857 今週の一枚エッセイ第857回:増加する「死有地」と将来展望 ★↓背景画像bgmaximage★ グラデーションなどベンダープリフィックスを除去するJS★
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今週の一枚(2017/12/25)



Essay 857:増加する「死有地」と将来展望 

〜すでに九州全土以上の広さが消失している件

 写真は、昨夜(クリスマスイブ)、撮ったQVBのクリスマスツリー。季節モノ、縁起物ですからクリスマスカード代わりに。



 メリークリスマスです。ドンピシャ当日なので、さすがに言っておきましょう。
 以下、ま〜ったく関係ない話をします。

すでに九州全土以上の土地が日本で死んでる件

 「まもなく、日本列島を「死有地」が覆い尽くす」という論稿が、12月18日付で出てます。

 もともとはFB用に書こうかとクリッピングしておいた記事ですが、とてもじゃないけどFBのちんまい箱には収まらないのでエッセイで書きます。

 要旨は、「権利者が見つからないので動くに動かせない、どーしよーもない私有地が日本に増えている」ということです。売るに売れない、国庫に帰属させることもできない、ニッチもサッチも(法的に)利用の方法がなく、また未来永劫回復する可能性もない、とことで死んでいるのも同然の土地=死有地、うまいネーミングだなと思いました。


 かといって、内容そのものは目新しい話ではなく、昔から語られてきたことです。
 僕もこのエッセイで過去に何度か書きましたし、問題そのものは25年以上前の弁護士時代から知ってました。それは僕が慧眼だからとかカッコいい話ではなく、こんなもん不動産関係の業界においては「常識」レベルの話だったからです。知らなきゃ「もぐり」だと。

 なので、単に死有地の存在だけだったら今回敢えて書こうとは思いません。「何を今更」な話ですから。
 でも、今回は「え、そこまでいってるの!?」と衝撃があったので、これは伝えた方がイイかなと、よくわからない使命感(笑)で書きますね。いや、ほんと、知っておいたほうがいいと思うし。

 何が衝撃かというと、現時点ですらものすごいの広さの土地が死んでいるということで、その「ものすごい広さ」っぷりです。九州全土の広さよりも広い。

 記事から引用しますと、
「増田寛也元総務相らによる「所有者不明土地問題研究会」がこの6月に発表した衝撃的なレポートによると、日本全国で所有者がわからなくなっている宅地や農地などの土地は約410万ヘクタールにのぼり、これは国土の私有地の約2割にあたる。約368万ヘクタールある九州全土を上回る大きさだという」

 これが事実かどうか、まず検証の余地はあります。
 いやしくも「もと総務大臣」の名前まで出てくる研究会がレポートしてるんですから、そうそうガセであるとは思われない。また、調べてみると、所有者不明土地問題研究会というのは一般財団法人・国土計画協会の一部局です。だから出自は確かとはいえる。住所も「千代田区一番町」だしね。反面、国や政府筋に近いから、どうせアレだろ、天下りだろ、道路族とかあのへんの利権村界隈だろってことで、逆に「出自が怪しい」気もしたりするんですけど、それはこの際どうでもいいです。
 なぜなら、仮に天下り「退職金渡り鳥」の止まり木であろうとも、「一応仕事してるっぽく見せなきゃねー」的なモチベーションでやってたとしても、レポートの内容そのものまで意図的に改竄するとも思えないし、その動機も少なそうだ(死有地が増えてどういう利権が発生するのかわからん)。またこの問題はガンガンやった方が公共目的に資するでしょう。それにこんな統計数値など調べればすぐに分かるような部分で嘘をついて、それがバレたら大恥&信用ガタ落ちだろうし、そこまでリスク背負って嘘をつくメリットが思いつかない。以上の次第で、軽く情報チェックをするなら、まあ正しい数値としておいておきます。「バカモン、検証が甘い!」とお叱りを受けるかもしれないけど、先が長いんで、この程度で許されよ。


 以下、この問題のもうちょい詳しく説明し、その後に、「じゃあ、将来どうなるんだろ?」という予想展開を勝手にやってみます。

なぜ死有地になるのか

これまでの基礎

 これは記事に書いてくれているのですが、ある程度社会経済の前提知識がないとわからないかもしれないので、ここで高校生にもわかるように、もっと前提知識から書きます。

 まず第一に、日本領土内の土地は基本的に「誰か」のものです。どんな土地にも所有者がいる。その所有者が国や自治体だった場合、国有地とか公共地になります。僕ら一般ピープルが所有者である場合には「私有地」ということになります。ま、ここまではわかりますよね。

