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今週の一枚(2017/09/25)



Essay 844:サーバー移転〜最近のWEB技術界隈


 写真は、先日行った、コラロイ( Collaroy) ビーチ。平日の昼下がりに行ったので、だーれもいないし、ローカルのカフェも地元感ありありで良かったです。昨夜来の雨が流れ込んで波打ち際は泥になってますけど。


 さてFBにも書きましたが、先週の後半、HPもメールも2日間ほど使えなくなって往生コキました。皆様にはご不便、ご迷惑をおかけして、ここに改めてお詫び申し上げる次第です。すみませんでした。

 今はもう新サーバーに移行してます。今ご覧になってるこのページもすでに新サーバーだし、どのURLにアクセスしても新サーバーになってます(筈)。以下そのあたりの話から、ここ数年のWEB界隈の傾向などの雑感を書きます。ご自身でやっておられる方の参考になるかもしれないと思い、ムキになって細かな手順も書きましたが、読み直してみたら、別に興味のない人には退屈だなーと思ったので、タックしておきますね。
 

ドメインの話

ドメインとはなにか

→MORE

ドメイン申請とドメイン管理

→MORE

infoドメインとnetドメイン

→MORE

サーバーの移転の話

レンタルサーバーについて

→MORE

全文置換

→MORE

SSL化

→MORE

リダイレクト

→MORE

掲示板cgiとデーターの移動

→MORE

雑感

 20年に一度の伊勢神宮の遷宮のように、定期的にゼロからやりなおしをするのはいい機会になります。日常べったとやってると問題意識も生まれないしねー。今回もけっこう長いことべったとやってました。全部をHTML5に直したのが最後くらいで。ところがリキ入れてなんかやってないと、やっぱりパフォーマンスは落ちる。

 今回は、アメリカのドメインWhois元締めが、何を血迷ったのかいきなり仕事するからこういう羽目になったのですけど、災い転じて福となすといい機会です。これがなかったら、サーバー移転とかも面倒臭すぎてやろうと思わなかっただろうし、.htaccessとか調べてても「だー、わからん!」で投げ出していたと思うのですよ。今回も、最初のころはあまりの作業の膨大さに気が遠くなる思いで、こりゃあ年内一杯におわるかなー?てな感じだったんだけど、一気に集中してやったら結果的には3日くらいでおおよそ出来てしまいましたし。

 ただ、20年もHPやってると幾らか思うことはあります。

新技とか流行り廃りの虚しさ

 結局思うのは20年前のコンテンツでも別に通用するし、あのままでも本質的にはいいんだろうなーってことです。とりあえずブラウザで読めたらいいんですからね。

 今はネットでなんでも調べられますからそれはいいんですよね。でも、プラマイでいえばどうなんかなーって。黎明期の頃は、本当にそんなのでビジネスになるなんてノリはなかったし、そういう「小賢しい」動きもなかった。だから、ホームページの全てが純粋というか、「作りたくて作ってます」的なものだけ。ブログなんか存在すらなかった。皆がやってるから自分もなんてことも全然なかった。

 検索もろくすっぽできずに、「千里眼」とかいうサーチエンジンがようやく出てきてって。純然たる趣味世界で、あんまり役にも立たなかったんだけど、でも内容は本物しかないという。「ホームページ」の意味を誤解して、自分の自宅の写真を載せてるだけのページとかあったし(笑)。

 ところがネットが広がってくるにつれ、商用小手先いじくり系のものがメインになり、多くの利害関係人の思惑やら利権やらが入ってきました。別に非難してるわけではないし、物の道理でもあるかしらんけど、車と同じで「不必要な流行」もあります。ホームページのデザインでも、ある時期を境にして、どれもこれも似たり寄ったりの金太郎飴状態になってきました。ある時期は三段コラム構成がいいとか、ある時期はフレームを使うのがカッチョいいんだ、フレーム使ってなかったらダメだと言われ、ある時期をすぎたらフレームなんか使ってちゃダメだとか。ここんところワードプレスが多いですけど、長い目でみたらいずれ消えていくでしょうねー。

