★↓背景画像bgmaximage★ グラデーションなどベンダープリフィックスを除去するJS★
843 ★背景デカ画像

  1.  Home
  2. 「今週の一枚Essay」目次


今週の一枚(2017/09/18)



Essay 843:ゆっくり眠れる場所と、栄養失調にならない程度のカロリー

 後はほっといてくれたら勝手に幸せになれますから

 写真は、新緑が芽吹き始めた街路樹。Wynyardの公園。


 今週のマンガ紹介は「マージナル・オペレーション」です。よせばいいのに又先にマンガ紹介を書いてしまったので、もう時間がないです。それだけで終わっていいくらいの分量を書いてしまいました。また書くだけの価値のある素材だとも思いましたし。

 大した紙幅も残ってないので、今日は、あまりに煮詰めずに、ざっくりした将来構想を書きましょう。ちょっとマージナル・オペレーションに影響されながら。あ、最初に断っておきますが、ここで何かの「正解」とか書く気はないですよ。そんなの最後の現場で算出すればいい。大事なのは、どういう状況になってもその内容を分析できるフォーマットだと思います。プラスマイナスの得失ポイントはどこにあるか、なぜそう考えるのかなどの要素の抽出と相互関係です。それをあれこれ考えて拾っていく作業をするというだけのこと。

どうやったら最終目標(幸福)を実現できるか

 えーと、自分としてはですね、「幸せに生きたい」。それだけです。それが一丁目一番地で、それが最終ゴールで、それが日常であってほしい。

 じゃあどうやったら幸せになれるか?
 これは、僕の場合は簡単です、ほっといてくれたらいいです。本読んで感動し、マンガよんで感動し、音楽聞いて感動し、空を見て感動し、あと友達とバカ話してあははと笑ってられたらいいですよ。それにな〜んもなくても、面白い遊びを考えるのは得意な方だと思います。単に歩くだけでも、メシを作るだけでも、それを遊びにして楽しむことは出来ます。だからそんなにお金はかかりません。いたって安上がりな人間で、良かった良かった。

 逆に言えば、誰かさんにすごい!と言われたいとか、もうどうでもいいです。そういう自己顕示欲は人並みにありますけど、それがやりたかったらバンド組んで、落語の「寝床」のように嫌がる聴衆に無理やり聴かせて、拍手を強制するというシンプルな手段があります。あと勝ち組とか、格上格下とかどうでもいいです。大きな組織の一員になって、エリート的に晴れがましく誇らしげな気持ちになりたくもありません。やったことあるけど、その種のなんとはなしの優越感よりも、なんとはなしの拘束感の方が強かったですから、プラマイ通算では赤字。いや周囲はスースーするくらい、肌寒いくらいの涼しさでいいです。自尊心やプライドをくすぐってくれる何らかのつっかえ棒(「栄光の○○の一員」「優秀なゲルマン民族」的な)でもって、自分を成り立たせようとかも思いません。結局そんなつっかえ棒なんか大した役に立たないのも分かりましたし。

 だから必要最低限のものさえあればいいです。すなわちゆっくり眠れる場所と、栄養失調にならない程度のカロリーです。

 す〜ごく簡単なことでいいんだけど、でも、なぜかそれが難しい。

幸福阻害要因

お金と外野(国家と世間)

 一つはそれを得るためのお金の面です。もう一つは、なんだかんだの外野の圧力です。

 ここでいう外野の圧力というのは、典型的には徴兵制度で無理やり連れて行かれるようなこと。あるいは冤罪とかもらい事故とか。このへんは確率低いんだけど、半強制的な社会プレッシャー(それなりの服装をしないと惨めな気持ちにさせられるとか)。あとは、公租公課(税金とか)です。これが一番でかいかな。収入があって一部を取られるのはわかります。社会のシェア代ですからね。でも全然収入がなくても無理徴収されるもの。普通に考えたら、それって無茶だと思うんだけど、でもある。特に日本では多い。住民税や保険料の一部やら、年金やら、受信料やらです。まあ、でもこれもお金に換算できるなら第一のお金の問題にまとめることができます。

 その他の外圧としては、法律やら雰囲気ですね。やりたいことをやろうとするのに、なんの合理性もない規則でダメ出しされること。細かな校則で髪の毛の長さまで決められるとか、その種の「なんでやねん?」という部分。本来認められるべきこと、たとえ誰にも実害を与えていないことまで、あれこれ制約されることです。

 総じて言えば(1)お金の問題、(2)外部環境の問題です。
 これらが僕の「幸福阻害要因」だと位置づけたら良いかと思われます。

 目的達成を阻むのですから、ある種の「敵」と考えても良いのでしょうが、だとしたらなすべきことは、いかに敵の攻撃を無効化し、作戦目的(ハッピ〜)を達成するかです。これが基本コンセプトになる。

