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今週の1枚(03.02.17)




ESSAY 93/ We are not True Believer



写真は、先週の土曜日にRocksで行われていた市民のディジュリドゥ大会。ディジュリドゥとはアボリジニ古来の楽器。びっくりするくらい色々な音が複雑に出てカッコいいです。同時に二つの音を出すとか、息を吐きながら吸うという嘘みたいなサーキュラーブレシングとか奥が深い。
 このほのぼのとした小大会は、毎週週末に行われ、あと3回続きます。毎回4名選抜し最終の決勝戦に進出できます。しかし、皆さん上手だわ。こんなに、"Diji player"が沢山いるとは知らなかったです。観覧無料。来週あたりいかがですか?





 今日はちょっと日本人のなかに脈々と受け継がれていると思われる強烈な”客観性”について書いてみたいと思います。
 「客観性」といっても抽象的に過ぎるので、「思想免疫性」と言い換えてもいいと思います。もっと分かりにくいか(^^*)。

 日本史をよーく考えていくと、「どーして、そうなるわけ?」という事がよくあります。例えば幕末から明治維新。幕末の頃に、薩摩や長州の下級武士たちが中心になって尊皇攘夷の旗印のもと幕府を倒して明治政府を開いたことはご存知だと思います。





 ところで、いきなり余談ですが、明治維新って知ってますよね。あのー、もし知らなかったら、この機会に知ってください。他人が何を知ろうが、基本的にはその他人の自由であり、僕はその自由を尊重したいのですが、それにしてもモノには限度があります。今この日本語が理解できる程度の立場にあるならば(日本人以外でもこの日本が理解できるレベルに達しているならば)、「このくらいは知っとけ」といって押し付けても良いくらいのレベルだと思います。

 特にあなたがこれから海外に出ようとするなら、自国の歴史や文化についてキチンと説明できることは必須技術といっても良いと思います。だって、例えばアジアの人たちと対等に付き合うとして、太平洋戦争はなぜ起こったのか?なにが悪かったのか?なぜ今後同じようなことが起こらないと言えるのか?あたりはちゃんと言えないと困るんじゃないですか。日本人同士群れあってヌクヌクした環境で「そうだそうだ」と言い合ってるのではなく、周囲を取り囲まれながら、たった一人で説得出来ないと悔しい思いをしますよ。エラそうな物の言い方に聞こえるかもしれませんが、僕自身もこのあたりの知ってるか/知らないかレベルで随分助けられたり困ったりしましたし、これは海外にいる人にある程度共通することだとも思いますから。

 というわけで、明治維新です。これは外して日本の近代は語れないわけで、そして語るにしても当然英語ですから、明治維新って英語で表現すると何て言うかもこの機会に知っておいたら便利だと思います。一般にはよく ”Meiji Restoration”と訳されたりしているようです。リストレーション。レボリューション/revolution/革命 じゃないのですね。”restoration”は復帰、修復という意味です。天皇の政治の実権が戻ってくる、王政復古ということなのでしょう。ただねー、スローガン的にはそうなのですけど、実態は「革命」に近いと思います。四民平等で庶民に大きな政治参加の機会が与えられたわけですからね。でも、革命というと、普通それまでの権力者はマリー・アントワネットのように殺されたりするわけで、でも形の上での最高権力者である天皇は処刑されるどころかパワーアップしてるわけですよね。徳川幕府だけが潰れたわけで。単に権力の実権が暴力的に移るだけだったらクーデターと呼ぶべきでしょう。国をあげて二つに分かれて戦っていたなら(戊辰戦争で戦ってますけど)、civil war(内戦)と呼ぶべきでしょうけど。だから、すごい珍しい変革形態だと思います。「リストレーションの形式をとりながら、レボリューションのような徹底性を伴うリストラクチャリング」みたいな感じでしょうか?

