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今週の一枚(2017/06/19)



Essay 830:20年後の予測


 写真は、Burwood駅前の巨大ショッピングセンターWestfieldの屋上駐車場。
 ここ眺めがいいんですよ。小さくてわかりにくくなっちゃったけど、写真の地平線右端はハーバーブリッジ、中央やや左のビルはChatswood、真ん中のビルはSt Leonardsあたりかな。

直近未来と遠未来しか興味ナシ


 近未来の日本や世界がどうなっていくのか、興味ありますし、そればっか考えてます。かといって、最近そうなったわけではなく十代の頃からずっとそうかも。

 脳内の時間軸というのがあって、普通は直近数ヶ月の過去やら、直近数ヶ月の未来やらが90%くらいを占めたりするかもしれないのですが(他人の脳内はわからんけど)、僕の場合は、夢想癖があるからか、それがちょい広めです。以前だれかと自分の脳内特性みたいな話をしてたとき、僕の場合は、直近未来数時間から数日に関するダンドリ部分と、20年後くらいの未来スパンの部分が異様に充実してて、その間(数週間から数年後くらい)の部分は、わりとどーでも良い、興味ないって傾向があって、それが他人と変わってる特性なのかと。

超直近未来〜ダンドリの鬼

 いや、ほんと超直近未来は張り切りますよ。いわゆるダンドリの鬼になって、「雨降ったらこうする」「電車が止まってたらこうする」「コピー一部余計に持っていく方がいい」とか、現場監督的な実務処理は好きです。原因なのか結果なのか、自己破産の申請をするときなんか、その能力が大全開になります。普通にやってたら2週間くらいかかることを36時間でやれ!みたいな暴風雨的な忙しさになるのですが、そうなると俄然燃えてしまう。

 本人さんの戸籍謄本、住民票、とりあえず3通づつ、場所どこ?郵送じゃ間に合わないから直に行って、今から役所閉まるまでに間に合う?ダメなら朝イチで、明日の12時までに揃えて。債権者のリスト全部で何社になりそう?ダンボール一箱の督促状とか書類とか全部会社別に仕分けしてファイリングして、最終金額全部帳簿とつつきあわせてリストアップ、プリントアウトして、今日中に。本人からの事情聴取、生い立ちから破産にいたるまでの全経過は今から1時間かけて聞き取って、20分で書類化するから。それと、全債権者宛に受任通知、とりあえず内容証明じゃなくて普通郵便、速達ね、送って。内容は、今から5分で起案するから。それと、FAX用にも別に起案するし。出来次第送信。あ、その前に本人と会社戻って、会社の実印とか帳簿類とか全部取ってこなきゃ。タクシー呼んでおいてください。車中移動で事情聴取すっから。現場にヤクザとか来てる?いると面倒だから、裏口とか忍び込めるルートありますか?あー、今から行くと夜になるかもだから、懐中電灯あったっけ?二つ。電池予備も入れておいて。あと従業員さんは寝耳に水だろうから、明朝の出社時間までに配る書面も作らなきゃ。これも僕が書きます。二種類ね。一つは、今月の給料は出ないこと、でも役所に未払い給与を立て替えて払ってもらえる機関があるから(今は労働健康安全機構という独立行政法人による未払賃金の立替払制度)そのことも書いて安心してもらわなきゃ、それが一つ。あとひとつは、明日になったら大挙して怒鳴り込んでくる取引先や客に対する説明マニュアルの作成ね。「必ず返しますから」とかあとで言質取られるような事言わないように。あと銀行団とは明日の午後あたりに全行まとめて弁護士がご説明しますと言っておいて。銀行はお行儀いいから楽だけど、あとサラ金と街金、どんだけあるの?わっちゃー、うるせーとこが混じってんな、あの、こことここから電話掛かってきたら僕に廻して。ぎゃんぎゃんやらんならんわ。えーとそれから、あ、タクシー来た?ほな行ってくるわ、本人さんは?外で待ってる?あ、その前のトイレ、、、

 みたいな感じです。アドレナリン全開。燃えるわー。

燃える20年後

 だけど来月、来年くらいだと、あんま燃えない。その代わり、20年後はよく考える。ずっと考えっぱなしってくらい、そればっか考える。20年後の未来図がある程度見えてて、そして直近未来の事務処理ができたら、その中間は単なるなりゆきだから別に考えなくてもいいって思ってるからだと思います。これまでもそれでやってこれたしね。

