★↓背景画像bgmaximage★ グラデーションなどベンダープリフィックスを除去するJS★
Tweet このエントリーをはてなブックマークに追加

940 ★背景デカ画像


  1.  Home
  2. Essay目次
このエントリーをはてなブックマークに追加


Essay 940:他人よりも賢いと思ってるでしょ?

 〜オーストラリアの現況(2020年06月時点)
 〜9月末の「終末の日」に向けて、いまひとつ肚が括れてない感じ


2020年06月22日
写真は、WollstonecraftとGreenwichの間くらい。望遠で撮ると遠くの山が近くに写って不思議な感じ。こうすると日本の地方とあんまり変わりませんね。



 オーストラリアの現況ですけど、僕の見た感じでは、「遅々として」「途方に暮れて」「迷走している」ってところです。

 コロナ規制の解除は、確かにどんどん進んではいます。前に示したロードマップとやらの解除予定よりも前倒しにやってたりもする。ショッピングモールにも人出が戻ってるし、道路もまたうんざりするほど渋滞するようになってるし。

 それはいいんだけど、なんか吹っ切れないから、経済回復も本格的に始動してるという感じがしない。それは多分2つの理由があって、一つは、カフェなどのお店でのソーシャルディタンスの杓子定規な4平米規制を緩めないこと。もう一つは国境が開かないから観光と教育産業というドル箱を閉じたままであることです。

 これからあれこれ批判をしますが、先に僕なりに「こうすればいいんじゃないの?」という対案を出しておきます。単にあそこがダメ、ここがなっとらんとか言いっぱなしだったら、ただの愚痴やら無い物ねだりと五十歩百歩ですから。

問題点と対案

 ソーシャルディスタンスの硬直的な強制ですが、こんなのはもう国民に一任したらいいと思います。感染メカニズムが完全に解明されたわけでもないし、危険性はケースバイケースだろうし、そんな状況で一律にこうしろとするなら、どうしても最大公約数(というか最小公倍数)的な過剰規制が出てきてしまう。それがビジネスの足を引っ張ってるし、雇用も生活もダメージを与えたままになっている。

 レストランなどの店舗経営において4平米規制というのは、店によっては致命的です。もともとテイクアウェイ中心だったり、中で食べる人も少なくてテーブルも離れているような店ならば大した変わりもないですけど、多くのそうでない店の場合、収容キャパを限定されてしまうことは採算性に大きな支障をきたすことになるでしょう。ちょっと前のように、店の規模も考えずキャパ300の大店舗もキャパ5人の小店も一律同時に10人までとか大馬鹿な規制よりはマシだけど、この種の規制はお店の稼働限界を設定する。何をどう頑張っても1時間あたりの収容数(売上高)に天井を設けてしまい、それが損益分岐点にまで達してなかったら、店を開けるだけ損だということになります。だからフル稼働できないし、再雇用も進まない。

 政府としてはガイドラインや衛生上の注意点、なぜそうなのか、感染メカニズムや統計についての詳しい説明、日々のリアルタイムの現状報告など情報提供をするのにとどめ、あれをしろ、これをするなという一律の呼びかけ=強制命令を出すのをやめた方が良いと思います。必要な情報はバンバン提供するけど、それをもとにどう行動するかは個々人に任せる。リスクを考えて店を開けないこともアリだし、開けることもアリ。客の方だって、ここは混んでるから危ないと思う人は行かないか、テイクアウェイにすればいいし、そういうこと気にしない人(すでに抗体持ってるとか)行けば良い。

 結果として気にしない人が罹患して患者が急増するかどうかですけど、そこは医療体制を充実させて対応力を強化することであり、且つ日々情報を更新して呼びかけをする。最終判断は国民に任せる。そのうえで言葉の本当の意味での自己責任です。勿論、小さな子どもとか判断能力がない人もいるけど、だからこその保護者であり、後見人や介護人でしょう。

他人より賢いと思ってるだろ?

 ちょっと余談になりますが、この国民に任せるって部分がなかなか出来ない。
 なんで出来ないのか?というと、政府や指導的立場にある人達の責任感というもあるんだろうけど、責任感に表裏一体をなすものとして「自分たちは一般国民よりも賢い」という意識があると思います。それは確かに、情報の非対称性(ある人は知ってるけど、ある人は知ることが出来ないこと)から=「銭湯の番台」のように、そのポジションにつけば得られる情報が桁違いも多いし、俯瞰・大局的に物事を見ることが出来るでしょう。それはわかる。だけど、それは賢いからではなく番台に座っているからであって、それだけのことでしょう。なのに、それ以上に、情報が十分にあったとしても「国民は馬鹿だから何をするかわからん」的な意識はあると思います。

 確かに、役所などに勤めれば、世の中のいろんな階層の人と接するわけで、中にはとんでもない人もいるし、唖然とするくらいアホはいるでしょう。そういう日々を送っていれば、国民は自分らよりも途方なく馬鹿だから、いい加減な事は言えない、あれこれ指導しなきゃいけないと思うのも無理からぬ部分はあります。

 しかし、それは「色々な人が居る」というだけの一般的な事実であり、そういった人々のバラエティにより、そして「とんでもない人」によって日々苦労させられているのは役人や政府だけでなく、一般の民間商売でも同じことです。飲み屋さんだろうが、タクシーの運ちゃんだろうが、サポートセンターであろうが、ツアコンであろうが、そういう人らによって苦労させられているのは誰もが同じ。でも、民間だったら、だからといって自分らが賢いとは思わないですよ。なぜか?世間が広いからですよ。確かにそういう人もいるけど、そんな人ばっかりではない。自分よりもすごい人、尊敬すべき人ももっと沢山居るということもわかるからです。

