今週の一枚(2016/12/12)
Essay 803:永住権における「お勉強至上主義」の盲点
「コネ採用」の本当の意味
写真は、CrowsNestのクリスマスの飾り付け。なかなかきれいだったので、あれこれトライして撮ってました。
永住権獲得までの基本構造
今週は時間がないので駆け足でいきます。なにごとかと人生で行おうとするとき、例えばオーストラリアで永住権を取ろうとかいうとき、多くの日本人(アジア人一般といってもいいが)、まず大学や専門学校に行って資格を取って、就職して、スポンサーをみつけて、(457から雇用者指名などを通じて)永住権ゲット!ってルートを考え、まずは高い学費を払ってどっかの学校に入ることを考える、、というのが一般的だと思います。
でも、それ違うと思うぞ。
何が違うかというと、それだけのお金(場合によっては1000万円以上)を払って、バイトと勉学で過労死寸前まで頑張りまくって、じゃあ永住権が取れるのかというと、その保証は全く無い、ということです。それも100%の保証ではない=95%かもしれないってレベルではなく、(職域にもよるが)限りなくゼロ%に近いという場合もありうるということです。
そして加えるならば、もし最後まで行きつけなかったら、それまでの投下資本(お金と労力と時間)は全部無駄になるという、かなりリスキーな博打であるという点です。そこがとことん判ってるのかなー?というと、かなり疑問だったりします。
確かにそれで永住権取れる場合もあります。その昔のシェフコースのように、卒業(+900時間以上の実務)すれば自動的に永住権をくれるという時期もありました。でも、スキル・セレクトが導入されて以降、卒業=就職=永住権という等式は崩れています。せいぜい1年半のオマケのような就活&労働期間をくれるくらいです。これも「働いてもいいよ」というだけで、仕事がみつかる保証まではしていない。
永住権の一連の過程で、どこがクリティカルな(致命的に大事な)ポイントかというと、「スポンサーしてくれる人を見つけられるか」だと思います。このライトパーソンに出会うかどうかが全てだと言ってもいい。もしライトパーソンに出会えなかったら、それまでの苦労は、こと最終目標に関していえば完全に徒労ですし、むしろ(時間とお金で)大損ぶっこいたとも言えます。
線をひかれると走り出してしまう日本人のサガ
でも、なんとなくお勉強ルートがあると、盲目的に走りたくなっちゃうんだよねー。それが日本人のサガであり、アジア人のサガのような気がします。この部分についてもう少し敷衍しますと、特にスポンサーとか騒がなくても永住権が取れてしまう職種もあります。看護師とか、歯医者とか(最近は歯医者はそうでもないようだが)です。看護師がそうなのは、オーストラリアで慢性人手不足で、且つレジスタード・ナースになりうるだけの資格があるということは、即戦力になりうるだけの実力経験もあるということであり、そこまでいけばいちいちスポンサーとか面倒なことを言わなくてもよい。実質があるから(すぐに就職できるから)です。その代わり、本国でのナース経験はいるし(ゼロだったら事実上現場でかなり苦労しそうだし)、本国の資格をコンバートするためには、鬼も裸足で逃げ出す英語難関であるOET(IELTS7以上相当)を受けなきゃいけないし、業界ごとの資格審査試験を受けないとダメだし、また審査を通るためには指定のカリキュラムをやらないといけないしで、そこまでやらされてれば、実質的に即戦力レベルまでいっちゃうからでもあります。
んでもそんなのは一部であって、多くの仕事は、卒業とか資格で即就職が可能になるかどうかはわからないです。卒業・学位と就職の間には距離がある。それもかなり巨大な距離がある。
そもそも西欧における「キャリア」とは、学歴ではなく「職歴」のことを言います。だからこそ、日本と違って新卒が一番就職しにくい。もう「普通に無理」ってくらい就職できない。大体が「同種経験が最低3年以上あること」だったりしますからね。そうなると、実務経験がないと採用されない、でも採用されないと実務経験がつくれないという"Catch22"と言われる矛盾がある(だからこそインターンという無給キャリア獲得方法が苦肉の策で生み出された)。よくこのHPでも書いている「悪魔のニワトリ・卵」です。オーストラリア国民でさえそうなのですね。さらに外国人にとってキツイのは、求人広告の大多数(過半数とかいうレベルではなく100%にちょっと欠けるくらいというレベル)は、「永住権を保持していること」が採用条件になってます。もう悪魔×悪魔の自乗ぶり。
だから勉強→卒業・資格取得→就職っていうけど、最後のステップは平坦で舗装された道路ではない。幅10メートルくらいある断崖絶壁になってて、そこを超えるには「うおおおおおお!」とドドドと助走してきて、「うおりゃっ!」で一気に飛び越えないといけない。そんなの誰もが出来るわけではない。実際、英語完璧×ビザ完璧(国民だもんね)のオージーの若者が苦戦しているのに、そのどれもが劣っていながら、ほいほい仕事なんかみつかるわけないですし、実際にも見つかってないでしょう。
