890 今週の一枚エッセイ第890回:マックジョブが楽しいわけ〜その反面、ホワイトカラーやデスクワークがヤバくなってるわけ ★↓背景画像bgmaximage★ グラデーションなどベンダープリフィックスを除去するJS★
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今週の一枚(2018/08/27)



Essay 890:マックジョブが楽しいわけ

〜その反面、ホワイトカラーがヤバくなってるわけ

 写真は、Bronteの綺麗な海。先日の高見・西尾来訪ミニオフ(詳細はブログ参照)の際に撮ったものですが、画像のなかの女性がご飯食べてたんだっけな。
 本文にも書きましたが、僕もそうしてますが、こちらの仕事のランチタイムに、そこらへんの公園や、車乗って見晴らしのいいところにいってサンドイッチをパクついたりします。マックジョブやってて良いなと思うのは、現場作業が多いので、いつもそれなりの開放感があることです。しかし、ここで昼飯食べられたらサイコーだろうな。

マックジョブ

 常々「マックジョブ」という言葉を多用してますが、改めていえば、「マクドナルドみたいに誰にでも(高校生にも)出来るような仕事」=「バイト仕事」くらいの意味です。

 単なるジョーク的な表現ではなく、”Macjob”はオックスフォード英語辞典にも解説されてますし、Wikipediaにも(英語版のみならず日本語版にすら)載ってます。ここでWikiの日本語版の解説が面白いので、引用してみます。

 『オックスフォード英語辞典』によれば、1986年8月のワシントン・ポストの見出しが初出である。これが一般化したのは、ダグラス・クープランドの小説『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』である。

 この語は、アメリカなどにおいて中産階級がかつて就いていた職が減らされている事を強調する為に使われている。オートメーションやリストラが推進された結果、或いは工場など生産拠点・コールセンター・会計・総務・コンピュータプログラミングなどを第三世界の国々へ移転させた結果、かつてブルーカラーやホワイトカラーとして働いていた人々が職を失った

 こうした人々は、長期に亘って特別な教育や訓練を受けて経験を積んできただけに、新しい分野で一からやり直したがらない。又、企業は年少の新卒者を新しく採用する傾向が強い為、年長の失業者にはスーパーマーケットのレジ打ちやマクドナルドの店員など、非正規雇用(プレカリアート)が多く、非熟練で単調な職種しか選べない。地域や国全体に求職が無い場合には、高学歴の青年や、教育を満足に受けられなかった青年も、非熟練で単調な職種を強いられる場合もある。こうして、「マクドナルドの店員みたいな、くだらない仕事」として「マックジョブ」という語が使用されるようになった。

 マクドナルド自身はこの用語の使用に反発しており、2003年6月の改訂でこの語句を掲載し、なおかつ「安い給料で、将来性の無い仕事」「犬に食わせるような仕事」と定義した『Merriam-Webster's Collegiate Dictionary』に対して、「レストラン産業で働く1200万人の従業員を侮辱するもの」として削除を要請した。しかし、「マックジョブを生んでいる会社こそが、むしろ従業員を侮辱している」と考える編集部によって却下されている[1]。2007年には、イギリスのオックスフォード英語辞典に対して同じく要請した。一方、すでにマクドナルド内部のジョブ・トレーニングの名称としてMcJOBSという単語が1984年5月に商標登録されている。

 へえ?と思ったのは2点で、一つは今日の状況を既に1986年の段階で予見されていたこと。まあ「ファイトクラブ」のようなSF作品の先見性は知られていますし、別にそこまで先見的でなくても、80年代になれば現状は容易に推察できたとは思います。「このままいけば、こうなるよね」って。でも改めてそのとおりになってるなあって点が一つ。
 もう一つは、マクドナルドが馬鹿にするなと抗議をしたら、編集部から「馬鹿にしてるのはお前だろ」と言い返されているという。いいですね、この編集部、「強え」と思った。


 さて、今回のマックジョブを改めて書こうと思ったのは、自分自身がクリーニング、コールズのトロリー(ショッピングカート)集め、カフェ用の早朝デリバリーのマックジョブをやってみての経験も踏まえてです。

 面白いのね、とにかく、単純に。

 もともとマックジョブという言葉は、「誰にでも出来る」「うだつの上がらない無能な奴がやる仕事」のような侮蔑的なニュアンスがあるわけですけど、それがこんなに面白いなんて。

 なんでこんなに面白いんだろう?と不思議になるくらいで。で、考えてみたんですけど、最初は、ちょっと前に書いたように、自分がそれなりに経験を積んで&いい年になってきたので「仕事=アイデンティティ=自分の立派さをはかる尺度」って固定観念から抜け出せたからだと思ってました。誰かに誇れるようなカッコいい仕事をやることで自分自身を証明したい、承認されたいって発想が強いうちは、こういう仕事はやってるだけで屈辱的に感じるでしょう。なんせ「無能の証明」みたいなものだからそりゃ辛かろう。

 しかし、別に仕事なんかに自分を証明してもらう必要なんかないよ、それを言うならずっと昔に弁護士業やってたしもうそれでいいよ。てか、そもそも証明なんかしなくていいよ、自分を証明する必要なんかあるの?てか出来るの?なにがどうなろうと自分は自分だもん、自分以外の誰かになれるわけないし、カンケーねーじゃんって気分になると、仕事そのものを純粋に「賞味」できるようになるからだと。

 だけど、それだけじゃない、と思うようになった。
 もっともっと深い理由がある。根源的に面白かるべき理由がある。
 そして反面で、いわゆる高級職といわれる(上級)ホワイトカラーやデスクワークが、年々つまらなくなっているのと実は時代的に符合しているのではないかとも思われます。

根源的自己実現と価値創造

自己実現のおもしろさ

 マックジョブは一般に現場仕事が多いのですが、草むしりにせよ、掃除にせよ、ペンキ塗りにせよ、ジャガイモの皮むきにせよ、ジャガイモの収穫作業にせよ、作業がシンプルであるだけに、「なんのためにこれをやるのか?」と意味性はこのうえなく明白です。それがいい。

 とっちらかった部屋がきれいに整頓されるだけで気持ちいいし、汚かったトイレがピカピカになるだけで、そこには何らかの「価値」が創造されている。人間の営為によってより好ましい現実が実現したという、確かな手応えがあります。

