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今週の一枚(2016/03/14)



Essay 765:JR馬堀駅で思ったこと

〜戦後日本の都市郊外のとりとめのなさ
〜その上に乗っかる人生の収まりの悪さ

 写真は、JR馬堀駅
 予め言っておきますが、今回は論旨"不"明快です。論文というよりは随筆という感じ。もう少し寝かせて結晶化してから書いたほうがクリアになるのだろうけど、あえてボヤっとしたまま書きます。

 もっとウケ狙いで違うことも書けるけど(700回も書いてればそのあたりのツボは分かるよ)、それは意地でも外して(笑)、最も分かりにくいことを書こうと思います。自分の脳内最先端というか、多分わからないだろうなーとか思いつつも、それが初期のエッセイ「手加減しません」以来のポリシーだし。相手にあわせてレベルを下げるというのは、人として本質的なレスペクトを欠くと思うし、分かろうが分かるまいが真剣勝負みたいに自分を叩きつけるのがコミュの誠意だとも思うし。

 あ、それと、今回は本邦初公開で、FB PAGEの写真とからめます。いや、写真多過ぎになるので、FBを資料集的に利用しようという試みです。こちらを併せてごらんになると、ビジュアルにも理解が深まるかと。

FB別冊資料(写真)集その1
FB別冊資料(写真)集その2
FB別冊資料(写真)集その3

ぷはーって感じ

 というわけで2週間足らずの日本帰省も終わりました。
 日本への往路も、機中一泊明けのまま品川オフ〜真鶴一泊の長丁場オフになだれこみ、今回の復路も機中一泊したまま空港で待ち合わせて即開始。

 ほとんど休みなしにあれこれ動いていたので(FBにも書いたけど大文字山なんか二回も登ったぞ)、最後の方の全国オフ終わった頃からネジが切れてきて、翌日は丸一日絶食しました。そんな劇的な症状でもないんだけど、なーんか胃が受け付けなくて予備日の一日トロトロと過ごし、最終日(オーストラリア帰国日)の朝には、よせばいいのに又ぞろ動いて新しいデジカメ買ったり(笑)、京都→伊丹→羽田→シドニーの間にゆっくり体調を戻して(要するにただ座ってるだけだし)、朝GO!です。

 これを書いてる日曜の朝(水曜に戻ってるから、4日目)に、「あ、治った」のスッキリ感がありました。身体が軽くなった。じゃあこれまで治ってなかったの?といえば、うーん、そうなんだろうな。じゃあ、それは何なの?というと、うーん、何なんだろうなー?。

 まあ、複合的なものだと思います。予定すし詰めにしたので、体調コケて相手にご迷惑かけてはならないと気が張ってた部分もあるし、それがアドレナリン優勢気味の、日本的に無理目なつんのめり態勢をつくっていたのかもしれません。日本にずっといてたらそれが当たり前になるんだろうけど、こっちでのびのびやってると、多少のバランス失調でもストレスに感じるのかもしれない。あるいは、日本を留守にしている間に僕が抗体を持ってないあれこれの雑菌が増えて、その処理に身体が疲れたのかもしれません(逆に初めて外国に来る人は、同じくそこで疲れるみたいで、しばらくしたら寝こむのが普通。寝込んだら一人前という感じ(笑))。

 やあ最初は元気だったですけどね、後になるほどに消化器系を中心にドヨヨンと重くなっていく変な感じでした。忙しいとかストレスとか、そんなの昔に散々やってますし、生計維持的なシリアスなストレスだったらオーストラリアの現生活こそが本場です。別に日本であれこれやってたと言っても客観的にそう大したことやってたわけじゃないのです。楽しかったしさ。でも、こんな変な感じ初めてだったですね。「なんか違う」「パターンが違う」って感じ。あれおっかしーなー?って。流行りのインフルと波打ち際の攻防をしていたのかもしれんし、もしかして被爆なのかもしれんし、Who Knows?

