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今週の一枚(2016/10/24)



Essay 797:無届老人ホームについて

〜人身公金ビジネスと公的規制の限界〜民間チェックの有効性

 写真は、Bellevue Hill。解説は本文に。

山の手の細道

 今回写真が多いので先に出しておきますね。
 シドニーのBellevue Hillというサバーブがあります。ボンダイジャンクションの真上(真北)に位置してて、地味なサバーブですけど、このあたりは超高級立地です。笑っちゃうような豪邸が多いので面白いのですが、さすがに他人の家をバンバン載せていいのかと思うので差し控えましょう。自分で行って、笑ってください(笑)。

 その代わり、このあたりを歩いていると、抜け道や細道が多いので、その特集です。名前(Hill)の示すように丘陵地で全編坂ばっかりで、Walkingにはいいのですが、閑静な住宅街のそこかしこに小道があります。これがまた、東京や京都あたりの山の手の奥の小道を彷彿とさせるいい感じなので、いくつかご紹介します。


 向こうに見えるビル群がボンダイジャンクション








無認可なんたら

 「無認可」というカテゴリーがあります。無認可保育とか、無認可介護とか。イメージ悪いです。無認可=無許可=脱法=モグリ=違法=劣悪=悪徳、、と際限なくダークなイメージにつながっていたりします。

 しかし、いまどきそんなイメージだけでモノ考えている人は、ナイーブ(世間知らず)というべきで、この種の無認可なる存在が無かったら廻っていかないという現実があります。

 すでに1年半以上前の番組ですが、NHKのクローズアップ現代で“無届け介護ハウス” 急増の背景に何がが放映されています。これを読んでるだけで勉強になるのですが、まずなんで無届の老人ホームが急増しているか?といえば、もちろん需要があるからです。ではなぜ届出してある正規の施設ではなく、無届のところに行くのかといえば、大きな理由は「安いから」。安いといってもピンきりですが、ここで最初に紹介されているのは月額15万円。それでも正規の月額25万円よりは10万円も安い。率でいえば40%安い。介護ホームというのは1ヶ月だけ逗留ってわけはない。一回ポッキリの支払いではなく、数年スパンで継続的に支払わないとならない。月10万の差は年額にして120万、5年で600万、10年で1200万の差になります。やっぱデカいです。てか、そもそも受給年金額がそこまで達していなかったら、もう正規は不可能ということになる。

 ではなんでそんなに安いの、なんで届け出ないの?といえば、ここが本題なんですけど、介護をするという本来の目的は出来たとしても、他の周辺的なところまで手が回らない。例えば、規制によって一人あたり◯平米以上とか、スプリンクラーを設置しないとダメとか。でも、安い不動産を有効活用してやってる側からすれば、そのような所にまでにお金をかけていたら、とてもじゃないけどこんな値段ではやってられない。差し迫って必要ではない部分や、多少グレードが落ちる部分はそのままで、その代わり値段を安くして入居できるようにする方が急務だと。

 一方、病院や行政からの入居者を受けれているという現実もあります。お役所が無届けの所にお願いしているのですね。すごいですねって、でも分かるような気がします。病院も行政も持て余すのでしょう。ウチでは預かれない、相談されてもどうしようもないと。例えば一人暮らしのお年寄りが、ある時を境にかなり日常生活に支障をきたすようになり、誰かにヘルプしてもらわないとメシも食えない、トイレもやっととなったら、ほっとけば餓死しちゃいます。そのための訪問介護なんだけど、でもある程度は本人がしっかりしててくれないと、それも難しいでしょう。ここで「勝手に死ね」「自己責任」とも言えないんですよね。そう言い放ってスッキリした顔をしている御仁もおられるけど、いいよね、あなたは、言ってりゃいいんだから。

 建前とか綺麗事ではなく、現実論として誰かがなんとかしなくてはいけない。「誰か」って誰よ、貧乏くじを引くのは誰でしょう?といえば、末端現場の人達でしょう。「自己責任」とか言ってても、勝手に死なれたら、賃貸の場合大家さんはたまったもんじゃないし、近隣の人だって隣の家で人が死にかけていますってなったら心穏やかじゃないでしょう。行政に「なんとかしろ」って話になりますわ。可哀想なのは担当さんで、上司にも住人にも「なんとかしろ!」と責められる。でも正規に入るお金も持ってないし、あるいは入居の順番待ちが長蛇の列だから急場に間に合わない。病院だって退院促進はいいけど、誰も迎えに来ない、行くアテもない老人を病院の門外に蹴り出すわけにもいかない、門前で白骨化されたらたまらん。そこでも担当者らしき人が、周囲から「なんとかしろ」と言われるわけでしょう。大変なお仕事だよ。だもんで、駆け込み寺のように、あそこに行けば引き受けてくれるんじゃないかってことで、無届けハウスに行くという。