敵の無効化

基礎方程式

 (1)については、お金の問題だから、その簡単な解決は「お金を稼ぐこと」です。だからそれはやります。やらざるを得ないね。

 ただ、その稼ぐこと自体が容易ではない。
 お金稼ぎの難しい点は、単に就職ができるかどうか、あるいは給与の多寡ではなく、その実効的な差引勘定です。例えば、自分の時間・エネルギーが100あるとして、働くことに95を使ってしまい、あと5しか残っていなかったら、ハッピーになる諸活動をする時間とエネルギーが乏しくなって結局は意味がない。作戦は失敗です。またこれは形式的に勤務時間だけを言うのではなく、休暇中も仕事が気になって暗い気持ちになるのであれば、エネルギー消費は行われていると考えるべきでしょう。逆に、収入がそれよりも少なくても、投下する時間・エネルギーがさらに少なかったら、トータルでの差引勘定は有利になります。その意味でプライベートな時間の多い職種に人気が集まるのも一理あります。ただし、その論理でいけば、全く何も働かないでエネルギー温存率100%にするのがベストになるのですが、それだと最低限の生活物資の調達に至らず、餓死などの破綻を生むので作戦は失敗です。

 これを整理すれば、

 A:最低限の生活物資の調達
 B:調達過程における時間・エネルギー効率
 C:ABの結果として残ったトータル幸福(創造)値

 まあ、当たり前の話ですけどね。いわゆる「仕事」「就職」というのも「生活物資の調達過程」と整理することが出来るでしょう。

 尚ここで、全く働かなくても生活物資が調達できれば理想なのですが、だからそれが「ひきこもり」の皆さんなのでしょう。あれはあれで極めて合理的な方法論とはいえます。ただし、持続可能性に問題がある。親がリストラされたり死去したらかなりの確率で破綻する方法論である。やはり自分以外の何かに依存している点で脆弱である。また、結果として出てくる(C)の幸福感が、それで十全に満たされるのか?という根本的な問題もあります。

基本的な対抗策

 そこでやはりある程度は働くという前提で対策を考えるべきかと思うのですが、まずAの改良です。生活費の「最低限」を最適化し、ハードルを下げていけばいい。しかし単にケチって節約だけでは、節約ストレスが強くなりすぎてCの結果としての幸福感が下がったら意味がない。

 生活物資の入手は、普通は「買う」という金銭で行ってます。しかし、お金以外に方法がないわけではない。別に方法は(違法でなければ)何でもよい。ならば山奥の土地を買って自給自足するかって話もあるし、やってる人も多いけど、別にそこまで一足飛びに飛躍しなくても他にも改良の余地はあろう。

 生活物資を軽く分解すると、住居+食費+その他と思われるところ、例えば住居費を安くする方法はないか?親の実家に住むとか、どっかの空き家を安く使わせてもらうとか、シェアするとか。食事についても、大勢でまとめて作ってシェアしたら一人当たりの食費は安くなります。また優れた自炊能力(ありあわせで何でも美味しく作れる)もあるでしょう。「その他」については、例えばリサイクルの活用もそうだし、服のシェアなどがあります。そしてB(外野)の税金攻撃の弱体化をはかる節税対策も出てきます。

 ここで思うのは、住居にせよ、食費にせよ、複数人でやると効率がよくなる点です。第二に国家の徴税権などと接するためにも、あるいは他国での永住権取得の正確な知識など、社会システムに対するクレバーさです。

一石二鳥〜やりがいある仕事

 仕事自体が面白くてやりがいがあれば、この問題はだいぶ解消します。そもそも幸福「阻害」要因にならないわけですからね。ただし、そんなのなかなかないです。多少面白いくらいじゃダメっすよ。休暇に完全自由で好き勝手遊んでハッピーになってるのと比べて、それ以上であるかどうかです。

 仕事が有意義だ、面白いと言う人は多いですけど、じゃあ完全無給でもそれをやるのか?あるいは多少お金をこっちから払ってでもやりたいか?といえば、やりたくない人が多いんじゃないかな。「仕事にしては」まだマシな部類という程度ではあるまいか。だから、プラス要因というよりも、阻害度が緩和されるという程度かな。

 その意味でライフワークやら自営業は面白い部分があって、単純に金稼ぎでやってるわけではない事業は、それがどんなに儲からなくても面白く感じます。NPOなんかもそうでしょう。端的には僕のAPLACがそうで、今こんな駄文を徹夜して書いとしても一銭にもなりませんしね。オフやら他の相談案件も、金銭収入って意味では無駄ですけど、でも面白い、楽しい、意義を感じる。だから、限りなく遊びと等価の仕事です。このくらいプラスになってきたら、エネルギー消費率100%であっても、ハッピー度は高いです。

