しそうな場合にはすぐに覚知して適切な処置を取れるようする。極論すれば、別にそれが新コロナであろうが他の細菌やウィルスであろうが、またそういう感染系ではなく精神的ショックや外傷によるものであろうが、それが持病を悪化させる可能性があり、またその兆候があれば、いち早くそれを本人が確認し、無理をしないで専門医に見てもらうようにし、また医療体制においてもそれに対応できるようにたっぷり予算を組んで(ボーナスなんかケチらないで)、やっていった方が生産的ではないと思います。要するに他の病気と同じように、です。

 新コロナは、強烈な個性と毒性をもってるわけではなさそうなので、話はいきおいゼネラルにならざるを得ないし、ゼネラルになって良いと思われます。健康管理をきちんとやる、早期発見に対処できるように医療に対してバックアップするって、悪いことではないですし、新コロナ以外にも大いに役に立つでしょう。医療費を抑制したかったら、みんなに健康になってもらうのがベストですからね。

 でも、なんかしらんけどペストのような凶悪な感染病で、国家レベルでのロックダウンが必要で、あとは国家間競争みたいな、シビアなロックダウンをしたほうが優秀だとか、そっち方向にいってしまったのですよね。それがそもそものボタンの掛け間違いではないかと。

 なんでそうなったの?といえば、最初は中国が気が狂ったかのように武漢をロックダウンし始めて世界のニュースになったからでしょう。病気そのものを精査するよりも、その強烈な対応に驚いて、「え、そんな大事件が勃発したの?」という、そういう先入観で物事見始めてしまったのがキッカケのような気がします。

 今回のウィルスが中国発であるとか、いやヨーロッパのほうが先だったとか、そんなの僕はどうでもいい話だと思ってます。それほどのウィルスじゃないですよ。もしこれが生物兵器だとしたら、こんなヘナチョコなウィルスだったら兵器にならないから失敗作でしょう。廻り廻って自分の国もやられるんだから、意味ないですよ。

 それよりも、もし、中国が深謀遠慮で、そこまでやる必要のない大袈裟なロックダウンを意図的にやったとしたら、つまり世界の政府やメディアに誤った先入観を与えるのが目的でやったのだとしたら、これは大成功ですよね。頭いいわ。でも、どうもそんな感じでもない。

デーモンの攻撃〜人間心理の弱さ

 冒頭のデーモンの話に戻りますが、この新コロナはデーモンの攻撃のように巧妙です。結果的にそうなってしまたんだと思いますけど、これを最初から緻密に計画してたとするなら、誰がやったのか知らないけど(てか誰もやってないと思うけど)、大したもんです。

競争心、功名心

 世界がロックダウン競争みたいになった時点で、各国政府やメディア、国民は、妙な競争心が湧いてきます。ほかの国ではあんなにやってるのに、ウチはだらしないじゃないかと。

 政治家もそう言われるのが嫌だし、ちやほやされたい功名心もあるから、ウチもやるぞ、ガンガンいくぞってな感じでやります。

 またそうなりやすいんですよ。競争というのは、点数というわかりやすい数値目標があると俄然盛り上がりますよね。コロナの場合も、何人感染したとか何人死んだとか、非常にわかりやすいんですよね。だから燃えてしまう。うまく言ったら、大手柄のように誇りたいし、政治家的にも点数がグンと上がるし、次の選挙もOKさってな感じになる。

学者世界の不正横行

 あと、感染学者とか専門家の弊害もあります。専門家というのは、どんな専門家でもそうですけど、素人に対してはエラソーだし、しばしば話を誇張する癖があります。レアケースであっても「こんなにすごいこともありうる」とかいって。地味な領域で、日頃注目を浴びる機会もないからでしょうか、ちょい晴れがましい気分であれこれ言いたくなるとかいう気分もあるかもしれない。

 功名心にかられる分、勇み足になって学問的正確さは犠牲になるのか、世界の話題になる学者先生の新発見が結局デマでしたって話も多い。つい先日の毎日新聞にも書かれてましたけど、


