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今週の一枚(2018/07/16)



Essay 884:ドバイ/スイス旅行で思ったこと(3)
 「え、そうなの?」サプライズ小ネタ集

 

 写真は、ジュネーブの旧市街地の風景。リアルな写真なんだけど、それ自体が絵画みたいな。
 窓の歪みがアートしてますねー。単にボロいだけなのかもしれないけど。
 先々週からドバイ・スイス旅行記を書いてますが、それぞれの国の本質とかそのあたりのトータルで小難しい話はこれまでにして、以下、軽いトピックを書きます。

 そのあたりの小ネタは本来ブログで書けばいいやと思ってたんだけど、なかなか筆が進まない。いつもだったら嬉しそうにバンバン書いてるはずなのに、なんか気が乗らない。筆不精になってます。忙しいというのもあるけど、それだけではない。多分、6月いっぱい、日本やらスイスやらいって、「お外で遊んで」来たから、”外”づいてしまったようです。デスクに向かってなんだかんだやるのが魅力的に感じない。

 それは書いたり、表現したりって楽しみをちょっと忘れているってことでもあろうしし、同時に、ネット中毒みたいな addiction が醒めてきているって部分もあるのでしょう。「バランスのとれたライフスタイル」って意味では、多少醒ましたままの方がいいんじゃないかって気分もちょいあります。

 んでも、さすがにエッセイは外すわけにはいかないでしょうという、「偉大なる慣性の力」があります。習慣というのは恐ろしいもの。長丁場のクソ勉強や練習とかやるとき、いつも座右の銘みたいに励みにする言葉があります。誰が言ったのか忘れたけど、「習慣とは、それは最初は「細い絹糸」である。すぐにぷっつりと切れてしまう。しかし、続けていくとやがて「鋼鉄の鎖」になる」と。ともあれ、勉強でもジョギングでも、鋼鉄の鎖までもっていけるかが勝負、最初は苦痛に満ち満ちているものが、やらないと気持ち悪いくらいに感じられるようになること。そこまでいけばしめたもので、ほっといてもやりますから。HPやブログなんかもそうですな。

 ということで本題ですが、今週は軽いトピックです。
 行ってみて初めてわかった、そんなの本やネットのどこにも書いてなかったぞ(あるのかもしれないけど見つけられなかった)という、「え?そうなの?」という、ちょっとびっくりのサプライズ話を。


男塾的なアラビアン・ナルシズム

 ドバイ・アブダビを旅行して思ったのは、女性が少ない。というか、見渡すかぎり男ばっか。女性は勝手に一人で出歩いてはいけないというイスラム戒律があったような気もしますが、そのせいかどうか、男が多い。観光客やら、観光客相手のビジネスとか、出稼ぎ外国人とかになると、女性もたくさんいるんだけど、ローカル的になるとおらん。いても旦那同伴とか、家族と一緒とか、そんなんばっか。

ドバイにて

 端的に「おお!」と思ったのは、ドバイツアーに行って、かの有名な半月型のビルがあるところ(7つ星ホテル、ブルジュ・アル・アラブとかいうやつ)の付近に立ち寄ったときのことです。あ、ここって、ぶわっとパームの木の感じを形どって広がる運河とリゾート(ザ・パーム・ジュメイラ)が特徴的なエリア(の近く)なんですけど、あのパーム形ですけど、近くにいくとデカ過ぎちゃって全然わからんですよ。上から見ないと意味わからん。僕も全部終わってから、あとで復習して、「あ、あそこにいたのか」ってわかったくらいで。

 ここね↓


 で、有名な観光名所だから観光客がぞろぞろ、、なんだけど、なんかしらん男ばっか。
 普通、こんな江ノ島みたいなエリアだったら、女子率は最低でも50%は越えそうなものですし、家族連れでさんざめいていても不思議ではない。


 ところがぎっちょん、よくよく見ると、見渡すかぎり男ばっか。
 もーね、これはゲイの団体の慰安旅行か、それとも刑務所の運動時間か?ってくらい。


 「え、そうなの?」です。

 大体において、若い独身男性が多く、この人達はなんなんだ?ラマダン明けのホリデーシーズンに他のUAEの田舎からやってきた”国内旅行”のアラブ人なのか、それとも出稼ぎ外国人なのか、そのあたりはわからんのですが。

