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今週の一枚(2016/02/15)



Essay 761:サバイバルへの最適解

〜失業+貯金ゼロ+近親介護、それでも楽しく生きるために

 写真は、えっとなんてところだっけな。Chatswoodの西側の坂降りてったところにあるLane Cove National Parkの近くの住宅街です。口では言えんので、Google Map的にはココです。

サバイバルへの最適解

 今後何が起こっても、したたかに、且つ楽しく生き延びるためにはどうしたら良いか?

 これ、ずっと考えてます。個人史的には「第三の波」で、トフラーみたいな。
 第一の波は高校生の時に、このワガママな自分が快適に生きていくためにはどうしたら良いかであり、第二の波はオーストラリアにやってきた時です。

 いずれもそれがしたいからというよりも、「どうすれば良いか?」の最適解としての側面が強いです。さんざん考えて、心の底の底の究極の価値観鉱脈まで達して、「おし!これでいってみようか〜」と腹から納得できたことは、同時に「やってみてえ!」と思えることでもある。このあたり、頭で納得したから心が励起したのか、心がまずあって頭で辻褄を合わせているのか正直よう分からんのですけどね。

 これを考える「設問」は、

 この先死ぬまでの間、およそ生じうる可能性を前提にして、
 どうすれば最もうまくサバイブ出来るか?その基本コンセプトは何か?その実現工程はどうすべきか?
 精神的・物質的ストレスが最も少なく、結果のみならず全ての工程が自分にとって「楽しく」感じられなければならない。
 これら諸条件を全て満たす最適解を述べよ。


権力ダメっす

 ありがちな答である「権力(パワー)を握る」「お金(資産)を蓄える」は僕の中では不正解です。

 権力は、第一の波(高校のとき)に考えた回答です。このクソ社会では権力と快適度が比例すると。
 しかし権力も「入手&維持コスト」とサステナビリティに問題があります。そのため個人レベルで完結するスタンドアローンの権力でないとダメだと思いました。なぜなら大企業の重役になるとか、高級官僚や政治家になるとかいうのは、そこにたどり着いたあと、さらにそれを維持するコストが途方もなくかかるし、またサステナビリティ(維持できるか?)に問題がありすぎる。仮に独裁者になったところで「ブルータス、お前もか」と言って事切れた人もいるわけですのでね。何が問題かというと、組織との関連です。組織のパワーの一翼を担う=「虎の威を借る構造」になっちゃうから、虎にハブられたら一巻の終わりという致命的な弱点を持つわけです。これはアカンです。結局虎のご機嫌をとらないと(組織のために全てを捨ててご奉仕しないと)いけないんだったら、そっちの方がストレス高そうで赤字じゃん。そもそもそれって「快適」なのか?ワガママなのか?と。だから、組織を離れたピンの状態でもパワフルでなければならない。

 じゃあケンシロウみたいに「世界最強」だったらいいかというとこれもねー。単純な腕っ節だけでいうなら、範馬勇次郎クラスにならないと上には上がいすぎる上に、結局はヤクザの用心棒になって終わりとかコスパ悪し。肉体が最盛期を過ぎたらもう傾斜し始めるし、老化が早いから損耗率が高い。やっぱり頭脳と経験でしょうってことで、知的腕力が高く&独立した自由業がいいよねで法曹になりました。ミュージシャンとか流行作家とかもあるんだけど、才能無いのは既に露見していたし、人気に左右されるので持続性に難があると。とまあ、17−18歳で考えられるのは、この程度が限界だったですね。

 しかし、それは第二の波のときはもう最適解ではなくなっていた。だって権力、詰まんないんだもん(笑)。確かに身についた技量は一生ものの財産になってるし、今でも駆使できてるから、それはいいです。やってよかったです。でも、仕事的にずっとやってなきゃいけないというのがどうにもね窮屈で。それに言うほど権力もないし、しょせんは零細事業主だし。また社会的パワーがパワーとして成立するには「型」というのがあるのであって、そこから外れたら魔法が解けちゃって元の木阿弥なんですよね。だから自由度がありそうでない。自分の社会的アイデンティティを固定化するからこそパワフルになれるのであって、自由とのバーターである。要するにワガママ自由にやるとダメになると。例えば、僕の頃の弁護士業法では、事務所を二箇所に持ってはダメ、弁護士以外の仕事をしてはいけないとか制約ありすぎて、仮にAPLACみたいなことを考えても実行出来ない。それよりももっと巨大な権力と堂々と喧嘩できるのが一番楽しかったので、結局権力というよりも個人レベルでの戦闘能力の方が意味あったし。権力だけなら詰まらんスよ。権力の本質はしがらみですよ。

資産もダメっす

 で、「資産」という方法論は第二の波のときに(オーストラリア来るときに)、結構電卓叩いて考えましたね。年金がリターンしてくる確率とか、自分で数値探して自分で計算したり(ほぼ無理という結論になった)、生命保険のコスパ(入らないほうがマシという結論になった〜あくまで個人的な価値観だが)。その他、金とか、不動産とか、貴金属とか、名画などの現物資産とか、一通り(わかりもしないんだけど)考えてみたところ、どれもこれもダメ。

 なぜなら、これら資産が資産である理由は突き詰めれば「交換価値」性にあると思うのですよ。それが交換価値である以上、自分の意見よりも他人の意見の方が優位になる場合が多いんだわ。自分では1億の価値があると思っていても、他人が5000万の価値しかないと思ったら、5000万円でしか売れないもん。そしてその集合作用として「相場」というものがあり、皆が価値あると思ってこその資産です。でも、長い年月の間に、流行り廃りもあるし、事情の変化もあるわけで、昔ほど皆がありがたがらなくなったらもう終わり。老後の投資のために無理してマンション買っても、全体に相場が下がったら長期ローンだけがズシッと残るし、最後の方には追加で建て替え資金が必要だわ、また手抜き工事が発覚して価値激減だわ、その頃は施工業者が倒産してるから賠償を求めることもできないわってこともありうる。数年スパンだったらバクチ勝率も高いだろうけど、30年スパンになると、起こりうることは起こるもんだくらいに思ってた方がいい。勝率減る減る。