 そういうフラッシーなものを求める人はそれでいいです。でも物事には実用面と趣味面があって、実用面はそんなに変わらない。書物でいえば、「紙に文字を書いて」「それを綴って」「ページごとめくっていって読む」という基本パターンはそんなに変わらない。数百年スパンで、紙が動物の皮(羊皮紙)から植物繊維のものになったり、手書きだったのが活字印刷が出てきてとかそのくらいでしょう。活字フォントが多少開発されたり、写植がコンピューターになったとか。でも、ベーシックなところは変わらない。だからネットで読むにしたって、そんなに基本は変わらんです。

 だから定期的にキャッチアップするにしても、あんまり敏感になりすぎてもあかんなーって思うわけですよ。今から思うと意味なかったなって思うのもたくさんあるし、あとで全部もとにもどしたってのもあります。でも、ちょっとのめり込むと趣味的に走っちゃうんですよね〜。画像が動いたら楽しいし(笑)。読み手は誰もそんなの求めてないのに。

Google大明神とSEO

 これはもう新興宗教だなって思いますよ。SEO界隈では、Googleの発表ではこれからSSL対策をしてないサイトは検索順位を落とすらしいとか広がったりするわけですが、別にGoogleはそこまでいってなくて、安全対策に配慮してるかどうかってことも要素にするのもいいよねーくらいの感じでしょ。

 ただ、そのくらい「子曰わく」というか、聖書にはこう書いてあるとか、「毛沢東同志はこういった」とか、Google語録、教典によって一喜一憂するという。なんだかなーって思う。

 今回も、一応やるだけのことはやらんとねーで、Googleのサーチコンソールやら、アナリティクスやら旧サイト新サイトをくっつけるとか、アクセス稼ぎにスパム行為ではないですよと注意書きをするとか、そのあたりの配慮もあって、まだやってる途中です。結果が出るまで数週間かかるので、ようわからんです。

 んでも素朴に思ったんだけど、Googleの検索順位アルゴリズムに意図的に干渉する=SEO(検索エンジン最適化) ですが、これってGoogleのAIが不十分だから出て来る発想じゃないのか。こいつアホだから、こういうやり方で釣るといいですよってことですよね。あるいは、良いサイトを作ってても、見逃すからちゃんとアピールしなきゃダメですよとか。

 でも、GoogleのAI見てるとそこまでアホだとは思えないというか、彼らもそればっかやってるんだから、ある程度は正確にやってるでしょ。順位アルゴリズムは当然ながら一切非公開ですけど、多分細かい部分では毎日のように変えてるんじゃないかなー。試行錯誤しつづけているというか。そもそもページの重要度とかいっても、人により価値観により違うんだから、一元的にやれるわけないのですよね。そこに根本矛盾があって、そこに検索エンジンという存在の限界があるのだと。本当に知りたい情報にたどり着けないのは仕方がないよなーって。

 ただ、ここで新たに思ったのは、SEOというのは、ある程度Googleを神格化するとともに、Googleをアホだとしないと成立しないという微妙な立地に構築されてるんだかなーってことです。特に業者さんは大変だと思いますよ、営業的にも実務的にも。SEO=詐欺で検索したら山ほど出て来るし。