 リンクで飛んでも登録しないと内容が読めないので要旨を簡単に抜粋すると、

・英医学誌ランセットと米医学誌ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)は6月4日、既存薬を利用した新型ウイルスの治療に関する研究論文を撤回。理由は根拠となるデーターに疑義が生じたから。
・いずれもハーバード大マンディープ・メフラ教授が統括した研究だが、うち一つは、抗マラリア薬ヒドロキシクロロキンが新型ウイルスの治療に有効かを検証したランセット誌の論文で、有効性が確認できないばかりか、死亡リスクが高まる可能性があると結論づける内容だった。しかしその根拠となるデーターに疑義があるので撤回された。
・二つの論文のデータ収集と分析は、米シカゴに拠点を置くサージスフィア社が提供していたが、原データーは開示されていない。改めてメフラ教授が提供を求めても同社はこれを拒否。
・同社は「世界最大級の患者データベースを人工知能(AI)で分析する」という触れ込みだが、英紙ガーディアンは従業員に医学や機械学習に関する経歴がある人物はほとんどいなかったと報じている。
・今や焦点は、データの信ぴょう性から、サージスフィア社が保有していると主張するデータベースがそもそも実在しているかに移っているというトホホな状況に。

・メフラ氏たちは4月中旬、抗寄生虫薬イベルメクチンが新型ウイルスの治療に有効とした研究成果を報告し、査読前の論文ながら国際的に注目を集めた。しかし、この論文にもサージスフィア社のデータが使われており、掲載サイトから告知なしに削除された。
 ・また同じメフラ教授(この人常習犯だなー、犠牲者なのかもしれないが)、「中国では昨年8月から新型コロナウイルス感染症が発生していた可能性がある」と発表したが、これも「使用するデータが適切か十分に確認しなかった」と謝罪する羽目になっている

・ところで、米科学誌サイエンスは18年、論文撤回が多い世界の研究者上位10人のうち日本人が半数を占めたと報道。論文の撤回例を監視する海外のウェブサイト「リトラクションウオッチ」には、日本の医学系論文の撤回が目立つそうです。

 というわけで、学問的研究というよりも、もはや「悪質なデマ」といってもいいくらいであり、これが世界のコロナ騒動に拍車をかけている。その研究を受けて、大きな予算を割いて薬剤を調達しても、あとになって間違いでした〜ってスカを食らってる国もけっこうある。

 以前、触れたように、最初に新コロナの危険性と死亡者シュミレーションをやったミスターロックダウン氏の試算は、かなり杜撰なものであり、本人もそのことは最初から言っているにも関わらず、世界レベルでその誤った(かなり誇張された)危険性を前提に何ヶ月も話が進んでしまっている。

 もう、なんなの〜?って感じですが、なんかもう構造的にそうなってる感じですね。世界的に名前を売りたい功名心とか、一気に儲けたい企業とかが、杜撰なデーターでセンセーショナルな「研究発表」をするという構造。そして、この記事にも書いてあったけど、それを見抜くすべがありそうで無いという現実。査読というチェックはするんだけど、論文の要旨の一貫性をチェックするだけで、原データーの正確性まではチェックしないから、この種の疑義がでてきたら役に立たない。

 結果として、新コロナにどんな薬剤がきくのか、もう誰にもわからないという(笑)。
 今の段階でこれなら、ワクチンの有効性や、後日問題になるだろう副作用被害については尚更混乱が予想されそうです。



デビルマンの世界でも同じようなことが、、

経済効果と朝三暮四

 「朝三暮四」のエピソードはご存知かと思いますが、一応念の為に書いておくと、中国かどっかで、飼っている猿に餌をやってる人(宋の狙公)がいました。毎日朝3つ夕方に4つ合計7つの餌(栃の実)をあげようというと、猿は猛反発します。じゃあ、朝に4つ夕方に3にしようというと猿は大満足だったという故事です。別に総数に変わりはないけど、先に多くあげると喜ぶ〜目先の利益に釣られて大局観がない浅はかさを言ったものです(その前提としてこの猿との会話は朝方に行われたのでしょうね。つかそもそも猿と交渉会話できてる方が驚くべき事実だと思われるのですが)。

 新コロナもそうだなーと思ったのですよ。
 朝が健康被害で、夕方が経済被害です。感染被害は、ほぼリアルタイムにわかりますし、数字なんかもどれだけ正確かはともかく一両日もあればでてくる。しかし、経済への影響は、統計自体1−2ヶ月や、クオーター(3ヶ月)遅れででてくる上に、ドミノ波及するから、後になるほど大きくなる。つまりわかりにくい。目先のわかりやすさに釣られてしまうと、あとでものすごいしっぺ返しがくる。そうと分かっていても、感染者がちょっと増えたら、わーってそっちに注目がいってしまうという。

