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Essay 908:山本太郎現象と日本の第三世界化への岐路

2019年07月16日

写真は、The Rocks。オペラハウス以外古い町並みを完璧に残していて、「政治」とはなにかを考えさせられる一枚。


今回は、ちょい固めの政治の話をします
参院選が近いですが、それだけではなくもっと長期的な展望として。

第一の視点〜何もしなくても良いのか

いくつかの価値観的な選択肢があって、まず最初にくるのが、

(1)別に何もしなくても、ここまま平穏な生活が続くと思うか
(2)いや、いい加減マジになんかしないとヤバイぞと思うか

です。
これまで(1)が圧倒的に人数としては多く、それが今日の惨状(と僕は思う)を招いているのですけど、どれだけの人が危機感を持つかですね。全員がもったときには、もうどうしようもなく手遅れになる。過半数がそう思った時点でもかなりヤバい。どれだけ早いか。

先進国と第三世界の差〜放置しておくと半永久的に戻らなくなる

世界の歴史とか、海外に居て他の国のありようとか見てて分かったような気がするのは、いわゆる第三世界とか発展途上(orなかなか発展しない)国って、個々の国民が馬鹿だというんじゃなくて、もうどうしようもなく政治や社会のシステムがムチャクチャだからだと思います。あまりにも狂っているので、もうちょっとやそっとでは矯正できない。

メキシコなんかも、アメリカのすぐ隣りにあって、歴史的にいえば似たような発展過程を経ているのになんであんなに大差がついたの?といえば、いろんな理由があるんだけど、一言でいえば「貧富の格差」の是正がついに出来なかったことだと思う。メキシコだって、独立戦争ありーの、メキシコ革命ありーので、やることはやってるんだけど、権力を握ったやつが既得権化するとか、国内利権集団が壮絶な闘いをするとかで、結局社会の歪みは直らない。フィリピンもそうだし、パキスタンもそう。

翻って日本はなんで先進国になれたのか?といえば、一番伸びた時に「一億総中流」で、社長と平の給料格差が10倍以内という世界でも珍しいくらいに貧富格差が少ない社会だったことが大きいと思います。

また、意外に思ったけど、日本の場合はまだ自浄バランス作用が強かった。中国も韓国も、国内の切れる連中が明治維新みたいなことをやろうとしたんだけど、国内の内ゲバで潰されてしまった。日本でいえば、坂本龍馬の薩長連合が成立せず、喧嘩別れして内ゲバやって、結局イギリスとフランスの植民地になってしまったような歴史になってる。戦後の55年体制(自民VS社会党)も、与野党拮抗してるバランスがあるので、アメリカの100%言いなりになることから免れた部分もあると思う。アメリカさんも、日本にヘタにゴリ押ししたら反発食らって社会主義政権になってソ連側に行っちゃうから、そんなに強いこと言えず、それが結局自民党の対米交渉を助けたという。今はそれがないからもうATM状態になってるし。

貧富格差の放置というのは、社会の歪みの放置なんだけど、歪んだまま一定時間がたつともう戻らなくなるのは、皆の生活がそれを前提に築かれるからだと思う。貧困層も、富裕層が作った会社なり職場なりで生計を得るようになるから、これを壊せなくなる。コロンビアなんか麻薬マフィアが強大な力をもっており、政府や軍部にまで影響力を及ぼしていて、もう壊せなくなっている。なぜなら多くの人々の生活が麻薬マフィアの存在を前提にして成り立っていたりするからでしょう。

おかしいなー、割食ってるなーと百も承知なんだけど、だからといってこれといった対策も用意できないままズルズルと搾取されまくり、それはなんか外的な要因(他国に侵略されて国がひっくり返るとか)がないと、ほぼ半永久的に続く。どんな理不尽極まる状況だろうが、それを前提にして人々が生計を立てるようになってしまうと、それをひっくり返すのは自分の生活を破壊することにもなるので、もうできなくなる。

だから時間との戦いで、そうなってしまう前に修正することが物凄く大事であり、それをなしるうのがその国家社会にある自浄作用とバランス感覚でしょう。先進国と言われている国は、基本、これが出来ている。どの国もおかしな点は沢山あるけど、ある程度おかしくなると、人々が文句を言うわ、政権交代も起きるわで、バランスが復元する。定期的に政権交代が起きるから、その都度、結構ドラスティックな改革ができるし、また既得権のリフレッシュが行われ、歪んだ状況の固定化を防ぐし、人々の「悪慣れ」を防ぐ。

日本の場合、平成時代からこっち、ずっとその岐路にいると思います。このまま沈んでいって第三世界化して、(侵略されて日本が半分消滅するとか凄いことが起きない限り)このまま半永久的に固定化するか、それともバランスを回復して自浄作用を発揮するか、です。