 これはGoogleを女性に変えたら分かりやすいかもしれない。全然モテない僕がいます。女の子(Google)に認めてほしい、モテたい。どうしたらいいのか?そこでモテ指南の師匠が出てきます(SEO業者)。師匠から、女の子がいかに尊い存在か、モテなかったら死んだのも同じ、いや生き地獄だから死ぬよりもみじめだとかさんざん吹き込まれ、だからモテ以外に道はなし!と洗脳されます。そうだ女の子=全人生なのだ!と思う。ネット=Googleなのだと。そこからモテテク伝授になるのですが、ここから女の子をおとしめるのですよ。女の子は見た目重視ですからねー、そんなファッションではダメですよ、流行の話題についていかないとねー、当社では専属のブランドと契約してて社販価格レベルの4割引でお安くおろしてますが、これなんかお客様に最適化〜で売り込むと。何を言ってるかというと、いったん持ち上げて、そして落とすという論理構造です。Google(女の子)なくして人生なし!と持ち上げて、小手先のテクにって落とせる(馬鹿にしてる)と。でも僕にはGoogleがそんなにバカだとは思えないのですよ。そんな小手先のSEOでそんなに違うかあ?と。それは、女の子がそんなにバカだとは思えないし、そんな小手先のことでモテ度が違うかあ?というのとニアリーな感覚なんです。

 そして「ある程度は確かにそうだけど、100%そういうわけでもないよ」という点。カミさんが自分のサイトを直そうと複数の業者さんに見積もりとったり意見聞いたりしたらしいのですが、大体がこんなんじゃダメ、論外で、やりなおすなら100万円単位でかかると。でも、一番古い老舗の業者さんだけが、読みにくいけど、個性が立ってるからいいんじゃないですかと言ったと。確かに見てくれとか、流行とか、検索上位SEOとかそれはそうなんだけど、やればやるほど個性が死ぬんですよね。それはそうなんだけど、それしかないわけではないと。トータルバランスだと。

 スマホ対応とか、今は7割位がスマホで見てるとかいうけど、これも怪しいです。てか、スマホとかいつまでも長続きはせんだろうなーって思うから。要は情報端末であり、娯楽機器(音楽再生とか写真とか)ですが、別にあの形である必要もないわけですな。電話なんか今どきあんまりしないというか、オンライン通話で出来るからもう要らないとすら言える。ただ、そこで出てくるのは、持ち運びには小型の方がよく、見るには大きな方がいいと。実際、スマホでWEB制作とかやってらんないですよ。またちょっと本格的に調べたりすると、タブを30も40も同時に開いて参照してってやりますから(今回の移転の作業を調べるときもそうした)、それをスマホでやれというのは無理。だから根本ドグマに決定的な矛盾がある。「大きくあれ」「小さくあれ」の2つを同時に満たさないとならない。

 多分iPhoneXとか小手先ではない本格的な次世代は、ディスプレイパネルの可変化でしょう。既に出てきてますし、サムソンが折りたたみ携帯の特許申請をしたとか、レノボやLGで折り曲げられるディスプレイをやってるとか、そういう時代になっていくんじゃないかな。小さいの読みにくいもん。

 もしね、ディスプレイは完全別物で、今のパソコンとディスプレイの関係になるなら、本体の形なんかサイコロ型でもなんでもいいんですよね。容量圧縮技術が進んできたら、指輪サイズとかネックレスに本体入れておいて、あとはディスプレイに転送してってことでもいい。だって昔は電卓一つでピンボールくらいのサイズあったんだから。あとは、眼鏡の上に半透明なスクリーン画像を投影するとか、空間にホログロフとして投影するとか、ポケモンGOみたいに今でもできてるし。メガネかけ無いとダメだけど、だからメガネメーカーとタイアップしてスィッチ一つで切り替えられるとか。最終的には脳の視神経にピンポイントに信号を送ればいいじゃんって幻覚システムができるかもね。

 ま、わからんけど、いずれにせよ「スマホ」というのもiモードのように、次の世代の連中に「なにそれ?」になるんじゃないかな。昔の人は「スマホ」とか使ってたんだって、とか言われちゃったりして。「ピッチ」なんか若い人はもう知らんでしょ。

 さてそうなったときのHTMLはどう書いたらいいか?ですけど、でもなー、さんざん勉強してやって、無駄でしたとかやってると、そんなことやってるヒマがあったら、本来のコンテンツ書いた方がいいなって気もします。ユーザーはそこを知りたいわけだし、今回あれこれ調べてるときも、全体のデザインの作り込みなんかガン無視ですからね。そんなんどうでもええわって、知りたいことが書いてあるかどうかだけだわって。

