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Essay 925:コロナ問題のメンタル過剰の違和感
〜この乗り物酔いみたいな気持ち悪さはなんだろう?
2020年03月16日
写真は、シドニーからほんのちょっと北にいった、Hawksbury River駅。地味なんだけど、すごい近いわりにはのんびり感満載で、いいすよ
今週は、先にFBで書いた
をもとに書こうと思ってたんですけど、
この日曜にオーストラリアが入国制限をかますわ、それについてのFB記事をまた2つも書いて
さらにコメント書いてとかやってたら、エッセイで書くことがなくなってしまいました(笑)。
リアルタイムでどんどん進展してることって書きにくいですよね。ちょっと前のやつだと、自分で書いてても飽きてきてしまって。
ということで、いったん出来ていたのを全部破棄して、今書きたいことだけ書きます。
問題の焦点と価値対立
あちらを立てればこちらが立たず
FBにも書いたように、コロナ”問題”の本質は、経済 vs 健康(感染防止)の2つ価値観が真っ向から対立してしている点だと思います。どちらを優先するのか、場合分けはどうなるのか、先後関係をどう考えるのか。だいたいどんな問題もこの価値対立に因数分解できますよね。仕事をとるか家庭をとるかとか。通例、「あちらを立てればこちらが立たず」の二律背反の関係になってる場合が多く、Aをやった分だけBがダメになるという悩ましい状況。
ここで思うのは、どちらかの価値観サイドに「だけ」に立ってものを言うのは、めちゃくちゃ簡単なんだだけど、ほとんど意味がないなってことです。
同じようにズルいなーと思うのは、感染防止という観点のみにたって、全然足りないとか、なっとらんとか言うんだけど、そのときに経済に対する配慮は一切しないで言うこと。片や今度は経済についていうときは早くなんとかしろとかいう。あるときはもっと東に行けといい、返す刀でもっと西にいけという。これは批判の名に値しないよ。感染対策を要望するなら「その結果として私は失業してもかまいません」と一筆書いてほしいくらいですね。
本当になすべき議論は、どちらの価値も見つめつつも、このくらいだったらAを先行させるべきだが、これ以上になったらBを優先すべきとかいうリアルなレシピーであり、見極めであり、なぜそう判断するのかという根拠だと思います。両立しないんだから、なにをやっても無傷では済まないし、みすみす損害を増大させるとわかっていながらもやらねばならないこともある、その必然性、その程度をどう見積もるか、なぜそう考えるのかです。それこそが議論されなければならないんだけど、なんか、そういう議論があんまりないような気がします。
「専門家」の言うことは半分無視して丁度いいくらい
これに関連して、いわゆる「専門家」の扱いがあります。感染学や疫学に詳しい方の意見は貴重であり、傾聴すべきだけど、でもそれだけで済むほど簡単な話ではない。傾聴もし、理解もするけど、平然とそれをシカトすることが求められる場合もある。
また専門家ならでは落とし穴もまたあります。
例えば未知の部分を過大評価する点です。専門家はすべてが完全にわかっている状態を理想にするから、わかっていない部分については慎重に接します。ミニマムからマックスまで、ここからここまでの範囲で想定されるとしますが、その範囲が広すぎて、未知部分が出てきたら、結局どうすればいいの?という解が出し得なくなる。だから最悪を想定してものをいうことになる。それは当然ですし、彼が専門家の職責に忠実であればあるほどそうなるでしょう。
例えば、新型コロナウィルスの性質として、二回目にも感染する人がいるとか、生体から離れても単体で数週間生き延びる場合もあるとか、いろいろ聞こえてきます。でもね、正確にここからここまでを確認する専門家はそれをやるのが仕事ですけど、現実のレベルでは、あくまで「最大多数の最大幸福」原理をもとに、中間値でやっていかないとならない。万の一つの例外があっても、それが本当に「万に一つ」程度の確率だったら考えるまでもなく平然と切り捨てるべき。1万に対する9999を助けるためにね。さもないと、なんにもできなくなりますからね。
