今週の一枚(2017/05/01)
Essay 823:Post truth 〜世界大嘘祭りの時代
C/W 漫画紹介(2)
写真はCantabury近くの川沿いの公園にて。秋になると、この巨大猫じゃらしのような草があちこに生えます。
前回に続いて二部構成にします。前半に小ネタを書いて、後半に漫画紹介の続きをやるという形式です。最初の話は、一応そろそろ押さえておきましょうかってことで、ポスト真実(Post Truth)あたりの話でもしましょか。
第一部:Post Truth 〜 世界大嘘祭り
意味
オックスフォード英語辞典の2016年版「今年の言葉」に選ばれて世界的に超有名になったポスト・トゥルース(ポスト真実。Post truth)ですが、今の時点で知らなかったら、ちょいヤバいっすよ。それは流行遅れとかいうチャラいレベルではなく、日々の生活や、生きていく根幹に関わってくることだからです。有名なわりに意味内容が曖昧ですが、大体意味するところは、真実(事実)に基づいて理性的な検討が行われ、物事が決められていくのでは「ない」時代ってことです。面倒臭い真実や事実なんかよりも、個人の感情一発で決めちゃうとか、より積極的に嘘ばっか流して、それがどんなに恥ずかしいような大嘘でも、フィクションとして面白かったり、ほんとっぽかったら勝ってしまうという傾向でもあります。
いやー、すごい時代になったもんだ。もう無茶苦茶ですよねー!だって大嘘OK!与太話OK!ですもん。真面目な議論のはずが、ホラ吹き大会なるんだもん、すげー話。しかも、理路整然と嘘を反証されても、シカトあり、聞こえなかったフリあり、開きなおりアリです。そうなると濡れ衣OK!冤罪OK!理不尽歓迎!ってなもんで、これから先、人間には脳味噌いりませーん、感情一発でオールOK! "Don't think, Feel"で、ブルース・リーもびっくりです。
例えば、クラスで誰かの給食費が盗まれました。犯人探しが始まりました。疑惑の目は一番貧しそうな、友達も少ないA君に注がれました。Aが盗ったんじゃないか?となんとなく皆そう思います。これまでは、いや、それは偏見だろ、証拠もないのにそんなこと決めつけたらあかんよねって「理性」「論理」がまだ働いてました。そのベースには「真実(事実)に基づいて物事は決められなければならない」という大原理があるからです。実際にA君が盗ってないことが証明されたら、晴れて無実で、疑って悪かったなって話になってました。しかし、最近ではそうではなく、事実なんかどうでもいいんだもんね。A君が盗ったっぽかったら、はい、A君犯人に決定〜!決まってんじゃん、反論なんか聞かねーよ、うざいよ。そのうち、「A君が盗ったのを見た」という大嘘言う奴も出てきてたりして、ほら、みろ、はい確定〜ってなもんです。
無茶苦茶ってのはそういうことです。そんな世界に今生きているのだと。かといって自分の周囲の誰も彼もが一夜にして嘘つきや痴呆症になるわけではないです。個人レベルではそんなに変わらない。でも、デカいレベル、それは企業活動とか、一国の政治とか、さらに世界の(先進国の)政治とかは、どんどん崩壊していってる。日本もガシガシと大嘘天国になってますが、別に日本だけではなく世界的な潮流です。それもオックスフォードが「今年のワード」に選ぶくらいであり、2016年は国際大嘘元年みたいなもんだと。
なんでそんなこと言われているの?といえば、とりあえずはイギリスのEU離脱のBrexitの国民投票の前に嘘情報が乱れ飛んでそれで決まってしまったとか、ヒラリーVSトランプのときも嘘比べみたいになってしまったとか、そのあたりが直接的な契機です。でも、そんな単発的な話ではなく、日本は日本で嘘がまかりとおっているし、他の国も似たり寄ったり。しかも、マスメディアの信用性も、日本ほどではないにせよ、世界的に失墜してきている。とりあえず誰が一番嘘を言ってるかという回数勝負でいえば、それはお仕事なんだから当然なんですけど、新聞、テレビ、ネットですわね。もーね、金払って嘘買ってるようなもんです。
なぜそうなったと思う?
