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今週の一枚(2018/04/23)



Essay 874:「空き家」というスペース、「人」というリソース


写真はノースのWaverton駅付近。なんか箱根のリゾートみたいだけど、実は都心からすぐ。

空き家とセミナーと

 前回は、セミナーやるぞ、皆も講師になればいい、外部講師を呼べばいいとかそういう話をしました。その続きを書きます。

 もともとは昔書いたセーフハウスとか介護ハウスとか、いよいよとなったときにドツボにはまらないで済むセーフティネットを自分らで作れないか、どんなハードシップであっても、皆でかしこくシェアしていけば一人あたりは軽い負担で済むのではないかという試案がベースにあります。また、これも前に書いたけど、「世のため人のため」こそがこの世で最強最高の快楽なのだという経験哲学もあります。

 が、今すぐ直ちにそこまで困ってる人は周囲にいないので(いたら言ってくれい)、いずれそこまで育つまでの錬成期間というか、場つなぎというか、なんか出来ないかなーと。

 一方では、これからどんどん増えてくる日本の空き家をなんとか有効活用できないかという視点があります。安く活用出来る半面、家主さんにもメリットになるような方法はないかと。

 もう一つは、「人」というリソースの発掘です。オフやってて何が楽しいかっていうと、やっぱり話が一番面白い。お喋りなんだけど、立場も経験も全然違う人(でも根っこの価値観は同じなので一緒にいて気持ちいい人)の話というのは、面白いし、意味あります。

 素敵な眺望で美味しいものを食べるのもいいんだけど、僕のこれまでの経験でいえば、そういうのは非常に親しい人、その快楽を共有出来る人と味合うのが良い。恋人でも親友でも趣味友でもなんでもいいけど、既に語るだけ語ってて別に話そのものにそれほど重きを置かない場合。夫婦間なんかが特にそうだけど、今更語り合うようなことはあんまりないので、それだけ味や景色に集中できる。そしてその価値観が同じだと楽しめる。でも、話が面白い場合は、酒やら肴やらはどうでもいい。面白かったら水でもいいのだ。

 オフもそうだろうと思ってて、なんかそれがトピックになるような場合は別として(フェリー乗るとか)、そうでなければアテなんかなんでもええわ、安ければ安いほど気楽でいい。それもあって場所決めには苦労してたわけで、日本の過去会でも参加費500円とか破格な感じで工夫してたわけです。お店で場所とってってやると人数確定して伝えてってのが面倒だし。

 それを合体して、空き家を有効利用して内容のあるお話が出来ないかな?出来るんじゃないの?ってつながります。

空き家側

TAKEよりもGIVE

 一件、京都の伏見に話があってと前回書きましたけど、話をもってきてくれた小林さんともメールで話してて合意してたんですけど、やっぱ空き家があるぞ、ラッキーって感じで「いかに得るか」という発想はあかんよね、僕らがその方々に「いかにGIVEできるか」から始めないといけないんじゃないか。

 別に大したものは差し上げられないのだけど、利用料もそんなに弾めないけど、でも何らかのヒントとか、発想とか、細かなアドバイスとか、「楽しい時間」とかは差し上げられるかもしれない。そのあたりも起点になってます。

 民泊やろうかという発想もあるんだけど、今、民泊のセミナーになると、銀行とか建築会社が主催して、基準に適合するためにはここをこう改築しろとか、費用は貸すぞとかそんなんばっか。今は銀行もオワコンですからね。ちょっと前に湾岸のタワマン買わせて、次に相続税対策で賃貸住宅建てさせて、それも下火になって、今はスルガ銀行がシェアハウスで揉めてますけど(検索したら出てくる、かぼちゃの馬車事件ね)、次は民泊かい?ってな感じ。

