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今週の一枚(2017/11/27)



Essay 853:「不安」を「希望」で上書きしちゃえ

〜「3ヶ月」と「時給20ドル」の基本プロトコル

 写真は、ウチ(GlebeのAPLaC事務所)のほんの裏手。お手軽な写真で悪いが、木漏れ日がきれいだったので。

 このエッセイで、あるいは口頭で、よく言っているセーフハウス構想ですが(名称はテキトーだが)、暇さえあれば考えてます。また少しアイディアが進んだので、誰に対してともなく書いておきます。

 「なにそれ?」って人は、定期的にこれを読んでる人にはあんまり居ないかもしれないけど、でも絶無ではないから、毎回軽く説明するのですが、、、、

 要は、もっと自由に、楽に暮らしたいというコドモのような夢を、大の大人が考えているものです。
今の世の中で自由とか楽しくなるには、積極的にそうするというよりも、それを阻害する要因を減らしていくのが先決だろう思ったのです。だから「セーフ」ハウスで、何がどうなっても、仮に無一文になっても、ここに行けばなんとかなる、食っていける、安心してぐっすり眠れる場所(システム)って意味です。例えば日本に空き家が加速度的に増えていくなら、どっかの空き家を共有シェア的に利用させてもらうシステムをつくれないかとか。

 ただ、それはコンセプトを体現する一つの方法論にすぎません。何がなんでも「ハウス」である必要もないし、場所とか拠点に縛られる意味もないとは思ってます。では、その「コンセプト」ってなんなの、もうちょい掘り下げてみると、、、って、そのあたりからいきましょか。

不安への対抗策

既存のものはアテにならない

 楽しくなるためにBBQを企画しました、温泉旅行にいきましょう、もいいですよ。全然、好きっすよ。でも、それ以前に「不安」を減らしたほうがいいんじゃないか。お金がなくなる不安、職がなくなる不安、年金が出るかどうか、介護とかやっていけるのか、そういった不安。いや、もう漠然とした「不安」なんて生易しいものではなくて、ほとんど確定しつつある危機感といった方がいいかもしれない。沖縄までやってきた台風が本州に上陸するくらいのリスクね。「たぶんそうなるだろうな」ってくらいの。

 そこが抜本的に解消されないままビーチにいってソーセージ焼いてても、どことなく上の空というか、つかの間の享楽というか、心から楽しくなさそうじゃん。僕自身がそういうのイヤだし。やっぱ「後顧の憂い」はできるだけ減らしたい。

 だからこそ国も年金やら福祉システムを構築し、民間でも養老保険やらなんやらあるんですけど、いまいち不安。僕の場合は、90年代からそこはあんまりアテにしてません。

 だって普通に考えて、大勢で少数を支える福祉構造になってるんだから、人口構成が変わったらそりゃダメに決まってるじゃん!って子供でも分かる理屈です。それで上手くいくとするなら、高度成長以上の成長をし続けていて、今後も人口バランスが戻るまでのあと数十年くらいはミラキュラスな絶好調が続かないとならない。てか今の時点で国民の平均年収が1000万や2000万円くらいいってて、誰も彼もが金持って、もう諭吉の顔見るのはうんざりだよってなってたらいいんですけど、そうはなってない。そうなる見込みも乏しい。

 子供でもわかることですから、もちろん大人がわからないはずはない。昭和40年代頃からそのことは叫ばれてました。でも、対策は遅々として進まなかった。もう何十年も進んでない。「いつかなんとかなるだろう」という、僕も楽天的な方ですけど、そこまで超楽天的にはなれないですよ。すげえ心臓だなって感じ。ということは、わかっちゃいるけど目先のことに追われて後手後手になっている。イヤなことからは目を背けて無かったコトにするメンタルが何十年も支配している。それが一番ヤバいと思います。それって多重債務者やギャンブルジャンキーの破滅型メンタリティで、一緒にビジネスをやるときに最も選んではいけないパートナーのタイプですから。そこのメンタルが弱い人と組んだら、肝心の正念場、一番しんどいときに裏切られますから。