その際、(1)の何もしなくてもなんとかなるよ的なメンタルで居続ける人が多いと、まあ、まず第三世界化するでしょ。ズルズル時間が立てばたつほどそうなる。

第二の視点〜国家はなんのために存在するのか

国家というのは、ただなんとなくあるのではなく、何らかの目的のために作られたシステムです。では何の目的であるのか?といえば、

(1)(権力者や既得権者の)システム安定装置
(2)格差や歪みの修正システム

この2つがあって、皆がそこそこ食えて中流だった頃は、(1)でも良かった。エライやつはズルいことして私腹を肥やすけど、自分らもまた生活できるし、まあ不満はあるけど、この安定がずっと続けばいいな的な感じですね。それにそこまで歪みも格差もなかったし。

その名残というか、慣性がまだ続いていて、徐々に醒めつつあるのが現在でしょう。

もともとシステム(国家)には、(1)変えない(安定)と、(2)変える(変化)という、真逆に矛盾する2つの機能があるのですけど、どっちをより機能させるか、です。

歴史的な流れでいえば、あからさまに(2)で、今日の先進国の国家の役割は、ひたすら格差是正にのみあるとすら僕は思う。経済とかは、別に国が関与しなくても生き物として動くし(てか国が関与すると大体ダメになるよね)、あとインフラ整備も大事だけど、水道にせよ民営化しようとかいうくらいなんだから別に国がやらなくてもシステムだけちゃんと運営されてればいい。

教育だって私立学校が沢山あって、むしろ私立のほうが質が高いとかになったら、国が教育をやる意味は何なの?になりますよね。結局教育における国の存在理由は、私立は学費が高いから、低所得者でも一定の教育を受けられるようにするべきだという格差是正的な意味になっていくでしょ?

そもそもですね、上手くいってるときは別に国が頑張らなくてもいいわけですよ。戦後の成長で、家電と自動車が抜きん出て世界制覇出来たのは、国がほったらかしにしてたからでしょう。当時の国(通産省)は重厚長大の財閥系ばっかにいってて、GMやGEに勝てるわけもない国産家電や自動車なんか、通産省から見向きもされなかったという経緯がある。ダメになってから国が出てくるんだけど、国家総力戦的なジャパンディスプレイが瀕死の状態にあるように、そもそも国は経済がヘタだと思う。商売が上手な人は最初から公務員にならないしね。国がせっせと口を出している業界ほど世界レベルで競争力がない。マスコミとか。一番口を出さない(てか弾圧気味な)サブカル、コミケなんてのがクールジャパンで世界で一番競争力があったりするもん。

で、格差是正なんだけど、貧富にせよ、地方都会格差にせよ、性差、年齢差あらゆる格差は自然に発生するので、限度を超えたら公権力で是正すると。ゴルフのハンデみたいな感じ。それをやらなくてもいいだったら、別に自然状態の弱肉強食でいいってことなんだから、その意味でも国家は存在価値がなくなる。だから、基本、先進国の国システムは、基本それをやるためだけに存在してると思います。

もっといえばですね、国が本気で是正する気がないんだったら、自然の弱肉強食のほうがまだマシだとも思います。本気で是正する気がない国は、この弱肉強食格差をむしろ固定し強化する役割を果たす。

日本の戦国時代のように、あるいは現在のアンダーグラウンド世界のように、自然な弱肉強食世界においては、それなりに「市場原理」やらバランスがあります。あんまりムチャクチャやりすぎるボスや集団があったら、内部抗争や下剋上が起きるし、下の民衆から見放されるし、組織が弱体化してライバル組織に食われるとかします。でも、強大な国がバックにつくと、「強いやつが独り占め」というムチャクチャを、法律で正当化し、警察権力で維持しようとする。第三世界がいつまでたってもパっとしないのもそれ。

だから今の日本は、第一の視点においては、このまま貧富の格差が拡大するばかりになり、多くの人々のとってはこの世の生き地獄のような理不尽な社会が固定化されてしまう。そして半永久的に第三世界化して沈没していってしまうかどうかの岐路にあると僕は思います。90年代くらいから同じようなこと言ってますけど、もうとっくに修正期限を超えてて、なんぼなんでももう限界だろうってあたりまできてると思います。

このまま理不尽な状況が継続するならバランス回復ができなくなる。経済(生計)的にできなくなるし、メンタル的にも無理だという気がしてくる。いかに搾取され、いかにブラックであろうが、それしか職がないならそれをやるしかなくなる。また是正するためには社会を根底からひっくり返さないといけなくなってくるとか、到底ムリだという気がしてくる。ある時点までは「なんとかなるだろう」と楽天的なまま何もしないでいると、ある時点を過ぎたところで「絶対ムリだ」といきなり絶望になる。「日本は凄いから大丈夫だ」という楽天洗脳と、「もう何をどうやっても無駄だ」という絶望洗脳が同時並行で絶賛二本立て上映中って感じ。

