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今週の一枚(2017/03/20)



Essay 817:呪われた平穏な日々

 

 写真は、Central駅のバス停。Raiway Square。もうこんな鬱陶しい天気が延々と続いているわけです。




 引っ越してからこっち、やることなすことダメダメで天中殺的な状況にありました。ま、いっこいっこは大したことないんだけど、こうも重なると「俺は呪われているのか?」的な。

 なにかというと、まあ、聞いてくださいな。
 というわけで、今回はお気楽な日常愚痴娯楽編です。

ボンドバトル・資金繰り編

 まず前の家を出るときにボンド(保証金)の返還で揉めまくりました。細かな経緯は省略しますが、ボンドの返還どころか修理代などなど5000ドル以上請求されて、「てめ、喧嘩売ってるのか?」となって、アーギュメントになって。最後には「力業(ちからわざ)」。ごちゃごちゃ言うな、中取って折半でどうだ、痛み分けじゃあ文句あるかと、本宮ひろ志的に言って、保証金の半分で妥結。保証金の半分を現金で用意して、それを相手に見せて渡して話をつけるという「現金力」の勢いで。その際、ボンド返還をめぐる過去のNSW州の判例検索とかして勉強したし、昨今の建築費高騰でほとんどのケースでそういう問題が起きているという趨勢も知り、それだけで一本書けるくらいあるんですけど、でも、ま、それはそれ。あんまおもしろくないので(判例を十数本読んだ限りでは、最終的には”裁判官の胸先三寸”というのがわかったし)。

Fair Trading事件

 問題は実はその後の経過にあります。
 こちらのボンドは、大家でも不動産屋でもなく国が管理します。Fair Trading(消費者保護機関、公取委でもある)が保管して、大家と店子両方のサインのある紙を持って行くと返してくれるという優れたシステム。

 優れていないのは、事務がメタメタだという。説明によれば「2営業日」で指定口座に振り込むと書かれていたにもかからわず、振り込まれていない。次の日も来ない。

 おい、ええ加減にせえよ!ドン!(テーブルを叩く音)となりました。
 ちょっと焦ってたのですね。なにかっつーと、引っ越しであれこれ物入りだったので、なんでもかんでもクレジットで後回しにしていて、その決済がやってくるからです。家賃にせよ光熱費にせよ一定期間ダブルでかかるし、新規に揃えるものもあるし(ルーターとか、ローカル車の駐車許可とか)、こんなときに限ってビジネスネーム(商号)の更新期間はくるわ、カードの年間手数料がなぜかこの時期にひかれるわ、稼いでも稼いでも、過去の亡霊のような負債にもっていかれ、なんでこんなに金が無いの?という資金不足状態に陥りました。まーね、日本の蓄えをもってくればいいんだけど、それもなー、したくないなー、なんか負けるみたいで悔しいなー、しないで済ませられないかなーと。やってるうちに段々ゲーム感覚でムキになってきて(笑)。そこへもってきて、交渉の都合上、1000ドルちょいの現金を大家さんに叩きつけてしまったもんだから、ますます決済資金がない。まあ2日かそこらで入ってくるから大丈夫だ〜と思ってたのにこれが入ってこない。

 だから、おい!ドン!になったわけです。
 やりたくないけど電話して問い合わせる。音声入力で番号をいれつつ、8桁だか10桁だかのボンド番号を入力し、しばらく待つ。ちゃらら〜んという音楽が延々流れ、"thank you for your patience"という慰めの言葉が挿入され、また、ちゃらら〜ん♪。やっとつながったと思ったら、またボンド番号を言い、名前をいい、住所を言い、シェア探しで教えているように、”T for Teacher"とかスペルをいい、とやってて、やっと用件を話して、「OK,調べて見るからちょっとまってね」と言われて、ちゃらら〜♪音楽になる。長い。長いぞ。途中で変な混線してるよな音が入るけどいいのか?イヤな予感がするぞ。ちゃらら〜んはまだ続く。まだやってる。もう10分以上待ってるんですけど、、、