 と同時に、それは政府や役人 or 大企業のいわゆるエリートさんに限らず、一般国民の中にも同じように世の中には馬鹿が多いからいちいち指導しないとダメなんだって考える人います。それも結構多いように思う。つまり自分は他人よりも賢い、世間の人は自分よりも愚かであると考えがちな人。親が子供を、教師が生徒を、先輩が後輩を、上司が部下が指導するように、そう考えてもいい場合もあるけど、往々にして行き過ぎる。愚民扱いしすぎる。もっと信頼してやれよって言いたくなる人もいます。

 あとは、この種の社会的な話になると、昔の新聞の投書やら今のSNSやら、一段世間を下に見ようとする人もいますね。まあ、もともとそういう部分がないと、誰が読んでるかわからない場所で発言しようとは思わないかもしれない(自分以外の人間が全員自分よりも凄いと心底思ってたら、そもそも何も言えないでしょうし)。

 これらは多少はいいです。まあご愛嬌ですよ。自分も含めて、皆そうやって何割か増で良さげに自画像を描いてうぬぼれてないとやってけないですからねー(笑)。そこは相身互いってことで、別にいいです。

 でも、なんか「○○風情になにがわかるか」的に頭ごなしに決めつけてる人とかたまにいるじゃないですか?「正業にも就いてない奴に娘はやれん!」とか言い放ってるオヤジとか。今となっては、僕の方がそういうオヤジよりもずっと年上になっちゃったんで、余計に不思議な気がしますね。ははは、40歳〜50歳くらいの「がきんちょ風情」が語ってんじゃねーよ、お前に何がわかるっつーの?って、後ろからハリセンでパーンと叩きたくなりますね。

 中途半端にエリートな人もそうですね。なんで中途半端かというと、ある程度イッてしまうと、今度はエリート的な立場に居心地が悪い思いをするようになるし、そのことにコンプレックスを感じるようになるからです。そりゃ自分の分野では抜きん出て実力があるけど、それはどんな仕事も同じこと。逆に専門に偏りすぎて、一般社会の世間知みたいなものでは凄く劣ってるんじゃないかっていうコンプレックスが出てくるのですよ。不思議なもんで、試験に受かる前はそんなこと思わんかったんだけど、受かった後は身分不相応に高いところにいるという後ろめたさもあって、そう思うようになるのですかね。素手で喧嘩すりゃ負けるだろうし、ナンパしても振られるだろうし、俺、人として全然ダメじゃんって意識です。だからもっと全人格的に成長せなって思うもんだけどね、普通。

 これも過去に何度か話しましたけど、僕の前職の師匠の師匠は日弁連会長までやった大物(小柄で陽気なおっさんにみえるけど)で、自分の事務所の新人弁護士が入ってきたら、大阪の秋葉原である日本橋に連れてって、そこらへんの電気店で「お前、行って値切ってこい」とやらせる。交渉能力ですね。でも勉強勉強でやってきたから、ヘタクソで、そこらへんの大阪のおばちゃんのほうが遥かに上手。それを体験させて、思いあがってはアカンよと、お前なんかよりも遥かに世慣れているおばちゃん達がなんぼでもおるぞ、そしてそのおばちゃん達に先生は凄い!と神様のように崇め奉られないと銭は入ってこんよ、精進しなはれってという新人教育です。

 僕にしても、受かる前からバイト先(出版社の倉庫で仕分けとか)の年長の人達を見ては、おお、すげーなとか思ったし、実務についてからの出会う人達、一般庶民と言われている人達の「町の叡智」のような、英語で言えばストリート・ワイズに敬意を抱いてます。それもあって、政府や役人が実は一番アホなのかもしれないよ、もっと一般の人を信じてあげなよって思いますよね。

 馬鹿対策としてあれこれ雁字搦めに決まりを作ろうとするのは、止めたらいいと思います。あなたが思うほど他人は馬鹿ではないよ、と。アホであると決めつけられた上に作られた規則なんか、誰が守るか?って気もするしね。それは学校の校則と同じですよ。決まりごとで他人を縛れると思ってる時点で、もうアホ疑惑があるよ。それに馬鹿は決まりなんか作っても守らないよ。多くの真面目な人達が不必要に窮屈な思いをして、生きにくさを感じるだけで、全体としての幸福度を下げることになる。

 決まり=法律ですけど、決まりなんてものは、少なければ少ないほど良いのですよ。もっともらしい専門的お化粧をほどこすならば、LRAの原則(Less Ristrictive ALternatives)ってアメリカの憲法法学で言われてますけど、より制限的ではない(より自由な)やり方があるなら、それにすべきであり、自由なやり方があるにも関わらず制限的な法律を作るのは憲法違反である、という大原則です。


 話を戻して、コロナ対策をもっと一般市民に委ねるという点ですが、実際ですね、普通の路上やら、ショピングモールの通路やらでは、ソーシャルディスタンスが守れているような、守れていないような感じです。事実上強制できずに呼びかけしか出来ない場合、それでも回ってるし、それで感染が増えてるってこともなさそうです。歩いていても皆それなりに気を使ってて、人混みを避けようとしている人、ちょい気にしてる風の人だったら、こっちも気を使って距離を開けようかと思うし、まーったく気にしてない風の人だったら別にいいかと、その瞬間瞬間で適宜判断してます。

 また、同じ場所・人に接していても15分〜30分以下の時間だったらほぼ心配はいらないというガイドラインからしたら、お店の滞在時間が短い、立ち食い蕎麦や牛丼だったらそれほど気にせずにいいけど、固定的な場所での滞在時間が1時間以上になりそうな居酒屋であるとか結婚式であるとかだったら、席が離れてるかどうかをチェックするとか。あるいは換気がきちんと出来ているか、自分自身の体調や危険性はどうかなど自分で判断できるはずです。そのあたりは、もう個々人に任せたらいいし、それで体調が崩れたり、医療を必要とするような人が出てきたら対処すると。


医療崩壊の謎


 ここでまた医療崩壊が起きたらどうする?という話だけど、なぜどういうメカニズムで医療崩壊が起きているのかが詳らかではないのですよ。なぜなら、日本もオーストラリアも、今、お医者さんは閑古鳥が鳴きまくってぶっ潰れそうなくらいだからです。