 それはさておき(結局は分からんし)、でも、こっちに帰ってくると、やっぱ「楽」です。これはもう気温や湿度がどうとかいうのとは又違って、明らかに楽。街を歩いていても楽。そりゃそうだと思うのですよ。もうこっちに身体も頭も慣れちゃってますし。人の身体細胞50兆は約3ヶ月で総取り替えの新陳代謝をするというから、今の僕という物体は、オージー・ビーフのように純オーストラリア産の原子や分子でできているのでしょう。まあ日本の酸素原子とオーストラリアの酸素原子が違うとは思わないけど、それらが超複雑に組み合わさる過程で、なんか「クセ」みたいな独特のパターンがあるのかもしれません。ようわからんけど。

 この「楽」な感じを、無理やり主観的に表現すると、サナトリウムとか老人ホームとかお見舞いにいって、そこから辞去して敷地から出て、一般の街路を歩いているって感じ。その施設の中が不愉快なわけではなく、そこではそれなりに静謐な世界があって、全てが neat and tidy (きめ細かくきちんとしている)で、明るくて、皆さん感じが良くて、優しくて〜、良いんだけど、しばらく居るとだんだんちょい窮屈になってきて。良いんだけど、でもなんか心からくつろげないというか。でもって、そこを後にして、やかましくて猥雑なくらいの一般の街路に出たら、なんか「ぷはー!」っていう解放された感があって、そのニュアンスが僕のいう「楽」です。仕事から自宅に戻って、靴下脱ぎ捨てて素足がひんやりしたときの「楽」な感じに似てます。ここ、掘り下げると長くなるので割愛します。今回のテーマじゃないので。

 

パズル本みたいな

桂川駅の新興ぶり

 とある日、老親孝行みたいな感じで(それが帰国の主目的なんだし)、親の興味と誘いのままに、JR京都駅から西に二つ目のドンコー停車駅桂川というところに行って来ました。齢85にしてまだ起業を考えている親父の意見によれば、京都市でビジネスチャンスがあるのは圧倒的に南区で、唯一の人口上昇エリア。だから東京資本がやってきて、ドンドコお金を落としていって、小綺麗で巨大なものを作っていると。

 たしかに行ってみたらそのとおりで、「桂川」なんて、18歳から京都(&大阪)に住んでる僕でさえ「そんな駅あったっけ?」というドマイナーなエリアですが、行ってみたら日本最大級のAEONが新築されている。3階建の低層でありながら、延べ床面積の広さは、先日僕が行ってきたシドニー郊外マッカーサーのショッピングセンターと同じくらい巨大でした。

 中身のレストラン街も「ほー、ここまで来ましたか」ってくらい手を変え品を変え目先を変えのマーケ手法がありーの(SMLどのサイズのパスタを頼んでも値段は同じとか、ラテアートが可愛い方向に進化してるとか)、東京資本の店が目白押しだわで、ニギニギしくやっていたわけです。

 でもって駅前にマンションがあって、3LDKの面積が破格にでかいとか、竣工したばかりで入居者も少ないけど、内容的には完売しているとか。対抗して阪急電車も急ピッチで立体複線化を進めているとか。

 なるほどねと思った。現状を考えれば目の付け所はいい。調べてみると、この駅の一日平均乗降客数は、2008年から2013年のわずか5年で倍増している。少子高齢化の日本といえども、「5年で人口が2倍になる」エリアというのは局所的にはある。ほっといても客の数が増えるんだから、今日はダメでも明日売れるかもという右肩上がりビジョンも描ける。従来の商業モデルがまだ使える。もともとキリンビールの工場やら自衛隊駐屯地でもあるという、都市郊外の「住宅地」とは言えないようなエリアを再開発してマネタイズするという手法も従来のものだし、ピンポイントにはまだ使えると。

 ただし、これをもって頭の良いやり方だと思うか、古い手法を「まだやってる」と思うかです。これが伏線その1(言ったら伏線にならないけど)。

嵐山

 次、桂川のあと阪急まで歩いて桂で乗り換え、嵐山に行きました。さらにロケハンと単なる好奇心で嵐山の観光トロッコ電車に卒業旅行らしき女子キャピ度80%に乗り、保津峡を眼下に、さらに終着駅から、徒歩10分の最寄りの馬堀駅にいき、ぐるりと町をめぐってきたのでした。

 それが何か?というと、なんか段々考えこんでしまいました。
 いやー面白いんですよ。クイズとかパズルの問題集一冊渡されて、歩く度に風景が変わるのとリンクしてパズル問題集のページがめくられ、「これの意味は?」「これはどう解すべきか?」と聞かれているような感じ。

観光地は俗悪か?俗悪とは何か?