 第二に、全ての土地は「登録」しなければなりません。ここからここまでの土地は誰それさんのモノで〜って大本になる帳簿があるわけです。これを「(不動産)登記簿(とうきぼ)」といいます。このあたりは就活の一般常識レベルです。

 第三に、その土地を動かす場合(=誰かに売ったり、国に寄付したり)、その旨を帳簿に書かなければなりません。所有権を移転するなら、所有権移転の不動産登記をしなければならないと。でないと、今現在誰が持ってるのかわからなくなりますからね。

 第四に、登記(帳簿)を書き換える際には、所有者全員の同意が必要です。まあ、当たり前の話で、兄弟3人で相続したのに、お兄ちゃんだけ勝手に自分一人のものだと書き換えて、弟二人の権利を消滅させるのはおかしいだろってことで、当然ですよね。権利者を権利者として扱えと、同意がないのに勝手に自分の財産を奪われることがあってはならん、と。

 でもって、この第四の部分が今回のキモ!です。
 なぜ私有地が「死んで」しまって、死有地になるのか?といえば、「所有者全員の同意」が得られないからです。それも一人が頑強に抵抗しているとかいう話ではなく、「所有者がどこにいるのかわからない」「生きてるのか死んでるのかもわからない」からです。だから、将来的にも全員の同意が得られる見込みがゼロに近い。でも揃わないと動かせないから、もう未来永劫動かせない。

 では、なんで土地持ってる人がいなくなるのか?そんな自分の不動産なんて大きな財産なんだから誰だって絶対知ってるでしょう?って思いがちだけど、そうでもない。ここ都会生まれ育ちの人、特に必死にマイホームのローンを返済している人にはピンとこないかもしれませんが、日本の面積の95%以上を占める地方においては結構皆さん不動産を持ってるのですよ。しかし、その価値が限りなくゼロに近いものも多く、過去数十年誰もその土地に行ったことがないという山奥の土地もあったりします。

 理想をいえば、だれか亡くなったら、きちんと相続の手続をするべき。相続人を確定し、全員で協議して遺産分割協議書に署名捺印(実印)を押して(これが「権利証」になる)、それをもとに相続登記をすると。相続で揉めまくった場合は、遺産分割調停やら裁判やらの調停調書や判決正本を権利証にして相続登記をする。

 ただね、これが万全ではないんです。遺産分割協議といっても「え、そんな土地、ウチにあったの?」って誰も知らない土地が実はあったりするわけですよ。「協議漏れ」です。もう何代も前から使わないから忘れられているような。田舎の山林王とかになったら、登記だけでも数百とかそんな数ですからね。そして相続登記は手数料だけでも一件2万5000円ですから100件もあったら250万円にもなる。さらに固定資産評価額の0.4%の登録免許税がかかるから、もっと費用はかさみます。そうなると、およそ利用価値のない土地についてまで真剣に調べようというモチベーションもわかないから、面倒になってほっぽらかしてる場合もあるでしょう。

 そして相続登記の手続が面倒臭い。分割協議→相続登記といっても、協議書に署名してる人達「だけ」が相続人であることを簡単に証明しないとならない。でないと、誰かがハブられたりしてあとで問題になります。だもんで相続関係全体がしっかりわかるように関係者全員の戸籍がいります。戸籍上、相続人が4人なのに一人分署名がなかったら(or印鑑証明が取れないとか)、その遺産分割協議は無効ですし、登記も受け付けてもらえない。

 まだ時代が新しいうちは相続人全員(兄弟とか親類縁者)と連絡がつくからいいです。それでも何件かに一件は「行方不明」って人がいるんですよねー。一人家出してしまって、今どこにいるのかさっぱりわからん、連絡のしようもないという。最後の音信があったのは「今、チェンマイにいます」というタイの絵葉書だけとか(笑)。だからその時点で遺産分割協議も、相続登記もできません。連絡さえつけば、「なんでもいいから委任状にハンコを押せ」とか出来るんだけど、見つからないものはどうしようもない。ストップしてしまう。これが問題。