 まあ、このあたりの英訳はどうでもいいっちゃどうでもいいのかもしれません。ただ、日本人同士だったら「維新」というお馴染みの熟語一発(語源は中国の「詩経」らしい)でわかった気になれるのですが、これって単に「その単語を見慣れている」だけで、「本当にわかっている」わけではないです。それが英訳する段になると如実に露呈してしまうのですね。「あれって結局なんだったの?」ということを、説明しなければならなくなるわけですから。





 で、そのその明治維新ですが、倒幕するまで尊皇攘夷だったわけでしょう?「皇を敬い、夷狄を打ち払え」、要するに鎖国を続けて外国を蹴散らせ!ということでしょう?それが明治維新になった途端どうして手のひらを返したように急にバンバン開国するわけ?鎖国するんじゃなかったの?しかも、単に開国するだけではなく、上から下まで一丸となって西洋化していくわけでしょう?チョンマゲは廃止するわ、洋服は着るわ。思うんですけど、ヘアスタイルやファッションというのは、かなり自我に深く食い込んでますから、これを一気に変える、しかも他人から言われて変えるのってかなり抵抗あると思いますよ。あなただって、小泉内閣の決定で、明日からチョンマゲ・着物にしなさいと言われて、やります?モヒカンにしろとか、チマチョゴリを着ろとか他人に言われてやります?それやっちゃってるわけですから、ものすごい出来事だったいうことがしのばれます。

 もちろん当時の国民全員がホイホイ断髪令に従ったというわけでもなく、強力に抵抗した人たちもいます。有名なところでは、熊本の神風連の乱が起きたりしています。でもね、このときの反乱人員はわずか170名くらいだったといいますから、ごくごくローカルな暴動に過ぎないといえます。ちなみに断髪令はお隣の韓国でもあります。「あります」というか、ときの日本政府の意向で出したのですが、1895年に出されてます。朝鮮の場合は抵抗が強く、大騒ぎになってます。まあ、これは朝鮮政府の親露派と親日派、改革路線と保守路線の対立が背景にありますから、一概に断髪令だけで物事が起きたわけではないのですが、髪を切るということへの生理的反発も強かったようです。

 ともあれ、昨日まで尊皇攘夷だった日本は、一夜明けたら尊王開国に変じるわけです。
 でも、そーゆーことって、普通の人間の精神状態として起こりうるわけ?って疑問も強烈にあるのですね。そりゃ、薩長の中枢幹部は、西欧列強の怖さを、自ら戦うことで(薩英戦争や馬関戦争)イヤというほど思い知ってたでしょうし、「攘夷なんかパワーがなきゃ出来っこないじゃん」という優れた政治的リアリズムを持っていたでしょう。尊皇攘夷なんか幕府を倒すための言い訳に過ぎないことも知り抜いていたでしょう。でも、多くの下の連中は、サッカーのフーリガンのように単純なナショナリズムで高揚していたでしょうし、そんな難しいことはわからなかったでしょう。だのに、なぜ?という疑問はあります。

 同じ事は、敗戦後の180度転換にもいえます。
 昨日まで鬼畜米英だったのに、一夜明けたらアメリカ大好きだもんね。なんなの、それ?って、あとの時代の僕らは思います。





 「なんなの、それ?」と思うのですが、しかし、一方では疑問を感じる以上に「ああ、そういうことって、あるよね」と強烈に自然に肯定してたりもするわけです。ココなんですね、今回テーマにしたいのは。

 ねえ、無理矢理な180度の方針転換なんて、よほどのことがない限り人格がぶっ壊れると思いませんか?だってそれまで「死んでもいい」ってくらいに思ってるわけですよ。現に幕末や戦争では、その主義主張のためにガンガン皆死んでるわけですよ。「命をかけた選択」といってもいいくらい思い込んでるくせに、なぜこうも易々と方針転換ができるんですか?受験と出世一筋でやってきた人がいきなり倒産・リストラを食らって人生の目的を喪失するよりもキツいですよ。「さあ、これからは趣味に生きよう」なんてカラッと方針転換できるくらいだったら、日本の中高年の自殺者の数もガタ減りしてるでしょうよ。死ぬほど一途に思い込んだ異性に思いっきり裏切られたら、しばらく立ち直れないですよ。「さあ、辛気臭い恋はやめて、あしたから軽やかに遊びましょう」なんて、普通思えないですよ。