 必ずしも若い人ばかりではなくおっちゃんも結構いたりして。

 世界の有名観光地では、だいたい韓国人の新婚カップルらしき二人が記念写真を撮ったりするのだが、ここではこんな感じ。絶好のインスタショット地点だから、いつも誰か撮ってて、そしていつ撮っても男臭い。しかもみんな「濃い」から、「男塾」みたいなムンムン感

 もうこの時点では、僕らの興味の焦点は、ホテルの建物とかではなく(別にこれだけだったら横浜と変わらん)、なんでこんなに男ばっかなの?という不思議な現象に移っていったのでした。まーね、たまたま僕らが行ったときだけそうなってたのかもしれないから安易な一般化はしません。でも、「たまたま」でこんなになるのか?って気もします。

 ちなみに海はきれいなんですよね。岩石の成分が作用してこういう色になるとか(あやふや)。

 しかし、暑い!もう余裕で38度とか40度とかだから、冷房のきいた車や建物から出るだけで「一大決心」みたいな。オーストラリアほどカラッとしてないから、オーストラリアの45度よりしんどい感じがする。リアルな現場感覚としては、建物がすげーとか、海がきれーとかいうのは30%くらいで、70%は「暑い!」しか思ってなかったです。海も建物も「あー、見た見た」「早く車に戻ろう」で終わり。所要時間数分で十分って感じでした。

 ここって、ドバイの中心地からは20キロくらい離れているので、無理して観光で来なくてもいいっす。観光用のショッピングの建物もあるけど、街中のドバイモールでいいです。


アブダビにて

 場所が変わって、ここはアブダビの有名なグランドモスクです。夜に行ったので、それはそれは幻想的な。

 で、ここは、さすがに著名観光地なので外国人観光客も家族連れも多いんだけど、それでもやっぱり男が多い感じがする。

 時間的にはこちらの方に先に行った(着いたその日の夜、ドバイは翌日)ので、まだそれほど男塾現象に気づいてなかったので、これといった写真はないのだけど、普通のスナップを見ても雰囲気は分かる。


 や〜、濃いわ〜


 で、なんとなく気になったのが、男一人で熱心にセルフィー撮ってる人が多い!
 そりゃまあ観光地だし、ここで撮らないでどこで撮るんだってのはわかるけど、それにしても多い。それも男が圧倒的に多い。女性ひとりできてるってパターンがほとんどない(外国人観光客やバックパッカー的な女性はちらほらいるけど)ので、必然的に、周囲のどこを見渡しても、熱心にセルフィー撮ってる男ばかりが目につく。

 しかも、超真剣。
 何が彼らをここまで駆り立てるのか?

 カミさんと「なんだ、あれは?」という話になって、以後、「アラブ人男性のナルシズム」がトピックになったのでした。それから先、そういう視点で見てると、どこもかしこもでした。

そうは言っても、、、反対検証

 ただし、このあたりはものの考え方で、むしろ日本人の方が「照れ」もあって、世界の人達にくらべて、それほどセルフィー撮らない(ツーショットなら撮るけど)というのも読んだ記憶があります。つまり、日本人なら、「僕が見た風景」「俺のバイク」「今日のランチ」という感じで、自分から見えてる風景や、自分にまつわるなにかを撮り、それと一緒に自分が映るということは少ない。でも、世界の人はもっとナルが入ってるというか、自分が好きというか、「○○と俺」「○○に来ている私」という具合に、自分を被写体に入れる。

 その意味でいえば、僕もカミさんも典型的な日本人で、あまりセルフィー撮る趣味はない。撮ったとしても、「私は今ココにいますよ」という事柄そのものがニュース性や情報価値を持つ(ネタになりうる)とか、HPやブログのプロフィールに使えるとかいうビジネス的な配慮でもないと撮らない。別にそんなに自分が好きでもないし、こういう物体(肉体)に魂が宿ってしまったんだから、宿命だと思ってあきらめて、死ぬまで付き合うしか無いよねってくらいのもんです。

 また、ほんとにアラブ人かどうかも確かめたわけではないです。
 そういえば、最近読んだ英語のニュースだったかで、世界で一番セルフィー好きなのはインド人だとか。なぜなら、セルフィー撮っててコケたり、車にひかれたりって事故率はインドが一番高いとかなんとか(どういう統計のとり方をしてるのか謎だが)。

 えーと、どこの記事だったかな、、、あ、これだこれだ。

 India's selfie obsession hits new low as man takes picture in front of dying road accident victimsという記事で、