 又、資産を資産として確保するためには、全体のシステムが健康に稼働しているという大前提あってのことです。例えば通貨が通貨として意味を持つのは、その通貨発行権を有する国なり組織が存在して、十分な統治力をもっていてこそです。国がコケたらその発行通貨なんか何の意味もない。また統治能力や国力がヤバくなったら、付随してその価値もさがる。でもって、僕がこちらに来る当時、日本に十分な国力を維持できるだけの健康な新陳代謝と自浄作用はあるのか?とみると「無い」という結論になった。じゃあ、アカンやんけと。結果的にも「失われた〜」とか泣き言いってるんだから「無い」といっていい。

どこでもハッピー能力

 ちなみに第二の波段階で出てきた最適解は、どこにいてもハッピーになれる自分になること、でした。環境適応能力をMAXにすること、そして幸福発見能力と幸福実現能力もMAXにすること。

 第一の方法論(パワー)は、日本社会という特殊環境を前提にしたもので、そこがコケたり歪んだらこっちも迷惑するわけですので、外部依存性が強いのであかんなと。だったら、どの国でも社会でも、よさげなところに渡り歩けるだけの能力を持っていた方がリスクヘッジにはなるだろうと。そうすれば適用範囲が広がるからサバイブ率が上がるし、快楽を発見する技能を向上させれば、全体にその工程での快感度は上がるだろうと。

 その頃には、金持ってても別にそれが快感に直結するわけではないこともよくわかったし。お金で何を買いたいの?というと、究極的には快楽を買いたいわけですが、こと快楽でいうと、お金で買わ(え)ないものの方が面白いのですよね。「彼女のハート」とかさ。それも金で買えるという人いるけど、買えた時点で快感度減るでしょ?てめーで金出して買っておきながら、いざ買えてしまったら、「しょせん、金かよ〜」って白けるという。買えない人のハートだから快感度が高いんじゃん。

 でもって、マックス化〜!とか吠えたところで、その頃の自分は「パスポートってなに?」ってレベルの海外童貞に近いくらいで(一応香港だけは社員旅行でいったが)、まったく五里霧中であるのと同時に、それだけに伸びしろ無限大で、未開の大地が広々とひろがってるぞ、行くぞ西部開拓魂!ってな感じで盛り上がっておりました(^^)。「一番恐いことをやるのが一番面白くてリターンもデカいから、結局一番得」ってのは第一の波のときに体験済なので。あれこれ国候補を考えて、決勝戦のイタリア VS オーストラリアで、まあビギナーはおとなしく英語圏にしようかになりました。ちなみに「環境適応能力と幸福発見&実現能力のMAX化計画」というのは、多くのワーホリさんと同じだと思います。そういう言葉で認識してるかどうかはともかく、要するにコレでしょ?と。

 後日談ですが、実際にオーストラリアにやってきたら、適応〜!とかおっとり刀で力むまでもなく、拍子抜けするくらい居心地が良かったので、適応能力ついたかどうか分からんです。適応する必要がないまま、「あ、気持ちええ〜」になっちゃったので。寒冷地順応じゃ〜!修行じゃあ!って雪山に突撃したら、実は至る所に温泉が湧いてて、それに肩まで浸かって「あ〜、極楽じゃ」とか言ってるようなもんです。

 まーね、国やシステムの違いはあれこれあるけど、んでも、こんなの日本社会内部の各部族のカルチャーの差の方がデカいよ。エリート族とヤンキー族のカルチャー差とかさ、起業自営族と給与組織族の差とかさ、カタギさんとギョーカイとかさ、アレに比べれば、透明で合理的ですごい分かりやすい。だから本当言うと、第二の波の最適化はまだ実現できてないのかもしれないし、せんでもいいかって気分になってもきました。あ、でも幸福発見・実現能力は格段に上達したと思いますね。てか、「上達」っていうのかなあ、「思い出した」っていうのが近いな。空が綺麗なだけで別にいいじゃん、サイコーじゃんってのは、苦行の成果としてついに到達したニルヴァーナ涅槃の境地!っていうよりも、「知ってたよ、それ」って感じ。だから第二ステージは、自分が本来持ってて、なぜか眠ってたポテンシャルに気づくだけの話でしたね。




21世紀前半の最適解 

最悪のシナリオを含む全ての可能性

 では、今はどうか?
 まず、どんな課題があるか?です。まず予想されるリスクとタスクですけど、生存に必要な物質的条件=安全で合法な居場所性、インフラ、食料とエネルギーなどをゲットする方法です。そして、親や近親者(自分も含め)老化リスクです。

 その対策として今まで語られているのは「システムと金」です。つまり社会のシステム一般やら、年金とか介護制度などがまずあり、その「システム利用権」を適法に備えること(その社会の正会員になること=国民や永住権者になること)。そして、それらをフルに活用するためにはお金が要ると。お金があれば大抵の問題はクリアできますから、お金を貯めろと、そういう話になっているのだと思います。