 例えば、「京都の有名観光地は本当に俗悪か?」「俗悪とはなにか?」とかね。
 「俗悪」とは、観光商業主義があまりにもその場を覆い尽くしていることから、その商業主義的通俗性をもって「俗」であるとし、且つその場の本当の良さを打ち消してしまっている点で「悪」であると思われることである、と。

 しかし、歩いてみるとですね、そーんないうほど「俗悪」でも無いな〜と思っちゃいました。いや、まあ確かにその種の店はあるのですけど、大体が京福嵐山線の嵐山駅周辺100メートルくらいです(嵐山は、JR嵯峨嵐山駅、阪急嵐山駅、それに京福電車の3駅があり、JRと阪急はそれほどでもない)。ちょっと入ったら、感じのいい住宅街があったり、小さな神社があったり、ローカルの町内活動が盛んに行われていたり、ローカルの小学生達が元気に歩いてたりするわけで、歩いた感じは「悪く無いじゃん」でした。

 それに、虚心に見たら「やっぱキレイだわ、ここ」と思っちゃいましたねー。まだ寒さの残る春直前で人出も少ないからなんかもしれないけど、でも、秋の紅葉はマジに凄いですからね。全山彩られて、まさに「錦繍(きんしゅう=錦織物にほどこされた豪奢な刺繍のような)」という形容詞がぴったりくるくらいで。もっとも愛宕山の方がもっと凄いけど。

外国人に埋め尽くされているのか

 ほかの「出題」は、「今の日本の観光地や商業地は中国人観光客に埋め尽くされているというが本当か?」という点で、この点は羽田から、伊丹から、平安神宮から、銀閣寺から、錦市場から、歩きまわってきたからある程度モノ言う資格あると思うのだけど、「埋め尽くされた」というのは、羽田空港から品川に行くために切符買う時の自動販売機周辺だけはそうでした。日本人はだいたいICカードで買いますから、それを持ってない僕ら「外国の人」は切符を買うと。そこだけは確かに埋め尽くされてました。しかし、あんな難しい自動販売機でよく買えるもんだと感心しましたね。見てると、ガイドブックがあるのですね。この駅の自動販売機ではココを押せみたいな事が書いてあるんじゃないかな、にらめっこして押してたし。

 これ話題ずれるんだけど、日本の標識わかりにくいぞ。羽田空港でもそうだったけど、日本人でもようわからん。それに外国人観光客が行きそうな定番なやつは定番用の自販機作るといいです。もうラーメン丼くらいの大きさの活字で「羽田」と書いてあって、ボタン一個しかないようなやつ。どんな馬鹿でも間違えようがないやつ。しゅっとクレジットカードをかざしたらそれでOKにするとかさ。何ケ国語で書く必要もないし。英語ひとつでいいんじゃないの?海外旅行行くような人だったら"Airport"くらい理解できるっしょ。それに、今でこそ中韓語だけど、ほどなくしてベトナム語とかタイ語、ポルトガルやスペイン語でも書かなあかんようになるよ。相変わらず足し算は得意だけど、引き算は苦手なんだなーとか思った。

 で、話を戻すと、別に埋め尽くされてはいないぞ。半分くらいはどこいっても日本語だったし。それに非日本語でも、そのうちの半分くらいは韓国語だったぞ。韓国語も中国語もしゃべれないけど、聞けばどっちかわかる。ぱっと聞いて「全く意味がわからない日本語」だったら韓国語って大雑把な区分だけど。純粋にサウンドでいえば日韓はほぼ同じ、中国語はサウンドからして違う。ただし、中国語のなかでこれは北京マンダリンで、これは広東語で、これは福建というんはわからん。「元気なのが広東で、眠たいのが北京」くらいの区別しか無いです。でも中国語喋ってるから中国人ってもんでもないっしょ。マレーシアとかシンガポールとかブルネイあたりにも結構いるしさ。ま、でも、半分ぽっちで何を言うか?ですよね。「自分以外全員外人」がデフォルトの方が楽だぞ。もっと言えば、ラウンドでWWOFFとかやって「自分以外全員羊」とか、牛とかの方がもっと楽だぞ。