その意味で、イギリスの方針=14日ではなく「7日間」の自宅療養というのは評価したいですね。潜伏期間が最大○日とかいいますが、そりゃ学問的には最長記録があったらそれをしっかり記録すべきですよ。だけど、マジョリティの判別に必要なのはどのくらいか?といえば、そこまで厳密である必要もない。また、14日の欠場というのはビジネス的にも精神的にも辛いけど、7日間くらいだったらまだなんとかなるという現実的な妥当性も大きいです。もちろん7日とすることで、漏れてしまう部分はかなりあるだろうけど、しかし大局的に経済生活とのバランスを考えれば、落とし所としてそのあたりが現実的な線ではないかと。
また最近よく、覚えたての英単語を使いたがる中学生みたいに「エビデンス」かいうけどさ、この種の政治決断にエビデンスを求めるのはナンセンスでしょう。全体をみながら、「うーん、このへんかな」という、どら焼きを半分こにする感じでやらんとならん。空気も読まなきゃならんし、演説ひとつで皆の感情をまとめあげていかなきゃならんし、かなり職人芸みたいなものですよ。大岡越前守の「三方一両損」でも、いわゆる「粋な計らい」でも、エビデンスとか言われたら特に何も無いんですよね。
それに感染学の専門家ではあっても経済の専門家ではないわけで、感染オンリーでいいなら感染学の強い順に総理大臣や大統領をやればいい。経済も健康もトントンにみるならば、感染学の専門家の助言の半分は平然とシカトするくらいで丁度いいわけでしょ。同じように経済も半分くらい犠牲にするんだから。国家が補助すればいいっていうのもその場限りの方策に過ぎず、その補助した分はやがて増税だの負担増などで国民に勘定書が廻ってくるわけですから。
このように価値対立の二律背反状況においては、百点をとるのは絶対に不可能なんだから、これが足りないとか、ここで失点とかマイナスをあげつらってもあまり意味がない。2つの価値体系からマックスいくら引き出せるかでしょう、問題は。
メンタルの突出傾向への違和感〜本当にパンデミックなのか?
この問題を考えていると、ふと「やたらメンタルの要素が突出している」という奇妙な符合に気づきました。パンデミック認定にせよ、経済にせよ。感情的な要素が、1の問題を1000倍くらいに拡大している。まず感染部分について書きます。
僕はまだコロナが「パンデミック」的にすごいことが起きてるようには思えないんですけどね。WHOが腰が重かったのもなんとなく分かるんだけど。
なぜかというと、過去の病気の大流行を見ていくと(どんな資料にも載ってます)、
1918年スペイン風邪(4-5000万人死亡/全人口18億人)
1957年アジア風邪(200万)
1968年香港風邪(100万)
1981年HIV(エイズ)(過去20年で累積2500万)
1997年鳥インフルエンザ(249人)
2002年SARS(774人)
2009年A/H1N1インフルエンザ(1万8500人)
このスペイン風邪からエイズくらいまで、100万〜千万人クラスのものだったらパンデミックといってもいいけど、それ以降の数百人から数万人クラスだったら、過去の基準だったら記録もされてないかもしれない。普通の季節性インフルエンザだって毎年数十万人死んでるんだから、パンデミックならばむしろそちらこそでしょう。なんで世界で毎年数十万人死んでいる普通のインフルはパンデミックって呼ばないのか(呼んでるの?)。
素朴にいって不思議なんですよね。なんでこんな人数的に少ないものが大騒ぎされるのか。単に「目新しい」というだけではないのか。だってあまりにも数が違いすぎるではないか。百万人と百人って漢字で書いたらイメージ的に似たようなもんかもしれないけど、実際には、1000000人と100人ですよ。お話にもならないくらいの実数差です。だから新規性以外に着目点はない。