 一方、国がダメなら民間の保険だっつっても、あれだって機関投資家なんだからドカンときたら終わりだしね。もちろんうまくいくかもしれないけど、いかないかもしれない。この「かもしれない」ってのがある以上、その確率は人によって見方は違うだろうが、ゼロでなければなんか他の手は打たないとならんでしょう。

 つまり国も保険も既存のシステムは基本アテにしないという方法論でいけるのか、なにかうまい方法はないかですが、一般に言われるのは、不動産などの固定資産を用意するする方法ですが、これもガラがきたら終わりだし維持費=固定資産税などが半端なくかかる。現物資産(金や絵画や宝石)ですが、これって素人が迂闊に手を出したらカモられるだけっしょ?もし本気でそれをやるなら、それを扱う側(宝石商とか)になった方がいい、何十年かけても丁稚奉公からやっていくべき。魑魅魍魎の世界だもん。でも人生そればっかになってしまって、それ楽しいか?と。

 なんかもっと、あまり一般的ではない新しい方法はないかと。
 あ、結論を先にいえば、なにかを思いついたとしても完全に払拭することは無理です。何があるかわからんし。100%はありえない。じゃあ90%?というと、それもどうだか?です。

「不安」を「希望」で上書きしちゃえ

静的貯蔵ではなく動的ダイナミズム

 だから発想を転換しなきゃ。何かカッチリしたシステムや資産を作って、それが正常に機能することによって、将来の保障にしようというのは限界がある。将来における不確定要素エックスがある以上、それがほぼ絶対に除去できない以上、そういう静的な方法論は厳しい。「アリとキリギリス」のアリさん的な方法論は不安が残る。なんせ夏の間にせっせと食糧を貯めておいても、その貯蔵庫が崩壊したり腐ったりしたら終わりだし、宅地造成でブルドーザーがゴゴゴとやってきたら終わり。

 もっと動的なダイナミズムを使った方法論はないかなーと。
 これといった組織的ななにかはしないんだけど、自分なりに工夫してうまくやっていく可能性は無限にある、そういう具合に組んでしまえばいいじゃないかと。将来考えられる全ての問題を予想し、それらに対して固定的・静止的ななにかを作るのは無理だとするなら、何かことが起きた時に、「そのときはそのとき」で臨機応変にやっていけるような形にした方が現実的ではないか?動的ダイナミズムというのはそういう意味です。

 わかりにくいからもう一回繰り返しますと、アリさん的に食糧だか金の延べ棒を積み上げて安心するというやり方ではなく、どんな局面になってもありあわせのもので「手なり」でなんとかしていけるようにする。料理の比喩でいえば、どっかに不動産物件を買って、素敵な厨房を作って、裏庭に畑つくってというのではなく、「料理の技術」を学んでおいた方がいいんじゃないか、あるいは行く先々で料理道具や厨房を貸してもらえるシステム(仲の良い友達とか)を作るとか。

 これは「備える」というニュアンスからはちょっと外れます。その場その場で頑張らないといけないんだから、気が抜けませんよね。大変ですよね。でも、その「大変な部分」こそが魅力的なんじゃないの?とも思うのです。未完成だからこそ良いのだと。

あなた任せ

 ちょっと視点をズラせます。主体の問題です。
 誰かが作った固定的な仕組に頼っていると「あなた任せ」だから、自分が頑張ってなんかするという余地もない。まずこの構造があかんだろ?と。

 「不安」とか「楽しい」とかいう心理を考えてみた場合、「あなた任せ」というのがあかんのではないか?物理的には一番楽だけど、心理的には一番効率悪いんじゃないか。「走れメロス」って小説がありますが、あの設定で、メロスをやりたいか、処刑場で待ってる友達をやりたいかといえば、メロスの方が精神的には楽じゃないですか?友達はあなた(メロス)任せで、なんにも出来ずにジリジリと待ってないとならない。そりゃ何もしなくていいから身体は楽だろうけど、心理的には「もし戻ってこなかったら死ぬ」ばっかり考えて、かなり辛いんじゃないか。その点メロスは、身体はしんどいけど、なんとかして間に合わせるように必死にやるし、地下鉄乗った方が早いんじゃないかとか、いや最近はウーバー使ったほうがいいかもとか考えたり、とにかく自分で工夫できるし、自分で走れる。大変だけど心理的には楽ですよ。

