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今週の一枚(2016/09/12)



Essay 791:東京アボリジニと虚構人格

 写真は、Neurtral Bayとかそのあたり。
 やあ、やっと花咲き乱れる春になりましたー。咲くときゃ一気だよね。朝晩はまだまだ寒いですけど。

東京アボリジニと征服者

 二回前のエッセイ789で、僕個人の変わった性癖として、他人と同じようにありたいとは思わず、常に他人と違っていたいと自然に思っていたことを書きました。その理由として、最後に「長くなるから別の機会に」と退けておいた理由として、僕が東京生まれの東京育ちであるというファクターがあると触れました。今日のその点を、さらに膨らませて書きます。

 東京生まれ/育ちというは長たらしいから、ここでは「東京アボリジニ」といいます。僕が勝手に作った造語ですが(これがまた大量にあるのだが)。ここでアボリジニ「原(先)住民」というからには、後からやってきた「入植者」「征服者」も当然想定されています。それがあるからこそ対比的にアボリジニというわけです。

 かつて東京(首都圏)には大量に入植・征服者がいましたし、それによってアボリジニである僕は、実際にもなんとなく「征服された感」もあります。その現象が僕の価値観にややもすれば影響を与え、さらにその後の日本人のメンタルや人格に多少の影響を与えているんじゃないかなー?というのが本稿のお話です。

大量の入植者

 まあ昔の話ですから、今とはちょっと感じが違うのかもしれません。僕らの頃=70-80年代はサラリーマンの転勤は至極当たり前の話でした。東京など大都市近郊にどんどんベッドタウンや新興住宅地ができていた頃ですが、そんなものが必要とされたというのは、それだけ人口の流動が非常に激しかったということを意味します。なぜそんなに人々が激しく往来したのかというと、おそらくは激しく経済成長したからでしょう。個々の企業もどんどん成長しますから、今度九州支部を作るようになったからとか、その種の話は日常茶飯時にあった。そこで「キミ、行ってくれるか」と。その時代に子供をやってると、毎学期のように転校生はおり、自分もまた転校する。僕のカミさんも、神戸以外に、名古屋、広島、九州に住んでたそうで、そんな人は幾らでもいた。

 東京の人口も急激に増えて増えて、よそから入ってきた人達も多くなる。僕の両親もそのうちの一人で、だから僕はアボリジニというよりは入植者二世になるんだけど、でも、感じとしてはアボリジニですな。正真正銘の江戸っ子なんか、逆に北海道のアイヌみたいな存在で(三代続いて、神田明神の氏子になってるとか)。

 思い出話的に言ってても、話が散漫になっていくので、統計数値を出しましょう。内閣府が刊行している戦後の首都圏人口の推移というものがありました。



 ↑を見てわかるのは、首都圏人口の増加率は、60年代36.9%増加、70年代35%とこの20年間に非常に大きかった点です。以下80年代に19%とちょい落ち着き、90年代は10%とさらにクールダウンし、それ以降は微増レベルになってます。なんせ1950年に1300万人だった首都圏人口が、80年には2900万近く=わずか30年で人口が2倍以上に増えるという、今の感覚ではおよそ考えられない大変化があったわけです。

 なお、人口増には、外部からの人口流入のほか、その地で生まれた人が増えるという自然増もおおきいです。ベビーブーム(第二次も)、あるいはその後の僕自身のようにアボリジニも増えてます。ですが、別の表(後述)でもわかりますが、社会増(外部から流入)も相当程度あります。

高度成長後の虚飾商業主義

 一方人々のメンタリティですが、人はだれでも見栄っ張りです。江戸っ子なんか特にその種のやせ我慢的な見栄が強いし、お武家様も「武士は食わねど高楊枝」とか、これまた見栄坊だったりします。しかし、1970年代までは、まだまだ可愛い古典的な見栄、子供みたいな無邪気な見栄で(女房を質に入れても初鰹は食うんでえ的な)、お隣が車を買い換えたら、ウチはもっと大きな車を買うんだーという、馬鹿といえばお馬鹿なカッコつけだったと思います。一定年齢以上のおっちゃんおばちゃんだったら、当時のクルマのCMで「隣の車が小さく見えまーす」という流行語を覚えておられるかもしれない。今ならちょっとヤバイ表現で、炎上しそうですけど。でも、ま、その程度の可愛い見栄だったんですよ。

