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今週の一枚(2016/10/03)



Essay 794:35歳ワーホリという「深い」ビザ

30代と生存環境の選択

 写真は、Roseville付近(より正確にはKillarney Hights)のDavidson Park。
 
 ご存知の方も多いかと思いますが、先週、財務書のスコット・モリソン氏より、揉め倒していたバックパッカーズTAX(日本語ではワーホリ税という表現が多いが)の件につき、政府の修正案をまとめるという発表がありました。詳しいことは、Facebook Pageの方に書いたので(速報続報)そちらをご参照ください。

 以下に書くのは、雑感としてFBに載せようとした文章ですが、書いてるうちにボリュームも奥行きも桁違いになるなと思ったので、エッセイで書きます。
 

ワーホリ35歳まで〜面白うてやがて悲しき〜

 今回の発表で、一番注目されているのは、これまで30歳までだったオーストラリアのワーホリが、35歳までと5年間延長されたことです。35歳まで(36歳の誕生日の前日まで)ワーホリを申請すればいけるよ、と。実施時期については未定ですが、発表の文脈からしたら、おそらくは来年の7月1日からではないかと(オーストラリアの新年度)。

 これは中々画期的な決定で、これまで31歳過ぎたらワーホリという選択肢はなく、学生ビザしかなかったわけですが、これからはそれもイケると。

 そういう意味では朗報なんだけど、わーい延長だー!と一瞬喜んだりしつつ、でも冷静になってよく考えると「面白うてやがて悲しき〜」って気もするのです。結構このビザ(31-35歳のワーホリ)、”深い”んですよ。ぶっちゃけ、「人生ビザ」「腹括りビザ」「就活ビザ」って感じです。

30代をどう生きるか?問題 

 なぜ無条件に喜んでられないのか?というと、平均的な日本社会の感覚でいえば、30いくつにもなってワーホリってどうよ?ってのはあると思うのです。

 いや、僕個人の感覚では全然アリだと思うし、オーストラリアでは100%アリだし、また日本でもアリ派の人は多々いるだろうけど、あくまでも平均的な日本社会です。つまり「採用35歳限界説」とか言ってる日本社会での話です。

 ビザというのは純粋にそれだけで独立して存在するわけではなく、そのビザを取る人の人生、そしてその人生に影響を与える周囲の社会環境にリンクしています。そして、このビザ(31-35歳レンジのワーホリビザ)って、「30代をいかに生きるか論」とリンクしてるように思います。

 20代と30代とでは違うのか?といわれたら、やっぱ違うでしょう。社会のあらゆる制度、世間の態度、しきたり、そして身体的変化においても違う。総じていえば、条件がキツくなる反面、個人の素の戦闘能力はフィジカルにもメンタルにも落ちる(人が多い)。これは年齢変化一般の傾向でもある(40代はもっと落差激しいけど〜故にそれをフォローするために、それまでに知恵と技術を身に着けておくべきなのだが)。


 オーストラリア名物のような公園のベンチ・テーブル。これ横から見ると神社の鳥居みたいなカタチをしています。よくMAPなどで鳥居マークがあって、なぜオーストラリアに神社が?と最初は意味わからなかったけど、公園の意味(ときとしてBBQ設備アリの意味)だったのですね。

修行と取材の20代と方向性と基礎工事の30代

 あくまで私見ではありますが、20代までは取材と修行の時期で、なんでもやって、感じて、学んで、沢山のものをゲットする時期。30代は、いよいよ自分なりの方向性を見据えて基礎工事をやる時期じゃないかな。まあ、歴数年齢にそんなに縛られることはないのだけど、寿命×生育年齢×社会環境の要素をかけ合わせると、そのあたりがバランスとしては良いのではないかと。

 しかし「30代で方向性や基礎を」とかいっても、それまで得てきた体験記憶がしょぼかったら、そんなの見えてこないと思うのですよ。やっぱ、沢山泣いたり笑ったり感動したりを積み上げて、材料を山ほど得てくるなかで、「こんな感じにやりたい」「それはもう十分やったからもういい」とか出てくるのだと思う。料理と同じで、材料は多ければ多い方がいい。タマネギしか無いんだったら、何をどうやってもタマネギ料理になるしかない(てか料理なのか)。また、いろんな調理法や味を知っておくほどに、発想もバリエーションも増える。なんでもかんでも塩コショウで炒めてってもんでもなく、これは煮しめる、蒸す、鍋にする、グリルする、下味つけて冷やす、バナナの皮でくるんで土中に埋めその上で焚き火をしてローストする、、、、、色々な方法を知っておくことが選択肢や発想を豊かにする。