 生活不安や老後も同じで、自分で工夫出来る余地を増やす、というのを設計思想にしたらどうかと思ったのです。そして、それを可能ならしめるための環境づくりをやる。信頼できるネットワークを組んで、頼りになる人々をあちこちに配置し(てか最初からそこにいる人とつないでいって)、そこと自分なりに連携をとったり、アイディアを出したり、なんかやることで、サバイブするためのあれこれが出来る。昨日まで出来なくても、今日何かを思いついたり、明日色よい返事がきたりして、一気にぱっと情況が開けることがある。

希望

 この本質は「希望」だと思います。
 希望を生産、再生産できるような環境を整備したらいいんじゃないかと。なぜなら、希望がある限り、人は結構生きていけるし、楽しくなれる。

 社長業や自営はしんどいです。もう単にお金を稼ぐというだけだったら、給料貰う方が百倍楽ですよ。でも社長は「3日やったらやめられない」というのは、希望があるからです。だって一発あてたらガンと入ってくるんだもん。そして、それは次の瞬間にそうなるかもしれない。

 宝くじのわくわく感というか、いやもっとだな。宝くじは発表のときまで絶対に情況は変わらないけど、自営は毎秒が合格発表だから。お見合いサイトで釣り書出して素敵な人からメールがくるんじゃないかとか思うようなものです。そういうときは一分一秒が楽しく感じる。釣りでもそう。単純に魚を食ってカロリー摂取というだけだったら、バイトして金稼いで魚屋さんで買ったほうが遥かに効率いい。でも、「次の瞬間に釣れるかもしれない」という「希望」は、ものすごーく甘美なものなんですよ。もうそれだけで、寒風吹きすさぶ浜辺だろうが何時間も頑張れてしまう。そんなことすら喜々として出来る。

 「生きる」楽しさの本質はこのわくわく感、継続的な希望にあるんじゃないかしら。

 よくよく考えてみれば、将来の不確定性によって生じるという意味では、不安と希望は同じことなのよね。ただ違うのは、その不確定(何が起きるかわからない)のなかに、釣り糸を垂らすように、自分でなんか仕掛けて、何かしら良い未来を期待できるようにしてしまえば、不安は希望に変わりうる

 不安をなくすことはできない。なぜなら、それは未来の不確定性に由来するのだから、絶対に無理。
 だけど、不安を変換したり、不安を希望で上書きすることはできるだろ?って。未来の不確定性という本質は同じなんだから、視点一つの差に過ぎない。だったらそれを原理にしたシステムを組んでしまえばいいじゃんかって話です。

 じゃあ、それってどうやってやるの?ですよね。
 普通に起業してもいいです。オススメです。儲からなくていいんだって、本質は希望なんだから。希望を算出できたら、そして将来的にどんどん夢が膨らめば、それで十分。カネそのものは、マックジョブでもなんでもやって足りない分は稼げばいいんだわ。手っ取り早いし。

 ただ、もう一歩すすんで、もうちょいやりやすい環境整備はないかなってのがセーフハウス的な発想です。前回からの流れでいえば、そういうコンセプトで、どういうアルゴリズムが組めるか、それを現実的にどういうプロトコルに落とし込んでいけるか、ですね。

仮プロトコル〜3ヶ月と20ドル

 今回、プロトコルレベルで二つほど試案が出てきたので共有したいです。「3ヶ月」「20ドル」です。

3ヶ月の意味

観光ビザ活用

 オーストラリアの観光ビザの滞在期限が3ヶ月だからってのが直接的な理由です。もちろん永住権が取れなかった場合に真剣に備えています。最近思うのだけど、永住権ってあれは趣味というか遊びというか教育というか、一連のカリキュラムが手に汗握るシステムになってて、そこが良いのであって、オーストラリアの良さそのものは別に永住権取らんでも味わえるよなーと。