 ところが、80年代以降、「なんとなくクリスタル」という小説が時代を反映したと言われていたように、見栄が可愛くなくなっていきます。こましゃくれてくるというか、ひねこびてくるというか。

 リッチでアンニュイでソフィスティケイトされたアーバンライフがカッコいいと。ちょっとありえないような富裕で洗練されたセンスの良さや、ゴージャス感が正義になった。前時代の四畳半フォークみたいなものは貧乏くさい、ダサいということになった。「金曜日の妻たちへ」(キンツマね)が流行って、どう考えてもたいした給料もらってるとは思えないような能力の人達が、なぜか自由が丘とかのカッチョいいメゾネットのだだっぴろいマンションに住んで、金曜の夜にはワインと花束を買ってとか、むず痒くなるような感じでありました。要はカッコつけるためのハードルがかなり上がったわけですよ。

 ほんと思うのですが、80年代になって日本が豊かになってから、方向感を失っていたんじゃないか。モノや食い物が絶対的に不足してたころの方向感は分かりやすかったと思いますよ。そこでは物財的な豊かさが圧倒的に正義であった。心情的にも現実的にもわかりやすかった。でも満たされてしまうと、大学の5月病みたいに、これからどうしたらいいのかわからなくなったわけですな。とりあえずブランド品でも買っとけというゲスな成金趣味やら、恥ずかしいからという消極的なモチベやら。バブルなんかその極致ですけどね。

 でも、そっちの方向に仕向けられたって部分もあると思います。つまりマーケティングというものがこの頃からかなり本格的に進化していった。あざといメディアミックス戦略が大規模な資本で展開されるようになった。「豊かさのさらなる追求」はいいんだけど、それが企業が儲かる方向へと誘導されたキライがあると。だって、別の展開もありえたと思いますもん。洗練された本当の意味での貴族趣味に行く方向もあろうし、贅肉を削ぎ落とした清貧的な豊かさ(茶室が狭くて何もないみたいな)もありえたでしょう。量的豊かさから質的豊かさへの「質」の内容ですね。これが残念なことに単純に「値段の高いもの」「有名なもの」という具合に商業化されていった。

 ちなみに、今は貧困化が進んでいるから、逆に方向感は研ぎ澄ませされつつあると思います。自分の人生で一番大事なものはなにかということを、虚飾を排して真剣に考えようというのが、メディアはそれほど書き立てないけど(儲からないからね)実は大きな流れになっていると僕には思える。その意味ではセンス良くなってると、いい傾向じゃないかと。もちろん安ければいいんだ的なデフレ的なダウングレードとして悪しき部分もあるけど、個々人の内面に照らして判断しよう(故に表面に出にくい)というのは年々増えているんじゃないかな。

アボリジニの被征服感

 で、これらの話が東京アボリジニとどうリンクするかというと、この種の軽薄で虚飾に満ちた商業主義に乗りやすいのは、アボリジニである僕らよりも、あとから東京に出てきた人達であったと思われる点です。

 なぜかといえばコンプレックスがあるからです。猫も杓子も花の東京に出てきて、そこで田舎者だと思われるのは死刑宣告的に辛いという。今は日本人のセンスが良くなってるし、そんなグジュグジュした感覚は少ないだろうなと思われますが、明治以来この種の田舎モン差別は連綿と続いて、80年代なんか結構ひどかったように記憶してます。爆風スランプというバンドのデビューシングル(1984年)に「週間東京少女A」というのがあり、毎週日曜に上京する少女たちの光景をコミカルに歌ったものですが、「ナンパなんかされたら、無口なふり装うの。ハイとイイエでキメて、訛りだけは気をつけて」「教えられないわ、10桁もあるテレホンナンバー(当時は携帯ないし)」なんて歌詞が延々出てきます。そんな感じだったのよね。