そして、悪しき状況を全体にしつつ、それを法制度的に固定化しようとする。正しく是正すること、是正するための準備行為をすること自体を封殺し、そういう一連の行動そのものを「違法」扱いにされてしまう。現状を批判するための資料データーを集めようとすれば、秘密保護法で拒否られ、行政データーは捏造と隠蔽の限りを尽くされ、マイナンバーやGAFA(Googleとか)の取り込みで個人の動きを完璧に把握され、人々が連携しようとすれば共謀罪で一網打尽で逮捕できるという、もう着々と布石は打たれてきている。

山本太郎現象

これはもうハッキリと「現象」になりつつあると思います。

山本太郎という議員については、前からよく見かけていたし、マトモなこと言うな〜って思ってたんだけど、ここ数ヶ月の一連の行動が凄いです。

特に、れいわ新選組を立ち上げて、8つの政策をぶち上げたとき、僕個人の意見に一番近い政治家がいると思ってびっくりしました。てか、僕よりも深いところまで考えてるなーって。人気取りに出来もしないマニフェストを掲げているのではなく、今の日本に本当に必要なことを絞り込んでいるし、その理論的な裏打ちもある。また広いエリアで、それなりの人から支持されている。

奨学金チャラ

今の若い人で、もし知らなかったら、この8つの政策のうちの「奨学金徳政令」だけは知っておいてもいいですよ。つまり今の奨学金の皆の負債を全部チャラにする(返さなくてもよくする)という政策です。もともと日本の奨学金制度は、オーストラリアのそれに比べても奨学金の名に値しないくらいの準サラ金的性格をもってるし、無利子と有利子のうち過去においては有利子貸付ばっかひたすら増やし(10倍)、金利3%のうえに延滞金10%という凄い話です。でも、これ全部チャラにしたところで、せいぜい1兆円かそこらあったらいいわけでしょ?累積1000兆円以上債務のある国が今更千分の1位増えたからといって何だというのだ。それで救われる若い(40過ぎてからでも)人がどれだけいるか、その分の経済的波及効果を考えたら今日にでもやるべきだと僕は思うよ。

だけどこれをメインの政策の一つにもってきている政治家や政党は少ないです。そこを論点の一つにあげただけでも評価すべきと思いますね。例えば、彼はこの問題を、今から5年以上の前の2013年11月の国会の質問主意書であげてます。マスコミは例によって全然報道しないんだけど。

まあ、他にも論点にすべき点は今の日本に山程あります。JSRACの横暴にしてもそうだし。また普通預金の金利が0.001%とか冗談状態なのに、相変わらずクレジットの利率が18とか20%なんて闇金レベルに高いってどうよ?商売でいえば仕入れ値と売値の差が2万倍とか、麻薬カルテルもびっくりのぼったくりじゃん。それを問題視する政党もマスコミもないのってどうなの?とかね。

8つの政策

れいわ新選組を立ち上げたときの8つの政策ですが、@消費税廃止 A全国一律!最低賃金1500円「政府が補償」 B奨学金徳政令 C公務員増やします D一次産業戸別所得補償 E「トンデモ法」の一括見直し・廃止 F辺野古新基地建設中止 G原発即時禁止・被曝させないの8つです。

ぱっと見て「あれ」と思うようなのもあるんだけど、内容をよく読むと、なるほどねってのが多い。例えば「公務員を増やす」というのは、ワープア対策で、最低時給が1000円になったところで全然ワープアなままという現実があり、安定的な職を広く用意すべきであり、現在も非正規公務員が3年で雇い止めとか給与や安定性に欠ける状態にいること、介護の現場にせよ、過労でぶっ倒れそうな医療現場にせよ、あるいはピンはねされまくってる福一の作業員とかそういう人らに公務員的な保証をすべきだという主張です。

僕個人は、IT化などを推し進めたら公務員など今の5分の1から10分の1でも十分だと思ってますけど、ただ、そこだけ合理化しても、それであぶれた人たちをどっかで救済しないと全体の帳尻が合わない。そこをどうするか?ですよね。民間企業に雇用吸収力を期待できるかというとそれも厳しい。人手不足とか喧伝されているのも、年間に60万人も稼働人口が減少してるからこそであり、景気いいわけでもない。では生活保護とかその種の支給といっても限度あるし、何よりも生活保護の制度が悪く、ちょっとでも働いて収入があったらいきなり全額打ち切りというクソ制度だから、一旦もらったら一生働くなと言ってるに等しいから、まずここから変えないとダメだろうし先は長い。ならば、国が仕事を積極的に作っていった方が生産的だ、今現在でも報われないまま公共的な仕事をしてる人は山程いるのだいう主張は、なるほどね、とは思いましたね。