同質集団の毒

 前回のとちょっとかぶるんだけど、瞬発的に思うに、同質的な人間集団というのは、その人間性に対して好ましくない化学反応を及ぼす場合がある、というように一般解に分解できないか?何を言ってるかというと、よく言うけど、日本人は(に限らんが)、一人だったらビビりで臆病のくせに、集団になると異様に傲慢で傍若無人になると。集団になると、その人間の悪い部分を増大してしまう。一人で面と向かっては言えないようなことも、集団になると言える、心ないひどい罵倒も投げられるという。それは何故か?は群衆心理学とかあるのでしょう。でもここでは、そういう「何らかの作用」があると。で、人間関係にお疲れの人は、できるだけ同質的な集団から逃げたほうがいいです。その増大された毒素にやられちゃうと思うのですよ。同じ集団でも、一人ひとりバラバラな一匹狼的な集団(形容矛盾のようだが)の方が楽。つまり、図書館の閲覧室のように各人が自分の世界に入ってる場所のほうが落ち着けるでしょ?ってことです。

 これを応用させると、ラウンドに行く場合には皆が勧めるように一人旅が吉です。同調圧力やら、妥協の面倒臭さがない反面、全員バラバラという場に馴染みやすいから友達もできやすいし、自分も地を出せてリラックスできるし。また、学校のクラスや職場、シェア先なんかでも、同質集団の中に入っていくよりは、6人が6カ国から来ているようなバラバラな場の方が楽。また一見同質のように思えても(同じ母国語)、本質的には一人ひとりが自立した場と、同調圧力だけでやってるような場とではまた違う。APLACに来る人は、ほとんどが一匹狼的資質をもってる人なので、それは例えば、女性の場合、中高時代トイレにいくのにやたら集団化したがるクラスメートをうざったく眺めてたようなタイプですね。

 だから、外人がどうのっていうけど、ある程度居るほうが楽だぞ。外人増えると治安が〜という人がいるけど、なんか男性を見ると全員潜在的なレイプ犯のように見えてしまう女子的な世界観だわな。はは、頭のなか大変そうだな、まあ、お気張りやす。それよりも、その機微は、人間関係がうざい地元の田舎よりも個々人がバラバラな大都会の方が楽だってことで、皆さんある程度は履修済だと思うのだけどね。ま、過干渉と孤独とどっちがよりマシ?ってことで、そこはお好みです。

トロッコ電車

 キャピ度の高いトロッコ電車、乗りました、一人で。対面した座席には、カップルが自撮り棒でやたら撮影しまくってましたね。あ、話それてばっかだけど、セルフィー・スティック(Selfie Stick)のことを「自撮り棒」って日本語では言うのね。最初聞いたとき、「ジドリボー」、なにそれ?「地鶏棒?」大分県の山間部で、元気な地鶏を育てて、棒で追い回している画像が浮かんだぜ。

 いや、しかし昔だったら乗れなかっただろうなー。自意識過剰な若い時は、けっ、どうせカップルばっかで(当時は「アベック」と言っていたのだよ、古代日本では)〜とか勝手に決めつけただろうな。アクチュアリー、カップルなんかそんなにいなかったぞ。僕の前と、あとはなんかワケありっぽいのか、仕事なのかの落ち着いた感じの大人のカップルがいたくらいでしたよ。多いのは女の子の二人連れで、それも女子大生の春休み旅行ばかりと思いきや、30−50代の女性同士も多かった。年配の男性客もそこそこいたし、意外にも7割くらいは日本人だったぞ。そのあたりの「決め付け」って、現実見ると大体外れるよね。トシ取ってきたら、もうその種の「下らない推測機能モード」はオフにするようにしてます。いい意味で自分を信じなくなるから、現実見ないで何をほざくか?って感じで、だからロケハンなんかもきちんとやるようになったし。

 このトロッコ電車ですが、片道610円は高いか安いかですが、安いでしょー。これだけの景色見れて7ドルかそこらなんて、ありえないぜよシドニーでは。シドニータワーなんか登るだけで2600円ですよ〜(26.5ドル)。別にシドニー基準で考えることもないのだけど、普通の京都の市バスが230円だったら、その3倍弱というのは安いっすよ。25分くらいしっかり観光できるわけだし。