ただ新規であるがゆえに、どうなるのかわからないという「未知の恐怖」はありますよ。それで大きく注目されるんだろうけど、未知=恐怖になる点がおかしい。未知というのは確率・価値的に中立で、全然大したことない場合も、すごい大変な場合も含むのであって、どちらか一方に決めつけられない。それをなんだかしらないけど、もっともらしく「最悪の場合には〜」って、最悪最悪、なんでも最悪の場合ばっかり想定するのって、精神病んでんじゃないの?って思うのですよね。それって飛行機に乗る時に、墜落することばっか考えているのと同じでしょう。すごいビビりすぎっていうか、不安神経症というか、世界的にそう。それ自体がコロナ以上の「病気」じゃないのか。
スペインかぜのときなんか、第一次世界大戦の最中だったから(それで戦争が終わったとも言われるが)、5000万人も死んでるのに、そんなに話題になってない。今となっては知らない人の方が多いでしょう。あの頃は、人が死ぬのはそんなに珍しいことではなかったのかもしれないし(戦争やってるしね)、そのへんの感覚が違うのかもしれないけど、それにしてもね、って気もします。50年前の人から今の人類をみたら、「なんてひ弱な」って慨嘆するかもしれない。
今回だって、死者数はまだ1万人にも達していない(いま時点で5764人)。これから破滅的に増えるかもっていうけど、だからそれが精神的にチューニングがずれてるんだって。これから増えるにしても、1万倍に増えて5000万人くらいだからやっとスペイン風邪と同じ。てか人口比で18億が70億になってるんだから、3.9倍で1.9億人くらい死んでトントンか。まあ、死ねば偉いってもんではないけど(笑)、仮にゆくゆくは1万倍に達するなら、今の時点でとっくに爆発的な数字になっているでしょう。中国なんかもう滅亡しているかもしれない。実際にも無症状感染その他で増えてはいるんでしょうよ。だけど、それで先行したアジア諸国が手のつけられないくらい悲惨なことになっているか〜毎日数十万単位で感染者が発見され、数万単位で死者が出る〜というとそうでもないでしょう。
でも、そのあたりを指摘する人少ないですね。言うと、なんかボロカス非難されそうな。それって子供が体育で(いじめとかではなく)骨折したら、この世の終わりみたいに騒ぎ立てるモンペアみたいな感じに似てます。そんなこと言って、死んだらどうするんですか?って言われるだろうけど、心配せんでも僕らは全員死にますって。この不確実な世の中、「絶対」などとは口が裂けても言えない世の中でたった一つ「絶対」といえるのは、僕もあなたも「そう遠くない」将来に死ぬってことです。「そう遠くない」って曖昧だけど、マックス百年でしょう。あっという間やん?何をどうしても最後には死ぬに決まってるんだから、死ぬこと自体は問題ではないのだ、その日までにいかに生きるかこそが問題じゃないんですか。ビビってるヒマとエネルギーがあったら人生もっと楽しめよ。
それにね、本能的に僕自身、全然恐怖を感じなんですけど。あなたもそうではないかい?日本人だったら誰でも知ってるとは思うけど、真剣に大きな地震がグラっと来た時の感じ。あ、やば、これはデカいぞ、もしかしてって、あのときは真剣に恐怖を感じるでしょう。本能的な恐怖心というのはアレだと思う。その感覚に比べて、今回は頭でわかって頭でビビるみたいな感じで、恐怖心の出てくる場所が違う。本能的ではない。生物の本能の声が聞こえないんだよ。君は聞こえるか。僕は、それ(本能的なもの)にしか従いたくないし、それをこそ鍛えたいと思ってるし、もし本能が馬鹿になってて危機を見逃したら、そういうドン臭いのはこの地球に生きていてはいけないというのがこの星のルールだと思ってます。虫もケモノもみんな守ってるルール。でもビビってばっかだったら、餌が取れずに餓死するのもルール。
このあたりのメンタル面がどうにも腑に落ちないんですよ。何を騒いでるんだ?って。もしかしたら、いつかは自分が死ぬってクソ当たり前のことを、常日頃からちゃんと理解してないんじゃないのかな。
金融経済とメンタル要素
幻想バブル
他方、経済的影響ですけど、一般に、インバウンド系の観光業がダメ、イベントがダメ、人が集まる系の飲食店や小売店がダメ、、、ってことですけど、それに尽きるものではないです。もっと大きな問題があります。なんといっても時期が悪いですよね。いつならいいってこともないけど(笑)。