Google問題

 異性問題が避けて通れないのと似てて、Googleも避けて通れません。でもなー、そんなに馬鹿ではないけど、同時にもっと悪賢いというかせこいかも。かつてGoogleの創始者のラリー・ページはイービル(邪悪)なことはしないのを社訓としたし、初期のグーグルは良かったです。理系集団の世間知らずの善良さがあった。でもね、だんだん図体がでかくなってきてから、文系の邪悪さが出てきたような気がしますね。例えば金融系で、どんどん近隣企業を買収していってってマネーゲーム的な側面。これは金融村に騙されてるというか、主導権取られちゃってる感じもする。もうひとつはもっとダークな政治系。

 Googleの理系集団的なダサい善良さ=白衣かジャージしか持ってないようなは、今でもGoogle自体の解説ページが理系に偏りすぎてわかりにくいという、マニアックなおたく臭さがふんぷんとします。わかるか、こんなもんとか思いつつも、ちょっとほっとします。相変わらずイケてないなーって(笑)。

 ただ、それとは別の部署で、文系邪悪が蔓延してて、例えば自分の体験でいえば、あるときを境にアクセスが減っているのですね。普段気にもしないから見てなかったけど、今回改めて見てわかった。なんで落ちたのと時期的に符合するのを探していくと、Googleのアドワーズ広告を意味ないからやめよとやめてからなんですよ。そっからドンと落ちた。でもね、月間クリック数なんか2とか3ですよ。上限予算落としてるからその程度です。だから数千とか数万単位の差が出てくるわけがない。ということはアドワーズやってると優遇か、あるいはやってないと冷遇かわかりませんが、なんらかの差異的なことやってるんじゃないの?という気になります。みかじめ料払えってことかよ?って。そのあたりはかなり不信感持ってます。持たざるをえないよ。

 もうひとつ、これは完全に推測(邪推)レベルですけど、ビッグデータとして政府と連携すること。前に「とでんか」という漫画紹介でも出てきたけど、ネット的な洗脳をするのに検索エンジンやサービスは都合がいいですからね。それにあそこまで図体が大きくなると、国家権力から距離を置こうとしても、国家の方でそれを許さないでしょう。巨大なアメとムチを使える存在(従ったら数兆円レベルでの利益保証と権力に中枢参加、でも逆らったら社会的に葬ったり、端的に殺したり)ですから。実際、Googleの選んだニュースなんかを見てても、ある時期(10年くらい前かな)を境にしてなんか変だな?一定のバイアスかけてるな?って思って、それから見てないです。なんか変だなって。

 実際、圧力かかってますよね。圧力といえば、圧力鍋で検索したらいきなりテロ対策警察に自宅を踏み込まれたというアメリカの事件もあります。Update: Now We Know Why Googling 'Pressure Cookers' Gets a Visit from Cops。圧力鍋爆弾を作るテロ防止のために全検索データーが警察にわたってないとこういうことは出来ない筈で、だからもうダダ漏れだと。最近ではヘイトスピーチを禁止するとかいうタテマエで圧力を加えるとか、ツイターでアカウント凍結されたとか、ありますよね。

監視社会

   将来的にはGoogleにせよSNSにせよ変わっていくでしょう。国家のための洗脳道具、情報収集ツールに成り下がったものと、そうではなく利益追求をしない本来のネット的な存在がもっと一般化されていき、二極分化していくのではないかな。

 先日、カミさんと空港にいたのですが、カミさんの携帯にテレストラ(契約してる電話会社)からSMSがきて、「海外にいくなら課金を減らすために」とかいうアドバイスを親切に。でも、これ、ぞっとしますよ。おそらく携帯が空港のWiFiと繋がって時点で、居場所がわかり、その居場所に即した広告や注意を送るという。つまり全部ダダ漏れにわかっているという。