 あんまり期待してなかったんだけど、でも良かったですよ。もともとは山陰本線だった(単線ディーゼル)を観光列車に転換しているわけですけど、ホームには花が至る所に吊られていたり、昔の小学校の木の椅子のようなものを並べていたり、いわゆる営業努力はちゃんとしてるなーと。広告代理店が思いつきそうなことばっかで「あざとい」っちゃそうなんだけど、まあ、そんな目くじら立てなくてもいいじゃんって感じです。

 それよりも思ったのは、これが観光電車ではなく、バリバリの一般電車、産業電車として稼働していた時に乗りたかったかな〜ってことです。昔は多分、もっと質実剛健な、いっそ陰鬱な感じすらするような雰囲気で、ディーゼル列車がここを走ってたわけでしょ?眼下に素晴らしい渓流やら紅葉景観が臨めたわけなんだろうけど、別にそれを目当てに作ったわけではない。純粋のコスパと技術力を考えて、この山のここを掘り抜いてやったら一番いいって感じでガキガキにドライに作ったのでしょう。軟弱要素ゼロで。にも関わらず、景観の素晴らしさは同じであるという、その点です。そこが喉に刺さった小骨のように、心にひっかかっていたのでした。これが伏線その2ですね。

馬堀駅にて思ったこと

 トロッコ列車の終着駅はトロッコ亀山駅なんだけど、これ名称に偽りアリで、全然亀山ではない。そこから歩いて10分くらいでJR馬堀駅になり、さらに次の駅がJR亀山駅です。最初は、亀山までいくのかと思ったら、「Middle Of Nowhere」って感じで、ぽーんとど田舎風景の中でブチッと断絶しているという。

 でも、Google Viewでこの風景を見て、逆に行きたくなったのですね。なんか小学生の時の遠足みたいな風景だったから。実際、リアルにみると、渓流もよかったけど、この田舎風景も良かったです。トロッコを降りた乗客達が、三々五々、縦隊のように進んでいくのだけど、その感じが妙におかしいわ、でも田んぼがあってモコっと山が隆起してててって風景が良くてねー。

 トロッコ降りたところには現地の観光案内図みたいなのがあって、馬堀駅周辺のお店や広告がたくさん書かれていて、へえ結構メシ食うところあるのかな?って思ったんだけど、さにあらず。馬堀駅について、その周囲を30分くらいかけて回ってみたんだけど、なんもなし。ゼロってことはないんだけど、「ココに行けばなんとかなる」的なスポット的なものはゼロ。

頭のなかが凄いことになった件

 てかね、この30分ほっつき歩きで、僕の頭の中はかなり凄いことになったのですよ。
 最初は、「なんだ、これは!?」って衝撃があって、それから次々に忘れていた過去の記憶が開かれるように蘇ってきて、「おお〜」となりました。

 なにかというと戦後日本の歩みみたいな、郊外の歴史みたいな。いっとき宮台真司あたりが「郊外」というキーワードで社会学の説を立ててたけど、確かに都心部のクソ高いビルなんか見てるよりも、郊外の風景を見てる方が、その国のなんたるか、直近過去の軌跡が見えるような気がします。そして、この馬堀には全部それがあった。「ああ、日本ってそうだったんだ」って考えさせられた。

 最初は、行けばなんかあるだろ?くらいの軽い感じで歩いたんですけど、なんもナシ!え?ってくらい無い。無いことは無いんだけど、町の「へそ」みたいなところが見えない。昔は〜、江戸期くらいまでは「へそ」があったと思います。城下町には城が、宿場町には街道と宿が、門前町には社寺仏閣があった。「市が立つ」から町になったところもある。人間が集団で暮らしている以上、そこには何らかの理由と必然性があり、それが見えた。農村地帯は、あれは町というよりも、当時の感覚では工場地帯やビジネス地帯みたいなものですから、特に何もなくてもいいです。そもそも貨幣経済自体が全然浸透してなかったんだから、商店とかその種のものもあるわけがない。

 やがて鉄道が走り、しかも国有鉄道ではなく私鉄が走ってるエリアは、民間が鉄道を走らせ、何もないところに停車駅を設け、近隣エリアを買収して分譲住宅にして売り、駅前には商店街を設けるというパターンが日本の大都市近郊に生じた。そこに町が発生する理由が、「どっかの誰かの金儲けのため」というパーソナルなものであるゆえに、なんとなくアーティフィシャルな匂いのする町になる。しかし、まだそれは駅前商店街があったり(特に急行停車駅や終着駅)、それなりにわかる。