 ただ問題は、そんな好き勝手にやってたら、やっぱり儲からないという点ですね。良心的にやればやるほど儲からないというか(笑)、どんな業界にもそういう矛盾はありますよね。

 だとしたら、いかにお金を稼がず(使わず)最低限の物資を得るかというシェアリング経済的な展開をすることを事業の核にしてしまえばいいじゃないかって方向もあります。自給自足村で頑張ってる人達は、結局それだと思います。あれも一つのライフスタイルなんだけど、あれをやって儲けるとかリッチになるとかいうよりも、お金という中間媒体をいかに排除していくかってところが面白いのだろうし、自分の労働と自分の生命維持があのくらいダイレクトに直結するものはないから生き甲斐バリバリだろうし。幸福感というのは無限の定義ができますが、例えば「生きている実感を得ること」と定義するなら、朝から晩まで耕したり、屋根の補修をやってることは、ダイレクトに自分の生活にはねかえってくるから、生きてる実感は確かに強いでしょう。もともと「額に汗する労働」の原点というのは、生きていくためという因果関係、生命生活に直結するからこそ尊いって考え方もあると思います。晴耕雨読の発想などもそれをベースに置いているんじゃないかな。

日豪の外部環境の比較 

 幾つかのヒントが得られたところで、話は変わって、日本とオーストラリアの外部環境の比較をしてみます。

外部環境その1 不動産

 日本とオーストラリアはこれらの点で対象的です。まず第一に住居です。日本の住居費用は今現在でもオーストラリアよりもずっと安く、また将来的にどんどん安くなるでしょう。あんなに空き家が増えているんだから安くならないわけがないです。

 不動産の価格変動は、実際の有用性よりも投機的価値が大きい。いわゆるバブルは実際の使用価値よりも投資(投機)利回りが大きい(将来確実に上がる)から買っておくという点に眼目がある。今世界で不動産バブルだというのは、一つにはリーマンショック以来各国の中央銀行の金融緩和で膨大なマネーが世界に放出され、それを必死で有利に運用するためにあらゆるものが相場化され、思惑だけで高値になっていること。高いから買い、買うから高くなるの無限連鎖ですが、もちろん無限であるわけもなく、どっかでドカンはきます。それを避けるために「出口戦略」とか言ってるわけですが、はてさて。第二は成長国のマネー流出で、チャイナマネーが世界中の資産を買い漁る。ただ、これも今となっては中国国内への投資の方が有利になって還流してるとも聞きます。オーストラリアの不動産も同じで、これ以上上がるとしても率は少なく、投資としては旨味がない。フランスのワイナリーを百以上買ってる連中ですから、別にオーストラリアに固執しなきゃいけない義理も合理性もない。日本のタワマンもそうで、日本の土地税制で取得後5年経過したら手放す時の税率がガクンと下がるので、彼らはそれを待っている(てか5年過ぎたものから既に売っている)。

 オーストラリアの不動産は日本と対照的にクソ高いです。ふざけんなってくらい高い。政治家もいい加減なんとかすればいいんだけど、もともとオーストラリアの持ち家率が高く、政治家など中枢の連中も不動産資産をたくさん持っているので、そういうことするのがイヤなんでしょうね。一応高騰対策とかやってるけどあんまり本気じゃなさそうだ。しかし、彼らとて彼らの子供の世代がもう住宅難民化、パラサイト化しているので、そのあたりもいずれ問題になっていくでしょう。

 ま、でも、当面の話としては、不動産が安い日本と、高いオーストラリアがあるわけで、これをどう組み合わせていくかです。オーストラリアの場合は、高い不動産の痛みをやわらげるためにシェア戦略が有効でしょう。一つは自分がシェアする場合、そのコストパフォーマンスを良くする方法。もう一つは、シェアメイトをたくさん入れて現金収入をえる方法です。日本の場合は、使用していない遊休資産をいかに有機的に組み合わせていくかです。これは不動産そのものの問題というよりも、起業やらライフスタイル全体の問題になっていくでしょう。

外部環境その2 国家システム

オーストラリアの年金受給権

 これも対照的です。オーストラリアの場合は、まだ国政がわかりすい。財政状態も日本に比べたら遥かに健全だし、年金だっておそらくは出るでしょう。現在のところ、オーストラリアの年金制度はAustralian Government Department of Human ServicesのAge Pensionに書かれています。概要を述べると、今年から支給年齢が徐々にあがっていきます。現在65歳ですが、2023年まで2年づつ半年延びて67歳になります。そこで一応打ち止め。その先どうなるかわかりませんが、日本で取りざたされている75歳よりはマシでしょう。財政基盤もあるし。支給のための条件は、永住権を持っていたら良いです。市民権(国籍)までは要らない。ただし、オーストラリアに住んで10年以上(中断なしの連続5年必須)です。ただし、収入テスト、資産テストがあり、お金もってると判断されるときは出ません。金持ちには年金はなし(その分スーパーと呼ばれる個人厚生年金が重視される)。支給額は、単身者で週400ドルくらい(月額約10万円ちょい)ですから、大した額ではないですが、ワーホリさんが暮らすくらいの感じは出来る。

