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今週の一枚(2018/04/23)



Essay 875:多忙な近況で思ふこと


 写真は、掲示板でもちょっと書いたけど、先日ニュータウンのインドカレー屋に行きまして。North Indian Dinerってところで、僕が23年前に来たときからある店。来た当初やっていたエクスチェンジパートナーのピーターに教えてもらった。
 カレーの種類がとにかく豊富で、未だにTakeaway系でここほど種類の多いカレー屋は知らない。ただし、ちょい高い。肉系多くすると14ドルくらい。安いのがいいなら、PetershamのNew Canterbury Rd沿いの店がいいです。なに頼んでも10ドル越えない。
 4月も終わり、日本の皆様はGWで羽を伸ばしておられる方もいるでしょうが、こちらは多忙の佳境に入ってきます。前にも書いたけど、本業のほかにコンスタントにバイト2つ(さらに一つ増やそうかという無謀な)、そしていよいよ引っ越しと新しい家決めと諸段取り、日本帰国と3つの実験的に行う大きめなオフ、そしてスイス旅行の準備段取り。

 「盆と正月が一緒にきた」という表現がありますが、主観的にはそれにワールドカップと大学入試がやってくるような感じ。

 毎日なんだかんだ進展やら発展やらがあって、恰好のFB・ブログネタになるんだけど、書いてるヒマがない。だから今回まとめて書こう。

バイトの話、仕事の話

 クリーニングとColesのトロリー回収をカジュアルで二本立てでやってて、慣れてどんどん楽になってます。最初は汗だくになって、数分に一回時計を見ては「まだ5分しか経ってない」って絶望的な気持になってたのが、だんだん時計も見なくなり、体感と実際時間とかほぼ均衡しつつある。そのうち「あれ、もう終わりか?」ってなるでしょう。そうなると仕事は楽ですよね。

仕事としんどさの関係

 思うのは「仕事としんどさの関係」です。過去のいろいろな仕事経験でいっても、「しんどい」って感じられるのは、ひとえに「未知」成分によるものだと思います。コントロール不能要素。不慣れな頃は、「こういう場合どうする?」がいちいちわからない。わからないからあらゆる可能性を考える。考えすぎて疲れる。ストレスも溜まる。辛いと感じる。

 Colesのバイトも、しっかりしてる面と、フレキシブルというかいい加減なところもあって、助っ人ヘルプで何時に○○店に来いとは言うものの、行ったところで普通のスーパーがそこにはあるだけ。誰が出迎えるわけでもないし、どこに集まればいいかもわからず。勝手にバックヤードに入っていくも、あそこ迷路みたいになっててなにがなんだかだし、完全ほったらかしの放置プレイ。途方に暮れて「もう帰ろうかな」とか思ったりもするが、海外生活長いとその種の「どうしていいのかさっぱり分からん」状態は、来た初日からそうですから、まあ慣れてます。おーいってSMSしてみても、"ask someone"(その辺のやつに聞け)と返ってくるだけ。

 そもそも仕事場に行くまでの道順やら交通状況もわからないから余裕をみて早めに家をでたり。精神的にも肉体的にも無駄が多いです。緊張は知らずに筋肉を硬直させるし、無駄なカロリーを消費するし、要するに疲れる。

 これがだんだん慣れてきて、奥行きも見えれば出口も見える。「ははあ、要するにこれだけのことね」ということで組み立てもできるし、そのぶんリラックスして体力の温存やら調節やらも出来る。どんどん楽になる。学生時代にやった出版社の倉庫のバイトも、外は吹雪のような雪の日、殆どなんの遮蔽物もないようなガランとした倉庫で、朝から晩まで本にスリップ入れてたことあるけど、まあ、寒いわ、腰痛いわ死ぐ〜って思ったもんだけど、あれも慣れますね。1年以上やったバイトだから、最後の方は、ふんふん〜♪で鼻歌うたって朝に来て、あっという間に一日終わりって感じでした。

 要するに「未知」成分がどんだけあるか、奥行きがどれだけ見えるか、どれだけコントラーブルかです。弁護士業はさすがに2−3年かかりましたよね。何をやっても「初めてのおつかい」状態で、弁護士業務の個別の作業というのは、普通に数えても数百くらいあります。相手方の銀行預金の仮差押やっといて〜とかいわれても、それってどうやんの?てな感じで、書式集調べて起案して、添付書類揃えて、ボンド(保証金)積み立ててとか事務員さんにやっていただきながら。それが、やれ交通事故やら、相続財産やら、離婚やら、知的所有権やら、手形やら、労働事件やら、不動産紛争やら、医療過誤やら、手続の種類も、調停、審判、民事訴訟、抗告、準抗告、特別抗告、即時抗告、公示催告、行政事件不服申立、全部違う。一度は自分でやってみないと先も奥行きも見えないからしんどいです。まあ、いい経験です。

