★↓背景画像bgmaximage★ グラデーションなどベンダープリフィックスを除去するJS★
883 ★背景デカ画像

  1.  Home
  2. 「今週の一枚Essay」目次
このエントリーをはてなブックマークに追加

今週の一枚(2018/07/09)



Essay 883:ドバイ/スイス旅行で思ったこと〜〜2つの弱者連合〜UAEのバランス感覚とスイスの反骨精神

 

 写真はマッターホルン。

 先週に引き続いて、ドバイ・スイス旅行で感じたことを書きます。

 先週の最後に、ドバイ(UAE)もスイスも全然違うんだけど、でも似てる、弱者連合であるという点が似てると書きました。今週はそこから。

UAE〜自立のためのバランス感覚

 UAEが小国の連邦であることは前回書きました。背後に広大なサウジアラビア、正面には小さな海を隔ててイランがどーんとあり、その隣にはイラクがあり、さらに先にはイスラエルとかパレスチナとかレバン、シリアがあるというきな臭いエリアです。そこに石油でお金持ちにはなったものの、図体は小さいし、そんなに存在感のない小国がいくつもあるわけです。

 ほっといたら、ぱっくんと食われてしまいそうだし、米ソ冷戦時代や現在においても、大国の思惑で国内が二分して代理戦争やらされてしまうかもしれない(ウクライナやシリアのように)。

 そうなってないのは、前回のシェイク・ザイードという傑物の先見の明と政治力によるのでしょう。が、思うに、単に小国が群れをなしただけでは、ぱっくんと一呑みにされるリスクは尚も残るでしょう。あるいは「離間の計」によって仲間割れさせられて、各個撃破で飲み込まれてしまうとか。

 それがそうなってないのは、相当なバランス感覚と腕力があったと推測します。あのへんの国を見てると、まず石油利権などについて隣国や大国と付き合う必要があります。ジャイアンみたいに傲慢なアメリカとも、あるいは石油価格の生産調整などでOPECなどとともうまくやっていく。自立独立といっても、ワガママであればいいってもんでもないでしょう。そのあたり波風立てないでやっている。

 次に、国内をまとめる作業があります。一つは、王族だけ富を独占して国民は奴隷同然にしてしまうと国内が不穏になって、外国につけこまれるリスクがあるので、国民をかなり豊かにします。前回書いたところです。

 でももうひとつあります。イスラム教です。行ってわかったけど、ドバイもアブダビもかなり敬虔なイスラム教国です。でも、絶対原理主義になってない。外国資本を導入して、経済的に繁栄して、外国人労働者や観光客を国民の10倍招いている(労働者だけで8倍いるんだから観光客いれたら10倍以上いるでしょう)。彼らはイスラム教国である人もいるし、そうでない人もいます。基本、西欧系の国際企業や富裕層は非イスラムでしょう。そんなのが自分らの10倍数で国土に踏み込んでくるのだから、「攘夷」的な生理的な排斥感覚だって出てきて当然だと思うのです。日本でも世界でもやっている「移民絶対反対」というゼノフォビアもそうだし、宗教的な反発もあるでしょう。あるいは西欧対「アラブの大義」という民族的な反発感情もあるでしょう(十字軍以来だから根深いだろうなー)。

反面教師のイラン

 イランなどは真逆のパターンだと思うのですが、大戦後、独立国としてイギリスの石油利権を排除しようとして、イギリスの逆ギレされ、アメリカCIAが暗躍し、外国に国の中に手をつっこまれて好きなようにされます。石油利権は完全に西欧にもっていかれるわ、西欧化合理化を進めさせるわ、それが嵩じて国内の反発を呼び、やがてホメイニ師によるイスラム教勢力のイラン革命が起きてしまう。そうなると成り行き上、非常に保守的で宗教色の強い国にしないと収まりがつかないです。

 思うに、原点的には圧政に対する反発とか、一部権力がアメリカと結びついて好き勝手されていることへの反発とか、そのあたりが国民の原感情であったはずで、別に宗教だけのために戦ったわけでもないのではないか。しかし、勢力をまとめるときに宗教的な大義というのはとても重宝する。でもそれで成功しちゃったら、以後その路線になってしまった。