でも個々の政策から見えてくるベーシックのビジョンがあって、そこが一番僕が賛同するところですし、よく考え抜かれているなと思うところでもあります。それは、国が総力をあげて格差の是正をすることであり、上に述べたように国家の役割はそういう経済的社会的不平等を是正することだとフォーカスしている点です。

でもって、格差是正の具体論がいろいろ出てくるわけですが、毎年の予算編成で半分は借金というクソみたいな状態で推移している今の日本で、どこに金を使うか?といえば、庶民層、低所得者層、頑張って毎日働いているのに展望が見えないって人らに向けて集中的にやろうという点です。

なぜかといえば、有効なお金の使い方としては、もうそこしか残ってないですもん。だって、富裕層をこれ以上優遇したところで、彼らの貯金残高が100億円が101億円になるくらいで、だからといって社会全体に波及するわけではない。せいぜい海外の投資物件買ったりするくらいだから、国内に循環しない。金持ちだから庶民の1000倍メシを食うってもんでもないし。かといって経団連など企業を支援しても、これは他に大西さん(後述)が論理的に指摘してるように、400兆円の内部留保が401兆円に増えるだけで給料として皆に還元する気がないんだから意味がない。既に廃れて久しい(懐かしくさえある)トリクルダウンの嘘ですよね。企業を優遇しても企業の金庫が太るだけで国民生活に波及しない。

一方、過去の箱物行政や土建行政といっても限界あるし、そもそも無駄。もっと言えば有害。箱物やインフラって、建造する費用よりも長期的には維持費のほうがかかる。これから人口減少し、国土のかなりの部分が無人化しようとかいう昨今、インフラ維持に金がかかるものを幾ら作っても、結局維持できなくなるから意味ない。それどころか今のインフラでさえ老朽化して、山奥の橋脚が崩落するなどしてその部落にいけなくなるという話も起きるでしょう(昔調べたが、今現在でも危険で使用禁止になってる橋が日本で2000以上ある)。

要するに、日本の予算の使い方というのは、まずもって親分であるアメリカにせびられて、富裕層に献上し、大企業を内部留保を太らせ、土建行政で地方の小ボスに還流し、あとは第三世界さながらに権力者周辺をとりまくハイエナみたいなのに配分されてるだけ。それ自体問題だけど、もっと経済的に問題なのは社会に波及していかないことです。だからそこを変える。

日々の生活で青息吐息になってる人々、数で言えば圧倒的大多数を占める人々に集中的に振り分ける。それが人道的にも国家の本道でもあるのだけど、利害打算でいっても最適解に近いのは、彼らに振り分けたお金が一番「生き金」になるからです。若年世代で貯蓄ゼロってのが相当数いるということは、幾ら優遇してお金をあげたところで、右から左に使うだろうと思われます。まず必ず社会に還流する。それが経済の血行を良くする。個々の商店、ビジネスにおいても、顧客が増えるし、売上も増える。今、日本の老舗の和菓子屋さんがどんどん倒産してるらしいんですけど、そんな高いお菓子を買ってる余裕が皆にないからです。伝統の技がどんどん消滅している。なんてもったいない。20世紀の頃から、良心的に経営している個人商店や、美味しいものを安く出していたレストランなどが大量に潰れている。それは皆が使うお金を持ってないから。だから、大多数の普通の人びとを厚くすれば、それが回り回って社会の循環を良くし、それが給与の上昇にもなろうし、税収というカタチで返ってくる。

山本太郎の政治的特異性

山本太郎と彼をとりまく状況を「現象」だと僕が思うのは、彼が今までの日本の政治や社会構造から全く違っているからです。政治力学の原理がそもそも違う。

彼にのみ特異なのは、ほぼ一切のシガラミがないことです。これは日本の政治力学でいえば、非常に珍しいです。

日本で政治家なり、国家に影響力を及ぼそうとするなら、まず強大なバック(支持母体)が必要です。それは多くの場合強大な利権集団といってもいい。彼ら(支持母体)の力によって当選しているから、どうしても彼らの意向に逆らえない。いわゆるタレント議員だって、公認を与える既成政党の意向には絶対に逆らえない。逆らったら次がない。

ところが悲しいことに、今の日本の支持母体や利権集団は、その殆どが時代遅れになりつつある。社会に勢いがある時代は、彼らが自分の利害を主張することが、ひいては日本社会をよくする方向にも作用したけど、今となっては何のために存在するのかすら怪しくなってきており、組織維持のための組織であり、過去のイデオロギーやら人間関係(組織内序列)に縛られて動きが鈍くなっている。