 この記事そのものは、交通事故現場で3人くらい死にそうになってるのに、それを背景にセルフィー撮ってSNSに上げてる馬鹿がおって、インド国内でも非難の嵐だというものです。どこにでもいるのね、こういうのは。

 その記事の最後に、”A study published in the International Journal of Mental Health and Addiction earlier this year reported that India also ranks number one in the world when it comes to the number of selfie-related accidents.”(今年のはじめに「メンタルヘルスと中毒に関する国際ジャーナル」誌 に掲載された調査によると、セルフィーに関する事故数はインドが世界でナンバー1になるとされていた)。ま、でも、「世界で一番」といっても、単純に人口数でいってもインドは多いですからね。あとしばらくしたら中国を追い抜くのは確定らしいし、この記事も比率でいってるのか、絶対数で言ってるのかわからんのですが。

 ともあれ、あそこでセルフィーで頑張ってた男子諸君は、アラブ系ではなく出稼ぎや観光できていたインド系かもしれません。が、しかし、何度もひっくり返しても悪いが、だったらシドニーでも山ほどインド人やインド系観光客は来てるんだから、気づくんだったらとっくに気づいている筈です。だとすればやっぱアラブならではなのかなー。

 ま、何が正解なのか、正解なんかそもそもあるのか分からんのですが、ものすごーく印象に残ったので書いておきます。


生野菜食べないスイスの話

 旅行中二度、そしてシドニーに戻ってきた日と3度にわたってお腹が痛くなりました。腹部の膨満感、というのですが、お腹がぽんぽこタヌキみたいになって、しんどくて。胃腸は丈夫な方なので、あまり腹痛という経験はないのですが、それだけに「なんじゃ、こりゃあ」でした。

 理由は多分、暴飲暴食と運動不足で、長い機中時間と、ここを先途と空港のラウンジでぱくついた(エミレーツは、日本とドバイのラウンジが出色の出来で美味しかったぞ、機内食よりも良い)バチがあたったようなものです。

 ただね、それだけではなく、いつもふんだんに食べている生野菜を全然食べてなかったという点もあると思うのです。オーストラリアは野菜が美味いので、日本ではかなり義務感的に食べてたサラダも、こちらでは好物になるし、自然と身体が欲するのでよく食べます。それが普通なんだけど、旅行中はあまり食べなかった。

 特にスイス。ふと気づいたんですけど、野菜食ってないぞ、それも生野菜食ってないなーと。あとでガイドの多田さんに聞いたら、スイスでは積極的に注文して食べないと野菜は出てこないと。スイス料理といっても、チーズフォンデュとか、ほかにもあるけど、要はジャガイモとチーズで、普通付け合せに出てきそうな生野菜が少ない。特にレタスなどの葉っぱ系が少ない。

 サンドイッチですら、そう。クラブサンドイッチはさすがに入ってたけど、スイスで普通のサンドイッチとして頼むと、こんなのが出てくる。


 ツエルマットで最初に食べたものですが、最初は注文間違えられたかと思ったけど、よくみたら下に食パンが二枚に敷かれている。オープンサンドみたいな。ここでも、トマトはかろうじて飾り付けであるけど、あとはベービーコーンとガーキン(ピクルス)だけ。

 もうひとつはラクレットで、ジャガイモのお焼きみたいなものですね。


 途中から「そういえば野菜」と気づいたり、身体が自然に欲したりで、積極的に食べることにしました。とりあえずスーパー(スイスではやたらCOOPが多かったぞ)で、レタス買ったり、トマト買ったり。少ないからさぞかし野菜が高いのかと思いきや、レタス一玉で190円くらいだったから、別にそう高くもない。そんなに食べる機会なかったけど。

 グリンデンワルドでは、街中のレストランがあまりぱっとせず、たまたま泊まったホテルが、「ホテル・レストラン・アルピナ」とレストランを売りにしてて、まあ敬意を表して食べてみるかと思いきや、これが大当たりで、めちゃ美味しかったです。ガイドさんに聞いても、ガイドさんも行くところだそうです。

 そこで、サラダバーがあって、あれ食べたいなーと思って聞いてみたら、コースを頼んだ人向けらしい。別料金払うから食べられないの?とさらに聞くと、7-800円くらいでいけると。それっとばかりに食べました。