 ところがですねー、純粋に郊外住宅地、衛星都市的な感じで作られた場合、それも本気で作るというよりは、近くの大きな駅はもう地価が高くなったので、ここらへんまでくればもっとリーズナブルですよ的な感じで作られた町というのは、とりとめがないのですね。馬堀はまさにそんな感じ。

壊れたタイムトラベルの四次元空間

 そうなるとどうなるか?というと、ぶっ壊れたタイムトラベルのような四次元空間になるですよ。SFの世界です。まずベースに、美しい山河があります。「日本昔話」に出てきそうな風景がある。いや日本とか日本人の故郷とかいうこと自体おこがましく、地球にまで人類がいなかった頃から自然に隆起した山と木々があります。その上に、古来日本があります。かつて明智光秀が丹波亀山から出陣し、全軍に「敵は本能寺にあり」と宣言したのは、調べてみたらまさにこの馬堀のあたりなんです。地形そのものはその頃の山河が残っている。そして、時代が下り日露戦争の10年前に山陰本線が開通し、この馬堀駅が出来たのは昭和10年だからさきの戦争の数年前です。戦後の高度成長に乗ったんだか、乗りそびれたんだかわからないまま、山裾の田園地帯と、京都市のベッドタウンとして進展してるようなしてないような感じで推移したのでしょう。

 その戦後日本の郊外ぶりは、思いついたようにその昔の建売住宅がちょこっとあったり、モロ新興住宅地って感じの住所区画であったりすることから分かります。ここで強烈なデジャヴュを感じたのは、僕が小学生の頃に住んでいた神奈川県川崎市の北部、多摩丘陵と言われている一帯、小田急線沿線に三井不動産がコラボして百合ケ丘とか新百合ヶ丘とか作ってた昭和40年代の日本の風景があります。あの石垣みたいなので斜面を固めている仕様は、僕が子供の頃によじ登っていた壁やら崖やらと同じです。超懐かしい風景があった。また、思いついたように住宅地のなかの一件が商店になってて、それは大体小学校の指定文房具屋さんだったりして、そこが僕ら小学生の社交場であり、そこで入荷して売りだされたオモチャが僕らのお小遣い消費ライフスタイルを決定するという電通もビックリという、超原始的な市場関係がありました。でもって馬堀にも多分そうなだろうなという文具店が突如としてありました。

 と同時に昔なんだか今なんだかよくわからない、わからないまでも「この辺は自民の保守王国なんだろうな」と思ってしまような風景がそれに重なります。これも強烈なデジャビュがあります。修習時代に1年4ヶ月暮らした岐阜市郊外の風景なんですよー。ぶわーっと刈り入れの済んだ田んぼが広がり、太陽光線によってもやっとしている先に方には工場らしき、ビルらしき建物が霞んで見える。でもって、思いついたような感じで住宅街に畑があって、こんだけ作ってどうするの?という野菜があったりします。おそらくは農地法上の農地認定を受け税制的に安くするべく文字通り「申し訳」で作ったりするのかもしれませんが、そういうのがあり、また建売住宅が並んで、また、、ととりとめもない風景が続く。

 そして、こういうところに、何をトチ狂ったのか20階建のマンションがバーンと一棟だけ建っているという。まあ、眺めは良さそうなんだけど、なぜ?!という。そこまで空間的に追求しなきゃいけないようなところでもなさそうなんだけど、バブルのときのイケイケか、戦後に寄せては返す波のようにやってきたマンションブームのどっかに乗ったのかもしれません。

 でもって、駅前にはJリーグのチーム(サンガFC)のバスが止まってて、ゆるキャラの可愛い絵が書いてある。さらに、トロッコ列車の最寄りのJR駅ってことで、今度は駅には中国語と韓国語の垂れ幕表示がかかっているという次第。

 町は相変わらずとりとめもないまま続き、どっかにあるだろうとスマホのGoogle検索でアタリをつけていってみても、「え、これ?」とか全然無かったりという肩透かしばっかで、茫漠とひろがっているのでした。ただひとつ、独立系のスーパーマーケットの駐車場だけがそこそこ車があり、店内ぐるりとみたけど、そこそこきちんと充実してて、そこに人々は集まってる感じ。