 思うに、日本人というのは、ひとつの思想、ひとつの主義主張に頭っからハマリこんで、それに殉じるという精神的体質ではないのでしょう。これって、世界的に見るときわめて顕著な特質だと思います。世界中の人たちはもっとハマってると思いますよ。たとえば、宗教ひとつとってもそうです。イスラム教の原理主義者やユダヤ教のオーソドックスほどバリバリではないにしても、世界の人の圧倒的大多数はナチュラルに神を信じていますし、西欧人におけるクリスチャニティというのは、かなり骨の髄まで染み込んでるように思います。インドなんかでも、ヒンズー教徒派がどうしたとか、政治勢力イコール宗教勢力だったりもします。日本人の場合、世界のスタンダードからいって「神を本気で信じてる人」の割合というのは、かなり少ないと思います。無神論者の国といってもいいかもしれない。

 そういえば、ジョディ・フォスターが主演する映画「コンタクト」で、全人類を代表して異星人と最初にコンタクトする人間を選別する選考会で、ジョディフォスター演じる女性科学者が落選するシーンがありました。その理由は、彼女が神を信じていないからでした。落選理由として、「全人類の94%(だったと思うが記憶は定かではない)がチェリッシュしている神への信仰というものを持たない人間を、全人類の代表として選ぶのは適当ではない」というものでした。チェリッシュ(大切に心に抱く)という単語が印象的でしたが、そうなんですよね、世界の人々は神をチェリッシュしてるのですね。この理屈でいえば、日本人は世界人類を代表できないですよね。

 宗教ではないにせよ、宗教的な呪縛力をもって人の精神に影響を与える主義主張も、日本人の場合は少ないです。マルクス主義なんかも結局は日本を席捲できてないです。それはアメリカなどの「西側諸国の自由主義への信念」というカウンターパワーがあったからでもないです。日本人に、そんな自由主義への「信奉」というほどの強い情念はないでしょう。自由主義といっても、「自由?うん、まあ、自由なのはいいことだよねえ」くらいの牧歌的な感想に過ぎないでしょ?国を挙げて、自由主義を守るために戦うんだみたいな感情的高揚はないですよ。

 主義主張や宗教、思想というのは、人間の精神に強烈に影響を与える電波や細菌のようなものだと思います。これに感電/感染すると、もう一生をささげても悔い無しというくらい、イッちゃう。なんといっても最高の価値観であり、価値体系なのですから、それにもとづいて人格が再編成されてしまいます。

 ところが世界でも珍しいことに、日本人はこの電波・細菌に対して不導体に近い鈍感さ、免疫力があるように思います。日本人は、主義や思想を、頭のなかでは賞賛するかもしれないけど、心の中ではどっかしらそんなに大したものだとは思ってないのでしょう。

 だから尊皇攘夷なんて、一夜明けたら履き古したスニーカーのように簡単に捨てられる。鬼畜米英なんていう思想も、チョコレート一枚の現実に易々と打ち砕かれる。カラオケのように、その曲が鳴ってるときはガンガンに盛り上がるのだけど、曲が終わって次の曲になったらまたそれで盛り上がれるという、つまりはその程度のものでしかないのだと思います。





 このように日本人は、思想というモノに染まりにくい精神的体質をもっているように思います。これが、お隣の韓国になると話は違ってきて、結構染まりやすいみたいですね。常に大陸側の強国の侵略に晒されるという半島国家の宿命、海というクッションを隔てている列島国家の宿命の差といえばそれまでなのですが、彼らの思想に対する親和性は日本人よりも強いと思います。

 中国の歴史は、漢民族と、強力な北方(満州)民族との、取ったり取られたりの白黒オセロゲームみたいなものだと言われます。実際、宋(漢民族)→金(満州)・元(モンゴル)→明(漢)→清(満)ですからね。そのハザマに立たされた韓国は、常に強国に翻弄されつづけるのでしょう。近代になれば、これにロシアとか日本が加わり、戦後はアメリカとソ連の綱引きで国が分断され、、という。国を作るなら、強国と地続きで隣になんかに作らない方がいいですよね。バルト三国やポーランドなどを見ても可哀想ですもんね。その点日本なんか海を隔ててるから気楽なもんです。中国でさえあっさり攻め滅ぼし、ヨーロッパすら蹂躙しまくっていた超強大なモンゴル帝国も、玄界灘を渡るのにしくじって以後やってきませんからね。あれが地続きだったらあっさり攻め滅ぼされていた可能性が高く、そうなったら鎌倉時代で日本史は大きく変わり、日本語も今の形ではなくなっていたでしょう。それどころか日本という単位で国があったかどうかすら怪しいです。ほんと、海さまさまです。