 これがですね、確かにレタスなどの葉っぱ系もあってほっとしたんですけど、大部分は、生そのものではなく、ちょい調理してある。それもお正月のおせち料理の「なます」みたいに、軽く酢でマリネしてあるようなものが多かったです。ほー、そのまんまの形(生のまま)ではないのかーと。でも、どれも美味しかったですよ。

 次の写真↓は、クライネシャイデックというユングフラウヨッホの中腹の駅のレストランで食べたランチなんですけど、、、

 右はSPAMソーセージのバーガーでボリューム満点。でも生野菜はなし。
 左が、なんとこれ「サラダ」を頼んだんですよね。あんまりサラダっぽくないのは、マリネとかマヨネーズとかなにかしら味付けしたのばっかで、生がないという。でも、これも美味しかったです。


 チューリッヒでは何食べたかな、、あ、イタリアンだ。チューリッヒはさすがに都会で、美味しそうなイタリア料理屋がけっこうありました。着いた日のディナーもイタリアンで、翌日の昼もイタリアンという。


 上はディナーで食べた「焼き野菜」みたいな一皿。Oven Roasted Vegitablesで、チューリッヒで食べたなかでは一番美味しかった。特にカプシカム(ピーマン)のローストは絶品で、めっちゃ野菜の甘みが出ていて、良かったです。数ある品からなぜこれを?といえば、やっぱ野菜飢餓感にとりつかれていたのよね。


日本人比率

 びっくりしたのがグリンデンワルドとツェルマットで、日本人多し。
 あ、スイスの山岳観光においては、大きくマッターホルン山麓エリアと、アイガー山麓のユングフラウエリアに分かれるようで、前者のメインの山里の村がツェルマット、後者がグリンデンワルド、あるいはちょい離れたインターラーケンらしいです。

 それら著名な山岳観光地については、「え、嘘?」というくらい日本人がぞろぞろ居ました。他は、ドバイ、アブダビなんか空港以外では一人も見なかったし、そもそも(北東)アジア人が少ない。同じく、ジュネーブも、モントルーも、チューリッヒも日本人をついぞ見かけなかったです。モントルーのシヨン城には観光団体のチャイニーズはいたけど、街中は特に。

 しかし、この2つの山岳エリアだけ突出して日本でした。ま、後でよく見たら結構ネットでも「日本人多いよ」って書かれていて、サプライズなのは僕らの予習不足に過ぎないのですけど。でも、予想してなかっただけに、駅に着いて歩いてたら、そこかしこで「だからさー」とか日本語が聞こえてきて「え?」と思った。また、総じてアジア人はスーパーが好きなのか、店内で「おーい、あったよー!」「こっちこっち!」とか聞こえてきたのでした。

 ↓なんと、スーパーの棚には、寿司ロールだけではなく、おにぎりまであった。しかもコンビニ仕様のものが。これって滞在日本人が買うのかな、それともヘルシー日本食需要で地元民が買うのかな。ようわからんけど、しかし、高いぞ。スイスフランはUSドルくらいだから、110円くらい、実践的には、100倍して(てか、フランのあとのカンマを外して)、あと消費税が10%かかると思うと大体合ってる。だから一個400円強のおにぎり。うーむ。


 ところで、今書いてて、このオニギリ、具は何だったんだろう?と。梅とかオカカとかあんの?それはないだろうなとか思って、小さく軽量化リサイズした写真ではなく、大きな原画から切り取ってみてみるとこのとおり(クリックするともっとでかく見えます)。
 左からテリヤキチキン、スパイシーツナと、右端がテリヤキ・Lachsで、Lachって何?ですが、オニギリについてる写真を見るとサーモン(鮭)かな。確認すると、ドイツ語で「鮭」でした。さらにこの会社(Betty Bossi)ってなんなの?と調べてみると、Wiki(英語版)に載ってて、スイスの老舗の食品会社みたいです。オニギリの上の棚がプロシュート(生ハム)でこれもBetty Bossiだから、手広くやってるみたいですね。このコンビニ式の角を引っ張っるタイプを採用しているのですが、これってLAWSONとかどっかが特許取ってるんでしょうかね。


 ちなみに、スイスはなんでも物価が高いと言われますが、モノによりけりで、さすが本場のエビアンの水なんか1.5リットルで100円強くらい(1本単位で買っても)でありました(日本のほぼ半値かな)。