 しかしですね、それもこれもシステムが十分機能している場合の話です。システムが劣化したら自分の利用権も劣化するし、システムがコケたら、全部パーです。例えば国庫が破綻すれば、出るべき年金も出ないし、会社がコケたらアテにしてた退職金もパーです。もっと破綻したら金そのものに価値がなくなる。世界的にみればよくある話で、ハイパーインフレになりましたとか、株券紙切れになりました、預金封鎖どころか銀行そのものがポシャって終わっちゃいましたとか、珍しい話ではない。そういうときはシステムが守ってくれるかというと、ある程度のところまでは頑張って守ってくれるだろうけど、臨界点を超えると守るどころか敵方に回る。システムが生き延びるために個人を収奪するようになる。もうとっくにそうなってますケド。

 地球レベルでいえば、地球人の皆さんは、そんなに(日本人ほど)システムを信じてないですよね。中国の華僑、インドの印僑が昔からあるのは、それだけお上や既成のシステムを信じてない、だから横のつながりとネットワークを育成するんだって生きるための智恵と実践でしょう。オーストラリアは移民の国だけど、移民というのはある意味では既成システムに見切りをつけた人々であり、話し聞いてみると面白いですよ。オーストラリア人も面白いけど、海外生まれの移民の人と話すのはもっと面白い。朝鮮戦争で逃げてきました、ベトナム戦争で、ユーゴやポーランドなどの東欧から、チェルノブイリから、あるいはイギリスやアイルランドの本国の制度がクソだからって来た人が多い。総じて言えば、国家システムをそんなに信じてない。信じてないから油断しない。国も社会もちょっと油断したらすぐに腐ると思ってるから(でも諦めてはいないから)投票率がほぼ100%になるとか、ちょっとおかしいとおもったらすぐに声を上げて行動に出るとか、システムに任せきれないと思ってるからボランティアが盛んであるとか、そのあたりは面白いです。

 で、リアルに予想してみると、まあ劣化方向に進むだろうと。既に劣化してますし、これからこれが画期的に向上するという展開を予想するのも難しい。もちろん可能性としてはあるけど、それを一縷に望んでいるだけだったら対策論として芸がなさ過ぎるし。まあ、劣化が進んで、かつかつ生きてるとか、心を石にしていけば耐えられないことはないって程度にまでなるかしらん。とりあえずリスク管理の問題として、最悪のシナリオとか、十分あり得べきシナリオとかを考えると、あーんまりアテにしないほうがいいだろうなと。

 じゃあ、生活物資環境と近親老化リスクを解消するにはどうしたらいいか?です。ここを考えていると。

ゼロからサバイブの可能性

 まず100%アテにできない=無人漂着設定でいうならどうか?原始時代みたいな狩猟生活になるわけですけど、そんなことが出来るのか?といえば、まあ出来るでしょう。出来た奴らの子孫が僕らですから、デフォルトでできなきゃ嘘ですわ。人間のDNAはそういう生活に対応して作られているわけで、こんな高度の消費生活なんか長い人類の歴史でいえば直近5分前からそうなったくらいのものでしょ?でも、ま、移行期には苦痛を伴うだろうけどね(笑)。

 具体的にいえば、オーストラリアの場合は結構話は簡単で、クールに考えて、水と食料と温度だと思います。寒冷リスクは結構ヤバイですから(寝てるだけで凍死とか)。だから、まあ、北の方の常夏系の海そばいって釣りやって、自然になってるマンゴーやバナナ食って(植樹して)、テント張って、太陽光線強いから海水蒸留したりソーラーやったりできるし。雨季は雨水貯めて濾過してって。その代わり衛生や疫病とかあるから、ファーストエイド覚えて、医療系の仲間増やして、一応のアンティ・ヴェノン=血清(毒蛇とか)揃えてって。あとは周囲の連中とうまくやっていくだけの英語も含めてのコミュ力は絶対必要だけど。まあ、そんな言うほど簡単ではないだろうし、そこまで何もかもムチャクチャになるとは思いにくいのだが、ある程度のアタリはつくなと。てか、このあたりは完全自給自足でやってるWWOOFとか結構あるので、実現可能ではあるし、学ぶ機会もあるだろうなとは思います。

 日本の場合も、温暖なエリアな方がいいだろうな。普通にミカンがなってるみたいな。海洋資源(魚)はどこいってもある程度はありそうだし。もっとも被爆関係があるけど、これもそうなったら高度先進医療なんか受けられるハズがないからナチュラルに早死にするでしょう。てか、えらく健康的な生活になるはずだから、生活習慣病やアレルギーとかが治って、その代わり天然系のガタが来たらすぐ死んじゃうって昔のパターンになっていくのかな。細く長くから、ちょっと太く短く系にシフトするということで、それは、まあ、個人的にはOKですけどね。

 ただ日本の場合、人が多いし、集団生活志向なんでそれが良し悪しで。つまり、生活に最適な立地があったら、誰もが思うところは同じだから競争率が激しくなって、集団同士の小競り合いとかさ、そのへんがあるだろうなーとか。そのあたりの集団ストレスを回避するなら、多少離れた辺鄙なところの方がいいかなと。でもそうなると生活環境は厳しくなるわけで、水と食料とエネルギーをいかに確保するかですね。

 ま、いろいろあるんだけど、これは絶対できると思ってます。出来なきゃこれまでに人類絶滅してるよ。ただ、問題はそのやり方なんだと思います。それも物理的なノウハウというよりも、移行期におけるその時々の調和点をマックスにしていくマネジメントこそが問題になると思います。

段階的調和点

 自給自足のシステムフリーのオフグリッドだといっても、そんないきなり北斗の拳的な治外法権になるわけないです。システムというのは案外残るもので、戦国時代にも乞食同然でありながら朝廷とか御所とか存続してたんだから、どっかのスラム街みたいなところで、一応国会とかやってるかもしれない(笑)。そこまでいかなくても、徐々に陽炎みたいに透明になっていって、なんとなーく、「ある」と思ってみればあるし、無いと思ってみれば無いのも同じみたいな、淡いトワイライト状態になるかと思います。