閑古鳥 in Australia

閑古鳥 in Japan

 これは一体どういうことか?と。患者がちょっと増えたら医療崩壊とか散々言っておいて、今度は患者が少なすぎて医療崩壊だと。それなりにやむを得ない部分もあろうけど、煽りすぎ、大騒ぎしすぎって部分は確実にあると思いますよ。少なくとも事態の変化に対して、冷静&フレキシブルに対応できてないという気がします。「角を矯めて牛を殺す」というけど、まさに。

 いずれにせよ今が閑古鳥だったら、多少患者が増えようが対処できそうだし、増えてくれたほうが救済する意味でも良いではないか。だって倒産の崖っぷちって言われているわけですからね。


国境について


 こんなのいつまで待ってたって永遠に埒が明かないですよ。なぜなら、完全に心配なくなるまで開けないというなら、世界の全ての国とエリアがこの病気を克服するしかないし、そんなのいつのことやら、です。ワクチン待ってたって、出来たところで本当に効くのか、副作用はないのかについて長い年月をかけて調べていかないといけないし、SARSやMERSは結局ワクチン作れていない。もともとこの種の風邪系のワクチンは作るのが非常に難しいし、毎年のワクチンだって基本二種類しかないし、それに「今年の流行色」みたいにちょこっと混ぜたりしてるけど、それだって多分そうだろうってことで確実にエビデンスあっての話でもないっていうでしょう。だから結局効いてない人も多い。効く人も確実にいるんだから無駄ではないのだけど、それが全ての決め手になるのだというのは「科学的」ではないですよ。

 そんな一律どうのではなく、この場合だったらいいだろう?というリスク査定をしながら、少しづつあけていくしかない。この国だったら現在感染者も少ないし良いのではないかとね。それと機内で感染する場合も大いにありうるから、最初から搭乗する国籍やエリアを限定指定するとか、搭乗前にこういう検査キットを使って陰性証明がでないと乗っちゃダメとか。さらに着いた後も検査をし陰性が確認されたOKとか。これまでのように一律14日などと言ってたら現実味ないし、抗体持ってても14日ってのはいかにも馬鹿馬鹿しい。

 そのあたりは実務レベルでいくらでも詰められる筈です。航空会社を交えて、相手国との実務協議だっていくらでもできるでしょう。また必要性においても差異があるはずです。市民権・永住権だったらOKで、それ以外は幾らこちらに生活の本拠があろうとも、仕事や家族がいようとも観光客と同じ扱いというのはあまりにも大雑把すぎる。ところが、こういうキメの細かい実務処理というのをやってる形跡がないのですよ。海外から来るのは恐いからという尊皇攘夷モードに入ってる。

 NZとのトラブルバブルでも、オーストラリア国内の全ての州が州境を開けないとダメだといってるけど、別に開いている州(シドニーとメルボルンとキャンベラという主要都市のある州は開いてる)限定でもやればいいのに。何を杓子定規に「全部」とかいってるのか。

 大体において、役所やアドミニ(統括事務)系の人は、「一律処理」を好みますよね。だって仕事が楽だもん。これを多くの事情を斟酌してケース・バイ・ケースって言ってたら、時間もかかるし、なんでそうした?とかあとで文句言われそうでイヤだからでしょ?基本、個人の保身で動いているような質のスタッフ(安定してるから公務員くらいの意識で志すとか)の部局で、実のある扱いなんかできないですよ。上手に仕切ったら儲かるけど、下手したら大損ぶっこくくらいの緊迫感があってこそ、仕事というのはやる気にもなろうし、また総合的にうまくいくでしょうに。

進まない経済復興と9月破綻

コロナ対策と過去の栄光

 これまでのところオーストラリア連邦政府(スコット・モリソン政権)が称賛されているのは、一番最初に、超思い切って休業補償をした点に尽きると思います。すなわち、JobSeekerという失業保険などの一般給付のブーストアップ(支給額二倍、申請と審査をワンクリックでOKなど超簡略化)をしたこと。そして目玉は、JobKeeperという休業(給与)補償で、対象になる600万人に、一人月(4週)3000ドル、9月末まで半年間支給、総額で130ビリオンドル。1ビリオンで約1000億円(今のレート75円なら750億円)、これが130だから、13兆円(ないし9.75兆)。

 これはさすがに凄いわけで、これがあるからオーストラリアはなんとか小康状態を保っていられるわけです。日本の10万円に比べて、申請も簡単だし、2週ごとあるいは4週ごとなどにやりますが、月曜に申請したら木曜日にはもう入金があります。そのあたりは、国民全員確定申告をすることなってるし、全部オンラインでやることになってるから早いのですね。

 あと、チャイルドケアをフリーにするとか、9月末まで住宅ローンの支払いを止めるとか、家賃については強制立ち退きを禁止させたりとか、画期的なことをやりました。一方でウィルスは、ものの2週間ほどで鎮静しています。モリソンがヒーローだった黄金時代ですねー。

 しかし、そっからがむにゃむにゃなのです。
 まず、JobKeeperそのものにケチがついて、当初の見積もり130b(ビリオン)が、半分以下の60bになりました。650万人どころか350万人くらい。なんでか?というと、アホな話なんですけど、会社が申請する場合に、対象になる雇用者は何人ですか?というとの、幾ら支給すべきですか?という質問が非常にわかりにくく記載されていて、雇用者1人のところ、1500人と書いた申請(一人だから1500ドルだと思った会社)が数百(500くらいだったかな)あったためだと。書く方もアホなんだけど、でもこれ、誤解してもしょうがないよという出来の悪いフォームでもあったと言われてます。また、じゃ、なんで最初に130bとか二倍以上に見積もったの?ミスなしでそのくらいとだ見積もっているということで、政府に試算能力に重大な疑問が生じました。おいおい、大丈夫かよ?という。まあ、すぐ正直に言うあたりは評価できますけど。