 日本の明治維新だって、攘夷的な外交路線の闘争もあったでしょう。でも主たる倒幕勢力の薩長の原動力は「関ヶ原の仇を打つ」「今までの屈辱を晴らす」とかいう私怨だったりもします。でもただの私怨では大義名分がたたないから、将軍様よりもエラそうな天皇と神道を持ち出したに過ぎない。日本内戦(倒幕と戊辰戦争)においても、別に皆が神道を勉強し、宗教パワーで一丸となってたわけでもない。アカデミックに神道に詳しいのはむしろ反薩長の水戸藩などでしょうに。だからタテマエとして神道を担いだんだけど、それで成功しちゃったら以後それでいくしかなくなって、さらに時代が下って自分で自分に酔ってしまって、歯止めがきなくなって、宗教カルト的に暴走という。よくある話かも。日本人の心の原点は神道だって嘘だもん。僕ら庶民にとっては神社=縁日=お稲荷さんとかであり、さらに稲荷=キツネだったり、油揚げのお寿司だったりするわけで、庶民的な素朴なところはそんなもんです。それを原点といえばそうだけど、別にカルトっぽくもない、ただの風物詩でしょう。その証拠に神道の教義も別に知らんでしょ(知ってますか)?近所の神社では「○○のミコト」とか祀ってるんだけど、そんなの知らないでしょ?

 ともあれ、イランとアメリカは不倶戴天の敵になり、アメリカからは悪の枢軸と呼ばれ、イスラム=テロリストみたいなプロパガンダが行われるようになったと。

内政の充実

 同じことがなんでUAEに起きてないのか?
 推測で思う理由の一つは地政学的なものです。イランはソ連に近いので、米ソ冷戦の最前線に位置しており、アメリカとしても必死にこの国をキープしておくためガチガチに支配したがるが(アフガニスタンと同じ)、UAEはアラビア半島の内懐にタラコのようにあるため、そこまでソ連を意識しないで良かったのが一つ。

 もう一つは、やっぱりUAEが(シェイク・ザイードが)上手だったという点です。イギリス統治下にあったので、そんなに政治的にギラギラする必要もなかったのでしょうが、何よりも国内に不満分子を作らなかったのが大きいと思う。国が小さいからまとめやすいし、全員を富ませるのもイランほど難しくも無かったのかもしれない。

 大体大国が小国を飲み込むのは、国内に亀裂が走ってるときです。政府と反政府が喧嘩してるとつけこまれる。あるいは大国がそのキッカケを作ると。イランの場合も良くないのは、最初、イギリスの石油利権を排除しようとしてモサディック政権が国有化を発表し、イギリスとアメリカがこれをひっくり返そうとして、失脚してたもと皇帝のレザー・シャー(パーレビ国王)を応援、アメリカの力で復権したシャーがアメリカべったりになって、石油利権を西欧に献上。これもひどい話で、100%石油利益を西欧にもっていかれて、イランでは石油をいくら掘っても国には一銭も入らないという。その権力を維持するために、秘密警察を使って文句を言う国民を拷問したり。要は、もと皇帝といえども私益のためにアメリカと結託して好き勝手やってるから、国民側も「いい加減にせんかい」となって、革命を起こされてしまったわけですね。これもありがちな話なんだけど、こうしてみるとアメリカも大概馬鹿だにゃ〜というか、やりすぎて反発招いて全部パーになるという。

 UAEにはこれに類する話はなく、それは国民の反発を招くようなことをあんまりしてないのでしょう。と同時に、アメリカや大国達とは「話がわかる」ようにつきあうけど、あれこれ細かに内政干渉させるスキは見せてないということでもあると思う。

利益を与えて黙らせる

 このあたりの実利と感情の渦巻くパワーバランスのとりかたは絶妙なのではないでしょうか。国民の何倍もの数の外人を招きいれても、国民の不安感情を刺激していない。非イスラム的な人が町中に増えても特に反発を感じさせないのは、国民にそれだけの実利を与えているからだと思う。そういえば、その昔、サウジでビジネスやってた人から最近聞きましたけど、当時のサウジでは外国企業がサウジで会社作ろうとしたら、サウジ国民を一人以上入れないといけない。だから、サウジ人は外人とみたら寄ってきて「名前貸すよ」と。もうそれだけで一生遊んで暮らせるくらいの名義貸し料が入ってきたらしい。つまり外人が入ってくれば入ってくるほど、自分たちが豊かになるんだというシステムと理屈、そして「事実」を浸透させていく。