 そして、こういう苛烈な状況にある社会というのは、それだけに強烈な癒しというか、心の支えを求めるのかもしれません。それが宗教であったり、思想であったりするのかもしれないです。韓国の場合は、中国直系の儒教王国という強烈なプライドがあります。本家中国が満州民族に蹂躙され、文化を変えていくのを軽蔑するくらい、儒教正統派という自負が強いし、むしろその自負にすがって成り立っている部分があるようにも思います。それだけに「思想によって立つ」趣きが強く、親和性が育まれたのかもしれません。

 「尊皇攘夷」という言葉は、もともとは満州の金に黄河から蹴散らされて揚子江あたりに追いやられた南宋の人々がブチブチ呟いてた言葉らしいのですが、韓国にもあったようです。思想に対する親和性が強いということは、逆にいえば頭が固いというか、純粋すぎて現実的融通がきかないというか、それが足枷になっちゃった部分はあるように思います。日本民族は、思想なんかCMのキャッチコピー程度に思ってるところがありますから、尊皇攘夷といっても一夜明けて西欧文明をみたら「うわ、カッチョいいじゃん」ですぐになびいたりします。柔軟といえば柔軟。現実的といえば現実的。軽薄といえば軽薄です。韓国民族からみたら日本民族の明治維新の軽薄さと節操の無さは唾棄すべきものに映ったでしょう。ただ、その頑固さが、開国と技術革新を致命的に遅らせてしまったのでしょう。

 韓国の儒教文化は今なお根強いですし、長幼の例にせよ、儀礼のシキタリにせよ、日本以上に日本だったりします。同姓同郷不婚だしね。また、彼らの思想的親和性の強さは、韓国のクリスチャンの数の多さにもあわられていると思います。





 なんでこう日本人は思想に対して不導体でいられるのでしょうか。なんで世界人類がチェリッシュしてるものを同じくチェリッシュできないのでしょうか?この理由はよくわかりません。海一枚隔てて外圧も少なく、また気候も温暖で植物層にも恵まれていたこともあり、比較的平和に過ごしてこられたから、そこまで必死になにかを思い詰めなくてもすんだのかもしれません。ナチュラルに自然を崇拝していれば足りる程度で。日本古来の神道も、あれってモトモトは「来年もお米がたくさんとれますように」という、稲作収穫祈祷イベントであり、天皇家はそのイベントの幹事だったということでしょ?新嘗祭(今は勤労感謝の日に変わってるけど)だって、秋の収穫感謝の儀式なわけだし。それ以上に突っ込んだ教義や神学があるわけでもないです。

 はたまた、1400年前の日本史上屈指の天才、聖徳太子という人が日本人の思考の鋳型を作ったとも言われてます。これは僕もかなり本当だと思いますし、これは以前に書いたと思うのですが、好きだからもう一度書きます(^^*)。聖徳太子という人の凄まじさは、当時ズバ抜けた仏教理解者でありながら、自分自身の勢力の根源である神道と仏教を無理やり、しかし自然に、融合させてしまったことにあると思います。普通に考えたら、当時のオールドウェイブである神道系(皇家)は、ニューウェイブである仏教に駆逐されてしまってそれで終わりだったでしょうに。

 現に、それ以前は、物部氏の神道系排仏派と蘇我氏の崇仏派がいがみ合って内戦にまで発展してます。日本史上非常に珍しい宗教戦争だったとも言えるわけですし、その政争の渦中で崇峻天皇なんか白昼堂々と暗殺されたりしてます。今でいえば国会本会議場で天皇が堂々と殺されるようなものです。日本史上天皇が殺されるというのも珍しいですが、事態はそれほどまでにヤバイ状況までいってたわけです。そんななか若干20歳の聖徳太子が推古天皇の懐刀として実権を握っていくわけです。そして、「神の眷属たる天皇家こそが、同じく神たる仏のことを一番よくわかっている。わかっているから言うのだが、篤く仏を敬え」というレトリックを打ち出します。実際聖徳太子の仏教知識はズバ抜けたものでしたから誰も反論できなかったのでしょうが、旧勢力の旗頭が、専売特許の「神ブランド」を振り回して、いきなり新勢力の旗頭にもなっちゃうという。