 だから思ったのですよ。ああ、ここには普通の日本があるなと。時代の移り変わりによって適当に影響を受けて変わって、しかし一新するほど振り切れもせず、なんとなく過去と現在がバームクーヘンにように積み重なっていった町。それぞれの時代のムードに乗ろうか乗るまいか、うろうろやってるうちにどんどん時間が過ぎていってしまいましたって感じの町。それは、日本列島の都市近郊のおそらく95%を占めるパターンだと思います。これが日本なんだろうなーって、なんか社会博物館の展示場という意味では明治村などよりも、遥かに考えさせられたのです。あなたは考えないかもしれないけど、僕はめちゃくちゃ考えた。もう「ショック」と言ってもいいくらいのインパクトがあったのですよね。自分の生まれ育ちとリンクするだけにね。

そこで生きていくということ〜人生と場所

 そして思った。こういうところで暮らして、年老いて、死んでいくのってどういう気持ちなんだろうか?って。
 いや、僕自身、百合ケ丘にも、岐阜市にも暮らしたことあるし、どういう感じかっていえば分かりますよ。駅周辺がとらえどころがないことなんか、車一台買ってしまえばカンケーないってことも分かりますよ。どんなところも住んでしまえば、忘れえぬ思い出に彩られ、それなりの輝きを放つことも知っています。だから今仮に僕がこの町に暮らすことになろうとも、結構楽しくやるだろうなってのは分かります。とりあえず周囲の小山は全部登るかな(笑 馬鹿は高いところが好きなんだよ)。

 でもね、ずっとそこって言われると怯(ひる)むな〜。
 今回、というか最近、移住系の相談をよく受けます。ワーホリや留学にしたって、一昔前のような「ちょっと息抜き」的な軽さが少しづつ重いものになってきてますしね。時代の変化はモロにきますし、日本語の読める中国人の方からも(どこで見つけたんだが)移住に関する問い合わせが来るようになりました。

 で、思うのです。例えばもし僕が女性で、ある程度広いマンションとか探してたらここになってとか、あるいは結婚してこの辺りに住んで、それで〜って。いや、ここ実際立地は悪く無いですからね。京都駅まで一本で24分ですから。左京区あたりからバス乗って行くよりもある意味便利かしらん。でも何らかの閉塞感は抱くと思う。別に何が不満というわけではないのだけど、でも、自分の人生こんなものなのか、と。

 ツェッペリンの「天国への階段」という曲の歌詞に、"My spirit is crying for leaving"という一節があるけど、そんな感じ。今あるものに致命的な問題があるわけでもないし、それどころか、ゆるやかでヌクヌクとした幸福もあるだろうけど、でも、「羽ばたきたい」という本能的なまでの欲求は感じるだろうな。それを時折感じて、身が焦がれるような気分になるだろうなと。

 その気分は、例えば修習が終わってどこで弁護士をやるかというときに、慣れしたんだ岐阜という選択肢もあったけど、結局はそうはしなかったときにも感じた。また、日本を離れてオーストラリアに来るときにも感じた。My spirit is cryingだったからです。「終の棲家」ではないなって感じた。それが何でなのかはわからないけど、でもまだ行くべきだとは思った。

 これは多くの人においてもそうだと思うし、そこで何を思うかは人それぞれで、何が正解というのはないだろう。ただ、こうは言えると思うのです。

 もしそこに住むことに大地に根ざしたような必然性があったら、あるいはその場所にクッキリしたサムシングがあったなら、話は微妙に違ってくるだろう。父祖伝来の地であり、その父祖的ななにかが自分のアイデンティティに深く関係してたなら、そこに居続けることによりしっくりしたものを感じるでしょう。そして、そういう主観的ななにかがなくても、その地がその地であることの明確な理由やキャラがあったなら=それは例えば北アイルランドの(行ったこと無いけど)、人類が始まる前から降り続いているかのような霧雨と、気が遠くなるように濃い緑があり、その水と緑がその地を決定づけているとか、あるいはニューヨークのように、あらゆる人間の欲望やら、醜さやら、輝きやら、哀しさをグツグツと煮込み続けてそれが建物の壁に染み込んでいるような町ならば、そこに住み続けることにもっと明確な納得は得やすいと思う。