 それよりもオーストラリアの最大の特徴は、年金が掛け金方式では「ない」という点です。全て税金から支出されるので個人はいちいち払わなくても良いし、現に僕も払ってないです。この差がデカい。支給年齢までの30-40年間、延々払わされている掛け金総額は、中間利息を考えればかなりの額になるのですが、それだけ払って出ないかもしれないのと、全然払わなくても出る可能性が高いのとでは、どっちが得か言うまでもないです。ちなみに今20歳の人が現在の年金掛金額1.7万を将来予想される支給年齢75歳まで50年かけたとして、その総額は利率ゼロだとしても1100万くらい、もし利率3%のオーストラリアの銀行に積み立てていた場合(今ですらそのくらいは出る)総額2700万円になります。さらにあと50年掛け金が値上げしないとは思えないので(昔は数千円だったのよね)、この倍くらいは払わされるんじゃないかしらん。そして出ない、となったら、生涯年収で数千万円分の貯金を失うことに匹敵します。

 僕がこっちにやってくる1990年初頭のあたり(バブル崩壊あたり)に思ったのは、オーストラリアの永住権は、それ自体が数千万の価値(掛け金分の利得+支給分の利得)を持つ老後の資産であり、だから取得するために二千万くらい投資してもお釣りがくるだろうと。老後対策=永住権=金融資産と思ったわけです。やる価値あるよなーと。

 というわけで、この意味でいえばオーストラリアの「外野(国家システム)」は優秀であり、プラス評価。ただ、それ以外については、他の先進国に比べてそんなに優れてもいないです。まあ、日本の利権政治に比べればはるかにマシだし、行政手続の透明性や合理性は比較にならないですし、本当に困ったら国が助けてくれるという部分は確かにあります。

パターナリズム

 その他の「外野」ですが、アレしちゃダメという規制とかですが、オーストラリアも結構うるさいかな?という気もしますね。法律が厳格に守られているのはいいことなんだけど、パターナリズム(老婆心的にあれこれ口出しする)がやや強い。子供のためにを錦の御旗にして建築業界に騙されているんじゃないかってくらいで、家のブラインドの紐を子供の手の届かないところまで高くカットしろとか。あとは保険会社と建設会社の陰謀と思われるけど、やれドアを重くして延焼を防げとか、火災報知器のみならずスプリンクラーをつけろとか。うちにもよく業者さんが立ち入りチェックにくるのですが、そのとき同席してた今の大家さんが憔悴しきった顔してましたねー。"It's costy"と言ったら。"Yeh" と力なく呟いて首振ってましたもん。あれ、一千万くらいかかるんじゃないかなー。オーストラリアで家もつのって大変ですよ。前の大家さんもボヤいてたけど。あと○歳以下の子供は家に一人にしてはいけないとか(以前調べたところ、正確には法律ではないそうだが)。

 最低賃金とか、法律が守られるのはいいんだけど、その分なんかしようとすると、あれしろこれしろが多い。僕も、あー、こりゃオーストラリアで人雇ったらあかんなー、なんか派手な起業とかしたらいかんなーとは最初の頃に思いましたね。累進税も日本よりもずっとキツいし。国家システム的にいえば、オーストラリアにおいては弱者的な立場にいるのが得といえば得。なんせ消費税以外何も払わなくていいんですから。別に弱者になる必要はないけど、そういうライフスタイルをしやすいと。

日本の伸びしろ

 この点に関しての日本のシステムですが、正直言って暗澹とするしかないって感じですよね。なんせまったく無収入でも年間数十万取られるという、おかしいだろ?ってシステムです。無いやつにどうやって払わせるんだ?という。それがおかしいという認識もマスコミ・国民にそんなに無いし、それが政治課題にもなってない。また、そこから逃れようとすれば生活保護しかないというのも問題。それをしたらまた皆に叩かれるし、生活保護になったらまた自由が激しく制約され、それが自立を妨げて固定化している部分もある。例えば借金したら打ち切られるので、年齢的に全然就職できないので、昔の技術を生かして屋台のラーメン屋をやって細々と自営をしよう、そのために親戚が援助してくれるお金を借りたら、その時点で打ち切り。せめて成功するかどうか3ヶ月くらい待てばいいのに打ち切り。だから結局意欲はあっても起業しにくい。