はじめに民泊ありき、ではなく

 法律関係とかそのあたりは僕もGIVEできることはあるかと思うし、Airbnbにやるなら英語の翻訳とか英作文とかもやってあげられる。でも、基本的にいって、追加で金を出してまで(改築してまで)民泊やるほどのこともないような気もします。まず、そんな思うほど客来ないよ。競争もあるしね。手数料も取られるしね。そこで勝ち抜こうと思えば、英文での問い合わせとかこまめに返したり、オーナーのキャラが分かるような紹介にしたりとかの工夫もいる。場所を提供すればいいってもんでもない。苦情処理とかそのあたりの英語&外人コミュ力もいるし。それにAirbnb以外にも山程類似サイトはあるので、特性に応じて紹介英文を変えていくとか。そういうことが面白く感じるならいいけど、単に金儲けだけだったら、スーパーでバイトしてたほうが実入りはいいです。特に京都市は既得権(旅館)バリバリなのかクソみたいな条例作ってるし。

 儲けるというよりも老後の趣味や楽しみとして、そんなにお金がかからない程度にちょっと骨のあるプロジェクトをやってみるくらいならいいと思います。

 英語でホームページ作って、面白く地元&自分の紹介をしなくてはならない。単に文法的に合ってる英文ではなく、「読んで面白い英文」「印象に残るフックのある英文」を書いたほうがいい。その上で、ちゃんとSEOもやる。まあ、そのプラットホームとして(楽天やアマゾンの商店街みたいに)Airbnbを使うとかいう戦略的なやりかたもあるだろうけど、それはVayableでも出来るし。宿泊施設と発想を限定してしまうのではなく、ガイドやったり、日本なんたら講座やったりすることもできる。「泊まる」という点でもホームステイ的な展開もある。

 商品(家)だけではなく、提供できるサービスはかなり範囲が広いし、また世界から客を引っ張ってくる過程がまた難しく、工夫の余地がある。

 逆に言えば「はじめに民泊ありき」という発想でいかない方がいいです。自由度減るし。チャンスをミスるし。大体「金儲けのやり方を他人に教えてもらう」という点で既にヤバいです。フランチャンズでも賃貸住宅でもなんでも、儲かるやり方を買うのって、最初に美味しい部分を取られてしまって、カモられるリスクもある。

 それなりに大変であり、もちろんすぐには完成しないけど、それでも地道にやってれば、知らない人からメールが来たりします。これは嬉しいですよ、ほーんと。これが嬉しくなかったらAPLaCだって20年もやってないですよ。20年やれるくらいうれしいって。

「規制」のバカバカしさ

 それに貸すなら、日本人相手にして、信頼できる人のある程度まとまった出張とか、ウィークリーマンションの住宅版とかいう方向性もある。

 ウィークリー・マンションは、宿泊業と不動産賃貸業の両方にまたがるというか、どっちも入らないというか、グレーゾーンですよね。それに普通の不動産賃貸借(定期&短期限)ならば(=「業」として仲介斡旋するのではなければ)、単なる私人間同士で契約するのは自由で「業法」に縛られない。このあたりは昔っから法的整備が全然出来てないエリアです。

 でも「法的整備」っつっても、整備できてたら素晴らしいか?というと実は全然。旅館業法も不動産業法も、いわばザル法というか、意味あんのか?って気もします。営業許可を得ないといけないというけど、許可をえるための条件とかさ、衛生基準とか、宿泊客に伝染病者が出た場合にそなえて宿帳に記載しないとならないとか、実際にやってなかったりするところもけっこうあるし、あんなの規制のための規制ですわね。誰も読まない生徒手帳の校則みたいな。飲食店における調理師免許だってそうだけど、一人持ってりゃいいだけだし、あれだって法定伝染病がどうしたとかいうリアリティのない机上のお勉強だから。

 実際、日本の法律なんか大体そうですわね。それは労働基準法があなたの職場でどれだけ守られているか?守られてなかったとき、すかさず官憲が踏み込んで是正してくれるか?を考えてみればすぐに分かるはず。そんなもんです。