 一人で黙々と何かに打ち込む経験も、皆で苦楽を共にする経験もどっちもあったほうがいい。書斎系のことも、アウトドア系のことも。都会系も自然系も。鑑賞消費的なことも、創造的なことも。戦略的なゼロサムゲームも、共存奉仕系も。瞳孔がくわっと広がる鮮烈な刺激も、とろとろとまどろむような安らぎも。安定が潜在的にもつ絶望的な息苦しさも、自由が持つ底知れない不安感も。それを沢山体験する中で、「あ、これはもうダメ、無理」と思うか、「あ、これ、いい!」って思うか。そして、最初はそう思ってるけど時間が立つと変化するのか(最初はイヤだったけどハマったらとことんなのか、最初はいいんだけど段々飽きてしまうのか)。そして実行方法の練習。一つのことを貫き通すときのやり方、逆に変幻自在に変えていくときのやり方。四方に投網を打つにように同時並行に多くのことを動かしていくやり方、一度に一つのことに集中するのだけど、その代わり優先順位とアクセントを重視してメリハリをきかせるやり方。

 そういった「取材」と「修行」を通じて、段々と「おし、こっちだ」って方向性が見えてくるのだと思います。まあ30代でいきなりわかるってもんでもないでしょうが、10〜20代それなりにキッチリやってきたら、東西南北の4分の1くらいの方向性は出るんじゃないかなー。てか、そのくらい出てきてくれないと困るでしょ?で、「とりあえずそっち方面にいってみますか」って進み始めて、あれこれトライしていくなかで徐々に形になっていって、人生の峠のような40代につなげる。

 さてそんな中で30代ワーホリってなによ?といえば、やっぱある程度方向性が見えてきた上での基礎工事の部分になると思います。

処女婚的発想

 なお、ここで、将来進路は学校卒業時点(18歳or22歳)時点で決まっており、あとは新卒で入った会社で一生懸命出世すればいいんじゃって発想はシカトすることにします。今なお一定の支持はあると思うのですが、でもそれは一過性の高度成長期に蜃気楼のように出現した方法論であり、リアルタイムの日本社会においてすら既に古すぎるからです。非正規が正規を数的に上回るのも時間の問題という昨今に通用する方法論ではないでしょ。ましてや自分の老後をも考慮にいれた数十年先の未来モデルとしてはおよそ使いものにならない。もちろん50年先でもそういう人生パターンは存在するでしょう。ただ、猫も杓子もそれさえやっておけば大丈夫という黄金のフォーミュラではないと思う。

 思うに、それって例えるならば、「生まれて初めてセックスをした相手と一生添い遂げなればならない」というのに似てます。確かにそういうパターンもあるだろうし、昔は皆そうだったかもしれないし、それなりに良いものも含むのでしょう。否定はしないし、レスペクトもします。が、「それしかない」ってものではないだろうし、それがベスト!なのだと言われても、そうかなあ?って思う。それに似てるなーと。

 それに、ここではワーホリの話をしているわけで、何が何でも最初の職場論を貫く人は、そもそもワーホリに来ませんから(笑)。

 何をクデクデ書いてるかといえば、30代ワーホリを活用するためには、30代はこうやって生きようという自分なりの戦略なり、腹括りが出来てないとしんどいんじゃないかということです。そして30代の過ごし方の意思決定をするためには、漠然とでも全人生について「こんな感じ」って大まかな方針が立ってないとしんどいでしょう。だから今回の31−35歳ワーホリは「深い」し、人生ビザ、腹括りビザだと思うのです。

 と、同時に対世間の問題もあります。世間的にどうよ?ってことですが、もっと正確に言えば、生存環境とのフィット率やマッチングです。それはどういうバックグラウンドでやっていくか論でもあります。ここで永住権とか、30代ワーホリビザの戦略性が出てきます。項を変えます。


 向こうに見えるのがRoseville Bridge


永住権と30代ワーホリの戦略性

永住権はゆとりビザ、それ以外は余命宣告

 永住権というのは「永住」するためのビザだと理解されがちですが、実際の使用実感は違います。もう全然違うね。どこに永住するかなんて結果論だもん。わかるかそんなもん。地方から都会に出てきて就職している人だって、将来的に田舎に帰って死ぬのか、それとも都会に居続けるのか、そんなもん決められないでしょうが。「そのつもり」という目論見はあっても、決定的にそうなる保証はどこにもない。実際、永住権とって数十年暮らしていても、晩年になったら日本に戻る人も多いし、その前の親の介護その他で帰国する人も多い。だから、地方から都会に出てきて就職しているくらいの感じなんですよ。しばらく腰を落ち着けて〜、本格的に攻略してみっか、くらいの感じ。