 アホといえば、こんな見え見えにアホらしい話はないんだけど、でも、実際そうなっている。

 もともとコロナ以前から、世界的に資本主義の限界というか、新自由主義の弊害が目に余るようになっており、多くの人が貧困の縁に立たされ、そこから蹴落とされているのが加速されている。本当は、感染者を日々更新するなら、ホームレスの数も日々更新すべきなんだけど、ホームレスとか貧困などは統計がとりにくいからわからない。

 目先の物事に囚われてしまって、ともすれば大局的に破綻してしまうという。このあたりも人間心理の弱さだと思います。

 ちなみに健康と経済とは究極においては同質だと思いますよ。よく、カネか命かといえば命だろうが、カネに目がくらんで的なレトリックがあるけど、この場合は、誤ってると思います。なぜかといえば、ホームレスや貧困界隈から伝わってくる話ですが、ホームレスをやってしまうと、普通の風邪ひとつひくだけで命に関わると。風邪というのは、「暖かくして安静にしていれば治る」とか言いますけど、「暖かく安静に」なんてしてられないからホームレスなわけですよ。栄養状態も悪しい、免疫も当然ながら低い。医者にいけばいいというけど、治療費もない。保険証すらなくしたとか保険料が払えないとか。貧困というのは、普通の風邪を致死性の重病に変えるだけの環境変化であり、経済悪化→貧困増加というのは、それはそのまま命の問題です。

 特に深夜にデリバリーのバイトをやってる僕は、日々体感的に思うのですよ。こちらは今が真冬で一番寒いから、やっぱりこたえるのですね。去年も、ちょうど今頃、寒いのに頑張ってたら、良性腫瘍が出来てしまって手術する羽目になったわけですよ。あれからもう一年、早いもんです。でも、そのときは「寒い」という実感もあんまりなかったのですよ。実感はなくても、それでも寒いというのは凄いもので、身体の力を奪っていくのですね。それがよくわかった。だもんで、ホームレスをやれとは言いませんけど、真冬の深夜にしばらく佇んでみたらいいです。それがどれほどのものか。「ゼニカネ」とか一括にできないです。金持ちがさらにカネを求めるなら、それは「カネごとき」って言えるだろうけど、貧困になってきたら、カネ=命そのものです。なので、感染か経済かって二者択一も、本質は命対命なのですよ。どちらがより多く被害を出すかの話だと。

 でも、多くの人は、自分がホームレスやその崖っぷちに立つとは思わない。正常化バイアスというか、まさかねーとか思ってる。思ってるからこそ精神を平衡に保てるのだろうけど、これだって朝三暮四です。目先のことに囚われて、大局的に見えてない。

過ちを訂正することの難しさ

 これもありますね。ボタンが掛け違ったかなーとは、各国首脳も実は内心思ってるような気がしますけど、「何を今更」的に、もう言えないんだろうなって。

 「振り上げた拳の落とし所」「一回吐いたツバは飲めない」とか言いますが、過去の自分の言動によって、未来の行動が激しく制限されてしまう。

 過去の戦争でも、日本は無敵、絶対勝つとか怪気炎を吐いてドンドンパンパン高らかにやってしまったら、後になって、「やっぱり負けそうです」とか口が裂けても言えなくなる。言ったら最後、首が飛ぶし、大混乱が起きる。冤罪事件でも、途中から警察や検察も、これ冤罪じゃないかってわかってたフシがあったりします。だけど今更そんなこと言えないから、証拠を捏造してまで(実際あるのだ)なにがなんでも有罪にしちゃおうとしたり。行政でも不手際があったら、記録を改ざんしたり捏造したり口裏合わせたりして絶対に過ちを認めようとしない。

 ほんと、初動というのは怖いですねー。
 山岳クライマーの話を聞いていると、どうやって登っていくかが詰将棋のように決まっていて、最初に右足から始めるか左足から始めるか、それを間違えたら、ずっと先になって行き詰まるそうです。

 このあたりも人間心理の弱さだと思います。


生きていくために不可避的な偽善や無知

 でも、みすみす感染によるお年寄りの犠牲があるのがわかりながら、多少死ぬのはしょうがないよね、とはなかなか言いにくいです。わかっていながら、そして明示しながら、それをやるのは非常に困難であり、ほとんど不可能に近い。ポリティカリー・コレクトじゃないけど、常に何らかの「正しさ」と大義名分を誇示しないと一歩も前に進めない政治の世界では尚更です。