 さらに、もっと昔からほったらかしになってる土地や山林がうなりをあげてあります。無価値だからほったらかしってパターンもあるが(でもって、後日スーパー林道やら高速道路開通で地価があがったりして揉める)、大地震や土砂崩れ、さらに先の大地震のように天災によって関係者が死亡ないし行方不明の場合、「相続登記をしよう」と呼びかける人すら居ないケースもあるでしょう。

 そして、それが昭和、大正、明治くらいまで遡るような案件が結構多いんですよ。僕も頼まれて調べて、調べて、調べまくったことがあります。弁護士だから職権で他人の戸籍とれますけど、集めまくった戸籍謄本が積み上げて10センチくらいになって、カレンダーの裏に家系図書いて、それでも足りなくてA1くらいの巨大サイズな紙に書いて、、って、明治30年くらいに死なれて、ずっとほったらかしだと、マジに関係者が500人くらい出てくるのですよ。しかも離婚だ離縁だ身分変動が激しいし、昔は9人兄弟当たり前だし、途中で戦争があるから、そこでもう致命的にぐちゃぐちゃになるし。これ全員の同意書を取り付けないといけないのかー?と。とりあえずわかってる人から戸籍の附票などを見て、郵送したりして連絡取るんだけど、薄気味悪がって返事くれないから進まない。日本全国に散らばってるから、一軒づつ訪ね歩くにしたら、お遍路以上の巨大事業になる。いくら金がかかるかわからん。

 そして、一人でも行方不明だったら、一人でも拒否られたら、話はポシャるんです。まあ、なんぼなんでもこの人は死んでるだろうと(生きてたら140歳だしとか)かアタリはつく部分はあるし、奥の手の失踪宣告の申し立てをすることもあります。でも金も時間もかかる。不在者の財産管理人という制度もあり、僕も友達の弁護士に頼まれて管理人になったことありますけど、これも手続やら費用やら面倒くさい。一人か二人くらいだったらやりますけど、全体の規模が大きくなったら、もうお手上げです。

 こうなったら、もう本当にどーしよーもないです。時間が経てばたつほど関係者の数は増え、そして関係者の行方はわかりにくくなるんだから、将来的に解決する見込みはゼロです。唯一例外があるとしたら、どっかの誰かがそこを占拠して、勝手に20年住み続けてくれて取得時効で登記してくれるしかないです。相続財産からは消えてしまうけど、消えてくれたほうがいい。

 長々書きましたが、これが昭和の時代の実務の状況だったんです。まだバブルとかきゃーきゃーやってた時代ですらそうだったと。
 そして、今から将来にかけて、問題は加速度的に悪化します。

現在から将来の問題

空き家の増加

 将来的に悪化するのは、言うまでもなく高齢化と人口減少の影響です。あと10年で(2028年)に4軒に1軒が空き家、さらに3軒に1軒、2軒に1軒と空き家が増えます。ま、空き家が増えようが、きちんと相続登記をしてくれれば問題ないんですけど、でも事実上ヤバいでしょうね。空き家=現在使ってない=あんまり利害関係がないし執着もない不動産が増えるというのは、頑張って相続登記をしよー!というモチベーションもまた少なくなると思われます。つまりは、ほったらかしが増える→死有地が増える。

 なんでそんなに空き家が?といえば、不動産価格が急落してるからでしょう。高騰してたら、もったいないから空き家なんかしない。また高騰=需要が多いんだったら高く売れるし、賃貸でも高く貸せる。やり方次第で年間100万も200万も儲かるんだったら、誰もほっとかないですよ。それが空き家のままいうことは、それをやるメリットがない。不動産需要が乏しく、価値がない。

 むしろ、記事でも書いてあったが、今や「空き家解体ローン」なんて商品が売り出されているくらいです。今の日本で、数少ない伸びてる業界でしょうねー。ちなみに、僕が今20歳だったらそっち方面いくかな。まだ未開発の業界だからスキル覚えて起業しやすそうだし、これに空き家管理ビジネスと自給自足村支援とをくっつけたり業態の伸びしろは結構ありそうだもんね。なによりも成長性があるし、都会に集中しないで全国に広がってるから大企業のスケールメリットも乏しく、その分、零細起業のゲリラ的な活躍余地がありそうですから。