 思うに、僕ら人間が「面白い」と感じる本質はそこにあるんだと思います。自己実現の本質でもあるのですが、自分がやってきたことが目に見える形で表現されると、人はとにかく嬉しい、満足感をいだく。ひーこら喘ぎながら山頂まで登ったとき、ご褒美のようにうひょー!という絶景がありますが、同時に「こんなに高くまで登ってきた!」という自分の行為を実感し、そこに深い達成感を覚える。それが気持ちいいから、また登ろうとする。一銭にもならないのに、いやお金を払ってまでやりたいと思う。

 以前、Lane Coveというところに住んでるときは、7LDKというでかい家だったのですが、家がでかくなるとどうなるか?というと、大量のメンテ業務が発生するということです。もう掃除だけでも数時間かかるし、汗だくになってやってました。また庭にガンガン雑草やらなんやら生えてくるので定期的に刈ったり、掃除しなければなりません。電球だって7部屋とかそれ以上になると、たえずどっかしら何かトラブってたりします。芝刈り機だって年1くらいに定期点検に出さないとならないし、波状的に細かい仕事が増える。

 なるほど「そういうことか」と思いましたね。もう大きな家はいらんわって思ったもんな。周囲が気持ちいい広々とした空間だったら、自分のスペースなんか「座って半畳寝て一畳」の世界でほんとにいいやって。エベレスト登山みたいに、周囲がゴージャス極まる大自然、宇宙の天空までひろがってるような空間にいるんだったら、テント一つで結構満足だという感じ。

 金持ちが住んでる豪邸というのは、僕ごときの数倍以上の雑務が発生するはずです。もう毎日のように芝刈りしたり、朝から晩まで掃除してないとすぐに幽霊屋敷のようになる筈。だから昔の貴族などは大量の召使いとか雇っていたんでしょう。今は、マックジョブとして、クリーナーが掃除をし、ガーデナーが庭のメンテをやってるわけですよね。

 でもね、思ったんだけど、このマックジョブ的なあれこれが楽しいんじゃないの?と。召使いにやらせるのは勿体ないんじゃないか。召使いにその種の「雑務」をやらせて、自分は会長職とかもっと「高級な」仕事をやったり、高尚な趣味に打ち込んだり、別荘にいったりするわけですけど、無駄なような気がするぞ。

 一般に高級と言われている職務内容の本質的な下らなさについては後述するとして、趣味とか見ててもですね、どっか自然の豊かなところにいって自分らでキャンプして、自分らで薪拾ってきて、火を熾して、飯盒でメシ炊いたり、BBQやったりしてるわけでしょ。この手の優雅なリゾートライフって、よくみたらマックジョブのかたまりじゃないですか。ひとつ一つは誰にでもできるような仕事ですよ。でもそれが面白いから、貴族連中だってやるわけですよね。狩猟なんかその極致だけど、獲物から反撃食らって死ぬリスクまで負って、大自然のなかに入っていって、自分で方角決めて、自分で全てやるから楽しいんだけど、ご苦労なことといえばこんなご苦労なことはない。そんな遠くまでいってマックジョブやって喜んでるくらいなら、自分の家でやれよって思うのですな。

 ガーデニングだって、庭いじりだって、趣味といえば趣味だし、マックジョブといえばマックジョブなんですよ。要するにやってて楽しい達成感があると。

 80年台くらいの話ですが、アメリカの年収数十億のCEO達はとっとと金稼いでリタイアして、それで中西部に大農場を買って、自分でトラクターやら牛のウンコ掃除したりして「やりがい」のある「充実の日々」を送るのが夢で、それが流行っていたというのを聞いたことがあります。結局原点に帰ってくる。出世競争の頂点を極めると、また振り出しにもどるみたいに円環構造になってて、地味で、単調で、つまらなそうな、しかし、それだけにやった甲斐のある仕事が一番楽しいということになる。

意味と価値の確信

 掃除にせよ、トロリー集めにせよ、やってる内容そのものの「価値」については、疑う余地なく「いいこと」です。そりゃ汚れた床がピカピカになるのは良いことでしょうし、広い駐車場のあっちゃこっちゃに散在しているトロリーを集めてきて、また使いやすいように一箇所に戻すのは、世のため人のためになるのか/ならないのかといえば、確かになってます。

 か〜なり些細なことではあっても、少なくともマイナスではないし、曖昧でもない、はっきりとプラスです。ちゃんと人のためになってるし、そのことに疑問の余地はない。

 実際、トロリー仕事で何が楽しいかというと、トロリーベイ(集めて置く場所)で収納するときに、取りに来たおばあちゃんとかに、はいって渡してあげると、"thank you very much"って笑ってくれて、こっちの人って本当にいい顔で笑ってくるので、それが嬉しいのですよね。デリバリーでも、引取に行くときの工場やキッチンの人と話したり、届けにいったときにカフェの人達との会話が楽しい。超些細なことではあるんだけど、少なくともその人達を害してはいない、その人達のためになることを客観的にやってるわけで、その「後ろめたさのなさ」というのは凄いんですよ。

 あとで書くけど、「うしろめたい気持ち」「忸怩たる思い」というのは、ものすごーく応えるんですよね、実際。

 それが無い。全然無い。それが気持ちいい。

 当たり前過ぎてわからないかもしれないし、良いことだからやるのが大前提であるんだけど、でも、実際、社会はそうなってないよ。やってる意味にかなり疑問が残ったり、はっきりと反社会的ですらあるのんだけど良心を殺してやるような仕事も多いのですよ。

 これはホワイトカラーと呼ばれている職務領域の「濁り」が少ない、と言い換えてもいいかもしれない。「ホワイト」とかいってるくせに、かなりホワイトじゃないんですよね。あとで書きます。

ストレートな肉体疲労の良さ

 先日、Edgecllifというところにあるコールズでバイトしたんですけど(ヘルプであっちゃこっちゃ行く)、Edgecliffは当然知っていたけど、車や電車で通り過ぎるだけで実際に駅を降りたのは、23年住んでて初めてでした。こういうのって中々面白い。