と、書いてはいるものの、今、僕は膨大な資料をもとに一件一件緻密に分析して言ってるわけではなく、大体のカンドコロとして書いてるだけです。そのへんのオヤジが道端で世間話してるようなものですからね、間違いも大いにあるでしょう。その点、懐疑的に読んでくださいねー。
でもなー、なんぼ考えてもそんなに平坦な道になってるはずがないと思いますよー。
なぜなら、考えてみればわかりますが、もし卒業=就職→労働ビザや永住権にストレートにつながっているのであれば、各専門学校、大学、TAFEなどの留学生卒業生のうち就職を希望する総数分だけ、オーストラリアの雇用が増えたり、あるいは労働(457)ビザや永住権発行数が増えてなければならない筈です。しかし、言うまでもなく、職の有無や数は、その時点でのオーストラリア国内景気によって左右されるのであって、学校セクターの卒業生数がファクターになるわけではない。また、ビザはオーストラリアの国策によって決まるところ(各産業の人手不足を補完する)、これも学校側の都合を斟酌して決めているわけではない。
もし、留学卒業生数とビザ交付数が緊密にリンクしているのならば、逆に、年間のビザ発行数に応じて新しい学校・コース(儲かるとなると雨後の筍のようにどんどん出来ている)の許認可をすべきではないってことになるけど、そんなことをしている雰囲気はない。そして、リアルにいえば、学校が増えてる実感あるけど、ここのところ457ビザの発行数自体は減ってるんですよね。永住権の総数にしたって別にそれほど増えてるわけではない。さらに年間すべての学校の留学卒業生の総数と、独立移住永住の総数と比べてみればいいです。正確な数字は探せば出てくるでしょうけど、腰だめの感覚でいえば全然数は合ってないと思います。それに永住ビザのメイン部隊は、バリバリにキャリアを積み上げてきた世界各国、あるいはオーストラリア現地で10年近く頑張ってきた猛者達が占めてるはずで、ぽっと出の卒業生の出る幕なんかそんなにないはずです。
Early Childhood Teacherの例
一応数字らしいものも出しておいた方がいいかもしれないので具体例を示します。例えば幼稚園の先生(保育士や幼稚園教諭)のEarly Childhood TeacherがSOLにリストアップされてます。SOLとは”Skilled Occupation List”の略で、オーストラリアで戦力補強が必要な業種みたいなもので、ここにリストアップされている職業でなければ、永住権を取得できないです(もっと広いCSOLもあるが話が複雑になるので省略)。そして各職業ごとにOccupation Ceiling Listというのが設定されてます。シーリングとは「天井」のことで、上限です。日本国の予算編成でも、各省の概算要求の上限を設定するのに「シーリング」という言葉が出てきます。ここでは、年間その職種で永住権を発行する上限を決めるものです。この数字は、センサス統計によるオーストラリア国内の各業種の割合比率から出してるだけで、その人数分だけ人が欲しいってわけじゃないです。ただ、一つの業種に永住権取得者が集中して国内の産業人口バランスが悪くなったらまずいので、なんぼなんでもこれ以上は要らないよという業種間の相対的な理論値みたいなものでしょう。
これでみると、保育士さんの上限は1822人の枠があるのですが、Invitation(永住権当確の招待状)を交付したのは未だわずか95人に過ぎません。アカシアというビザエージェントさんのページに去年と今年のシーリングの変化を表にしてくれてますが、保育士さんの上限人数は増えているんだけど、でも実際には135人しか永住権を取得してない。歩合9.5%です。まあ、9%も取れたら業種的には悪くないのですが、しかし、年間100人ちょい。この中には、英語に問題のないイギリス人やNZ人で本国で保育士歴10年なんて人も結構いるでしょう。一方、オーストラリア全体の専門学校のEarly Childhoodの留学生卒業生の総数が、わずか100人前後ってことはない筈です。
ということは?ガッコ行って、Diplomaなり学位を取って働けるようになったとしても、全員が就職までいきつけて、且つビザのサポートをしてもらうところまで漕ぎ着けられるわけではない、ということでしょう。てか、大まかな感じでいえば殆ど討ち死にじゃないかなー。正味のころは正確なフィールドワーク調査をしたわけではないので言えませんが、漠っとそう思うだけの理由はあります(これも後で現場論で述べます)。
永住権全体の傾向
一方、移民局のWEBを漁って、Report on Migration Programme 2015-16 (621KB PDF)というのをダウンロードして見てみました。直近の統計によれば、オーストラリアの永住権発行数は2015-16年でざっと19万件。うちスキル関係が12.8万で大部分を占め、あとはファミリー(結婚とか)関連が6万ばかり。