 日本の教育って、自分で法律を作るとか、こうすればいいってアイデアを考えるとかそういうのはあんまり教えない。だから大人になっても、ただ従順に守るだけ、意味もわからず「規則ですから」で盲従するだけ。ものすごーい矛盾が世の中にあるのに矛盾とも思わなくなる。自分で考えることを巧妙に封じている一種の奴隷洗脳なんだと思います。昔っからそうで、儒教的な掟に従う部分は伝承しつつも「易姓革命」は(多分意図的に)伝えてこなかった。易姓革命って、王様がクソだったら(王が天に背く場合は)殺してもいいよ、革命OKって発想です。民主主義を伝承したときも、ジョン・ロックなどの「抵抗権(反抗権、革命権)」は抜かされている。法律だから守るのではなく、そこに合理性があるから守るのだという本質論を抜かしている。

 その証拠に、刑法上賭博罪(185条、50万円以下の罰金又は科料)があるのになんで競馬や競輪など公営ギャンブルがあるのよ?あんなのコンスタントにやってるんだから、常習賭博罪、賭博場開張図利罪・博徒結合図利罪(186条、3月以上5年以下の懲役)じゃないのか。富くじ罪というのまでありながら(187条、2年以下の懲役)、なんで堂々と宝くじ売ってるのよ?売春防止法があるのに、なんでソープランドその他の風俗業があるのよ?子供に聞かれてちゃんとそのメカニズムを答えられる大人がどれだけいるのか?です。

 日本という社会でなんかやろうと思ったら、そのあたりの法律やら行政やらの建前と裏と実情はちゃんと知っておくことが必須だと思います。

 話は逸れましたが、不動産の有効利用をするならするで、別に民泊だけじゃないし、賃貸借だけでもない。中間に沢山のエリアがあるし、そこは本人の甲斐性次第だと思います。そして、それで儲けなければならないと切羽詰まってるならともかく、そうでないなら、あれこれ工夫を凝らしてやってみること自体を楽しむような方向性の方がいいと思う。くだらない規制のかかってない自由な領域っていくらでもあるから。

 こっちがトンネルの片側だとしたら、もう片側は利用する僕らの側。そういうスペースを使って何か面白いことが出来ないか?です。

利用者側

 これはですね、本当にいっくらでも思いつくのですよ。
 オーストラリアは遊びの天才の集まる国、というか、オージーがそうなんだけど、どうすると楽しくなるかがよくわかってる。僕も、その種の遊びを考えるのが子供の頃から大好きだったので(自分でカードゲームとか作ったりしてた)。

 一つは、前に話したセミナーです。オーストラリアセミナー1日1万円!どや?って感じだけど、でもお金は緊張感を出して面白くするためのものであって、絶対ではない。「お金取れるだけのクオリティ」ってハードルにした方が面白いですから。

他人のリソースの発掘

 僕はあれもこれも出来ない無能な人間だけど、たまには出来ることもあって、その中でもこれは他人よりも出来るかも?と自惚れているのが、他人のリソースを発掘することです。他人の長所やコンテンツを見抜く、というか自然に見えてしまうんだけど、この人のこの部分は凄いなーとか、この人のこの経歴だったらこんなこと話してもらったら面白そうだなーとか。よくFBなどで人物紹介や体験談での補充質問などで突っ込んでますけど、そこはそんなに難しくない。他人の欠点よりも長所を見出すのが上手。てか、他人の欠点なんかどんなアホでもすぐに分かるでしょ?

 ある程度社会経験のある人だったら、誰でも講師になれるし、仕立て上げられるんじゃないかな。ま、特にAPLaC界隈の人は、それなりにやってきた人が多いから、栄養分豊富だし。「○○について1時間上げるから喋って」って。ただし「お金が取れるクオリティで」って。

 ゼロから喋るのは難しいなら、僕が相の手を入れます。てか、わりと証人尋問は得意だったんで、インタビューしていきますから。同じ話でも、こう喋ると全然面白くないけど、こういう角度で喋るとすごい面白いってのはあります。「○○って大変じゃないですか?」って水を向けても、「いやあ、仕事ですから」で終わってしまったら全然おもしろくないのよ。「いや、そりゃもう大変ですよ、何度やめようかと思ったことか」と返してくれると、「例えばどういうときに辞めたくなったりするんですか?」と続けられるし、「やっぱ上司がアホなときですね」「味方に裏切られたときですね」とか進むと、「ほう?例えば?」とか続く。