 今のAPLaCだったら、奥行き見えまくりだから、全然しんどくない。てか楽しい。ほぼ全部コントール出来るので、全然仕事してる気がしない。多分、業務の水準でいえば過去の弁護士業のときよりもずっと上のレベルで出来ているとは思うのだけど、でも、慣れてるし、自営だし。

 あ、コントローラブルって意味でいえば、自営は上がいないからすごい楽です。自営業者に過労死なしっていいますけど、普通のサラリーマンよりもはるかに過酷に働いてる人はいくらでもいるけど、でも過労死しない。弁護士でも過労死しないし。なぜか?といえばコントロールできるから。自分で百パー予定を入れられるから調節できる。実際には調節しないで無理めに予定入れちゃってヒーヒー言うんだけど、でも自業自得はストレスではない。僕の今の状況も、全部自分で予定入れてるから精神的ストレスは少ないです。これがサラリーマンで上司の命令でこれやってたら、多分倒れているか、世界がすごくブルーに見えているはずです。

仕事とお金の関係 

 慣れて楽になればなるほど、Colesなんか特にそうだけど、フィットネスクラブにエクササイズに行くような感じ、ちょっと散歩にでるような感じで、しんどさが減ってくる分、仕事してる感も減るのですね。

 そうなってくると、これだけ働いて→これだけのお金をもらうという対応関係が曖昧になってくる。仕事が普通の日常になっちゃうから、「え、なんでお金くれるの?」みたいな。まるで歯磨きやったらお金くれるみたいな感じ。

 激務だったら激務で、そっちはそっちで大きな物語世界になってしまって、その世界に没入するから、ますますお金との対応関係がわからなくなる。TV番組などの刑事モノで、刑事さんが深夜に張り込みとかやってるけど、あれで超過勤務手当つくのかなーとかいちいち考えないのと似てます。

 そうなると、お金って面白いな、不思議だな、本当に必要なの?とか思っちゃう。なんか金が動かなくても、別に生活に不自由しなかったら、それでも世の中動くような気もするな。どんな仕事も日常のものになってしまうと、小学校の頃の給食当番とか掃除当番みたいな感じになってしまう。給食当番って、よく考えたら無給ボランティアで、子供労働で搾取なんかもしれないけど、あれにいちいち賃金払うのもなんか変だよなってのと似てる。

 仕事=お金って既成概念があるんだけど、本当にそうなのかな。法的にいえば、「何らかの財貨サービス(役務)の譲渡ないし提供」ってことになるのだけど、それにお金が絡む場合と、全然絡まない場合とがあり、そして、その境界線は、実はとっても曖昧。

 その境界線って、かなり気分というか、錯覚と言うか、固定観念というか。お金の根拠って実は無いんじゃないかなって思います。他人の家に遊びにいってご馳走になったら当然お礼はいうけど、お金は払わない。レストランなどでは当然払う。なんで違うの?他者による食事の提供という意味では同じではないか。その差はなんなのっていえば、なんとなく払わなきゃいけない気になったり、無料でいいような気になったり。

 お金稼ぎを目指す人は、そのあたりにセンシティブになるべきでしょう。昔、弁護士で独立するときは、デスクだけは金をかけろと言われた。200万くらい出して超高級品のマホガニーかなんかのデスクにせよと。そうなると、お客もお金払わないといけないような気になるし、10万や20万じゃ失礼なような気がするのか、なんにも言わなくても50万くらい出してくる。これがコクヨの安い事務机だと5万円でも高く感じる。人間なんか錯覚の生き物だから、雰囲気が高級そうだったら高く払わないといけない気分になる。