 でも逆に言えば、わかってなかったら、あるいは明示しなかったら、シカトしても話題にならなかったら、どんだけ誰かを無視しようが、踏みにじろうが、それは出来るということでもあります。そして、そんなことは山ほどある。

 コロナ犠牲者以上に悲痛な話は、今の世界で山程あります。テーマや問題別に勘定しても、おそらく百は下らないと思いますよ。そもそも第三世界の悲惨な現状は、僕ら先進国の想像を超えてます。子供達に無理やり銃器をもたせて戦場に行かせるとか、生活のために子供を未だに売ってるエリアは沢山あるし、臓器移植や治験のための人身売買なんかもある。こんなことが許されて良いのか?といえば、当然許されないのだけど、そんなことばっか考えていたら、そしてまともに対処しようとしていたら、たちまちのうちに破産するくらい寄付したりしなきゃいけなくなるし、たまたま生まれついた所の運がいいだけで、こんなに恵まれていいのかという理不尽意識にうちのめされるでしょう。

 それは食肉工場の屠殺にも似てて、日々、美味しいとかいって食べてるわけですけど、その肉がどういう経路をたどって来たのかを、クリアにビジュアルで認識させられたらたまらんですよ。まだ可愛らしい子牛の頃から見せられて、殺されるとわかっていて必死に抵抗する牛を屠殺場に連れていく状況やら、殺されて捌かれていく過程を逐一見てたら、それも食べるごとにいちいち見させられて、「お前がこんなものを食べようとするから、こういう残酷な悲劇がなくならないんだよ」と耳もとでいちいち囁かれたら、やってらんないです。イグノランス・イズ・ブリス(無知は幸せなり)と言いますし、「生きてる姿を見てしまったら、もう食えなくなる」とも言いますけど、まさに。

 最近好きな漫画に「亜人」というのがありますが、この主人公が人一倍賢いんだけど、賢すぎてイヤな奴になってしまうくだりが面白いです。そこでも同じ事を言っていて、一般論としては人の命は平等かもしれないけど、特定の個人にとっては全然平等ではない。自分にとって大切な人の命の方が明らかに大切であり、その限りで命は全然平等ではないし、また平等に扱うことは不可能だ。だから、自分にとってそこまで大事な人ではないから、その人が死んでもそれによって行動を変える気はない。ただ僕は、それを意識的に、そして言葉と行動としてやってるだけで、無意識的には誰もが同じことをしている。自覚的にそれをやったからといって非難されても応じる気はないと言う。そのとおりだと思いますよ。



 でも賢いとそれを言ってしまうのですよ。罪の意識や忸怩たる思いがそれを言わせるんだろうし、それだけ誠実なのだとも言えるのだけど、そう言うと批判を浴びるのも事実。その矛盾と理不尽に気づいて、苦しんで、その上で仕方無しに踏みにじり、そして魂に傷を負い続けるのと、まったく気づかずに踏みにじっておきながら高らかに愛と正義のポエムを唱えるのと、どっちが人として聡明で誠実か?ですよ。

 何を言いたいかというと、人間というのは、ある程度、無知・偽善・欺瞞をやってないと生きていけない存在なのだろうなーということです。この世界に山とある理不尽と不正義に対して、ある程度は偽善カマして捌いてないと、やがては破滅するんではないか。

 高橋和巳の難解な小説のテーマはそれが多く、人一倍聡明に生まれてしまった主人公達が、この世界の理不尽と残酷さを誰よりも正確に理解できるがゆえに、そしてそれを見て見ぬ振りすることが出来ないという人格の高潔さ、それを現実世界で貫き通せる精神の剛毅さを持ち合わせているがために、いわゆるインテリゲンチャの苦悩と呼ばれる魂の修羅場で苦悩し、ついには破滅していってしまう物語。もう破滅する以外に救われる道はないって感じ。よく言われるのは、「この世界に一人でも不幸な人が残っているなら、意地でも自分は幸福にはならない」と決めてかかり、泣き出すのを必死に我慢している少年のような顔と気持ちのまま一生を送ることでもある。実際にそうやって破滅していった人が、日本にも世界にも沢山いる。


 コロナも同じ問題にハマってしまっていて、今更、じゃあ見殺しにしましょーとは到底言えない雰囲気になってしまっている。そして、言えないまま、経済破局を迎え、比較にならないくらい大多数に人々の生活と生命を危険に晒してしまう方向に向かっている。