 で、永住権が「ゆとりビザ」というのは、それ以外のビザにはゆとりがないからです。それが学生ビザだろうが労働ビザだろうが、大体において期限が決まっていて、滞在中にどんなに何をやって盛り上がろうとも期限が来たら国外退去しなくてはならない。いわば「余命宣告」を受けているようなものなのですわ。

 しかも学生ビザなら80%の出席、労働ビザなら同じ雇用者(スポンサー)での勤務が義務付けられており、それをしないと即終了です。余命宣告の比喩でいえば、単に生存期間が決まってるだけではなく、その間に入院とか食餌制限とか抗がん剤服用とかいろいろ制約があるわけです。自由に動けない。

 これしんどいですよ。一定の持ち時間は与えられるものの、決められたことをやりつつ、次の展開を模索しないとならないわけですから。ビザ取り学校だって楽じゃないですよ。仕事して、疲れ切って、一応は宿題(これが大変)を提出して、また働いて次のタームの学費を貯めて、、って日々ですからね、それで時間が来て、はい終了〜ですから。

 その点永住ビザは、なーんもないです。ほぼ無限に滞在でき、その間の何をしなければという義務はない。その差は余命宣告を受けている入院患者と、街を闊歩している健康体くらいの差がある。別の比喩でいえば、山登りのロッククライミングみたいなもので、永住以外は、崖にしがみついて、常になんかしてないと落ちてしまう。でも永住は頂上かどっかのテラスまでいってるから、しがみつかなくていい。寝転がっていてもいい。

 だから永住ビザには「ゆとり」があり、その間にどうしよーっかなーって来し方行く末をを考え、実行できる。ゆえに永住権は「あがり」ではなく「はじまり」であり、じっくり時間をかけて模索したり、試行錯誤をするための前提条件整備という機能があります。

生存環境の選択 

 永住までいけば衛星軌道までいくからもう落ちないけど、そこまで達してないと遅かれ早かれ国外退去で、そうなると又地面(日本社会)に戻ることになります。

 そこで30代ワーホリの問題が出てきます。つまり、いずれに日本社会に帰還するとするなら、あそこ(都会であれ郷里であれ)での生存環境(生活、就職、結婚、育児その他)との整合性をいかにはかるかが将来的な課題になるでしょう。そこでの考え方はまた次に述べますが、ここでは、永住権までいって、対岸まで渡ってしまえば、オーストラリアと日本という2つの生存バックグランドの選択肢があるし、時期的に交互にするなどのワザもありうる。しかし、対岸まで渡りきれなかったら、(第三国をめざすという選択肢もないことはないけど)普通は母国の引力圏に引き寄せられます。すなわち選択肢が一つしか無いか乏しい。その違いです。

遊牧的方法論

 ちなみに、どこに永住するともなく、遊牧民族的に国から国に移り住むという方法論もあります。が、これは難しいです。どこの国でも、観光で来てお金を落としてくれるのは歓迎だろうが、国民の仕事を奪うような就労ビザの取得は難しいでしょう。ある程度、その社会でのスポンサーなり水先案内人が必要だと思われます。でも、そういった人達を味方につけるまでが大変。というかね、そこまでの過程が一番難しいと思いますよ。右も左もわからん異国で、その国のシキタリ覚えて、言語覚えて、なんらかのルートで就労系のビザとっても最初はカジュアルの下働きでしょう。そこからさらに這い上がって、それなりのポジションとスポンサーをゲットするプロセスこそが一番難しい。どこに国にいってもそれが簡単にできてしまうのは、よほど世界的に通用する高い技術と実績(+人脈)を持ってる人であり、そんな人だったら最初から永住権だって簡単に取れてしまうでしょう。

 例えるなら、最初に柔道やって黒帯にいく手前の1〜2級くらいまで頑張ったところで、今度はボクシングをやって、これもある程度のレベル手前で、次に剣道やって、、、てなもんで、ゼロから何度もやっていくくらいなら、最初の柔道に打ち込んで初段取ってしまった方がいい。てか、どの分野にいってもすぐにそれなりのレベルに達するためには、専門分野で三段くらいの実力をつけて、その過程で身体能力やカンやコツを掴んでないとならないとも言えます。でも段が取れてしまった時点でもう永住権が取れていると。