 一方、UAEは立派に敬虔なイスラム教国です。女性はすっぽり被り物をしているし、そもそも女性が外を出歩いてないです。相当きついんだろうなーって思うんだけど、でも、ドバイ=イスラム=恐いって短絡的なイメージになってない。イスラム恐いというのは、アメリカの下らないネガキャンですよね。アルカイダだってアメリカが対ソ連用に自分らで作ったのに飼い犬に手を噛まれるみたいにやられて、逆ギレしてって、結構情けない話だと思いますよ。なんかねー、いちいち下手というか、アメリカってもしかしてめちゃくちゃ外交が下手なんじゃないかって疑惑が僕にはあります。力づくで言うこと聞かせるだけという。

 アメリカはともかく、UAEにおいて宗教や民族性と大量の外国人を調和させているのは何故か?を考えていくと、つまるところシェイクザイードの人間洞察力がベースにあるのかもしれません。UAEでは本当に宗教は大切にしているんだけど、絶対原理主義にならない。政教分離なのか政教一致なのかよくわからないんだけど、そういう政治理念のレベルではなく、もっと根源的な人間洞察。つまり、「みんな神様も好きだけど、お金も好きなんだよね」という身も蓋もないような認識。利益を得られて、楽しく暮らせるなら、多少のことは目くじら立てないのが人間なんだよって、ここもすごい見切りがあるような気がする。いや、すごいリアリストだなー、と。


↓壮麗なシェイク・ザイード・グランドモスク。もーね、モスクだらけで、最初はおーとか写真撮ってたけど、日本における寺や神社みたいなものだから、だんだん見慣れて、ありがたみがなくなってきて写真も撮らなくなった。
 ↓新旧融合の図。アブダビのショッピングセンターのエスカレーターの注意書き。 なるほど、あんな長い服を着てたら裾が巻き込まれて危険なわけね。でもエスカレーターもやめないし、衣服も変えない。

 それにアフガンのタリバンが女性蔑視だとか、王族の支配が民主制に反するとか、UAEだって西欧諸国が叩こうと思えばいくらでも火種はあるんです。でもそういう論調にはついぞならないのはなぜか?それは、石油利権をちゃんと分けてもらってるからであるのだろうし、ドバイを始めとする国際ビジネスで美味しい思いをさせてもらってるからでしょう。

 その意味で西側もかなりご都合主義というか、いい加減だにゃあって思う。イランやアフガンには人権が〜とか民主主義が〜とかやいやい言うくせに、UAEやサウジには全然言わない。まあダブスタ(ダブルスタンダード、二枚舌)ですよね。

 ただ、そのダブスタを持ってきているのは、シェイク・ザイード時代からのバランス感覚だと思います。「あいつらは(アメリカなど)は、餌をちゃんとあげていれば吠えない」という「見切り」があったんじゃないかな。また、国際的なマーケティングでもイスラム的なネガ部分を巧妙に出さないで、とにかくセレブな高級感を前面にブッシュし、アラビアン・ナイト的なエキゾチックな香り付けをしてって。上手いよなーって思います。

選択肢は創造するもの

 シェイク・ザイードが王権を継いだ頃、僕が彼だったら、以下のような選択肢があったと思う。
(1)石油成金になって遊び呆ける
(2)王族絶対の階級制度を死守する
(3)アメリカなど大国にべったり服従し、(1)(2)を守ってもらう
(4)大国をきっぱり拒絶し、そのかわりアラブ民族主義にハマる
(5)あるいはイスラム主義にハマる

 しかし彼はそのどれもしなかった。そのかわり

(6)「未来の世界経済モデル」を想定し、それにアジャストしていき繁栄する

 という上記のどれでもない未知の航路を選び、かつ周囲の王国を糾合し、国民を納得させ、大国も納得させつつ少しづつ歩を進めていったのでしょう。

 すごいもんだなーって思うのですが、ここで何らかのことを学ぶとしたら、既存の選択肢(1〜5)はどれもダメであり、正解はどこにも存在しない中で、選択肢は自分で創造しろってことだと思います。考えてみれば、既存のものは「既存」である時点ですでに微妙に時代遅れになっており、それは時とともにどんどん時代に合わなくなっていく。ゆえに既存の選択肢を選ぼうとした時点で、もうダメだということですよね。まあ、ケース・バイ・ケースではあるのでしょうが、一般的にはそう言えると思う。そして、それを実現していく過程においては、周到なバランス感覚が必要。

スイスの場合

筋金入りの反骨の弱者連合

 スイスは永世中立国で、癒やされるようなきれいな山岳の風景を背景にハイジが暮らしている、めちゃくちゃ平和なイメージがあります。

↓イメージ通りのスイス(ユングフラウ山麓)