 また、ツェルマットの宿は、なんかアジア系の新婚カップルが多く、中国や韓国メインで日本人はあんまり見かけなかったたけど、グリンデンワルドの宿は、客の半分以上が日本人みたいな感じ。朝食つきだし、ディナーも食べたのだけど、テーブルの過半数が日本人。なかには10名以上の団体さんもいました。飯食いながら聞こえてくるのは日本語ばっか。この宿も別に日系旅行会社経由で予約したわけでもなく、単にBOOKING.COMで、しらみつぶしに見ていって、一番コスパ良さげなところで選んだのだけど。


他の街の場合

 ↓UAEの場合。アブダビ〜ドバイ間の長距離バス。往路は朝3時半着だったのでタクシー以外に選択肢なしだったんだが、帰りは時間があったので地元の長距離バスを利用しました。10分間隔くらいでバンバン出ていて、料金も150キロ走って700円くらいとお値打ち。車内はもう完全ローカルで、大きな荷物を持ってる観光客なんか僕らだけ(預けた荷物のタグもくれなかったくらい)。

 ↓ジュネーブの朝の通勤風景。
 ↓チューリッヒの夕方頃。ここも日本人どころかアジア人が少ない。

ツェルマットやグリンデンワルドの場合

 普段がシドニーだし、ここでもこんな仕事してなかったら特に日本人と会う機会もないし、日本人がおらんでも特に違和感はない、てか居るほうが違和感があるんだけど、それがツェルマットとグリンデンワルドになると、「居る」どころか、街自体がプチハワイみたいな感じで「うわー、そうなんだー」って思ったです。

 ↓ツェルマットのチーズフォンデュの店。メニューにも日本語が書いてあったような記憶があるぞ。
 ここは老舗らしく、まああまり選択肢も無かったので無難にここで食べたけど、美味いのは美味かったですよ。イケメンで気さくなお兄ちゃんがサーブしてくれてて「なんで日本語で書かれてるの?」って聞いたら、「おじいさんが日本人と親交があって」とかいう話。

 ただし、この店の、お父さんらしき人は、なんか薄汚れた西洋乞食というか、存在そのものがコスプレというか、あまり食い物屋にそぐわないイデタチで、「フォンデュはこうやって食え」とテーブルを廻っては客に注文をつけていて、それが大阪ローカルのお好み焼き屋で、「まだひっくり返したらあかん」とかやたらうるさく客に指示するうざい店っぽくて好かんかった。またお母さんなのかな、厚化粧バリバリのおばはんは、金金ぽくて、勘定のクレジット払いでも勝手に日本円支払いにしようとしたり(でも押し間違えてスイスフランになったが=日本円払いのレート設定は店が決められるらしく、場合によってはかなり悪いレートにされるから基本現地通貨で払ったほうがいいし、少なくとも選択権はくれる)。

 あとフォンデュは美味しいけど、よく考えたらそればっかというのは飽きるしキツイよね。フォンデュの種類も多いんだけど、二人以上いたら一つでいい(他に別のものを味わったほうがいい)。ここでチーズばっか食べたのが、膨満感の原因の一つと思われますな。


 ↓同じくツェルマットのジャパレス。ドーンとありました。二泊したのだが、毎日ランチメニューが変わってた。
 なんで妙高?って思ったら、妙高市とツェルマットは姉妹都市を結んでいるのですね。山岳観光村どうしのよしみでってことかな。


 ↓同じように「京都ツェルマット会」というのがありました。

 以下、日本っぽい風景を。
 グリンデンワルドの駅前。日本度はグリンデンワルドが一番すごかったですね。駅前でいきなりこうだもん。
 もう少し、書体というか、フォントを、、、てか、最後の「ウェグ」ってなに?店の名前?

 ↓極めつけはユングフラウヨッホ駅(一番高いところにある観光名所)の展望台でありまして、なにげに違和感なく見過ごしてしまうところだったけど、「あれ!?」と。
 スイス旅してて、ほんとフランス語、ドイツ語の嵐で、たまに英語で書いてくれてたり、アナウンスしてくれるとほっとしたものですが、ここではさすが国際観光地だけあって英語、それに並んで日本語が。

 ↓ちなみにジュネーブからモントルーの車内の表示。あとで調べたら「停車駅に着くまでは扉を開けないでください」という意味らしいが、わかんねーよ、英語で書いてくれよーって。でも山岳エリアになると英語標準装備になるのが凄い。

 さらに「え?」と思ったのは、これで、
 こういう協定を結んでいるみたいですね。世界で一番高いところから郵便を出そうとか、そういえば観光ガイドに書いてあったな。
 こんなところまで日本語が。

なんでこんなに日本なの?