例えば労組。「連合」というのは、各業界の労組の連合体ですが、大きくは公務員関係の「総評」と、民間の「同盟」の合体です。いっときは彼らの存在が日本のバランス回復に大きく寄与したのだけど、今となっては彼ら自身が既得権化している。つまり、基本彼らは正社員の集まりであって、日本の労働者の4割かパートやカジュアル、外国人も含めれば半数くらいいくかもしれない非正規の代表ではない。だから彼らの利権保護を推し進めると、ともそれば正社員優遇に偏り、それがワープア状態を加速しかねないという状況もある。また、野党などが原発廃止って歯切れよく言えないのも、労組のなかには電力総連があり、なかには原発関連施設で働いている労組員もいるからです。自らのメンバーの失業を意味する主張はできないので、そこが歯切れ悪くなる原因でもある。

これは創価学会についても同じだと思う。かつては宗教的、というよりも戦後の皮膚的生理的な感覚で、平和を第一にしようという発想があり、池田大作というカリスマがおり、それなりにまとまって、それなりに主張もあったんだけど、今となっては自民党の腰巾着みたいになって、政権与党でありつづけるための集団、権力のための権力、存続のための存続みたいな感じになってきて、内部的にも足並みが乱れている。肝心の池田大作先生については、生きてんだか、死んでるんだかだし。

一番歯切れの良さそうな共産党でさえ、これまで長年戦ってきた同志の存在はあるし、それらの人間関係はあるだろうし、かける思いは強いと思う。本来なら、「共産」とか時代遅れな名称は即刻変えて、「日本庶民党」とかすればいいのにって思うのだけど、イデオロギーではないとかいいつつも、それへの愛着を捨てきれない。志位さんはかなり切れる人だと思うし、内部の反発をよく抑えているなと思うけど、もう過去の歴史と伝統が重すぎて動きがやっぱり鈍くなる。

平成どころか昭和末期の頃から日本の無党派層が過半数を超えているのも当然だと思います。だって、半数の国民にとって、自分らの利益を代弁してくれる組織がないんですから。

本来ならば、非正規が4割もいるなら、国会議員の4割くらいは非正規の利益を代弁していなきゃいけない。それがトンデモなドリームに思えてしまうくらい、現状が歪んでいるし、歪んでいることすら気づかないくらいに歪んでいる。だから今は非正規とか普通の国民をダイレクトに支持母体にしている議員はほとんどゼロに近い。テーマとしては誰もが言うけど、真面目にそこに主眼を据え、あまつさえそこを支持母体にしようという政治家はほとんどいない。てか出来ない。「日本非正規党」とか作ればいいのにって思うけど、現状では少ない。

山本太郎くらいだと思うのですよ。強力なバックがないままやってるのは。これまでも彼と同じくマーベリック(はぐれもの、一匹狼)で当選する人はいるけど、ここまでのパワーは持ち得なかった。なんで彼がそんなに出来るのかといえば、非常に素朴な素人の視点から入って、「これおかしいだろ」というのを愚直に思って、あとはひたすら勉強している点です。彼の国会質問とか、演説とか見てても、実によく勉強してるし、いろんな人の話を聞いて吸収している。もとタレントだから、大道芸みたいに一般聴衆の中に一人で入っていって皆に説明する技術に長けている。

また一方ではアツいんだけど、他方では非常にクールでもある。イデオロギーとか屁とも思ってないきらいもあるし、非常にプラグマティック(実利性)な部分もある。皆の生活が苦しいんだから、もっと余裕が欲しいというその一点に集中している。九条にまつわる平和とかの「神学論争」みたいな空中戦(地に足のつかない、単なる趣味と好みの観念論)にもかまけていない。党名の「れいわ新選組」だって、党カラーをショッピンにするとか、ロゴに猫の肉球がついてるとかいうのも、分かりやすかったらそれでいいって実用面オンリーの判断だし、それ以上に過度に愛着をもっってない。また戦略的にも令和になって馬鹿マスコミが大騒ぎしているのを冷水をぶっかける意味とタイミングでもあった(令和になって数日後に早くもやったし、マスコミも令和というと否応なくここが連想されるから迂闊に言えなくなって、急に令和のお馬鹿フィーバーが萎んだ)。

彼のことを素人だとディスる人もいるけど、素人がやらないといけない部分もあるのですよ、政治って。妙にプロになってしまったら、原点を忘れますので。これはどんな業界でもそうですよ。以前、エッセイで、国会議員は全員抽選で決めろと書いたことがあります。選挙やめて、抽選にする。裁判員とか検察審査会みたいに。それでも出来るはずですよ。とある領域について幅広く意見を聞き、現場を見聞していけば、素人にだって出来ることです。今の政治のプロは、政治がプロなんじゃなくて、選挙のプロなだけだと思うしね。選挙で地盤とかカバン(軍資金)をぶんどるためのノウハウが山程あって、それに精通してるだけで、本来の政策についてはそれほど詳しくないし、詳しい人が担当しているわけでもない。論功行賞と持ち回りでしょ?だってIT推進大臣がメールも出来ない、北方領土の大臣が北方4島の名前すら正確に言えないていたらくですからね。総理にいたっては小中レベルの日本語すら怪しい。