 話を戻して、空き家ですけど、孤独死で3年誰にも気づかれずに白骨化とか言われている状態で、誰が相続手続なんかするのか?です。まあ、そういう孤独老人に不動産資産なんか無いから関係ないじゃないかって言うかもしれないけど、意外と持ってたりもするのですよ。故郷の町外れに。でもそんなところの不動産持ってても意味ないんですよ。誰にも貸せない、売れないから換金できない。それどころか固定資産税がかかってくるから、もう知らんぷりしとことかね。で、そのままアパートで白骨化すると。これがホームレスの無縁仏になってしまったら、もうお手上げでしょう。

都市行政の障害

 記事では「すでに都市部でも、700ヵ所以上の所有者不明の土地が見つかり、それがさまざまな問題を引き起こしている。東京五輪などに向け再開発が進む都内の住宅地では、現在の所有者がわからないせいで大規模な区画整理をすることもできない」と書かれてます。

 700ヶ所というのは、行政手続を進めていく中で問題が発覚した案件の数だと思われ、実際にはこの何倍も潜在的にはあると思われます。でも、バブルの頃の地上げを思い出すけど、でっかい敷地のほんの一部分でも地権者の同意が得られなかったら、計画全てパーになります。だから何億円積んでも立ち退いてもらおう、10億積んでどかせられたら300億儲かるからまだ算盤に乗るというのが、バブルの地上げ騒動でした。でも、今回は拒否ってるわけではなく、そもそも交渉相手がみつからないからどうしようもない。仮に見つかったところで、バブルの頃のように大儲けの話ではないから、立退料の大盤振る舞いも出来ない。

 かくして都市部におけるあらゆる計画は頓挫する可能性もある。超一等地だったら誰もがギンギンに権利意識に燃えてるし、登記もしっかりしてるから、金次第で話はつくけど、本当に行政が必要な一般地域のインフラ改善などになると、全然進まないって話も出てくるでしょう(てか出てきている)。折しも、首都高も50年以上たって(あれは東京オリンピック=64年=に合わせて作った)、もう耐用年数超えてきてます。コンクリの橋脚とか結構ヤバいという話もききます。だからやりなおさないとならないんだけど、「そんな金がどこにある?」だし、やろうとしても地権者が行方不明だしって。

マンションや境界問題

 記事にもありますが、これがマンションだともっと絶望的です。建て替えとか修繕とか、一定数の住人の同意がいるけど、それが集まらないから、結局崩壊までほったらかしになる。

 また、境界問題があります。自分の土地は全員同意があるからいいけど、それを売ろうとした場合、隣地との境界合意が必要だったりもします。筆界や地積測量図だけではどうしようもない(現状と違うとか)場合とか(詳しくは知らなくていいっす)。でも隣地の所有者が誰かわからない、誰に請求したらいいのかわからん、一応隣のオヤジが出てきて文句はいうんだけど、そのオヤジだってまじめに相続登記やってないから、権利者全員を代理してるわけでもない。だからそいつと話がまとまっても意味がない。ゆえに売れない。賃貸に出す以外に利用方法もないけど、借り手なんかつかない。叩き売りでもいいから売ってしまって、将来の固定資産税から逃れたい。年間10万だとしても将来30年で300万円の負担になります。老後資産をせっせと300万貯めても、使いもしない不動産のために虎の子の貯金が消えていくのは、あまりにも切ない。今ならまだ買い手がいるのでどうしても売りたい、でも売れない。

 これが山奥とかになったら、当事者のじっちゃん同士で、「あっこの一本杉から谷までの線にしよか」とかテキトーに決めてたりするんだけど、じーちゃん二人が他界してしまったら、残された連中にはもう何がなんだかわからない。

国庫管理にしても解決しない→税金が増えるだけ

 誰のものかわからなかったら国家のモノ(国庫帰属)にしてしまって、国が潤えばいいじゃないか、そうすれば税金も安くなるんじゃ、、、という人もいるでしょうが、甘いっす。その逆っす。まず国庫帰属が出来ない。相続放棄をして国に返還する方法もあるけど、これとて相続人全員の同意書がいる。そんなことが出来るくらいなら最初から普通に相続して売ってますから。それが出来ないから問題になってるのだ。

 まずこの点で、何らかの新しい立法的手当が必要でしょうね。すでにいくつか出来ているようですが(空家等対策の推進に関する特別措置法、2015年)、もっともっとドラスティックな法改正をしないと。普通の一般人が頑張れば出来るくらいまで手続きを簡単にすること、その限度で相続登記を認めるようなスペシャルな方法。例えば所在不明の相続人がいた場合、簡単な方法で公示催告→除権判決類似の手続きをし、共有持分登記だったら出来るようにしたり、売却による所有権移転登記の場合は、売買代金から相続分相当額を法務局に供託し、一定期間経過したら供託金が返ってくるようにするとか(このへんは専門的過ぎるのでわからなくていいです)。