 で、コンプレックスにドライブされた風潮に、東京の原カルチャーは征服されてしまって、なんだかなーと思ったもんです。リアルに思い出せば、70年台からそれはあったかな。なにを皆カッコつけるんだろ?と不思議な感じですあらあった。僕の高校時代の友人の実家が銀座で、銀座ってもともとはいい感じの下町なんですけど、どんどん虚飾色に浸食されていって、「本当はこういう町じゃないんだけどねー」って感を日々新にすると。赤坂も、原宿もそうです。

 そのあたり、非征服者的な鬱憤はちょっとありましたね。なーにいってやんでえ、しゃらくせえやいっ!って。なーにが「オシャレな」だ、ドテカボチャにへのへのもへじ野郎があ。渋谷なんか静かでおっとりしていい街だったのに、西武やら東急やらがよってたかってガキんちょランドに作り変えちめえやがって、あー、やだやだって。

コンプレックス&コマーシャル・ドライブン

東京界隈の特異性

 東京コンプレックスがゼロのアボリジニにとっても、なんか日々どんどん居心地悪くなってる感じ(ちなみに優越感も別にないです。それは地球人が地球に住んでることに優越感を感じないのと同じで、当たり前すぎて何も思わない)。んでも、そういう風潮になっていってしまって、アボリジニですら居心地悪く感じるなら、東京に出てくる人達にとってのハードルはさぞや高かかったでしょう。ましてやキンツマやブランドなど、ありえないレベルでカネのかかるハードルですからね。結局誰もが劣等感を感じるように仕組まれていたんじゃないのかな。だからコンプレックスを補強するために、流行ってるものは一応チェックしておくとか、「世間から嘲笑されないためのメンテ作業」が膨大で、それやってるだけで日が暮れるという。

 それだけなら一過性の風潮だったけど、それが妙なかたちで後の世代に継承されていったようにも思います。例えば、日本社会独特のピア・プレッシャーに転化し、定着したり。あるいは、商業的には好都合だから、電通十訓みたいな、「ビビらせろ」「陳腐化させろ」「流行遅れにさせろ」と、人格の尊厳すら脅迫するような形でモノや流行を売るようになって、それが日本の商業主義の一つの基本形態(だいぶ神通力は失せたけど)として今でも続いていると思います。クソだなーと。

 ちなみにそれが日本人の共通属性であるという見解には、僕は疑問を保留してます。そうかあ?と。そんなのやってるの東京界隈だけじゃないのか。中京圏も関西圏も暮らしたことあるし、地方都市にも暮らしたけど、そこまで圧力強くないです。もっと皆さんのびのび自分の個性で生きてる。そんなカッコつけるために生きているみたいな特殊な習性を持っているのは東京界隈くらいじゃないかな。なぜかといえば、これは推測ですけど、コンプレックス・モチベーションみたいなものが強いからでしょう。

 ここで、また内閣府の資料をひっぱってきますね。首都圏、中京、近畿の大都市圏、それに九州圏、東北県の戦後の人口変動のグラフです。



 まずぱっとわかることは、エリアによって人口変動のパターンはマチマチであるという点です。東京パターンが全国と同じわけではない。というよりも東京パターンだけが他の日本のエリアとは違っている。これが一点目。

 二点目には、棒グラフの白部分とピンク部分に着目。白は自然増、ピンクは社会増(外部からの流入)ですが、外部流入が量的にも割合的にも大きく、しかもずっと流入し続けているのは首都圏だけです。他の日本は、そうではない。左端のスタートの増加率が高いのはどこも同じで、それは戦後復興の人口爆発があるからです。その後、九州、東北は社会増どころか社会減(人口流出)ですし、近畿、中京の都市圏でもしばらく増加が続くけど、後半になるほどピンク増は少ない。