 もう一点、遊牧的方法論の欠点は、それはバリバリ働けている間の話、自分の力が市場価値を持っている間の話だということです。病気で倒れたり、老齢でボケたり、事故で失明したりってなったら、そこでアウトです。永住権なり市民権なりという「正会員」は、正社員と同じく福利厚生がききます。その国の保健福祉システムが使える。でも、働くだけのビザだったら、そこが弱い。つまり永住権というのは、ゆっくり考える時間を与えられるだけではなく、何らかのトラブルに見舞われたときのライフラインやインフラという、人生のバックヤードの整備をも意味します。

 (何度も書いてますが)僕が20数年前にオーストラリアに着目したのも、基礎年金部分が積立方式ではなく、毎月支払ってなくても(てか基礎年金については掛け金という概念がない)税金で支払われるという点です。日本のように払っても返ってくるか危ういのと、何も支払わなくても要件を満たせば支払われる(国籍を取らなくても永住者ならOK)というのは天地の差があります。このようなバックヤード部分もポイントになりました。


 絵画のような。こっちに来てこういう風景をよく見ますが、それまで西洋画で「あれは絵画的デフォルメなんだろう」とかなにげに思ってた部分が、「あ、あれは写実的だったんだ」とわかりました。何が違うんだろうなー、空気の湿度とか、太陽の入射角かしらね。

考え方と活用方法

 整理しますと、ある程度オーストラリアでやろうと思う人の選択肢は、論理的には、

(1)永住=対岸まで渡りきって居場所の選択肢とゆとりを得て次に備える
(2)後日、日本社会に復帰しても自信を持ってやっていけるようになる

 の二つだと思います。

 これをワーホリに絡めていえば、(2)がポイントになると思います。日本に戻って、また世間の視線が気になったり、同調圧力にビビったり、知らない間に保身的な腑抜けになっちゃったりしたら、何のためにこれまで頑張ってきたの?って気がします。

 なお、2つに分けつつも、究極的には同じことになるんだろうなーって思います。永住権を取れるくらい現地で奮闘してきた人なら(かなりハイレベルな英語力とスポンサーをゲットしうるだけのアウェイ環境での戦闘能力がある人なら)、日本に戻っても全然楽勝でいけるでしょう。また、日本でガーンと自分をだしてやっていける人なら、永住権を狙ってもかなりいい勝負が出来るはずです。だから同じことだと。同じことを、右からみるか、左から見るかの差でしかないんだろうなと思います。

気づかぬ自信とその効用

 これはオーストラリアで過ごしてきた日々の内実と正比例すると思います。力いっぱい自分をぶつけてそれなりに感触を得てきた人だったら(結果がどうこうではなく、十分に頑張った、もがいた、悩んだ、戦ったという感覚)、それは絶対後日に生きます。単に羽目をはずして遊び狂っていたとしても尚も価値がある。「あんだけ遊んだんだから、もう十分」って気になったりもするからです。ヤンキーやってたのが「卒業」して実直な若夫婦になるのと同じで、「さんざんヤンチャしてたから、もう十分、これからは気合を入れてシリアスに」って感じ。要するに燃焼感なり達成感があれば、それはもうひとつの力になりうる。

 英語や海外体験についても同じで、英語力が直ちに仕事なりお金に結びつくものではないけど、それでも無駄ではないのですよ。これ意外と気づかれないのだけど、知らないうちに「自信」がつき、それがオールマイティに力を発揮する。「自信」というのはわかりにくいものですが、こういう例えにしたらわかりやすいでしょうか。例えば、見てくれなんかもそうです。美容院のカットで失敗して恥ずかしいとか、靴下に穴があいてるのを発見してしまったとか、さっきビリっとズボンのお尻が破けてしまった、、とかいう場合、人前にバーンと出て行く自信が減るから、何をするにも消極的になると思うのです。皆でなんかしようと言われても、「や、今日は、ちょっと」と後ずさりする。ところがお気に入りのブーツを履いてるときとか、いい感じで何かがキマってるときは自信があるから何をするにも積極的になれる。