 ま、それはいいです。安く済んで良かったじゃないかと。その逆よりもよっぽどいいよねと、皆も「わはは」で終わりました。問題はその次で、じゃ、余った70兆をどうするの?です。余った分、裾野を広げてもっと多く支給したらいいじゃないかと。JobKeeperも前例のないくらい大盤振る舞いだったけど、条件があれこれあって、それから漏れてしまう惜しい人も結構いました。また、長いことオーストラリアに労働ビザや学生ビザでいて、子供すらいるの一切支給なし。留学生でもバイトをクビになる人が多数いたし、ほんとにホームレスすれすれ、てかホームレスになってる人も沢山いるんだから、なんか支援したらいいじゃないかって声があがったのですけど、モリソン、ほとんど全部拒否ってます。

 このあたりから段々男を下げてきてるというか、最初の段階はきゃー!で思い切ったことをしてよかったんだけど、そんなに肝っ玉が座ってるわけでもないというか、気が小さいのか、事の重大性にビビったかのようになっていきます。とにかくケチケチしはじめます。

 JobKeeperの拡大はやらない、チャイルドケアのフリー化は規制緩和に伴って縮小・廃止、留学生や労働ビザなどテンポラリービザへの支援は特になし、失業手当のJobSeekerも当初の無条件から徐々に条件を増やして出し渋る傾向などなど。

 また連邦政府ではなくNSW州政府ですけど、この非常時緊縮財政だからということで(支援で出金しすぎているので引き締めたい)州政府の定期的な賃上げは凍結とかいってます。この中にはコロナ騒動で頑張ってくれた医療関係者も含まれるわけで、あれだけやらせといて、その報いがこれかという批判を浴びてます。

 総じて言えば、最初はハイになってバンバン気前よく金を出していたんだけど、シラフに戻ってからことの重大性に今更ながらビビって、ケチケチモードに入っているという印象がどうも拭えなかったりするのですよね。

肝心の経済対策は?

 これがまた「無い」といっても過言ではないくらいです。
 いや一応あるんですよ。”JobMaker”という新しいネーミングでバーンと打ち出したりしたんですけど、なんか読んでると官僚の作文というか、ありきたりというか、なーんだとか思っちゃった。労組や労働権が強すぎるのが経済を阻害しているんだってハワード政権以来のリベラル党の主張の焼き直しをしてたりして、この時期にそれを言うかって感じだし。超優秀な移民を受け入れる特急コースを作るんだとか、そんな奴がオーストラリアに来るかよとか、そんな求人がどれだけあるのよとか。よく政府や官僚は、「総合対策プラン」とかいってぶち上げるけど、多くは美文に彩られた作文であって、実現性に乏しい。それもあって、JobSeekerやKeeperと違って、Makerはすぐに話題にもされなくなってます。

 そういえば、ホームビルダーなんたらってセコい景気刺激策もあったな。建築業界がド不況の崖っぷちなので(そりゃ、今の時点で誰が建てるかって話だし)、救済するべく、皆の改築・増築を援助しましょう。ポンと250万円を熨斗つけて差し上げましょうってプランなんだけど、条件キツすぎ。たしか改築予算が1500万以上でないとダメ、でも個人年収が1200万以上あったらダメ、夫婦まとめて2000万以上あったらダメってことで、条件に合う人なんかどれだけいるのか?です。年収1200万以下で、将来の職の保障もヤバくなってて、ローン支払いすら暗雲が垂れこめて、しかも不動産価格暴落の予想すらある現在、誰が1500万以上もかけて増改築なんかやるのか?という。これも官僚的に、出せる予算とかシュミレーションしてみて、これならいけるかもとかいう決め方であるような気がしますね。

 世界的なバブル崩壊から抜け出したポールキーティング首相や、リーマンショックを抜け出したケビン・ラッド首相などと比較されるのだけど、ラッドは建築刺激策として、低所得者層の公営住宅などのインフラ整備をしたのですよ。今だって、公共住宅のインフラはボロボロで、鍵がかからんとか最低限のレベルすらいけてないんだから、そっちから先にやれって批判はあります。なんかズレてんだよね。


ビジョンがない

 また、国境封鎖で30万人以上のビジター(学生ビザとかワーホリとか労働者とか)が帰っちゃって、それが経済に大きな影響を与えていて、なんとか新移民政策で盛り返せばいいんだけど、どうもその腹もない。

 もともとモリソンさん、この種の移民政策とか国際経済とかズレてるような気がします。気のいい村長さんレベルなんかもしれないし、それが平均的なオージーの意向を反映したり、慮っているのかもしれないけど、なんというかビジョンがないです。それが一番ネックなのかな。

 オーストラリアというのはビジョンで持ってるような国だと思います。白豪主義のひきこもりだったのが、マルチカルチャリズムという180度違う方向性をバーンと打ち出し、それも口先だけではなく徹底的にお金も使い、手数を使って実現し、定着させていったわけですよ。それが今日のオーストラリアの繁栄を基礎づけている。また、僕が来てからの歴代首相でいえば、一番ビジョンがあったのが、賛否両論の多い、ポール・キーティング首相で、もう白人ぶってたって意味がない、オーストラリアは「アジア諸国」なんだ、そうやって未来志向で切り開いていかないとアジア30億人の人口の海のなかの白いゴミ(White trash in Asia)になっちゃうぞと檄を飛ばして、環太平洋諸国の協力を目指したAPECをリードしていった。僕がこっちにこようと思ったのはその頃で、これは面白そうだと思ったですね。その前には国民投票で国歌も変えてたし。

 それが段々保守的というか、気力が枯渇してきたオヤジみたいになってきて、燃えるようなビジョンを創造してドドドとやっていくという感じではなくなってきた。ここしばらくのオーストラリアの移民政策も「君は何がしたいのだ?」と首をかしげるような感じ。特にモリソンちゃんはそう。ターンブル首相の片腕の頃から、移民政策についても全体に減らして、地方新興に活用とかいうやつだけど、結果が出てるとは思いにくい。