 要素を分解するならば、(1)システムとお金、(2)現物の2つの要素だと思います。ヤバくなるというのは、1→2に移行する過程であると考えればいいかと。1が強いときは、1に依存して、そのシステム内で権力握ってお金を稼げばそれでいいのだけど、それが微妙になってきた。だから2も補助的に考えようと。で、システムが半分くらいダメになったら、現物も半分くらいに上げていけば良い。何を言ってるかといえば、1がダメになるといっても、一気に100→ゼロになるもんじゃないでしょ?ってことです。

 例えば年金が事実上アウトになったとします。形の上では存続しているけど加入期間が60年でないとダメとか、受給開始年齢が88歳とか、受給額が300円とか「あるけど無い」って状態は考えられます。口が裂けても「ごめんなさい」といいたくないという日本のエラい人達の人格特性を鑑みれば、何が何でも上手く言ってると言いはるだろうな。てか、年金がフルに出ている今ですら貧困老人とか老後破産とか言われているわけだから、年金なんか考えるだけ時間の無駄という気もしますな。

 でも年金がダメといっても、水道設備がいきなり全滅ってわけではないのですよ。今、日本のインフラの老朽が激しくなってきて、でもなんとかする予算もないしで、いつまでもつかはわからないけど、ある程度は残るでしょう。世界の貧困エリアでも、水道栓壊してシャワーにして遊んでる子供の絵とかよくあるんだから、水道だけは結構残るかも(問題は水道そのものよりも、そのシステムを動かす電気なんだけど)。それはともかく、いきなり全消滅ってわけはなく、左手がもげました、片目がなくなりましたっていっても、まだ残存部分はある。それはそれで利用したらいい。

 一方で、自給自足でやるんだあ!っていっても、ズブの素人が水田耕作なんか無理でしょう?土壌の選定とか、苗代とか、メンテとか、感慨とか、収穫とか、脱穀とか、、、それなりに技倆はいるのであって、最低でも一人はそれに精通している人間がいる。また、相当な苦労もかかるのであって、そんなエネルギーを費やすくらいだったら、米買ったほうが早いですわ。つまりシステムから離れて自分らで〜とかいっても、それがイコール耕作というものではない。要はコスパと損益分岐点であると。そのあたりの見極めですね。

 あって当然だった社会的インフラが低下するとして、何がどれだけ低下するか?です。年金や水道だけではなく、電気や下水というライフラインもそう、デトロイトみたいに公務員の給料も出なくなるから火事があっても消しに来る消防署員も数が減るとか、警察官が減るから治安が悪化するとか、出るはずだった恩給も出ないとか、病院行っても誰もいないか、あるいは人が押しかけて野戦病院みたいになってるとか。列車が間引き運休になるとか。飛行場なんてあれだけ重たい飛行機がタッチダウンするから滑走路はすぐにボロボロになって、だから毎晩メンテ工事しないと凸凹が出てきてヤバいそうですから(それ専門の業者さんの事件をやったことがある)、メンテが滞ったらもうジャンボ機は発着できませんもん。流通がヤバくなったら大都市の中心部から壊死してくるしね。暴動、革命、クーデター、戒厳令、公安、特高警察的な政治リスクもあるし。そういう事態になって「てえへんだ!」とか銭形平次の誰かみたいに言ってたって始まらないわけっすよ。「ふむ、ではプランC始動」とクールに用意しておかなきゃ。リスク1〜リスク10まで段階に応じて用意しておく。リスク管理ってそういうもんでしょ。

1がヤバくなると2が楽になる法則〜人類の叡智の独占と共有

 あと何度も書いてますけど、そもそもなんで1がヤバくなるの?です。世界経済が不況で、とか一過性のことではないですよ。構造的な問題でしょ。マシンやAIの生産力が上がってきたから、人手が要らなくなってきているという大きな構造がある。そりゃそうですよー。手作業でやるよりも便利だから人類は営々と発明やら科学技術を進歩させてきたわけですから。つまり人手を減らすために進歩してきたんだから。初期の純粋な目的は「働かなくても暮らせること」だったわけです。それが資本主義になって生産手段を独り占めする奴が出てきて、労働力と貨幣の交換というワンクッション置くことで、働かなくても暮らせるどころか「働けないから餓死する」に変化してしまった。ここがそもそも問題。でも、生産手段そのものは格段に進歩している。機械だってどんどんコンパクト化、軽量化、低廉化しているわけですな。だからこそ人を雇うよりもマシンを導入したほうがいいことになり、リストラが行われているわけです。これって逆に言えば2の実現が容易になってきているってことでもあるでしょ?

 ココわかりにくいし、乱暴な議論ではあるのだけど--例えば電気だって、天文学的な巨費を投じて、発電所を作って、タンカー作って、そのタンカー作るための製鉄所を作って、遠くまで原油買いに行って、コンビナートに備蓄して精製して、山々に送電ネットワークを構築して、保守要員を完備して、、、って途方もない手間暇がかかった。途方もない手間暇がかかるからものすごく大量に人手が必要とされて、職が沢山あった。ところがタンカーなんかでも昔の数%の人間で動かせるようになるわ、保守もコンピューター制御でできるようになるわでどんどん人手減らしが進んだ。しかし他方では、掘削技術が進んで、シェールガスのように昔は到底無理だった地層でも石油が採れるようになったり、ソーラーその他の発電効率もよくなってるし、携帯のバッテリーの持ちが年々良くなっているように電池技術は飛躍的に伸びている。だったらもう巨大な設備は要らないじゃんと。一方ではものすごく失業はするんだけど、他方では簡単に電気がゲットできるようになってきている。つまり、1が厳しくなれば、その分だけ2の実現可能性が容易になるという大雑把な関係はあると思うのです。そんな綺麗にシンメトリックな対比にはならないけど大雑把にはね。別に工場に大きな工作機械を備え付けなくても、プラスティックの簡単な道具くらいだったら、安い3Dプリンター一つあったら出来てしまう。