 で、昼飯食おうとして、(今となっては珍しいくらいの)古いショッピングセンターを散策してて、これといったのがなく、結局、お肉屋さんの店先でジュージューとソーセージを焼いているところでソーセージロールを買いました。6ドル。これがですね、お肉屋さんのコロッケみたいな感じで、めちゃ美味しい。カラメル色のオニオンがまた美味い。どこで食べようかなーとか探してたんですけど、そこは駅ビルで、上まであがるとガランとしたバスターミナルになってるんですけど、そこが広々してて気持ち良くて、そこで食べました。ほんとに敷地の無駄じゃないか?ってくらいガランとしてて、それぞれのバス停にはゆったり座れるベンチがずらっと並んでて、且つ人も少ない。よく見ると、他に座ってる人達も、別にバスを待ってるというよりはランチブレイクをのんびり過ごしているような感じ。今回の写真のような感じ(あそこまで綺麗ではないけど)。

 早春の爽やかな空気を吸いながら、ソーセージロールをパクついてたら、異様な幸福感がせりあがってきて、なんだこれは?と思いました。何かに似てるぞ、と思ったら、遠足で山登りをして山頂で食べるオニギリの感じなんですよねー。

 なんでたかがバイトでそこまで?と思うんだけど、これって構造が似てるのでしょう。
 つまり、それまでしっかり肉体を動かして適度に疲れていることが一つ。次に、食べているのが、穴蔵でモソモソ食ってるのではなく、すかーっと広がった開放感のある空間で食べていて、生理的に気持ちいいこと。

 そして第三に、ここが大事なんだけど、それまでの疲労が肉体的なものだけにとどまり精神的な疲労は殆ど入ってこないことです。肉体疲労は、肉体の負担を減らしただけでストップします。物理的なものですから。でも精神疲労はストッパーがないので、仕事を終えても精神は動いてるから疲労が止まらない。家に帰ったあとも「あれはどうなるんだろう?」とかあれこれ悩んで疲れ続ける。肉体系はそうではないから、「やー、終わった終わったー!」でスッパリ切り替えられる。

 そのあたりの構造が、遠足の山登りと同じですよね。
 マックジョブは、他愛がないっちゃ他愛のない仕事なんだけど、それだけに「罪がない」「引きずらない」んですよね。終わった瞬間に疲労も止まる。百パーの開放感がくる。


ホワイトカラーやデスクワークの本質的な問題

 これも2つの観点があって、本質的にそうだという点と、最近とみにそうなっているという点。

まず定義や概念のいい加減さ

 本質的な問題点ですけど、まず言っておきたいのが定義や概念のいい加減さです。

 ホワイトカラーとかデスクワークってなんでしょうね?「襟が白い」とか「机に向かってやる仕事」とか言ったところで大した定義にもならんでしょう。日本では「スーツを着ているかどうか」という子供じみた基準だったり、こんなの何も言ってないに等しい。

 「サラリーマン」という定義も、そのまま訳せば(てか、そんな英単語ないけど)「給与所得者」ですけど、工場のブルーカラーだって給料貰ってることに変わりはないし、内閣総理大臣や最高裁長官だって給料貰ってるんだからサラリーマンです。だから給与(サラリー)は本質的な定義になってない。

 僕が思うに、こんなの子供じみたイメージの世界なのであって、もうこの時点で気にするだけバカバカしいとも言えます。本質や内実がどうあれ、要は高級職「っぽかったら」いいわけでしょう?「見てくれ」じゃん、見栄じゃん、虚栄じゃん。

 では何が高級で、なにが低級なのか?その区別の基準はなにか?といえば、それもよくわからない。結局は給料が多いか、世間的にどう思われているか、特に後者の世間体が全てかもしれない。

 似たような区別に、公務員の「現業」「非現業」があります。これは公権力の行使をするか否かがメルクマールであり、現業(公用車・バスの運転手、電車の運転士、整備士、清掃作業員、学校用務員、ごみ収集作業員、道路補修作業員、設備保安員、電話交換手、守衛など)は公権力の行使にかかわらないから、労働法上の団結権や団体交渉権が認められるという労働法上の区分です。でも、これとて、看護師や保育士など、どこが公権力なのかわからないのも非現業とされていることから、首尾一貫してないのですよね。

 さらに「職人」とか「事務員」とか伝統的な基準もあるけど、これも曖昧です。現場の刑事さんなんか、その実務の半分以上は実はデスクワークです。とにかく刑事手続は書類の嵐だから、なにをするにも書類を作らないといけない。交通事故で現場検証したらそれを作り、証拠物を押収したら(領置という)、領置票を作成し、領置番号をふって、領置票整理簿を作って、またそれを持主に返すとき(還付という)、還付請求書を出してもらって、仮還付の場合はこうして、、とか、うんざりするほど書類作成業務が多い。現場の聞き込みとか、取り調べとか「刑事っぽい」ことは、書類作成の合間にやってるくらいの感じです。だから、刑事なんかデスクワークなんだといってもいい。

 逆に弁護士や医者などホワイトカラーの極致のようでいて、実際にやってることは、現場作業が多いです。7割くらいそうじゃないかな。現場に出て見分してみたり、依頼者や証人と会って打ち合わせをしてみたり、とにかく営業職のように出回ることも多い。嘘だと思うなら弁護士やってごらんな。肉体労働だなーって思うと思うよ。現場にいけばヤクザみたいなのに絡まれ、付近住民に口々に訴えられ、破産や債務整理になると興奮した債権者にネクタイひっつかまれ、山林の事件だったら現場を見るだけでもうハイキングだわ。裁判所いくにも大荷物かかえてえっちらおっちら行くし、あまりにも多すぎてカバンに入らないから今どき風呂敷包んでいくし(超便利だよ、あれ)、腕の筋肉つきまくり。シドニーの裁判所界隈でも旅行者のトロリー(車輪つきの運搬具)で書類運んでる弁護士をよく見かけるけど、同じだなあと思った。

デスクワーク=書類作成業務

 書類作成はその成果を表現するだけであり、それは夏休みの実際のアクティビティと、夏休みの絵日記の関係のようなものです。絵日記を書くのが目的でも本質でもない。医師だって研究医ではなく臨床医だったら、とにかく患者さんに面しているのが第一であり、デスクワークといっても、その場でメモのようにカルテに書くのが多い。

 これが政治家やCEOになるほど、デスクワークなんかしませんよ。せいぜいが署名と決裁印を押すくらいであって、メインには人に会うことです。折衝にせよ、交渉にせよ、商談にせよ、会談にせよ、話をしにいってなんぼの世界です。その交渉の成果を文書に表すわけですが、その文案なりプリントアウトは下働きがやって、本人は条約の調印みたいにサラサラとサインをするだけです。