問題は、じゃあなんで世界大嘘祭りみたいな状況になってしまったか?です。ここは面白いですよねー。はい、あなたは、なぜこうなったと思いますか?今から5分あげるから、皆の前で自分の意見を述べてくださーい。はい、じゃ、そこのあなた、いってみようか。これ、冗談じゃなくて、こっち来るならこんな感じでポンポン聞かれますから、心の準備をしておくとよろし。準備といっても予習をしてってことじゃないです。テーマなんか無限にあるんだから。日頃からあれこれ考えておけ、そして自分の意見をちゃんとわかりやすく言えるように訓練しておけってことです。それも英語で。もし既にこちらに来てて、そういう状況になってなかったら、それ、なんかヘンだと思いますよ。自分の知的・社会的レベルに見合うだけの環境を構築出来てないってことで。
これは日本でも同じで、面白そうな、イキのいい奴らの集まるところだったら、ボンボン意見飛び交うはずです。それもどっかで聴いたような受け入りなんてクソ低能なレベルじゃなくて、へえ、そんな考え方もあるんだーってオリジナルばりばりの考えが聞ける場所。そういう所に身を置かなかったらダメだと思う。何が「ダメ」って、そういう奴らのほうがサバイブする確率が高いですから。受け売り集団は、そろって全滅っぽいよ。なんでそんなこというのか?といえば、そういった生き残り大競争みたいな背景=共喰い社会が、今日の嘘大会のベースにあると思うからです。
資本主義と科学技術の隙間風
僕の意見は簡単で、ぶっちゃけ、これまでのやり方が通用しなくなったからでしょう。「これまでのやり方」というのは、科学技術を進歩させて、それに資本主義が二人三脚で組んで経済を発展させ、世の中をより豊かにして、それで皆が幸福になるという方法論であり、且つその方向性が大まかには全員一致していたという時代の話です。その方法論の上に国家なり政治という利害調整が行われ、その上にビジネスモデルが構築され、それらの中枢にいるのが支配層なり既得権者になっているということですね。その構造自体は今も変わってないとは思うのだけど、(前にも書いたが)科学技術と資本主義の二人三脚がおかしくなってきたのだと思う。隙間風が吹いてきて心はすれ違って、「もう、あなたと一緒にやっていくのは無理だわ」状態。
いや、ほんと言えばもとからそんなに相性はよくなかったと思うのですよ。例えば、よく言われる話だけど、自宅の電球なんかやろうと思えばもっと長期間もつように出来るらしいですよね。だって冷蔵庫の電球は切れないもん。だから技術的には可能なんだけど、それをやるとみんな一通り買ったらそれで終わりだから儲からない。何度も何度も買ってもらわないと儲けが出ない。だからせっかくの技術を殺して粗悪品を作って資本主義が潤うという。これが本来的に相性がそんなに良くないという点です。(ちなみにこの話については、そんなことないって反論が沢山あるけど、どれも嘘くさいぞ。メーカーから金もらって書いてるんじゃないの?長寿命にするとコストがあがるから低価格で寿命がくる普及品を作ったというなら、それが実際いくらになるのか積算根拠を示してほしい。また最初から消費者に選択肢をあげればいい。今のLEDのようにね。さらにじゃあ冷蔵庫はどうなんだ?って言われたら困るでしょう。いくら高いといっても論理的に冷蔵庫本体よりは安いはずだし、その他の部品の値段から相対的に考えていけば、高いといってもしれている筈でしょ。さらに、寿命はこないけど、やたら形式ばっか変えて陳腐化を図るとか、マイナスイオンがどうとか眉唾科学で宣伝して売ってるやり方を考えれば、似たり寄ったりだろ。YahooとかのQ&Aとか胡散臭い投稿が山ほどあってうんざりしますな。)
それはさておき、テクノロジーと資本主義でも相性がいい場合もあります。資本主義というのは、ある局面=客観的に膨大なお金と複雑な手間隙かけるのが最善手である局面=には非常に効率がいい。大衆に散在するものをひっつけて一つにするシステムとしては資本主義は優秀ですから。例えば膨大な資本を集めて巨大な研究開発をして新技術を作り、それを膨大な金をかけて大量生産してコストダウンをはかり、それをまた膨大な金をかけて宣伝しまくって、売りまくって、儲けるという。気が遠くなるようなステップを構築するのは、資本の原始的蓄積をなしうる資本主義は非常に使える。
これまではそれで良かった。新技術の開発→人々の暮らしを豊かにする、という関係がわかりやすかった。冷蔵庫にせよ、洗濯機にせよ、パソコンにせよ、携帯やネットにせよ。ところが、じゃあ次は?となると、ちょっと途切れちゃったのでしょうね。これでまた、重力制御技術とか、空間歪曲技術とかSFレベルの新技術が出てきたら、話は変わるでしょう。タケコプターとかどこでもドアが実用化されたくらいの。これは売れると思いますよ。技術→経済になる。そしてそれまでの産業は廃れるけど、同時に新産業がそれを補うくらいに雇用力があるからトータルでは発展。でも、そんなもん今はないよね。iPhoneで打ち止めちゃう?だからもうここ10年出てないし、その反射的な作用として、僕らは昔ほど物欲なくなったと思う。
複数の原因
でもってここからが複数の原因が同時多発するのですが、一つは、開発され尽くした完成度の高い商品(花札とか箒とか)は、飽和商品だから頭打ち。最高級機種はブランドとして別だけど、でもこれは大量生産的な資本主義とは微妙に違う。買う人も限られているから、熟練の名工と、少数の流通と、少数のマニアがいればいい(100万円の箒があるらしいですな)。安値の普及品は、これは技術が簡単化してるから新興国に全部もっていかれてしまう。いくらコストカッティングとかいっても時給30円とか日給100円でこられたら勝てるはずがない。だもんで、先進国は日々刻々と生存可能エリアが縮小している。第二に、科学技術が進歩しすぎる弊害(=資本主義的には)。科学技術ってダイレクトに人を幸福にしちゃうのよね。理系ですから、文系の複雑な人間模様なんか知らんもんね。例えば発電。これまで大汗かいて資源採掘して、大規模なコンビナート作って、商社が活躍し、地元の政治家が暗躍し、土建業が潤いつつ発電なんかせんでも、日に日にニューエネルギーの効率は良くなっている。またバッテリーの性能も日進月歩で進んでいる。このままいけば電力会社なんか要らないんじゃない?みたいな話になっていきます(てかなってるけど)。いずれホームセンターあたりで2万円くらいで簡単に買える設備で一家の電気は全部OKってなったら、これまでの膨大な設備や既得権はどうなんの?です。全滅に近くない?ニューエネルギー方面で雇用を吸収できるかしらんけど、今までのように大掛かりな設備も人員もいらないでしょう。