 それはほんの少しの差なのだろうし、その事柄が直接なにかの有利になるわけではなくても(結局ブーツの話なんか一言も出ず、誰も注目しなかったとしても)、その精神的な効用というのは計り知れないです。あらゆる局面で、半歩後ずさるか、半歩前に出れるかという差は、人生をガラリと変えるだけの威力があります。僕も高校のときに柔道で黒帯を取って、その力が直接喧嘩とか取っ組み合いの役に立ったというケースは皆無でしたが(受け身技術はすごい身を助けましたが)、そこで得たなんとなくの自信は、かなり大きなものだったと思います。

 英語も同じで、多少なりともやってきたという自負があるなら、結果的に全然わからなかったとしても、とりあえずやってみようとは思う。英文出されても、まずは読んでみようと思うし、英語の会話でもとりあえず話してみようとは思う。ここが致命的に自信がないと(やったという実感がないと)、「どうせダメだし、、」と頭から否定で入る。だからあらゆるチャンスで一歩後ずさりしてしまう。会話でもあと一歩の踏み込みが弱い。あと一言確認すればよかったのに、あと一言「そこを何とか」ともう一度お願いすればいいのに、そこが弱くなる。自信がないと、分かる/分からない以前に、トライしようとしなくなるのですな。そんなこんなで塵も積もれば山となります。

 ほんと人間の心理なんか、ゼンマイ仕掛けのオモチャのように、阿呆みたいにシンプルだと思います。ベースにポジがくるかネガがくるかで180度違う。逆上がりや自転車の練習でも、マグレでもなんでもたった一回でも出来たら、いや出来損ないだろうが出来そうな感じがしたら、もう「出来る!」と思ってしまう。ベースがポジになる。その後百連敗してもメゲなくなる。ベースがネガだと3連敗くらいでもう心が折れて「やっぱ無理だよ〜」となるのが、ポジベースになると折れなくなる。というか、「あれ?いま出来たじゃん!なんで出来ねーんだよ?おっかしいなあ」とむしろ腹が立ってくる。一回でも出来たら、それが一勝百敗であろうが「俺は勝てる」というのがベースになる。

 ということで具体的に何をどうするという話ではなく、十分に頑張れたって気がしたら、それはそのまま自信になります。ベースがポジになる。何かが出来るようにならなくてもいいけど、頑張るということについては自信はつくし、また自分の働きかけによって外界が動くんだってことも知らないうちに身体に馴染んでくる。そこが大きいのですよね。

 僕から見てると、皆さんの1年の体験の効用はめちゃくちゃ明らかで、歴然とオーラが変わります。「オーラ」と言うと、ともすればオカルティックなイメージになりますが、敢えて細かく注釈をつければ、「やれば出来るんじゃないか、少なくともトライする価値はあるよね」とベースで思うようになるから、身体のあちこちが変わるのですよ。例えば、前よりも目を逸らさなくなったとか、声(特に語尾)が強くなったとか、発言や行動直前の「刹那の逡巡」がなくなるとか、能動的な心持ちでいるからアドレナリンが出る→瞳孔を広げる→反射率があがって目がキラキラするなどです。まあ、でも、見れば誰でもわかるってくらい変わります。

 自信がつけば、あとはこっちのものです。なんせ全ての局面で今までよりも踏み込みが強くなってるから、日本での再就職なんか別にどうということもないでしょう。人の顔色うかがってヘコヘコしなくなる分、逆に有利になる場合も多い。それも計算してそうしているわけではない、オーガニックな態度なだけに説得力がある。以前、「仕事に自己実現はもう求めません。どんなに忙しくても5時に退社します。その代わり使えないなと思ったらいつクビにしてくれても文句はないです」と応募段階からハッキリ宣言していた人がいて、それだけハッキリ言ってくれた方が逆に使いやすいわってことであっさり就職出来たらしいです。

 以上、長々書いたけど、これがベース、これが基礎理論です。そして30代ワーホリはこの応用になります。


 水鳥もちゃんといたりして。マザーグースのグース=鴨かな。。

ラオウのように強く

 20代でワーホリは、まあまだ日本社会でも許容の範囲で、「若いうちはいろいろ体験しておけばいいよー」てな感じでしょうが、30代になると、「いつまでフラフラそんなことやってるんだ?」とネガ評価がキツくなる側面はあるでしょう。これは否定できないと思う。