 推測するに、やっぱ明治維新から高度成長にかけて、欧米諸国に入っていった世界で最初の国だという沿革が大きいのでしょう。ただし、それ以上になんか親睦的な要素があったようにも思います。

 単に観光客が多いだけだったら全部中国語に塗り替えられいてもいい筈です。
 シドニーだって、僕が来た20年以上前はそこかしこに日本語の看板がありましたけど、今はほとんど見かけないです。中国語ばっか。もーね、日本語なんか「死に絶えた」って感じで、海外で長いこと定点観測みたいにしていると、母国の凋落ぶりをままざまざを感じますよね。中に居るとわからんだろうけど。

 だから利に聡いスイスならば、中国シフトしてもよさげなんだけど、そうなってないのはなぜか?単に「遅れている」だけなのかもしれいけど、それだけではなく、友好都市とか機関相互の交友が深い感じします。同じ、山の多い国どうし何かしら親近感もあったのかもしれない。また、日本人の登山家も多くスイスの山を登ったりしてますから、そういう関係もあるのかな。

 あと、総じてスイスは値段高めなので、シドニーほどチャイニーズは多くなかったです(そのかわりインド系は多かったかな)。また日本人が多いといっても比較的年配の方が多かったです。ある程度裕福な層なのですかね。10名以上の団体客がいたと書きましたが、カミさんがサラダバーで立ち話をしてきたところ、別にパックツアーなどではなく、とある有名な先生とその仲間たちみたいな個人的なつながりらしいです。昔っからスイスに慣れて、コンスタントにスイスに行ってる日本人が一定数いるってことなんでしょうね。ある意味、ハワイに似てますよね。

 そういえば、グリンデンワルドの駅のすぐ近くに「日本語情報センター」とかいうオフィスがありました。もう長いことやっているらしいです。

 ひとことでいえば、そんじょそこらの成金連中とは「年季が違う」ってことでしょう。その点では、スイスにおける日本はまだまだ一日の長があり、存在感があるのでしょう。

でも、オススメかも

 これらスイス山岳観光エリアですが、客観的に見て、そんなに海外に冒険的なエッジを求めないで、普通にヘルシーに安らぎたい方にはおススメだと思いますよ。「ちょっとエキゾチックでゴージャスな軽井沢に行く」くらいな感じね。

 ↓下の写真は、くだんの日本人宿泊客が多かったグリンデンワルドの宿、自分の部屋のバルコニーから撮ったもので、これが24時間部屋から見えるというだけで、けっこうゴキゲンな気分になれます。
 ↓同じバルコニーからですが、岸壁の赤い横筋は、右手の方にある夕日が、そこだけ雲の切れ目があって赤く照らされているもの。ずっと山頂が雲に隠れてたんだけど、明日からの快晴を期待されるような。
 ↓果たして翌朝はド快晴になってくれたのでした。

 日本人が多いといっても、「よく見かける」程度であり、全体の雰囲気は全然外国だし、そんな「旅情ぶち壊し」ってほどいるわけでもないです。僕らも、驚いたり、面白がったりしてるだけで、うざいと感じてるわけでもないです。「せっかく海外に出たんだから日本人のいないところ」という願望は、シドニーで日々満喫してますし、むしろ日本人と外人の存在感が逆転して、日本の町で「このあたりは外人さんが多いな」という感じで、「日本人が多いな」って思っているに過ぎないです。ま、このあたりの感覚は分かりづらいだろうし、別に分かる必要もないです。

 あと日本人が多いといっても、どこでも日本語だけでOKってことはないですよ。まず基本全然通じないでしょう。ただ、街やホテルの人が日本人に慣れてるでしょうから、そのあたりは楽でしょうね。それに他にもぞろぞろ日本人がいるから、ちょっとしたことでヘルプを求めるにしてもやりやすいし。

 高いといっても、日本のちょい良さげの温泉旅館と大差ないですから。山に登るにせよ、電車もケーブルカーも至れり尽くせりだし、歩くと言っても散歩程度みたいなルートもたくさんあります。別に健脚でなくても楽しめます。