 で、"Hi, This is ○○ speaking, How are you today?"と違う人が出てきた。え?なにそれ、今までの会話はどうなったの?チャラになったの?と思うが、チャラになってしまったのだろう。この人に文句垂れても意味がない、とりあえず今は一刻も早く話を進めねばと瞬時に気を取り直して、また長いボンド番号を言い、名前を告げ、”T for Teacher”とやり、用件に入るのだが、2〜3会話が進むと聞こえなくなった。おーい、はろー、はろー、Can you hear me? はろー、どないなってるんじゃい?と思ってたら、唐突に電話が切れた。

 なんじゃそりゃあぁぁ、ふぁぁぁっっく!と呟いて、トイレいって気を取り直して、また電話をしてイチからやりなおし。ボンド番号入力して、ちゃらら〜ん♪音楽を延々聞いて、"Thank you for your patience"と心にもない謝辞を聞かされ、やっとつながって、また会話がある程度進んだら、ブツ、がしゃと、変な音がして、また、ちゃらら〜ん。

 もーね、これ、ホラー映画っすよ。堅牢だったはずの「日常」がじゅわじゅわと溶け出してきて、なんかシュールで理不尽な異次元世界にいっちゃってるような感じ。ハイキングで平和な村を訪れたら村人全員ゾンビでした、みたいな。

 結局、4人と話しました。1時間半かかりました。
 最後の人とは、いちおう終わりまで会話が続き(途中で、回線よ切れないでくれい〜!と念じまくってました)、「大丈夫、24時間から48時間以内には振り込みますから」という心強いお言葉。おっしゃあ、我慢してやった甲斐があったぜい!と思ったら、、、、

 数時間後にメールが来て、「支払いは2週間後」というお返事。おい!ドン!
 24〜48時間以内じゃなかったのかよ!何のために電話したのよ、1時間半の携帯料金返せよ、だから最初から電話したくなかったんだよーとか思うが、もういいやと。多分理由はわかる。開始したときの共同賃借人全員のサインがいるのだけど、十数年前の退去している人のサインとか集めるは面倒臭いし、非現実的でしょって問い合わせてたこともあり、その公告期間として2週間なのだろう、それはわかる。だったら最初からそう言えよっつーに。

 ということでアテにしていた2000ドル以上の運転資金が入らなくなって、決済資金はますます困窮。うおりゃあ、むむむ、おーとぉそれがあったか(忘れていた支払い)!しからば、これはどうだ?なんと!そうくるか?ならば、、、って、やりくり算段やっておりました。

 でもって心待ちにしていた2週間後の支払日。入金なし。
 翌日、入金なし。
 そのまた翌日、入金なし。
 おい、ドン!

 もー、フェアトレちゃんったら、かなんわー、ほんま隅から隅まで遊ばせてもろて、サービス精神旺盛すぎるやろ?だいたいFair Trading (消費者保護、公正取引委員会)へ苦情はどこにもっていけばいいんだ?

 で、また電話。今度はすんなり通じて、メールくれた人がライトパーソンだったこともあり、精確に状況を説明してくれて、翌日にゲット。ああ、疲れた、、、、。

 というわけで、キリキリとやりくり算段の綱渡り状態が延々続いておりました。
 そして、この不快な状態が通奏低音のように鳴り響くなか、以下のような出来事が次々に起こりましたとさ。

電化製品壊れるの巻

あわや冷蔵庫

 皆のヘルプもいただいて、あれだけ苦労して運び込んだ冷蔵庫が、ある朝、動いてませんでした。
 おーい、どうしたー?起きろー、朝だぞーって開けたり閉めたり、温度調節のつまみをいじくったり、しばらく放置したら自然に直るかとか思って放置したり(それで直る場合もある=単なるサーモスタットの調整とか)。でも駄目。おーい、起きろー、眠ったら死ぬぞーと雪山遭難的に胸ぐら掴んでパンパンと(比喩です)。でも駄目。