 大体ですね、この世界は3次元であり、現場っていえば100%現場しかないのですよ。人間の行為というのは本来そういうもの。それを思い通りにやるためには準備もいるし、環境整備もいるし、またやりっぱなしで跡形もなくなったら困るので記録に留める必要がある。その一連の作業のうち、書類にして残しておけばいいと思われる部分については書類作成・保管業務があり、それがデスクワークとかいわれるものでしょう。将棋でいえば棋譜を書いてる人、野球でいえばスコアブックをつけている人であり、それの何が高級なんだか。オンラインとかITとかいうのも、その終局的な結果は三次元的な現場に出て初めて意味があるのであり、オンライン云々はその経過過程の記録装置でしかない。

 そのあたりをいろいろ見てくると、この世の仕事を二元論的にわけようというのが無理なんじゃないかとも思われます。

職業貴賤の陰謀論

 ちなみに職業に貴賎はないとかいいながらも日本社会ではやたら職業に貴賎をつけたがる傾向があります。どんな仕事にもそれを貶しめる表現がある。職人さんは偉いな、カッコいいなと思う半面、職人風情がとか、なんでも「風情」をつけて侮蔑しようとしたり、サラリーマンだって高度成長の頃は「ドブネズミ」と言われて(灰色のスーツが多かったから)、何の取り柄もないやつがやる仕事として嘲笑的に言われたりもする。弁護士は三百代言だし、医師は藪だし、坊主は生臭だし。まあ世界的にも、高給とってる国際ファイナンス系が「ハゲタカ」とか侮蔑的に言われてるから似たようなものかもしれないけど。

 前回書いた封建社会、身分社会の名残が濃厚にあるのかもしれないけど、要するに人間をカテゴライズして上下関係つけないと気がすまないからでしょう。思うのだけど、そういうメンタルそれ自体がダサいよねって。なんで素直に他人を尊敬できないの?血眼になってどっかしらアラ探しをしているみたいな、なんでそんなことするの?といえば、自分に自信がないから、少しでも自分以外の他人を引きずり下ろして安心したいという、さもしい根性のあらわれでしょうが。

 だとすれば、職業をカッコいいとか、高級だとか、勝ち組だとか、そういう発想の枠にあること自体がクソだと思うよ。それに地球レベルでいえば、日本やオーストラリアのように「地球の辺境」にいるだけでもう負け組確定でしょうが。そんなド田舎でブイブイ言ってても誰も聞いてないよ、田舎のヤンキーみたいだ。

 オーストラリアはもともとそんな差別的な発想はない。もともとが「この世の果の島流しの流刑地」として発生してるから、身分とか階層とかいい出したら巨大ブーメランが返ってくるだけ。だからむしろ意地になってるくらいに平等意識、イーガリタリアリズムっていうけどが強い。反面、反骨×嫉妬のトールポピー意識もある(エラそうにしてる奴を嫌う感覚)。

 そして、僕の生きてきて実感した世界でいえば日本もそうだよ。世間の人は残酷で嘲笑的で、ネットの書き込みとか見てると気が滅入るくらいにそうだけど、リアルに会った人達を見てると、そんなに身分的階層的な感情はないよ。それは比較的まともな人達とつきあってきたからかもしれないし、APLaCに来る人は基本マトモな人が多いし、その偏りはあるのかもしれないけど、それでも意外なくらいに差別感情は少ない。若い人ほどそうだし、自分の人生を確かに生きてる人ほどそうです。学校でも、給食のおばちゃんやら、用務員さんを、「〜風情が」とか見下したり、吐き捨てるように見下す人って、あなたの友人周辺にいましたか?俺にはおらんかったぞ。日本人そんなに薄っぺらくないよ、そこまで馬鹿じゃないと思うよ。どんな仕事であれなんであれ、誠実にそれをやってる人に対しては、最低限のレスペクトは持ち合わせてると思いますけどね、違いますか?そうでない人もいるけど全員がそういうわけじゃない。てか少数。また自分の親や上の人がそういう態度に出たときに、嫌だなって思ったりしませんでしたか?逆にそのあたりをフラット見れて、どんな人にも敬意を忘れないような上司や友人を偉いなって思ったりしませんか?

 じゃあなんでネットみたいにスサんだように感じられるかといえば、大げさにいえば「陰謀」だと思いますね(笑)。だって、そうやって皆にフラットに達観されたら困る人がいるんですよ、ビジネス的に。「向上心」の意味を微妙にすり替えて、年収○万の仕事が偉いとか、どこそこに住んでるとステイタスが上とか、車のナンバープレートの陸運局の場所がどうとか、やたら「かっぺ臭い」(都会にでた田舎者がビビって、異様に世間体を気にして、異様なまでに見栄をはろうとする痛いさま)じゃん。

 でも、そうやって心理的に切羽詰まってくれた方が、同じ地面、同じ建物でも高く売れるじゃないですか、儲かるよね、誰かさんが。(新興)宗教と同じで、精神的な方向付けをすることによる価値の創出です。「鰯の頭も信心から」(食べ残したイワシの頭=生ゴミ=ですら、それが神様だ、御神体だと言われるとありがたって拝むという宗教の本質)ということわざの通りです。流行なんてのもそう。大学出るといいことあるよってのもそう。世間知らずのカッペを騙すあの手この手が満載だし、メディアなんかそのかたまりだし。それに洗脳されて、さらにそれで負け犬意識を刷り込まれて、怨恨ルサンチマンになった人がネットで憂さ晴らしをしているって、そういう図式です。もう全部ひっくるめて、トータルでクソだと思うぞ。

ホワイトカラーの本質=人間関係

 オーストラリアの永住権を取る場合、キャリア(職歴&技能)が大事なのですけど、ホワイトカラーになるほど取りにくい。車の整備とか建築関係とかわかりやすい職能系、手に職ガテン系の方が取りやすい。これは、オーストラリアの人手不足度と対応しているから、それだけ地元民に人気がないからそうなるって部分もあるでしょう。

 でもね、僕が思うに、もっと本質的にホワイトカラー的な業務というのはキャリア(技能)になりにくいんだと思います。それもあって今回のバイトですらも、ホワイト&デスク系は避けてたのですよね。なんでかというと、一般事務職って範囲が膨大で曖昧過ぎて中身がよくわからないからです。