 あと山岳観光でいえば、日本の長野県はじめ日本にも美しい山岳風景はたくさんあります。が、スイスの場合は、2回前に述べたように、とにかくどこを見ても綺麗だという徹底度が違います。これが一番デカいです。山そのものも綺麗だし、凄いけど、そこに辿り着くまでの過程や周辺の緑の丘陵やら、古民家風の建物が点在してる感じがいいです。頑張って何かをしにいくっていうよりは、ぼけーっと静養するにはいいんじゃないでしょうか。

 だから日本人が多いといっても、どっかの広告代理店がメディア戦略マーケティングでバーンと売り出して、ブームになって猫も杓子も〜って底の浅いものではないと思います。長い年月をかけて、多くの人が歩いてきたから、次第に踏み固められて、それが道になっている。そんな感じだと思います。先人たちが踏み固めてくれて道になってるなら、そこは利用させていただけばいいじゃんって。

海外の「使い方」の変化

 話のなりゆきでちょっと敷衍します。

 今回中東も含めて行ってきたのですが、思ってた以上に、世界が均質化してるな、互換性をもってきてるなって感じました。アブダビのジュメイラホテルなどは、さすがだな〜と思わせてくれましたが、ホテルのコンセントが最初から世界のいろいろな電器プラグに対応しているのですね。今回も、UAEがイギリス式の間隔の離れた丸棒二本で、スイスが一般欧州式の平べったい二等辺三角形型で、面倒くさくて、全部に対応できるユニバーサル変換器を買って持っていったんですけど、このホテルでは最初からどんなプラグも刺さるようになってました。将来的には世界中がそうなればいいし、日本でもホテルはそうすべきじゃないかな。てか一般住宅の建築基準としても、先を見据えるならそのくらい射程にいれていいと思う。

 今は、海外=冒険みたいな、そんな感覚自体がもう古くなってるようにも思います。シドニーでも、2000年のシドニーオリンピック以降、日本との落差が減ってきて楽になってます。僕が来た94年頃はまだワイルドな「海外」感がありましたし、シティなんか5時過ぎたら人もあんまり歩いてないし、照明も暗いし、かなりヤバい感ありました。レッドファーンなんか、かなり自殺行為的な。電車の表示も分かりづらいし、てかアナウンスの英語が聞き取れなかったらもう終わりだし、携帯なんか無いし、ネットもないし、家に電話つけても国際電話をかけるためには新たに200ドルくらい(だっけな)払って、さらにつながるまで1ヶ月待たされたり。僕よりも前の世代はもっとワイルドで、そもそも飛行機なんかない、船でいくしかないとか、世界旅行でも国境で兵士に銃をつきつけられて有無を言わさず〜みたいな。

 それに比べればネットが普通になってきた2000年以降、特にスマホなど携帯端末が便利になってきたここ2010年以降は、「海外」というほどの落差も冒険感もないです。世界のどこにいこうが、携帯で写真撮って、そのままSNSにあげてる時点でもう「冒険」じゃないよね。せいぜいがプチ冒険くらい。「冒険」で言うなら、日本で闇金から金借りる方がよっぽど命にかかわるくらいヤバくて冒険です。そこまでいかなくても、日本の昔ながらの閉鎖的な山村に移住するほうがはるかに冒険度は高いと思います。だからもう海外とか位置的距離的な問題じゃないんじゃないかなー。

 それは良いも悪いもないです。テクノロジーと世界経済は毎日進歩(少なくとも”変化”)はしているのだから、見える風景も変わって当然、出来る範囲も日々変わって(広がって)当然だと。実際の感覚でいえば、「海外」というけど、ほとんど「地続き」くらいに思ってたらええんちゃう?って感じです。

 あるいはこういう比喩の方がわかりやすいかな、浜辺でいえば、昔に比べて今のほうが「遠浅」になっている。ある程度だったら、ジャブジャブ歩いていっても大丈夫、背が立つ、でもだんだん深くなっていくと。昔は、遠浅ではなく、1メートルも進んだらいきなり背が立たなくなる、てか岸壁みたいなものでドボンてイメージです。その陸地と海との「全然違う!」の懸絶感が、スリリングな冒険心を産んだり、あるいはそこからプロテクトするためにサファリバス的なパックツアーや、至れり尽くせり式の企業駐在方式になった。

 でも今は、そこまで決死の覚悟をしなくてもジャブジャブ歩いていける。パックツアーじゃなくても、誰かにプロテクトしてもらわなくても、そこそこ歩いていける範囲が広がってきてます。これは一般論としては既に感じておられるところだと思うが、あなたがなんとなく感じてるレベル以上に、もっともっとそうなってるし、さらにそうなると。