 なんのことはない、認可のための基準を決めるのも行政なんだけど、その基準が現実に適合していないから、無届けを「活用」しているのもまた行政だったりするわけです。何それ?自分でルール決めて、自分で破ってるわけ?って話ですけど、一口に「行政」といっても同一人物がやってるわけではないです。基準を決めるところと、現場で走り回ってる部局は全然別だし、指揮系統も、法的根拠も、予算の出処も、なにからなにまで別だったりするわけでしょう。

 さて、この放送は15年の1月ですから2年近く前の話なのですが、最近はどうかというと、行き場を失う高齢者増加で注目を集める「無届けホーム」によれば(今月の05日付)、数値的には、「厚労省の推計では、2030年には看取りケアを受けられない「死に場所難民」が47万人にまで膨れ上がる」「今年1月末時点で自治体が把握している無届けホームの数は全国に1650施設。2009年の調査からの6年間で4.2倍に膨らんだ。総務省行政評価局も独自調査を行ない、厚労省が把握していない無届けホームを新たに97施設発見したと発表(9月16日)」。とのことです。沈静化どころか、日々悪化していると。まあ、そうでしょうね。

認可や届け出の実質的な意味

 ここで考えてしまうのは、「無届け」とか「認可」とかいうけど、それって一体どれほどの意味があるのか?です。私見ですけど、現実的にはほとんど無意味じゃないか(正確には届出制と認可制は違うので同列に論じられないのですが、細かいことはカットでアバウトに書きます)。

 届出やら認可のある正規のところは設備も水準を超えていて安心だし、行政の立入検査や指導もあるので品質が良い。これに対して、無届や無認可は、こういう基準をクリアしてないし調査もないから何をしてるか実態が分からず闇である、劣悪で怖いというのは単なるイメージでしょ。

 まず行政の立ち入り調査や指導だけど、そんなに頻繁にやってないよ。やるだけの予算もらってないでしょ。保健所の立ち入り調査だって、全てのレストランや飲み屋でやってる?労基の調査がおたくの職場に来ましたか?現場の公務員さんに言わせれば、一人で何千何万件も受け持たされて(エリアでやるでしょうからね)、そんなの一軒一軒行脚して歩いてる暇なんかないでしょう。それに「調査が入るぞ」ってことになれば、それなりに整えてお化粧する。だから、本当なら麻薬Gメンみたいに潜入調査くらいしないとダメなんだけど、そんなこと言ってたら施設の数だけスタッフが必要で、そんな金が国の何処にある?です。だから、調査があるから安心さってのは現実問題でいえば幻想だと思う。

 第二に、幾つかのサイトを見て回ったけど、判で押したように出てくるのは、スプリンクラーがないから火災が起こったときに焼け死んでしまうという例示です。これもよく考えたらそうなの?って気もします。実際マジに焼け死ぬくらいの火災になったときには、スプリンクラーが作動したくらいでは消火できない場合が多いんじゃないの?屋根裏漏電による発火なんてのは屋根から燃え始めるからスプリンクラーでも無理でしょ。数件隣から大火が延焼してきたり、地震によるガス管断裂による火災もある。今、国はどんどん面倒を国民に押し付けて、在宅介護が好ましいかのようにしてますが、じゃあ一般の家にはスプリンクラーあるのか?また、このまま行き場所がなく身体不自由なまま姥捨山のように公園とか河原に放置されるのと、多少火災の恐れが大きい介護施設とでどっちがいいかといえば後者でしょう。比較のレベルが全然違う。