 実際の仕事の現場でも、その職務の大半が「その会社内部しか通用しない」物事が多い。これが手に職系と決定的に違うところで、現場系は、対象が人間というよりは物体が多いから、一回そこで仕事を覚えたら、別の会社、別の国にいってもそれまでの経験がほぼストレートに役に立つ場合が多い。

 対象が物体だから、そこで支配するのは物理(化学)法則であり、これって地球のどこにいっても変わらない。お湯を入れて3分待つという手順や経験は、大体どこにいっても同じ。標高が高いエリアだったら気圧の関係で沸点が違うから多少変えないとならないけど、客観的な誤差修正で済む。だから汎用性がある。どこにでも使える、将来において再度役に立つ度合が高い。

 ところがホワイトカラーといわれる社内事務職の場合、そうではない。物理現象ではなく、「社内現象」に支配され、社内現象の法則はリアルな人間のありかたと関係性によって決まる。例えばですね、取引先にビジネスレター一本書くだけでも、「我が社の書き方」がある。前略ではじめるか、拝啓や謹厳ではじめるかとか、それを決めるのは直属の上司がどういう人かによって決まる。また何かの決裁を通すときでも、それに関連するメンツの性格やら、方針やらによって決まる。この案件は、○○専務の関係筋だからデリケートであって、まず○さんに先に話を通さないとダメだとか。

 これって一般に高度になればなるほどそうなります。給料が高いほうがそうなる。その極めつけは社長とか政治家の世界で、中央官庁の○君とは仲良しだから話を通しておくことが出来るとか、そういう交友関係やら、貸し借りの有無で話が進んでいく。正面からいったら通らない話も、「悪いんだけど、ちょっと面倒なことを頼まれてほしんいんだけどさ」「いやあ、○さんからそう言われたら断れないでしょう?」ってことで話が通る。つまり高度なビジネスというのは、人間関係の魔法によって決まっていく場合が多いのです。魔法を使わないで結果を出そうとするなら金(賄賂)ですよね。そういう世界。それは雲の上の話ではなく、普通の中高生の部活にだってあります。Aさんから言われたらムカつくけど、Bさんから言われたら素直に従えるって人情の機微はあるでしょ?

ホワイトカラーのキャリアの不毛さ

 モノ相手の仕事の場合は万国に通用する普遍性があるけど、人相手の仕事はその人にしか通用しないということで普遍性が乏しい。

 この差はでかいと思うのですね。だからホワイトカラーとかデスクワークは基本避けたいなと僕は思ったりするわけです。だって何年やっても本質的にキャリアにならないんだもん。現場仕事は、誰でも出来るとかいいながらも、やっぱりどんなことにも技術はありますし、最初の1ヶ月でかなり上達する。2−3年もやれば大体のイレギュラー事態も経験するから、ほぼどこででも通用する。それを転々としてたほうが、将来戦略としては有効じゃんって思ったのですよ。

 日本社会におけるホワイトカラー的なる職務の経験値は、
(1)まず日本の会社員カルチャーを学ぶ
(2)一般世間における経験則を知る
(3)その業界の一般慣行や特殊用語、特殊な論理を知る
(4)職場における特殊解を学ぶ

 の4層構造になってると思うのですが、1と2は、どんな業界のどんな会社でもいいです。「社会に出る」「会社員をやる」ということでわかりますから。3は業界のあれこれを学ぶ(談合するならこうしろとか)。ここまでが将来に役に立ちますが、4はまず役に立たない。むしろ有害になる場合が多い。「前の会社ではこうだった」って言われるくらいムカつくことはない、とか言われるもんね。

 以前シンガポール就職の説明会をやったときも、講師の方がおっしゃってましたが、「2年間日本で正社員をやったこと」がハードルだと。要するに、どんな業界のどんな職種でもいいんですよね。「日本カイシャ・カルチャーを知る」ってところがポイントですから。正社員条件については、今は非正規でも正社員と同じことさせられてるから外しても良いとは思うのだけど、現場サイドの認識が古いからしょうがないのでしょうけどね。

 だから石の上にも3年どころか2年もやってりゃそれでいいんだと思います。大体こんなもんってのがわかりますから、そこから先はあんまりキャリア値にならんだろうなー。

 だんだんわかったきたと思うのですが、日本のカイシャに関する限り、基本、技能や経験、キャリアなんかどうでもいいところはあるのですよ。僕が採用担当でもそうするな。そうでなければ、キャリアゼロの新卒をなんであんなに大量に雇っているのか?です。あれくらいキャリア主義と真正面から矛盾する行為はないんだけど、そんなのが堂々とまかり通ってる時点で、もうキャリアなんか嘘っぱちだというのがわかりますよね。煎じ詰めれば、「気が利いて、真面目で、協調性があって、従順」だったらいいんですよ。だから、本当は入社試験なんか「儀式」はしなくて、単純に知能指数と感情指数(EQ)で採用してたほうが間違いないと思います。ただ、そこまで露骨にやったら差別的だから、もっともらしい儀式やってるだけっしょ?

 そしてこれは海外においても同じでしょう。日本ほど人のシガラミが強くないから、そこまではっきりはしてないけど、結局「いい人」だったらそれでいいってところはあり、実際にも求人広告とか人材斡旋系から人を採用するよりも、個人的なコネで採用する場合のほうが圧倒的に多い。また求人系の採用でも、いいかげんなSEO的な(こういうキーワードが入ってたら除去)とか、かなり下らない、かなり荒っぽい、いい加減な選別をしている(それだけに狙って合格するのが超難しい)。

 なんでそうなるの?といえば、ホワイトカラーが人間対象の業務が多く、そして肝心な「人間」というのが気分屋で気まぐれで、かなりいい加減な素材だからだと思います。物理化学現象にように、こうすればこうなるという法則性があるようでない。どんな水でも(1気圧だったら)百度まで過熱したら沸騰するというのは確定であり、モノ相手の仕事は、だからこそ堅実な普遍性がある。でも人はそうではないので、その熟練度のはかりようがない。モノ系の仕事は、入社試験とかうるさいこといわないで、「ちょっとやってみ」とやらせてみれば、大体の物腰で一発でわかるから簡単。やればやるほどキャリアも積み上がる。