 どんな仕事でも、新人からベテランになるつれて「手の抜き方」が上手になりますが、これは業界ごとに聞きたいですね。逆に言えば新人はどこに無駄があって、ベテランはどこに無駄な力を使わないのか、換言すれば一連のビジネスのプロセスのどこに山があって谷があるか?とか。

 例えばですね、既にColesのトロリー仕事をやってて学んだことがあるんですけど、殆ど腕力をかけないためのコツがあります。重たいトロリー(何重連結とか重い荷物がある台車とか)を押す(引く)場合、「力の伝導にはタイムラグがある」というのがコツでした。発見したし(笑)。最初に微弱な力で押すんだけど、すぐには動かない。力が車輪に伝わるまで軽く1秒弱くらいのタイムラグがある。でも待ってるとコロと動く。動き出したトロリーを押すのは非常に簡単なんです。摩擦抵抗がなくなってるし。だけど、不慣れなうちは、このタイムラグに気づかずに、こんな力では動かないと思って、かなり力を入れて押そうとする。確かにすぐに動くんだけど、それは無駄な力。そこで無駄に疲れる。同じように止める場合も、ほっといたら止まる。それを無理に腕の力で止めようとするから疲れる。先読みして1−2秒手前で押す力をオフにしたら自然に止まる。ほかにも幾つも発見があるのですが(他人をよけるのではなく、他人によけさせるのがコツとか)、たかがこんなマックジョブでも学びの宝庫なんで面白いです。ましてや一般業務だったら汎用化できそうな学びが沢山ある筈です。一を聞いて十を知れ、です。

 ということで、何人か集めて、セミナーではなく、シンポジウムというか、しゃべくり大会というか、「業界別手の抜き方」をテーマにするだけでも、結構面白い話が聞けそうだ。「業界別、一番ムカつく客のタイプ」とか。「一番親身に世話したくなるタイプ」「この業界を賢く使うならこうしろ」とか、いくらでもあるやん。

 要は編集業と同じく「切り口」だと思います。ちょっとヤバイんじゃない?え、そこまで言っていいの?くらいの話題が面白いですよね。でも、穏当で平和な話でも、掘ったら宝がザクザク出てくる。どこをどう掘るかがワザなんだけど。

自分の一次情報メディア

 これもやりたいなと思っているのは、いろんな業界、エリア(地域)、立場の人を集めて、「今、日本はどうなってるの?」を聞く会です。世代や年齢により、住んでるエリアにより、あるいは年収なり業種により、同じ日本を見てても全然違って感じられるはずです。いわゆる「温度差」というのは結構あります。

 それをトータルとして知る手段としてマスメディアがあるんですけど、今はもうほとんど役に立たないというか、ならずもの集団というか、そのエリア専門でやってる業界の人が書いてるものならともかく、一般には殆どアテにならないと思ってます。社会の鏡にも木鐸にもなってない。

 そういったマスコミを批判したくなるんだけど、もはやそれすら無駄というか、時間が惜しい。だったら、自分で一次情報を集めた方がいい。いろんな人から生の話を聞いたほうがずっとリアルに分かる。ネットだっていい加減だしね。今やニュースは他人の口から聞くもの、自分から進んで取材するものだと。

 日本にいる頃も、新聞記者さんとか雑誌の編集者さんとはおつきあいあって、彼らの取材を見てましたけど(されたこともあるし)、彼らは個人ネットワークを広げて、面白そうな話をこまめに聞いてわけで、やってることは同じです。

 ただ、それが記事なるときに「お化粧」というか、ベクトルというか、はじめにテーマありきみたいなのがあって、それに合わせて生の取材内容が加工される。自分が取材されて、その記事を読んだときも、「だー、違う」とかよく思うし、ニュアンス伝わってないわって思ったもんです。そんな意図的に予定調和的に作られた記事を金払ったり、時間費やして読むくらいだったら、そもそものニュースソース、つまりは個々人に直に聞いたほうが何倍も、何十倍も正確にニュアンスがわかります。役に立つのですよ。