 例えば十代の頃は、とりあえず(過去に何度か書いたが)「40歳で死ぬ」という仮決めをした。別に死にたいわけじゃないけど、それ以上先になると予測立案するのも手に余りそうだから手頃なサイズに切る。「あと20年ちょっとで死ぬ」という具合にするとやりやすい。これから20年の間にやりたいだけやって「これだけ出来たら満足じゃ」って感じで死ぬようにすると。それから先の老後やら年金やらは全く考えなかったよ。生きてるかどうかもわからんし、そんな未来、不確定要素が多すぎて考えるだけ無駄!だと思ったから。それよりも「これさえ出来たら死んでもいい」というのは何か?を考え、具体化し、実行に移し、成し遂げるって方が大事だし、考えたりやったりするのも面白い。てか、40までに火のように燃えられなかった自分が、そのあと生き永らえても、どんな余生になるというのか?あんま楽しそうに思えなかった。今を充実させないで先のこと考えるなんて、どう考えてもありえないだろ?と。

 とにかく自分のクソ我がママな資質を出来るだけスポイルさせないための環境保全としては、できるだけ他人に自分の人生にちょっかい出させない自由業が絶対、それも社会的権力がある程度あった方が周囲を黙らせることが出来るから望ましい、さらに最大の「ちょっかい」「火の粉」は国家権力や法律だから、そのエキスパートになってしまえば一番効率の良い「見切り」が出来るし、ビビらないで最大限の自由確保ができそうだ、よし、それでいこ、決定!と。あとは司法試験がどれだけ難しかろうが(その時はあそこまで難しいとは思ってなかったが)、やりゃいいんだろ?やりゃ、やるしかないなら、やるしかないんだわ。はい、考えるの終了!てめーのワガママ守るためならどんなことでもするわ。てか、それをするのが楽しいし、それが最終的に叶おうが叶うまいが、そうやって「突っ張りました」ったってのが「これだけやれたら満足」の内容なんだから、それでよし。結果なんかどうせ40で死ぬんだからどうでもええわ。

 と、そこまで考えたのが17歳かそこらで、晴れ晴れしましたねー、問題解決!って(笑)。だから大学受験のときも、「司法試験第一試験(一般教養試験)免除の資格を得るために」「大学院の設置されている法学部で一般教養過程を履修すること」という骨太の方針が見えてきました。履修さえすればそれでよく、卒業なんかするつもりもなかったし、どこの大学であっても別に良かった。なんだー、どこでもいいのかーと。でもって、わりと進学校だったんだけど、高2高3は勉強もせずに小説読みまくったり、ロック聞きまくったり、バイトやったりしてました。それが今では一番の蓄積になってる。ほんと受験勉強なんかやらなくて良かったー、大正解って感じ。でもって、さすがにちょっとはやらんとヤバイかなと思い出したのが年明けで、共通一次一期生だったんだけど、1月13日だったかの試験期日のために正月の3が日開けたころ、チャリ飛ばして神田の本屋めぐって参考書買ってました。意味なかったけど、小心者なので不安だったから(笑)。

 それと同じようなことを弁護士やめてオーストラリアに行く頃にも考えてました。
 でもって、最近も考えています。

 20年後の日本(オーストラリア)はどうなんの?そのためには自分はどうしたらいいの?どうすれば、一番楽しく、一番手間がかからず、一番カネもかからず、どの瞬間を切り取っても「たのしー!」ってなれるの?これが「出題」です。なかなか歯ごたえあるでしょ?難しいよー、でも、考えるのって楽しい。

20年後の方針

 基本構想は簡単で、「既存システムに頼らない」「だから自分(ら)でシステムを作る」ことです。

 だって頼りないんだもーん、国とか。

 それは昨今の政局がクソだとか、年金が破綻するかもとかいう「些細な」レベルで言ってるのではなく、現在のシステムを支えるベーシックのインフラ部分がヤバいというレベルでの話です。それは例えば、110番しても警察が来ないとか、蛇口ひねっても清潔な水が出てくるとは限らないというレベルです。

 まあ、かつて何度も書いてることです。いや、エッセイも800本を超えると過去を読み返すとか全部覚えているとかほぼ不可能だろうから、最近は遠慮なく重複しても書くことにしてます。簡単に言えば、日本に限らず世界的にいって国家を作るメリット=皆で膨大な集団を形成してそのスケールメリットで豊かさを増大させ、分配し合うというシステムメリットそのものが終わりつつあるんだろうと思います。だから自分らで工夫しなきゃいけないと。まあ、誰でも指摘してることですけど。

 今回は、最近読んだなかで面白かった記事を二本紹介します。
 G7の中間層が20年間全く豊かにならなかったことが世界を変えた内閣府が算出した「最悪のシナリオ」これが33年後の現実だ!です。