さて、このスキル関係永住数のうち、37.5%(4.8万)が雇用者関係(うち75%は雇用者指名、25%が地域スポンサー)です。雇用者関係ではないゼネラルスキルがそれよりもやや少ないくらいです。そして雇用者関係のうち圧倒的大多数がオーストラリア国内申請であり、逆に独立移住の王道ビザの申請の過半数はオーストラリア国外申請です。口でいってもわからんので、その分の図を切り貼りしておきます。
一番下が雇用者関係ですね。その次はPartnerだから婚活成功組(けっこういますねー)。そして下から3番目がSkilled Independentという雇用者サポートなしの独立移住です。
えーと、これは何を意味するか?というと、特に雇用者にサポートしてもらっていなくても取れる独立移住の過半数は、既にキャリアばりばりの国外申請者によってなされているということであり、オーストラリア国内からは圧倒的に雇用者にスポンサーされている場合が多いと。ならば、国内においてビザ活やるなら、やっぱサポートしてくれる雇用者が大事ってことでしょう。また、雇用者指名まではしてくれなかったとしても、それまでのオーストラリア国内での稼働実績をもとに独立移住の申請をする人も多いでしょう(国内実績があれば通りやすいでしょうし)。いずれにせよ、今現在の日本のキャリアでリーチ一発がかけられるなら別ですが、多くの場合はオーストラリア国内で泥臭く雇用者選びを頑張らないといけないんじゃないかな〜って思います。
ちなみに永住権ゲットの国籍別でいえば、一位はダントツにインド(4万人)。次に中国(2.9万)。4対3の割合でインドが多いわけですな。実感としてもうなづけます。3位が英語に苦労する必要がない(いいなー)イギリスで1.9万。次がフィリピン(1.2)、パキスタン(0.67)、ベトナム(0.53)、以下ネパール、アイルランド、南アフリカ、マレーシア(0.42)と続き、もう圧倒的にインド亜大陸の時代で、中国やアジアはもう頭打ち。で、肝心のJAPANは全然載ってません(泣)。4200人以下であることは確実だけど、何人くらいなんすかね?ここまで日本人のサンプルケースが少ないと、日本人の話を聞いて、誰それさんがどうしたとかいっても、あんまり意味ないかなーって気すらしますね。聞くならインド人に聞けって感じ。
以上大雑把にいえば、技術系(家族系や難民系ではなく)で永住権を取ろうと思ったら、
(1)本国で世界に通用するキャリアをばりばり積んで国外からリーチ掛けるか、
(2)それか現地に来てよい雇用主を探し当ててサポートしてもらうかってのが、
大きな戦略になると思います。絶対そうなるわけではないが、数からいけばそれが主流になるだろうし、理屈からいってもうなずける(独立移住は直近過去の就労年数で点数が決まるからのんきに留学してるとキャリアが消えるという事情もあるし)。
就職できるのか?
で、問題は、卒業して就職できるか?ですが、業種職種によるが、いきなりはまず難しいでしょう。485のGraduate visa18ヶ月、あるいはPost-study work stream の厳しい要件に合致して最長4年まで頑張るかです(もっとも4年はクソ難関な博士課程卒業者で、3年は研究系の修士号、あと(バチャロー(学士)と課程系修士)は2年です)。
まあ、考え方としては、とりあえずガッコに行って2年頑張って、そのあと1.5年なり2年の就活ビザを取るわけですが、しかしなー、、、と思うのですよ。だって、卒業したエリアの資格や学位がそのまま就職に通用するわけでもない。理系のすごいニーズにある研究職とかだったらアリかもしれないけど、MBAみたいなゼネラルなことや、あるいは勉強・資格と現実が乖離している業界(あとで述べます)は、あんま関係ないんだろうなー。でもって、大学院の費用ですけど、これはピンきりですが、安くても年間200万はするでしょう。今たわむれにシドニー大学の環境科学(時代的に受けそうだし)をみると、留学生の場合、年間4万3000ドル(400万円)くらいという激怒プライスで、これが2年で800万円。その他なんだかんだで1000万くらいのビジネスですね。しかも勉強しんどくてバイト時間も限られるだろうから、生活費のゆとりも欲しい。
現場の機微で言えば、要は「いい人と出会う(よい雇用主を見つける)」ことに尽きると思うのですよ。そして、それは勉強だけやってても、まず無理でしょう。特殊な最先端テクノロジーの領域で、学問の最先端がイコール企業の活動部分に直結してるなら話は別ですけど、そうではない一般的な領域である場合、「大学で習ったこと」と「カイシャの現場で必要なこと」は大体において違います。
そしてこちらの企業は日本の昔の企業のように、素材だけで選び、あとはゆっくり育てるのではなく即戦力が欲しい。だから新卒者地獄になるわけで。だもんで学問的な業績そのものよりも、実際のその企業の職務現場にその人を置いてみて、「うん、こいつなら来てほしいな」って思ってもらえるかどうかが大事で、それが全てだともいえます。そこの判断は、習った知識や資格などよりも、あらゆる側面での人間力になるでしょう(地頭や性格の良さなど)。それに加えて英語力ですね。大学院行けるくらいの英語力があっても現場ではボロカス言われるでしょうし、またここまでくれば、語学力というよりも、総合的なコミュ力になるでしょう(ちょっとした気づかいのある英語の言い回しができるかとか)。