 テレストラはまだ「監視されてますよ」と教えてくれてる分、良心的です。これ、今の時点でかなり筒抜けになってると思っていいでしょうねー。あなたの全検索履歴、アクセス場所、GPS、SUICAなどでの位置移動、クレジットの支払、時刻、監視カメラ、道路につけられてる監視カメラと顔認識システム、さらには各種自動機器でのタッチパネルの指紋採集など。この個人データーと、全体の個人データーを突き合わせてみたら、AさんとBさんは毎月金曜日の夜一緒にいる機会が多いというのがバレて、それってモロに不倫の証拠になったりもする。これを悪用しようと思ったらなんぼでもできますよね。ある種の不正要求を受けて断固拒否とか正義を貫いたら、ぴぴっとSMSがきて、「これで今月3回目ですね、いいんですか?火遊びもほどほどにね」とか。あるいは自分の子供の写真が送られてきて、「可愛いお子さんですね、でも一人で歩いていると危ないですよ」とか。もう一個人だったら逆らえないですよね。

 ま、対応としては、全部バレてるって前提で暮らすしかないよねーとか思ってます。最初から地のまま生きてたら別にスキャンダルもないしね。どこで何をやってても、「ああ、またか」と皆に思ってもらえるように(笑)。

ネットなんか雑魚業界〜流通業界へ

 でもGoogleさん、自動運転とかドローンとかやってて、多分そっちにシフトするんじゃないのかな。思うに、ネットって儲からんし、アマゾンも本屋というよりは百貨店で、さらには流通業者になってるから、次世代は流通かと思います。ネットで出来ることはもうやり尽くしてて、でもヴァーチャルはどこまでいってもヴァーチャルで、それを3次元的に実体化する時点で出てくるのが流通ですから。検索も一定レベルまでいったら、あとは価値観の問題になっていくし、頭打ちになるでしょう。ネット広告でもうけるとかいっても、最近はどうなの?ヤバイんじゃないのかな。だって、他のサイトとか見てても、「スポンサーサイト」という表示がなされてて、実際の広告の受注がない(広告枠が売れてない)のを見かける頻度が高くなってますしね。

 EV(電気自動車)、自動運転、ドローンなどは多分セットになってると思います。さらにこれにAIを組み合わせる。ドローンも、最初はあんなもん役に立つのか?と思ったけど、立ちますねー。素人考えだけど、大重量のものは別だけど、簡単なモノだけだったらドローンで発進して自分の場所まで飛ばして貰えばいい。配送センターで荷物をドローンに搭載したらピ!とスキャンする。そうすると、特殊なバーコードが生成され、それを受取人のメアドやSMSで送る。送られた人は、お、ついたかと思って、アプリを開くと、場所と配達予想時間が表示され、都合がいいときにアプリで「送ってちょうだい」って発信する。それを受けてドローンが発進。自分の現在地上空まできたらまた連絡取り合って降りてきてもらう。で、携帯かざしてピとやったら、ドローンから荷物が分離され、ドローンは自動で帰宅。荷物のタグのところをまたピとやったら解錠されて中身が受け取れるという。

 空はドローンだらけになるけど図体が小さいからおそらくそんなに邪魔にもならんでしょ。遠目からは鳥が飛んでるのとかわらんし。自動運転は、そんなもん出来るかいって思ったけど、今は結構可能だろうなって思うし、それ以上に人間が運転するよりも安全だろうなとは思います。個人で利用するというよりは流通的に便利だろうと。今現在数十万ある発送荷物のうち、どことどこの荷物をどう集めて、どこまで同じ方向にして、どこまで同時に運ぶか、どれが一番最適なのかを算出するのは、コンピューターが一番得意とするところですから。できるんじゃないかー。