 聖徳太子はこのあと、有名な冠位十二階を定めて行政改革したり、憲法十七条を打ち出して成文法文化を作ったり、あまりにも有名な「日出る処の天子」という名文で朝鮮(百済)をすっ飛ばして本家中国(隋)とダイレクトルートを作り、遣隋使を送ったり、四天王寺を作ったり法隆寺をつくったり大陸文化を積極的に導入したり、いろいろオリジナルな改革をしつづけていくわけです。でも、この一番最初の「神道と仏教の融合」という奇想天外な発想を成功させただけで、もう政治の天才だといっていいと僕は思います。世界史的にもこんなことやってのけた政治家はいないと思います。

 加えて言えば、聖徳太子前は前述のように戦乱や暗殺が相次いでいます。でもって聖徳太子没後は政争に巻き込まれて太子の遺族が皆殺しにされるとか、その後に大化の改新が起きて蘇我氏が殺されるなどまた戦乱が続きます。しかし、聖徳太子が実権を握っていた二十数年間は不思議と何も起きてないのですね。もしかしたら本当は色々あって史書から抹殺されているのかもしれない。でも、思うにそんなに乱れていたら四天王寺とかあれだけの国家事業は成立しなかったろうし、各行政改革もやれなかったろうから、やっぱり平穏だったんじゃないかと。なんというのか、魔法のような統治能力だと思います。






 ところで、この「神道と仏教を融合」というあたりから、日本人の精神的体質が変わってきたのではないかと思うのですね。「どっちもエラい、それでいいじゃないか」と、あんまり思想的に突き詰めなくなったというか、突き詰めてもしょうがないんじゃないか、思想に全身を浸すよりももっとやることがあるんじゃないかという発想になっていったように思います。当時の仏教というのは、僕が素人考えで推測するには、大陸文化の粋のようなもので、それは一面では体系性のある高度な哲学であり、他面では超ハイテク技術だったと。 哲学が理性なら、技術も理性です。聖徳太子は、多分この人の生来的体質だったと思うのだけど、「神様、仏様」でひたすら拝んでそれで終わりになるような人ではなく、つまり宗教や思想に全身を浸して染め上げる人ではなく、徹底的に理性的に、プラグマティックに、使える部分を取り出し、使える形にして、使った、んだと思います。

 そして、そのことを、皆に巨大建築物や華やかなカルチャーをつかってビジュアルに示して納得させ、高度な哲学的理論性で理論武装していったのではないかと。実際、冠位十二階とかいいますけど、あの時代というのは非常にカラフルです。目も鮮やかな十二色の衣装が宮中を闊歩することで、かなりのビジュアルインパクトがあったと思います。雅楽の衣装なんかバリ島の民族衣装なみにドハデですし、あんな数メートルもあるドラが置いてあることから推測されるように本来はドンシャンした陽気でやかましい音楽だったのではないでしょうか。

 つまり、この人は、人々が過度に思想に染まって、思想の中に埋没してしまうのを防ぎ、そのかわり文化文明というものを徹底的に搾り出し、使えるものは徹底的に使うことを人々に示したのだと思います。この凄まじいまでの合理主義とプラグマティズムが、このときから日本人の遺伝子に深々と刻み込まれたのではないか。太子後の仏教は、天武、持統、聖武天皇などの代にどんどん国教化し、「鎮護国家」のカナメになっていくのですが、鎮護国家のコンセプトはオカルティックな超常現象崇拝ではなく、より現実的・行動的な政策として機能していくようです。それは、国分寺創建の詔が、「国泰かに、人楽しみ、災除き、福至る」=社会の平穏と福祉の増強であることに端的にみてとれると思います。国分寺とともに悲田院や施薬院が全国展開していきますが、仏教の菩薩行がそのまま具体的な政治課題につながり、福祉施設の全国的展開になっていたのでしょう。