 生の一次あるいは二次情報は、整理されてないから、都市伝説みたいな与太話も入るし、偏見も入るし、原石みたいなもので自分のなかで洗練させないといけないけど、でも貴重です。それらをベースにした世界観はかなり現実に近いから、それをもとに先々の戦略を立てるにしても、ミスが少ない。

 一次情報の摂取と洗練は、弁護士業務における事情聴取やら、証人尋問(反対尋問)やら、事実認定やらでやってきたことですが、その人本人に聞かないと意味がないという点はすごいあります。刑訴法で「伝聞証拠禁止の原則」ってありますが、ヒア・セイ・エビデンスっていうんですけど、これら「また聞き」は証拠にならない。なぜか反対尋問が保障されてないから。「ほんとですか?」と問いただす機会がないから。なぜ反対尋問がそんなに大事かと言うと、一次情報の吟味過程だからです。

 「犯行当日、Aさんが駅のホームにいました」という目撃証言だって、思い違いや見間違えの可能性もあるし、本当にその日なのかどうかとか検証すべき。Aさんは何番線のホームに居たの?何の列車を待ってたの?どんな服着てたの?一人だったか、複数だったか?どっち向いてたの。ところであなたはどこからそれを見たの?とかやってると、あれ?というのも出てくる。その位置からホームを見ても人の顔までは見えないのではないかとか、ラッシュアワーにそんなの見えるの?とか、その電車を待つんだったらホームの反対側に向いてるはずだから後頭部しか見えないんじゃないのとか。そもそもなんでその日だと特定できるの?毎日その駅を使っているなら、毎日同じような風景を見てるはずで、数年前の特定の日時ってなんで分かるの?その前の日、その翌日には何が見えたのか覚えてますか?普通そんなもん覚えてないけど、じゃあどうしてその日に限って覚えているの?このあたりを聞くのが反対尋問です。実際には、法廷でやるよりも、依頼者から事情を聞く時に、「あれ?どゆこと」って精密に事実を確定していく作業としてやる場合が多い。

 人間の認識ってけっこういい加減だから、知覚・記憶・表現叙述のプロセスに容易に誤謬が混入する。確かに大脳生理学の本にも書いてあったけど、昔の記憶を中途半端に思い出して、そこに勝手な想像を付加したりすると、付加した想像部分も含めて原記憶になってしまう。本人にとっては100%生の記憶に思えるんだけど、そのデーター原簿それ自体を知らないうちに自分で改ざんしてしまう。だから、思い違いという現象が起きるし、モノを無くしても見当違いのところばっか探して、忘れた頃に意外なところから出てくる。

 長くなったけど、一次情報を聞くときも、生の事実としてはどうだったのか、それは勝手な推測じゃないのかという吟味は要ります。しかし、「その人がそう思っている」というのもまた事実なのですね。とある日本の田舎では、駅前はもうシャッター街になってて、誰も彼もが絶望的な顔をしてますよって話を聞いたとしても、その「絶望的な顔」ってリアルに見ました?それってどんな顔?顔が紫色になっててチアノーゼ起こしてるみたいな、筈は無いですよね。いうたら普通の顔色でしょう?なんでそれが絶望的に見えたのか?です。それは結局あなたの主観がそうだから、他人を見ても、何を見てもそう見えるっていうのではないのか?とか。でも、あなたがそう思ってるというのは事実なんだけど、そもそもその主観はどういう事実の積み重ねによってそうなってるんでしょうか?とか。

 そのあたり根掘り葉掘り聞きたいですねー(笑)。十代の少年と60代の方を並べて、仕事についてどう感じてますか?家族ってなんですか?テレビ見ますか?何が一番興味ありますか?とかね。東京の人と、石川県の人とを並べてみて聞いてみたい。GW何するの?しなきゃいけないという強迫観念ありますか?ピアプレッシャーってリアルに感じますか?とかね。いくらでも。

 僕が知りたいのは、真実、というかリアルな事実です。なんかの先入観に引っ張られて、予定調和的完結を目指して、刈り込んで、作り込んだ「おはなし」「イメージ」ではないです。「〜ということにしておこう」じゃなくて。事実は往々にしてその真逆だったりしますから。