そして、あなたを評価してくれそうな人がいたとしても、どうやってその人までたどり着くか、そしてその人の前で自分の真価をどうやって発揮するか、あるいはそういう現場の千変万化する英語表現をどう身に着けるかです。結局ココに尽きるだろうと。
いわゆる一般的な永住権サイトや留学案内のサイトを見てると、ここの記述が少ないような気がするのですよ。「○○コース終了後、ビジネススポンサーを見つけて」とかさらりと書かれてますが、これがどれだけ難しいか?僕の感覚では、一連の過程の難易度の70%以上はこの部分の出会い系にかかってると思います。そして、いかにして良いスポンサーを探すかという方法論については、殆ど書かれていない。まあ、留学やビザエージェント的にはそこまで書く必要はないのかもしれないけど、でもそういう情報も必要なんじゃないかなとは思います。でもって、一括パックにしても、その後のA僑やオフ会などについても、僕がやってることは、全てその一点にフォーカスしていると言っても過言ではないです。理屈の上でルートがあっても意味ないんですよね。実際に結果が出せなければ。そして結果を出すために何が必要か?です。
では、どうしたらたどり着ける?ですが、結局は現場に飛び込んで揉まれてくるしかないでしょう。一般的に求人サイトなんか、殆どが門前払いでしょう。それに「言い訳求人広告」も多い(自分のところの人にビザをスポンサーする場合に、市場テストといって地元オージーに求人をかけたけど良い人がいませんでした(オーストラリア国民の仕事を奪うのではありません証明)のために、最初から雇う気なんか全然なくてカタチだけ求人広告を出しているのがたくさんあります。だから、ネットでそんなの見てても時間の無駄ですわ。
やっぱ「現場」しかない。現場力が物事を制する。その業界の人達と知り合うなら、その業界に飛び込んでいって、見学させてください、話をきかせてください、お手伝いできることがあればなんでもやりますとかなんとかいって、知り合い増やして、コネを広げていって、実際に自分を診てもらう機会を増やし、ひとつひとつステップを積み上げるようなやりかたが結局は一番早いと思いますね。
でもそういうことって、「学校のお勉強」からしたら対極にあるようなスキル領域です。むしろ中卒の現場系や、営業バリバリ系の人の方が強いです。ちょっと前に書いたオタク系かヤンキー系かでいえば、お勉強はオタク属性がモノをいうけど、こういう現場系はヤンキー系がモノをいいます。ヤンキー属性のない人には難しいよ。それは、「やあ、どうもー!」っつって知らない人の中に入っていく力です。それが自然に出来てしまう、周囲に違和感を与えない空気感をまとうこと。これがお勉強やってても身につかないっす。で、お勉強コースを選択した人が、卒業後2年くらい貰ったからと言って、リーチまでいけるかどうかっていうと、結構微妙だと思いますよ。てか、最後の2年ギリギリで仕事が見つかっても次に繋げる時間的余裕がないし、だとしたらできるだけ早い時期に見つけたいでしょう。でもって、最初の半年鳴かず飛ばずでイヤになっちゃうかも。「スポンサーをみつけて」とか言っても、勉強と違って努力と結果が必ずしもコンスタントに正比例しない世界だし、それは勉強が出来る技術よりも「異性にもてる」「事業を立ち上げる」技術に近いです。
もともと勉強以外にその種の才能がある人だったらいいけど、でも才能がある人だったら、別に大学など高いレベルのガッコに行くまでもなく、ついていきなり「どうもー」ってやってた方がいいじゃないかと思うし、実際そうするでしょう。つまり、そのへんが上手な人、人生世渡りが上手い人というのは、「手なりで勝負」でやるはずです。「まず資格を取って」とか考えない。そんな先の見えないことはしない。まず目の前の人間関係を豊かにふくらませ、そのなかから勝機を掴み、そして最終過程までに資格その他が必要だったら、その時点で考えるってするでしょう。実際、何がどう転がるかわからないのですよ。全く考えてもいない領域でジョブオファーがあるかもしれないし、それが大きな人生のチャンスだったりもするわけですからね。最初に決め打ちしちゃったらそれを見逃す。
お勉強至上主義
でもこんなこと、ちょっと考えたらわかりそうなものです。でもなぜか考えない。なぜ考えないのか?そこで思ったのが「勉強至上主義」「勉強幸福主義」とでもいうべき、子供の頃から「無目的に」「お勉強しなさい」と言われ続けてきた弊害かもしれません。なんだか分からないけど、お勉強をするのはイイコトだと、それが無駄になるはずがない、かならず天国に通じる筈だと。それ以上、実際のメカニズムや構造を掘り下げて考えたり、緻密に予測をたてて、変数値が多すぎるので複数プランを同時並行で走らせるとかいう手法にも疎い。もう信じる者は救われる的な、宗教といってもいい。何度でも言いますが、知的好奇心の満足という学ぶことそれ自体が目的になってる場合は格別ですが、そうではなく生計なり人生の成功を最終目的にしている勉強であるなら、最初から全部の工程を大雑把でもいいから検討すべきでしょう。勉強するとか資格を取るとかいうのは、全工程のうちの半分以下である場合が多いです。実際にはそれからのほうが大変。