今はリーマンショック以来の世界バブルがパンパンに膨らみまくっています。「バブル」というのは諸定義あるでしょうが、ここでは「リアルな実体に比して異様に価値がふくらんでる状態」くらいの感じで言います。
大体ですね、日本の経済のリアルな感触はみなさんもご存知でしょうが、あんなに株価が上がっていくようなものではないです。アメリカもしかり。不動産についても、オーストラリアなんか顕著過ぎますが、築30年以上の3LDのマンションが8千万とか1億とか気が狂ってますよね。日本の首都圏新築マンションの平均が5700万とかいうのもリアリティないでしょう?ほとんどバブルの頃に近いレベルです。じゃあバブルの頃のように皆景気がいいのか、あの頃のように新幹線はグリーン車から先に予約が埋まっていったとか、お金がありすぎて使いみちに困ってますとか、そういう話かというと全然でしょう?なぜそうかといえば、外国人の投資マネーが入ってきているなど世界レベルの影響を受けてるからでしょう。
だから早い話が「嘘」なんでしょ。嘘というのが言い過ぎなら「幻想」、それも言い過ぎなら「投資過熱」です。あがると思うから皆買うし、皆買うから実際上がって儲かるし、実際儲かるんだからまた買うし、買うから上がるしを延々何年も繰り返しているうちに、ありえない高所まで登ってしまい、いまさら戻れなくなってしまったという。高い木に登って、降りれなくなって、ニャーニャー鳴いてる猫みたいなもん。
ただそれが世界経済の原動力にもなっていた、あるいはそのくらいしか本当の原動力はないという先進国経済の本質的な貧しさはあるのですよ。皆の年金資金のGPIFを株に突っ込んで株価を維持したり、日銀が株や国債買いまくって支えたり、いずれにせよ「嘘」です。幼児の背丈を測るときに、親がうしろから抱っこして高く掲げて背丈を測って、わー、この子は3歳なんだけど170センチもある〜みたいなおバカな世界なんでしょ。日本の国債残高1000兆、国民ひとりあたり1000万円という非現実的な数字もそうです。なんかおかしいんだけど、数値的に現実的にそれで廻ってるからまあいいか的な感じ。
これを前提に世界が廻っているので、これがコケたらどうしよう?です。それが嘘なのは皆知ってるわけですよ。嘘を承知でこのゲームをやってるわけですけど、椅子取りゲームのように、いつ音楽が止まって、わーっと椅子の争奪戦を始めるか(速攻で売って逃げられるか)です。もうハラハラ・ドキドキのチキンレースをずっとやっている。
この問題の恐さは、メンタルによって作り上げた幻想資産であるがゆえに、メンタルによって雲散霧消する点です。だからダウでもなんでも乱高下する。「まだいけるよね」「大丈夫だよね」とお互い確認してられる間は上がるけど、「やっぱヤバいかも」「もうダメだ」になるとどーんと下がる。市場関係者は基本上げたいと思ってるけど(上がるからこそ食えるわけだし)、こんなの長くは続かないだろ、なんせ嘘だもんねってのは底にあるから、マジにきたら、パニックになりやすい。
しつこく書いてるのは、今回のコロナが非常にメンタル的な特徴を持ってるような気がするからです。メンタルによって実像の千倍くらい増幅している。経済もしかり。なんかメンタルつながりで呼応するんですよね。
カタストロフィ点描
とりあえず、カタストロフィックな世界経済の崩壊が起きたら、僕もあなたも皆揃って無一文になるかもしれない。なんせ、膨大な資産が溶けて消えるわけですから、その上に王宮のように築かれて大企業や国家などが砂上楼閣のように崩壊しかねない。天文学的な不良債権を抱えていろいろ金融機関がリーマンのようにぶっ飛ぶ、そこに積まれていた預貯金も消える、債権や証券は紙切れ同然になるものも出てくる。今の洗練された経済は信用経済、つまり「お約束=必ず返してくれるよねという信頼)」によって成立しているのだから、それがコケて、信用収縮(クレジットクランチ)が起きたら、根本的にコケるしかない。