そして、いわゆる「プロ」になっていく過程で、やまほどシガラミを抱え込み、いざとなったときに自分の信じる一票を投じることができない。党議拘束はあるわ、支持母体の意向はあるわ、次の選挙の心配はあるわ。そんな政治家、本当に必要か?特にこの激しい過渡期の時代には、過去のシガラミはマイナス部分が強すぎる。

10名の候補者と政治力学の新型

今回の参議院選で、候補者を毎日一人づつ紹介するという演出でやりましたけど、人選が凄いです。てか、その人達が山本太郎に協力するというのが凄い。

特に比例区の順位で、山本太郎本人を差し置いても1位と2位にしたのは、重度の身障者である舩後氏と木村氏。この二人ですけど、単に重度身障者でベッドに寝たきりなわけではない、どころかバリバリやっている。舩後氏は40歳過ぎてからALSという難病になり、全身麻痺で人工呼吸器を使いながらも、創作活動やライブをやり、大学のアドバイザーでもあり、企業の取締役でもある。木村氏は、全国公的介護保障要求者組合・書記長 全都在宅障害者の保障を考える会・代表 自立ステーションつばさ・事務局長という肩書をもち、身障者の社会活動の第一線のところでやってきた人です。

恥ずかしながら僕自身全然知らない方々で、そもそもそんな身障者でありつつこんなに活動してることすらよく知らなかったです。情けないわ。でもって主張は明確で、本来語られるべき層の人々の声が国会にいってないから、それを伝えると。考えてみれば身障者の国会議員が全然いないってことの方がおかしいんだけどね。当事者視点って大事だし。

他にも、拉致被害者の会の事務長だったら蓮池氏、創価学会員である野原氏がいて、前者は拉致被害者の会が政治利用されている現状にうんざりして一家言持ってるし、創価学会員の野原氏にいたっては現状の創価学会が本来の姿から逸脱していること痛烈に批判している。

安富氏は有名な女装の教授で、三井氏はもとコンビニオーナーでコンビニのブラックぶりに戦ってきた人、辻村氏は環境NGOで、渡辺氏は派遣労働者という、今の日本の問題点の象徴というか、現実そのもののような人を集めてきてます。この視点が凄いんだけど、それら一家言ある人達から協力を得ている点がもっと凄いと思います。だって、見返り無いんですよ。バックも金もないから、議員になったところで全然美味しくないです。また、それぞれ自分の戦いをやってきた人たちだから、甘い言葉に乗せられるほど馬鹿じゃないし。

資本主義の行き詰まりの構造

きわめつけは、もとJPモルガンの為替ディーラーという、新自由経済の総本山の大司祭みたいな(学歴社会の超頂点みたいな)大西氏で、彼の存在が、経済について人一倍詳しい連中をひきつけてます。なんせ本場でバリバリやってきた人だけに、今の世界の資本主義のリアル、そのおかしさはよく知っている。へたな経済評論家や、ワイドショーレベルのなんちゃってレベルなんかよりは遥かによく知っているし、論理も明快です。

彼の演説は、例えばここで読めます。これが出色の出来というか、へたな経済セミナーに出るよりも役に立つというか、面白いですよ。かなり長いけど、現在の資本主義はなんかおかしいと思ってるなら、腑に落ちること言ってくれてますから、読むべしです。特に白眉になるのは、マネーストックの比較の話で、日本が持ってるお金の総量ですが、彼が就職した1986年には340兆円、2017年は970兆円。だけど86年の初任給は20万、17年も20万円で変わっていない。30年以上でもってお金は3倍増えているのに、給料は全然増えてない。本来なら600超増えた分を皆で共有すべきなのだが、そうなってない。じゃあそのお金はどこにあるのか?といえば、企業の内部留保の400-600兆とかそんなところにある。

つまりそれまでの日本は会社が伸びたら給料も増えた。資本主義による頑張った報酬を皆で分配しあっていた。ところが30年前くらいからそれが無くなった。企業が伸びてもそれを従業員に分配しなくなったし、むしろコスト削減で事実上の減給(サービス残業などの増加)ですらある。

要するにこの30年で、本来皆のふところに入るべきだったら(それまではそうしていた)400なり600兆円が入ってない。賃金の伸びがコンマ何%とかイジこい話ではなく、もっと膨大にとてもない大損をしている。そりゃ400兆消えたら誰でも生活苦しくなるわね。僕のHPでも、本来なら今初任給60-80万円でなければ嘘だとよく書いてますが、ほんとそう思うよ。