大義名分という大嘘

 ならばどうするか?
 やはり、福音は、無知と偽善でしょう。また無知と偽善に戻す。あるいはそれでいいのだという虚構の正義というか、偽善をぶっこくしかないでしょう。ありていにいって、見殺しにするんだけど、それをそうとは思わせないようなレトリックと手段が求められる。

 下地はできていると思うのですよ。今回書いたことくらいは、ある程度の賢さをもってる人なら(殆ど全員なのかもしれないが)、ボタンのかけちがえは分かっていると思うのですよ。ここまで言語化できるかどうかはともかく、直感的には洞察してると思う。ただし、口が裂けても言えないという。

 オーストラリアの意識調査でも、真剣に新コロナが自分の健康を害するという恐怖心を持ってる人は少ない。ではなぜ、総じて従順にロックダウンなどに応じているかといえば、一つは権力による指示があるからであり、もう一つはモラル的な理由だと言います。

 でも、実際に外をでてみれば、ソーシャルディスタンスもクソもない密集状況をちらほら見かけます。店内とか、静止している状態では、結構皆さん気を使って距離をあけたりはするんだけど、動的な局面になるとかなりいい加減になる。真剣にビビってたらこうはしないだろうという感じ。つまり根っこの部分では、大して怖がってない。行動ではそれを示している。しかし、口に出しては言えない。

 ここがネックで、本来、破産の縁に立たされているビジネスオーナー、ホームレスすれすれまで追い込まれてる学生さんなどテンポラリービザホルダー、多くの人が文句を言いまくって、自然にバランスが回復しなきゃいけないところを、そのあたりの大義名分がないから言えない。言ったら袋叩きにされそうだし。もう日本の戦時中みたいなもので、誰が考えても負けるに決まってるから、有利な所で手仕舞いした方がいいんだけど、それは言えないまま破綻してしまったという。


”Busy, Busy Bondi”という最近のボンダイビーチの状況写真集15枚

 なので、しょーもない偽善や無知ごまかしレトリックを使ったとしても、積極的にそれに応じてくれるんじゃないかって気もしますね。政治は、社会は、僕らは、どんなに嘘くさかろうが大義名分がないと前には進めないように出来ている。それは、僕ら一人ひとりが残酷な真実を直視することに耐えられない心の弱さを持っているからかもしれないし、自分のエゴの浅ましさを他人に知られたくないからかもしれないし、理由はさまざまでしょう。

 問題はそれをどうやるか?です。
 一番いいのは、「それどころではない」というもっと大きな何かがあることです。円盤の大編隊が来て、宇宙人が侵略してくるくらいだったらいいんですけど、そんなの滅多にあるわけないし。

 だもんで、結局はやっぱりなし崩しですかね。

 そういえばイギリスが死者のカウントをしばらく止めると言ってましたね。統計のとり方がかねがねおかしいという指摘があったからだと。つまり、一回陽性の結果が出た人が、後日死ぬと全部コロナ死者にカウントされてしまうのだけど、因果関係を全然考えてないから、陽性がでて快癒して、その数カ月後に交通事故で死んだ場合もコロナ死者としてカウントされているのは明らかにおかしいと。そのあたりの調整をするからしばらく数えるのを止めると、まあ、事実そういう部分もあるんだろうけど、「数をカウントするのをやめる」というのは、いい方法かもしれないですね。多分、数かぞえるのをやめたら(検査や治療はやるんだけど)、この問題は一気に解決するかもね。実際、数百万スケールで、数百人がどうしたとか騒いだって殆ど意味ないですからね。ボタンのかけちがえをそっと外していくってことでしょうか。

 NSW州でも、再度制約を厳しくしました〜とか言ってるけど、よくよくみると、レストランでの予約は1グループ10人までにするとかその程度です。それって意味あんのか?その気になったら、15人だって10人と5人で別々に予約すればいいじゃないかって話もあるし、どれだけ実効性あるのかわからないです。が、本当は実効性なんかどうでもいいんだと思う。大義名分があるから、一応なんかやってる感は出さないといけないけど、ほんとの部分では制約したくないのでしょう。

 だって、開けたり閉めたりってのはビジネスにとって致命的ですから。将来の安定性がなかったら、おっかなくて人も雇えないし、雇われる方も大変ですよ。雇われた時点で失業保険切られて、一週間したらまた失業で、でも手当はもらえず、、だったら怖くて就職もできん。








文責:田村


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