 EVと関連するのは動力も電池だったら電気制御に馴染みやすいからです。ガソリンによる爆発を行ってって内燃機関は手続きが面倒くさいけど、モーターのオンオフとか電流制御だけだったら、かなりコントロールに馴染みやすい、だから自動運転などにも馴染む。そういう時代になるでしょう。高齢化でボケが多くなることもあり、人手不足もあり、自動化でやっていったほうが楽だし。これ確実にお金になりますからね。グーグル先生にしても、検索とかYouTubeで広告料でもうけるとかいっても頭打ちなのは見えてるし、絶対額に限度があるから美味しくないでしょ。YouTubeでも最近広告が入る率が高くなってるけど、あれ儲かってない証拠じゃないの?その点、流通に食い込めたら桁違いに儲かりますからねー。

 あのー、ネットばっかやってるとネット業界とか広告業界とか巨大な気がしますけど、経済全体からしたら雑魚キャラでしょう。例えば、【業界研究】流通業界の現状・動向・課題についてによるとその市場規模は460兆円です。一方広告業界の市場規模はわずか6兆円、さらにネット広告業界になると1.6兆です。数百分の1で話にならんでしょ?なんで流通がそんなに凄いのか?というと、商社がはいるからですよ。だから、グーグルさんは将来的には自動運転とか最新機技術で流通に食い込み、さらにこれまでの膨大な蓄積データーで商社の地位に取って代わろうとしているのかもしれませんね。あ、これ勝手な推測ですから、話半分に聞いてくださいね。

 以上、最後は脱線しましたが。

 あ、そだ、最後にサーバー移転するとトップページの「いいね」がゼロリセットされちゃいましたー。良かったら押してくださいまし(トップページで)。前の数字を引き継ぐ方法もあるようだけど、やってみたけどダメだったし。

 もともとうちのサイトはいいねが少ない。「エッセイ読んでます」とかよく言われて、実際にオフなんかにも来ていただいたり、アクセス見てもコンスタントにリピーターが数百人いるんだけど、でも「いいね」(各回のエッセイのいいねは一番下にあります)はゼロのまんまという不思議な。なんでなんですかねー?これはやっぱ私の人間的な部分に問題があるのですかね、なんか支援してやろうって気にさせない人柄であると。そうなんかなー。どう思いますか?

漫画紹介

[あさのゆきこ] はんなりギロリの頼子さん


 今週はメインに行数とったので漫画はライトな感じで。

 よくあるご当地案内漫画で、これもよくある京都モノ。京都人ならでは、現地ノウハウがてんこ盛りなので、ガイドブック的にも使えます。単純に面白いし、実用性もあります。


 でも、作者さんが意図してるのかどうかはわからないけど、多分自然に出てきてしまうのだと思うけど、出身地や故郷と自分の関係です。愛情と嫌悪とアイデンティティ。誰にでもある問題。

 主人公の頼子さんは、とっつき悪くて、いつも人をギロリと睨む悪い癖があって怖がられるんだけど、でも根は親切で優しいひとという設定。別にギロリ属性はいらんちゃうの?って気もしますけど、なんかフックが欲しいんだろうな。ただ親切な主人公だけだとパンチがなくなるし、どっかしら苦味を入れておきたいんだろ。その苦味は、多分「批判精神」と呼ばれているものとつながってる気がする。

 何を言ってるかというと、頼子さんは正真正銘の洛中の京都人なんだけど、無条件に京都バンザイでもない。東京の方に嫁いでいって破綻してって過去もありげで(まだ詳しくは語られてないが)。京都人の選民思想は嫌いなんだけど、でも自分にもそれは残ってるのがイヤだという。そして東京人の選民思想にぶつかってまたイヤだったという。要するに、住んでる土地がどうかということと、個人とがなんかつながって、それが人間の醜悪な部分を助長させてしまう、そのあたりの葛藤です。

 なんか分かる気がします。僕も、京都は縁があって、学生時代に7年どっぷりおって、それから大阪にいる頃にも仕事でよくいって、また実家が今も京都(越してきた)から帰国するときは京都。でも、別に京都人ってわけでもないです。じっちゃんは梅津(桂川の近く)に豪邸もってて、親父も大阪・京都あがりだから多少は関係あるんだけど、その程度。リアルに京都と接したのは、大学時代に東京からやってきたときだから、「よそモノ視点」です。