 これを別の言い方をすれば、東京以外の日本ではそのエリア土着のアボリジニ率が高い。だからそんなにコンプレックス感じていない。でも東京は一貫してピンク増、新参者やアウェイ感を抱く人が常にいて、それが東京主義的な裏返しのコンプレックスの土壌になり、その種の商法の温床にもなるんじゃないか。

 これは個人的な体験記憶としても整合するのですが、東京にいるとどっかしら「構える」感じはあって、それがシティというものの緊張感なんだよ、そこが新鮮で、それがいいんだよっていう向きもあろうけど(僕もそう思ってた時期もある)、今にして思えば、ちゃうやん、それってただビビってるだけじゃないの?身構えているだけじゃないの?って気もする。他のエリアに住むとやっぱり違いいますよ。リラックス感がハンパないですから。大阪は大きな田舎だといいますが、ほんとそうで、周囲のエリアの人が大阪に来ても別にそんな構えてないし、そもそも大阪がカッコいいとか、格上だとかいう意識も全くない。

 そして、なにかといえば「いま話題の〜」とかいうのは東京が多いし、行列作ってるのも東京が多い気がする。大阪とか土地柄かもしらんけど、混んでる店はむしろマイナス要素もあって、「そこまでせんでも」「ほな、ほかいこか」とあまり執着がないような気がします。また、知ってないと恥ずかしいと思う度合いも低いように思う。「そんなん知らんわ」と平然と言い放てるのは東京在住の人よりも大阪在住の人の方が多いんじゃないか。ましてやその他の地方だったら、メディアで紹介、今人気の〜という存在自体が少ない。だいたいさー、そんなさー、どの店がどうとかいう個人的な食い物の好みが、社会的ななんらかのスペック的なものになるわけがないじゃん。

日本的な気持ち悪さ〜商業的洗脳

 それが日本的な気持ち悪さに通底しているような気がします。
 コンプレックス刺激的な、商業主義的な洗脳です。それは単に消費傾向とか生易しいレベルを超えて、世界観や人生観レベルにまで染み込んでいるかのように。頭の中身とメディアの内容の類似性が高いというか、メディアで右向けといえば右を向くような部分。

 オーストラリアに来て20年以上いるけど、「今、シドニーでは◯◯が大流行!」って現象にブチ当たった気がしない。ま、英語分からんし、体格も違えば、ライフスタイルも違うのでなんとも言えないんだけど、でもそんな日本みたいなことはない。よく日本の雑誌に海外事情の記事とかあって、「今、ニューヨーカーの間でひそかに流行っているのが◯◯」とか書かれたりしますけど、それは日本的な「意訳」であって(捏造とまで言ったら悪いから言わないけど)、「ほんとかよ?」って眉唾感はありますな。だってさ、イスラム教徒やヒンドゥー教徒も山程おんねんでー、いろんな奴らがいろんな世界観でやってるところで、流行っつってもね。それに「ひそかに流行」ってなんだよ、「ひそか」だったら流行ってないんじゃないの。そう思えばそう思えないこともないって程度ちゃうのん?って。

 オーストラリアの場合、今これがブームです的なTV番組が少ない。ワイドショーとかほとんどないし、スポーツ番組と、ガーデニングやDIYやトラベル系が多いし。そうそう、それにこっち来てすぐに思ったのは、雑誌が異様に少ない。ニュースエージェントなどに売ってるんだけど、よく見たらイギリスとかアメリカで作られている雑誌のオーストラリア版か、あるいは単なる直輸入で(英語圏だしね)、純正の地元雑誌ってどんだけあんの?ってくらい少ない。もう「無い」といってもいいくらい。その分新聞の文化欄などが異様に充実してたりもするんだけど、でも、ライフスタイルや趣味選好を「雑誌に教えてもらう」傾向は乏しい。日本、雑誌多すぎ。てか、今ものすごい勢いで雑誌が激減してるらしいけど、それはネットの浸透もあるけど、同時に、そんなもんに自分の生活を教えてもらわんでもええわ、自分でやっていけますから、間に合ってますからって人が増えたからだと思う。その昔の、ポパイやらアンアン買っては教科書みたいに学んで〜というノリは減ってるでしょ?