 しかし、これは1日くらいで解決しました。
 もしかしたらと思って、クソ重い冷蔵庫をまた一人で動かして、背面にあるパワーポイントを調べてみたら、そのスィッチが壊れてたのですね。違うパワーポイントから延長ケーブルで引っ張ってきて無事解決。
 後日、大家さん・管理の人が煙感知器の設置で訪れたときに言って、パワーポイントそのものを修理してもらいました。同時に聞いておかねばならないこと=ヒューズボックスの位置(昔ながらの碍子(がいし)という瀬戸物に針金を張るやつ=こっちではまだ多い)と水道の元栓の場所(絶対わかるわけない場所にあった)も聞いておきました。災い転じて福となすで、よしよし。

洗濯機臨死

 しかし、洗濯機がどうにもあかんです。電源いれてもつかん。おかしいな水平じゃないのかな、マイコンが狂ったのかなで、最初の数回は、電源プラグ外してしばらく放置でマイコンをリセットして再度トライすると稼働しました。おしおし、良かった〜と思いきや、今度は本気でうんともすんとも言わなくなった。

 オーストラリア初期の修行時代にあれこれやってた経験で、バラしていろいろ見てみたんだけど、やっぱ駄目。多分、スィッチパネル系だと思って、以前ルームランナーの接触不良を直したときと同じように接触部分を清拭すればなんとかなるかと思いきや、そういう問題ではないことが判明。

 結局駄目のまま。くそお、脱水用の延長ホースまで買ったのに。部品探してパネルユニットまるごと交換したら直るかもしれないけど、でもそれ自体がけっこうかかるし、そうと決まったわけではないから博打だし。

 とりあえずえっちらおっちら手で洗って、室内で適当に干したりするんだけど、これがまた異常とも言うべき梅雨みたいな雨続きだから全然乾かん。でも、ま、手洗いキライじゃないし、何日も汚れたまま放置して洗濯機にかけるくらいなら、着替えたらすぐに洗った方が良いに決まってるし、それもアリかなーと思っている今日このごろです。1〜2枚手洗いするだけなら数分で済むし、洗い直しも簡単だし。それより、この先またこの規模での引っ越しをするなら洗濯機要らないのですね。共同であるフラットも多いし、自分の洗濯機を置くスペースもないし、電気代かかるし。また、ぎゅーっとしぼるのが、握力養成トレーニングになることが判明して、結構楽しくハマってます。


クルマの件

 大事な用件がある日の朝、既にその頃には「なんか妙だぞ、変なことばっか続くぞ、もしかしてそういう時期?」と警戒警報が鳴ってたので1時間前にクルマを見てみる。バッテリーがあがってるとかあるかしらんし。バッテリーは大丈夫だったけど、なんとパンク!あちゃー!

 これも初期修行がモノをいって、あーもー!とか言いながら、ジャッキで持ち上げてスペアタイヤに交換して事なきを得ました。あとでクルマ屋さんにもっていって、路端の釘であることが判明(建築現場が多いのよね)。タイヤ購入交換までには及ばず、30-40ドルの簡単な修理で済みました。


 が、それでは終わらず。雨続きだもんだから、車内に雨が入ってしまって。最初は窓の閉め忘れかと思ったけど、なんかおかしい。あれこれ調べてみてもようわからん。一方サイドだけだし。水漏れとなるとラジエーターか、エアコンの排水ダクトがつまってるのか?でも、冷却水温は普通だし、おかしいなでこれも点検に出したら、やっぱようわからんとのこと。エアコンOK、ラジエーターOKで、おそらくはウィンドスクリーン(フロントガラス)の接着面が錆びたりしてそこから漏れてるかも?ということで、これはパネルビーター(板金屋)さん管轄とのこと。しかし、そこまで金かけて直すほどのものかなー、もういい年だからなー、買い換えるというか、もう要らないんじゃないかなーと思案してます。2台あるし、1台は売っちゃってもいいなーと。ほかにもマイナーだったり、すぐに直ったりという細かな「あれ?」が幾つかあって潮時かなと。でも、まあ、走るだけならすごいよく走るクルマなのですね。ステアリングもブレーキングも実に快適で。どうしたもんかと。