疲れる

 人相手の仕事は疲れます。
 ずっと前に読んだ誰かのブログで、なんかの拍子に消防士さんに接する機会があったのだが、皆そろって爽やかな人で、すごい好感度。しかし、別の機会に警察関係者に接することもあるのだけど、こちらはイヤな奴や不愉快な思いをすることが多い。この違いはなんなんだ?と思うに、消防士は相手がモノ(火)であり、自分がやってることが世の中の役に立つというところに確信が持てるから、心が荒まない。でも、警察は、犯罪者とかそんなのばっかり相手にしてるから、だんだん心が荒んできて、人の言うことを信じないし、とにかく嘘じゃないかと疑ってかかるし。

 それが正しいかどうかはわからないし、多分にケース・バイ・ケースでしょうが、言わんとすることはわかります。人相手の仕事は、それによって心が温まったり元気になったりする場合もありますが、逆に心がささくれだったりすることも多いです。モンスターなカスタマーやら、理不尽な上司やら、意地悪な同僚やらで疲れる。その疲れは、さきに述べたように退社時間が来ても綺麗サッパリ晴れるわけでもないから、帰宅してる車中でも、家で風呂入ってるときも、ずっと悶々とするから、ずっと仕事してるようなものです。楽しいときはいいんだけど、歯車がくるうと本当に疲れます。この疲労度も含めて時給換算し直したら、高級職ですら時給500円くらいかもしれない。

 人相手の仕事を疲れないようにするためにはいくつかの条件があります。それは弁護士にせよ、今のAPLaCにせよ、人相手の仕事ばっかやってきたから何となくわかるような気がするのですが、それは、
(1)大きな裁量権限があること
(2)後ろめたいことをしないこと
です。

 人相手の仕事は、1件づつ微妙にニュアンスが違います。人の指紋や顔貌のように個性がありますからね。それに合わせて、一般解ではなく特殊解を出していくのが人相手の仕事の醍醐味であり、よろこびなんだけど、それが出来るためには、相当な裁量権限が要ります。たしかにテストでは落第だけど、見どころがあるし、真面目だから合格させてあげたい、長い目でみればこの子のためになる、人を育てるという本質からすればそれが正解だと、現場ではわかる。でも上はわからないし、そんな現場の個人感情で動かれたら組織としての一体性や公平性に問題があるから、それはダメだという事になって、ジレンマになります。ここで疲れるんですよ。

 第二に後ろめたいことですが、例えば、もう新製品が出るのが内定してて、発表になる前に古い機種を売ってしまえという業務命令が出てて、店頭の販売員は、本当はこれが損な買い物(ちょっと待てば安くて性能がいいのが出るのだから)であることを百も承知しながら、これがベストですよと客にすすめないといけない。ここで良心の呵責が生じる。ましてや、お年玉握りしめて買いに来ている小学生に、嘘いって高いもの掴ませるのか?それでいいんか?って思うよ。でもそんな「甘っちょろい」こと言ってて仕事が出来るか、てめ仕事舐めてんのか?と一喝されて、しゅんとなる。

 もっとひどいのは歩合制のセールスマンで、お年寄り相手にだまくらかして、無駄な金庫買わせたり、床下補強させたり、使いもしないバリアフリーをやらせたり、床下暖房やらせたりって場合。これだったらやる必要ないよって住宅でも、なんだかんだ言いくるめて買わせる。ほとんど詐欺ですけど、それをやらないと、「てめ舐めてんのか」と上に怒られる。それも人格罵倒レベルで叱責される。

 また、そういう理不尽環境の中で働いてると、同僚もすさんでくるからギスギスしたり、あるいは逆に皆でごまかしあって、異様なまでに偽善的な明るい雰囲気になったり(赤信号を皆で渡る心理みたいな)、そこでは強烈な同調圧力が働いて、「これって詐欺じゃないですか」みたいなことを言おうものなら、皆もそう思ってるだけに(そしてそれを必死に否定しようと頑張ってるだけに)、タコ殴りにされる。

 引きこもりの人が仕事をしたくないとか思うのも、多分このあたりの風景がトラウマになったりするのかもしれません(実際にやってなくてもネットで読んでそう思い込んだり)。

 僕が弁護士も今の仕事をやってられるのも、裁量権限が広いというのと(今のなんか100%裁量権あるし)、後ろめたい気持ちが少ないからです。弁護士の場合、後ろめたい気持ちが少ない仕事は、たいてい儲からないか、赤字手弁当のボランティア作業が多いです。後ろめたいって場合は少ないけど、意味あんのか?って場合も多い(金持ち同士のくだらない遺産分割とか)。嬉々としてやってたのは、金にならない本当の意味での弱者救済になるとか、強くてエラそうな相手(国とか大企業とか警察とか)に喧嘩ふっかけてやってるときです。

 また過去に何度も書いてるように、今回バイトをやってるのも、本業で後ろめたい気持ちになりたくない(金儲けに走りたくないし、趣味性は貫きたい)から、本業ゼロでも食っていける自信をつけたいという意味が大きいです。先週は頑張って週1000ドル以上稼いだから、「おし、これでいけるわ」という自信と実績は付いたのでもうやめてもいいのだが。


昨今〜将来の趨勢 

 現在から将来にかけてですが、ますますホワイトカラーやデスクワークは旗色悪いです。

ビジネスモデルが変わってきている

 一つは、もうビジネスモデルが変わりつつあるので(シェアリング経済とか、経済の非経済化とか)、旧来のビジネスモデルはあまり儲からないからです。

 ここ10〜20年くらいの傾向ですけど、画期的な新商品を開発してそれで儲けるという王道は少なく、涙がちょちょ切れるようなセコイことをして利益をあげようとする傾向が強い。それも先進国、それも大企業ほどそう。オーストラリアの銀行がロイヤルコミッション(国家の独立調査委員会)でこっぴどく叩かれてますが、ほんと詐欺みたいなことばっかやってる。書類ごまかして貸してはいけない人に貸したり、消費者に対する情報開示が詐欺的だったり。

 インターネットの接続にせよ携帯電話にせよ、クレジットにせよ何にせよ、やたら誇大広告まがいのウリをバーンを打ち上げるけど、肝心なことは全然書いてないか、PDFをダウンロードして百ページくらい読まいとわからないうようにしてあったり。いっとき「ガンになっても出ないガン保険」がやり玉にあがってましたが、今はそんなのばっか。