「仲間」から「コスト」へ

僕自身、これ読んで、ああなるほどと思ったのは、資本主義の性格が変わった、というか本来のエグい部分が露骨になって修正しなくなったのは、従業員の位置づけです。それまでは「仲間」だと思ってやっていた。苦しくなれば社員も苦しい、でも皆で頑張って持ち直したら、その分ボーナスが出たり、給与も上がった。苦楽を分かち合う仲間として従業員がいた。それがいつしか、従業員は「コスト」になった。給料を払うのは、「仲間への当然の分配」ではなく、「悪しきコスト」でしかなくなった。

これはより深く、なんのための資本主義なのか?という深い問いかけになり、21世紀の世界的な命題にもなってます。国は違えど同じことを皆いいますから。もともと資本主義は、人々が幸せになるため、その生活の資を生産するにあたってもっとも効率的だから採用されたはず。官僚の計画経済よりも、個々人の努力によった方が、より強烈なイノベーションは起きる。そしてそのためのご褒美として、より頑張った人にはより経済的に報われるというシステムが資本主義です。ところがいつからか(80年代からだと思うが)、人の幸せとか人との関わりを資本主義が断ち切って、金が儲かればそれでいいんだという拝金数値絶対主義みたいになってしまった。そこが問題だと。

でも、そういう根本的で本質的な話を、今の政治はあんまりしない。そのかわり、やれ日銀がどうしたとか、捏造まみれの雇用統計がどうか、細かくて難しい話にしてしまって、容易に理解できなくしているという、その不満は常にあって、やっと真正面からこの問題を取り上げてくれるのかって、そこは思いますよね。

MMTと財政破綻OK問題

また、昨今よく聞くMMT理論もあります。これまでいい出したら話は長くなるから端折りますが、ようは財政均衡主義って意味あんのか?という議論です。国にこんだけ借金があるから、これだけ税金をあげて、プライマリーバランスをどうのこうのって、極めて正論なんですけど、でも現実は違うじゃないかという。もしそれが正論であり(正論ではあるのだが)、かつ現実論ならば、日本なんかとっくの昔に破綻して、国が消滅するくらいの状態になってる筈です。でもなってない。アホみたいに国債発行しては、うず高く借金を積上げているんだけど、でも何も起きてない。もしかして、借金を増やしていっても、それでもいいんじゃないの?って話です。経済学のトンデモ説と言われるんだけど、でも現実がそうなんだよね。辻褄のあう理論がないんですよねー、今。

僕自身、MMTはいいのかわるいのかようわからんけど、でも現実にそうならというのは確かにそうで、もしかして数年後にはやっぱり理論通り破裂するかもしれないけど、しないかもしれない。

そして、ココが大事なんですけど、いかなる政策も「財源はどうするんだ」論がありますが、そこから多少なりとも自由になれるというメリットがあります。消費税を廃止したり、奨学金をチャラにしたり、最低時給をあげてみたり、膨大に国庫の負担になるわけで、今までは「そんな金がどこにあるのだ?」という話になった。どっからか財源を得る必要があるんだけど(てか富裕層の累進税率を上げたり、企業の内部留保に課税すれば済む話なんだけど)、ここで先程の話、政治家というのは支持母体には絶対逆らえないというシガラミがあるから、ゾンビ既成集団の縛りがかかって一歩も動けない。だから現実になにもできない。そこで袋小路にはまって、それが日本の将来を暗黒化させていた。

一方、一般人の寄付だけでもまたたく間に3億円も集めてしまった山本太郎の場合、支持母体のシガラミが限りなくゼロだからフリーハンドに動ける。と同時に、国庫の問題も、現実にポシャってないならもうちょっと借金を増やしてもいいんじゃないの?という話には一理ある。仮にそれでコケたとしても、今のままでは国民の大多数、少なくとも3分の1程度が食うや食わず(or その一向聴=あと一歩でリーチ)状態になってるんだから、それを一時的にでも救済して活気を取り戻しておいた方がいい。判断の問題として、起きるか起きないかわからない破綻と、このまま放置しておけば枯死しかねない国力とを天秤にかければ、動いた方が良いという判断になると思います。

さて、そういう山本太郎ですが、ネットや街頭では支持者が増え、政見放送でもYouTubeの再生回数が1日足らずの間に10万回を超え(自民党は1万8000回)、大マスコミは意固地なまでにガン無視してるけど(段々そうも言ってられなくなってきてるが)、一つの現象といえるだろうと思います。

山本太郎本人は、比例代表で自分を3位にしてるから、もしかしたら今回の選挙で落ちるかもしれない。そうまでしても身障者の二人を国会に送り込みたいのだろうけど、見方を変えたら、ここまできたら彼はもう国会議員である必要すらないのかもしれない。そのくらいの情報発信力を持ってるし、影響力もある。つまりですね、国会議員ってなんなの?って話で、あんな500人も雁首揃えて、こんなレベルか?って根本的な疑問があるわけですよ。しかも前世紀の遺物みたいなしがらみ背負って当選して、それがどうした?って話です。