 第三に、認可や届け出してるところが内容的にしっかりしてるかどうかは、ケースバイケースでしょう。高い金払って入った施設だって、虐待があったり問題があったりしている。それはちゃんと学校法人として認可を受けてる学校にはイジメも体罰も問題もないのかといえばあるわけだし、逆にその種の行政手続が一切いらない私塾やら予備校やらなんたら教室(これらは全部無認可で無届っていえばそうです、届け出る方法が無いいんだし)には常に暴力が吹き荒れているのかといえばそんなこともない。そりゃあ、無認可のところはひどいところもあるでしょう。その可能性は、行政の監視が理論的に一切ないという点で懸念されるし、現実的にもそうでしょう。だけど、それが全ての基準ではない。

 第四に、認可や届け出をするといいことあるのか?やる側になんかインセンティブが働くのか?といえば大してないでしょう。百万以上出してスプリンクラー設置しても、それだけの投資に見合った元は取れるのか?これがお客が少なく、奪い合いのような状態だったら、認可アリとかいう行政看板は宣伝材料になるでしょう。投資価値がある。実際、25万とか、入居だけで3000万円とかいう施設は、豪華な設備でやってたりもしますよ。でもそれは払える人達を相手にしたビジネスだからこそです。ビジネスとして成立するために、値段と設備を比例させる。ここでは、その25万なにがしが払えない大量の人達をどうするか問題であり、ビジネス的には割が合わない場合でしょう。だから無認可といっても、ボランティアとかNPOがやってるような場合もあったりするわけです。ギリギリの予算で効率的に回さないといけない。

 儲かる構造になってるんだったら、国がどんな基準を定めようが定めまいが、資本の論理で、これだけ出したらこれだけゴージャスになるという関係で機能する。1億も出したら、続き部屋のある個室スィーツになって、食事も一流のシェフが新鮮な素材をとか、家族とのミーティングルームもロココ調の家具と噴水で落ち着いた雰囲気を、、って、金があったらなんでもできますわ。つまりですな、基準に適合するくらい豊かな人だったら、基準云々よりもビジネスの論理、消費の論理が現実を厳しく規律するでしょう。見てくれだけゴージャスで内容は基準にも適合してないお粗末な、、って場合もあるだろうけど、意外と少ないんじゃないかな。そのレベルだったら基準クリアは楽勝にできるだろうし、また投資して設備を良くしても値段に上乗せすればいいだけなんだから、そこでケチる必要もない。むしろあとで基準以下であることがすっぱ抜かれたりしたら、途方もない損害を負うでしょう。

 問題の低価格層は、入居者がお金が持ってないから、そんなにゴージャスにしようもない。ここで、届け出や認可をゲットすれば、毎月国から補助金が出るとか、届け出れば格安で設備を設置してくれるとかいうなら、どっと申請も増えるでしょうけど、それはないでしょう。あるのか?そんなことやってたら、国の財政が破綻するでしょう。じゃあ、届け出しても「いいこと」なんかないじゃん、へたにやったら調査されて、あれをやれ、これをやれ、口は出すけど金は出さないという典型になって、うるさくてしょうがない。届け出をするデメリットはあってもメリットはないとなったら、「届け出しましょー」と呼びかけても虚しいでしょう。

 これらに関連して、さらに一歩進むと、冒頭のクローズアップ現代で書いてましたけど、専門の人がコメントしてたけど、無届の内容は一律ではない。てか無限にバリエーションがある。先進的で非常にレベルの高い介護をやろうとしてるから、古い今までの基準からしたらはみ出してしまって結局無届になってるとか、革新的なことをやろうとしてるから形式的には不適になってしまうとかいう場合もある。

悪質なケース〜人身と公金の搾取ビジネス

 この問題は調べだしたら広がっていって到底一回では済みません。来月京都でやる予定の勉強会オフの予習みたいな感じで自分で調べてるもので、今回はサワリだけ。

 片や予算ギリギリで切り回している善意の館みたいなところもあれば、ウハウハ儲かってるところもあります。何が違うのかといえば公的制度を賢く利用、というよりも「悪用」しているかどうかです。

 介護老人から甘い汁、違法事業者にだまされるな――出来高払い制度を悪用、無届け老人ホームの実態というサイトに、事細かに(字も細かいのだが)実情が述べられてます。もっとも、このサイトが書いてるのではなく、末尾にあるように日経ビジネス2016年10月3日号掲載記事をそのまま転載しているだけのようです。でもってこのタイトルはどっちがつけたのかわからんのですが、実情の詳しいレポは参考になりますが、大きな論理としては疑問が残ります。