企業も売上不振とかいうレベルではなく、膨大な資金のやりくりをしているのだが、それがたちまち滞り次の支払日にデフォルトになり債務超過→破産になる。内部留保が400兆といっても、奥の土蔵の千両箱に現金で積んであるわけではなく、なんらかの金融資産にしているはずで、それが溶ける。前回のリーマンのように国家総動員で税金突っ込んだり金利下げたりしようにも、これまでさんざんやり尽くしてもう伸びしろがない。てか国の資産も溶ける。インバウンドの売上が減るとかいう実体経済レベルの不況は、いわば手足末端から凍傷になって切断されていくようなもの、あるいは身体のあちこちを切られて出血多量になっていくようなものだが、金融崩壊は中核の背骨をいきなり抜かれるようなものだから、ほぼ即死に近い感じになるでしょう。だからこっちの方がずっと恐い。
これらはメンタルによって生じるから、実害がどうとかいう冷静な思考から飛躍して、「怖がったら死ぬ」というすごいゲームです。だから欧米で多少感染者が増えたという「だけ」(人口数億にわずか数千人という取るに足らない数でありながら)、ダウも東証も、世界の相場がパニック的に下げた。
この問題は、感染対策を必死にやって、なんでも自粛、往来遮断ばっかやってて、実体経済を壊していくという実質部分よりも、「このままいったらどうなっちゃうんだ」という先行予測で動くから、実際の損失よりも、それこそレバリッジがきいてすごいことになる。
しかし完全にそこまで崩壊したら、それはもう経済ではないというか、誰も彼も収入の道は閉ざされ、資産は消えてなくなり、皆が無一文になる。朝出社したら張り紙があって債権者が押しかけて怒号が満ち、社員だとわかったら囲まれて胸ぐらつかまれる。やばいと思って再就職を探すけど、こんな状態で新たに人を雇うところなどあるはずがない。預貯金を引き出そうとしても、預金封鎖かなんかで、「使用不能」とか「しばらくお待ち下さい」の表示が出るだけ。ほとんど被災者状態で、今家にある食べ物が尽きたら餓死するしかないのかと急に不安になってスーパーに走っておくと、同じ懸念をもった人々でごった返していてもう暴動みたいになっている。それでも若くて動ける連中は良いが、年金生活者などは来月から入ってこなくなるし、暴動の中に踊り入って周囲を蹴り倒してでもぶんどってくることは出来ないから、静かに衰弱するしかない。まあいくら健康でも店が空っぽだったら意味ないけど。こんな状況で不動産やら宝石やら金やらの現物資産を持ってても、交換するすべもないし、買うやつもいない。
その後どうやって社会秩序が復興していくかは、状況によりけりだが、地震や台風のように一部の被災地域を大多数のエリアが支援するのではなく、せーので全員倒れているので、何がどうなるかは予想の範囲外です。
ま、そこまで行くかどうかは成り行きだけど、バブルというのは異様なまでに楽観的なメンタルによって成り立ってます。実体がないから、一瞬にして暗転したら奈落の底でもある。
メンタル過剰の乗り物酔い
なんか危なかっかしいんですよね。感染云々もメンタルで恐怖心が増幅してるような気もするし、また経済においてもメンタルで上がったり下がったり激しすぎ。どっちにしたって地に足がついてない感じがする。それも強烈にそんな感じがします。だから、僕も、おそらくあなたもかもしれないけど、感染も経済もメディアが騒いではいるのだけど、どっかしら絵空事的で、どっかしら嘘くさくて、なんか乗り物酔いをしてるような気持ち悪さがあるのですね。それもこれもメンタルが過剰に大きな役割を果たしているからだと思う。
ついでにいえば、メディアや政府がいうほど、世間の普通の人(僕やあなた)は、そこまで真剣にビビっているのか?という点でも違和感があります。オーストラリアのシティ周辺を歩いてても、全然いつもと違った感じはしないし、ほとんど誰もマスクしてないし。「世間がパニクってる」ってメディアは言うけど、本当に世間(僕ら)はパニクってるんだろうか?って思うよ。それでブログのネタが出来る人はそれを煽るだろうし、メディアもまたその一つで、それが仕事だからやってるみたいな嘘くささをそこにもかじるのですよね。