 金儲けって、要は「気分の創造」です。他人をして「ありがたがらせる」とお金は入ってきます。それがコツ。だけど、僕の性格からして、一番キライなことでもある。だってさ、俺は凄いんだ、カリスマなんだ、賞も沢山取ったし、世界でも何人もいない優れた人間なんだ、エライんだ、それをお前のために、すごーく高級でスペシャルなサービスをしてやるんだって、さんざんブラフかましたうえで、「でも、あなたに限っては、特別に安くしてさしあげます」ってやればいいんでしょ。方程式ミエミエ。もーね、こっぱずかしくて顔真っ赤になるわ。一括パックだって、一件100万円にした方が売れると思いますね。消費者は、質で判断せずに、値段で判断するからねー。

 でも、それって基本、他者に対して誠実ではない。消費者や相手の無知や弱みにつけこんでグリグリやってるだけじゃんって気がするのですよ。他の商売とか見てても、そのあたりが透けて見えるやつと、ああ良心的にやってるなーってのがわかったりもしますが、他人は知らず、自分でそれやるか?そういう人生でいいの?納得できるの?というと、うーん、と思いますね。そこらへんは昔から吹っ切れないし、あー、めんどくせー、どーでもいいじゃんそんなこたあ、とか思っちゃう。一生、お金には縁がないけど、気ままに、後ろめたい思いをせずに生きたいか、お金は入るけど忸怩たる思いを抱きながら生きていくのとどっちがいいか?だったら、やっぱ前者っすよ。てか、こんなことを考えてしまう時点でもうダメですよね。稼ぐ奴はそんなこと考えないから。あなたはどうですか?煎じ詰めれば、この世は「騙し合い」だと思うか、この世は「助け合い」だと思うか。どっちもアリなんだろうけど、力点レシピーの違いはあるよ。

お金の絡ませ方の研究

 日本でセミナーやるんだ、空き家有効利用するんだ、セーフハウスやるんだとかいう一連の「野望」もですね、「お金の絡ませ方の研究」みたいな部分もあります。吉田さん一家の援助を吉田債という金融商品に仕立て上げて年利5%の金利をつけたのも、そこがあります。

 「善意の行為」イコール「無償の好意」みたいに、お金取っちゃ駄目っぽいじゃないですか?あれが僕には気に食わない。前の事務所のボスも言ってたけど、いいことや正しいことやってる奴が一番金持ちにならなきゃダメだと。同感ですね。皆の or 誰かの幸せのために頑張ってる奴が、なんで無料なんだよ?なんでタダ働きなんだよ?冗談じゃねーよ。じゃあ、なに、皆に迷惑掛けてるやつが金持ちになるのが正しいわけ?そんな世の中作ったら恥だわ。

 だから思うのは、ボランティアでも、実際に皆を助けて役に立ってる集団だったら、月給百万でも200万でも取っていいと思う。またそれを非難すべきではない。NPOの「P」=プロフィット(利潤)は、お金を稼いではいけないという意味ではなく、利潤追求を最終目的にするかどうかでしょう?お金がからむと、なんか不浄みたいな、お金を取らないと「お金に”きれい”だ」とか、ああいうクソ幼稚な価値観はいい加減卒業しなきゃダメだと思う。億万長者になりたかったら、まず皆の役に立てって方がまっとーじゃん。

 だもんで、吉田債も、一般世間以上の無償の好意を寄せる人は、一般以上のリターンがなければならないと思って金利をつけたわけです。もっと大人の話にしようと。そうでないと「助けよう、カンパしよう、10円からでも受け付けてます」とか不毛な話になるじゃないですか。なにが「不毛」かって、そんなん言ったら3000円とか1万円とか、集まったところでせいぜい20万とかそのくらいで、それを「偉業!20万円も集まりました〜」とか自画自賛しつつも、結局何の役に立たない。百万単位で必要なんだから、そんなの自己満足の極致じゃん。「結果」出さなきゃ救われないんだよ。でもって、援助される方も、3000円かそこらで一生恩義に感じて、頭を下げてるのも変でしょう?だから対等に、WinWinで、出す方は一般の投資よりも利率が良いというリターンを受け、もらう側はきちんと急場をしのげるという実益があり、且つ過度に卑屈にならず対等でいられるという形にしないとダメだと思った。それはこんな文字数使って、長々思考した末ではなく、直感的に1秒でそう思った。「カタチが悪いな、カタチをよくするにはどうしたらいいか」と。