 問題をかいつまんで言えば、介護やケアも、公的資金が給付されるならば美味しいビジネスになりうるってことです。状況に応じて種々の保険(介護、医療)がおりるわけですが、あれこれケアをして、その分保険を受給できたら、保険が出る限度額ギリギリまでなんだかんだやったほうがいい。これを真面目に活動している人が、賢く利用するなら、それは「上手なやりかた」ってことになるでしょう。冒頭のクロ現に紹介されている事例では、旭川のグループハウスと呼ばれる無届ホームですが、そこに顔も実名も出している川畠さんが出てきます。入居者には月々7万弱の破格の安値でありながらゆうゆう黒字経営をしている。なぜかといえば「訪問介護」という形にして報酬を受け取っているからです。「訪問」といっても、一軒一軒遠方まで車を飛ばして訪問するのではなく、同じところに住まわせているだから効率がめちゃくちゃいいです。一人月額最高34万円まで介護保険が出るから、10人住まわせておけば340万円コンスタントに出る。だからやっていけるし、特に後ろめたい気持ちもないし、人の役に立っているという自負も現実もあるのでしょう(だから実名で取材に応じてくれたのでしょう)。

 ただし、これは悪用もできる。日経ビジネスの記事のように、ギリッギリまで保険支給を引き出すように、終末期の状況で無駄で(本人には)苦痛なだけの過剰治療を引き伸ばし、終末期になれば「医師より特別訪問看護指示書が出されていれば、1ヵ月当たり、最長28日連続で医療保険を使える」となっていて、介護と医療をダブルで貰える。一般に、重度の場合ほど国の支給は手厚いし、生活保護者ともなれば「宝の山」だったりもする。そのあたりの制度を骨までしゃぶる気でやればできると。

 ただね、この記事、ちょっと変だな?って思うのは、無届ハウスが〜とかタイトルでいいながら、これらの制度悪用ケースは正規の届け出業者の事例です。なにやら無届だとこういったひどいケースばっかでって印象があるけど、記事の前半は無届けじゃないじゃん。また、「こんなに腹黒い悪党がいる」みたいなイエローペーパー的な勧善懲悪的な骨子で書かれていて、そこには制度本来に内在する矛盾や、真面目に頑張ってる大多数の人との対比や比率に対する配慮がない。つまり社会レポートというよりは、興味本位、刺激本位のゴシップに近い(加えていうなら文章も読みにくい〜制度の説明と個人の体験話が錯綜してる)。「日経」ブランドも地に落ちたと言われてますけど、このレベルじゃそう言われても仕方ないかなー。ちなみにこの記事を書いた庄司さんという記者ですが、医療分野の知識が怪しい日経ビジネス庄子育子編集委員 という批判記事をかかれているブログもありました。

 こういった制度の悪用問題と、届け出の有無との問題は、基本的にレベルが違うと思います。“無届け”という言葉が一人歩き!?という論稿がありますが、ここに注目すべき指摘がありました。なぜ無届が増えたのかの原因のひとつには、あとになってどんどん規制基準が厳しくなって従来のホームがついていけず無届けにならざるをえないという現実。もう一つは「総量規制」です。介護保険施設は福祉法人や自治体などの限られた法人しか参入できない、だから52万人の待機人員が生じてる。その受け皿として有料老人ホームが出来てきた。そこまで良いのだけど、問題は、「国に金が無い(無いことはないがそっちに使いたくない)」という点で、介護施設も有料ホームも新規開設を自治体が拒否する方向にいってるそうです。「届け出」とかいいながら、単に申請すればいいだけじゃなくて、あれこれ条件がある(だから限りなく認可制に近いのかな)。そして要件を満たしても、金がないから認めないって話にもなってる。だから問題の本質は「金がない」です。

