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今週の一枚(2016/02/08)



Essay 760:経済のカジノ化

〜いつまでシャボン玉星人のバクチのツケを払わされるの?

 写真は、前回の写真の近くのRNH(Royal Northshore Hospital)、病院ですね。きれいに改装しちゃって、すっかりポップになっちゃって。
 病院に限らずなんでもそうですけど、この国に「権威」って概念はあんまり無いような気がしますね(モナキストとか好きな人もいるけど)。あと、根は同じなんだけど、客観的に必要のない部分では極力リキまないでリラックスすることを良しとする。「もっともらしい」「コケオドシ的な形式主義」がキライなんでしょう。個人的には波長合うんですけど。
 いつぞや火事場見物してて、野次馬を整理する消防職員の人とダベってたことがあります。「オヤジはポーランド系なんだけどね」とかそんな世間話を。デモで群衆を規制する警察官が周囲の市民と普通に雑談してたり、制服姿のまま普通にジェラート買いに来てたり。病院も病気を速やかに治せばそれで良いのであって、それ以外の余計な緊張を強いるのは「無駄」以上に「悪」であるという発想があるような気がします。

銀行に対して怒るべき正当な理由

オーストラリアの経済コラム

 はい、ブルーマンデーの幕開けは、皆の”大好き”な経済の固いお話です。しかも英語で。すいませんね。もうこの時点で逃げ腰になりかかってる人は、無理なされずに後半にワープしてください。


Good reason to be angry about the banks
ROSS GITTINS
http://www.rossgittins.com/2016/02/good-reason-to-be-angry-about-banks.html

→まず原文を読む(英語学習者には推奨)


(拙訳)
 あなたは銀行に対して怒りを感じているか?多くのオーストラリア人は感じている。そして、アメリカやヨーロッパの人々はもっと怒っているし、怒るだけの十分な理由がある。

 オーストラリアにおいて、我々は、銀行が莫大な利益をあげており、且つ利益をあげるためのほんの些細な小細工ですら見逃さずに活用して巨利を得ている、という点に腹を立てている。

 他の国では、人々は銀行や他の金融機関が、さんざんやりたい放題やった挙句、世界経済をムチャクチャにして跪かせておきながら、いざそうなったら即座に皆の税金によって自分らだけは助けてもらって倒産もせず、経営者の誰ひとり刑務所にいかず、罰金すら払わないという不正義に怒りを感じている。

 しかしながら、今までは、銀行家や他のエコノミスト(経済学者、評論家、コメンテーター)の言い分=あなた方はきちん理解してないのですよ、その批判は全くの的外れですよという説明に慣れてしまっている。

 だからこそ、あなたは、John Kay氏の「Other People's Money」という著作を知る必要がある。ケイ氏は今週オーストラリアを来訪し、Grattan Institute主催の会合の席上、「この本は、普通の人々に対して、あなたは何に対して怒っているのか、という点について書いたものだ」と述べている。

 銀行の批判をしたいですか?ケイ氏ほどその役に相応しい人はいないだろう。なにしろ彼はオックスフォード大学の経済学の教授であり、ファイナンシャル・タイムズのコラムニストであり、イギリス政府のために株式市場のレポートを作成していた人物なのだ。

 彼はまず過去30-40年間、先進国各国は、"financialisation"(金融化)を経験してきたと述べる。いわゆる「金融セクター」は途方もない膨張を続け、ついに全産業で最も巨大なものになったのである。

 何年も、我々はそのことを素晴らしいこと=それは我々の経済がより洗練された形で成長することであり、リスク管理技術の向上を意味するものだと思わされてきた。しかし、ケイ氏はそうは思っていない。

 我々は、常に、銀行、保険会社そして他の金融機関によって構成されるファイナンシャル・セクター(金融セクター)というものを持っており、それは我々の生活に必要なものである。

 我々がそれを必要とするのは、我々相互の支払い決済や、貯金をしたい人々をまとめて預かって住宅購入やビジネスのためにお金を必要とする人々に貸したり、リタイア後の生活をなりたたせるための貯蓄や、個人や企業家に日常生活や経営のリスクを軽減するために(保険がいい例だが)必要だからである。