 それだけ世間の圧力は高まるわけで、生存環境としては厳しくなります。30代でワーホリ来る人は、そこは覚悟しなきゃいけないし、何よりも自分のことですので、僕に言われるまでもなく覚悟してるでしょう。そして、それでやっていこうというのだから、20代ワーホリよりも「強く」なる必要がある。マンガのイメージで言えば、ラオウのようなもので、世間なんか雑魚キャラで、いくら束になってウザウザ言ってこようが、「むーん!」とかいって腕を一振りするだけでフキ飛んでしまうくらい強くなればいい。年齢が上がるにしたがって、この種の強さは必要でしょう。

 でもその強さはどこから来るのか?といえば、自分の生き方についての自信だと思います。「私はこれでいく」「俺はこれでいい」という、さんざん悩んで、試行錯誤して、辿り着いた境地みたいなもの。そこが確固たるものであればあるほど、世間のウザウザなどは春霞のようなもの。でも、そこが弱いと、なんか言われる度に心がグラグラするし、いちいち傷ついたりするし、なんもできなくなる。でも、これってオーガニックに出てきた自信でないとダメですよ。似て非なるものが、言い訳とか正当化とか意地とかで「これでいいんだい!」とか言い張ってる場合。それがよくないのは自分の深層心理でわかってるから、結局自信につながらない。

 この生き方の自信って、言葉を換えれば、冒頭に書いたこと=20代は取材で30代は実行であるということ=につながります。「おし、このセンでいってみますか」という方向性が定まり、それに必要な実務作業をやっていくという。人生の大まかなコンセプトがつかめ、とりあえずの10年(30代)のラフスケッチが出来て、そしてそれを行うということです。これが出来るならば、日本の世間など所詮は幽霊みたいなものだから、どうということもない。

 だもんで、30代ワーホリの深さは、人生のおおまかなスケッチが出来ていることとリンクしてきます。そしてそれをやってみよう!という腹の括りが出来た人のためのものだと。これを単にモラトリアム的な利用の仕方をしてしまったら、あとがきついです。1日モラトっちゃうと3日ダメージが来るの法則、休暇が長いほど終わりは切ないの法則ですから。

有効活用のパターン

ジョーカーの切り方

 抽象論はこのくらいにして、具体的にいいます。どういう活用の仕方があるのか?です。

 もともとワーホリビザというのはジョーカーのようにもの凄く使えるビザです。なんせ永住権の次に自由度の高い貴族ビザであり、「ゆとり」があるのですよ。何をしてもいいし、何もしなくてもいいという。

 前提条件は、オーストラリアでは二回目ワーホリがあります。学生ビザも取れます。また、カナダやNZでもワーホリビザは取れます。ワーホリ・学生ビザと永住の間には、労働ビザ(457ビザ)があります。なんとしてもスポンサーを探して457ビザまでたどり着き、さらにそこで職歴を積むことで永住権のポイントを稼ぐと同時に、他の就職への有利な足掛かりにする。リーチ一発で永住までいけたら御の字ですが、職域の問題もあって中々難しい。そこで中間ステップとして457ビザをゲットする。そのゲットするまでの就活期間として、学生ビザやらワーホリビザを活用するという方法もあります。

 また現地である程度の勝負をしようと思うなら、語学学校で番長を張れるくらいの英語力が必要でしょう。IELTSいえば最低でも6点、できれば7点。ケンブリッジ試験だったら最低でもFCEで、できればCAE。IELTS6ないと、王道の技術永住の申請資格すら与えられないから絶対必要。さらに永住の年齢ポイントは32歳までが最高点で、33歳になると点数が下がることから、頑張れば取れる英語点で加点が欲しい。IELTS7で10点加点がもらえる。超難関の8点だと20点ももらえる。60点ボーダーの20点はデカイです。オーストラリア国外職歴8年以上の最高点、オーストラリアで博士号を取るポイントに等しいですから。IELTS7の10点加点でも国外職歴5年以上のスキルポイントに匹敵する。どうせやらなきゃいけない英語でポイントが稼げるのは美味しいです。だもんで、いずれにせよ、どっかの期間で固めて英語をみっちりやって相当な底上げをするべき期間は必要でしょう。


 鳥ってたいていカップルでいますよね。

カタチにならないものはカタチにしてはいけない

 これらをその人の置かれた状況に即して、臨機応変にアレンジしていくのが大切だと思います。そのあたりの技術的なことはビザ代行士さんなどがやってくださるとは思いますが、僕的にはもっと広い視点というか、その前提段階を含めて話すことが多いです。何かといえば、そんなにビシっと腹がくくれている人がそもそも少ないので、もっぱら「腹の括り方」の相談という部分が大きいんですよねー。どうやって生きていきたいの?という。