資格についても、医者と弁護士が最強資格だと言われますが、どっちもキビシーです。僕の頃はまだ超難関時代で、人間やめるくらい勉強しないと受からなかったけど、その代わり受かったあとは大体OKだった。それでもね、弁護士やってボスから教わったのは、「接客技術」や「営業活動」の重要性ですよ。独立零細事業者だもん、お客あってのビジネスだもん。顧客層を広げるために、皆さんあれこれやるわけです。客を付けるというよりも「ファンを増やす」と考えろとか、能力的に信頼されるのは当然だとしてもそれでは足りない。人間的に惚れられなくてはならないとか。そのために、業務処理とは直に関係ない部分が結構大事であるとか(愚痴をじっと聞いてあげるとか、飲みに行くとか、わざわざ相手の家まで訪問して熱意を示すとか)。自分にカリスマ性を帯びさせるためのノウハウとか=といっても特別にそんなもんなくて、要はいい意味でどんどん地を出すことであり、地で勝負できるくらい自分の素地を高めていくこと、また取り繕わない、誤魔化さないで人と接するように心がけるとか。人だったら誰でも持っている虚栄心やナルシズムをいかに殺すか、中和させるかとか。
どんな資格、どんな業界でも同じだと思いますよ。そんな勉強や資格一発でメシが食えるほど世の中甘くないよ。でも、それは誰でもやってることであって、別に不可能なことでもないですよ。てか、ある程度それが出来なかったら世間渡ってメシ食えないでしょうが。
ではそれは何処で養われるのか?といえば、日々の生活全部です。そこには本来の勉強をやってる過程も含みます。そこで資金が続かずバイトをやってるとか、ビンボー生活が上手になるとか、何度も何度も打ちのめされながらもそれでも希望を捨てないタフさであるとか、やっていく過程でそれをゲットし、また実務をこなしていく日々のなかで、日本刀の精錬のようにガッコンガッコン叩かれるわけでしょ。あれこれやっていくなかで、世間の機微について学び、人間についての洞察を深めると。
一連の過程を過ぎてみれば、結局その部分が一番大事で、なんのことはないお勉強至上主義ではないのです。お勉強はイイコトだし、必要なことでもあるけど、でも至上ではないよ。そして企業も馬鹿じゃないから、それはよく知ってる、実際に仕事を切り回すにおいて何が一番大事なのかを知っている。だから就職採用においてもそこを見てるし、ビザをスポンサーするかどうも、そこが要点になるでしょう。金ピカの資格を持ってても、現場ではまるで使えなかったら誰もスポンサードなんかしないでしょうよ。「お前といっしょに仕事をしたい」と誰かをして言わしめてナンボです。それがついに出来なかったら、結局一連の過程は水泡に帰する。まずそのことを最初に理解すべきだと思うのです。とりあえず学校に行って〜とか、それはいいんだけど、「とりあえず」とか言ってて学校しか考えない、苦手な出会い系は卒業するまで考えないとかじゃダメで、もう学校が始まる前からそれに取り組まないと、少なくとも考えておかないとならないと思います。
沖を漂流している人が懸命にブイにすがりつくように「とにかく資格!」とか思ったりもするけど、資格を取っても、だからどうした?ってケースがほとんどでしょう。その資格を取って、それから実際に生計が立つまでどういう過程があって、どういうメカニズムや背景事情があって、それでどうなるのか?そこはリサーチ可能だし、そんなことは資格を取る前に調べなければならないでしょう。でないと、金ばっかり払わされて、最後の最後でぷつっと途切れるケモノミチを進む羽目になる。ケモノミチって、最初は結構広くて普通の道のようにみえるんだけど、だんだん心細くなっていって、しまいには消えてしまうという。
でも、実際には「道」なんか何処にもなくて、どっかでは「道なき道を進む」という自由でパワフルなことをしないといけないですよねー。マニュアルなし、お手本なし、指針なしの無重力空間みたいなエリアがあって、そこをどう進んでいけるかが、かなり大事なポイントになると思います。
就職の実際〜コネクションの意味
オーストラリアの就職は、それが良い仕事であればあるほどコネ採用の比率が高いとか言われます。これも正確な統計数値があるわけではなく、いわゆる街の噂というか、アネクドータル・エビデンスではあるのだけど、実際そうだと思うし、そうなる必然性もまた理解できます。次にそのことを書きます。「コネ採用」というと、日本ではいかがわしいイメージがあります。「不正行為」とまでは言わないまでもスレスレな、本当はダメなんだけど、親が大企業の実力者だから企業側が「接待」の意味で気を利かせて「サービス」してくれるというニュアンスがあります。ニュアンスというか、日本の場合、それが真実でもあるのでしょう。電通のように半分くらいは大広告主のドラ息子・娘系で、もう戦力としては期待されてない。あとは半分で全部の仕事を回すから、昔から過酷なところという評判はあり、バブルの頃とかバンバン過労死してましたもんね。最近話題になってますけど、何を今更って。