熱談会〜ニッチなしゃべくり大会

 聞いて役に立つとか言う観点とは全く別に、聞いてもなんの役にも立たないんだけど、語ってて楽しい、カタルシスが得られるという会もあります。いわゆる「熱く語る」快感です。

 APLaCのオフは、基本「海外と私」という通奏低音みたいなテーマがあり、さらに抽象化して「自分なりに生きる(他者に同調するのではなくして)」「普通じゃない私」というバックグランドがあります。そういうテーマで語れというのと同じようなもので、だから話してて面白い。趣味や価値観の多数決みたいなので塗りつぶそうという奴が出てこないので自由に何でも言えると。

 それでもいいんだけど、めちゃくちゃ範囲を狭めて、「ビートルズを熱く語る夕べ」とか、単なる音楽趣味ではなくもっと狭める。さらに「サージェント・ペパーズを語る」とかアルバムまで絞り込んでもいい。「村上春樹を語る」でもいいし、「とっておきの安くて美味い店紹介」でもいいし、「もう時効だろ?初恋体験を語る」でもいいし、「経験者限定・秘密絶対厳守の不倫体験」でもいい。「失敗談自慢大会」でもいいし、「若気の至りの恥かき大賞」でもいいし、なんやおもろそうやん?


 「京都人は本当に「いけず」か?」とかでもいいし、真面目に「わたしの介護対策」でもいいし、登山だったら「槍穂高」限定で語り合うとか。

 それにこういうのはどっちかというと50代以降の中高年の方に向いてると思います。なぜなら、それまでの世代の日本人は、みんなで同じことをやっていたからです。今の日本の50代後半から60代前半くらいの男性だったら、ブルース・リーブームにぶちあたってるので、「ほぼ全員」といっていいくらいヌンチャク振り回した経験がある(僕もある)。これ、昔探偵ナイトスクープでやってたけど。女の子(おばちゃん)だったら、だいたいピンクレディーの振り付けは完コピしていて、今でも踊れるとか(UFOとか)。信じられないかも知れないけど、意外とそうだよ。「小学校のときに見ていたテレビアニメの主題歌大会」でもいいし。「ウルトラ怪獣について語る」でもいい。

 なんで中高年がいいか?というと、空き家対策ですよ。空き家スペースを使って、もっともらしく「ない」イベントをやって、皆できゃいきゃい罪もなく笑うというのだってあるやん。そういうの企画したり、実行したり、面白いよ。老後はそうやって過ごせというか(笑)。「悠々自適」なんて四字熟語に騙されてちゃ駄目だよ、もっと自由に、もっとヤンチャに遊べばいいじゃん。「危ないから」とか言ってるからボケるのであって、アブい方が楽しいんだよな。そうすれば経済も活性化するかしらんし、笑ってる人が多くなれば世の中明るくなるわね。

 なんかさ、世間にあるのは「健やかな老後」みたいな、NHK臭いというか、青年の主張というか、毒がなくて詰まらんやん。精進料理みたいな。自分もいい年になってきたから分かるんだけど、別に老人になったからといって、何がどう枯れて透明になるもんでもないよ。主観的にはハタチの頃と全然変わらんもん。だから高校の放課後の教室で、男子学生、女子学生同士でくーだらない話をしてたノリとそんなに違わないんだよ。誰かの言葉であったな、「すべての老人の不幸は、彼が老いたからではなく、彼がまだ若いことに基づく」と。主観的には若い頃とそんなに変わらんのだけど、周囲が老人食みたいに老人ぽく仕立て上げるから、それへの違和感と不快感があるのだよね。人にもよるのだろうけど、僕は全然変わらんぞ。体力的にも20歳の頃の自分とタイマン張ったら今のほうが体力あるから絶対勝てると思うし、知力では問題にならないくらい全人生を通じて今が最強。