 どうしても皆さん発想が固いというか、生真面目というか、カチッとしたものを求める傾向がある。あるいはカチッとしてないとダメなんだって思ったりもする。でも、自分の本当の意欲や情念って、炎みたいなものでカチッとしてないです。本来、意欲とか希望や理想というものは「物体」ではなく、熱や重力のように「現象」です。カタチがないものを捉える場合、カタチのないまま扱う必要がある。それを無理やりカタチにした時点で、なにやらサイズの合わない靴のように違和感が生じる。カタチにしてはいけない、とすら言える。必要なのはカタチにするためのコンクリなのでなく、温度計による正確な測定でしょう。そしてとある現象(生きがいとか)をサステナブルに持続させるためにはどうしたらいいか?です。熱伝導率が高いとか、エネルギー減衰率が低いとか、そのためにはどういうシステムにしたらいいか?でしょう。入れ物という物体を作ることではない。

 また、20代で取材、30代で実行といっても、その「方向性」なり「実行」の意味内容は、「押上駅近くにスカイツリーを建築する」みたいにクリアに見えているわけはないです。そんなの近視眼的な目標であって本当のゴールではないでしょう。「方向性」といっても、あれこれ探し続けていきたい、探すこと自体が面白く、この広い世界を探検して、知らないことに触れていくワクワク感が好きなんだって場合もあるでしょう。この場合の方向性とは「死ぬまで探し続ける」ことであり、それがイコール「実行」になったりもする。これはもう言葉の問題なんだけど、単なる手段性を超えて、本質的な意味をもつかどうかです。

 そういったモヤヤ〜ンとした形にしにくい原感情のようなものを、あれこれ聞いていってオーダーメイドのシステムに組み上げていく部分が一番大事で、一番難しいところです。でも、これは弁護士時代の依頼者との打ち合わせでも同じです。よく「意地をとるか、カネを取るか」って言われますが、どっちがメインになるのか?利害打算でやるのか、それとも自我存亡の危機なのか。そのあたりがわりと見えてきたら、あとは論理的に最適化していけばいいだけだから、それは楽なんですよー。そこらへんは否応なく鍛えられてきたから、曖昧な感覚を言語化するのは得意ですし、それが実はメインの仕事(無償なんだけど)だったりもします。

 例えば入社3年目くらいで来る場合、まだ取材も修行も全然足りないだろうから、なんでも体験できるワーホリをまずやって、なんでもトライしたらいい。しかし、自信やノウハウがないと、お金払ってアレンジしてもらったり、ツアー参加とかあなた任せの消費行動で終わってしまうから、最初はきっちり地力をつけるために最低限自分で動いて切り開くノウハウであるシェア探しをやって、英語力もそこそこつける。で、1年たって何か見えた?どう感じた?で、いや、見えかけてきたんだけど、まだまだだから経過観察続行をする。その場合、同じオーストラリアで2年やるか、ブレイク挟んで、NZ行ったり、カナダで修行しようと。NZはオーストラリアよりも小さいから、だーっと走り抜けるような横的な広がりよりも、縦に掘り下げるようなアプローチがいいかもね、カナダはオセアニア&イギリス圏内ではなく北米圏内だから、あらゆる点で似て非なる英語圏での感覚になれるというメリットがあるとか。

 どっかの時点で本腰入れたくなったら、学生ビザで1年くらいじっくり英語を攻めて攻めて攻めまくって、最低でもIELTS6,うまくすれば7を取って後日に備える。そして、その間に果敢に打って出て、457ビザがもぎ取れたらよし、そうでなければ、、とかね。

 あと35歳までのワーホリが出来るようになったので、これを最後までとっておく手段もありますね。たとえば457ビザ取りました、労働できます、働き始めました、職歴ついてます、、でも、あまりにも職場が気に食わないとか、457まではくれるけど雇用者指名の永住権までは成り上がれ無いのが発覚、どうしたらいいか?ってケースもあります。その場合、取引先とか知人からの紹介で別のところに移籍するとします。しかし、相手も、未知数なのでいきなり457のスポンサーは無理だとします(ありがち)。とりあえず3ヶ月試用期間で様子を見たいと。その場合、今の勤務先を止めた途端国外退去です。でも3ヶ月の試用期間は欲しい。そこでビザ取りだって話になるんだけど、そこで31-35歳ワーホリをパッチワークのように当てるというやり方はあります。