 だけど生き馬の目を抜く人類史でそんな平和ボケしてたら、あっという間に飲み込まれてしまうでしょう。旅行のあと、興味を持って後追いで調べてみたら、スイスの歴史は闘争の歴史っていうくらい万年戦国時代です。

 ガイドをしてくれた多田さんに、スイスっていつから「スイス」になったのですが、「俺たち」というアイデンティティは何時から出来てきたのか?と聞いたら、遡るとかなり古いそうです。

 どのくらい古いか?といえば、ウィリアム・テルの頃からです。10世紀までの西欧の歴史を復習すると、最初はローマ帝国絶対でやってたのが、落ち目になって、ゲルマン民族の大移動があって、あちらこちらの民族が行ったり来たりひしめきあったりしてるうちに、今のスイスの四言語(ドイツ、フランス、イタリア、ロマンシュ語)に原型になったとか。

 スイスがスイスとして自覚したのは13世紀と言われます。日本では鎌倉時代。その頃のエリアの覇者は、なんつっても神聖ローマ帝国であり、ハプスブルク家です。スイスにいって感じたことですが、本当に便利な位置にあって、ドイツ方面でも、フランスでも、イタリアでも東西南北簡単に行ける。いわばハブのような立地です。そして時代がくだって生産力があがり交易が盛んになるにつれ、重要性が高まる。その交易によって経済力をつけて、このエリアの3つ州が神聖ローマ帝国からの自立をしようとします。それが原点。1291年にウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州が集まって、力を合わせて自立を守ろうと誓ったのが「原初同盟」であり、うち「シュヴィーツ」州という地名が「スイス」の語源となったそうです。ウィリアム・テルが、神聖ローマ帝国の代官の命令でリンゴを打ち抜き、さらに後日代官を矢で射殺して英雄になったという。

 しかし、考えてみれば、甲州や信州や長野県が江戸幕府や日本国に逆らって独立するような話で、当然、中央権力は押しつぶしにきますよね。でもって、あけても暮れてもハプスブルク家との死闘の日々が続くのですが、そこで地域の各州がわれもわれもで参加していって大きくなっていった。戦争があり、同盟があり、条約がありの繰り返しで、200年くらいやってるんじゃないのか。それだけでも大したものです。

実は喧嘩が強い

 それをしのぎきったのは、思うに、スイスは喧嘩に強かったんだろう。弱かったらどっかで終わってますからね。生き残ってるのはやっぱり単純に強かったんだろう。なんで強いの?と見てたら、「スイス傭兵」というのが後年に一大産業になっていたそうです。おお、輸出するくらい喧嘩に強いのか?と。今も、バチカンの傭兵はスイス傭兵だそうです(儀式的なものだが)。

 じゃあなんでスイス兵はそんなに強いの?と思って、ぴーんと思いつくものがあります。ネパールです。ネパールのグルカ兵もめちゃくちゃ強くて、傭兵産業が盛んだと。グルカが強いのは、酸素が少ない高山地帯に生まれ育ったので心肺機能が強い、スタミナがあるし、足腰丈夫で身体能力が高い。多分、スイスもそうだと思います。今回、高山鉄道に乗って、富士山よりも高いエリアにいくと、やっぱ高山病の走りというか、ちょっと走っただけで息が切れました。これが日常で育って、平地に降りてくれば、そりゃあ強いだろうなーと思った。

 以上、スイスのなりたちというのは、超大国に蟷螂の斧みたいに逆らう村々の連合、弱者連合という点が原点にあって、その結束はかなりのものなのかもしれない。神聖ローマ帝国のあとは、宗教改革と対立があって、そのあとナポレオンが出てきて、ヒトラーのナチスが出てきて、その後はソ連とアメリカが仕切ってという、次から次へと敵キャラがエスカレートしてくるのですが、そういう暴風雨のような歴史環境においても、スイスがスイスとしてのまとまりを維持している。それも、およそ「スイス民族」という民族はないから、そういう民族的連帯でもなく、ましてや言語だけでも3−4言語というまとまりがなさそうな地域連合を何百年も国家としてまとめさせていくのは、並大抵のことではなかったろうと推測します。

 今回、モントルーの近くのシヨン城という観光名所に行ってきたのですが、古城観光でありながら、姫路城みたいな工芸品的な感じではなく、あくまで「軍事施設」「要塞」という趣でありました。日本語の解説パンフやイヤホンでの解説を聞いていたのですが、もうちょっと理解しきれないくらい長い年月にわたって戦闘を繰り広げているようです。最初はサヴォア家で、それがベルン州が攻めてきてぶんどって、次にヴォー州革命があってと、これらはスイス内部での戦国時代みたいなものですが、外にも喧嘩すれば、ウチでもやってるという。