山本太郎に対して、大マスコミや、そこに登場するなんたら評論家達が、妙に歯切れが悪くなるのもわかる気がします。何をどう評しても、自分らのよってたつ枠組み自体が時代遅れであるから、自分のズレてる部分が見えてしまうんじゃないかな。「ちょっとネットで話題になってる泡沫候補」的な扱いにしたいんだろうけど、そう言えば言うほど、現状の問題点について知らんぷりしている自分の旧体制ぶりが見えてしまって自らのイメージダウンに繋がるという。だから迂闊に言えない感じ。

そういうパラダイムを変えていく可能性があるという意味で、「現象」だと思うわけです。

個人の見解

ちなみに僕個人の見解としては、ムチャクチャな原則論をいえば、一回ゼロリセットくらいしないとダメだろって思ってます。江戸から明治になるとか敗戦レベルの総とっかえで、国民全員が一回失業するくらいの。ひっくり返るのが怖くて何もできないなら、意図的に一回全部ひっくり返してしまえと。どうしようもなく破綻してそうなるよりは、計画的にやったほうがまだ被害は少ない。

で、最後はどこにいくのかいえば、地方分権のもっと細かいマイクロ分権くらいの感じで、市町村くらいのレベルに国のほぼ全権(憲法以外の全て)を移譲してしまうことです。だってこのままだったらほとんどの地方が半世紀もしないうちに荒野になってしまうし、これだけの有効資源(観光にせよ、水力にせよ)を使わない手はないからです。ただそのためには、今のパラダイムのただの「地方」では限界あるから、国家レベルの権限をもたせる。そのかわり補助金その他は極力なくす。自力でなんとかせいって、実際もう補助もできなくなると思うし。

権限があると何が良いかといえば、客を呼べるし、生計手段も立つ。例えば、国際空港を中央の許認可なしに勝手に出来るようにすれば、どっかの国のLLCとかと提携して客を呼べる。発着料とか激安にすれば乗ってくるところはある筈。それに滑走路なんか、アフリカの地方の空港みたいにガランとした空き地に一本あればいい。あるいは、これは昔大前研一が言っていたけど、北海道だけ時差1時間早くすれば、為替や株取引が1時間早くなるので国際市場になりうる。あるいは、もっと身近なところでは、道路交通法を部分改正して、もう誰も使わなくなっている山奥のスーパー林道なんかを公開のサーキットにして、そこだけ制限時速を撤廃して300キロで走ってもよくして、世界の車キチ達を呼び寄せる。フェラーリとかポルシェとかも招聘してテストコースや富裕層の客の試乗コースにすることもできる。

ドバイにせよ、インドのサイババ村にせよ、ラスベガスにせよ、圧倒的に地の利が悪くても、なんか目玉をこしらえたら世界から人は来ますからね。夢のような「マニアの聖地」をつくれば、世界中からマニアは来る。いろいろと工夫の余地はあるでしょ。刑法の自殺幇助を改正すれば、世界でも珍しい「安楽死村」だって作ることが出来る。

ただ何をどうするにせよ、過渡期には大量に生活に困る人が出てくる。それらは全力で救わないといけない。だから弱者とか失業者とか庶民レベルに重点的に救う必要がある。人々が失業するのを心待ちにするくらいに。全然働かなくてもとりあえず死ぬことはないって安心できるくらいにはする。仕事は暇だからやるくらいに(でも結局やるよ、面白いから)。その意味で山本太郎の弱者救済、というか日本の健全な中間層を復活させようとする政策や動きは歓迎すべきものです。

その種の救済政策になると必ず言われる「自己責任」「自助努力」ですけど、「卑怯な権力者や金持ちに寄生虫のようにたかって甘い汁を吸うこと」が「自己責任」の赤裸々な内実であるならば、それが日本でのスタンダードになっていくならば(なりつつあるが)、それはすわなち冒頭で述べた「第三世界化」ってやつでしょう。



冒頭のROCKSの写真に戻りますが、当局の チャラい「経済発展開発」(いつの時代にもある)に対抗するべく、この風景を残すために壮絶な労組・住民運動が展開され、そのリーダーの一人、Jack Mundeyはオーストラリアの歴史の有名人の一人。画像検索すると、抗議活動のさなかに警官隊に連れ去られていく彼の”勇姿”が必ずヒットします。


 でも彼らが頑張ってくれたおかげで、今の我々がこのおとぎ話のような、まるで中世のヨーロッパの挿絵のような風景を楽しむことが出来てるわけで、マジ感謝っす。政治ってそういうことだろってわかりやすい事例です。



文責:田村


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