過去20年の世界総括〜エレファントカーブとG7中間層の一人負け

 前者は世界史的な視点で把握するもので、こういうロングスパンの話は20年後ファンの僕の好みに合います。20年というか2000年くらいのスパンで見てると、大体揺れ幅がわかるし、法則性も見えてきますから正解率が上がる。で、この記事は、最近話題のエレファントカーブの話からはじまって、要はここ20年間の間に、世界の誰が儲かって誰が割りを食っているか?過去20年間世界の勝ち組と負け組は?という話です。答は簡単で、勝ち組は中国やインドなどの新興国の個人層です。彼らが豊かになったからこそ日本でも爆買いがあったりシドニーの観光地はインド人で埋め尽くされているわけっすよね。でも、もう一人勝ち組がいて、それが世界の超富裕層です。世界のトップ1%はものすごく所得を増やしている。逆に負け組は誰か?というと、日本を含むG7など先進国の一般市民で、世界でもこの層「だけ」が所得を増やしていない。もっと貧しいアフリカとかそのあたりでも20年スパンになればどこでも20%以上所得を増やしてます。しかし、先進国だけは殆どゼロ近辺。異常なくらいです。

 つまり過去20年間の世界は、先進国の中間層(普通の人達=つまり僕ら)だけがひたすら割を食い、負け続けてきた20年であったと。その鬱憤が、今のトランプ現象になってるとかいう見解もありますが、この記事では「先進国において『工業化して豊かになればそれでみんなが満足』という法則が終わりに近づきつつある」ということ」だと。経済成長とか、アベノミクスとか、トリクルダウンとか、最初は期待しつつ、でも薄々ダメかもと思いつつ、最近ではもうダメぽ的になってるという。そんなことは起きないと。経済成長したところで超富裕層が持っていってしまって格差が広がるだけでしかない。

 ではなぜそうなるのか?といえば、ここでは「富の再分配のシステムが未整備だったから」などの理由が指摘されてます。それはそうだと僕も思います。なんせ、まさか成長がなくなるとは思ってなかったからでしょう。あるいは予想はしてたがそこまで真剣に考えてなかったし、考えたとしても対策を実行できなかった。税制なんかもそうですけど、皮肉な話で、日本で格差が少なかった成長時代に累進課税は非常にきつかった。富裕層ともなったら9割くらい税金でもっていかれた。なんでそんなにキツイのか?といえば、多分そんなに格差があるとは思ってなかったし、そんな格差があることが許せなかったんでしょう。「そんだけ稼いでたらいいじゃないか」てなもんで情け容赦なく金持ちから税金取ってた。ところが格差が真剣に問題になり始める頃に、逆に累進税率をさげて金持ち優遇策ばっかやるようにやった。これ、日本だけじゃないと思いますよ。でね、これも日本だけではないけど、労組の加入率が年々下がるとか、格差是正のためのいろんな社会的なシステムが骨抜きになっていった。あまりにも中間層が豊かに増えたので、まさか自分が低所得になるとは真剣に考えなかったからじゃないかなー。そんな格差是正なんかやってるのは珍しい貧しい人達で、俺は関係ないわって意識ね。そんなこんなで真面目に富の再分配をやらなかった、やらないうちにどんどん力の強い連中はその格差を埋めるのではなく、逆に固定化して逃げ切りを図るようになってきた(今ココ)、てな感じだと思います。

 あと面白いのは、世界のGDPの世界史的推移で、紀元1000年(日本の平安時代くらい)、世界のGDPの50%はインドと中国が生み出してたそうです。世界史的に栄えている「豊かな都会」を見ていくと圧倒的に中国インド。そして、常に強い王朝があったトルコ(東ローマ〜オスマントルコ)、あと中東(ペルシャ帝国やら、オリエント文明やら)。むしろ今の西欧先進国が前に出てきたのは世界史的には例外事象であって、その割を食って、20世紀後半のインド中国のGDPは合わせて20以下という体たらく。それがようやく元の姿にもどりつつあると。

 ま、いずれにせよ直近の世界経済的にも、世界史的にも、先進国がずーっと経済成長して、それを皆で正しく分配して、それで自分の豊かに安心できるだーって発想は、まあ、多分、生きてる間にはあえりえないくらいに思ってたらいいんじゃないか。近代国家は、軍事・経済成長のためのシステムって一面が強いんだけど、それがダメならもう国家やってるメリットが少ない。もちろん、もう一つの役割=助け合い=正しい分配をするべき努力は必要だけど、国家機能が相互扶助システムとして輝くか、それとも格差収奪の固定装置として機能するか、今はその瀬戸際くらい(てか土俵割りつつあるけど)。