 ここ2−3週間、腹が立つくらい雨ばっかだということもあり、ガレージに安置しつつ、せっせと公共交通機関を使ってました。なんか今運転したら事故って死ぬような予感もあったし(笑)。

 でもね、クルマ生活ばっかだったので、バス電車ライトレールの生活は、なかなか新鮮ですねー。再開したWalkingもあり、カミさんとランチ食べたりもありで、先週なんか27回も乗ったのだけど、Opal Cardの60分特典をフルに享受して、トータルでは30ドル70セントでした。1回100円くらいね。60分特典の乗り換え2ドル引きは結構デカく、10セントや5セントでバス乗ってましたもん。こういうのって自分でやってみないと分からんよね。

その他あれこれ

お金落とした事件

 これはねー、数百ドル消失という経済ダメージもさることながら、記憶によれば実に37年ぶりにお金を失くしたという画期的な。まあ、理由は分かるんですよね。出先で、不慣れなことやって、ダンドリがルーチン化されてなかったからです。携帯出したりしまったり、あれを取り出したり、これをしまったりって一連のダンドリが重なったり、入れておくカバンの場所が未確定で気分でやってたりすると、注意力の限界を超えるのですね。だから別におかしいことではない。が、やりくりタイトロープのさなかでもあり、37年ぶりってこともあり、「呪われてるのか」感はハンパなかったですけど(笑)。

ロックアウト事件

 これも馬鹿な話なんですけど、オートロックの自宅で締め出されてしまったというありがちな。ありがちなだけに気をつけていたんだけど、全ての事故に共通するけど、ひょんなことから「あ!」になるという。幸い財布は持ってたから、カミさんの事務所までいって、スペアキーを貰って、それをまたレプリカ・コピーして、事なきを得ました。

 でもって、次回のためにコピーも2つ作って、こーなったときはこうするとか、あーなったらこうリカバーするとか、今後のための準備を仕込んでおきました。

行くと無い事件

 大体ダメ時期というのはそうですけど、何やってもアテが外れる。買い出しにいったら常に品切れ。
 新生活なんで、これもいるなーで買いに行くし、Daisoが近くにあるので(Central Park)行くんだけど、「これは絶対あるだろ?」というモノ(キッチンタイマーとか、流しの栓とか)が、不思議なことに常に品切れ。最初は、なんでじゃあ!って感じだったけど、しまいには「あそ」と無感動になってきました。

 これもグッド・ニュースがあって、キッチンタイマーに関して言えば、引っ越しの際に紛失したと思いこんでたら、意外なところから出てきました。だから買わなくて(品切れ)で正解とか。

 あとはねー、Opal Cardをtop upしたけど、全然その旨の表示がされない事件とかもあったなー(自然解決したけど)。そんなこんなで、マイナーなハプニングが日替わり定食のように毎日生じていたのでした。もう金は無いわ、雨ばっか降るわでサイテーだわーと。

まとめ

なにひとつ「不運」なことはない

 総じて言えば、別に何一つ不思議なことがおきているわけでも、運が悪いわけでもないです。
 全ての物事がそうであるように、起きるべくして起きている。客観的にはそう。

 引っ越し〜新生活で全てのパターンが変化する、その変化期においては、寒流と暖流がぶつかってしのぎ合うような、三陸沖の潮目のような状態になる。特にこれまで19年も同じパターンが続いてて、そこを変えるわけだから、その変化が日常生活の細かいところに浸透していき、新たなパターンを構築するまでの一定期間、勝手が違うがゆえにガタピシ異音が鳴ることは、なんら不思議な話ではない。仮縫いした洋服を試着して袖丈を直すように、何度かトライして、試してみて、スムースにアジャストすればよいし、それは必須の工程ですらある。