 商品の品質も劣化してるように思います。毎回帰国するたびにデジカメを買い替えているのですが、これまではその都度安くて性能がいい新商品があったんだけど、今回は全然いいのが無い。スマホにおされてコンデジ劣勢なのはわかるけど、ろくな製品がない。先週からiPhoneやめてアンドロイドに乗り換えましたが、appleの囲い込み&ぼったくり商法に嫌気がさしたのと、iPhone5以降は全然アップルらしくないから(全然イノベーティブじゃない、それはジョブス存命中から)です。なにかをやらかそうという意欲すら感じないから魅力なくなった。

 ソフトでもそうですけど、ヴァージョンが新しくなるほど悪くなってる。これまで出来ることができなくなったり、広告がうざすぎるくらい出てきたり、勝手にどっかに飛ばされたり。僕もFirfox使ってるんですけど、32ビットのVer43を延々と更新しないで使ってたけど、そろそろ更新しなきゃで更新したらやっぱり悪くなり、さらに64ビットのQuantamにしたら致命的にダメになったので、わざわざ昔の43までヴァージョン戻しましたもんね。何考えてるんじゃってくらいの機能劣化。

 政治にせよビジネスにせよ一般に劣化してます。同時に空前の利益&空前の人手不足なのに給料も上がらない、それどころか実質的にはどんどん低賃金化しているとも言えるクソっぷり。国家をサービス産業だとするなら、年々利用料金や会費(税金や年金など)が上がるくせに、サービスは劣化している。手間暇かかるマイナンバーを作らせても、それでなにか恩恵があるわけでもない。

 なんでこんなに揃いも揃ってダメダメなのかといえば、なにもかもが時代に合ってないからだと思う。大体ですね、安売り合戦をしかけて消耗戦に入ったり、従業員を酷使してブラック化して人件費を下げようとした時点で、そのビジネスモデルはもう破綻していると思うべき。ビジネスモデルがマッチしてるときは、消費者目線でてみてて、すぐに内容がわかるし、「あ、これいいじゃん」って思える。また十分な利益率があるから、従業員も酷使しなくていいし、消費者を騙す必要もない。

 でもそんな分野はあまりない。日本企業でいえば、部品産業や素材産業ではまだまだ技術力あるところも多いから、昔ながらのまっとーなビジネス、「安くて良質な商品を作り」「商品力だけで勝てる」ということができるから、仕事もまっとーでしょう。特に海外市場で売っていくレベルにおいては技術の優位性はまだある。でも、このままやっててもジリ貧だったら、高給とってる社員を船から蹴り落として、いつでも切り捨てられる消耗人材(非正規)にするか、客を騙しまくるか、政治と癒着するかとかいうとほほな選択しかないから、大変ですよね。

 先進国の先進性が日に日に希薄になってる=新興国に追いつかれる分以上に新しい魅力ある商品やサービスを開発出来てない以上、仕事の内容が商道徳に反する詐欺まがいになったり、意味不明になったりするのも理の必然かもしれません。

Bullshit JobとShit Job

 ここで面白い記事を読んだので紹介しましょう。Newsweek誌に最近掲載されたものですが、


画像をクリックすると元記事にいけます。
 


 抜粋引用すると、
 
「経済が進化し、技術が洗練の度合いを増していけば、人はあまり働かなくてもよくなるはずだった。しかし実際には「経済活動が無意味な仕事を生み出す巨大エンジン」と化し、グレイバーによれば、やるべき仕事が減れば減るほど、人はより長く働くようになっている。

 その結果が無駄な仕事、グレイバーの言う「おバカ仕事」の蔓延だ。おバカ仕事(bullshit jobs)はクソ仕事(shit jobs)とは違う。後者はゴミの収集など、世の中に必要なのに低賃金で報われない仕事を指す。対しておバカ仕事は、たいてい高賃金で社会的な評価も高く、IT化の進んだどこの職場にもあるが、社会には何の貢献もしていない仕事を指す。

 グレイバーによれば「かなりの人が、自分の仕事には社会的有用性や価値がないとひそかに確信しつつ働いているという事実」は、深い「心理的、社会的、政治的影響」をもたらす。それは「共有される魂の傷」だ。


 要するにですね、殆ど「やること」がなくなってきてるわけですよね。それでもゴミ回収なんかよりは「高級っぽい仕事」という共同幻想を維持するために、頑張って無駄な(ときとして社会に迷惑をかける有害な)仕事を作ってはやってるというお馬鹿な話になっている。企業だって、そんな無駄は排除したいけど、正社員はそうそう首にはできない。だからすぐクビにできる非正規の方が良いと思うでしょうよ、合理的な経営判断としては。でもそれを推し進めていくと、取締役会で雁首並べているお偉いさんだって、本当は要らないかもって話になるから、あまり強くも言えないという集団ゆでガエル的な感じっすか。

 逆に筋のいいベンチャーや、技術力のある中小企業など内実のある商品サービスを提供しているところは、やってること自体に意味があるから、職場も活気があるでしょう。それに高度成長時代がそうであったように、基本的な部分でビジネスが上手くいってたら、多少のミスは取り返せるし、大したことではないから、職場の管理もゆるくて自由になる。働いていて面白いし、楽しいってことになるでしょう。


 それとマックジョブとの関係ですが、そういった影響を受けるのは、一般にホワイトカラーやデスクワーク系のほうが強いという点です。なぜかって、マックジョブはそんなにその仕事にしがみつかなくていいから、条件が悪くなったらとっとと乗り換えればいいだけだもん。これがホワイトカラーの、それも伝統的正社員になると、かなり意を決しないと転職できない。その意味で動きが鈍くなって損だというのもあるし、また動きが鈍いこと=しがみつくしかないこと=から足元見られてどんどんブラック化していくという悪循環になる。

 その挙げ句、業界自体が時代遅れになっているのだとしたら、いくら歯を食いしばって頑張っても、その努力&キャリアは将来に大した役にも立たない。骨折り損になりがち。でも、マックジョブ現場系は、どんなに時代が変わってもなんらかの形で残る原始的なものが多いから、生き残りやすいし、キャリアの汎用性が高いから融通がきく。仮にダメでもダメージも少ない。

OAとAI化

 AIについてはいろいろな意見があるけど、総じていえば、AIの現場をよく知ってる人ほど、大きなスケールで意見を言っている。火の発見や、化石燃料の発見に並ぶくらいの人類の転換点であるとか。過小に見る人は、それでも人間相手の部分は残るから大差ないよという。