人口変動と地方都市

 じゃあ、どうなっちゃうのが、次の「内閣府のシナリオ」って記事です。なかなか「へえ、そうなの?」という話が載ってて面白いですよ。例えば冒頭に、日本の20の政令指定都市のうち静岡市が人口激減になって困ってるという話は、僕は知らんかったです(知ってました?)。人口70万を死守!とかやってるとか。でも静岡は「住みやすい街」だと言われている。なのになぜ?と。というよりも「「住みやすいごく普通の街」こそが、この先人口が激減してゆく日本で、最も急速に滅び、消滅してゆくのである。そしてこうした街は、日本中の至るところに存在する」と書かれてて、2010→2040年の30年間で急激に人口が減る都市として、函館市→37%減、熱海市→43%減、天草市→42%減など18都市が上げられてます。要は地方のナンバー2とか3くらいの都市ですね。県庁所在地くらいの中核だったらまだしも(それでも減ることに変わりはないが)、それよりもキツイのがその周辺の、そこそこ豊かな住みやすい街だと。

 なぜ?というと、いろんな要素が重なるのでしょうが、この記事に加えて私見も交えれば、日本の地方は最初から自立するようにシステムが組まれてなかったからじゃないかと。地方分権とかいつも話ですけどね。地方経済とかいっても大都市頼みだし、大都市が美味しいところをもっていってしまう形式でもある。例えば、補助金とか中央のパイプで成り立つような政治体制、公共事業の土建行政があり、中央から干されたら死ぬしか無い依存性がまずある。次に地場産業、町の商店街だけど、これも中央資本の巨大チェーン店などが街道沿いにショッピングモールを作って地場商店はシャッター街。でもって、中央も枯渇してくると撤退するから結局何もなし。さらに、工場や大企業誘致といっても大都市頼みだし、これも中央がダメになったらすぐに切られる。マンションも、天災後の復興支援も、結局は大手のゼネコンが一番美味しいところをもっていって、地元はカスばっか。もう構造的にそうだと。それに加えて、戦後どこもかしこも中央の補助金と引き換えに、似たり寄ったりの街作りをしたから、そこで育った若い人は、昔ほど強烈な愛着がないと。だから帰ってこないと。本当かどうか僕は転居続きで故郷がないからわからんけど、たしかに見た目もライフスタイルも似たり寄ったりの町に愛着を持てというのもキツイもんがある。

 バブル前後に大前研一氏が「平成維新」という本を書いてベストセラーになってましたが、あれ、けっこう面白いですよ。道州制の導入をいってたんだけど、地方はもっと自前で食えるようにしなければならないと。これは本当にそう思う。そのためには、国のご許可を得なくても、地方が自分の判断だけで国際空港を作って外国人客を呼べるようにしたり、北海道だけ基準時を変更し、明石時間よりも1時間早くし、その差で金融市場をつくって儲ける(1時間早く取引が出来るから世界からマネーが集まる)。そのくらいやらないと「自力で食える」ってところまでいかないんじゃないか。

 あと、2050年まで人口が4000万人減って8000万になり、さらに超高齢化すると、今と同じ制度保障をしようと思ったら(年金、介護、福祉)、一人あたり税金90%くらい払わないと無理だと。もちろんこんなの無理。でもその頃は完全に「労働世代一人で高齢者一人を支える」ことになり、単純計算でも50%は払わないとダメ。もっともその頃、今これを読んでる人はだいたい高齢者になってたりするかもですけど。今30年から年金支給を68-70歳にしようという話もあるようで、それでもダメなら支給は80歳からみたいになって、殆ど意味ない制度になるかもです。要はこれら福祉の点では、ほんと、もう期待するだけ無駄だという気がします。

 あと空き家ね。今時点で既に全国で800万の空き家が存在するけど、33年には2150万、比率として30%が空き家になるらしい。もちろんその後もさらに増える。なのにまだ新築物件を建てている。2022年には、農地の建物新築を制限する『生産緑地制度』が解除され、東京郊外や埼玉など首都圏で、大量の農地を宅地に転用できるようになるから、また新築が増える。多分オリンピック後の不景気を救済するためにその場限りでまたやるんじゃないかなー。

スラム化の意味と想像力の勝負

 問題は、そんな空き家の増減という数字ではないと僕は思います。それよりも町が荒廃していくほうが恐い。スラム化するからです。この記事でも書いてあったけど、まず人口が少なくなった市町村から、限界集落を超えて維持できなくなる。とりあえず人口が少ないから商売も成り立たず都会に移転する。そうなると村の中の商店が減る。散髪したかったら山超えて町に行き、病気になってもまた町に出てじゃやってらんないから住民もまた移転する。そうこうしてると税収が決定的に減ってきて、その地方を維持するためのインフラ整備ができなくなる。とりあえずバスは減り、学校、警察、消防も合併や統廃合で減ってくるし、ゴミの回収すら頻度が減ってきて、最後はには人が住めるような環境ではなくなる。