似たような話は電気自動車でもあって、今のガソリン車の研究・技術者の雇用の約7割はエンジン関係だといいます。エンジンがまさに車の枢要なんだけど、これがEVになるとガラリと変わる。まず変速機(ギア)が要らない、場所を食う燃料タンク、床下スペースを食うマフラーやガス浄化触媒もいらない、オルタネーター(発電機)もいらず、エンジンを冷やすラジエーターも要らない。オイルも要らない。細かく数えれば数万パーツが不要なるといいます。だもんで電気自動車移行の最大の抵抗勢力は自社業界内部で、これによってリストラされる社員、無数の子会社、下請け会社が将棋倒しに潰れる。しかしその分、コストはかなり安くなるから、破格に安いクルマも作れるかもしれないし、制限が少ないからデザインも自由だし、室内居住性も良くなるし、音も静粛。指摘される欠点も、よく調べたら航続距離も速度(加速も最高も)上回る。要はリチウム電池の性能とモーターの性能をあげればいいんだけど、まだまだ伸びしろがある。コバルト酸リチウムからマンガン酸リチウム電池にするだけで重量は半分になるとか。要はビジネスとしてはめちゃくちゃ将来性があるんだけど、それだけにリストラされる側の抵抗も強い。かくして自動車業界のEV部門は社内で四面楚歌になる。ベンツもBMWもEVだけ別ブランドの別組織にして完全隔離しているといいます。EVは使えないとか欠点ばっかあげつらって世論を作ってる評論家やメディア、それに乗せられている人も多数いるけど、多分にポジショントーク(てか嘘)の要素も差し引いて考えるべきだと思う。
ま、何によらず技術の開発=便利になるということは諸刃の刃なんですよね。なぜって僕らはなぜ商売できるのか?就職できるのか?といえば、そこに「不便」なものがあるからです。その不便さを人力でカバーしようと雇用が行われ、商売も成り立つ。でもテクノロジーでそのあたりもどんどん便利にしていってしまったら、人は要らない。AIが雇用を奪うと言われている現象ですが、それにとどまらず、企業そのもの、あるいは業界まるごと消滅ということもありうる(これまでも沢山あった)。しまいには国家の(資本主義的)経済そのものが陳腐化し、邪魔なものになっていく(てか、これももうそうなっていると思う)。
第三に、価値観の変化です。新しい技術でドカーンと新しい未来社会だあ!というのは70年台までで終わり。老後は月面基地で暮らすんだなんて、70年代のガキ(僕らですが)は大真面目にいっていたわけですが、そんな脳天気な時代は終わった。ドカーンがないから、ぱっとしない。でも、逆に深みは増えた。量に困らなくなったら、今度は質にこだわるようになった。僕はこれは良い傾向だと思います。趣味が良くなったと。昔の世代(僕も知ってるけど)、とりあえず「ゴージャス」「デラックス」「高級」という言葉に弱い。貧困だった戦後の名残ですな。高齢層は大体そう。昔、量に困って、粗悪品で我慢していた鬱憤がトラウマ化してるのでしょう。でも量に困らない世代になるほど、独特のテイストを珍重するようになる。大量生産のものよりも、手作り感のあるものがいい。ゴージャスな方がむしろ味わいに乏しく感じるという具合に価値観が変わる。そうなると、資本主義はキツイですよー。なんせ資本主義というのは、大量生産・マス販売してこその輝く方法論ですから。最初に金持ってるやつの勝ちゲーで、豊富な資金で大規模な開発・生産・販売をするから旨味があった。しかし、テイストで来られてしまったら、大量生産が通用しにくい。逆にテイスト重視でくるなら、極零細個人起業でも少量のリピーターさえ確保してしまえばなんとか暮らしは立つ。そういう時代なんじゃない?
いかん、長くなってしまった。端折ります。ま、そんなこんなで資本主義(物量的成長モデル)がヤバイんじゃないって話があって、ほんでもって、ここで大事だと思うのは、皆が当然のように予定していた「幸福な未来像」「成長モデル」が蜃気楼にように消えていったことだと思います。
共通の成長モデルの喪失と共喰い社会
これまでは、なんだかんだ争いはあったけど、皆で豊かになるんだって点は一致してたと思う。現に豊かになれたし。ただ、豊かのなり方の差、Aルートを通るとかBルートでいくんだとか、そういう対立だった。そこで多少割りを食った人も、全体が広がるから時間差で豊かになれて、そうそう文句はなかった。でも、根本的に変わったのは、「みんなで豊かになる」という絵が描けなくなった点だと思う。もうそんなの無理だと。パイが広がることで解決してたからこそ、パイを広げるという点では概ね一致してたのに、パイが広がらなかったらどうなるか?簡単です。「共食い」が始まるだけのことです。実際、もう格差社会という名の共喰いは始まってます。秘密保護法時点で(僕的には)ハッキリわかった気がしたのですが、中枢にいる連中、中枢にいるからこそよく見えると思うのだけど、もう奪い合いしかないなって思ったのかもしれませんな。あー、こいつらもう建前捨てたな、名を捨てて実を取りに来たなと。皆で豊かに幸せにという大前提を外してしまって、既得権をよりガチガチに固めて反抗を許さず、いずれ格差社会からさらに悪化した封建社会のような固定的な階級社会(武士と町人のように)になるかしらんからその備え、あるいは積極的にそうなるようにしてるのかな?と。共謀罪でもなんでも、やりたいことはハッキリしてて、なんであんなのが欲しいの?といえば、これから先もっともっとイジメますよ、いくら温厚な君達でもブチ切れるくらいいじめ抜きますよ、でもそうなったときに反抗できなくしておきましょうねーってことでしょ?露骨にいえば。ま、そういう言葉で思ってはいないかしらないけど、ひっくり返りそうだって怖さは感じているだろうし、ひっくり返ったときの備えが第一にくるでしょう。もうなりふり構わないという。
そのなりふり構わない部分が、大嘘社会のベースにあるのだと思います。
ひるがえって、そもそも事実を重視し、理性的な話合いをするのはなぜか?といえば、それが一番皆にとって豊かな結果になるからだ、という確信あってこそでしょう。そして、客観的にも事実をベースにすれば皆が豊かになれるという余地が実際にもあった。そこがキモだと思う。
でも、客観的にその余地がなくなったらどうなるか?