 さて、ここで混乱する他の要因は、介護保険でもどういう場合にどういう給付がなされるかが複雑なんですよね。最初に国が想定したパターンはそれなりに合理性もあるのでしょう。施設介護の場合はこうしよう、在宅介護の場合はこうとか、これは入居サービス(住むだけ)、これは介護サービス(ケア)でとか理念型による仕分けをする。でもね、実情に合わなくなる。例えば、食事をメインにサービスする業種をレストランといい、宿泊をメインにするところを旅館といい、それぞれに規制がある。旅館で食事を出してもそれは宿泊をメインにする限り旅館だとか、そうではない旅館内部のレストランはレストランだと。じゃあ、単純に場所だけ数日レンタルする場合はどうか?レンタルスペース、宿泊アリでだったら旅館なのか?そこで食事を出せばレストランなのか。さらにケータリングサービスをしたらどうか?ケータリング会社を紹介して勝手に注文してもらうのはどうか?突き詰めていけば、レンタルスペースもケータリング会社も何もかも同一資本の同一人物がやってたらどうか?です。もうぐちゃぐちゃでしょう?訪問介護も、訪問介護を斡旋する業者さんがいるわけだけど、斡旋も自分がやって、斡旋されるのも自分がやって(もちろん形式的には分離させる)ってやれば、それは一体施設介護なのか在宅介護なのか?です。

 これは、行政が無能とかいうよりも、千変万化する現実に対して、AパターンとかBパターンとかカテゴライズするわけですけど、その分類分け自体が限界あるってことなのでしょう。現実がフレキシブルである以上、規制もフレキシブルであるべきなんだけど、あんまりフレキシブルにしてしまったらそれはもう「規制」ではない。「適切な状況において、適切な処置をとるものとする」の一条だけになって、それじゃ何も決めてないに等しいし、現実には気分次第(てことは賄賂次第)で何でも動くという話になる。

公的規制の限界

 僕がここで思うのは、行政による公的規制の有効性と限界です。なにか社会問題が起きて、それを是正するために行政があれこれやるわけで、それが20世紀型国家、行政(肥大化)国家って言われるわけですけど、それ、もうやめたら?って思います。成功例も多々あるとは思いますが、現実にあんまり意味のない規制もまたたーくさんあります。

 例えば?例えば、調理師免許ですわ。あれ料理の上手下手じゃないもんね。法定伝染病がどうしたこうしただもんね。板前さんやシェフにそんな勉強させて負担を増やして、さて現実的に効果あるの?そりゃキッチンの衛生は大事ですよ。でも、そんな試験ひとつでどうにかなるの?やるんだったら、外注の方がよくない?衛生監査士とかいう資格を作って、年に一回訪問視察を受けて認可証をもらって役所に提出しなければならないとかさ、その方が実効性あるんじゃない?すでにやってるのかな?

 同じようにアイスコーヒーとかトイレットペーパー売ってるドラッグストアに薬剤師が必要とか、不動産の宅建資格とか、意味あんの?名前貸ししてるのが実情でしょ。今幾らが相場なの?昔5000円とか聞いたことあるけど。そんな規制、たくさんたくさんあるのだわ。でも実効性なし。儀式みたいなもん。でもって、社会問題が起きる=てかメディアが売るために扇情的に書きたてる→規制を望む国民の声が湧き上がる(かのように報道する)→規制を制定するが業界の反発やあれこれあってザル法になる→お役人の天下りの温床になる監督や啓蒙のための公益法人とかが乱立される→財政をますます圧迫する→一方現場では、なんぼでも規制を逃れるすべがある。

 無駄じゃん。てか有害じゃん。これって80年代に盛り上がっていた規制緩和論です。規制緩和っていう語感が悪いんだけど、単に「ゆるく」するって意味じゃないよ。無駄で有害な規制を除去しようという趣旨です。多くの業法が、単に業界の利権保護や官民癒着の温床になってると。税金の無駄遣いばっかやって、現実はどんどん悪質になってる。でも中枢部にいる人達にとってだけWin Winだから止めない。また、国民が「国は何をやってるんだ」というあなた任せ、お上任せの方向に誘導されてるから、問題が起きれば起きるほど焼け太りという。これじゃあ破産してもしょうがないよ。

 悪用の事例は、これも枚挙に暇がないです。無届ホームなんか可愛いもので、一番デカイのは人材派遣会社でしょ。正社員の福利厚生とか労働法上の義務を潜脱するため、より本質的には経営に応じていつでも解雇できるフリーハンドを得るために、「雇用」ではなく、業務委託とか外注形式にする。外注なんだからいつでも契約切れるし、楽です。それで同一給与同一待遇だったらまだしも、てか企業側は結構払ってたりするんだけど、派遣会社が2−3割ピンハネするでしょ?いいビジネスですよ、人を紹介するだけで給料の何割か黙っていても入ってくるんだからさ。もちろん真面目に頑張ってる派遣業者さんも多々あるでしょうけど、でもでもでも、問題の本質をズバリといえば、これ「脱法」でしょうが。労働者が本来得られるべき給与も、権利も踏みにじってることに変わりはないでしょう。山椒大夫のような人身売買ビジネスって言われても仕方ない側面もあるでしょう。でも、これ「適法」だったりするわけですよ。こうなると何が違法で何が適法なんだか、です。