でも、オーストラリアのコネ採用は全然意味が違います。不正どころか「正義」ですらある。どこが違うか?あくまで最適な人材をゲットするためだけに使われているという点です。不適格なダメ人材であっても、その他のベネフィット(もっと広告を出してくれるとか)の総合的に考えて、「損して得取れ」みたいな感じでやるわけではない。
採用においては、よい人材をゲットすることが最終目的です。では「良い」というのはどうしてわかるのか?これが永遠の課題です。裁判のようなもので、原告(応募者)は自分が良い人材であることを積極的に立証しなければならない。証拠を積まないとならない。その証拠には何があるか?といえば、まずは「本人の供述」です。でもそれはあまり証明力がない。そこでより証明力があるものとして、過去の実績がきます。キャリアですね。同じような仕事をこなしてきた事実、さらに具体的に○○を達成した事実などは、その人の有能性を立証する大きな証拠になるでしょう。だからキャリアが大事で、キャリアのない新卒が苦戦するのは道理にかなっている。レジュメ(履歴書)というのは、本人の供述と過去の証拠を記載したものですな。
でももっと強力な証拠があります。「第三者の証言」です。目撃証言みたいなものですね。それが紹介者であり、それがコネクションです。「いい人いるよー」って紹介してくれる。その紹介者の人となりは、採用者からは分かるわけです。それまでの付き合いから、こいつはいい加減なことは言わないやつだとか、こいつが「いい」というなら本当にいいのかもなとか、逆にこいついい加減だからなーとか、そこらへんの判断は出来る。また「なんでいいと思うの?」と突っ込んだことも聞ける。これはやっぱ大きいですよ。
もう一点、日本と違う背景があります。人間のバラエティとかダイナミックレンジが滅茶苦茶広いことです。とにかくいろんな人種がいるし、いろんな人々がいます。全然!仕事しない人も珍しくない。初日から昼休みに外に出てって、そのまま行方不明になるやつとか、絶対やらなきゃいけない仕事でも平気でサボって、注意すると愚にもつかない、子供の言い訳以下のくっだらないことを延々と述べる人もいます。それも珍しくないね。だから採用側としては死ぬような思いだと思いますよー。本人に聞いてもアテにならないし、過去のキャリアも、そういうことの繰り返しだったら意味ないし。もっと突っ込んだ人となりが知りたいと思う。日本の場合、人のダイナミックレンジはそこまで広くないし、大体の背景とか軌跡を聞けば大体のところは分かるし、そう外れてもいない。だから第三者の紹介のありがたみがピンとこないんだと思います。
以上の次第で、こちらでいうコネ採用というのは、この第三者の証言・紹介という、もっとも確実度が高い採用方法だと言えると思います。だから、良い仕事になるほどコネ採用が多いと。
ならば、就活者としてはどうすべきか?
答はもう出てますよね。自分を紹介してくれる人をたくさん作ることです。これっきゃないです。そして、人と人がどこでどうつながってるかなんか全然わかりませんから、別にその業界に絞る必要は全くない。保育園系の仕事を探していたとしても、ゴルフ友達とか、ビリヤードの仲間、サーフィンの仲間、シェアが同じ、バイトしてるジャパレスの常連客、、なんでもいいのです。どこでつながってるかわからんもん。
だとしたら戦略的にはローカル社会にどんどん入り込んでいって、知り合いを増やすことです。留学仲間とだけ付き合ってても、彼らにはコネや知り合いがないから、こと就活という意味では効用が低い。そして、それをするなら、自分な好きな分野、得意な分野でそれをやる方がいい。仕事は会計とかメカであったとしても、好きなのはヨガだったり、サッカーだったりするなら、そこで仲間を増やせばいいです。なぜなら好きなことをやってるときって、自然といい表情になるし、気持ちが高揚してるから、ナチュラルにナイスな人間になるからですわ。他人からみて好まれやすいです。これがイヤイヤ、眉間に皺を寄せてやってるだけだったら、オーラもどよよ〜んとしてるだろうし、口数も少なくなるでしょう。
コネとはコネクションの略であり、コネクションの意味は「結合」とか「接続」です。まだ見ぬ理想のライトパーソンとあなたが断絶しているとき(お互い知らない赤の他人である段階)、この両者を接続してくれるのが結合手であり、コネクションです。結合手はたくさん持っていたほうがいい、それはネットワークという別の言葉でもいえますが。
実際のノウハウ
以上述べたのは別に永住権に限ったことではないです。この社会(世界)の全てに通じることだと思いますよ。自分でなにかビジネスをやるときも、どれだけ販路や経路を拡大できるかは人脈あってこそでしょう。会社内においても、社内・社外の人脈は貴重です。親の介護だの、交通事故だの人生の困難な局面にぶち当たったときも、一人では乗り越えられない壁を乗り越えられるのは他人の助力あってこそです。どれだけ人を知っているか。そしてその質が高いかどうか。単に名刺交換してるだけなら論外ですけど、利害打算でのみつながっているとか、なんとなく同族意識だけ、グループ意識だけでつきあっているのも実際には役に立たない。これ、さっきの弁護士の営業と同じことで、結局はその人の地の魅力次第だと思います。さしあたっては何の役にも立たない、一銭の儲けにもならないけど、こいつ好きだから、面白い奴、良い奴だからってことでつきあってくれる人です。でないと、いざというときに役に立たない。いざというときに役に立たないんだったら、結局何の役にも立たないってことです。「維持費」だけが嵩むだけでね。