 あと、仕事やサークルなどでも、東京方面が一番構えるよね。「僕のスタンスは〜」とかさ、「いま、社会のトレンドとしてはさー」とか、くそチャラい理屈やら、形から入るのが多い。うざ。「わしゃあ、これがやりたいんじゃあ〜!」とどっぱーんと魂ぶつけてくるような人が少ない。本音言ってる感が少ない。男気で動いてる感も少ない。だから「東京モンはカッコつけてばっか」って日本全国から言われるわけで、それは故ないことではないよ。その昔全国規模の異業種交流やってるときも同じで、関西とか名古屋エリアはちゃっちゃ動く、一人でも動く奴が結構いる。んでも東京は、にっちゃにっちゃ御託ばっか並べてて進まないので、「だーもー、こいつらあ」って思ったもんです。そのくせ、一旦形になり始めたら付和雷同するのが多いのも東京。

 で、問題はそれが自分の出身地であり、本当はそうじゃないんだー、口より先に手が出る的な、気が短くて、とにかく走って、走ってるうちになんで走ってるのかわからなくようなニワトリ的な江戸っ子アボリジニカルチャーがあるんだとか思っても、現実にはそうなってない。ああ、もどかしい、隔靴掻痒。だもんで、アボリジニ的には、アボリジニ比率の高い大阪の方が馴染みますよね。だからすぐ馴染んだ。ああ、楽だーって。とにかく本音でぶつけてくる比率が高いし、本音を上手にいう技術も高いし。

そんな奴ほんとにいるのか?

 何が気持ち悪いかって、それが日本の典型属性みたいになってることであり、さらに言えば本当はそんな奴って一人もいないんじゃないかって部分です。「東京モン」は東京アボリジニじゃないし(洗脳されたり演じたりしているアボリジニはいるだろうが)、アウェイ組の連中だって田舎に帰れば地の自分にもどるだろう。じゃあ、「東京モン」って誰よ?本当にそんな奴いるのかよ?

 アボリジニ的には日本全国(てか世界)どこでも同じっスよ。人がもってる本来の普遍性一発で勝負できるし、それで大体片がつく。海外に出ても、いや海外だからこそそれでカタがつくし、それ以外にカタの付けようがないとも言える。

 にも関わらず七面倒臭いことやってるわけで、それって解剖したら、上で述べたように、上京コンプレックス身構え感と商業主義的とのブレンドによって生じた、非オーガニックなものに過ぎないじゃないか。そしてそんな嘘っこの生活作法やら、価値観やら、人格やらが蔓延している気持ち悪さです。「虚構人格が日本を支配する」かのような。都合がいいから作られたフランケンシュタインみたいなものが、スタンダードとしてまかりとおっている嘘くささと、グロテスクさです。

 東京生まれ育ちのアボリジニからしたら、そういった軽佻浮薄さ、なんとはなしの商業的邪悪さみたいなものを感じたのですよね。「人の弱みにつけこんでるイヤラシさ」というか、これへの反発感情は中高時代からか〜なりあったと思いますし、今でもあります。

 そんなこんなで他人と同じであることに価値を感じないって人格パターンになっていったのでしょう。もーね流行ってるものは意地でも見ない、知らない、触れないとか(笑)。まあ、そこでカタクナになるのも馬鹿なんだけど、実際若いし馬鹿だったんだけどね。また、全員がそうしているわけではなく、無邪気に乗ってる人も沢山いましたから、もともとの偏屈な性格も多分に寄与しているのでしょう。