 貧困で困ってる人をかきあつめて、生活保護申請をさせて、一箇所に住まわせて、ありったけの給付を代理受領して、死なない程度にケアをするという貧困ビジネスもそうです。第七次やら八次までの下請けを使っている福島の除染ビジネスもそうです。原発にせよ、港湾にせよ、現場系のキツイ系は大体そう。障害者を雇用すると国から給付金をもらえるからせっせと障害者を雇ってこき使ったり、虐待しているビジネスもそうです。ビジネスじゃないけど、認知症やら重度のお年寄りの選挙を扱う(まとめてとりしきって在宅投票させる。もちろん投票者は勝手に書く)やつとかさ。この種の「人身」ビジネスは、山椒大夫にせよ、女衒にせよ、奴隷商人にせよ大昔からあります。人間というのはけっこういい「商品」になるんだから。それでも、昔は仲介料とか売買差額とかだけで、まだしもビジネスライクだったけど、行政国家になってからは、これに国の給付金や補助金が対象になってくるから、ますます複雑に、ますますダーティになってきている。いいんかよ?と。

民間チェックの有効性

 かといって、これを抜本的に改めるのはもう無理でしょう。あまりにもガチガチに今の制度が出来てしまったから、これを改めるのはゼロリセットに近いことをしなければならない。例えば、消防法の規定なんか全廃しちゃう。形だけの審査なんかやっても意味ないし、現場に無駄な負担がかかりすぎ。その代わり、その審査を火災保険会社にやらせればいい。自分の腹が痛まない行政が審査するよりも、実際に自分の金がでていくかどうかの瀬戸際の保険会社の方が必死に調査しますもん。そして、厳密に確率計算して、この程度の防火設備だったら掛け金はおいくらになりますって話にしちゃった方がいい。そして、その火災保険証書をもって義務にすればいい。お役所の審査なんかあっても、それで火事が起きてもお役所が賠償してくれるわけではないが、火災保険だったら何かあったら保険金が出る。経営側としても、どうせ出すならそっちのほうがメリットあるだろうし、損害を受けた被害者の救済にもなる。

 でもって、その火災保険証書をお役所に届け出るか、、なんてこともしなくていい。とくかく役所を通すとなんでも形骸化するんだから。その代わり、ムーディーズのような格付け業者が出てくるようにする。老人ホームでも、老人ホームを個々に視察して評価を決めるような機関が出てくればいい。消費者も賢くなるべきで、それらの評価を読み、どこが良いかを決めればいい。

 これは「規制」ではないです。規制となると「◯のときは◯せよ」と明確に書かねばならない。そこに形骸化や悪用のチャンスが生まれる。でも、これはそういう形ではなく「自由評価」です。私的な団体が、勝手にあそこのホームは◯◯がダメだから70点、ここは◯◯が優れているから89点とかすればいい。自由評価だから、対策の立てようがない。せいぜい賄賂握らせてよく書いてもらうくらいだけど、それもすっぱ抜かれたら評価会社の存続の危機になるから、おいそれと受け取れない。フレキシブルな現場にはフレキシブルな方法で、「規制」ではなく、「対応」すべきだと僕は思いますよね。

 だってさー、ミシュランの3つ星だってそうでしょう?あれ公的な機関でもなんでもないですよ。単なるいち私企業ですよ。それも食品関係の会社ですらない。タイヤ会社でっせ。タイヤを売りたい=ドライブ楽しいよって呼びかけたい=ドライブしてここのレストランで美味しいものを食べるといいよってところから、だんだんムキになってレストラン評価をやり始めたらしいけど(ほんとかどうか確認してないが)、そんなもんでもあれだけの「力」があるわけですよ。へたな法律、規制なんかよりも、はるかに現場に影響力がある。現実を動かす力がある。

 同じような例、ほかになんか思いつきますか?あるでしょー、たくさん。例えば、偏差値なんかそうでしょ?大学受験ランキングとか、東大京大がトップでとか、MARCHがどうでとか、あんなの法律でもないし規制でもない。国は一切関知してないです。でも、あれだけ皆さん一喜一憂しているという。公的ではなく私企業がやったものでも、内容がそれなりにあって、オープンな批判に常にさらされていて、消費者が真剣に吟味するなら、一定以上の意味を持ちうる。