 上に述べたあれこれも、一つ一つを取り上げてみれば、そんなに理不尽な不幸があったわけではない。家電製品も壊れだしたら玉突き衝突のように他もどんどん壊れるとかいうのは、誰もが言うくらい普通の話。洗濯機も、よくよく過去の記録を調べたら2001年に買ってるから、もう16年も使ってる。それもゲストルームやってたことで皆の分もガンガン使ってたわけですから、別に壊れても不思議ではない。

 また、ちゃらら〜ん♪事件は参ったけど、しかし、オーストラリアの日常風景でさして珍しくもない。むしろ"Business as usual"といっても良いくらいで。

ちなみに〜I am not alone

 ちなみに、Problem: Opal Top-Up Pending Collection ? RIP, my Opal Cardというタイトルのブログ記事がありました。ここではOpal Cardでリチャージ(top up)したのに、そうならないというカードバグの事態をめぐっての体験記が、異様なまでの執拗さと正確さで描かれていて、参考にもなり、笑えもします。

 参考になるというのは、カスタマーセンターに電話したときに音声指示メッセージが全部正確に記述されていることです(しかも全部録音されてその音声データーすらリンクをクリックすると聞ける)。これだけの英語を正確に聞き取れないと電話ひとつかけられないという意味で、いい参考になります。

 そして、それを楽勝でクリアできる英語力があっても事態は何一つ改善されないという冷たい現実を知る意味でも参考になります(笑)。いや、もう、このアーティクル、僕のエッセイよりも長いし、写真も豊富で、よく調べてて感心します。よくみるとNSW大学の博士課程(理系)を卒業した27歳の方で、普通に書いても科学論文のようにしっかりしたフォーマットになってしまうのでしょうね。が、そこまで優秀であってもドツボにはまることからは逃れられないのだという意味で、参考になります。みんな苦労してるのよね〜。

 面白いから音声応答メッセージ部分だけ抜書きしましょう。タックしておきますが、カスタマーセンターへの最初の電話の部分って、こんなに長いんですよー。
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主観は常に狂う

 さて、話を戻して、何一つ不運はないのだという話でした。

 客観がそうだとしても、しかし、それが重なって、それもうんざりするほど連続すると、主観の方がだんだんやられちゃうのよねー。私は呪われているのか?感に陥る。

 好きな言葉で、ここでもよく引用していますが、「絶望の虚妄なるは、希望が虚妄なるに等しい」という魯迅先生のお言葉があります。希望というものは、「希望的観測」というように、自分の勝手な、都合のよい思い込みで成り立ってたりするわけですね。こうなるといいなーという。そのゆるふわパーマのようなアテにならないふわふわ感は、なんとなく分かる。「そんなに上手いこといくかいっ」っていうセルフツッコミも入れられる。でも、「もうダメぽ」の絶望感というのは、希望に比べて多幸的ふわふわ感がないだけに、やたらリアルに感じる。もう絶対に動かせない確定現実、ドーンとそびえる岩盤のように感じる。でも、これもアテにならないのよね。希望的観測があるなら、「絶望的観測」もあるのだ。勝手に悪く考えて、勝手に決めつけて、勝手に落ち込んでいるというアホアホな。

 まあ、それでも運不運はありますよ。なんの落ち度もないのにひどい目に合うという。道を歩いてたら、いきなり通り魔に刺されて死んじゃうとか、UFOに乗った宇宙人に拉致されてどっかに連れて行かれてしまうとか、それは確かに運が悪い。嘆いても良い。

 だけど、多くの場合は、起きても全然不思議ではない事柄です。自分と同じ状況に陥ってる人が他にいくらでもいるならば、自分だけが不幸ではない。やれフラれましたとか、受験で不合格でした、クビになりましたっていっても、人類史上、自分だけがフラれているわけではもないし、前代未聞の大事件が起きたわけでもない。てか、ほとんど誰でもどっかで経験するようなことである。