移民政策はあるのか

 思うに、これといって新しい方向性も思いつかないまま、あちこちの言い分を聞いて、調整型といえば聞こえはいいけど、右往左往しているだけという感じがします。オーストラリアの中でも財界とか先を見てる連中、あるいは農村部で人口減に悩まされている人達は、はっきり移民がほしいでしょう。今は世界レベルで平和になり、したがって教育水準も上がってきてるから、全世界レベルで優秀な人材が増えてきている。また、移民を導入すれば、とりあえず消費者は増える。高学歴高収入の移民一家を招いたら、家を買ってくれるわ、車も買ってくれるわ、高級レストランの常連は増えるわ、いいことです。

 それにその気になったら、アメリカとほぼ同じくらいの面積がありながら、あっちは3.3億、こっちは0.25億ですから、詰め込めばあと10倍は入る。オーストラリアの内陸物は砂漠で使い物にならないというけど、それはアメリカだって同じこと。ラスベガスなんか砂漠に作ったんだし。

 シドニーやメルボルンくらいの規模の都市なら、日本や中国からみれば手頃な中小都市ですからね。シドニー人口520万人だけど、埼玉県だけで730万人いますから、そんな大した都市でもない。どっか適当なところに人口百万都市を人工的に作って、そこの永住権だけ異様に易しくすればいいとか。

 一方ではあんまり優秀な移民が入ってきたら、地元のオージーが失業するという懸念は地元民にはあります。そこらへんが、もう保守的なのよね。政治家としてはそういう声も聞かないといけないから、移民倍増とか言えない。だから基本減らすみたいな言い方をする。でも実際には減らしていない。永住権19万人を16万にするとか言いながら、実は前から処理能力の限界かなんかしらんけど16万人くらいしかビザを出してないから現状維持です。

 また、地方新興とかいっても、人を入れたくいくらい過疎化が懸念されているオーストラリアの地方において、年収5万ドル以上の職に、卒業したばかりでポッと出の学ビザあがりが採用されるかといえば、かなり難しいでしょう。ほとんど無理かも。そもそもそんな職が少ないからこその過疎化であり、対策なんだし。それを3年以上やって初めてとか、条件厳しすぎ。前にもどっかで書いたけど、そういう設定にすればそういう人が集まるってもんじゃないんですよね。そういう人がバンバンきても次々に採用されるくらい地元経済が活性化するのが最終目標であって、その最終目標を最初のハードルにしてたら本末転倒もいいところです。でも立案しだけで達成した気になってるところがアホやと。まあ、実際の狙い所は、実績もなにもろくすっぽ審査せず、もう年度末だから余った席に割り振らなきゃねーという州政府ノミネーションという、お役所仕事の棚からぼた餅狙いはありますけどね。しかしかなりバクチですよね。


 ともあれ永住権については、おし、これで行くぞ!という明確ビジョンは出てないです。てかそもそも考えてるのかな?って感じ。オーストラリアの高齢化を是正するには、毎年22万人の移民が必要であるという計算も出てるし、それはモリソンも認めている。でも政策として何も反映されていない。

学生ビザと大学

 その代わり行われているのが、テンポラリービザ(学生ビザや労働ビザ)の便利使いです。「搾取」といってもいいくらいだけど、永住権は出ないくせに、テンポラリーはやたらほいほい出すから、彼らの存在が大きな塊になり、オーストラリアの都市経済のベースを構成しているようになっている。割の悪い時給仕事なんかは、学生や労働ビザの連中がやっており、彼らなくしてはオーストラリア社会は成り立たないというくらい。だけど永住権はケチってる。便利遣いしてるという。日本の非正規みたいなものです。でもって、コロナになったら、その恩に報いるかといえば、帰れって言うわ、サポートもなし。一部の州(タスマニア)で、あんまりだってことで人道支援みたいにやってるし、学校やら民間やら各出身民族団体たらフードサプライとかボランティア支援をやっている。でも政府知らんぷり。

 もし本気で地方活性したいんだったら、なんでもいいからオーストラリアの学校に3年通ったら無条件で永住権あげるとか、ジャパレスでもなんでも3年働いたらあげるとか(プラス英語点がいくらで、推薦してくれるオーストラリア人の署名を3つ集めてこいとか)、それで年間キャップを何人にするとか、やればいいじゃんって思いますわ。そうしたら確実に人は増えるし。どうせ永住権のオキュペーションリストとかいっても、それで永住権とってもその仕事をするとは限らんもん。いっときのシェフのように、シェフで永住権とっても、そのあと全然シェフやってないとか。僕だって弁護士で取ったけど、やってないしね。だからほんとのことを言えば関係ないんですよね。入れてしまえば、皆馴染むし、3年もやってたら大体大丈夫でしょ。

 そのへんの感覚の無さというのが辛いところです。

 JobMakerという新方針には、TAFEの大改革とか謳ってるけど、「もっと現実に合わせて大改革をする」くらいしか書いてなく、具体性に欠ける。てか、そもそもTAFEってなんでいつの間にあんなに高くなったの?それに大学だって、国民がいくにしても高すぎるよ(税金で補助されていながら)。

 その大学だって留学生というドル箱が無くなって青息吐息で、しかも大学にはJobKeeprが適用されないっぽいし、大学側もなんとかしてくれと悲鳴を上げてる。

 最近、モリソン政府は、いきなり大学改革をやるといいだし、より経済活性のためにとかいって、どっかの政府と同じようなことを言います。金の稼ぎやすい学部は学費を安くして、金になりそうもない人文科学系は学費を値上げするとか。アートなんて二倍に値上げするとか。

 もうアート系なんか今回のコロナでイベント禁止でまっさきに被害を受けているし、手当が出るかどうかも人によっては微妙だし、そこにきてアート学部の授業料二倍ってなによ、どんな罰なの。アートなんかやってはいけないという感じ。だからそのあたりのセンスが個人的に無いんじゃないかなーという気がしますね。