さて、以上を永住権戦略に落とし込んで考えていくならば、専門学校や大学に行くのはいいことなんだろうけど、そんなの全体の半分にも満たないと思ったらいいでしょう。もっと大事なことがあると。それは、ローカルの社会のなかにどんどん入り込んでいけるだけの技術(もっぱらメンタル技術)を身に着けることで、それは経験次第です。一般的にいって、ワーホリや留学生さんがローカルジョブをゲットするのに、かなり叩き込んで戦闘能力の高いはずのウチの卒業生連中でも1年くらいはかかるんじゃないかなー。都会はとにかくライバル(地元のオージーとか他の留学生)が多いから、難しいです。ラウンドがいいのは、地元のオージーは都会に出てっていないし、留学生も学校に縛り付けられているからいないことです。ライバルが少ないね。だからまずとっつきやすく、経験値が稼ぎやすい。
僕ならこうする
僕はまだ永住権が楽だったころに、日本でのキャリアでリーチ一発で独立永住が取れちゃったので苦労知らずなんですけど、今僕が徒手空拳で、しかも日本のキャリアもろくすっぽなかったら、多分こうすると思います。まず第一にこっちに来る(オーストラリアにするかどうかは調べますけど)。年齢が許せば(35歳まで延びそうだし)、まず自由度の高いワーホリにしますね。それか英語学校の留学。とにかく、何を狙うにしても、現地で過不足無く自由に動けるだけの経験値の技術を身に着けないと話にならないからです。ローカルジョブとかいっても、実際にカフェやら店舗にレジュ持って玉砕しにいくのはビビりますからね。そこでビビりながらでもなんとなく会話が続く程度の英語力(実はかなり高いレベルが必要)、さらにそれを身に着けるための自分でできる範囲の現場経験を積む、同時に英語も必死こいてやる(これは別に述べたいが、結局最後で死命を制するのはココかなって思うし、英語が出来て損することだけは絶対ないと思うし)。で、英語学校は行くにしても、そのあとどの学校でどのコースを選ぶかは、これは現地で決めます。それも1年後2年後に決める。できるだけ最後に回す。なぜか?リサーチしたいからです。そのコースを卒業して、実際にそれで就職できるの?数年後のSOLにリストアップされている保証がない以上、卒業した頃にリストから消えてたらそれで終わりだもんね。だからオーストラリアの経済構造と景気の予測、そしてその業界の立ち位置なんかも調べます。いけそうか、いけそうでないか。これからAIの普及や海外外注の嵐、リストラの嵐、需要の減少などでどんどん職が減るなら、就職も自然と難しいだろうし、そもそも人手不足業種ではなくなるからSOLから消えます。そのへんは、ゆっくり1−2年かけてでも調べる。これも通り一遍の日本語情報なんかぬるい方法ではなく、実際の現地の業界雑誌を読み込んだり、業界の掲示板とかフォーラムを継続的に見たり、業界内部の人の話を聞いたりします。こんなの別に普通の企業活動なら当たり前のことでしょ?これすら出来ないならビジネスマン失格だと思うぞ。又どの業種が有望か、そして自分にとってライフワークにしてもいいくらい興味があるかどうかも見ます。
つまり最初の1−2年は準備活動に当てます。基礎力を養成し、且つ業界の動向を調べ、他のエリアはどうかも考え、自分の人生設計も考えると。その上で、これだと思う業界があったら、まずインターンでも、雑用バイトでもなんでもいいから、その業界に飛び込みます。どんな業界にも「主な登場人物」みたいな人達や機関(業界団体)があって、実際にはどういう感じで動いているかを知りたい。また、実際の現場にできるだけ早い時期に出てみる。直にそれをやるのは資格その他で難しいにしても、少なくとも雑用バイトでその場にいて傍観できるくらい間近で見る。そうすることで、「思っていたのと全然違った」というのも多々あろうし、こんなんだったらやらんでいいって思うかもしれないです。現場に出てみて幻滅〜というのが一番つらいですからね。
コースを最後まで決めないのは、途中でいろんな変更がありうるからです。本来Aという方向で考えていたんだけど、それまでの資金稼ぎのバイトをやってるなかで、ビジネスビザだしてやるぞって話が舞い込んできて、それが全然考えてなかったBという方向だったということは十分ありえるからです。そしてそれをやってみたら意外と面白く、そっちにハマってしまうってこともあるでしょう。