 貧困が増えているんだから、貧困を差別、固定化するようなシステムではなく、一時的に凹んでる人を弾力的に押し戻してあげるような形にしたらいいんだけど、そうではないね。サラ金とか闇金ってオーストラリアにはほとんどないけど、日本ではたくさんある(サラ金は銀行が乗っ取っちゃったけど、また焦げ付いてきたし、銀行員も回収技術がないから大変みたいよ)。これがおかしいだろ?と思う。なんでみんなおかしいと思わないのか?闇金なんてあるのは国家システムの恥でしょ。結局ダークな民間しかフォローしてないってことなんだしさ。

 なんつか官民合わせて救う気がないというか、救うためにシステム作ってるわけではないという。まっとーに働いていれば飢えることなどないというのは健常者の傲慢であって、一番手がかからない奴を基準にシステムを作るのは根本的な設計思想として間違ってる。教師でいえば、一番手がかからないガリ勉優等生だけを基準に授業をやって、ついてこれないやつは落ちこぼれレッテル貼ってあとは放置。これって、要するに管理者がいかに手を抜くか、楽をするかという視点でしょう。フランス革命以来の近代国家の実質的な定義(国民のための互助ツール)からすれば、日本は未だに「国家」ではないと言われても仕方がない部分もあります。逆に言えばまだまだ伸びしろあります。もっともっと見違えるように良くなる部分は山程ある。

 ほんと言えば、もっかいゼロから作り直したほうがいいのかもねー。別に革命とか言ってるわけじゃなくてもっと建設的に。てかそんなことせんでも勝手に国家の体をなさなくなっていくんじゃないかな。将来的にいかに有効なシステムを構築するか?ではなく、旧弊のシステムのバグをいかに隠蔽するかになっちゃってるし、要は「見ないふり」「無かったこと」でしょ?普通に考えてそんなの無限に続くわけないし。過去の歴史を見ても、「普通に考えて」「子供でもわかる」という事柄は、ほぼ100%実現してるように思います。少子高齢化なんか40年前から言われてたことだし、実際そのとおりになってるし。不思議なことは何も起きていない。そう考えれば、どっかの時点で明治維新や敗戦レベルのシステム・リニューアルが起きるんじゃないかなーって気はしますね。その方が、このまんま見てみないふりをして騙し騙しあと50年続くよりもマシな気がしませんか?

外部環境その3 社会の雰囲気と居心地

 なんとなくの雰囲気や居心地、自由度ですが、これは圧倒的にオーストラリアの方が良いです。まあ自分が自分でいられると言うか、くだらない同調圧力なんか無いです。他人と違った意見を言うことが犯罪であるかのような雰囲気と、違う意見を言うことをむしろ求められ、賞賛される社会との差です。

 ただ、日本においても、やりようによってはクリアできます。本人が気にしなければ大体のところ大丈夫だし、B型気質のように、そこを気にしない人は、最初からそういうオーラと強さを持ってるから周囲も何も言わない(言ってもしょうがないという気になる)という部分はありますね。しょせんは力関係だという。

 また、世間の実体は所詮は半径3メールに誰が居るか問題に還元されますから、同じ価値観、同じ自由度を持ってる人達と多く知り合い、それでライフスタイルを作っていってしまえばいいわけですよね。そのためには居場所が大事だと思います。違うなーってところに居たら、圧力強くて深海魚みたいになっちゃうしね。

シェアシステム

 まだまだ続くけど、このくらいにしておこ。でも、多少は具体案を書いておかないと肩透かし食らったような気になる人もいるかもだから、オーストラリアでのシェア改良案をいくつか。ラフスケッチだけどね。

 一つは不動産投資物件の有効活用として。日本のある程度資金を持ってる方が、銀行に騙されて賃貸アパートを建てるくらいだったら(かなり社会問題として表面化してきたが)、オーストラリアの外国人用取得可能物件を買えばいい。メリットは査定が日本国からはよくわからない距離の利があることなんだけど、そのあたりはまた細かいので。その管理として、家賃保証の物件もあるけど、実際にそれって「努力目標」の部分もあるし、本当にそうなるか、相場が下がったらどうしようもないって場合もあるよね。

 一方では、住居費が高いので学生さんはシェア、それもルームシェアの二人〜4人部屋が当たり前化しつつある。借りる方としては大変だが、貸す方としてはうまくやれば収益性が高い。住居規約に違反してまでやることはないけど、上手に客付け(GumTreeとか)して絶えずフル稼働させていけば、普通に賃貸に出すよりも利回りが大きい。ただし、朝から晩までインスペクションやらないといけないので、それ専門のバイトもあるくらい(やってた人がいます。成約一軒あたりいくらで)。