 いやいや、生活コストでいえば天と地くらい違いますよ。457の労働ビザだって、OSHCというクソ高い保険料払わないといけないし、税額も高いし、子供教育や年金その他の福利更生も「差別的」といっていいくらい違います。一生レベルで数千万から億単位で変わってくるから、そういう意味では全然違う。

 でもそれとても、生き方のシステムをがらりと変えてしまえば、あんま関係ないのよね。3ヶ月ごとにあっち行ったりこっち行ったり、それで自分なりのテーマやら仕事やらやってたら、そして既成の枠組みをアテにしないのであれば、永住権だって「既成の枠組」に過ぎないし。永住権って制度それ自体が廃止されるかもしれないし、廃止されなくても特典が少しづつ減らされるかもしれないのだ。先進国はどこも内情火の車だから十分考えておくべき。それまでに市民権(国籍)取っておけばいいといっても、そんなのも法律一つで幾らでも変えられる。出生市民権以外は全否定という法律だって作れますからね。既成方法の何がダメかといえば、あなた任せである点であり、自分に管理権がない。だから誰かの気分で自分の人生をひっくり返される脆弱性は残るという点です。

 一方、永住権を取るに至るまでの山あり谷あり出会いあり別れありのプロセス、盛りだくさんのカリキュラムをこなしてくれば、そこそこ一人前の海外戦士になれます。語学の習熟、仕事の見つけ方、やめ方、岐路での悩み方、際の際での踏ん張るカンドコロ、あっさり撤退するフットワーク、あらゆる矛盾する要素をまんべんなく学べる。自分で得た知識技能は、誰にも奪われないから資産価値でいえばこれが一番安定的です。ここでいい勝負できたら、テニスでいえばラリーが続くようになったら、もう他の国にいっても、日本であってもやっていけるでしょう。だから海外戦士というよりは、人生戦士みたいなものですね。そっちの価値の方がデカいなーと。

 ま、だから永住は永住でやるとして、もう並行して一本ルートを作ってしまいたい。それが観光ビザだけでやっていける方法はないかなって。

 観光ビザの最大のネックは、働けないことです。だからコストがかかる。コストがかかるからおいそれとは出来ない。これが月3万円で滞在できたらどうか?3万は無理でも月10万くらいだったらどうか?日本で暮らすよりは安くすると。細かいことをいえば、この12月にとにかく来て、1月1日時点の住民票を抜けば、それだけで来年数十万(人によっては優に百万以上)浮きますから、モトがとれるよん。3ヶ月オーストラリアで、次にNZに3ヶ月、それを2セットやれば1年しょ?

 滞在費の大きな部分は宿代です。これが高いね。シェアしたって月10万くらいはいっちゃうね。最低時給が2000円の世界だから(ジャパレスでも今は16ドルとか出るね)、働けさえしたらノープロです。週3くらいやればとりあえずは食えるんじゃないかな。でも観光ビザは働けない。ここがネック。

 でも「働く」という形ではなく、バーターなりシェアリング経済なり労働っぽくない形にしてしまえばいいんじゃないか。無料で、あるいは格安でシェアさせてもらうんだけど、あんまりだから庭の草むしりくらい手伝いますよ、買い出しいきますよ、子守しますよ、駅まで車出しますよ、雑用なんでもって。そっから先のバリエーションは、実はいろいろあるんだけど、まあこのくらいにしておこう。

 前に書いたシェアハウス構想は、シェアハウス経営をしてその管理人役を持ち回りでやるって話でした。それもありですよ。自分でGumTree広告だして、SMSや電話受けて、駅まで迎えにいって、物件を見せて、レントを徴収して、修繕やトラブルがあったら解決してってことね。それやってくれたら、無料で一部屋住んでいいよってやつ。

 でも、別にシェアハウスに限らないのよね。宿とバーターになる仕事っぽくない何かを1セット用意しておけばいいわけでしょ。で、それは在宅介護であってもいいんだよね。だから「これやってくれたら週200ドルだけど週50ドルでいいよ、ゴハンもつけるよ」って感じの(なんでもいい)ものを用意して、それを10も20も用意して、掲示板とか、HELPXのように出しておいて、適当に見繕って申し込むと。