それでも事実ベースの理性的な話し合いは大事ですよ。全体に貧しくなるなら、今まで以上に弱い人を皆で助け合わねばならない。そのためには、クールに事実を分析し、理性的な話し合いで可能な限りの公正な配分をなすべき。
他方では、科学技術の進展で、客観的にも昔ほど努力しなくて物質的に豊かになれるようになっているとも言えます。そんなあくせく働かなくても食って寝て幸福になるには十分くらい世の中進んできてる。だから、これまでのような形での量的成長はないかもしれないけど、質的深化はいくらもありうるし、またそれが出来るだけの客観的な物資技術も整いつつある。何も悲観することはない。
でも、それをやらないのはなぜ?それも上いくほど嘘言うのはなぜ?というと、これまでやってきた方式と相容れないからでしょう。少なくとも従来のビジネスモデルに乗っかってた人達が、これまでどおりやれるわけではない。自分らの基盤がコケてしまう。一方、僕のような下々は実は大した影響は受けないですよ。だって下々だもーん(笑)。タワマンの下層階みたいなもんで、いざとなりゃ窓から飛び降りれるくらいです。でも上層階の人達は大変ですよ。下層階あってこその上層ですから。そこが「上層」でありつづけるためには、下部構造=めちゃくちゃいろんな前提条件=がいるんですよね。それらの条件が今まで同じであってくれないと、自分らの既得権や支配権の根拠がなくなる。でもって、前提条件、日に日になくなってます。上で述べたように、新分野頭打ちだから新興国に喰われ、科学技術の発展で旧来産業が陳腐化・無用化し、さらに相乗作用で人々の価値観が多様化してるから大量生産洗脳商売の旨味も消えているという三重苦。
だからこそ頑張ってるんじゃないですかね。前提コケたらあーって墜落ですからね。例えば原発がもう時代遅れだとかいっても、それを認めちゃったら、これまでの人生努力や今の地位や老後の保障がパーです。下手すれば戦犯扱いにされて処刑されるかもしれない。恐いですよね。純粋客観的にやってたらコケてしまうのであれば、客観を無視するしかない。時代の流れもガン無視。要するに理性的、論理的に考えられたら詰んでるわけですから、考えないように仕向ける、思考妨害効果の高い「情緒」に訴える(恐い、憎い、気持ち悪いなど)という戦略を取ると。
だからポスト真実になってるんだと思います。これがベーシックにあると思う。
以下、補論としていくつかいいます。
僕らも既得権者で負け組
また、無意識的に僕ら全員がそれらの嘘、既得権者の悪あがきみたいなものを支援してる部分もあると思うのですよ。なぜなら既得権者という意味では僕ら全員が何らかの形で既得権あるわけですから。今現在で生計を立てられるのは、今のシステムを前提になにかを構築しているわけですよね。なにかが大きく変わった場合、下層階でも窓から飛び降りるくらいのことはしなきゃいけないでしょう。勤務先の会社が潰れて失業するとか、もってる不動産や預金がパーになっちゃうとか、その程度は影響受けるでしょう。まあ「その程度」で、別に死ねわけでもないんだけど、それでもイヤだろうしな。大体、先進国に生まれたって時点でもう既得権者です。でもって、現状の不平等な理不尽体制をガチガチに固めて逃げ切らない限り、既得権者→負け組になるわけです。ボクシングのチャンピオンのように、実力で勝ち得て、実力で維持しているならいいけど、実力が落ちているのに、これまでの流れや慣性によっていい思いをしてたら、それは合理的根拠に裏打ちされていない不当な権利=既得権であり、遅かれ早かれそれが是正されていくのが大きな流れだとしたら、遅かれ早かれ転落していく負け組だということです。
今の世界情勢は〜とか先進国メディアで流れていますけど、あれもバイアスかかってると思いますよ。「負け組通信」というか(笑)。だって、過去10年、なんだかんだいって先進諸国は中国その他新興国のおこぼれに預かって食ってきたようなものでしょう。オーストラリアなんか典型的だけどね。自分らで引っ張っていく力はもうないよ。これまで、そしてこれから世界史と世界経済の主役は、中国やインドや、その他の国々でしょう。シドニーに観光地が中国人とインド人に埋め尽くされているのを見てもそれは皮膚感覚でわかる。実際、先進国は、能力的にもメンタルや覇気でももうあかんしょ。まあ、味やマナーや鑑賞眼をもってる、うるさ型のジジババみたいな存在ちゃう?でもプライドだけはお高いから、今での世界は自分らが引っ張ってると思ってる。てか思いたい。そういう願望みたいな、中二病みたいなのが先進国のメンタルだと思いますよ。だから僕らが日頃読んでる「世界情勢」とやらは負け組通信であり、本当の世界の実相はまた別にあると思います。
昔からわからなかった
もう一つ、昔は、ここからここまでは共通するってエリアがあって、そこまでは議論の余地なく是認されていたから、まだまだ分かりやすかったのでしょう。例えば冷戦時代は、米ソの大国2つがいがみあって、その陣取りゲームで世界が動いていたというところまでは、まあ真実に近いと思うので、そこまではわかった。今はそれすらもなくなった。それが端的に出てくるのがトランプの位置づけで、あれは単なるアホなのか、旧体制への反抗者であって正義の味方っぽいのかです。ここがメディアによって、ネットによって、論者によって激しく対立するところで、がっぷり四つになってるから、もう全然分からんのよね。