 第三に、長期滞在者、永住者にしても、家賃が厳しい。あるいはローン返済が厳しい。働いても家賃でパーであるし、なんかの拍子で収入が途絶えたら即座にドボンであると。そこで、シェアになるのだけど、一般公募して入れてくるくらいなら、最初から知り合った者、価値観が同じような人、ライフスタイルがうまいこと組み合わせられる人(朝番と夜勤とか)で先に人と知り合って、それから家を決め、せーので引っ越しする方法もある。うちの卒業生やその界隈の人らだったらだいたい相性がいいし、人間的に確かだからうまくいきやすい。ただもっともっと手駒が欲しいかな。とりあえずは、僕の事務所だって一人で占拠している必要もない。だから誰かとシェアするのも可能性としてはある。

 さらにオーストラリアではAirbnbが違法だとかくだらない議論は少ないので、空き室をそれ用に出すことは出来る。どれだけ受けるかわからんが、回転率が高ければやりようはある。少なくとも練習にはなる。

 もう一つ、オーストラリアの永住権は難しいので取れない可能性もある。その場合に備えて、観光ビザで安く滞在できる方法も開発しておくべきではないかと。

 これらをミックスさせていくと(他にもまだまだあろうが)、スポンサー、長期滞在者、短期滞在者、実働部分、利用者、観光入国者を組み合わせていけば、なんか出来ないかな?ってことです。観光で入ってくる仲間に、物件管理をやってもらう手がある。観光ビザでは労働はできないけど、金銭給与を伴わない場合は、限りなくよくわからない。友達の家にただで泊まらせてもらって、申し訳ないから庭の草むしりをやるのは「労働」なのかというとそうではなかろう。要はオーストラリア人の雇用を守り、労働市場を害しなければそれで良いだろうから、そこらへんは弾力性があるようにも思いますが、まあやりかた次第ですね。

 ここでも同じことなんだけど人材プールが広ければ広いほど組み合わせが自由になってきてマッチ率が高まる。かといって公募にしてしまうと質の維持が難しい。

 一方で、自分の生活資源をコンパクト化し、引越しでもなんでも簡単に済ませられるようにして流動性を高める準備をするのが良いかと。

 この方法はそのまま日本でも使える。アレンジはまた必要だけど、日本ならではのやり方もある。また第三国でも作っておくと、3ヶ月毎に回遊魚みたいに廻っていけばそれでとりあえずは食えてしまうようなシステムにならんもんか。

 あとは介護の問題をこれに絡ませて、、てか、絡ませざるをえないでしょ?年間10万人の介護離職がいて、しかも要支援1.2〜要介護1.2と一番手間暇かかる部分を国は切り離そうとしているから、自前でやらんとならん。誰の問題でもありうる。だから保険とかいっても、保険会社そのものが機関投資家だから、世界的にドカンときたらまずそれが潰れる。また、ガンになっても出ないガン保険がいっとき話題になったけど、免責約款がややこしいしな。自分らでやったほうが確実であり、その際、これも一人でやるのは限界があるから複数互助の方がいい。別に実働はなくても話し相手が居るだけでも違う。一人居なくなってもすぐ補充がきくように、全体に透明な、交換可能なシステムにしてしまえないか?ということですね。

 あ、もうこのくらいにしとこ。
 やれやれ場所とメシだけってシンプルな条件をみたすために、なんでこんなに苦労せんならんのやろ?


漫画紹介

[芝村 裕吏 (原著) キムラ ダイスケ] マージナル・オペレーション

 珍しい純粋軍事モノなんだけど 同時に先週の「ばらかもん」のように子供たちとの温かい交流を描いたもの。芝村さんの小説をコミカライズしたもので、僕は小説はまだ読んでおらず漫画単体としての評価になるのだけど、よかったですよ。

 こういう読み方は異端かもしれないけど、社会からネグレクトされた者同士が、国籍、民族、年齢などあらゆるものを越えて魂で結びつき、寄り添い合って生きていく物語のように思います。

 まず主人公は日本の成年男子で、ニートスレスレというか、ゲームとラノベが好きでほんわかウダウダやってて、気がついたら皆に取り残されてる。やばいと思って就職したら、年下上司にネチネチと怒られる毎日。心を閉ざすことでやりすごしてきたら、会社も倒産してしまってまた無職。未来は絶望しかないというのが最初の状況。

 割のいい就職だと思って入ったところが、自由戦士社という純粋にビジネスとしてのアメリカの傭兵企業。傭兵といっても沈着冷静にゲームのように用兵を行う戦略・戦術能力が求められるオペレーター職。必要なのは明晰なゲーム脳。主人公は、閉ざした心の冷血さと、生来の戦略才能がゲームで開発されていたことから、優秀な成績をあげて抜擢されていく。