↓「要塞」感ばりばりのシヨン城。

 というわけで「永世中立国」という平和なイメージとは裏腹に、建国以来、喧嘩ばっかやってるスイスは、今も徴兵制度を取ってます。永世中立というと、争いを好まない平和な感じがしますけど、しかし考えてみればキツい話ですよ。「誰とでも仲良くする」という意味もあるけど、「誰とも仲良くしない」という意味でもあるわけです。どっか友好的な大国と結んで、その庇護のもとにやっていった方がずっとずっと楽ですよ。アメリカべったりのほうがはるかに楽。そうすれば権力者は大国の力で、虎の威を借る狐的に国内で甘い汁も吸えるし。

スイス人とはなにか?

 でもそれをしようとしないスイスの人ってなんだろう?とか思っちゃいました。民族も、宗教も、言語ですらも自分たちの共通基盤になりえないのに、神聖ローマ帝国に逆らい、ナポレオンに逆らい、ヒトラーに逆らうのはなぜなのか?その結束はどこからくるのか?なんとなくの直感ですけど、要するにこの人達って、めちゃくちゃ「負けずぎらい」なんじゃないか。頑固というか、頭を押さえつけられたり、長いものに巻かれたりするのが嫌いなんだろうなー、そういう人たちなんだろうなー。そんな「趣味嗜好」みたいな部分が結束の根拠なのかもしれません。何百年もやってるから、それなりに歴史も伝統もあるんだろうけど、でも根っこの部分は「人間類型」「好き嫌い」じゃないかな。

 スイス人は国旗がとにかく大好きなのか、いたるところにスイス国旗が掲げられてます。僕の意見では、ああいう具合に旗とか偶像とかオブジェで結束を謳うところというのは、根がバラバラだから、ああやってないと駄目なのでしょう。日本の場合は、地域的に隔絶してるし、民族的言語的にもほぼ画一で均一だから国旗なんか敢えて掲げなくてもナチュラルに「みんな」感はあるからそんなもん要らない。それがスイスにはあんなにもあるというのは、ナチュラルに「みんな」を括る指標は存在していない。だから絶えず言ってないと駄目というか、言ってるといい気分になれるというか、「スイス的なる生き方」みたいなのが好きなのかもしれない。

↓やたら国旗だらけのチューリッヒの街

↓ジュネーブも

 だって、第二次大戦のときなんか、三国同盟のドイツ(ナチス)とイタリアにサンドイッチにされているんですよ。スイス人にはドイツ系もイタリア系もいるわけで、民族を基準に陣営を決めるなら国が割れてどっちかにひっついていてもおかしくない。でもやってない。ということは、民族意識よりも強い「スイス魂」みたいなものがあるんじゃなかろか。

 だからなのか、スイスでは年がら年中国民投票やってます。また、スイスの人が破格に先進的ってわけでもないです。婦人の参政権を認める国民投票では、1959年になんと否決されてしまうという頑迷ぶりだし(71年に認めた)。国連への加入も2002年になってからです。シェンゲンには入ってるけど、EUには未だに入ってないです。そういえば僕らもチューリッヒでは、レストランで微妙に人種差別的なことも受けました(非常に例外的なケースで、大多数の場面ではフレンドリー)。席があいてるけど駄目とか。おそらくこの親父はアジア人に不慣れなんだろう、可哀想になー、遅れてんなーこいつ、アジア人敵に廻して21世紀生きてるいけると思ってんの?とか思っただけだけど。

 UAEはシェイクザイードという破格の天才がすかーっと未来への絵図面を描いて、あとはみんな従うって感じじゃないかと思われるのですが、スイスにはそういうのは居ない。反骨のテロリストみたいなウィリアム・テルが未だに国民の英雄であり続けているあたり、誰か一人が決めて依存するのではなく、なんでも皆で話し合って、決をとっていく。手間暇かかるやり方なんだけど、それを愚直なまでにやってるのは、「納得しないとテコでも動かない」「力に屈しないが、議決には従う」という性格があるんじゃないかしらん。とても民主的なやりかたなんだけど、民主主義が素晴らしいからやってるというよりは、そういうやり方でないと動かないのでしょう。