ただし、トランプ支持者の言うこともわかる。別に人種差別を進めろとか言ってるんじゃなくて(そういう馬鹿な書かれ方はするんだけど、それこそメディアの嘘でしょ)、これまでのビジネスモデルへの異議申立てでしょう。その意味で、OWS運動に通底するところはある。よくいわれる軍産勢力がこれまで支配層で、、ってことで、そこで陰謀論が花開くんだけど、僕はそこまでは思わず、具体的にそんな組織だったものではなく、その方が儲かるというビジネスモデルがあって、そのモデルに乗ってる人達がいるだけだと思いますわ。
ほんで右とか左とかいうのも微妙で、軍産モデル(アメリカ主導で世界に適当に緊張を与えて、軍事力と経済力でリードするモデルとでもいうのか)の方が、一見右っぽいけど、プロパガンダとしては、左っぽいこと、人権リベラル的なことをいうわけですよ。例えば、アフガンとか中東に派兵して緊張を作りましょう、存在感を示しましょう、リードしていきましょうって戦略なんだけど、別にアメリカが攻撃されてるわけじゃないからナショナリズムは燃えにくい。そこで利用されるのが、イスラム教国における女性の人権が迫害されているとか、タリバンが善良な市民をイジメてますとか、信教の自由を侵しているとかいう人権的な言い訳を使うわけでしょ。ややこしいのは、本当にそういう人権問題はあって、それを真面目になんとかしようという人達も大量にいる点です。非常にわかりにくい。
でも、もう右とか左とかナショナリズムとかそんな薄っぺらい問題じゃないと思いますよ。彼らは、世界でもトップクラスに商売上手だから、必要があればどっちの大義名分でも使うくらいのしたたかさはあるでしょ。逆に、今、反トランプ的な動きを、旧支配層(てか旧来のビジネスモデルの方が旨味のある人)は、極右だとか、ナショナリズムであるとかレッテルを貼るのも、これも嘘だと思うのですよねー。そういう人も確かにいるけど、そうじゃない人も結構いるはずで、でも味噌もクソも同じく扱って、「あのバカどもが」的な扱いにしちゃおうと。A君ちは貧乏だから、きっと給食費も彼が盗ったんだよ的な。
かくして今や全然わからない世の中になりました。もう何が正しいのか調べても調べてもわからない。てか、調べるほどにわからなくなる。じゃあどうするか。最初にテキトーに決めつけて(感情とか、気分で)、あとはそれを補強するような言説だけをネットで集めればいいじゃんって話です。人は自分が信じたいものだけを信じると。かくして、下々もレベルまで、別になんの利害も、ビジネスモデルもかかってるわけでもないのに、頑張っちゃうわけですな。
一般的にはもう全然分からんです。マレーシア航空機の撃墜も、ウクライナ上空の撃墜も、北朝鮮のプリンス暗殺も、結局なんだか未だによくわからんままだという。
で、思うのは、昔は分かったてたかというと、別に昔も分かってなかったんだと思いますよ。ただ、わかったかのように思いやすかっただけでしょ。情報操作も洗脳も、昔のほうが遥かにスマートだったし、騙されたことにすら未だに気付いてないってくらい上手だったし。それが上手なだけに、わかった気にはなれたんだわ。今は、なりふり構わずやってる部分があって、嘘まで言わないといけないというのは、逆にいえば、かーなり追い込まれているとも言えるわけで、言ってるそばからバレバレの嘘でもなんでも言う。
その意味では、ここまであからさまにやってくれると、昔は0.1%くらいの人しか気づかなかったのが今では30%とか50%とか気づくようになるから、良い傾向といえば「良い」んでしょうね。良いってニュアンスないけどさ(^^)。じゃあ、メディアも政府もアテにならないぞ、自分で調べるしかないぞと思っても、そこで挫折するのが普通じゃないかな。ネットも嘘ばっかだしね。また政府広報みたいな専従作業員が投稿しまくってるから一般でみたら間違えることに変わりはない。そもそもですね、一つの領域に精通するだけでも、膨大な時間かかりますよー。そんなに簡単に分かるわけないのだ。それは、皆さんの自身の業界に問題について、あるいは自分の地元の状況について、薄っぺらな一般メディアがどう紹介しているかを重ね合わせてみたらわかると思う。専門誌や深く研究されているジャーナリストの人だったら、よくわかってるなーって情報や論評をするかしらんけど、一般紙レベルは、ぜ〜んぜん理解してないでしょ?あーあ、やんなっちゃうなー、世間ではこう言われるみたいだけど、違うんですけど〜って思うでしょ。
てことは、昔も今も、本当の全体像なんかよくわからんのですよ。そこに何の差もないのだと。ただ、昔はわかった気になれたけど、今はなれない。だから不安だと。まあ、騙されて安心しているのがいいか、騙されてないけど不安なのがいいかとの選択というか(^^)、世知辛い世の中ですな。
名もない民衆が世の中を動かす