 でもね、「ほぼ全員が経験するような出来事」って「不幸」なのか?
 ほぼ全員が経験するようなことだったら、遅かれ早かれいずれは自分も経験するのだ。それがたまたま今日だったというだけの話で、それは不幸感あるだろうけど、じゃあいつだったらいいのよ?小学校のクラスの予防注射のようなもので、全員がやらされるなら、いつだったらいいの?トップバッターだったらいいの、ラストだったらいいの?大差ないだろ。だとしたら、それは理不尽なものではないし、客観的にも「不幸」ではない。主観的に不幸感満載だろうが、それは単に「不愉快」なだけであって、不幸ではない。

 しかしながら人の常で、自分の損失はオーバーにギャーギャー訴えたいという傾向があるから、ただの不快感情を大袈裟に、意味深に捉えたがるのではあるまいか。誰しもが何らか形で経験する、起きて当然のありふれたことでありながら、あたかも、あってはならない事態が生じ、自分はその悲劇の主人公であり、なんて不幸なんだと思う。それは、「なんて可哀想な私」という裏返しのナルシズムであり、自意識過剰であるのかもしれない。

 かといって、僕はそれを非難する気はないです。
 てか、ギャーギャ―言え、弱音は吐け、愚痴は言えと思う。
 言えば言うだけ浄化され、バランスが回復するから。想念というのは、頭の中で育ち、頭の中にいるときは無限大に膨張する。しかし、言葉にして吐いて、外界に出してやると、「え、こんだけ?」というくらいチッポケなものだったりもする。鬼太郎の漫画で、恐ろしげな妖怪を退治したあと、地面に落ちた萎びたナメクジみたいなのを指して、「これが○○の本体じゃ」と目玉親父が解説しますが、そんな感じ。出してみたら分かる。また、頭の中で巨大化して暴れまわってると気が狂ってくるので、外に出してやるとそれだけ脳内がクリーンになります。だからギャーギャー言えと。カウンセリングの効能の一端は、多分ここらへんにあるのでしょう。

 また、自分に関することで、その出来事が生じた原因の一端に自分があるなら、それは自分から招いているのであり、いわば自業自得。ハンパなく不愉快に感じるだろうが、しかし理不尽でも不幸でもない。絶望する必要もない。別に自分が呪われているわけでもない。それは「呪っている人」という外部に、自分のミスの責任転嫁をはかっている姑息な行為と言えなくもない。そんな虚しいことをしてるヒマがあったら、多くのミスというのはなんらかの構造的な原因に基づくのだから、それを解析して未来を向上させればよい。健康診断と同じで、身体に不快感を覚えるからこそ、早期発見早期治療が出来る。これが全て「沈黙の臓器」的になんの不快感も伴わなかったら、それは楽ではあるが、その代わり、ある日突然死ぬことになる。

 いずれにせよ、従来と違うパターンの新しい出来事が起きている。だから従来のパターンでは処理できなくて、不快に感じたり、困ったりもする。しかし、それは同時に、これまで見えてなかった新しい風景が見え、新しい可能性が生じていることでもある。失われた分、得ている。というか、新しいモノを得ているからこそ、古いものがトコロテンのように押し出されて失われているだけのことなのだ。

 というわけで、上のあれこれの呪われた出来事も、一つ一つは全然珍しくないし、起きて当然のことが起きただけの話。呪われているかのような日々でありながらも、でも本当はとても平穏無事な平和な日々でもありましたって話でした。




Chatswood駅のざんざん降り


どよよ〜ん


でも、こういう梅雨の晴れ間のようなときも。場所はUltimo。


雨上がりは風情あります。Glebe


晴れたようで、しかしスカッとは晴れてない、すぐに曇ってまた降り出す。


Waverton駅


これは昨日。スカっと晴れてるように見えるが、実はこの30分前は土砂降りだった(いた場所は違うんだけど)。




 文責:田村




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