 僕も70歳過ぎたら70歳以上限定でピンポンダッシュ大会をやりたいですねー。それで心臓麻痺で死んだら大往生ということで。天国いって、神様に、「お前、ピンピンダッシュで死んだのか?」って大笑いされそうで、いいじゃん。戦場で死ぬのが男子の本懐だけど、いまどきそんなロマンチックな戦場なんかないから、イタズラやって死んでいくのが男の子の本懐でしょう。

もっと先の狙い

自分の整備

 さて、真面目な話として、一つの狙いは、ある程度のクオリティにして他人に提供しようとなった場合、自分に何が話せるか?をかなり真剣に考える点です。

 とっちらかった経験談とか世間話は簡単かもしれないけど、ある程度金貰ってもいいだけのズシッとした内容のもの、ああ聞いてよかったと他人をして言わしめるだけの話、サービス、技術、そういうものを自分は持っているのか?これまで生きてきて何を得てきたのか?何もないなら、何考えて生きてきたか?そういうことを、「自分の棚卸し」のように考えるでしょう。

 自分の過去の経験から、将来に役立つようなエッセンスを抽出して、ことあるごとに使いまわしをしたり、それらを総合して造詣を深めたり。僕が弁護士を辞めるときも、弁護士のスキルというのは、別に弁護士をやってなくてもいくらでも活かせるんじゃないかと思ったし、だから別に辞めるわけでもないんだよなという認識に至りました。同じように、あなたのスキルも、別にその仕事をしてなくても、いくらでも日常に活かせるし、それが本当のスキルであり、キャリアでしょう?就職しなかったら、金稼げなかったら意味がないんだったら、それは本物のスキルでは無いような気がする。

 そういうことを考えるキッカケになるでしょうし、それが良いのです。

 なぜなら、世のため人のための最強快楽だとするならば、まず人のためになるような「なにか」を自分が持ってないと始まらない。単に「人手」「頭数」、単なる筋肉しか提供できないんだったら、俺は今まで何やってたんじゃ?ってことにもなります。

 でも普通そんなことはない。5歳の坊やだったらまだしも、10年以上地球に生きてて何も無いってことはないだろう。あるなら、ではそれはなあに?それを自覚し、精錬させ、人さまに「はいっ」って手渡せるようなカタチにしておくこと。

 これは突き詰めれば、自分個人と社会全体の接点の話でもある。個が他の個、あるいは全とかかわるときに、自分はどういう接点をもちうるのか。この社会にとって自分はどれだけ有意な存在なのか。すべてにわたり根本命題だと思う。自分の存在意義でもあるわけだし。

 この視点を広めたいなというも狙いの一つです。
 ここを原点にすれば、将来の職選びにせよ、生き方にせよ、起業にせよ、ボランティアその他のアクティビティにせよ、ビシッと一本筋の通ったパースペクティブが得られるでしょう。単に就職しやすいとか、永住権とりやすいとか、給料がいいとか、老後がどうのとかいう「目先」の戦術ではなく、死んだあとに神様に「結局、お前、生きてなにやったの?」って聞かれても答えられるような。

 日本では滅多に聞かれない「あなたの夢は?」という話は、こっちでは普通にする。自分の人生のテーマのようなものを、大なり小なり持ってるし、語るのも巧い。ここがぶっとくなっていけばいくほど、生きてて迷いは少なくなる。

ポスト資本主義

 もう一点あって、あれこれ起業とか金儲けとか考えるんだけど、どう考えても、金そのものよりも、それをやっていく過程の方が面白いのですよ。釣りみたいなもので、カロリー摂取のためにやってるというよりは、あれこれ企画して工夫してやってるのが面白い。だったらもう、金儲けを最終目標に設定しなくてもいいじゃんってことになり、金儲けという限定を外すと、もうすごい広大で自由な平野が広がってることがわかった。

 どうやったら面白いか、どうやったら笑えるかという切り口で考えていくと、いくらでも思いつく。それでは全然儲からないかしらんけど、それをやってるうちにひょんなことから儲かるかしらん。でも、それは最終目的でもない。