 善意とかボランティアとかいう話になればなるほど、積極的で、透明で、合理的な形で、お金を絡ませていかないと。でないと、善意は善意で副作用があります。百パー無償だと、「やってやった」という立場的な優越が出たりしてそれが良くない。大体、無償とか、アマチュアというのが一番醜悪だったりする(アマチュアスポーツのオリンピックの金まみれ利権体質を想起せよ)。だから、お金の別の効用は、その種の臭みを消すための「薬味」として使える。お金を敢えて絡ませることで、恩着せがましいフォーマットを一掃する効果がある。お金は、人間関係の微妙な臭みを消す効能があると。もちろんお金が絡むことによって別種の臭気や醜悪さが出る場合もあるので、お金というのは毒物劇物です。かなり賢く使わないと。あなたの社会的成熟性や人間洞察力が鋭く試されるのがお金であって、だからお金を使うのは、お金を稼ぐよりも何倍も難しいって言われるゆえんです。

バイトの風景

 閑話休題、罪もない話を。Colesのカジュアルバイトって面白くて、現場の責任者(チームリーダーと呼ばれる)から直前にヘルプ要請がSMSでくる。

 こんだけ。いたってシンプル。でも2件に一件は他とバッティングするので断ってますねー。

 前にも書いたが、現場ではインド周辺系が多くて、リーダーのナッシュ君は、どっしりしたお父さんタイプで静かで頼もしい。まあ実年齢では僕の息子くらいに相当するんだろうけど、あっちの方が年上みたいな貫禄。アフガニスタン人です。よく一緒になるシャアフー君は、ちょい小柄で黒縁メガネで髭面で、シャイなはにかみ笑いを浮かべて訥弁気味に喋るという、大学の文化系サークルに一人はいるようなタイプで、バングラデッシュ人。先週の月曜は、スラリと上背があって、にやけた二枚目風のリズワン君と一緒になって、彼の口癖は「もっとサボれ」で、ネパール人。故郷はカトマンズよりも離れてて、故郷のきれいな写真をスマホで見せてくれた。弟が名古屋に住んでたらしい。

 あのへんからオーストラリアに来てるだけあって皆さん賢いし品がいい。なんとなく喋ってる感じでいうと、司法研修所のクラスの雰囲気に近い。でもって、みなさん優しくて「キミはまだはじめたばっかりだからこっちの軽いのにしろ」とか勝手にこっちの仕事を減らして、自分の方を重くしてやってくれたり。移民国家ってだいたいそうだけど、社会階層でいえば下の方がIQ高いから面白いよね。

 


 ↑地下駐車場から、年代物の貨物エレベーターで運ぶこともあるのだが、これが超遅い。まあ休めるからいいんだけど。でも、シャアフー君によると、先日エレベーターが停まってしまって、ヘルプブザーを押してもシカトされ、携帯電波もつながらずで3時間監禁されてたそうな。僕もいつかはその日がくるのだろうなー。トイレだけはこまめにいっておこう(笑)。



 適当にブレイク入れられるんだけど、屋上が気持いいのよね。



 あ〜、やれやれひと仕事終った〜ってときに。


引っ越しの件

 ともあれ今の家は出ることにして(次も決まってないのだが)、written noticeを不動産屋に送ってます。

 1年今の所にいて色々わかりましたねー。前が7LDKだったから1LDKでも大冒険だったんですけど、実際やってみたら、それでも広すぎるわ、そんなに要らんわって。Lane Cove時代は、近くにバッパーも何もなかったから家に泊めるしかなかったから大きなキャパが必要だった。でも今はバッパーもAirbnbもいくらでもあるから宿泊面からは解放された。でね、実際に稼働率で考えてみたら、誰か来て話をしてる時間なんか、睡眠時間も含めたらそんなにない。実際には、PCに向かってあれこれやってるか、寝てるか、飯食ってるかしかないので、学生アパートのような6畳か4畳半で十分なのが判明。てか、広いと、タバコやコーヒーや鍵をどこに置いたか探し回るという馬鹿みたいなこともある。

 そして周囲が工場の廃液が流れるドブ川とか治安悪げで、ココロも荒むような町だったら、せめて部屋の中だけでも楽園にしようとおもうが、オーストラリアはどこでも外のほうが麗しい。Glebeもそこそこ緑はあるし、古い建物が多いので歩いてて楽しいし、学生街でカルチャー街だから店もそこそこいい。だから家の中なんかどうでもいい。外がいいんだから。

 でもって、前にも書いたが、もうオーストラリア家賃高すぎ。もともと最初に来たときは家賃がのけぞるくらいに安いから永住しようと思ったのに、こうなると日本のほうがいいよなーとか思っちゃうくらいで。