最後に、じゃどうするの?の僕の意見は、これも過去に何度も述べてますが、だからー、そんな大きなレベルで世の中動くわけじゃないんじゃない?って思います。国家首脳が世界を動かしているというのも半分本当で半分嘘でしょ。笛吹けど踊らずって言葉もあるけど、半分以上動かしているのは名もない民衆ですよ。欧州で中世が終ったのはなぜか、失業兵士の活躍みたいに十字軍になって、はからずも東西交易になって、そこでの文化刺激がルネサンスという化学反応を起こしたという一連の原因はどこにあるのか?と遡っていけば、例えば三圃式農業という、どっかの名もないお百姓さん達の地道な努力と発明が一因になっている。生産量が増えて豊かになって、人口増える、耕作地も増える。戦乱も減る、人々のメンタルも変わる、自由も欲しくなるし、古臭い制約的なものを嫌うようになる、視野も広がり、そして社会が変わり、国家が変わるのは一番最後。僕自身、国家無用論とか幻想論とか思ってるわけで、あんなの単なる透明なインフラ互助システムにしちゃえばいいじゃんかって。今の時代、国家的なるものに求められる機能ってそこでしょ。経済は、国家に動かせないと思いますよ。世界史見ても日本史見てもそう思う。国家が出来るのは経済の邪魔だけ。江戸時代の新規発明の禁止とか、鎖国とか、大井川に橋かけたらダメとか、古臭い中世組織やギルドの保護とか。結局国家が出来るのは戦争とか喧嘩とか交渉くらいで、でもそれすらもう時代遅れなんだけど、でもソコを認めてしまったら本当に存在価値なくなっちゃうし、とりあえず社会秩序は守らないとってことで、やってるんじゃないですかね。だから彼らに決める力はない。でも局所的に皆に迷惑をかける力は凄くあるから、そこは要注意で、とばっちり食らって死なないようにと。
そのトバッチリ対策はした方がいいという文脈で、さきほどの受け売り集団全滅論を思うのです。真実はわからないかしらんが、大体の流れくらいはわかっておいた方がいい。なんで世の中こうなるのというメカくらいは知っておかないと、なんせ共喰い時代ですからね、下手すりゃ喰われちゃうよ。受け売りしてるってことは、どっかの誰かに乗せられてまっせ、そこに自分オリジナルの咀嚼力がないってことは、先見の明がない、危機察知能力の悪さを示すもので、長い人生、いつかはぱくっと喰われちゃうよって。
ということで第一部終わり。
この漫画がすごい〜PART 2
★ギャグ系
[ONE] モブサイコ100これ、意外と有名なんですね。アニメ化されてたらしいし。ほー、これがって思うけど、わからなくもない。この作品は、いわゆる超能力ものです。でもって、特筆すべきは画力が、、、ないと言いたいくらい素朴な絵なんですよね。落書きみたいな。ヘタウマ的な味は確かにあります。また、それで十分に伝わってくるので、これで十分、だから上手いとも言えますが、少なくとも世間的にいう巧い絵ではない。それで引く人は引くでしょう。
ただ、強烈に個性的なのは、最強の超能力者である主人公が全然イケてないってことです。普通超能力を持つと、思い上がって、俺は選ばれた人間なのだって傲慢になるもんだし(僕もなるだろうなー)、この漫画の他の超能力者はそうなんだけど、主人公だけはそこは絶縁不導体で、こんなもん出来てもなんにもならない。もっと人と上手に会話したいよ、打ち解けたいよ、運動下手なんだから努力しなきゃって頑張るわけです。そこに世慣れた大人で、どことなく憎めないオカルト詐欺師のような霊幻さんがツッコミ役で入り、また主人公が加入した爽やかなばかりに筋肉バカの筋トレ部の人々がいて、、という。あとの周囲は超能力に舞い上がってる人達が多く、それが普通で、それが超能力物語の王道なんだけど、この漫画は違う。終始一貫クールというか、主人公のクソ不器用な天然性格が大ボケをかまし、霊幻さんの「あんなもなあ、○○だ」という大人的な世間知と、大人のずるい誤魔化しトークでツッコミをいれてバランスを取る。結果として、出てくるのは、なんとも言えない爽やかさです。およそ爽やかな絵柄ではないんだけど、受ける感動は爽やかだという。この感覚は、そうだなー、その昔のちばあきお氏の「キャプテン」みたいな感触に似てます。そういえば谷口君も天然っちゃ天然だったしなー。
なんとなくギャグマンガに入れてしまったけど、笑える箇所も多数あるんだけど、もしかしたらイケてない僕が懸命に頑張って報われていく青春物語なんかもしれないです。多分、見てないけどアニメでは、いろいろ出てくるサブキャラ超能力者達のバトルがメインになったりしてるのもかしれないけど、超能力漫画でありながら超能力を全部とっ外しても物語として十分成り立っている真面目さが、この漫画の良さだと思う。
左端がモブサイコ(↑)、あとの二枚はラブラブエイリアン(下)〜毒舌な部分と、いいこと言ってる部分
[岡村 星] ラブラブエイリアン
これもTVになったらしいですよね、しかも実写で。どうなんだ?って気もしますが、、、というのは、この漫画、超リアル本音トークが大きなポイントになってるからです。「そこまでいうか」ってくらい。
設定は無茶苦茶で、女4人友達のところに、小さな宇宙人が円盤ごと不時着してってところから始まります。そうなると昔の「E.T」みたいな感じになるのかと思いきや、全然ならず、まったりとした日常が続く。そのまったり日常が、女性達のガールズトークなんだけど、めっちゃリアル、てか、ちょっと行きすぎだろってくらい。でもそのセリフが面白い。ほとんど宇宙人要らないんじゃ?って感じだけど、宇宙人の設定が微妙にツッコミになったり、なごませたり、あるいは卓越した科学力でご都合主義的展開を支えてくれたりもする。だからエイリアン必要なんだろうなー。人類を低級な生き物と言い切って、個体の識別なんか出来ないと蔑視丸出しなんだが、意外と礼儀正しかったり、地球の食べ物が美味しすぎてほわわんとなったり、「ナサ」に通報するのだけはやめてくれと弱みがあったり、全然なんの必然性もない設定がなごみます。