↓でも、この記事で指摘されているように、それを決めている政府閣僚は、みんな学費無料時代に大学出てるんだよね。


 あとでScottyfrommarketingの話をするけど、このあたりの弱者目線がこの人には欠けている。それがビジョンの欠落にも通じている。

 僕が思うに、いま世界の「時代精神」みたいなものがあるとしたら、弱者救済でしょ。というか合理的意味のない不平等にすごい違和感を覚えるようになってきているのだと思う。思い起こせば、1%と99%の格差がアメリカでOWSムーブメントを起こし、極東の島国JAPANでも1:99というフォーマットは皆の頭に定着した。そして、まだ馬鹿みたいに続いている女性差別やセクハラについて#MeTooムーブメントになったし、LGBT+(最近では+もつける)も日常用語として定着した。今のBLMも同じ系譜でしょう。日本では山本太郎の主張というか、存在そのものがムーブメントを化体していると思われます。

 では、なぜそうなっているのか?です。これはワイルドゲスですけど、要するに低成長(成熟)で豊かになってきたんじゃないですかね?戦後のように食うものもろくすっぽなく、食うか食われるかでやってた時代や、ゴールドラッシュのように夢のある成長時代は競争とか勝ち負けというのは、いいイメージで使われる。それは努力の証でもあるし。ところが、成熟してきて成長度も頭打ち、だけどそこそこだったら無理しないでも食べられるって豊かな時代になってくると、昔のような差別があって当たり前というフォーマットにすごい違和感を感じるようになってるんだと思います。前は文句言わなかったことでも、今なら文句言いたくなる。

 そういうビジョンがモリソンちゃんにあるかというと、あんまりなさそうなのよね。JobMakerにせよ、金の稼げる学部だけ安くするとか、経済対策=勝ち組になるという旧態依然たる価値観フォーマットのままなだから、ズレがある。もう勝ち負けとか言ってること自体、時代遅れだということがわからんのだろうなー。

よく分からない国境政策

 国境を開けるのはいつなのかもよくわかりません。言うことがコロコロ変わるし。

 先週ですが、来年まで国境は開かないよとSimon Birmingham観光大臣が言ってます。

 

 だけど一方では早く開けようという試みも多い。

 留学生とか感染被害が少ない国には14日ルールを短縮しようとか

 日本との間では行き来できるようにしようとか

 

 NZとの行き来(トラベルバブル)を果たすためにネックになってる頑固な州に対して苛立っていたり。
 

 最初の「来年までダメ」発言は、よくよく読んでみると、オーストラリア人が海外旅行にいくことについての話です。観光大臣が発言してることから考えてみると、オーストラリア人は年間に海外旅行で60bドル以上使っているんで、その分を国内旅行に回して、国内の観光業者を助けてくれということですね。このクリスマスホリデーに海外旅行を考えている人は、国内旅行にしてくれと。これは「愛国的行動」としてそうしてくれと。

 推察するに、観光大臣としてもキツい立場で、いつ国際旅行客がやってくるかわからない現状、国内の観光業者から日々責め立てられていることでしょう。だからせめて国内旅行を宣伝して寄与しようと、その言い訳として、海外旅行は無理だよって言ってるだけだと思いますね。

 他方では、なんとかならんのかという感じで努力もしているようです。それはそれで評価できますけどね。でも、「おし、こうするぞ!」とよう言い切られない。


9月破綻のシナリオ

 一方、オーストラリア経済のダメージは深くなってます。誰もが言うけど。
 失業率そのものは意外と下がってないのは、JobKeeperで救われているのが数百万人いるので、これがカウントされないから。あと、失業率の母数は求職者ですから、職探しを諦めてしまった人、つまりもっと深刻な状況の人はカウントされない。あと、職もあればいいってもんじゃなくて、年収8万稼いでいた人が、年収1万くらいのセコいカジュアルで息をつないでいたとしても、一応就職に「成功」したことにカウントされてしまうという点もあります。だもんで、本当の姿はもっと凄いだろうと言われていますし、このあたり統計ではわからない。

 それがわかるようになるのは、9月の末です。JobKeeperの気前の良い手当が終わる頃です。

 もう Dooms Day(終末の日)とすら言われている恐ろしい時期です。なんせ、9月末に皆への手当が切れてしまい、これまで月収30万もらってた(75円換算で22.5万)の数百万の人が無収入になります。これらが一気にどっと失業者になる。まあ、本当は今の時点でそうなってるんですけど、それを無理やり金の力で食い止めているわけですな。

 それだけではないです。家賃不払いの立ち退き禁止などで守られているテナントも(まあ、実際にはあんまり守られてないっぽいが)追い出しを食らってホームレスになるとか。Jobkeeperで家賃が払えてた人も払えなくなるから、ホームレスになるとか。

 それ以上にまずいのは、9月末に住宅ローン(モーゲージ)の返済猶予が終わることです。いきなり払えなくなる人が出てくるでしょう。そして、こっちのローンって日本に比べたら血も涙もない感じで、2−3回滞ったら速攻競売です。予想されているのは、この09月末以降、およそ10万件の不動産が競売にかけられるのではないかという予想です。もしそんなことになったら、ただでさえ落ち目である不動産の値段がどっと値崩れを起こす可能性が高いです。

 

 

 まあ、今が高すぎるので、この際10分の1くらいに下がってほしいくらいですけど、でもそんなことになったら、大多数を占めるローン組のオージー、社会の中流層の人生設計がほぼ破綻します。へたしたら全面的な社会崩壊になるかもしれないという。これが不景気のドミノ効果も怖さであり、今は、応急措置でガッチガチにとめているけど、一気に解除したら、すごいことになるぞと。

 これだけの人が失業、ホームレス、破綻した場合、全体の景気や消費もダダ下がりになるのは目に見えてます。かつかつ生き延びてきたカフェ、レストランをはじめ、他のあらゆるビジネスが、また激しいダメージを受けます。それによって、また、、とスパイラルしながら増幅していきます。