 あるいは、国のレベルで、所有者が誰もわからない空き家や所有地については強制収用できるようにし、その時価相当の賠償金については同じように供託し、官報広報やデータバンク登録する、後日、権利者が出てきて、自分の権利を証明したらその部分を返金するとか。

 まあ、そのあたりの立法はおそらくやるんじゃないかなー。やらなかったらどうしようもないでしょ。

 ただし、記事にも書いているように、国庫帰属にしたところで問題解決にはならないんですよ。死に土地が権利上は生き返るんだけど、経済的に生き返るわけではない。誰も見向きもしない不動産であることに変わりはないわけですよ。また家の朽廃は自然現象だから止められないから、メンテ費用がかかることに変わりはない。変わるのは、メンテ費用を支出するのが行方不明のイチ私人ではなく、国家になる点です。

 国家になるということは、そう、その分税金が上がる、ということです。そんなインスタントにポンと税金が上がるものではないけど、歳出が増えた分だけどっかで歳入を増やすしかないわけで、回りまわって僕らの税金の額が増えるだけのことです。

 それにですね、考えてもごらんなさいな。お役所仕事なんですよ。メンテ費用とかいっても、おそらくは効率も生産性も悪いやりかたで、実際の民間コストの何倍も税金でかかる可能性もありますな。民間に外注とかいっても、そこで談合・不正・忖度とか行われるから、一般コストよりは高くなる可能性が高いんじゃないかな。つまり、国が関わって僕らの負担が減るというとは、可能性としては少ないじゃないでしょうかんかね。ま、少なくともゼロってことはないから、国庫管理にしたところで、問題の解決にはならないってことです(部分的にインフラ整備とか出来るようになるから、プラス面もありますけど)。

 なんとなく、僕らの思考のフォーマットには封建根性が抜けきれないところがあって、「国にやってもらえたら安心」「お上にやってもらおう」「国が責任をもって処理すべき」意識が強いきらいがあるのだけど、多くの場合、国にやってもらう=民間よりもコストがかかる=税金負担が増える、と思った方がいいと僕は思います。だってさ、国が常に「公正に」やるとは限らないし、「責任」もつとも限らないし、「処理」するとも限らないでしょ。てかやってないじゃん。この期に及んで、まだ幻想をもっているのか?って。

居住可能地域の減少

 記事には、「'14年の都市再生特別措置法の改正で、居住誘導区域以外での開発に制限がかけられるようになりました」という指摘がなされます。

 国も金ないですし、管理しにくい土地や町が広がっていくのはたまらない。インフラ整備もできない。どうすればいいか?といえば、皆が住むエリアを小さく限定してしまえばいい。あっちゃこっちゃに点在してたら、電線も水道管も広げなければならない。限定的に住んでくれたら、インフラも安く済む。てか、原資が限られているんだから、もうそうするしかない。かといって、今住んでる人に強制的に引っ越し命令なんかできっこないから、とりあえず将来的にデベロッパーが開発するにしても、ここはもう捨てる予定だからダメとか、そういう制限をかけていこうとうことです。ひどい話のようでいて、でも、そのくらいやってかないと間に合わんだろう。

 もちろん強制的に移転はできないから、結局どうなるかといえば、「ひっそり見捨てられる」ってことになるでしょうね。過疎化の促進です。今までAという部落にまで1日3便バスを走らせていたけど、金がないから1便にする、そのうちもう廃線にする。水道管の補修ももう難しいから、部落の中心の水場にだけ一本パイプで通すから、あとは個人的に汲めとか、それも出来なくなったら、週3で給水車が廻ると。学校も、役所も、郵便局もなにもかも統廃合していく。

 これまでは山奥の過疎集落だったけど、だんだんと広がっていくでしょう。結局どうなるかといえば、日本列島のなかに「人が住めるエリア」と「住めないエリア」があり(今だってあるけど)、その比率がどんどん変わっていくということでしょう。

将来の予想

 将来の予想ですが、まず今の時点で、九州全土以上の土地が死有地になってるってことの意味を理解すべきでしょう。つまり日本列島の地図のうちから九州分だけ消滅している、もう(法的利用可能性として)使える国土ではなくなってると。人口も縮減しているけど、領土も縮減しているのだと。これはあんまり考えなかった視点だけど、言われてみれば確かにそうだなー。