 そうなるにはそうなるだけの理由があります。ちょっと考えたら分かるんだけど、そうした方が(互換性を高めて海外からの来訪客に楽になってもらう方が)地元が潤うからです。早い話が十年前に比べてみれば、日本国内だって外国人の方からみたら互換性も高くなってきているでしょう。英語や中国語表記やアナウンスも増えてきたし、情報も増えてきた。なぜそうするのか?といえば、その方がお金を沢山落としていってくれるし、儲かるからです。相手も楽だしこっちも得するWin-Win構造があるからでしょ。それは日本だけではなく、世界のどこでもそう。極端に閉鎖的な部族でも無い限り、そう。

 問題は、そうやって干潟みたいに新たに耕作可能地が広がっているんだけど、それを正確に理解できているか、対応できているか、有効活用する視点や戦略を模索してるか?です。そこを「海外=スーツケース」という70年代の新婚旅行みたいな感覚、どうかしたら夏目漱石がロンドンに留学したときのような古い感覚がまだまだ残ってたり。また、最近の「オリンピックだから」みたいな発想も古いですよね。もう20世紀の発想じゃん。

 それに遠浅とはいっても、やっぱり日本とは何もかも違うわけで、日本と同じでないと対応できないなんて硬直的な発想でもダメ。かといって何もかも違う!で身構えて(後ずさりして)いるのも違う。

 もっと柔軟に、もっときめ細かく、もっと広く。
 たとえば知らない外国に行っても、どのへんが同じで、どのへんが違うのかなって、それは千差万別のグラデーションがあるので、それを短期間に見抜く洞察力は要るでしょう。そのためには、およそ人の社会というものはこういうメカニズムに成り立っているという一般知識と経験はいる。そうやって自分なりに現地を把握して、その上で「じゃあ何ができるか」です。

 例えば、海外企業が多く進出してるから、進出するだけの旨味があるのかな、また進出しやすい環境整備を当地の政府はしてるのかな、だとしたら自分がちょっとそこで働いてみてキャリアを増やすってのは出来るのかなとか、現地法人とか簡単にできちゃうのかなとか。あるいは、ここはビザがゆるくて観光ビザ(or ビザなし)でかなり長いこと滞在できそうだとか、ここはネット環境も整ってるし、長期滞在型でリーズナブルな宿設備も多いので、定期的にここに滞在してネットで仕事しててもいいなとか。

 そこまでいかずに観光であっても、海水と淡水の混合する河口の「汽水」みたいなエリア、つまり外国感はあるんだけど日本的な安心感もあるぞという今回のスイス山岳エリアみたいな観光が好きな人はそっちで、同じスイスでもアジア人がちょいアウェイ感を抱くくらい濃いヨーロッパを感じたいならチューリッヒが良くて、いやどっちかというと基本は牧歌的で、適当に都会で適当に田舎という、日本の小さな県の県庁所在地みたいな感じがよければジュネーブとか。

 だから、なんといえばいいのかな、海外というのは「行く」とか行かないとかいうレベルではなくなって、海外を「どう使いこなすか?」という感じでしょう。それも本とかネットみて誰かのマネをするとか、お手本に従うとかではなく、先例ゼロの自分なりのオリジナルをどう作るか。

 だとすれば、さらに問題はブレイクダウンしていき、そんな「使いこなせる自分なのか?」であり、使いこなすにはどういうスキルと経験が必要かになっていくのでしょう。「自分なりのオリジナルな使い方」でも、その意識が先行しすぎて、なんとなくの先入観から自分のフレームを固めてしまって、なんでもそのフレームでしか見れなくなったら勿体無いです。まず「素材」を見て、その上で料理法を決めるというシェフみたいな感じがいいと思うのだけど、そのためには引き出しが多くないといけないし。

 そのあたり色々考えてしまいました。というのは、今回旅してて、今までの経験、ずっとオーストラリアに住んでたとか、英語がそこそこできるようになったとか、バイト経験なども含めて、全部役に立ってるんですよね。ほんとやってて良かったというか、やってなかったらもっと通り一遍のものになってたかも。と同時に、全然知らないところに来て、短期間で経験を積み上げて自由度を増やすという意味では、自分で一括パックパックやってるみたいな感じで、それも良かったです。そのあたりを語りだしたらもう収拾がつかなくなるので、また。




 
文責:田村


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