 なんだか知らないけど、科学技術の進展という福音を人類みなが共有するのではなく、一部の資本家や企業がまず享受して、それを高値で売りさばくって時代が続いたわけだけど、技術の進展の福音を僕らが享受したって別にバチは当たらないだろうということです。この発想が進んでいくと、企業が労働者をリストラするのではなく、労働者が企業をリストラする=別に給与所得を得なくても全然やっていけるので誰も働きたがらないってこともあるでしょう。もっといえば、人類全員の共有であるべき知的資産を、全員が享受するのではなく、なぜか一握りが独占し、そのアンバランスさで儲けるというのが「ビジネス」と呼ばれる不思議なアクティビティで、それは20世紀後半のアメリカの主たる産業の一角を構成し、だから著作権とか知的所有権に彼らはうるさいわけですな。生命線だから。でもって製薬でもジェネリック規制強化のTPPで、オーストラリアが猛反対してたりするわけです。本当のテーマはそのへんにあるのかもね。が、ここまでいくと話を広げ過ぎなのでこのあたりで。



とりあえず今困ること=実質失業率70%で親がボケた場合

 このあたりがリアルな設定かな。実質失業率というのは、前に書いたU6失業率とかじゃなくて、今テキトーに考えたもので、日本平均失業率なんかあんま意味なくて、自分が就職できない確率こそが問題だと。例えば、今37歳の自分がどれだけ就職できるかだと。そして、入ったものの、ブラックすぎたり、過酷過ぎたりして、その生活&健康破壊度を考えたらトータルでは赤字であるような職も勘定に入れないものとする。これを読んでる人は、数で言えば20−30代の人が多いけど、5年後〜15年後、なかなか就職できない、出来たところでやるだけ不幸になるような場合です。それは事実上「失業」とカウントすると。でもって、そんなときに親とか近親者が病に倒れたり、認知症になりかかったりするわけです。金は無いわ or 金はあるけど仕事辛すぎるわの上に、近親負担で背骨がへし折れそうになるという状態です。リアルな想定として。

 換言すれば1(システムとお金)がヤバくなってる状態ですね。1が十全に機能しているというのは、まあまあ平均的に普通に働いたら、あるいはかなり平均よりも駄目駄目であったとしても、そこそこ働けて、お金もはいって、それでそこそこハッピーな人生が送れている状態を言うのでしょう。それが欠損しはじめたら、あとはもう1の方法論の変容を余儀なくされるのが道理。例えば、お金を稼ぐにしても就職するのではなく、自営で細々と小銭を集めるようなものを増やしていくとか。あるいはお金やシステム以外の方法論(仲間内の相互援助)を増やしていくとか。

 でもって、貯金ゼロです、マンション追い出されました、でも親が寝込んでますって状態で、どうしたらいいか?です。とりあえずはこのあたりに救援ポイントを設けておくと、多少は息がつけるかな、と。

 この救援ポイントは、比較的簡単に構築出来ると思います。大勢で暮らす、協働シェアです。

救援ポイント=集団シェア

 例えばシュミレーションしてみると、ここで10人の仲間(その扶養親族)がいるとします。戦力は10人で、総合で20人とかでもいい。一人ひとりの生計ではなく、全体20人の生計が立つようにまず考える。おはじめ資金に幾ら必要で、月間のランニングコストがいくら掛かってと。

 僕だったらこうしますね。まず、そこそこ職はあるだろう都市エリアのちょい郊外くらいのとこで、安くて広い物件みつけます。競売で落としてもいいし、遺産分割で相続したけど当面住むアテもない方から空き家をお借りしたり、老齢になった農家さんとお話して年単位でお借りしてもいい。できりゃ軽く間仕切りして5-10部屋くらいにする。今のシドニーのシティのタコ部屋シェアだったら2LDKに十数人とかやってるんだから、それに比べれば余裕でしょ。一戸建てで庭付きの方が有効利用できる範囲が広いから尚よし。ちょっと前にシドニーでふと見つけたのがペンリス(ブルーマウンテンの麓で通勤距離圏でもある)で、なんだっけな、14LDKのやたらデカい家に、小学校の校庭くらいやたらデカい庭がついてる物件がえらく安く出てました。ほー、あるんだ、こんなのと思った。

 で、基本レベルの生計までは原始共産制的に、全員で稼いで全員で消費する。とりあえずの救援ポイントですから、それでいい。10人が10箇所部屋を借りるから、家賃も10回分かかるし、水道光熱費の基本料金も10倍かかる。メシだって、一人と10人分だったら10倍コストがかかるってもんでもない。せいぜい3−4倍でしょう。天井灯の下に一人いるのと二人いるのとで、二人のほうが電気代が高くなるわけでもない。だからシェアすることで大幅にリビングコストは節減できる、which means=嫌な思いをして働かねばならない時間が減る。

 で、失業率70%だとしても、単純計算で10人のうち3人は働けるわけで、その3人が稼いで現金収入をゲットして「村」に入れ、あとの7人は他の「仕事」をする。てか、役割固定したらあかんから、持ち回りのほうがいいんだけどね。失業率70%といっても、ブラック入れたらもっと職はあるわけですよ。キツいけど時給がいいのもある。一ヶ月単位でくじ引きして、あたった3人は「頑張ってこいよ〜」と声援を受けてブラックでもなんでもやる。1ヶ月でいいんだから頑張れるでしょ。一人月15万円ゲットしたとして月間45万。45万あったら家賃払って10−20人生きていけるだけの水道光熱費と食費はまかなえるでしょう。