 そういえばヨーロッパの古い(数百年以上の歴史のある)国々は、だいたい王様や皇帝が統治する封建形態を取ります。国の名前に「帝国」「王国」がつくやつです(オーストリア帝国やポーランド王国など)。それが19-20世紀にいわゆる「帝国主義」になっていくのですが、スイスって一度も「スイス帝国」になりません。世界最古の共和国とか言われたりもします。もともと自治権獲得のための地域住人の連合体、公害企業の進出に反対する住民運動がそのまま国家になっているようなものですから、帝国になりようがないのでしょう。

 王様だ、貴族だ、理不尽な階級差別だ、ムカつくから革命だってドンパチ内輪揉めをやってるのが人類の歴史なんだけど、ある意味ではとっても非生産的な段階でもあります。スイスの場合、そういう非生産的な段階を省略できたから(そのかわり年がら年中、元寇のような国難が連続するが)、その分、商売とかシステムに力を入れられたのでしょうか。スイス時計の徹底的に考え抜かれたブランド戦略(1万のものを30万で売るにはどういうイメージ構築が必要かとか)、ユニークな金融システム、そして前回延べた徹底的なまでの観光戦略など、穿った見方ではあるのですが、そのあたりから来てるのかも。

国際的真空地帯

 神聖ローマ帝国などの超大国がスイス侵攻を諦めたのは、多分にスイス人が反骨頑固だというのに加えて、急峻な山岳地帯だから統治しにくいという事情もあったようです。見渡す限りの平原だったら、大軍団でドドドと蹂躙すればいいけど、マッターホルンやアイガー山麓あたりなんか細い山道を一列縦隊でチンタラ行くしかなく、そこを山岳ゲリラと化した人々に襲われたらひとたまりもないし、四方八方に逃げられたら土地不案内だから追いかけることもできない。住民に積極的にその気になってもらわない限り、統治しにくいし、軍事費かけて大汗かいてやるにはコスパが悪すぎるという点もあったようです。

↓マッターホルン近くから見下ろすツェルマット。周りは全部富士山クラスの高山。こんなとこどうやって占領して統治するんだ?

 そんなこんなでスイスは、どこにも帰属しない、やたら頑固な人たちがいるエリアになるのですが、今度は逆にそれが価値を生んでくる。どこにも帰属しないから、国際的には真空地帯になり、そういうエリアというのは、それはそれで便利じゃないかと。大国同士が交渉のテーブルに付くにも、皆で議論するにも、場のバイアスがかかってない中立エリアはやりやすい。

 また、20世紀ではスイスは国際諜報機関(スパイね)の檜舞台にもなったと言われます。ある意味、安全地帯ですからね。どっかの陣営の国の力が及んでない部分では、秘密の話をするのに向いている。テーブルの下の交渉をするにも向いている。ジュネーブほか、スイスに国際機関が集まってるのも、為替投機をやる国際仕手筋みたいな集団を「チューリッヒの小鬼(The Gnomes of Zurich)」と呼ばれたりするのも、そのあたりからでしょう。スイス銀行の秘密主義にしても。

 これらの推測があってるのかどうかわからないけど(むやみに信じちゃ駄目だよ)、なるほどねー、面白いもんだなって思った。永世中立のハイジの国だから、さぞかし平和を愛する天使のような人たちが、世界にオープンに開かれた国を作ってるのかと思いきや、非常に非妥協的で喧嘩上等な人たちが何百年も突っ張り通してるから、逆に、ヨーロッパ大陸の台風の目のような真空地帯を産み、それが珍重されているということか。

 ひるがえって日本も永世中立にって話があるけど、これを考えると無理って気がしますね。なぜなら、国というのは、煎じ詰めれば国民一人ひとりの資質に還元されていくと思うところ、永世中立をやろうと思うなら、日本人一人ひとりが「長いものは絶対に巻かれない」「屈服するなら殺されたほうがマシ」という資質を持たねばならない。でも、真逆に、出る杭を打ったり、空気読んだり、世間相手にキョドってるような感じだから、まあ無理でしょうね。


閑話休題

 さて、ここまで書いて、現在月曜の夜明け前です。今週末は、通常の一括パックの本業のほか、土日にバイト(肉体労働の)が入りました。なかなか長時間で、2日間で7万歩以上歩きました、足の裏が痛いよ。でも2日で500ドル以上稼いだ(はず)。