 これからが本当に想像力の勝負で、そんなのが日本列島で増えてきたどうなるか?です。自然が豊かになるというプラス面だけで浮かれているわけにもいかない。誰も住まなくなってくると、逆に食い詰めた都会からの人口流入があったり、不法占拠されたり、しまいには山賊みたいな不法集団が形成されるかしらん。そうなると、日本の山間部は恐くて近づけないとか、そもそも山間部を通り抜ける物流システムが、昔の駅馬車強盗のように襲われるから寸断されていくかもしれない。これ、日本も昔はずーっとそういう時代だったんですからねー。山賊がおり、野盗がおり、野武士がいて村を襲うとか、荷駄隊を警護するために募集かけられたりとか。

 一方では、2040年ころから今の過疎エリアの高齢者数が減少に転じるそうです。最初から高齢地帯だったから、その頃には一巡して落ち着いてくるわけですな。むしろヤバイのは都会で、戦後成長の頃にどっとやってきた世代がどんどん高齢化するから、その伸びたるや飛躍的。東京の場合、2010→2040の30年間で高齢者数は100万人以上増え、現役世代は200万近く減る、差し引き300万の変動がある。そうなると、歳出を支える歳入がないから、都会でもインフラ維持ができなくなってきて、スラム化するところも出てくる。

 じゃあ都会と地方とでどっちが危ないか?といえば、都会でしょうね。地方で山賊とかいっても、リアリティないし、そもそも山賊やるにしても通行人が頻繁にいないと稼ぐすべもない。廃村に住み着いて缶詰漁っても限界あるし、あとはもう食うためには自分らで自作農やるしかなくなり、それやってる段階でもう山賊でもスラムでもなくなる。人がいなさすぎるから悪いのもそんなにいない。むしろ、清濁合わせて混在する都会のほうがわけわからんところが増えそうな気もします。

 あ、あとこれも知らなかったのですが、総務省の調べでは、日本の飲食店数は1991年の約85万店をピークに減り続け、ついに2012年には約40万店まで減った。バブル期に比べ「半減」しているらしく、え、レストランとかそんなに減ってるの?というのはショックでした。バーやスナックに至っては、90年代20万軒だったのが今はたったの5万軒。これってヤバイですよー。なぜなら、今仕事が詰まらんので、せめて美味いものでも食うしか無い時代なんだけど、それでも半減してるってことは、飲食関係業をやって自己実現というライフスタイルが狭き門になってるってことです。よく脱サラしてラーメン屋とか昔は言われたけど、昔は店を出せばなんとか食えた。同じように、裏町のバーやスナックって、離婚した女性、現役引退したホステスさんとかの老後の資産稼業だったという面があって、だから食えた、だから人と接してられて社会的満足を得られたんだけど、それもこんなに減ってるのかーと。なんでか?というと、これもトホホな理由で、皆がお金もってないから。給料上がらないのに、税金あがるわ、保険料あがるわ、公共料金あがるわだったら外食費減らすしかないもんね。

別に絶望する必要なんかないし、むしろ朗報

 ま、そんなデータやら話やらを読んでは、ふむふむ、じゃあ20年後は、、とか考えているわけです。面白いよー(笑)。面白いって笑ってる場合か?っていうと、いやあバブルの頃よりは全然マシですよって僕は思うね。バブルってリアルタイムに体験したら、ただただ忙しいだけだもん。家もなにもクソ高くて、しょーもないマンションが1億とか普通にしてて、「ふざけんな」って感じだったもん。だから独立起業とかいっても、店舗系はとにかくテナント料やら権利金が高くて話にならんかったもんね。人も多かったし。確かに金はあるだけど、金があってもどうしようもないって。あの頃を体験したやつは、その時の学びをもっと言うべきだと思いますよ。金なんかあっても意味ねーよって。

 だもんで、人口減少やら、空き家が増えたとか、僕にとってはある意味では「朗報」なんですよ。また、システムに寄りかかって生きていく気が最初からサラサラなかったので(それが出来るくらいなら話は簡単。それが出来ないくらいに我が強くて、クソ我儘なのがすべての原点なのだよ)、経済成長モデルが崩壊したとか、国家システムが崩壊とかいっても、むしろせいせいするくらいの感じ。