しっかし、この女性達、そして合コン相手の男性たちの本音トークが面白いのですわ。宇宙人の「本音光線」を浴びて本音を言い出すというパターンもあるんだけど、それがなくても普通に本音を言う。例えば30歳過ぎたキャリア検察官の女性の場合、合コンで付き合い始めた彼氏の話で、「もうやった?」「やった。もう2回やって、そん時ちんこも舐めた」「え、早くない、ビッチじゃん」「ビッチ確定だよ」「(宇宙人)今の話は下品ではないのですか」「えー、普通だよ、女の95パーはもっとすごいこと話してるよ」「もー33にもなってカマトトぶってもしょーがないじゃん、男からしたらむしろ今まで培ったテクニックぶつけてこいって話でしょ」「でも精子って一回目は濃いけど、二発目は薄まってるって言わない?」「だから一回目は私みたく口で抜いておくんだよ」「やっぱ30過ぎた高学歴の女が言うことには知性とスキルが感じられるね」とか、、延々。
男は男で馬鹿なんですよね、「俺はそれまで巨乳一択だったけど、ギリシャ経済危機からこっち貧乳もアリかなって」「あるよな、そういうの」「俺も貧乳アリって思ったのは特定秘密保護法成立くらいからかな」とか。
めちゃくちゃなんだけど、本音であるがゆえにいいことも言ってるんですよね。育児してる友達が来て「旦那への愛情なんか2%しかない」「セックスなんか自分の子宮が拒否る」とかいいつつ、「セックスしなくなっても、愛情も友情もなくなっても、それでも一緒にいれるってことは、ある意味すごく深い関係だよ」とか。まあ結局は男女入り乱れてのラブコメ的な展開になって、そこがテレビになるのでしょう。んでも、この作品の魅力は、ポリティカリー・コレクトな、予定調和的なセリフがほとんどなく、その毒成分が読んでて面白い点だと思います。それだけに、これ、原作のテイストを損なわずに本当に放映できたのかなーと。
[そにしけんじ] 猫ラーメン
笑うだけならこれが一番笑ったかなー。おすすめ。4コマ漫画で、気楽に読めるし(4コマではないショートもあるが)。
要は、猫がラーメン屋をやってるという、ありえないけどお気楽な設定で話が続くだけです。しかし、凄いなと思ったのは、この設定でよく何巻も話が続くなーという、そのネタ創造力です。4コマって読むのは気楽だけど、作るのは超難しいですよー。嘘だと思ったら自分で話つくってみたらいいです。そんなに思いつかないって。
これだけ描けば、そりゃパターン別とか系統別とか見えちゃうこともあるんだけど、それ以上に「次から次とよくもまあ」と感心します。また可愛く面白い。可愛いっていっても、「大将」と呼ばれている主人公の猫そのものは、ねじり鉢巻で、江戸っ子べらんめえ喋りで勢いがいいです。別に可愛さアピールしてるわけではないのだが、やっぱ猫だもんで、全体になごめてしまう。特に大将の実のお父さんが、スーパーキャットモデルやってて、めちゃくちゃ可愛いという変な設定も笑える。食い物屋の話のくせに、作った食べ物が不味いという設定もある意味斬新。
どっちかというと変なキャラは人間側が多く、動物側は、やる気が超空回りしている主人公の大将を除けば、まあ普通。人間側は、気弱で人のいい若いサラリーマンが準主役で、あとはコンスタントに変な人が出てくる。結果、大将が一番まともにみえてきたりして。んでも、ラブラブエイリアンとは違って、毒気成分がほとんどなく、「きゃはは、くっだらねー」と罪もなく笑える作品です。
しっかし、これもアニメになってるのはわかるとして、実写映画にもなってるんですよね(見てないけど)。なんかちょっと考えちゃうんだけど、制作現場、ネタを自分らで考えないのかな。てか、自分らの表現として実験的な野心作を作るとかいう感じではないんだろうなー。制作予算もバシバシ削られてそうだし。それだけに、「一塁にランナーが出たら送りバント」みたいな手堅い作り方を強いられてそうで、その分、毒気や狂気が抜けてなかったらいいんですけど。
左端が「猫ラーメン」
右の二枚が「北斗の拳イチゴ味」〜拗ねるジャギ様と、自宅で気分だしてたところを小学生ノリの南斗六星に遊びにこられいじめられるユダ様
右の二枚が「北斗の拳イチゴ味」〜拗ねるジャギ様と、自宅で気分だしてたところを小学生ノリの南斗六星に遊びにこられいじめられるユダ様
[河田雄志×行徒妹]北斗の拳 イチゴ味
単なるパロディものかと思いきや、7巻まで出てるという。こんなの一発芸だろと思ったら、そうではなかった。それどころか、後になるほど濃くなっていくという。
この作品は「北斗の拳」をかなり読み込んでる人でないと面白くないでしょう。まあパロディってそういうもんだけど、これは特に。読んでて思ったのだが、いわゆるパロディものとはちょっと違うぞ、一種のコラージュというかサンプリングというか。DJなどで他の音楽作品の部分部分を切り取ってきて、つなぎ合わせたり、ピッチを変えたりして一つの作品を作っていくけど、本作もこれに近い。
なんつっても絵のレベルが高く、原作を読んでるのとあまり変わらないくらい精密に模写されている。もうこのコマだけコピペしてるんじゃないの?ってくらい。シリアス丸出しの画面に超くだらなーいセリフや笑えるツッコミがビシバシ入るから、笑ってしまうという。また、絵だけではなく、印象的なセリフ一つ抜き出して繰り返し使ったり、その抜き出し方が意表をついていたり。
ページをめくるともう違う話になってたり、むりに一本にしようとせずにネタの面白い部分だけ断片で出して、しかし断片ごとに妙につながっているという。いや、面白かったらつなげて、面白くなりそうもなかったらつなげないという、徹底して面白いかどうかだけで書いてる。手続きみたいな部分や、体裁を整えるために書かなきゃねって要素がゼロ。そのあたり、自分の画風を極力を殺したり、作品としての一貫性や完成度を考えなかったり、表現者としての自我滅殺的なところが凄いと思うのですよ。もう少しナルやエゴが入りそうなもんなんだけど完璧殺してるなーと。