 で、実際にもそうなりつつあるでしょう。いわゆるネットの集合知で、皆があれこれ言ってるなかで、自分なりに評価すればいい。そこでは情弱・情強が激しく選別されるでしょう。何も考えないでどっかの記事を鵜呑みにしてる人は、当たり前だがババ掴まされるわけで大損したり、人生壊れたりする。そうではなく、「ほんとかよ」と吟味し、かといって何でもかんでも猜疑心のカタマリになるのではなく、信じるべきところはドンと信じるという割りきりができるかどうかです。それはフレキシブルというよりは、いっそ混沌で無秩序といっていいくらいだけど、でも、本来そういうもんでしょう?国の丸適マークとか、それだけ見ててもしょうがないしね。食べログのやらせコメントにせよ、もう何年もたって、自分であれこれ経験すれば、あそこのレビューの評価の吟味もまた個々人レベルで高まっていくでしょう。「こいつは、何にでも文句を言うタイプだな」とか「この人の感覚は自分に近いから、一番信憑性=てか自分が感じるレンジに近いかな」とか見えてくるでしょう。

 現状がこうである以上、無届ホームは今後も増えるでしょう。飛躍的に増えるかもしれない。しかし、無届だからどうのってレベルだけで判断しても、もはや無意味ですし、届出あるから大丈夫ってのは危なすぎる。やっぱり実質を見ないとわからないし、その実質というのは何をどうやって検証すればいいのか、それが個々人にバトンタッチされているのだと思います。

ゼロから建国

 なお、ゼロリセットでいえば、そんな「評価」なんか面倒くさいことやってないで、全部自分らでやっちゃえばいいじゃんって発想があります。多分、それが一番早い。

 でもどうやって?ってことだけど、例えば、シリコンバレーの超富裕のピーター・ティールって人が、サンフランシスコ沖の公海の上に、人工島を作って、独立国家にしてしまおうとやってます。Peter Thielとか、Libertarian Nationとかで検索すると出てきます。日本語文献は少ないけど、例えばピーター・ティールに学ぶ海上に独立国、海上都市を作る計画 などがあります。

 面倒でくだらない国家規制を全部とっぱずして、自分らにとって理想の環境を作ってしまえって話ですが、「スーパーリッチは考えることが違うね」みたいなノリで理解するのが主流かもしれないけど、僕はちょっと違う。スーパーリッチだったら、現状の国家でも大抵のことはカネの力でなんとかなるでしょう。それが敢えてってことで、スーパーリッチ「でさえ」って話じゃないかと。彼らですら国の規制は邪魔くさく感じるのだろう。そして、むしろ新国家が必要なのは、僕ら庶民層ではないかと。

 そのくらい現在の国家行政システムは現状や未来に適合してないし、将来的な展望はますます暗い。利権でガチガチ、金はなくなる一方、頼みの皆はメディアで洗脳じゃあ、どういうバラ色の未来が描けるというのか?と。だから新国家だと。もっとも、国家っぽくなくていいんですよね。要は、ツバメの子供みたいに大口開けて、お上がなんかやってくれるのを待ってても餓死しちゃいそうだから、自分でやったほうがよくないか?ということです。

 別に行政と喧嘩する気はないし、現場の苦悩や悲哀にも十分シンパシーを感じます。ちゃんと理解すべきは理解する。そして活用できるものはちゃんと活用する。介護にしても、上の「悪用」は論外だし、やる気もないけど、「賢く利用」はすればいい。そのためには制度やルールをちゃんと知る。そのうえで、あとは自由な発想で、じゃあこうすればいいんじゃないかとか、ああやったらどうかとか、そこは自分らの創意工夫だと思います。少なくとも、あれは無届けだからどーの、これは「違法」だからどーのとか、イメージや情緒で判断して事たれりって時代じゃないでしょう?って思うわけで、それが今回のテーマでした。



 笑っちゃうような豪邸が多いです(左、木の陰で写ってないが、門構えをみたら何となく想像できるでしょ)。しかし、家もデカいが、木もデカい。「街路樹」とかいうレベルじゃないよ。



 文責:田村




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