そりゃ、「意外とみんな気にしてないよ」とかいったら記事になりませんからね。どっかの町内に通り魔殺人が起きたら、「付近住民を恐怖のどん底に陥れました」ってよく言うけど、恐怖なんか実はシリアスにそんなに感じてないでしょ?あれはお約束でしょ?それが証拠に、レポーターが深刻に喋ってる背景で、近所のガキがピースサインをしてたりするわけだし。なんかね、そこらへんの「クソお約束」がうざいし、そんなもんにいちいち挨拶しなければいけない各国政府にも苛立つやら、同情するやらです。
これで本当に金融大崩壊が起きたら、愚かさにもほどがあるって気がします。
人類史の新たな一歩
ちょっと話がそれますけど、そこまで徹底的に崩壊したら、これはこれでスッキリしますね。「お金ってなに?」を問い直すことで人類の進歩が加速されるでしょう。巨視的にはイイコトだと思いますよ、過渡期の混乱は悲惨だけど。世界からお金(資産)が消えてこの世の終わりのようだけど、そのときになってみれば分かるよ(分かる人には)。だって、何一つ失ってないんだもん。お金という約束事の一つが消えただけの話で、客観実質は100%もとのまんまです。愛する恋人も家族も友達も死んだわけではない、美しい自然をたたえた国土のどこかが海に沈没したわけでもない、道路ガスなどインフラ設備はまるまる無傷で残ってる、それを動かす知識技術を持ってる人も残ってる、てか、すべての人的資産はそのままだし、物的資産のそのまま。人類の宝石のような古今の名画名曲名作はそのままだし、昨日までの世界を成り立たせて動かしてきたすべてのスタッフ、すべての設備は、そのままそっくり残存している。美しい歌をうたう人も、感動のプレイをしてくれるプレーヤーもそのまま残存している。なんにも失っていない。違うのは、経済活動が衰退したので空がきれいになって、東京でも天の川が見えるようになったくらいでしょ。
ワーホリでラウンドいってドボン(無一文)状態になった人なら分かると思うが、別に、金要らないじゃんって。欲しいものはすべて手に入る。あくせくする必要なんかなんもないし、趣味であくせくすると、労働の後のビールが美味いからやるけどさって感じね。
これは私見であり、同様のことを言ったり思ったりする仲間は世界に数億人いると思うけど、ほんとは人類は70-80年代に進化すべきだったのよ。もう物質的成長とかからワンノッチ上のレベルにいくべき。何かで読んだが、かつては100人のうち88人が農業などで食糧をつくり、あとの10人ちょっとが武士や商人や町人になった。今は、100人のうち2人が食糧を作れば良い。それだけ生産性が高まった。とりあえず食うだけだったら、1ヶ月に1−2回持ち回りで仕事すればそれでよく、ほとんどみな遊んで暮らせる(贅沢はできないが)くらいの技術文明力はもうある。なのに昔のパターンで全員あくせくやって、やることないから無駄に無駄を重ねるような商品ばっか作って、それで無駄に競争して、無駄に疲弊してってバカバカしいことはもうやめたらいい。やめられないとは思うけどね。世界金融崩壊がそのキッカケになるなら、それにまさることはないです。巨視的に見ればイイことだと思うというのはそういう意味です。
でも、まあ、こんな程度でパニックってる(を演出してる)ようでは、道は遠いなって気はします。
一方、コロナのメリットもありまして、それも結構沢山あって、トータルしたら黒字じゃないかって気もします。これは長くなったので別に機会に書きます。一つだけ書いておくと、先行オリンピックって意味です。世界共通で同じ課題に取り組んでいるわけで、なにこの人類一体感?って部分。
あと、同じ課題を各国政府に解かせてみて、この国は出来が良いな、ここはダメだなとか、こんなに一律にわかる機会は滅多にないですからね。各国政府の通信簿ができて、今はもう進んでる奴から順に「国家=サービス業者」って認識になってますから、業者(国)選びのいい資料にはなりますね。
文責:田村
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