変わるオーストラリア永住のメリット

 そういえば、僕が来た頃とは、永住メリットが変わってきたなーとは思います。

 僕が来た頃は論外レベルにオーストラリアの給料安かったから、日本で稼いでこっちでのんびりってパターンだったけど、今は違う。あ〜んなコールズの仕事であっても時給27ドルもでるんだから、すぐ稼げてしまう。昼頃にぶらっとバス乗って、夕方のラッシュにはもう帰ってきて、それで1万円以上稼げるんだから、こんなんでいいの?って感じ。でもって、人がまっとー。こっち来てから人間関係でイヤな思いをしたことは殆ど無いけど、逆に見知らぬ他人に救われたことは数限りなくある。トロリー押してても5時間で何十回もサンキューって言われるし。政治や社会システムも、(日本は言うに及ばず)世界的に見てもかなりまとも。老後も福祉もそれなりにしっかりしてるし、助け合いのマンパワーが強い。

 つまり、今のオーストラリアは、普通に生きて働いて普通に幸せになるというごく平凡な幸せ、社会のスタンダード定食で全然OKさってのを味合うのがメリットだなって思う。逆に日本は、どんどん社会がぶっ壊れてきて、遠からず応仁の乱みたいになるでしょう。僕のように「治において乱を好む」タイプ(そうでなければ弁護士なんてならんて)には面白い。オーストラリアには冒険するためにきたんだけど、今となっては日本の方がヤバくて面白いという逆転現象。

 だもんで、平々凡々と幸せになりたかったらオーストラリアにおいでませ。ヤバい冒険したかったら日本に行こうってことです。ピンとこないかもしれないけど、だんだんそうなっていくと思うよ。

   ただ唯一の欠点は、家賃高すぎ。絶対価格として、カプチーノ1杯の値段と不動産の値段とで釣り合いが取れてない。エンゲル係数ではない、レント(モーゲージ=住宅ローン)係数、バカ高い。だもんで家賃対策をせんとダメだなって思ったです。不動産価格はここのところ下がり気味だけど、「大暴落」くらいしてほしいですね。

 今のところは家賃以外は不満もないし、大家さん夫婦は、どこかな中東系かな?すごーいいい人達で、出るといったら奥さんも訪ねてきてくれて、「家賃値上げはナシにするから居てね」って頼まれたけど、ごめんねーって、そういうレベルじゃなくてって。

目指せ、家賃半減!

 というわけでヒマ見つけてインスペクションやってますが、目指せ家賃半減!です。暴挙のようだが、このくらいドラスティックなことを断行しないとパラダイムが変わらん。てか、ダイエット中毒みたいに、どこまでスリムに削ぎ落としていけるか面白くなってきたというのもある。年とるとモノ増えるしね、またモノや金で済ませようとか楽しようとするしね、そんなクソぬるい根性で人生の後半戦やっていけるわけないだろって思うのもあるし。


 でもってこの価格帯で探してなかったから知らなかったけど、このへんのテラスハウスって、アパートみたいに独立形式になってるところが多くて、こっちの「おひとりさま」専用住宅になってるっぽい。学生さんもいるし、年金暮らしのおじいちゃんとか、未亡人とかもいるし。なかなか濃くて人が面白い。Boarding House (寄宿舎)とか Bachelor(独身寮)とか言われるんだけど、 めぞん一刻みたいな。不動産屋にも聞いたけど、居心地が良いらしく、皆さん長っ尻で出ていかないので出物が少ないと。それでもコンスタントに出るから、よっぽど多いんだなって。そういえば一軒の家っぽく見えながら郵便受けが沢山あるところが結構ある。

 安いからボロいんだけど、僕はボロいのはそんなに気にならない。それが骨董品みたいに「テイスト」になるか、心がすさみそうかの判断ですねー。もともとこのあたりのテラスハウスって、ちゃんと手を入れたら2億くらいはする(数千万改築費用がかかるだろうが)から、モノ自体は悪くない。天井高いし、壁芯厚いし。今のところも古い建物だから、ワインセラーみたいに、夏は涼しくて冬は温かい。クリーニングの仕事してて、数億の豪邸とかいくけど、なんかピカピカでプラスチックなホテルみたいで、詰まらんです。3億位出してこれかよーって思うわ。

 ↑↓この家も面白かったですねー。裏庭に面した一角で。ちょっとLane Cove時代の家を彷彿させる佇まいで。ただ、ちょい湿っぽいのと、シャビーすぎるのが気になってボツ。