 もう一方は、タジキスタンの少年少女兵。世界のあちこちにちょっかい出してるアメリカ軍が政府軍の支援をし、反政府軍につかないように国中の昔ながらの部族達に圧力を加え、逆らった村は見せしめに殺される。そんな中で部族の大人たちに捨てられ、使い捨ての消耗品としての扱いを受ける少年兵達。親たちから捨てられ、仲間が毎日死んでいき、自分も遠からず死ぬんだろうという諦念を幼い心に刻みつける。

 この両者がタジキスタンの戦場で邂逅するところから本当の物語が始まっていきます。作戦室のコンピューターばかり見ていた主人公が、外に出て生々しい戦場を見る。自分が単に光点として処理していた戦術が、生身の人間たちだということを改めて気づいて、閉ざしていた心が傷つき、傷つくことで蘇る。そして年端もいかない少年少女が捨て駒として無残に扱われていることに、素朴に激怒する。「こんなの、間違ってる」と。

 とあるオペレーションで、全滅に瀕した少年部隊をありったけの能力で立案し、誘導し、生還させる。また、少年達に接しているうちに自然の情愛にうたれたアメリカ人傭兵であるオマルもまた、この作戦で子供たちを率いていたところ、主人公の作戦で救われる。はじめて主人公と現場の少年達が出会い、少しづつ交流が生まれる。


 少年たちにしてみれば、初めて本気で自分たちを守ってくれる大人に出会った。主人公も初めて本気で守らなければならない大切なものに出会った。可憐な少女戦士ジブリール(めちゃかわいい)が、私達を見守って導いてくれる「イヌワシさん」と呼ぶところはなかなか感動的でした。

 部族から捨てられた子供たち、そして「会社」を辞めた主人公とオマル、皆で生きていくために新たな傭兵(警備)会社として起業する。既に主人公はこの業界でもそこそこ名が知れてきたので、「ビジネス」は進み、無敵の「子供使い」と呼ばれてさらに有名になる。

 舞台は東京→タジキスタン→東京→タイと転々とします。
1年ぶりに日本に皆を連れてきて本拠地にしようかと思うものの、ビジネス的においしくなく(紛争の程度が低い)、また当然公安関係から目をつけられ、うまいこと利用されることになる。暴走する宗教団体と犯罪組織のいがみ合いをけしかけ打撃を与える公安当局の狙いのとおり、東京都内で「作戦」を実行します。当局の援助を受けて国外に脱出した先はタイ。ここでは、もっと悲惨な子供たちがスラムにいて、その子供たちを助けるNPOに警備として雇われる。

 とまあ、話は続いていきまだ連載中です。

 いくつかのポイントがあると思うのですが、一つは戦闘シーンの特異性。
 戦場&軍事モノというと、大の男が肉弾戦やら戦闘メカを使ってスリリングな情景を描くパターンが多いのですが、この漫画は戦術という頭脳戦がメインです。本当にゲーム感覚、というかゲームそのものの論理で進んでいく。そこでは、感情を殺し、冷静に状況を分析し、断片的に入手できた情報をどのように位置づけていけばいいか考える。徹底的に「合理」の世界です。それが新しいし、面白い。と同時に、女性と子供が頻繁に出てきます。大人の男性の登場率など主人公とオマルを除けば10%くらいで、日本の公安も、タイのクライアントも全部女性です。あとは圧倒的に子供たち。

 格闘術やスポーツ、あるいはヤクザ系と純粋軍事の相違点ですが、生の肉体性はわりとどうでも良い。また戦闘メカも必要なんだけど絶対ではない。つまり、ありがちな身体フェチ、メカフェチな部分がない。その種のオタク的なマニアック性は捨象して、いかに限られた資源でいかに最大の戦果をあげるか?どの兵力をどのタイミングでどう使えばよいかという、将棋やチェスのような知能戦が大事だと。確かに鍛え上げられた肉体も、寝てるところをビルごと爆破されたら終わりですし、優秀な戦闘メカも相手が見つからなかったら使う機会もない。だからこそ、女、子供、そして半分ニートだった主人公にもお鉢が回ってくる。

 このパラダイムって結構大事な気がします。僕のような男性は軍事とか闘争とかいうと、アドレナリンが出ちゃって、どうしても戦闘を「楽しむ」っぽくなったりするわけですよ。盛り上がったりする。マニアなのよね。でもマニア的快楽を得ているうちは所詮アマチュアで、リアルにはそんなもんあんまり意味ない。また、大人の男性が世の中動かしてるわけでもないということ。

 特に、幼少期から戦場で戦ってきた少年兵達の訓練された動きは、日本における犯罪組織やテロ組織との戦闘で子供扱いにしています。もう「年季が違う」って感じ。日本の空港でラリって刃物振り回してた男も、戦闘術としてまるでド素人だから、少年達にあっという間に半殺しにされている。