 つらつら考えるに、資本主義、とくに新自由主義というのは日本人には合わんなーと思う。要するにあれって金儲けの最適化であり、銭ゲバ万歳主義でしょ?それ以外の価値を認めない。だからトリクルダウンも起きない、というか、意地でも起こさせないというか、内部留保何百兆円あって、取締役が何億も報酬もらっていながら、社員の給料はあげようとしない。意地でも上げてやるもんか、だって損だもんという感じじゃん。金儲け以外の人生の喜びをスポイルするような主義であって(本当は違うんだろうけど、そういう形で運用する人が多いのは事実)、ネイティブな日本人には向いてないなと思うわ。

 ポスト資本主義に何が来るかを考えて、そして他国の何十年も住んでから日本を改めてみると、やっぱ一番得意なやり方でいいんじゃないの?と思う。それは、「義理人情」であり、「浪花節」であり、「困ったときはお互いさま」であり、そういう昔から自然にある日本人の善性みたいなもの。それでやればいいじゃん。ただし21世紀型で、透明な合理性をビシッと担保されているもの。感性と理性の統合体のような。

 ブログでも書いたけど、今度東京その他で空き家募集してますが、空き家活用をするにしても、人のつながりがある限定クローズな環境でやった方がいいだろうなーって思います。

 それは日本人の特性、「プライベートな個」と「パブリックな個」との間の統合失調症のような乖離があるからです。自分の顔も名前も出して、個人的につきあう分には、日本人というのは非常に善性が高い。しかし残念ながら、匿名的な、どこの誰ともわからないパブリックな面になると、同じ人間が卑劣なことも、心無いこともやる。そこが問題。「客」という匿名的な立場になると急に居丈高になったりさ。

 それはもう日本がというよりもアジア的全般の特性なのかもしれないけど、Airbnbのように一般開放してしまうのではなく、華僑のように、横のつながりでやってった方がお行儀がいいし、楽でしょう。むしろAirbnbやるなら外人限定の方が楽かもしれない。海外を一人旅してるような人は、大体「個」がしっかりしてるし、どんな民族とも対等に話をすることに慣れてる連中だからやりやすい。もっとも自分自身がそれに慣れてなかったら駄目だけどね。

 ビジネスのリスク管理費用って結構かさみます。シェアでもステイでも、家財道具壊されたり、めちゃくちゃな使い方されたり、夜中に騒がれたり、大変よね。保険もかけるかって話になるし、水掛け論や泥試合になったり。規則規則でガンジガラメにしたり、パスポート出せとか保証人たてろとか面倒でしょう?日本の賃貸でも就職でも、住民票ないと駄目とか、固い仕事してないと駄目とかうるさいのは、そこらへんのリスク対策でしょう(もっともそんなことしててもトラブルは起きるからあんまり意味ないんだけど)。

 でも、人間的なつながりがあると、「○○さん(紹介者)の顔を潰すような真似はできない」というブレーキがかかるし、いい子になります。ましてやネットワーク全体でそういう不届きなことをしたら、以後つまはじきになるし、サンクションもある。リスク値がガクンと減ります。あなただって、どこの誰とも知らない人は自分の家に泊めてやろうとは思わないでしょう?でも、信頼すべき友人から、「あいつは絶対大丈夫だから」って言われたら、「おう、それなら」って思うでしょう。パスポートよりも住民票よりも、そういった人的な保障というのは大きいんですよね。

 またそういう人のつながりがあった方が、金儲け VS 客というギスギスした関係になりにくい。百パー客だと、金払ってコレかよ〜っていちいちムカつく。トイレットペーパーが切れてるだけで、ふざけんな馬鹿野郎って気になるけど、好意で貸して頂いてると思えば、それほど腹も立たないし、そうか空き家だからな、しょうがないよな、自分で買おうかとかも思う。そのあたりの「譲り合いの精神」とかを発揮できるようなフォーマットにした方がトラブルは少ないんじゃないかなーと、思うわけですよ。

 言ってる意味、わかりますかね。僕らには僕らに合ったやり方というのがあり、それはお仕着せのフォーマットではなくて、自分らで手探りで作っていくほうがいいんじゃないかってことです。





文責:田村


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