 なので9月末は「終わりの日」だと。
 それを避けるためには、何がなんでもそれまでに経済を復旧させておかないといけない。前倒し的にどんどん規制を解除していくのもその現れでしょう。また、やたらケチケチしてるのも、おそらくは業界によってはJobKeeperやSeeker手当を延長せざるをえなくなり、金が足りなくなるということを見越しての話だとも思います。

 なお、民間レベルでの危機意識や対策も広がってます。政府アテにならないし。

 ちなみに日本ではまず紹介されてないだろうし、想像もつかないかもしれないけど、オーストラリアの会社のエライさん、CEO達が、一番寒い時期に寒い夜に自分も外で寝てホームレスの辛さを体験し、共有し、同時に基金を募るという、"CEO Sleepout"というイベントがあります。Vinnes(St Vincent De Paul"というチャリティ団体がやってるものです。

 

 以下のビデオは2016年の際のプロモビデオですが、実際のホームレスの人からの手紙を、現職のCEOが読み上げるのが延々写ってるだけですけど、胸に迫るものがあって、よく出来てます。


 このあたりはオーストラリアの良い点ですね。Vinnesはもとはイギリスだけど、イギリスでもなんたら王子が寒空のなかホームレスと一緒に路上にいたりしたしね。階級社会の逆説的な良い面だけど、上流階級はチャリティをやられないと認められない。ノブリス・オブリージュの思想が建前ではなく実践レベルにも降りている。

 2つの意味で差別がないです。一つはホームレスだから、いい加減に人生過ごしてきた敗残者なんだって偏見がない。話を聞いてみれば、誰だってそうなるよ、自分でもそうなるなという必然があったりもするし、全然別の人間類型だとは思ってないのが一つ。こちらのシティとかでも、バリッとしたビジネスマンやビジネスウーマンの人が、路上のホームレスの人のところでフランクに話し込んでたりするし。もう一つの差別は、お金があるとか、富裕だから、会社のエライさんだから、冷血漢だとも思ってないことです。自分と同じ人間だと思ってるし、実際にもそう。だから、チャリティ団体が平気で会社の社長連中に一緒にホームレス体験をしましょうとか呼びかけるし、また数多くの人がそれに応えている。

 そういった民衆レベルでの成熟性は、オーストラリアの本当に良い点だと思います。だから余計に思うのよね、もっと民衆を信じなさいよって。

コロナ抑制の功罪と矛盾

 結局、なにが問題かといいますと、最初から見えてたのですが、あまりにもコロナ被害を少なく抑えてしまったのが、政府の勲章にもなってますが、逆に大きな足枷にもなってます。「成功の犠牲者」と表現されてますけど、まさに。

 政府としても、あれはちょっとやりすぎたかなとか口が裂けても言いたくないだろうし、今更言った所でどうしょうもない。だから、ここで気分一新して、「それはそれ、これはこれ」で、これからは多少感染者がでてもガタガタ言わないことにしましょ−って切り替えたらいいんですよね。初期に比べたら、大分病院に余裕もあるし(潰れそうだし)、対策も治療もかなり進んできてるでしょう。そんな最初の頃のように、何もかも分からないままやってた頃とは違うんだから。

 そうなんだけど、未だに数十人くらいの新規感染者がでたくらいので、きゃーきゃーいって、ビクトリア州なかまた逆戻りしている。人口数百万とか一千万規模からして、数十人くらい誤差の範囲だし、内容的にもっと仔細に調べれば大騒ぎするほどでもないとは思うのだけど(実際、ビクトリア州内部でもそういう専門家の意見もある。ほとんどが家族内感染だしホットスポットもわかっているから、ピンポイントに対応をすれば足りるし、全面禁止する必要はないと)。

 だけど、感染防止で政治家としてポイントを稼いでいるから、心情的には捨てきれないんでしょうね。んでも、そんなことやってると、どんどん「終末の日」が近づいてくると。もう死刑囚みたいな感覚だと思いますよ。

 と同時に、経済回復に邪魔なだけのコロナ不安を、未だに後生大事に抱えているのはなぜか?といえば、政治的には万能の言い訳ツールになりうるからだと思われます。人々が失業して困っているのもパンデミックだから仕方がない、国家があれこれ国民の生活やプライバシーにマウントしようとするのもコロナの非常事態なんだから仕方がない、どんな失政をしようが、どんなミスをしようが、「命には代えられない」というマジックワードを言えば逃れられるという。その効用があるのではないか。そのくらい邪推してしまいたくなるくらいです。

中国との無味な軋轢


 何やってんだか?と思うのは、モリソン政府がここんところ、やたら中国と喧嘩してることです。おそらくは、狡猾なトランプに尻をかかれた(アンダーグランドの俗語で、「そそのかされた」という意味)んだと思いますが、張り切って喧嘩三昧の日々です。

 前にも書きましたが、感染源中国の独立調査委員会を作ろうといって北京の逆鱗に触れている。中国怒らせたら、喧嘩慣れしてるだけに手が早いです。いきなり大麦の関税を80%に引き上げられ、オーストラリアの地方の農家が死んでます。その他、牛肉の輸出、鉄鉱石などなど報復を受けてます。

 それに懲りるかと言えば、今度はサイバーアタックシリーズで、そうとは言わないけど、あてこすりのように中国がやってるんだとか言わんばかりでです。

 しかし、今、そんなことしてどうするんだ?って気もしますね。トランプに言われてるの?確かに、英語圏の5か国で対抗の連合を組みましょうとか嬉しそうに語ってたし。だけど、最近の元補佐官のボルトンの著書に、北朝鮮や中国にトランプが選挙対策を依頼するとかズブズブの関係であるとバラされているんだから、中国はトランプ支持でしょ。トランプのように、むちゃくちゃやって同盟国の信頼を失ってる方がやりやすい。実際、トランプの真意もそこにあるという説も強いし、僕もそんな気がする。あっちこっちで無理難題をふっかけて、皆に嫌われることで、世界の警察の大負担から撤退して、もう少しこじんまりやりたいと。日本に対しても無理難題を言いまくってますが、日本は根っからの奴隷根性なんでなんでもハイハイ聞いてしまって、効果なしなんだけど。これだけ言ってもわからんかとばかりに、最近では、金払わないと米軍を引き上げるぞとまで言ってますし。世界覇権とか大風呂敷広げて国際紛争を起こしてそれで儲けているアメリカのエスタブリッシュメントに対してなんとかしたいという意向もあるでしょう。そんなトランプの掛け声に乗って、中国と喧嘩して自国経済を傷つけてるモリソン君は、何を考えているのか?スピンとか話題そらしとか、現実逃避をしたいのか?って