日本の場合

 これが日本だったらもっと楽です。だってビザの心配しなくていいもん。それがどれだけ楽なことか、海外でビザで苦労したことが無い人にはわかるまい。極楽浄土だって。

 あ、もう出来たじゃん。
 だからー、皆が住んでるエリアで、家と仕事の3ヶ月分用意すればいいんだわ。別に自分の家である必要もなくて、知り合いの家が余ってるから、月2万で貸してくれるよとかさ。でもって、仕事は、地元なんだから探してこれるでしょ。週3でいいから、しっかりした人なら来て欲しいって。それを探すために、自分でも精力的に地元の簡単な仕事を選ばずにガンガンやってノウハウ覚える、人脈広げる。で、紹介する。あそこのスーパーだったら、倉庫の品出し役いつも募集してるから口きいてあげるよ、あそこのコンビニのオーナーが最近腰痛きついんで、搬入やってもらいたいとかいってるしとか、ローカルの空き家メンテサービスの副業(換気と掃除と草むしり)始めたから手伝ってくんない?取り分半々にするし、とか。なんぼでもあるだろ。

 それを全国規模であっちゃこっちゃに作ってもらったら、あとは3ヶ月単位で、北海道で暮らしてみたり、京都に暮らしてみたり。

 もともと自分自身暮らしてみたいってのがあったのですよ。これまであちこち暮らしてきたけど、イヤだったことないし(東京が一番つまらんかったなー、まあガキだったということもあるが)。死ぬまでに一回くらい北海道に暮らすのもいいよね、沖縄もいいな、長崎も住みたいな、金沢とか北陸もいいなって。全部やりたいぞ。弁護士選ぶときに、最後まで判事検事ルートと悩んだもんね。きゃつらは転勤があるんだよね。いいなー、くそおって。弁護士は地盤産業だからローカルに根を張らないと客がこないね。転勤のある弁護士とかないかなとか夢想したもんです。

 でもってこれが介護問題のひとつの解決策にもなりうるだろう。自分だけで面倒みるのはしんどすぎるので、1日6時間、これとこれをやってくれたら、あいてる部屋に泊まってくれていいよと。それでだいぶ楽になるよ。

3ヶ月の意味

 3ヶ月というのは「ま、こんなもんだろ?」的な時間感覚です。
 大前提として、無条件に門戸を広げるつもりはなくて、人間的に信頼できる人達の間でやります。APLaCとかオフ界隈だけでだいぶひろがってけど、もっと広げられるし。価値観が同じで、行動力がある人(海外に一人で出てこれて、それで悪戦苦闘できる程度の実行力)でないと絵に描いた餅だから。

 そうであったとしても3ヶ月が限界だろ?って思うのですよ。
 そんなねー、一生友人なんて無理無理。いや、友人であることはできるけど、一緒にいるというのが消耗する。結婚生活でも最初の1−2年は壮絶なバトルがあったり、3年目で倦怠期とかいうけど3年持つだけでもいい伴侶ですよ。イヤな奴だったら10分ももたない。だから、3ヶ月くらいが限度じゃないか。3ヶ月以上であってもかまわないけど、最初からそのくらいと思ってられたら、どっちにとっても楽でしょう?

 全体に大きく作って3ヶ月単位で廻して行くほうがうまくいくだろう。そうは思いせんか?

20ドル

 最近、こちらに一家で移住希望で来られた方がいたので、すでに家族でこっちに来て何年も経験ある人をご紹介しました。家決め、シェアメイト募集その他、直近先輩に聴くのが一番早いですからね。

 その際、無料できくというのはあんまりだから、最低時給分の20ドル(時間)払ってっていいました。相手の方は、いやいやそんな大したこと話せないし、自分自身沢山の人にお世話になったし、恩返しだし、お金なんか取れませんとか言ってたけど、でもそういうフレームにしたいんだよ、最終的に貰うかどうかはあなたの判断でいいけど、大きなフレームはそうしたい。プロトコルはそうしたい。