 で、あと家には戦力7人と非扶養家族10人がいるわけで、あれこれ分担する。介護なんか一人でやってたら発狂するけど、1日2時間の持ち回り制にしたら楽です。それに認知症でボケが始まっても、まだまだ動ける人は多いし、どんどん日常業務をやってもらう。家庭菜園の草むしりでも掃除でもなんでもやることはいくらでもあるし、働いてもらった方が進行は遅くなるし。また年寄りの智恵はこういう生活では役に立つから、本人のプライドも維持される。

 一方ほかにも現金収入も欲しいので、単に就職以外のネットで仕事取ってきてやるとか、そのあたりも課題は多いし、伸びしろはあるでしょう。プラグラミング、WEBデザイン、コンサル、翻訳その他は別に居場所はどこでもいいもん。海外から稼ぐ方がいいから、英語や中国語は出来たほうがいい。ネット回線確保できたらいい。そのあたりの保守要員もいる。あと、病気その他の健康維持要員もいる。他の村人との円滑な交渉を育むための外交官もいるし、人出を出して手伝ってご褒美に大根貰って帰るとか。あと役所その他の規制に精通している要員もいる。

 でもって、夜な夜な大広間や庭で大鍋でメシ食って、飲んでってやってる日々です。アルコール代がかかるけど、ビールなんか自家製で出来るし、簡単などぶろくくらいだったら作れるやつもいるはず。てか、今はネットが百科事典だから、調べたら大抵のことは分かる。

 それを進めつつ、1の劣化に合わせて対応する。例えばもう電気がきません、水道ヤバイです、食糧危機で食いもん無いですってなるにつれて、井戸を掘ったり、発電システム作ったり、収穫技術や保存技術を磨いたり。子供の教育は、そこまでいったら、明治の頃と同じだから、「村はじまって以来の神童」だけ大学にいかせたったらいい。あとは実地で皆が教えればいい。教えられる程度のことでいい。だってそれしか知らない大人がやっていけるんだったら、それしか知る必要が無いってことなんだろ。

 ちなみに役所との戦いが結構キツそうだな〜と。例えば健康保険料は自治体によって差があります(古い資料だけど最大格差6倍くらいある)。で、全員生計が同じだからといって、一人が払ってあとは全員被扶養者ってもんではないです。民法上の親族関係ないと土俵に乗らないから。また減免措置もあるんだけど、どこの自治体も火の車だからできるだけ認めたくないでしょう。交渉テク必要ですね。でも一人1万とかだったら被扶養者にならない10人で10万でしょ。その分医療サービスは受けられるわけだから必要経費でもあるし協力すべきでもあるのだが、これも払った分だけ見返りはあるかというコスパ問題でしょうな。このあたりシステムは味方でもあるけど敵でもあるので、そのあたりの柔軟な発想がいる。あまりにも無茶言われたら、全員で養子縁組して親族にして被扶養者カテゴリーにぶち込んでしまうという荒業もあるけど。



 

実働へのメモ

人の要素が90%

 僕がこれまで生きてきて培った実務的な感覚でいえば、誰と組むかという人の要素が90%占めると思います。だから人選びをどうするかが問題であり、その人選びが出来るようになったら、ほぼ問題は解決したようなものだとすら思います。

 なぜか?
 これはシェアでも寮でも「他人と暮らす」という経験をしてみた人だったら分かると思うのですが、一緒にいて疲れない人、生産的な気分になれる人と、そうではなくいちいち言動がムカつく人とか、要所要所の決断で常に意見が違う人とかと長いことやってることは出来ないですよ。これは職場でもそうで、そいつがいるだけで憂鬱な気分になってたら保ちません。

 生計をシェアするというのは、ある意味では結婚に近いです。そうそう誰でもいいってわけではない。ただ結婚よりは楽なのは、愛情とかいうものに振り回されることはないし、世間体とか親の意向とかもいらず、純粋に客観的なタスク共有に話を絞れる点です。

 人間関係が一番難しいのは、自分といい関係になれるかどうかは「類型化できない」という点でしょう。もう波長が合う、馬が合うというファジー一発な世界で、○○だったらOKというものではない。最初はそう考えたりするのだけど、実はそうではないことが生きてれば分かるでしょ。趣味嗜好が同じだったらいいかというと、同じ部活サークルでも派閥ができたりするわけですよ。同じ主義主張、同じ理念だったらいいかといえば、NPOとか政党でも派閥が出来るわけですよ。逆に、パッと見では苦手なタイプ、最初はすごい嫌な奴だと思ったけど、だんだん慣れてきて、ついには無二の親友になったりもするわけで、その過程は謎です(笑)。

 この摩訶不思議な人間関係、特に集団の形成・維持に関しては、特殊なマネジメント技術が必要だと思います。ココが一番の難所です。人選でも、単にAをやりたい人って集めたらダメで、まず全然関係ないXで自発的に集まった人を、さらに篩にかけて選抜してAをやるという多段階の方式がいるかと思います。第二に、これは運営論や政治論になるけど、カリスマ支配にするかしないか、民主主義的要素をどれだけいれるか、なりゆきや偶然をどれだけ尊重するか、フレキシブルと「いい加減」のボーダーラインをどうコントロールするか、意思決定過程を完全公開でやるか、それとも密室でやるか。そのあたりの基礎技能は必要でしょう。また、絶対的必要性というプレッシャーの有効性(このままいけば全員餓死するとか、共通の敵が襲ってくるとか)、そして離散の自由の確保とか、離散されても済むだけの柔軟な体制づくりとか。新しい人にどんどん経験させていく人材育成システムもそうだし、このあたりは学んで学びすぎることはないってくらいいろいろあると思います。