 そして、馬堀に象徴される日本の都市郊外の大多数の場合、時代の変遷に着いて行く気があるのかないのか、決めかねてうろうろしている間にこうなりました的な場所の場合、そこに住み続けることの意味もなんだか浮いてしまって、よくわからない。そこが浮いてしまうから、自分の人生そのものも何かしら不可解に浮いてしまって、おさまりが悪い。

 逆に言えば、そういうおさまりの悪い時空間を大量に作り続けてきたのが戦後日本(の都市郊外)というものだったのかもしれないなと、ふと感じたわけです。

目先の相対によって醸しだされる浮遊感と喪失感

 そこに、先ほど刺さった小骨が出てきます。昔の山陰本線はソリッドな目的で作られていたけど景観は同じであるという点です。その昔はマーケティングとか、商業的なあれこれの要素が少なかった。なぜそこに鉄道を通すかといえば、国民の需要があるとか、国家戦略上の必要性とかであった。もっと昔は、軍事上の必然性があったからあの山の上に城を作り、荷駄や船便の便宜から商業町ができた。どれもこれも骨太で質実剛健な必然性あってのものであり、それがその場所や町に強烈なキャラを与えた。でも戦後は、分譲住宅地が安いからとか、急行停車駅ができたのでグーンと便利になったからとか、そのくらいの理由でしかない。馬堀も、トロッコ列車の終着点に近いというマーケ的理由で存在感があるのだが、だからといって町全体がトロッコで燃えているという風でもない。

 で、さらに思う。物心付いた頃から経済成長が一番大事なことで、成長するのはいいことでって思わされてきた。まあ、そうなんだろうなとは思うんだけど、全人類的な営みというレベルで見てしまうと、結果的にはなんだか取り留めのないような、とっちらかったものだったりして、それってそんなに言うほど凄いことなのかなーと思ってしまう。そんなズドーン!というほどの行動理由でもないよなと。そこがズドーンとしてないから、おさまりの悪さに通じ、さらには人々の人生を微妙に浮かせているところもあったりするような。俺たちなにやってきたんだろうね?みたいな。ある意味、呆然とするような気分。

 トロッコ列車は、廃線を利用した頭のいいやり方だと思います。しかしその根っこのモチベーションは「儲かるから」「商業的成功」ですよね。別に非難しているわけではないのだけど、うーん、なんだろ、この違和感。人は景観に感動するのであって、儲かることに感動するわけではないんだよな。でも、「儲かるから」ということだけで街が作られ、社会が形作られていく世の中って、そんなに素敵なことなのかなあ。

 その昔の、ソリッドでゴリゴリした必要性、「生きるための必然性」しかなかった時代。大岩にノミで文字を掘っていくような行動の横にも、自然の景観は寄り添っているって方が、なんか収まりがいいような気がするのですよ。別に昔はよかった的なことを言ってるわけじゃないですよ。昔は昔で、そりゃあひどいものだったろうしね。

 でも、生きること=お金を儲けること=この社会を形作ることみたいに、何もかもが目先の金勘定みたいなところで結ばれていってしまうと、なんとなくの収まりの悪さが出てきてしまうような気がします。立地も良くて、間取りも良くて、お値打ちですよ、お買い得ですよって、それだけ見てたらそうなのでしょう。でも、それは狭い世界での相対での話であって、広い世界での絶対ではない。絶対なもの=バコーン!という強烈な必然性がないですから、どことなく町や社会が浮く、そして個々人の人生もまた浮く。「何故私はココにいるのか?」という最も根本的な部分が曖昧。いっそ純粋に偶然であってくれた方がまだマシで(そこで生まれ育ったとか、長い旅をしてたどり着いたとか)、そこに妙にしょぼい合理性なんかがあったりすると、なにかが変わってくる。エレベータに乗ったときの気持ちの悪い浮遊感というか、自ら何かを手放してしまったという喪失感というか。これ、精神的に微妙にヤバくない?なんたら失調症とかになりそうだなーとか、思ったりもします。

 そんなこんながとめどもなく頭の中をグルグルしていた馬堀駅周辺でありました。
 そして伏線1の桂川駅の新開発に繋がるのですが、まだそんなことを続けるのか?と。
 さらに、その想いが移住という行動のベースに横たわっているようにも感じたのです。
 My spirit is crying for leaving.







文責:田村



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