後になるほど濃くなるのは、原作のコマの切り貼りコラージュてきな作風から、オリジナルの画面も描くようになり、さらにオリジナルな展開も作るようになったからです。これがまたギャグとしてではなく、オリジナルのファンだったら見たくなる「夢の対戦カード」になってて、原作の流れ上、直接対決することなんかありえないキャラ同士が激突するという。それはメインキャラだけではなく、ちょい役のやられ役にまで徹底しており、サウザーの足をナイフで刺した少年が全面的にフィーチャーされていたり、カサンドラでちょい役で出て来るターバンの拳王親衛隊の二人が身支度を整えるところで「早くしろよ、このデブ」とか喧嘩してたり、海のリハクと娘トウがラオウが好きだなんだで親子喧嘩はじめて、ヒューイだかに「そんなの家でやれよ」とツッコまれるとか。
絵は行徒さんという姉妹で描かれているようで、姉とか妹かクレジットが入ってます。巻末にお姉さんのスピンアウトの小品が掲載されているのですが、こちらはまともなスピンアウトの作品になってて、これもなにげに好きです。
[函岬誉] 嫁姑の拳
いわゆる古典的な嫁・姑の話なんだけど、どちらも格闘技の達人(義母は合気道師範、嫁は総合格闘技インストラクター)という設定だけが違う。はっきり言ってただの思いつきレベルのネタなんだけど、それをここまで拡大していくところが凄いですね。
絵は達者な女性漫画的なんだけど、ただ格闘描写が本格的です。嫁姑の当てこすりやイヤミの言い合いからバトルが始まるのだけど、両方ともレベルが高いから、見ごたえのある技の応酬になるという。「ここから先は拳で語り合った方がよさそうですね」でビシバシとバトルが始まる。
でも、旦那さんや子供に対してはいい奥さん、いいお母さんになって、ガラリと態度が変わるところがいい。要するに似たもの同士で実は一番仲がいいんじゃないかって裏の進行もあるのですな。いつも第三の敵が現れて、二人でタッグを組んで絶妙なコンビネーションで退治して大団円という。
しかし、謹厳な武道家でありながら、近所で下着ドロが頻発しつつも自分のパンツだけは盗られてないことになにげに傷ついている(そしてついに盗られてうれしがってる)お姑さんが微妙に可愛かったりして。
[塚脇永久×伊藤龍] 蟻の王
これはギャグなんだか、ヤンキー系暴力漫画なんだか、ようわからんけど、その混沌ぶりが独特な作風になってます。
日本を支配するドンと呼ばれる超大物の財閥当主、その落とし胤である主人公は、父親譲りの豪快な大器DNAを受け継ぎながらも本家にハブられて貧乏暮らし。抜群に強く、地元の極悪ヤンキーの恐怖のシンボルになってるってくらい、一巻でのキレ方がすごいです。命を狙いにきた地元の不良を返り討ちにするのだけど、なんの躊躇いもなく相手の身体に矢をバンバン打ち込んでいって、「卑怯?なんだそれ?悪者と悪者の戦いだろ、そこは正々堂々と卑怯にいこうぜ」と本気で殺しにかかるという。
それに故人となった大物(父親)の腹心の部下だった執事風のおじさん(スーパー強い)が、主人公の大器ぶりに惚れて仕える。だんだん周囲に、シリアルキラーのオカマちゃんとか、ヤバイ連中が増えて仲間になっていく。一方、本家の息子娘達は、後顧の憂いを断つために主人公の暗殺を図り、アンダーグラウンドに賞金首として流す。かくして両者の激突になって、、という話。
正直よくわかんない作品ですし、ギャグとして面白いか面白くないかも微妙なんだけど、なぜか読ませてしまう。スクリーントーンを多用した緻密で劇画調な画風なんだけど、描き込みすぎてなく、白い部分はバンと白く、意外と読みやすい。だから出ると読んでしまう。
キャラのヘンテコさとか異次元世界に強引につれていくような雰囲気や画風は「嘘喰い」にちょい似てるんだけど(執事の根古長吉と、嘘喰いの夜行妃古壱のキャラ=鬼のように強い上品な老紳士=も似てる)、大器ゆえの無茶苦茶な馬鹿パワー全開ぶりは本宮ひろ志作品につながるところもあります。だから本質はストーリー漫画なんだろうけど、話が陰惨な権力闘争になるだけに、その暗さを吹き飛ばすためにギャグが散りばめられているという感じでしょうか。
左が「嫁姑の拳」、真ん中が「蟻の王」、右が「カンタンキス」
[六道神士] カンタンキス
ギャグというよりもエロマンガですね。エロというよりも可愛い絵柄なんでエッチマンガくらいかな。全編エロっぽいので、別にここに紹介するまでもないかなと思ったのだけど、設定と結末のうまさ、特にタイトルの意味を明らかにする最後のページがよかったから。ああ、そういう意味か!と。
ITの天才である主人公の女性が、人間の意識や無意識と同調するプログラムを開発して、、って筋立てなんだけど、こんなのエロのためのもっともらしい背景だろと思いきや、意外にそうではなく一つのテーマをなしている。ラストに向かって、植物人間になってしまった彼の無意識世界にシンクロして、意地をはってる表層自意識の裏にある無意識の素顔同士で相思相愛になり、そして新婚生活を育む。人にとって、夢と現実の差ってなんだろう?という問いかけにもなっている。可愛らしくもエッチ絵柄(+内容)なんだけど、意外といい話だったりします。
もう開き直って一回で終わらなくていいやってことで、ちょい書きました。まあ、GWで時間あるからいいでしょ。
なんか一行紹介だけだと書いてて物足りなくて。
以下、次回予定。
→書き残したタイトル一覧
文責:田村