 ↓これは結構ココロ惹かれた物件で、320ドルでまあお手頃。今のところから100メートル。これにもう小さな一部屋ある。

 誰のものでもない共有エリアで、バックヤードへの回廊になっている。変な作りなんだけど、建物ごとに個性がすごくあるので、飽きません。

 ↓いいなーと思ってるブリッジRdの物件。窓からの眺め。いや、今の家もいいんだけど奥の自分の部屋が裏通りに面してて、工事車両は年中入ってくるわ、周辺住宅が年がら年中改築工事をするわでうるさくてかなわんのですね。表通りの車の音なんか、こっちは遮音性高いからほとんど気にならないけど、裏のほうがむしろうるさいというのは盲点で。だから、麗しくはないけど平和なバックヤードがある方がいいかなと。建物も森閑としてるし。

 ↓表通りはこんな感じで、Bridge RDでも一番街路樹が鬱蒼としているあたり。朝晩だけ交通量が非常に激しいけど、ほとんど聞こえない。

 ↓テラスハウスの中はこんな感じで、これは別件。めっちゃファンキーなおばさまが見に来てた。写真に写ってる方だけど、もう70くらいなんだろうけど、背筋シャンとしててカッコ良かった。

 ↓右手前暗くて見えにくけど郵便受けがずらっと並んでる。複数世帯が入ってるわけです。
 この右と左の家の玄関をよく見ると、建物番号の上になにやらステッカーが貼ってあるのだけど、これがこの物件を統括管理している不動産屋です。

断捨離計画

 ただ問題は、断捨離方面で、せっせとCDをPCに収めたり、スキャンしたり。でもって、ついに、ついに今日(昨日か)、完成しました〜!やったー。うれしいから自慢しちゃおう。

↓なんも手を付ける前の状態〜本棚に収まりきれない。写ってないけど、まだもう一本あった。


↓1年前の前回の引っ越し時の状況〜本棚5本の3本分までは処理して、このあたりで力尽きていた。


↓先週の月曜日の状況。完成まで後少し


↓昨日の状況。完成!

 自炊スキャン小説・評論・雑誌タイトルリストに打ち出したら1663冊。重複してるのも数十冊あるから1500冊くらいかな。数年前からシコシコと。もっともそれ以外に、過去の写真とか記録とか業務関係やら税金関係やら、ホチキス外してレシート類をスキャンしてってやってますし、漫画はまた別にあるので、実質はこの倍あると思います。とりあえずひと仕事完成というのはうれしいです。ジグソーパズル完成した気分。
 
 全部PDFデーターで持ってますので、研究その他必要でしたらお声がけください。AERAだったら2009年〜2015年までのバックナンバーほぼ全部スキャンしてます。該当箇所をお調べ出来ると思います。ここで「あげるよ〜」とか迂闊にいったら著作権法違反になりうるんで。

 こうしてみるとメインに読んでた本とかかなり違う。日本を出る時に蔵書の3分の2は破棄したし、以後実家に置いておいて、「ええ加減に処分せえ」と言われてまた3分の2くらい破棄して、うち多少はこっち持ってきてって本をスキャンしただけです。漱石などの著作権切れの古典は青空文庫でテキストが手に入るからスキャンしてないし。そもそも一番感銘を受けて読み漁ってたのは中学高校のときで、そのときは金がないから全部図書館通いでした。そっちこそスキャンしたいくらいです。

 

日本帰省企画

 前々から書いてるように、東京・津・京都でオフというか、セミナーというか、実験的な試みをやるつもりです。オフ掲示板ブログ(連動してFB)で書こうとしてるんだけど、なんか、昔からの人ってこのエッセイしか読んでない人も多く(まあ、増やしすぎたしね)、ここで書くのが一番広報効果があるというので、ここに書きます。

 東京は、「会いたい人いますか?」「空き家や場所ありますか?」と公開で聞いてますが、あと一ヶ月もあるのに、既に何人、5人、7人かな、手を上げてくださってて。ありがたいことです。ただ取り合わせがすごい面白いので、相互にお引き合わせしたいくらいだ。

 場所の候補も、パースのゆかりさんか2つ、三浦半島と奥多摩に、山口さんからも横浜菊名の物件を紹介していただきました。いずれも普通の空き家ではなく、それを有効活用しているというケーススタディ的にも面白い。