実働へのステップ

 失業、金なし、親ボケの三拍子がきっちり同じタイミングで揃う人間が10人いるとか、それは無いです。しかも、それが摩訶不思議な人間関係フィルターを通ってくるという確率は、実務的にはゼロだと思った方がいい。

 だから段階的にマネジメントしていく必要がある。もうそれしか生きていく術がない人と、まだまだ従来の生計でやってける人とでは温度差があるし、とりあえずのニーズも違う。だけど、全員が全員切羽詰まってきたら、準備もクソもできないわけでポシャってしまう。ここが難しいんですけど、必要性が緊急になればなるほど息は揃うんだけど、でもそうなってからでは手遅れだったりする。でも必要性がそれほどない段階では、アクションを起こしにくいし、起こすには今ある環境を捨てなければならず苦痛も大きいという点です。

 しかし、ま、こんなもん頭使ったら何とでもなるんじゃないですかね?今現在やっていける人だって、10年後とか考えたら不安がよぎるかもしれない。今すぐ直ちに影響はなくても、将来の保険として入っておきたいって人もいるだろう。だから実働で参加できない人は、その代わり現在の生計がなんとかなってるんだから金銭で参加してもらうってのアリでしょう。いわばゴルフの会員権や、相撲の年寄株みたいなもので、地位を権利化し、会費として出資することは出来る。そのためのキチンとした契約書を作れと言われたら、今日にでも作れますわ、そんなの。

 今、ここに、仲間の一人が、失業して、親もヤバくなって、でももう来月の家賃を払うめどもない、親子でホームレスとかいっても死んじゃうって状態になったとします。生活保護を受けるという手もあるけど、それもいつまで続くかです。ベーシックインカム制度とか色々言われてますし傾聴には値すると思うけど、そこまでシステムが信じられるなら、この話はしなくてもいいわけですよ。今のこの体たらくなのが、この先劣化せずに、あまつさえ画期的に改善されての話ですからね。そんなことが信じられるか、です。ま、それはそれで議論すべきですよ。折角システムがあるんだから最高のものにしていく努力は怠るべきではないし、それは全然両立しうる。でも、未来の可能性は無限にあるのであって、最悪にヤバくなった時どうするか問題ですから。

 で、一人ヤバくなりました。仲間は全力で助けるべし、そうでなければ仲間じゃないよで何かするとして、ではどうする?そういうときのためにどっか拠点を用意する。その一人にそこに親と住んでもらって日常的な管理をしてもらう。あとのメンツは、無理のない範囲で金銭支援し、全部つけておいて、あとで精算すればいい。もしここで拠点がある程度整備されていて、居住コストが限りなく安かったとして(月間2-3万程度)、あと一人1万だせるのが10人おったら10万。住居費抜きに純粋食費だけでそれだけあったら1ヶ月サバイブすることは出来るでしょう。でもって、近隣の者が訪ねていったり、そうでなくても数日おきに、大丈夫か、頑張れよってメールでもなんでも声をかけるだけで、人は精神的孤独から救われます。そうこうしてるうちに、またヤバし!って仲間が出てきて、一緒に住んでもらう。だんだん手狭にはなるけど、現場での実働部隊が増える。現場が3−4人レベルに増えてくると、今度は手分けできるようになるので動きやすい。親の面倒を見て、且つブラック承知で働いてってのは一人の人間には不可能でも、3−4人いて持ち回りでそれをやることは可能でしょう。

 ここで、助けられた人が、そういった境遇にあぐらをかいてダラダラするような奴だったら、この話は絵に描いた餅であり、そうなる可能性は十分に高いから、最初から人選をきっちりやる。この際仲間じゃなかったら助けないくらい。そしてダラダラしはじめたら引っぱたいてでも説教し、それでもダメなら叩き出すくらいの人間管理マネジメントはいる。ものすごく消耗する過程だからこそ、最初の人選はとても大事なのだと。

 かくして全員がヤバし!になって、全員参加の分業作業になり、、、、という。ま、そんな一直線にいくわけもないのですが、段階に応じ、状況に対応して、きめ細かくやっていくことは可能だと思います。必死に考えたらなんか手はあるはずですから。

 まだ誰もそこまで困ってない段階だったら、準備委員会形式にして、一人月千円でも1万円でも仲間作って共同預金にプールしておく。オンラインバンキングで全員がパスワード共有にして見れるようにしておけばいい。でもって、皆で拠点探しをやる。ミーティングにかこつけてのただ飲み会だったりするけど、それでもいい(^^)。で、当面は拠点探しで、ワーホリ後や脱サラして、白馬やニセコで働いてたり、各地の旅館で住み込みで働いて資金稼ぎしてる人もいろうだろうから、全国各地の「よさげ現地情報」を出してもらう。世界一周してる奴も何人もいるから世界のよさげ情報でもいい。よさげな拠点があったら、あとは不動産関係に強い奴が、やりくり算段で無理のない範囲でゲットする。当面は住む人もいないので、家庭菜園だのみなの共有別荘だのにしておいてメンテは持ち回りでやる。で、いよいよとなってから移り住む人も出てくる。そこまできつくなってなくても、もう鬱になりそうだとか、ブチ切れそうだって人が行くのも良い。で、皆の共有のネット上の場所で現状報告をしてもらうとか。備品も最初は、最低限の家具の他、チャリ数台、スーパーカブ数台でいいんちゃう。SUVなんて無駄。悪路だったら車よりもバイクの方が使い勝手いいし、カブなんか燃費いいし、リッター150キロ走るし、リアカー繋げたら物運べる。モトクロスの達人が一人いたら緊急飛脚や病人輸送に使えるな。