 だけど、類友仲間においては、いかに流行や世間から遠ざかるか、遠ざかった方がカッコいい、誰も知らない、注目されないことにハマっているのがカッコいいという倒錯的な価値観になってた部分はあります。世間がどっかのアイドルやスターで一色になってるときに、意地でも分からないけどジャーマン・プログレに手を出すとか。ノイとか、バースコントロールとか輸入盤しか日本にないようなやつ。

 でもね、そういう友達は結構いました。そして、反発だの意地だのを除いてみても、純粋にそういうマイナーな世界というのが実は奥が深くて、面白かったです。その面白さに引きこまれていくうちに、そして自分も東京離れたり、日本離れたりするうちに、そういうことはどうでも良くなっていきました。今は「そういえば」思い出して書いてるだけで。

 だけどね、世界に出て行ってひとりぼっちでやっていく場合、誰にも(メディアにも周囲にも)頼らないで自分の感覚一発で作り上げていく力って、かなり必要だと思います。中高時代に意地クソになってた部分、それによって発展させてきた部分が、こっちでやっていくときには原動力になったり、弾頭になったりしてます。

おまけ〜アメリカ的気持ち悪さ

 日本以外にも似たような情況や感覚はあります。国によって形態や感情は別だけど、資本(商業)主義に騙された、洗脳されてきた感覚。今回のエッセイを書いてて、あ、これ同じことだ思い出したのが、映画の”Filght Culb”の一節です。地下の闘技場で、ブラッド・ピットが短い演説をかます部分。あの映画、セリフが非常に面白いんですよね。印象的な内容だったので、どっかにネットにセリフが落ちてないかな?と思ったら、思った通り、ありました。

You're not your job. You're not how much money you have in the bank. You're not the car you drive. You're not the contents of your wallet. You're not your fucking khakis. You're the all-singing, all-dancing crap of the world.

God damn it, an entire generation pumping gas, waiting tables; slaves with white collars.
Advertising has us chasing cars and clothes, working jobs we hate so we can buy shit we don't need.
We're the middle children of history, man. No purpose or place. We have no Great War. No Great Depression. Our Great War's a spiritual war... our Great Depression is our lives. We've all been raised on television to believe that one day we'd all be millionaires, and movie gods, and rock stars. But we won't. And we're slowly learning that fact. And we're very, very pissed off.

何の仕事をしてるかが、お前を決めるわけじゃない。銀行口座にいくら残高があるかがお前なのではない。運転している車がお前ではない。お前は財布の中身なのではない。お前は穿いているカーキ色のズボンなのではない(※ここネイティブの間でも意味不明らしく、軍隊によく使われる色とか、低〜中層の労働者の仕事着の色とか)。俺たちは、この世界のなかで、いつも歌って、いつも踊ってるガラクタだ。

くそったれ!ガソリンスタンドで給油をし、ウェイターをし、ホワイトカラーの社畜になってやがる全ての奴ら、俺らの世代。
俺たちは、広告にまんまと乗せられて、車やファッションを追い求め、必要もないクソみたいな商品を買うためにイヤでたまらない仕事をさせられている。
なあ、俺たちは歴史の孤児みたいなもんだぜ。俺達には、何の目的もなければ、どこにも居場所がない。俺達には世界大戦はなかったし、大恐慌もなかった。俺達の世界大戦は心の戦いだ。俺達の世界恐慌は俺たち自身の人生だ。
俺らは、いつの日か億万長者やロックスターになるもんだと、テレビによってガキの頃から思わされ、大きくなってきた。そんなわけねーだろが。俺らはゆっくりと、そのことが、わかってきた。そして、今、とても、、とても、、、ムカついている。

Fight Club、1999年封切り。資本主義の不毛性とオワコン化を既にこの時代に描写していた快作ですが、もととなった原作の小説は1996年に刊行されてます。これがアメリカ的な気持ち悪さなんでしょう。






 










 文責:田村




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