 僕の感覚でいえば、日本の適正人口なんか1000万人くらいでしょ?70%くらいの広さ(26.8万平方キロ)のNZで460万くらいなんだから700万くらいでもいいよ。それを1.2億って多すぎ。今、シドニーで人口がクソ増えるわ、不動産高すぎるわで、なんか下りエスカレータにのってオーストラリアについたら、そこからまた上りエスカレータに乗って元に戻ってる感じ。まあ、オーストラリアはオーストラリアでキープしておきつつ(安定感はあるからね、ここは)、ビジネスとかライフスタイルで面白くなりそうなのはむしろ日本の方だと。

 旧体制がビシビシと亀裂がはいって、崩壊しつつあるときって、サイコーのビジネスチャンスだし。だってそうじゃん?これまでのシステムでケアできていたのにケアできなくなり、且つ実際のニーズは別に減ってないんだから、大量の「顧客」が出現するってことでしょ?また、どっかの地点で、一瞬、治外法権的になんでも出来る自由があったりするのよね。戦後の闇市みたいな。

 また、何もかもが北斗の拳的な「暴力の荒野」になるわけもない。おそらく見た目は今と変わらないような社会も続くでしょう。ダリの二重絵みたいに、こっちからみたらこう見えるけど、あっちから見たらまた違うって感じになるかな。矛盾するものが平然と同居するのって、ありえなさそうで幾らでも実例があります。例えば、江戸時代は武家と百姓を中心とした米穀経済(給与はお米)と町人を中心とした貨幣経済が平然と同居してました。現在は、中国がまさにそうで、あれだけ世界資本経済に影響を与えつつも、建前はいまだに共産主義だし。

 ならば旧体制でも利用できるものはとことん利用すればいい。何もかも全部自前でやらないとならないってことはなく、どの部分がどの時点でどのくらい残りそうかとか、その見極めをしていけば無駄なこともしないで済む。

 またやってることは同じでも、見方が違うと180度天国と地獄くらい違うってこともよくあります。単なる野宿でも、ホームレスと考えると悲しくなるけど、アウトドアのキャンピングだと考えると楽しくなるような。その差は、やむにやまれず流されてそうなるか、自分から進んでやってるかの差だと思います。

 だとすれば、この変化する環境を逆に利用してやればいいし、こんな環境だからこそやりやすいこと、出来ることを探して、作っていけばいい。

 もう考えるべきこと、調べることは山ほどあります。
 例えば高速道路でも、橋梁の老朽化が指摘されてます。首都高でも79%が橋梁であり、且つ完成から50年経過してるのであちこちにガタがきている。国交省によると長さ15メートル以上の橋梁は2011年時点で15万7000橋あり、そのうち建設後50年以上が経過したものは9%(1万5000橋)を占める。それが10年後に28%の約4万4000橋、20年後には53%の8万4000橋と半数を超える(2013年度時点の日経記事日本の橋、高齢化時代へ 長寿命技術に成長の芽より)。さらに、「国内の橋梁の60%近くの約9万橋は市町村道にあるものだ。9割以上で点検は進んでいるものの、自治体の予算不足や維持管理の知識の欠如で管理が行き届いていないものもあるという。築20〜30年でも老朽化が進んで事故につながるケースも出てきている。地方公共団体が管理する橋梁で通行止めなど通行規制がある橋梁は全国で約1200橋に上る」と。

 つまり高齢化しているのは人だけではなくインフラもそうだと。そして税収不足でスパイラル的にシステムが貧困化していくと、メンテできなくなっていく。そうなると、日本全国のあちこちで恐くて通れない橋が出てくることも考えに入れておく必要がある。ロジスティクスが部分的に破綻するから物流も届かなくなる。また、老朽化するのは橋だけではなく、ビルもそうだし、河川護岸工事もそうだし、水道などもそうです。これが何の関係があるとかというと、将来どっかに住むとしても、場所選定に関係してきます。インフラばりばりかませて人が住めるようにしてるエリアは、それがダメになったら住めなくなる。逆に、大した手間ひまかけなくても、住みやすい自然の地形や資源があるところもある。では具体的にそれはどこか?とかね。

 そんなこんな、あれこれ考えているわけです。


漫画紹介

 さて、漫画紹介のコーナーです。もうパートいくつか忘れちゃったけど。
 最近、殺伐としたアンダーグラウンド系が続いたので、(まだあるのだけど)今週は趣向を変えて、別系統のものを。

[福島聡] 機動旅団八福神
 ほにゃらら〜とした漫画です。「え、なんの漫画?」「あ、そういう漫画なの」って感じで、読んでてもよくつかめない。だから次にどうなるか予想がつかないし、どこに視点を据えて読んでいけばいいのかもわからない不思議な浮遊感があります。