これ勝手に推測で言ってるのではなく、近未来に体験談を掲載する予定の辻さんの場合も、NZでの最初のビジネスビザの原案は「古タイヤの輸出」という事業だったわけで、それがあっというまにジャパレスのマネージャーに変更されてしまった。でもこれはよくある話なんですわ。だいたい胸先三寸の本人決定だけでビザスポンサーになれるのは個人事業主とか、ワンマン系の社長が多く、こういう人らは、起業なれしてるから直感一発で臨機応変にプランを変えます。もう無節操なほど変える。そこを変えることで生き延びてきたわけですもん。やりもしない段階での自分の目論見なんか、現場においては「昨日みた夢」くらいの価値しかない、しがみつく価値など全然ないってことを、これまでの経験で嫌というほど思い知ってるはずだし、学んできている筈です。だから君子豹変のように言うことがコロコロ変わります。そういう世界なんだわね。
だからチャンスが転がり込んできたけど、自分の決めてしまった方向性と違うからで断ってしまうということは、それが本当に断るべき場合を除いては(そのプランAが掛け替えのない自分の人生テーマであるとか)、臨機応変にこっちも変えたほうがいいです。それが自由に変えられるように、決めるのは最後にしたいのだわ。決める前に実働をある程度動かしておきたいのだわ。
ちなみに実例でいえば、日本で保育士だった人が、こっちでワーホリ1年目はボランティアというかインターン的にお手伝いしてたのが、2年目になってから有給になったというケースがあります。地道にやってればちゃんと認めてくれる人はいるってことですね。そこで働くなりなんなりすれば、いざ申請のときに大きな加点事由になりますもんね。
実質先行、カタチは最後に整える
要は実質を先に作っていって(小さなところから今日にでも出来ることは山ほどあるから)、動かしてみて、実際の見通しや感触を得て、その上で、どのコースのどの資格がいるかなってのが逆算してはじき出されるくらいがいいと思います。最初に学校ありきではなく、最後にありきって感じ。最後に「カタチを整える」ためにやることをやるって感じね。ちなみに僕が一貫して英語学校重視なのは、先にハイレベルの学生ビザを取ると、次にステップダウンしての学生ビザが取りにくいって点があります。先を急ぐ焦り心理で、大学院を選んで、ある程度就活で善戦して、しかし労働ビザやトレーニングビザが出るほど食い込めているわけではない、もうあと半年から1年実務でやる時間が欲しいって場合に、ツナギでビザ取り学校いったりするけど、なまじ大学院やってるから、レベルの低い学校に行く理由がないということで学生ビザ却下になる恐れもあります。あるいは、早くビザ取り学校にいって〜とかやってると、最後の段階でIELTSの点数がどうしても欲しくなって、でも今更英語学校に戻る学生ビザが降りないって可能性もあります(そういう相談もときどきある)。
僕がやってるのは、最初の段階で一括パックでまずシェア探しをやる。これは自分でどんどん動く、人と出会うって基礎力を錬成するのと同時に、成功体験・原体験を作るためです。「なるほど、こうやるのか」「こうやって活路を見出すのか」という。これを一つ知ってたら、オーストラリアに限らず、その後の人生全てに応用ききますし、そう大きな失敗はしない筈ですし。
次に、A僑だのオフ会だのやってるのは、いい意味での「コネクション」作りです。ネットワークといい、コネといっても、それがいい仲間によって形成されないと意味がないし。そうやって「つながって、積み上げて、広げていく」っていう実践的な営みでもあります。そして、それらの延長線上に前回まであれこれ書いていたセーフハウスにつながっていくわけですしね。
いずれにせよ、永住権を取るにせよ最後まで考えて、そのスパンで物事考えるべきだし、永住権取ってもさらに人生は続くわけだからその先も考えておくべき。要するに死ぬまでのタイムスパン全部を考えて、なぜ今これをやるべきなのかまでブレイクダウンしていって物事にとりかかること。それが出来ていれば、仮に永住権そのものがダメだったとしても無駄にはなりません。別に永住権がゴールでもなんでもないんだし、あんなのは「ゲーム教材」くらいに思ってたらいいです。それをやることで、自分の生きていく力や技術が底上げされればそれで良い。大成功だと。それはあとで(てか今日にでも)必ず役に立ちますから。
ときどきいるでしょ?夢みたいなことを口走ってるんだけど、でも何が何でも実現してしまう人って。創業社長に多いですけど、野球で10対ゼロで負けていても、でもしつこく食い下がって、延長戦にもつれこんで、最後にはサヨナラで11対10で勝ってしまう人。そういう人間になれってことですわ。そうなるカリキュラムは世間に幾らでも転がっていて、そこを鍛えれば鍛えるほど人生コケなくなる。絶妙なバランス感覚でひょいと足を出したり、咄嗟に木の枝につかまったりしてコケない。そしてそのときにあなたを支えてくれるのが、仲間であり、コネなんですよね。
ほんでも、そこでお勉強至上主義になって、とにかくコース、資格を〜だけでやってると、卒業したあと途方に暮れるかもしれないし、場合によっては「二階に昇ったらハシゴを外されてました」で終わってしまうかもしれず、そこには学びはあまりないです。あれだけの費用と労力をかけて、得たものがそれだけだったら、あまりにもトホホ過ぎると思うし。
以上、駆け足でとか言いながら、長くなってしまった。
以下露出を変えていって、周囲が見えるようになります。
文責:田村