 なんせワーホリビザというは自由自在の貴族ビザなので、自分の能力が上がれば上がるほど使い勝手が高まるのですよね。それも含めて、オーストラリア2回、NZ、カナダ各一回、どっかで英語がっちり、をどういう順番で配列するかってことになります。それは成り行き次第ではあるのだけど、こういう使い方があるとかないとか、そこは最初に頭に入れておくと展開が変わってくるでしょう。

 一方では、30歳のギリホリで来た場合でも、これまで十分に職歴があった人の場合、その点は良いのだけど、逆にぜーんぜん違う世界を知らない。職歴が深くなればなるほど縦方向に強くなるんだけど、逆に横方向の視野が狭まってしまう。それが天職レベルに良いのであればまだマシですけど、たまたまの成り行きでやってた仕事である場合、一生スパンの戦略を立てるにはまだまだ取材不足という面はあると思います。仕事面や世間知とかそういう部分では取材十分なんだけど、そうでない分野(農村生活であるとか、仲間と底抜けに楽しい共同生活をするとか、自分ひとりで深い創作をしてみるとか)は未知数なので、30歳過ぎてからでも「追加取材」というのは十分アリだと思います。てかそのパターンは多いですねー。

自分の場合

 僕の場合も34歳で来ましたけど(ワーホリなんか25歳までだったし、そもそも知らなかった)、やっぱり専門性の高い仕事をしてるとタコツボ化していくのが凄い気持ち悪かったのですね。だから日本にいるときから激しく異業種交流をやって、どんな業界、どんな地域の話もダボハゼのように聞いて、学んで、広い世間のその「広さ」を感じ取って、、ってやってました。しかし、こんなチマチマやってたって駄目だあ!て気分になって、もう総取り替えじゃあ!ってこっちに来ました。それにそれまで勝ちゃあいいんだ勝ちゃあって力任せにガムシャラにやってただけに、感性摩滅が甚だしい。快楽=消費みたいになってた部分があって、あかん、虫取りやってた小学生の頃のような感性まで戻さないと「燃費」が悪すぎる(何をやってもそんなに楽しく感じないなら努力のしがいがない)と思った点もあります。もう錆びた刀を「研ぎに出す」みたいな感じ。

 当時のことで永住権は比較的簡単に取れてしまいましたが、取った後も「3年間は土中のセミになる」って感じで、時間をたっぷり使って「生活」「生きる」という、これまでおろそかにしていた部分を中心にやってました。ちゃんと買い物いって、ちゃんと料理を作るとか、オイルまみれになって自動車の修理に精を出すとか、蛇口の水漏れを直そうと格闘してずぶ濡れになってたり、それまでコンビニまでちゃーっと行って適当に消費して済ませていた部分ですね。なんか、もう、人間として根本的に間違ってる気が滅茶苦茶して、そこの徹底補強をやらないと人生が前に進まないような気がしました。また、英語にせよ(一応IELTS6は取れたけど、実戦ではまるで無能だし)、それまでやってなかったパソコンにせよ(ついでに出始めだったネットのHPにせよ)、時間かけてやろうと。

 このあたりは明確に言語化したり理論化してやってたわけじゃないです。そんなことする必要もなかったです。もう「喉がかわいた」みたいな生理感覚で、「ここが自分には足りない」というのはわかりますもん。そして、ここを抜本的になんとかしないと先に進めないぞってのも分かる。だとしたら何年かかろうが、苦手だろうが、破産しようがなんだろうが、それをやるしかないわけですからね。逃げて、誤魔化して、無かったことにして、それで一生が終わりました〜ってのだけは許せへんというか。誰でもそうじゃないですかね?


 まあ、いずれにせよ35歳ワーホリまで延びたので、そのあたりの戦略的な組み合わせは自由度があがって良いことだと思います。が、何をどうするにせよ、自分自身がこうやって生きていきたいという腹を括れるかどうかがポイントになると思います。あるいは、腹を括れるような自分になりたいというのもアリだと思います。流されたり、定食選ぶだけみたいな受け身ではなく、もっと能動的に、選ぶというよりも「創る」ような感じで生きていきたい、そのためには、、、という。


 以上、長々書きましたけど、なかなか深いビザだと思います。この11月にまた日本に一時帰国しますが、その際にでもその種の話をする機会があればいいですねー。なんせ人によって全っ然組み合わせが変わってくるので。





 日没付近ですが、これから残照夕焼けのオレンジ色祭りになります。でもこの日はもう帰ったけど。





 文責:田村




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