 一方、高橋さんという方から、ご自身で経営されている公認会計士の専門学校の空き教室をというありがたいオファーもありました。高橋さんは、5年ほど前、日本がアベノミクスとかで馬鹿騒ぎしてた頃、 「デフレ脱却」は危ないという著書を書かれた方で、わざわざシドニーまで献本していただいたのが縁です。2−3メールのやりとりをしたのですが、僕に劣らず文章が饒舌で、書ききれないからといってその都度WORD文書で送ってくださったという。

 セミナーやるなら完全プロ仕様の教室に勝るものはないのですが、セミナーやるのか?って問題もあります。ただ、一箇所の居場所を決めておいて、都合のいい時間に来てください〜ってのはアリだなって思います。

 もともとセーフハウスだ空き家だとか言ってるのは、日本の経済社会に対する真面目な危機感あってこそです。借金1000兆円もあってマトモなわけがない。毎年半分は借金(国債)で当たり前のように賄ってる時点で、これが個人だったらとっくに自己破産してます。恐竜のように図体がデカいから、死ぬまでに時間がかかってるだけのことで、遅かれ早かれでしょう。もし無借金、少なくともこれから先は赤字予算にはしないとするならば、そしてベッタ公平にするなら、防衛費も公務員の給料も医療費も年金も福祉も私学助成もなにもかも半減にすべきですし、もし本当にそうしたら一千万人単位で破産状態になるっしょ。

 ほんとはそれでも断行すべきなんだけど、それをやるだけの強靭なメンタルがない。するとどうなるかというと、大本営的な幼稚な嘘がまかり通ることになるだろうし、現にそうなっている。前にも書いたが最新統計で65歳以上人口が60万人増えて、18-64歳の労働人口が58万減っている。定年で空いた職を埋めるためには労働人口が60万人増えてないといけないんだけど、逆に減っている。すると大雑把に合計118万人分の職務を残った人間が分担してやらないと廻らないことになり、猛烈な過重労働になってるはずです。世界的な時代の流れはどんどん仕事が減ってるんだけど、日本の高齢化によって皮肉なことにそれがオミットされている。だけどそれは景気がいいわけでもなんでもない。失業率が改善とかいっても、内訳をみたら65歳以上の労働者が増えて、生産人口では減っている。なんのことはない、定年老後をゆうゆうと過ごせず、その後も働き続けてる人が多いだけのこと。

 実際65で退職して、退職金その他数千万貯めても足りない。2050年には100歳以上が100万人になるとか先日東大の高齢社会総合研究機構が言ってましたけど、2050年って今28歳の人が60歳になる時ですから、そんな先の話じゃないのよね。どうかしたら僕だってまだのさばってるかもしれないよ。老後30年とかいったら、3000万あっても年割にすれば年間100万。金利はゼロだから増えない。月8万かそこら。それでも税金その他はがっぷりもってかれるから、月5-6万?これで年金破綻したら正味それだけだし、これでどうしろというのか。夕方のスーパーの特売安売り狙って買って、息を潜めてひっそり30年生きていくという。親の遺産をアテにしてても、長生きの親が全部使っちゃうから残らない。不動産は負動産だわ、金融資産は一発ガラがきたら溶けるわ。

 ただ、ま、そんなわかりやすい形で破綻しないとは思います。やるとしたら、ちゃぶ台ひっくり返しというか、負けそうな将棋を盤面ひっくり返しでチャラにする大戦争やるくらいだけど、リアルにはなんだかんだ誤魔化しながら、見え透いたバラ色の嘘を並べつつ、真綿で首を締め続けるような話になるでしょう。ある意味ではそっちの方が恐いです。いっそのこと焼け野原になってくれたら、戦後のように馬鹿パワーも出ようし、吹っ切れて頑張るっきゃないってなります。利権構造も一緒に滅びるし、あとがやりやすい。でも、悪しき現状維持が延々続くと、死ぬまで腕立て伏せやらされているような灰色世界になって、いろんなところで弊害が出るでしょう。

 それがどこまで本当なのかわからんけど、世の中クソリアリズムで廻ってることを考えれば、今日やらない奴(政府その他)が明日やるわけがないし、個人レベルで何らかの対策はいるだろうと思います。だからその「何らかの対策」を模索しようと。で、はっきりしてるのは、これから先、今よりも老人が増える。自分が老人になるし、老人になってからの時間が長くなる。同時に空き家も増え続けることです。明白な事実としてそれがある。だったら、必要なのはそれを嘆くことではなく、それをどう有効活用するかです。