 そして京都に住み始めたころは東京生まれの東京育ちの選民思想があるから、京都人のいけずとかプライドとか屁とも思わなかったし、最初の下宿のばーちゃんが、京都にいくことを「上洛」と書き(俺は信長かよ、と思った)、東京に行くことを「東下」と書くという、見事なまでの京都中華思想が小気味いいというか、カルチャーショックでしたねー。

 んでも居住先を転々としてたし、今なんか海外に長いし、そういう地域と個人の関係というのは、昔以上に希薄になってるし、自分と日本人というアイデンティティとか、日本という土地と自分とか、もっと一般化してます。でも原型は同じで、それはこの漫画の頼子さんと同じ。

 頼子さんが、観光客に対して「いけず」をする同じ京都人にむかっぱらを立てるシーンが秀逸で、そこをちょっと抜粋して載せます↓



 頼子さんは京都人のくだらないプライドとかイケズの悪習とか、同じ京都人としてすごく嫌うわけです。近親憎悪ですよね。日本人は好きなんだけど、日本人のダメなところはすげー嫌いだという。誰にでもあります。

 この漫画は単に京都ファンタジーで埋め尽くされているわけでもないし、暴露ジャーナリズムでもなくて、個人と故郷文化との関係を描いているんだろうなと思います。個人の心情だから、もちろん整合しているわけもなく、いたるところで矛盾がでてくるんだけど、でも、その矛盾をそのまま包み込むのは、個人の個性であり、同時に人間一般の普遍的なココロのありかたであり。

 頼子さんは角で昔ながらのタバコ屋さんやってて、観光客から年がら年中道を聞かれたり、頼まれたりします。地元民にしてみれば、観光業でもやってない限り、観光客なんかうざったい存在だし、ガイドブックの浅薄な知識でなんだかんだ言ってるのもムカつくでしょう。苦虫噛み潰すような顔になるのもわからんでもない。でもね、どんな形であれ、自分の町を知らない人が楽しんでくれて、ハッピーになってくれるのはやっぱうれしいんですよね。その嬉しさは、故郷に対する誇らしい気持ちなのか、それとも単に人がハッピーになることへの喜びなのか、おそらくは両者のブレンドなんでしょうけど、そのあたりの感じはよく描けているのです。

 これから日本にもどんどん外人観光客が増えるでしょうけど、頼子さん的な思いをすることも増えていくでしょうね。日本に対するくっだらない誤解を何度も何度も聞かされて、だーもー!って気分になることもあるだろうけど、すっごい良かったです、楽しかったですって言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しいって。

 でも故郷ってなんだろうねー?「ふるさと(故郷)は遠くにありて思うもの」と書いたのは室生犀星で、これはまた別の漫画の「月に吠えらんねえ」って超マニアックな日本文学マンガにも出てきますが(いずれ紹介するかも)、この詩って、室生犀星が故郷を遠くはなれた東京で作られたものではないです。逆で、お金に困って故郷で金策をしてて、でも全然ダメダメで、どんどん故郷が冷たく感じる、もう俺の居場所ないじゃんって悲しい気持ちで、故郷というのは遠く離れて思うのが一番よくて、本当に帰ったらあかんよというくらいの意味だったりします。

 頼子さんも京都は故郷で好きなんだけど、でも美化できないくらいイヤな現実も日常的に経験するから手放しLOVEにはなれない。しかし、幻想的に美化しまくってる観光客が連日押し寄せてきて対応に追われる、け!とか思うんだけど、でも、楽しんでくれるとうれしい。いろんな角度で屈折しまくってるんですけど、でも、まあ、それが本当のところなのかもしれないですよね。そういった微妙な屈折がよく描けてると思いますです。





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★表示させない




反対側は海(入江)です。気持ちいい空間ですよん。




 文責:田村



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