 だって、誰かのために1時間割いたとして、本来だったら他で働けば最低でも20ドル稼げるんだから、その機会を逸しさせている分の埋め合わせはいるだろう。

 でも、本当はそんな経済的な理由ではなく、人間関係の潤滑油としてです。
 無料とか好意とか美しいんだけど、重たくもあるのよね。妙に気を使ったり、使われたり。カネでやった方がサバサバする。だってね、人間の心理として、その物事の価値評価というのは、常に、与えた方>与えられた方になって、やる方は「無料にこんなにやってやったのに」って心理は絶対抜け落ちない。もちろん常識も節度もある大人はそんなことオクビにも出さないよ。でも出さないだけど、あるよ、絶対。

 あなただって好意であれこれ教えてあげようと家に招いたとしても、1時間や2時間だったらいいけど、5時間も6時間も長っ尻されたらうんざりするでしょ?いい加減に帰れよ、他の用事もあるんだよって思わないか?図々しいやつだなって、ちょい悪感情もつよ。持たない人もいるけど、持つことを非難はできんでしょ。それかプライベートのことを根掘り葉掘り聞かれてもムカつくでしょ。

 逆に無料で聴いてると、ここまで聴いていいのかとか遠慮もするかしらん。それにさすがに手土産なしっていうのはあんまりだろ?と思う。話なんか大体1−2時間あれば終わるし、それ以上は生産効率が減る。手土産っつっても、初対面の日本人の社会人の場合、千円やそこらのものだったら失礼だって常識もあるでしょ。だから結局、20ドルとか40ドルくらいは使うんだよね。だったら時給制度にしちゃったほうがいい。

 それに1時間いくらでやったほうが、話は締まる。聴く方も、くだらないことに時間使ってたら損だから、あらかじめ質問ポイントを紙に書いてまとめていくとか、事前にメールで伝えておくとか、答える方も多少なりとももらってる以上、嘘やいい加減なことは出来ないし、妙な自慢話や苦労話でお茶を濁すわけにはいかないぞと心が引きしまる。

 それと友情とか親愛とかは対立しません。両立します。きちんと節度をわきまえた大人同士だったら滅多なことで妙なことになるわけない。ただし、「節度をわきまえる」という意味内容が人によってえらく違うから、そこがトラブルのもとになるかもです。

 だったら、時給20ドルというプロトコルにしてしまえってことです。5時間長っ尻されても100ドル貰えるなら、まあ慰謝料としてはそこそこでしょ、焼肉くらい食いに行けるし(笑)。お金というのはこういう具合に使えということで、人間関係の交通整理するガイドラインにはなる。無料でないと絶対動かない人もいるけど、そんな人いらんし。それって物事の価値付が主体的にできない人ってことで、そんな主体性のない奴いらんし、関わらん方がいいです。関わると面倒臭いでしょ、皆も知ってるでしょ、そのあたりの機微は。

 これを基準プロトコルにしたらいいんじゃないかなーと思うのは、生活局面で、あれこれ聴いたり聞かれたりお世話されたりしたりってことが増えていくだろうし、増やしたいです。その際、これまで苦労して学んだ技術、知識、経験がマネタイズできるわけで、期せずして副業にもなるでしょ。

 別の言葉でいえばシェアリング経済になるのですね。そう大上段構えてやるわけではないけど、勝手口から入って玄関に出るみたいなもので、結果的にはそういうことになるでしょう。そして、それが自分の起業副業のヒントにもなろうしね。

 20ドルというのは仲間価格です。仲間でなかったら差別します(笑)。50ドルとか100ドルとか。オーストラリアの「レイバー」と呼ばれる専門手間賃(水道屋とかメカニック)だったら時給90ドルくらいかな。そのくらいとってもいいよね。でも仲間は20ドル。仲間特典。

 じゃあ、「仲間」ってどっからどのへんまでの言うのよ?って話になるけど、これは敢えて決めない方がいいかな。制度にした方が楽なんだけど、そこは楽したらあかんだろって。制度に寄りかかって楽する分、質は落ちるからね。仲間かどうかは、なんとなく分かる、分かるくらい場の空気が充実してないと。質は気合で維持せよと(笑)。

 以上、備忘録代わりに書いておきます。
 じゃ、各地でいろいろワンセット用意してねー(笑)。





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 文責:田村

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