 ただね、僕は悲憤慷慨、天を仰いで罵詈す、みたいにエモーショナルに高ぶってるわけじゃないです。わりと無感動に「ふーん」って。ジャングルの中で、どっちにいったら生き残れる確率が高いか、どういうやり方にしたら最も効率的で合理性が高いか、そしてなによりも面白いか、楽しいか、を考えているだけです。カチカチと頭の中で計算しながら、うーん、じゃあこうしようかとか。

 話はそれましたけど、そういうデカい世界観とか現状認識、その上に重なる自分の人生観とか、そこらへんの話はどんどんすべきだとは思います。APLaC界隈はそれをわりと言える場なのでね。

 まあ、そんなことより、単に久しぶりにあって「おう!」とかいうだけでも、あるいはオーストラリアでの個々の生活のあれこれとかでも、まあ、なんでもいいです。

 昼間にそれやって、夕方4時くらいにおひらきにして、有志だけ田舎の方にいって林間学校みたいな感じで、酒と食い物を買い込んで、泊まり込んで、語り合うのもいいよねとか。丁度土日になると思うし。林間学校いいなー。


 あー、もう紙幅が尽きそうだ。津では現役の高校生さんとか塾とかコラボで教育関係の話とかするのもいいよねって思います。大学入試の英語は実際に役に立つとか?とか。これは逆説的な意味でものすごく役にたちます。逆説的な意味ってなに?とか。

 京都では、実際にまだお会いしたことないですけど、空き家の持ち主さんとなんか楽しいことができたらいいなと。空き家をどう資産活用するかではなく、それを一つのツールとしてどういう楽しく豊かな時間を作れるか、ですねー。

 NPO(言ってるだけの)名前も考えなきゃなー。もうわかりやすく「大丈夫」がいいかなとか。ハイロウズに「バナナボートと銀の月」って曲にあるんですよね、「ダイジョブダイジョブ」って念仏のように唱える部分があって。歌詞がなかなか共感で、「整体のオヤジが俺の背中をハンマーで叩く」「いい年こいていつまでもロックで騒いでる奴だ」「誰かが予言してるほど良くも悪くもないのだ」「沢山欲しいわけじゃない、ちょっぴり欲しいだけなんだ」。で、何が大丈夫なのか?といえば、バナナボートと銀の月、そしてキミが居てくれれば。

 この暗そうな未来像にむけて、傲然と顎を突き出して、「へ、大したこたあねえよ」って腹くくってる感じが好きで。だってちょっぴりあれば十分なんだもん、でもその「ちょっぴり」は本物でないとダメなんだって。その本物ってなによ?っていえば、ロマンと美学と愛とかになるんだろうけど、それを「バナナボートと銀の月とキミ」に象徴させているんでしょう。でも、まあ、ほんとそうだよ。

 この「思想」(笑)を体現すべく、あれこれ画策する。要は楽しければいいのですよ。本当にね。心からね。幸福というのはリアルな生理感覚でいえば楽しさでしょうし。でも楽しくなるためには、ドス黒い不安があったらダメなんで、それをなんとかしよう。それも金を貯めるとかいう物理的な方法論ではなく、しんどいことを楽しく変えるという化学的な方法論で。

 それは吉田債だって、金銭窮迫という暗くなりがちな話を、解決すると同時に、あらたな友情の機縁に転嫁させるわけで、しんどいことを楽しい方向に持っていくのは、やりかた一つ、発想一つだと思うのですよ。それと同じように。空き家が多いってことは遊べる場所が多いってことだし、老人が多いというのは生き字引みたいなコンテンツ満載な人が増えるってことだし、若いときほど時間に追われなくてもいいし、食べるのもちょっとでいいから経済的だし(笑)。大体楽しくて面白いことって、なにかしらしんどさと苦味があった方がいい。楽ちんなだけだと面白くないのよね。

 大丈夫というのは「BIG JOB(大ジョブ)」にもひっかけてて、大きな仕事ってなによ?といえば、自分が幸福になることであり、他人を幸福にすることであり、この世の「仕事」は煎じ詰めればそれしかないだろ

 ただ、まあ、もともとの狙いが「もっともらしい社会的肩書を付与する」という点にあるのだから、ちょっとダメかもなー、「国際生活形象研究懇話会」とかしておいた方がもっともらしいかしらん(笑)。



文責:田村


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