 僕はどっちかといえば前者(大転換になる)方です。それはAIとかITに詳しいからではなく、弁護士という高度な専門職をやっていたからそう思うのです。およそ機械に変えられない高度な知的労働、と言われている実体を知っているから。弁護士業務の8割くらいはAIで出来ますよ。交通事故にせよ遺産分割にせよ、定形処理がかなりの部分を占めますし、事件の多くはその定形で済んでしまう。残るのは、非定形のはみ出した部分です。つまり「腹の虫がおさまらない」という依頼者の愚痴を聞いてあげたり、定形処理されたら正義に反するような場合に世直し的な訴えとしての訴訟を起こすとか、男気的にやるような部分とかですね。それはプログラムしにくい。でもこれって弁護士の仕事というよりも、カウンセラーの仕事ですよ。

 高度な専門職といっても、やってることはマックジョブの積み重ねであることに変わりはないです。涙がでるくらい地味な作業の繰り返し。これはAIというまでもなく、普通のITレベルでこなせます。入力業務のインターフェースを改善していくことでかなり楽になるはずです。例えば、相続人の関係図なんかでも戸籍謄本や除籍謄本をとって家系図を作っていくのですけど、こんなの本当は手作業でやってること自体がバカバカしい。でもすっごい金と時間がかかる。オンラインで戸籍照会してデーターを並べ返せば(本来なら)1秒で出来るようなことも、日本の役所の生産性の低さと汎用性の無さとあいまって出来ない。破産なんかでも数百社の債権の内容を証拠とともに確定し、破産宣告日までの利息を日割り計算してとか手作業でやるのよね。

 一方で単純事務作業ではない高度な知識レベルの話、法律上の要件がどうのとか、過去の判例がどうとかですけど、こういう論理的な知識問題になったらAIの独壇場でしょう。僕らだって、いちいちその都度、判例集調べたり、条文調べたりしてるわけですし。それに法律くらい論理則に厳密に忠実な世界はないから演算処理に馴染みやすいのですよ。ルールがはっきりしてるから。

 弁護士時代なにが儲かったかといえば、裁判所から選任される破産管財業務とかです。書類と現場見てって簡単なやつでも報酬40万とか70万とか裁判所からくれるので、あれはおいしいのですよ。でもね、労働に見合ってないというか、あれこそITで出来ると思うぞ。そうすれば破産する人の負担(最初のその分をかき集めないと破産申請もできない)も減るし。その意味でいえば、公証人なんか、ほんと機械で十分だと思いますよね。

 このように高度な知的職務というのは、皮肉なことにそれが高度であり、知的であるがゆえに、コンピューターの処理に馴染みやすい。最初に演算法則を組み上げるのにえらい作業がかかると思いますが、ディープラーニング技術が発達するほど、最初にいい加減なプログラムを組んで走らせて、あとは膨大なデーターを処理させていくなかで勝手に勉強して勝手に賢くなってもらえるんだとしたら、もしかしたらあっという間に出来てしまうかもしれない。また、高度な職務ほど給料高いから、ビジネスモデルが陳腐化して四苦八苦しているところほど、首切りに最適ですからね(人件費がすごく浮く)。

 高度ではない普通の事務作業の場合、前にも書いたように、もともとが書類作成・保管業務なんだから、オンライン化やIT化しやすいとも言えます。ていうかさ、今日本で、世界で、何千万人、何億人もホワイトカラーやってるんだけど、あれは一体何やってるの?という気もするのですよ。機械で出来ないの?と。だから上の記事のように、「お馬鹿ジョブ」化するのだろうけど。誰も真面目に読まない会議の資料をせっせとコピーしてホチキスの位置はここでとか。そんなのクラウドからダウンロードさせたらそれでいいじゃん。だけど身分社会の日本では、上の人にそんな手間をかけさせたら切腹ものだから、馬鹿な作業を延々とやる。生産性を低くしているのは、はて、誰ですか。

 そうやって推し進めていけば、残るのは現場での営業とかプレゼンとかいう人相手の取引でしょう。そこでは、その経過を報告したり、書類書いたり、決裁受けたりって話になって、そこで事務作業がいるのだけど、商談が終わるたびに現場の端末でピッピと入力して送っておけば足りる。それら断片情報を受け取って、膨大なデーターの中で並べなおしたり、関連付けたり、不備を補ったり、相手方の記録と照会して検証したりってのは機械で十分できるはず。

 さらにいえば、営業の花であるプレゼンでも、BtoBになるにつれ、相手サイドも「とにかくオンラインで商品記録送ってくれ」とか言われたら営業廻りも不要になるし、質問を受けたら、オンラインチャットやAIが答えるからそれも要らないとか。しまいには、買う側もATにやらせて、自動的に販社全てに「買いたいけどいくら?」と照会かけて、各社から集まってくる見積もり見比べて、詳細については再度やりとりして、それで最適解を出せばいいなら、それでいいじゃんとも言える。

 むしろ人間だけでやってると泥臭い話になって、ゴルフ付き合ったり、美味いもん食わせたりやらなきゃいけないから金がかかる。さらに資材部長がリベートもらって最適解じゃないところから購入したりって人為的損害もある。最終的なギリギリな値段交渉とか、手に汗握る高度な駆け引きも、一回ポッキリのオファーを「入力せよ」しか窓口がなかったら入る余地もない。総じて人間がやらないほうが上手くいくとも言えますし、現在の技術力をもってすれば不可能ではないでしょう。

 ただ、まあ、そんなにすぐにそうなりそうもないのも、ひとえに社会そのものが(ひいては僕ら自身が)その流れについていけずにウダウダやってるというドン臭さに起因しているのだと思います。でも、まあ、遅かれ早かれでしょうね。


 というわけで本来の目的(自信をつける)を達成したあともマックジョブやります。いいよ、早朝の厨房からできたてのクロワッサンをもらって、開店準備をしているカフェに届けたりするのって。

 いい年してデリバリーなんかやってどうのって思う人がいるかもしれないけど、キミは世界で最も有名なジジーのデリバリー業者を忘れているぞ。有名という意味ではビートルズよりもリンカーンよりも有名だぞ。はて誰でしょう?っていえば、サンタクロースのじっちゃんですよ。あれだってデリバリーだろ。まあ、煙突から入ったり、トナカイ調教したり、「誰にでもできる」ってわけじゃなさそうだからマックジョブというのは無理があるかしらんけど(そもそも一晩で世界中に配ること自体が無理だし、プレゼントの購入費用はどうしているのかも謎だが)、届ける喜びってのは同じだぞ。





文責:田村


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