 ジャンルとしては軍事モノになるのでしょうかねえ。設定は近未来の日本で、日中戦争が起きてほぼ瞬殺された日本が中国寄りになって、それをアメリカ軍が攻撃してくるみたいな構図なんだけど、それほどシャキシャキした緊迫感はなく、政治的にも生活的にもあんまり変わらないまったり感がある。そこに、画期的な新素材(全てのダメージを吸収してしまう新型ジェル)を搭載した「福神」という戦闘ロボットが開発され、その乗組員になった若者たちのあれこれを描いた漫画。

 だから軍事&SFモノなのかもしれないけど、そのジャンルっぽさは全然ない。むしろ意地になって「っぽさ」を潰しているようにすら感じられます。例えば、新型ロボ!といえば、ガンダムとかエヴァとかメカニカルにカッコいいものを連想するんだけど、出てくるのは「超デブのケロヨン」みたいな、激しく間抜けなファルム。ゆるキャラにしては可愛くないし。かつて戦闘漫画で、ここまで脱力したメカがあっただろうか?というくらいのぶっ飛び方です。また主人公がイケてない。むしろヘタレ気味なんだけど、その系統がエヴァのシンジ君のような、いたいけな少年心理の屈折や哲学的展開を醸し出すわけでもない。クラスのなかで一人で考え込んでるちょっと痛いキャラなんだけど、かといってダーク方面に行くわけでもなく真逆。人を殺すのは悪いことだ!僕は人を救うために軍隊に入るんだという熱血ニートというか、「いい人」なんだろうけど、そのいい人さが痛いというキャラ。イケメンには程遠くメガネに細い目だし。

 それに同期になった仲間たちの色々なキャラが絡んできます。最初は喧嘩してたり、しっくりこなかったりしつつも、最後になるにつれ、除隊してそれぞれの人生を歩みつつも、なおも連絡とり合ってたりして、結局はかけがえのない仲間なんだなあって味わいになっていきます。だから、これ青春群像ですよね。

 結構凄い設定やシーンもあるのですよ。アメリカ軍が開発した新兵器、操縦士が念力みたいに動かす戦闘ロボとか。精神波長の同調でどうしたとか、人間の底にある野性的で獰猛なパターンを取り出すために凶悪犯の脳を使って兵器化するとか、日本の右翼が核テロをやって金閣寺で爆破させ京都が跡形もなく消滅するとか、とんがったシーンもあります。んでも、何が起ころうが、どうなろうが、僕らの目の前にあるのはいつだって「日常」だよなってトーンで描かれる。中国軍の支配下におかれるという国辱的な設定も、いざそうなってしまえば、こんな感じにゆるく感じられるんだろうなーというリアルさもあります。




 思ったのだが、90年代以降の日本のロックのある種の系統に近いテイストがある。いわゆる明るく元気なJ-POPじゃなく、B'Zとかそっち系のショービズロックでもなく、メタルやラップという様式化されたエリアでもなく、普通のシャツ来た普通の大学生が普通に演奏してますみたいなロック。くるりとか。虚構ではなく目の前の現実にあくまでこだわる。虚構は虚構でいいんですよね。「かくありたい」「こういうのいいな」という理想を言葉や音で結晶化するわけで、それは一つのアートの方向性。でもそっちにいかないで、自分のリアルにこだわる方向もある。リアルだから鮮やかなドラマや展開があるわけでも、何かに突き抜けてるわけでもなく、悶々と考え込んで、なんかちょっと分かった気がするんだけど、でも気のせいかも、、みたいな、その揺れ動いているさまを歌う。

 それはそれで決然としてロックだよなーと思うのですな。ジャンル分けされたり、テーマ性や記号化してほしくない、安易な理解や共感を断固拒否するという点で。現実がそんなにわかりやすいわけ無いだろ、そこでなんか分かった風にまとめちゃわないでくれる?って。大した展開もドラマもない毎日だけどさ、でもたまになんかあるんだよ、ふわふわしてる日常だけど、ときどき出っ張ってるところや、キラとするところとかあったりして、それでちょっと心がときめいたりするんだけど、それが何なのか良くわからない。でも確かにそう感じた、わかるのはそれだけで、それでいい。そう感じた心の肌触りみたいなのが大事なのであってそれをリアルに描きたい、それに名前につけたり、「ああアレね」みたいに分かった気になって欲しくないし、自分もそうしたくない。