 逆にいえば、1億人おってもこの日本列島全部を有効に使いこなせてないってことですね。そういう社会システムになってないと。これって資源の有効活用という点でいえば、かなり損してる気もする。もっと散らばればいいのに。

中央集権 ≒ 共産主義の破綻

 思うに、この問題は、これまでの中央集権的なシステム、あるいは日本全土、日本国民全員を一つのシステムに入れて、そのシステムで全部面倒を見るということが、だんだん不可能になってきていること、これまでの社会がすこしづつボロボロと剥離崩壊していること、なんだと思います。

 だいたい中央集権なんか、発展途上国のメソッドでしょう。みんなまとめて同じことさせる方が効率的だと。明治維新や戦後においては、正しくそうだったと思う。各自頑張れって言っても無理だし、だったら全員まとめて同じライフスタイルにして、同じシステムに乗せた方が、コスト面でも効率的です。

 中央集権って、別な言葉でいえば、一種の共産主義だと思います。日本の現状=なんでも中央なり誰かが決めて、一つの型を皆が空気を読んで従うというやり方=極めて日本的なやりかた、これと共産主義と何が違うんですか?実際、世界で成功した共産国家はJAPANだけと言われたりもするんだから、本来なら共産党が政権とってても不思議ではないのよね。でも、面白いことに「共産」という概念や名前は嫌うのですね。やってることは同じなんだけど。自民党という「自由」でも「民主」的でもない看板にすると落ち着くとか。共産といわず「和の精神」と言い換えると納得するとか。僕らは「一見自由意思がありげで、自由ぽく見えるけど、実はめちゃくちゃ不自由(その分なにも考えなくてもいい)」ってのが生存に適した生理食塩水濃度みたいなものなんでしょうかねー。

 十人十色の個性バラバラの人間集団で共産国やろうと思ったら、それこそ北朝鮮のようにギンギンに締め付けたり、中国なんか一人ひとりの個性が強いから、文化大革命とか同胞を数千万人殺すくらいの「努力」をして初めて国っぽくなるわけで、元来がワガママな人間集団で共産なんか無理なんだと思います。そこを日本は「空気」ひとつでこうも皆がまとまるわけですから、共産国家をやるために生まれてきた民族といってもいいくらいです。

自由化と分権

 だけどそんな趣味嗜好でどうにかなるレベルではなくなってきている。戦後や成長期までは共産的な(和の心を全開にした)、学校給食みたいな世の中のシステムが合理的でした。でも、だんだん豊かになったら、それを徐々に自由にしていけばよかった。中高になったら弁当で、大学になったらクラスも自由選択、メシも完全自由、好きにして〜ってシステムに移行すべきだったんだろう。

 例えば、70年代以降にさんざん叫ばれていた地方分権を、ありえないくらいの強力さでやってたら多少は違ってたとも思います(県が違うと国が違うくらい)。

 死有地対策や過疎対策も、各都道府県や市町村で自由にやれるだけの税収保証をすればいいんでしょうけどね。各県で集めた年貢の7割も中央に献上して(3割自治ってやつね)、そして見返りに地方交付税とかアメを貰って、媚を売らないと地方が成り立たないという体制はやめる。

 ま、そこを止められたら最初から世話ないんだけどさ、理想をいえば。金がない地方は一瞬死ぬんだけど、でも中央は金も口も出さないという強力な権限を上げたらいい。幕末以前に薩摩や長州が密貿易やらこっそり商売やって軍資金ためてたように。福岡県だけ関税を安くしますとかさ、国際空港の許認可は県レベルで出来て、発着料も決められる。だから土地だけやたらある過疎村に、オーストラリアのケアンズのようにいきなり国際空港作れと(20年前からこれ書いてますけど)。企業誘致でも市町村レベルで法人税決めれるようにするとか。インフラの費用なんか世界の投資銀行に話もちかけて国際コーソシアム作って儲けは折半とかやればいいっす。許認可権だけ握ってれば、あとはビジネスになると思えば向こうも乗ってくるよ。シドニーに公共事業って大体それが多いし(そして大体コンソーシアムが損をしている=Cityトンネルしかり、Lane Coveトンネルしかり=自治体がしたたかでクレバー(笑))。また、県庁や市役所には、それが出来るだけの世界ファイナンスの人材を引き抜けばいい。やりたい奴結構いると思うけど。