 実際ですね、G7トランプの呼びかけで、国内で批判されることから逃げ出したい安倍氏はうれしそうだったけど、ドイツもフランスも全部拒否ってますからね。やりませんって。お流れです。その代わり、ヨーロッパ各国は中国との関係を密にすることに全力を注いで、もうラブラブといってもいいくらい。日本人の好きな、ドイツのメルケル首相もそうです。


 しかし、何かの論説に書かれてましたけど、中国が報復関税をかけるにしても、結構慎重に選んでいると。なぜなら、すでにオーストラリアの多くの会社、多くの農場などは、中国の投資物件になっていて、中国人が実質経営者になってるようなところも多い。無闇に関税とか意地悪すると、傷つくのは中国自身になるから、自ずと限度はあろうと。でも、それで喜んでる場合ではないのですよね。というか事態はもっと深刻で、国ごと買われているようなもんなんだから。

 そんな折、あまり報道されたませんが、モリソン君が安倍首相とニコニコ握手しています(写真自体は去年のものだが)。

 何を握手してるかというと、メインには軍事同盟です。日本の自衛隊とオーストラリアの軍隊の法的地位とかなんだかんだ。あとコロナに関する特別扱いの話(こっちをメインにやってくれい)。

 まあ、いいんですけど、言うたら中国囲い込みに頑張りましょうって話でしょ。でも大体の相場として、こういう囲い込みとか連合を組むと言い出すのは、「他に手がない」「行き詰まってる」ことの裏返しでしょう。もしバーンと攻める手があるならとっととやればいいだけです。それが無い。力が弱いというのはそういう悲しいことで、でも国民相手に何かやってる感じは出さないといけないから、弱者連合みたいな囲い込みとか言い出すわけでしょ?

 しっかし、どっちもレイムダック化しかねない二人で握手しても世界的なインパクトはほぼ無いだろうけど、この二人、なんか似てる気がしますね。モリソンは、ブッシュファイアーの時にハワイで遊んでて、その写真がツイッターとかに上がって国民総スカンってくらいボロクソ言われました。また、スポーツロルトと言われている不正にも関与していたと言われてます。そこでコロナが出てきて、いきなり支持率急上昇ですから、コロナ様様ではあると思うよね。

 似てると言えば「やってる感」もそうだな。もともとシドニー東部の富裕層のおぼっちゃまだったのが、選挙区が庶民的なエリアになった途端、「平均的なオージーの代表者」という虚像をつくりあげて、地元のクロヌラ・シャークス(ラグビーチーム)のナンバーワンファンだとか言って、この人、はじめにマーケティングありき、あざとすぎ、電通みたいって評判はあるのですよね。

 Scotty from Marketingという有名なフレーズが出来ているくらいだし、ツイターのタグにもあります。ついに、Urban Dictionaryにのるようにもなったという。

 面白いでしょ?
 しかし、世界の政治家も最近はこんなのが多いんですかね〜。

 似てると言えば、日本では、今こそ緊急事態って感じなんだけど、国会は閉会して仕事しない宣言をしてます。でもって、オーストラリアの国会も休会しちゃってるんですよね。仕事しろよって気もしますね。まあ、モリソン氏は、休会中もいろいろやっているようですが(てか国会と内閣は違うからね。国会が休会でも内閣が休みになるわけではないし)。


 今のところ、こういう感じですね。条件やら情報やらはもう出ていて、あとは政治家の肚括り一つって気がしますけど、それが一番難しいのかもしれませんね。よく「科学者(専門家)の助言に従って」とか言う政治家いるけど、一見まともそうで、実は責任転嫁でしょ。大体専門家でも意見が別れてるんだから、どれを選ぶかという時点でもう自分の判断なんだけど、それを専門家がそう言ったからといて逃げようとしてるなって思いますね。


 冒頭に戻りますが、国としては万全のサポートをするつもりであるが、感染防止については第一次的には個々人の判断に委ね、賢く考えて行動してねって振っちゃえばいいと思います。少なくともオーストラリアでは、です。

 この点、日本ではまた違って、皆同じ考えでないと気がすまない、意見や感性の多様性というのがまるで理解できない、「頭の中が北朝鮮」的な気持ち悪い人が結構な比率でいますからね。自粛しないと怒るし、暴れるし。ああ、でも、考えてみたら、そういう政府が出てきても面白いですよね。めちゃクールな。裏方のサポート体制は万全にしつつ、リアルタイムの情報はこれでもかという位出しまくって、それに対する意見や評価もバラエティ豊かに紹介し、医療機関の利用方法なんかもきちんと説明すると。やるだけやっておいて、ではどうしたらいいのか?ということについては一言も言わない政府。「そんなもん、判断の材料は十分に提供しているんですし、皆さんも大人なんですから、ご自身で考えてください」と突き放す政府。依存心というものを徹底的に叩き壊す、指示待ち人間なんかいらないよって言い放つ政府が出てきたら、支持したいですね。



文責:田村


このエントリーをはてなブックマークに追加

★→「今週の一枚ESSAY」バックナンバー
★→APLaCのトップに戻る
★→APLACのBLOG
★→APLACのFacebook Page
★→漫画や音楽など趣味全開の別館Annexはてなブログ