 いやあ、6月は日本だ旅行だで金使いまくったので、せっせと稼がなきゃ、です。もうセカンドネームは「馬車馬」と呼んでくださいって感じ。とかいいつつも、やれ引越しだ帰省ツアーだ旅行の準備実行など、それまでがクソ忙しかっただけに、まだ楽ですけど。それに帰省中の宴会続きや、実家での養殖北京ダック的状態やら、旅行の長時間フライトやらで身体なまってましたので、このくらいハードに動いた方が本調子に戻ります。やれやれ、やっと身体が軽くなってきた。

 これで終わりでもいいけど、もうちょい時間あるし、書いておこう。

「スイス人」という人間類型

 そんなもん「ない」んじゃないかってのが今のところの結論。数百年の歴史を通観して、抽象的なエッセンスを蒸留濾過していくと、上に見たように反骨頑固で話し合いで決めるしかない人たちってイメージが出てくるのですが、それはあくまで抽象的な話。現実に出会ったスイス人達がそういう人達ばっかりってことはない。てか、もう、てんでバラバラ。いろんな人がいるなあって。

 民族的気質でいえば、ドイツ系(ゲルマン民族)と、フランスとイタリア系(ラテン民族)が混在してるんだから、共通属性なんか無いですよ。なんとなく、ああこの人はドイツっぽいな(イメージに近い)、ラテンっぽいなとかあります。でもより突っ込んでどうとかいうのは、そこに2−3年暮らしてみないとわからんでしょう。

 でも印象的な人々はいましたよ。

小学校の優しくて恐い先生

 最初、ジュネーブ空港に降り立って、入国審査を受けてたときです。ジュネーブ空港って、「え?」とびっくりするくらい田舎というか、牧歌的で、僕が知ってる日本の空港でいえば米子空港や高知空港みたいな感じ。飛行機からのんびり乗客が降りて、バスで運ばれ、農協の事務所みたいな建物に入って、入国審査を受けました。あまりの牧歌度の凄さに、無意識に緊張していた中東モードが一気に弛緩したのを覚えてます。ああ、なんて楽なんだ、癒やされるなーって。

 で、その入国審査の3−4人の審査官が並んでるんですけど、揃って中高年の男性ばっかで、なんか雰囲気がみんな似ている。なんていえばいいのかな、田舎の小学校や中学校の先生みたいな感じ。温和で優しげなんだけど、でも謹厳でちょっと恐くてって。

 結構人が並んでて皆待ってるんだけど、これがまた、やたら丁寧に審査をやってる。人が多いし、ちゃっちゃとやりましょうって感じは全くなく、意にも介さず、ゆっくり丁寧にやっている。あとでパスポートを見たら、入国スタンプがきっちり定規で測ったように角に押されているし、その隣にお行儀よく出国スタンプが押されているという。いやあ、僕ら日本人もそこらへんの意味のない厳格さでは世界一かと思ったけど(ご祝儀の福沢諭吉の顔が向きが同じでないとダメとか)、負けたわ。こんな丁寧な入国審査って初めてだわ。ちなみに出国のチューリッヒ空港ではそんなことなかったです。記憶にないくらい普通。

 でね、そのおっちゃんというか、初老のおじいちゃんというか、彼らの醸し出す雰囲気が、遠い昔に感じた「先生」のオーラで、なんか優しいけど恐い先生に宿題をチェックしてもらってる感じなんですね。いや何十年かぶりに「あの頃の気持」がフラッシュバックしました。甘酸っぱいというか、やたら素直になってる自分というか。

 最初に会った人なので、おー、これがスイス人なのか、なんか頑固なドイツ職人みたいだぞとか思ったんだけど、他の人に会ったら全然そんなことなくて、ただの偶然なのかもしれないです。ただ、似たようなのがずらっと並んでたので印象に残りました。

サンダーバードおじさん

 もうひとり、印象的だったのは、最終日のチューリッヒの湖岸のフェリーの乗船係員です。チューリッヒって、600円くらいかな払うと終日乗り放題になる切符があって、カミさんが見つけて、それを買って、バスも、船も、トラムも全部乗って、観光地でもなんでもないローカルのサバーブまで行ったりして楽しかったのです。

↓普通にローカルな町並み 良かったですよ

 その船に乗ったとき、僕らの他に観光客丸出し連中も結構いたけど、愛想をふりまくまでもなく、ニコリともせず、超真剣にチケットをチェックしている。で、ちょっとでも違っていると、観光客だろうが地元住人だろうが、「これは違う!」と厳しく指摘する係員のおじさんがいました。いやあ、オーストラリアにはなかなか居ないタイプ。