 しかし、まあ、そうはならないでしょうねえ。まあ、なんといっても世界に冠たる年寄り国家ですから。日本の国民平均年齢は、2015年で46歳プラスで(だからリアルタイムには47歳くらい?)、世界一位です。世界をみれば平均年齢30歳未満の国の方が実は全然多いのですね。インドが27歳とかそんなもんだけど、10代という国も多い。若すぎるのも問題だけど、若々しく未来を切り開くには平均25-30歳くらいがいいんだろうなー。日本も戦争直後は27歳で今のインドと同じだったし、高度成長でバリバリやってる時期で30歳前半くらい?分かるような気もする。リスクから先に考えるのは典型的な老人の発想だもんね。老人が考える「未来」って要するに死ぬことだから、何を考えてもペシミスティックになるわな。

 思うに、この平均年齢って面白くて、単に老人の割合比率が増えるだけじゃない気がする。平均年齢25歳の集団は、集団として25歳的な発想と行動特性を持ち、50歳の集団は50歳的な発想と動きを持つ。だから平均47歳の日本では、20歳の個人であっても、どことなく発想や行動が50歳っぽくなる。これは理論的にそう導いたのではなく、経験的にそう思います。ま、これはテーマから外れるのでこの程度に。

トワイライトゾーンの早い者勝ち

 こっから先は勝手な推測ですけど、九州以上の広さが日本から消失!とかいっても、リアルに消えるわけではないし、エリア的にまとまってるわけでもない。相変わらず実在している。そしてその仮想消失部分が増えるということは、身体でいえば老化が進んで、身体のあちこちの細胞が死んでいくようなものでしょう。目が見えにくくなったり、歯が弱くなったり、関節が痛くなったり。でも痛いだけで消滅したわけではない。

 ということは、、、これを現実社会に置き換えて理解するならば、一応法的には日本政府の統治と法律の下にはあるんだけど、事実上、実効支配が及ばないエリアがあちこちに出てくるということですね。歴史ではよくある話です。藤原貴族が荘園支配で日本全国を統治していたけど、だんだん僻地から意に従わない奴らが出て来る。坂東の新興開墾地のフロンティアから、筋骨たくましい坂東武者と呼ばれる一群が出てきて、徐々に力をつけてくる。中央の威光が届かず、ローカルはローカルの論理と権力が生まれてくる。一国のシステムがゆっくりと変遷するときは、大体こんなもんでしょう。

 だもんで、一応日本なんだし、互換性はバリバリあるんだけど、旧来の日本的なやりかたが通用しない(てか、それでやってても救済されない)、昼なんだか夜なんだかわからない境界のトワイライトみたいなエリアが段々増えていくってことでしょう。そこでは新しい現実に適応した、新しいシステムが模索され、試行錯誤されていくでしょう。面白いなーって素朴に思いますね。だって、新しいエリアって閉塞してないんだもん。無限の可能性がある。もちろんあれこれ制約はあるけど、それはパズルにおける条件みたいなもので、規則や掟ではない。一見無理ゲーに見えたりもするけど、「なるほど、その手があったか」というのを思いついた奴の勝ち。それを誰よりも早く思いついて、誰よりも早く実行した奴の勝ちです。ちょっと燃えるよね。

 というか、これって僕らがやらないといけないんじゃないか?ちょっと考えたのですが、外国のマフィアがこれを目をつけて、どんどん自国から人を送り込んだり、日本のホームレスを大量に雇ったりして、日本の寂れたエリアや空き家を占拠させて暮らさせていけば、10〜20年たったら合法的に取得時効で自分らの所有に出来るってことでしょう?取得名義なんか裏社会いけば戸籍なんかなんぼでも買えるし。そうやって合法的に取得した広大な敷地で、麻薬栽培したり製造工場作ったり、違法廃棄物を埋め立てたり、兵器や人身売買の拠点作ったりとか。やろうと思ったら出来るもん。ま、そこまでせんでも世界に幾らでも好適地はあるだろうけど、なんか日本でやるべき理由(メリット)があったら出来る。治外法権になってしまっているんだから。だから、そうさせないためにも、僕らが有効利用して、僕らが納得できると法と秩序を作らんとヤバいんじゃないかって気も、一瞬しました。



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 文責:田村

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