 我々が金融セクターを必要とするのは、我々の "real economy"(実体経済)のため、つまり家計やビジネスの運営、そして消費生活のためである。しかし、これらの必要性は、いずれも今日の金融セクターの度外れた膨張を正当化するものではない。
 この膨張の大部分は、もっぱら銀行同士の取引である "financial claims"と呼ばれるものによって構成されている(※ここでいう「クレーム」は日本語になってる「苦情」ではなく「取引」くらいの意味)。それらは、株式取引、証券、外国通貨そしてデリバティブ(取引の上の取引、、あなたは”The Big Short”という映画を見たことがあるか?取引の上の取引の上の取引の上の、、、、)

 銀行や他の金融機関が保有しているこれらのアセット/資産(claims)を合算してみれば、それは物質的な資産=つまり住宅やビルや設備一式など、これらclaims/取引の究極のベースになる筈のもの=の何倍にも膨れ上がっているのだ。

 例えば日々行われている外国通貨の交換においても、実際に輸出入や観光客の支払いなどに必要な通貨額をはるかに超える額で取引されている。同じように、株式市場においても、企業が新たな資本を必要とするとか、一般投資家が売買を行う額よりも遥かに巨額のものが取引されている。

 ケイ氏は、イギリスにおいて、銀行が、個人や企業に貸し付けるなど実体経済に費やしている額は、全体のわずか3%にすぎないと述べている。

 その他の97%は、銀行や他の金融機関相互の日々の忙しい取引、それは帳簿上の価格が上がるか下がるかで賭けをして、後日その損益決算をするということに費やされている。

 ケイ氏は、エコノミストとして、ほとんどこれら全てのスペキュレーション・アクティビティ(思惑活動〜投機、博打)を、「非生産的」として、非常に厳しい非難をしている。それらの行為は、それをやる人々(金融機関の人々)の利益にも不利益にもなるかしらないけど、少なくとも一般の人々の利益になることは何一つとしてない、と。

 ケイ氏は、私もかねが思っていた点についても触れている=いわゆるエコノミスト達は、なぜこういった金融機関があれほどまで巨額の利益をあげられるのか、また銀行の頂点にいる連中が信じられないような巨額のサラリーを得ていること(末端の歩兵達はそうではないが)がなぜ許されるかについて、ほとんど説明しようとしないという点である。

 もし彼らがやってることが、自分ら相互のバクチであるならば、なぜ勝者の利益分と敗者の損失分が均等に釣り合わないのか?

 彼の答えはこうである。銀行は、将来において得られるであろう利益については、それがまだ得られてなくても得たものとして誇張して認識するが(帳簿上のものとして)、しかし、彼らが将来受けるであろう損失は、実際にその損が現実化するまで受け入れようとしないからだ、と。

 このゲームは、全てのものが上げ相場でバブルが膨れ上がる間は継続する。しかし、一度それが破裂したら「未来の利益」は、転じて不可避的な「現実の損失」になる。多くの銀行はシーソーの反対側に寄せられ、破産の危機に瀕する。そして政府が税金でこれを助け、また彼らはこのゲームを続ける。

 ケイ氏の対案は、これまでの実体経済に関係する部分=日々の支払いやビジネスなどの貸付金=オールドファッションの銀行部分とそうでないバクチ部門とを厳密に切り離せ、ということである。スペキューレション取引の部分は、きちんと不景気の波を潜り抜けさせろと。

 ここは自由の国であり、”投資”銀行は自由に相互に取引をすることができる。ただし、そこには一切のみなの税金による救済もないし、彼らの資金に対する政府の保護はないようにすべきである。

病院の中の案内掲示板。
○○系の患者さんは緑色とか赤とかエレベーター自体を色分けでしているわけですね。世界中のどんな人が来ても一発で分かるようにしたらどうしたら良いか?という。

所感〜経済のカジノ化

何を今更でもいい

 書いてある内容は、何を今更的に目新しいものではないです。僕が「ああ、なるほど」と思ったのはバクチの勝ち分と負け分が釣り合わないのは、利益は先取りし損失は現実化するまで見ないという偏頗性にあるのだという部分くらいで、あとは、僕が日本を出る前(1994年)に日本の経済コラムでも言われていたことです。

 そんな”今更”話をなぜ今回やるのか、もう過去にも山ほどやってるではないか?というと、いくつか理由があります。一つには、こういう普通の話が、普通のレベルであんまり浸透していないからです。これは何も「今秘密のベールがぁ!」ってほど特別な話ではないし、それどころかかなり常識的な話です。にも関わらず広がらない。