 宗教とか思想とかいうものは、人間の生来の善意や純粋さを結集させるという触媒・凝固剤として作用しますが、それは両刃の剣でもあります。もともと非常に観念的なものですから、ともすれば観念の世界に遊び、現実の関わりが希薄になっていく。むしろイヤな現実からの逃避の手段として宗教・思想が使われることがよくあり、それが政治的に悪用されると、権力者に都合の悪い現実を民衆の目から逸らすために使われたりします。日本史上もっとも宗教が悪用されたのは、第二次大戦の頃だったのでしょう。しかし、宗教や思想は、人々の善意を結集し、現実的な救済行動の起爆剤にもなりえます。使いようによっては毒にも薬にもなります。そのあたりの分かれ目が難しく、世界の人々が宗教や思想によって救われもしますが、殺し合いもします。聖徳太子は上代において、「宗教・思想との付き合い方」を示し、日本人が過度にハマってしまうことを防いだとも言えるのではないか、と。

 実際、以後日本人は何かに100%染まるということはないです。外来の文化を積極的に取り出し、使えるものは骨までしゃぶり尽くしながら、自分らの本質的なアイデンティティはなんの影響も受けないという。漢字をあれだけ積極的に取り入れながら、どこまでいっても日本語は日本語のままでついに中国語になりませんでした。中国の律令制を真似しようが、南蛮渡来の鉄砲を仕入れようが、明治維新であれだけ西欧文化を取り入れようが、戦後アメリカナイズされようが、なにをしようが、日本人は日本人のまんまです。本質的には全然染まってない。第一染まってるんだったら、世界から「日本人はよくわからない」なんて言われませんよね。

 だからなのでしょう、日本には宗教戦争らしい宗教戦争は起きませんでしたし、主義主張で国が二分されることもなかったです。そうそうヒステリックに教条的になることも少ないです。「和魂洋才」といいますが、「和魂」の本質は空と言うか、なにかの主義や思想に魂を染めたりはしないという部分が、日本人のもっとも核となる特質なのかもしれないなと思います。”true believer"にはなれない体質ですね。

 逆にいえば、染まらないから何やってもいいんですよね。どんな文化を取り入れようが、どんなカッコをしようが、どんなゴハンを食べようが、どんなライフスタイルを選択しようが、染まらないんだもんね。マーシーの曲に、「クールなふりをしていても、夜更けには納豆を食う。おっと自慢のTシャツに醤油がかかっちまったぜ」という歌詞があって笑えるんですが、そんな感じですよね。

 聖徳太子について最後にいうと、たった一人のやったことが、以後1000年以上にわたって一つの民族の精神的骨格を作り上げるといのはとんでもない奇跡だと思います。これが一人の人間のやれることか?という。なお、もう一つ、後の日本人を規定したことがあります。それは「摂政という制度を活用して、権力の所在と表現をバラバラにする」というその後の日本の伝統的な政治形態(今日まで続いています)だと思います。これって、本当にハタチの若造がやったのだろうか?と思うくらいですが、やったんでしょうね。いわば、僕らは1400年前のひとりの天才青年の遺産をたくさん貰っていると言えると思います。





 さて、このような世界でも珍しい精神的特質をもっている僕らは、どうしたらいいのでしょうか。今更 true believerになれといっても無理でしょうし、なりたくもないでしょうし、イヤイヤなる必要もないでしょう。

 思想や宗教に染まりにくい僕らは、それがゆえに個人の人格の核に「思想的確信」というものを欠いていますから、ともすれば「個としての情熱」というものが希薄になり、骨格のないフニャフニャした人格になり、大勢に流されながら、波間にただようクラゲみたいになってしまう可能性もあるでしょう。

 しかし、反面、思想宗教というアルコールに酔わないで、いつもシラフでいられるというアドバンテージもあります。いわば「醒めている」という特質ですね。この醒めた特徴をもとに、僕らはどう自分自身をプロデュースしていったらいいか?それが本稿の主題だったのですが、前振りをしているうちに紙幅が尽きてしまいました(^^*)。続きは、また、後日の機会に。


 PS.言うまでもないですが、日本人にも敬虔な信者の方はたくさんいらっしゃいます。今回は、その方々の存在をバッサリとシカトしてますが、民族的傾向として大づかみに言ってるだけのことで、他意はありません。ただ、そのような敬虔な方々も、日本人の遺伝子を持ち、日本社会にありながら、なおも信仰を持ちえたという意味で、「ほぼ全員信者」という他の国の環境の信者の人々とはなにかが違うと思ってます。これも言い出すとキリがないのですが、なんというのか理性的決断を経て信仰に至るという、理性の影響がやはり大きいという特徴があるように思います。このあたりのことも機会があれば。




写真・文:田村