 もう一点は、世界の現実です。中央アジアのタジキスタンの紛争など、日本人としてはまるで知らない世界なのですが、そこにもこういう現実があること。アメリカなど先進国が世界でやってることは、地元の一つの立場から見ればこう見えているのだということ。もちろん立場が違えばまた違うのでしょうけどね。

 タイのスラムの子供たちの現実。貧国から急速に経済成長する歪み。昔は貧しいながらもまだ池や川があって、無一文の子供たちも魚を取って食べることができたが、それも開発されて奪われ、本当に金銭がないと生きていけなくなった。経済=貨幣経済の浸透が、弱き者達の生きる場所を奪う現実。これは日本の明治維新のときもそうで、米だけでやっていた農村は、貨幣中心になったために食い詰め、ある意味では江戸時代よりも悲惨になった。奴隷小作人になるか、兵隊さんになるか、女郎になるかしか選択肢がないという。


 そして、力なきものが生きるすべといえば、幼児売春であり、人身売買であり、臓器移植であり、傭兵である。自分を商品として売るしかない。そこから逃れるために少年たちのために仕事を作ろうとするのだが、今度は低賃金で搾取してるとか、子供を働かせているという先進国の「人権」の論理がそれをいちいち潰していくという現実。考えさせられます。人権とかそんなレベルじゃないんだけど、豊かな先進国では想像力が貧困だからそこまで思い至らないのでしょうか。

 主人公が日本の公安と会話をするときに、「僕の心は国なんかにはありませんよ」と言い放ち、そのあとに「国が子供たちを守ってくれるならこの限りではありませんが」と続ける。


 しかし、そういったことは枝葉の論点であって、メインに描かれているのは、主人公と子供たちが死線をともにする中で、力強く愛し合っていく絆の深さでしょう。日本で半分死んでるような主人公が、なんの因果か、24人の子供たちの父親になってしまい、彼らを生かしていくために頑張る。そのために子供たちに戦闘させなければいけないという根本矛盾が主人公の胸を締め付ける。しんどいんだけど、しかし、生き甲斐を見つけた喜びがそこにはあります。子供たちも、心から自分たちを愛してくれる大人をみつけ、またかけがえのない仲間たちと過ごす。矛盾に満ちていながらも、確かな愛情と「家族」としてのつながりが描かれていて、そこは本当に胸を打ちます。

 一方、主人公と同じく日本から就職した先輩格のキシモトさんは、同じような経路を辿りながらも、主人公のように子供たちのために、そして子供たちと共に戦うことを選べず、あまりにも無残な現実を見せつけられて心が壊れ、狂ってしまいます。その対比を描いているのが最新刊の9巻です。本当はキシモトさんの方が、子供想いで、子供のために敢えて傭兵稼業に身を投じていたのだけど、それが逆に深く心を傷つけることになっている皮肉。


 最後に評論ぽく書くと、読んでると違和感なくなってくるのですが、このストーリーに、この子供たちの絵柄というのが、最初はあれ?と思うのではないでしょうか。目が大きく、可愛らしい、いかにもマンガチックな絵柄で、ハードな内容にちょっとそぐわないかと。しかし、この絵柄だからこそ、このストーリーが読めるというのはあると思います。これがもっと写実的な絵だったら、ちょっと陰惨な感じもするかもしれない。それに、本当に描きたいのは子供と大人のまっとーな交流であって、それは随所に出てくるラブコメチックで、ギャグ風味もあるような、ほんわかした部分だと思うのですよ。設定が戦場とか傭兵だからミスマッチ感はあるのだけど、でも設定を取り外してしまえば、もともとそういう話なのだと思います。テーマ的には合っていると。

 もう一点は、「ダーウィンズゲーム」と同じような点ですが、最初ヘタレだった主人公が、なんかどんどん強くカッコ良くなっていくのですね。そしてモテモテになってしまうという。この出来過ぎ感はありますね。ただ、反面では、そういうこともあるだろうなーとは思います。自分の本来の力を発揮する事ができて、自分以外の大切なもののために全力を尽くしていけば、自然とカッコ良くもなるし、モテもするだろうしね。ファンタジーのようでいて、リアルでもあるとは思います。

 あと、カバーの絵柄はちょっとなーと思います。いや、ちゃんと描けているんだけど、あれを初見で見たら「なんだこれ?」って思って食わず嫌いになる人が多いだろうなー、損してるなーと。だけど、この内容をどうやって一枚の絵にすればいいのか?というと、それも超難題で。パッと見では良さがわからないものもこの世には多いのだ、ということですか。




以下の写真はセントラル駅付近のもの



→予定タイトル一覧


★表示させない




反対側は海(入江)です。気持ちいい空間ですよん。




 文責:田村