 なんかね、規則第一、規則こそ我が生命って感じで、うわあナチス・ドイツもこんな感じだったのかな、こんなんでやられたらそりゃたまらんわって感じ。カミさんと二人で「恐いよー」とかケラケラ笑ってたんですけど。

 でもってこのおじさんの髪型が、万年青年ぽいというか、白いフォークギターを持ってる60年代の若者というか、前髪残した七三分けで、顔立ちも相まって、端的にいえば「サンダーバードに出てくる顔」なんですよね。なのにやたら規則にうるさい。キミね、そんなことして生きてて楽しいの?って聞きたくなるけど、恐いから聞けない。

 上の先生風にせよ、いずれも、ステレオタイプのドイツ人っぽいんですけど、でも、全員がそうだったわけでは全然ないです。

 あ、でもね、トータルの印象としていえば、仕事や物腰が「丁寧」だなってのはあったかな。ステレオタイプのアメリカ人みたいな、ガムをくちゃくちゃ噛みながら(※実際海外に23年住んでるけど、そんな人ほとんど見たこと無いけど)、ぽんと品物を放り投げてくるような人は全然いなくて(ま、アメリカにもそんなにいないと思うけど)、「ぞんざい」という印象は無かったですね。そして、日本人やアジア人がそうであるような「せかせか」した印象も無かった気がする。「おい、後がつかえてるんだから、早よせんかい」的なオーラやノリは、記憶する限り一度もなかった。

 逆に言えば、あんまり手間暇を惜しんだり、時間を惜しんだりする感じはない。何にせよ「面倒くさげ」ってのはないかな。少なくとも、日本人がそうであるように、大した生産性も意味性もないのに、「せかせかするために、せかせかする」って感じはない。2−3秒待てば勝手に閉まるエレベータの「閉」ボタンを押さないと気がすまない、その2−3秒にどれだけの意味と生産性があるのかついぞ考えることなく、条件反射のように閉ボタンを無意識に探してしまうという感じではない。

 これがオーストラリアになると、さらに「のんびり」「おおらか」ってイメージが乗っかってくるんだけど、スイスの場合はそこまではない。ちゃんとやることやってくれるし、列車もほぼ正確に来るし、「やる」と言われてほったらかしってことも、短い滞在ではありましたが、なかったです。けっこうやることやってくれるんだけど、でも、せかせかはしてないなって。ま、でもスイス人がそうだというよりも、地球上で意味なくせかせかしている変わった人はそんなに居ないだけなのかもしれません。

反骨のリアル

 ただね、ふと思ったんだけど、上に見たように反骨で喧嘩上等な歴史があるから、さぞかし、おんどりゃ〜!系の、少年チャンピオン系というか、本宮ひろ志系の人たちかというと、意外とそんなことはない。もしかしたら、本当の反骨って、ちょっと空気読めないくらい真面目で、堅物なのかもしれない。ヤンキーにカツアゲされても、「いやあ、そう言われても、なんで僕があなたにお金を渡さないといけないのか、その理由がですね、ちょっと良く理解できないんですけど」って言って、結局渡さないような感じなのかもしれないなー。

 そう思うのは、かつて世界史シリーズをエッセイで書いてて、ルターの宗教改革調べてたときです。宗教改革の旗手であり、世界のプロテスタントの父みたなルター氏ですけど、あの人もそういう感じで、圧倒的なローマ教会権力の怖さがよくわかってなくて、皆がビビって言えないことを、ぼそっと言ってしまう。「あのう、贖宥状(しゅくゆうじょう、免罪符のこと)なんですけど、そんなの聖書のどこに書いてありますか?僕が調べたらどこにも見当たらなくて。無知で恥ずかしいんですけど教えてください」とか公開で書いたのが、積もり積もった皆の不満に点火し、爆発させてしまったという。すぐにローマから偉い人が飛んできて、「キミね、わかるだろ?困るんだよ、そういうことされたら」って「大人の事情」で説得するんだけど、「え?何が困るんですかあ?」ってかなり天然な人だったらしいです。おんどりゃー!系じゃないのね、全然。

 もしかしたら、スイスの死闘につぐ死闘の歴史も、そんなところが原点なのかもしれないなってふと思ったのでした。



文責:田村


このエントリーをはてなブックマークに追加

★→「今週の一枚ESSAY」バックナンバー
★→APLaCのトップに戻る
★→APLACのBLOG
★→APLACのFacebook Page
★→漫画や音楽など趣味全開の別館Annexはてなブログ