 この準備委員会方式は目新しいものではなく、じつは鎌倉時代くらいだったかな、そのくらい昔から日本の庶民の間にあった(今もある)頼母子(たのもし)講方式ですね。保険の最も原始的な形態です。今日の保険会社のように、保険会社がギャンブラー(機関投資家として金融市場で稼ぐ)にならない、昔ながらの素朴な助け合い組織です。このくらいで月千円だったら今日からでも出来るかも。

ビジネスでもNPOでもない

 これをビジネス化すれば、ヤクザがやってる貧困ビジネスの生活保護ハウス経営(ホームレスをスカウトしてきて、どっかに軟禁して、生活保護受給を受けさせ、最低限の衣食住を与えつつピンハネする)になります。また、NPO的に純粋に善意でこれをやってるところもあるでしょう。ただ、ヤクザがNPOを名乗ってたりするので(そういうことは非常によく頭が回るので)、話はややこしいのだが。

 これをビジネスにしたかったら、そういう仕組を先ず作って会員権売りさばいて儲けます。そういう新ビジネスがそのうち出てくると思いますわ。ゴルフ場が拠点セーフハウスになるだけのことですからね。競売物件落としたり、遺産相続で放置されてる空き家を安く見つけてきて、リハウスして、部屋を細かく仕切って「商品」にして、あとは皆さんでやってくださいって形で売ればいい。一棟十人だったら、不動産の共有持分登記をしてやって、不動産売買契約の形式にしつつ、利用権を契約文書化し、合体した契約として売ればいい。あとは毎月の管理料を貰うとか。介護保険などの行政実務に詳しい人を一人つけておいて管理させ、且つ死んだ時のための葬儀屋やお寺や霊園などと提携してコミッションもらえばまた儲かる。

 これは、人選もクソもなくやるから、現場では結構大変なことになるでしょうけど、「儲かるビジネス」ってのは、そこらへん無頓着だったりしますよね。それはご自身で解決してくださいと突っぱねる。そこを良心的にやってたら「儲かる」という具合にもっていくのは難しいでしょうしね。だからこの種の話があったとしても、現場の人の顔が見えないものは買ったらあかんと思うよ。

 一方では、純粋なボランティアの場合は超良心的にやるから現場のワガママをなだめたり、すかしたり、怒られたりして、消耗するだろうな〜。いや、それはそれで頭が下がりますし、本当に偉いと思いますよ。

 でも、ここで考えているのは、ビジネスでもないしボランティアでもない形態。純粋に自分個人のサバイバル戦略としてどうか、という点です。そこがブレると話は全然変わってきますからね。まあ、余力が出来てきてから、その敷地の一部をビジネス的に利用して儲けたり(介護ハウスやらペンション系Airbnbとか)、あるいはボランティア的に受け入れたりってのはアリだと思いますが、それもこれも自分らで出来るようになってから、余力ができてからだと思います。

展望

 展望としては、こんなの長くやれるわけないと思ってます。一時的でいい。一時的だからこそ出来ると。いっとき失業だ親だでしんどくても、死ぬまでそれが続くわけではないし、その後、なにかで上昇局面になるかもしれないし、他にもやりたいことができるかもしれない。そういう場合は離脱は自由にしなきゃ、息苦しいでしょう。だから最初のメンツが総とっかえになっても、それでも維持できるというフレームは作っておくべきでしょう。

 と同時に、これ多分実際にやってみたらかなり面白くなるはずだから、盛り上りはするでしょう。それでハマってしまってやるのはいいんだけど、そうなるとバンドと同じで、だんだん方向性の違いというのが出てくるでしょうね。数年やったら、それぞれに自分の理想とする運営のやり方ってのが出てくるはずだから、そうなったら暖簾分けなり、細胞分裂なりすればいいと思います。

 それまでやってくればノウハウも十分わかってくるだろうから、場合によっては一人でやっていけるかもしれないし、一人でやりたいって人もいるかもです。そこで恋が芽生えて一緒になって、二人でやっていきたいって場合も出来るだろう。どんどん独立していってもらいます。

 でもって、ゆるやかな連携を保ちつつ、お互いピンチになったら助けあったり、シェアできるものはシェアしていけばいい。この種の集団って、対立したら即独立くらいに風通しのいい方がいいです。一緒にやろうと思ったくらいの仲間なんだから、もともと人間類型としては近いんですよね。でも一緒にずっとやってるとミクロの差が巨大に見えてきて、且つガス抜きがなかったら、近親憎悪的に心のシコリが出来てきて、しまいには不倶戴天の敵みたいになってしまう。そうなる前に、さっさと別行動にするといいです。よくあるでしょ、昔のバンドで売れてる時にエゴ対立して解散して、かなり時間がたってからまた再結成とかやってる。この「焼けぼっくいに火がつく」パターンは当然っちゃ当然なんですよ。だもんで、一緒にやるには無理なんだけど、協力関係には十分なりうると。結婚生活は無理だけど、いい友だちにはなれるという。

 それで10も20も友好団体が増えてきて、それが全国各地や世界中に広がってきたら、さあ「食べ頃」ですよね。詳細な紹介状(こういうことが出来て、この点がワガママで、でもこの点では良い奴だからというリファレンス)書いてもらって、友好組織に受け入れてもらって、1年単位で山に住んだり、外国に住んだり、やっていけばいいです。最後は自分の理想でどっか作って、それも飽きたら今度は後進を育てて任せて、自分はまた〜という。

 物事には、「入口戦略」と「出口戦略」があるのであって、無理なく入りやすく設計し、無理なく出れるように最初から設計しておくのがコツだと思います。







文責:田村



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