 それがこの漫画にも感じられるのですね。意地でもパターン化されたカッコよさにはいかないぞ、という。まあ、そんな力んだ想いが作者さんにあるのかどうかわかりませんし、あくまで自分なりに良いと思うものを作ってるだけなんだろうけど、その「自分なりに」の貫き方が凄いなーと思ったのです。

 リアルさにこだわってるからか、多少ずれた主人公が、少しづつ、ほんとに亀の歩みのようにたくましくなっていく過程がリアルで、ラストの方で、知らないところで不思議なNPOのリーダーになっている姿には百戦錬磨の逞しさすら感じさせます。でも、主人公に限らず、皆どっかズレてるんですよね。局面が変わるたび、だれか一人必ず心のサイズが違う奴がいて、そいつが適合できなくて「何やってんだ?」と罵倒されたりするんだけど、それを代わりばんこにやってるうちに、いわゆる相互理解というのが進んでいくという感じ。ラストの方で、ヒロインが昔の仲間を訪ね歩いて、「あなたにとってあの戦争はなんだったの?」と聞いて廻るシーンが印象的で、やっぱこれ青春巨編ですよね。それも絵に描いたドラマ性がないだけに、本当に自分も一緒に体験したような感覚が残ります。



 
[森恒二] 自殺島
 「〜島」系の一連の作品群があります。「彼岸島」(後日紹介予定)とか。これも「島」系なのですが、ほかの島系がおどろおどろしいのに比べて、この作品は本当にさわやかです。オススメ。

 自殺未遂を何度も起こした若者だけを集めて、どこかの無人島に送り込むという設定で、国の自殺者更生プログラムの一環らしき感じですが、しかし、そんな謎解きはどうでもよく、そこで生き抜いていく自殺志望者達の「生きるための戦い」が面白い。

 死にたかった人が、今度は生きるために必死にならないといけないという皮肉な設定。その環境に気づいて即自殺しちゃう一群の人達もいたわけですが、大多数は死ねないまま、手探りで生きる方法を考えるようになる。その過程を丁寧に描いてます。つまり、ロビンソン・クルーソーのような無人島サバイバル物語なのですね。違うのは、それが集団で行われ、且つ全員が自殺未遂者であるということです。

 これはいくつかのテーマをクリアに表現できる利点があって、
(1)ライフラインがゼロの状態では、どれだけこの地球環境が過酷であるかを描ける。飲水や食料のほか、医者も薬もないから風邪ひとつひいただけでも即死ぬかもしれないというミスが許されない世界
(2)そのためにどれだけ叡智を結集しないといけないか、これまで人類が得てきた生きるための知恵はなにかを描ける。農耕、狩猟、漁労、牧畜、そのための道具の製作、食料の保存の方法などなど。
(3)集団で行動した方がサバイバル率は飛躍的に向上するのだけど、それだけに人間関係を上手にやらないと内輪もめや外部との抗争というリスクが常にある。つまり社会の本当の意味、組織や法律の意味、そして戦争がなぜ起きるのか、どう展開していくのか。

 つまりは、人間とは何か、生きるとはどういうことかという究極のテーマを描くには丁度いい設定なわけですが、それを作者は照れもせず、衒いもせず、読みやすいシンプルな絵柄で丁寧に描いていきます。ここで丁寧さが欠けると、しょーもない感動の押しつけみたいになりがちなんだけど、この作品はそうなってない。17巻もありつつ、初動の方で登場人物がほぼ出揃うという変化に頼らない難しい設定(行き詰まると新キャラを出して延命させるという手法ではない)。主人公のセイが、なにかに気づき、学び、少しづつ強くなっていくだけではなく、他の人物もなぜ自殺を試みたのかという過去歴が描かれ、それぞれに成長していく。

 などと書くと説教めいてくるのですが、そんな感じではなく、ストーリーの展開も上手なので流れるように読めます。読み進みながら、ああそうだよなーと思わされ、一緒に学んでいくという。過酷なんだけど、こんな島や、こんな仲間がいたら一緒に暮らしたいなーと思わされる作品。

 世間でよく言う、「平凡が一番」「地道に生きる」って本当はこういう意味なんだろう。単に大きなものに屈服して、自分を殺してあきらめて、我慢していくことが「平凡」「地道」でもなんでもないってことです。それが平凡で地道であるなら、それが誰にも共通する普遍性をもつなら、それは「なぜそうしなければならないか」が命の重みレベルで骨身に染みて理解できるはず。この作品は、それを描いてると思います。



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望遠にして、シティとハーバーブリッジ


こんなガラーンとした駐車場

後ろを振り返るとBurwood駅前にガンガン建てられている新興マンション群





 文責:田村



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