 これは頭の良し悪しとか愚民だからだとかそんな問題じゃないです。単に興味の有無です。興味のある人には常識でも、興味のない人には驚天動地の事実だったりすることはよくあります。そりゃそうですよ。この世のジャンルなんか少なくとも数十、細かく分ければ数百数千あるわけで、自分の興味のある領域なんかそのうち1%もあったら御の字じゃないですか?あとの99%は「勝手な思い込み」でそう思ってるだけです。そして、それって大体間違ってますよね。だから僕らの世界観というのは、実体からかなり違う、よく調べてみたら「実はそうではない」ことだらけの、スカタン世間観だと思います。例えば、今この瞬間にも、自己破産をしたら戸籍に載るとか思ってる人が相当数いるかもしれない(載らないって)。ましてや会社に知られずに自己破産をすることが出来るとか、自己破産をしながら公務員として勤務し続けている人が結構いるとかいうのは、そこそこ驚きじゃないでしょうか。

 だもんで、興味のある人には常識であるけど、大多数の興味のない人にとっては永遠に驚天動地のままという、非常にアンバランスな状態が続いているし、多分人類の終わりまでそれは続くでしょう。しょうがないよね。でも、多少なりとも是正した方がいいなと思うのは、世の中民主主義の多数決で決まる場合が多いのだから、驚天動地の人達が大勢を決することになり、そうなると常にコンスタントに間違えるってトホホな話になります。そして、いよいよ破綻が誰の目にも明らかになってから皆で学ぶという。つまり失敗する前に回避することはまず不可能であるという、さらにトホホな話になります。戦争も起きる筈よね〜。とほほ。

 では是正するのはどうしたら良いかといえば、「場違いな人が場違いの発言をする」しかないだろうと思います。つまりは僕です。このサイトはオーストラリアに関するサイトであり、読者は留学ワーホリ移住観光なんらかのオーストラリア関連の人でしょう。別に経済コラムのサイトではないです。だからこんな金融問題を書くには、僕は場違いだし、このサイトの場違い。でも、そうすると、本来なら「あ、興味ナシ」って人も読むわけで、そこに是正のキーがある。このエッセイも、Googleの統計があってるなら、コンスタントに平均して数百人が読んでくださるようですが、でも過去一年をみると突出して多いものがあります。ベストセラーみたいな感じで延々と読み続けられているパターン。それがデビルマンについて書いた回であったり、ジーザス・クライスト・スーパースターについて書いた回であったり。話題はあちこち散ってるわけですが、それだけに場違いな人を呼び寄せるし、場違いなことを言う場も出来ると。

 専門家ってその意味ではダメなんです。専門家が専門家としてマイクを握ってる場は「そーゆー場」になってしまうから、最初から場違いな人がいないんです。だから「仲間内のいつもの話」で終わってしまうという。弁護士時代にもあれこれ会として盛んに金使って啓蒙活動やったり、僕自身もビラ配りとかしたことありますけど、もう涙がちょちょ切れるような浸透力で(笑)。だから、思いましたね。Aを伝えようとしたらAだけ言ってたらダメなんだと。全然関係ないBやらCやらを言い、しかもそれがそれなりの水準に面白く、むしろBがメインになるくらいでなければなと。それが一つ。

 もう一つは、個人的には25年前の問題意識であろうが、常識であろうが、繰り返し言おうと。これは過去に言ったからもういいやとか思うなと。このエッセイも760回目ですけど、やっぱ内容が被ると自分自身イヤです。けど、そんなの誰も覚えてないよ。被ったらイヤだ、二番煎じで楽してるみたいでダサいとかいう美意識は、同時に、読んだ人は過去の全てをきっちり記憶している筈だという途方もなく傲慢な前提に通じていることに気づいて、それってもっとダサいよなと。多分、読んだそばから忘れるだろうし、忘れられる程度の質のものしか書けてないわけだし、だから先週と全く同じことを書いてもいいくらいです。自分なんかその程度の存在なんだから、なーにが美意識じゃい、てめえ滑稽なんだよ、と。

 まだある。今の自分のリアルタイムの問題意識は、もう尖端というか、ケモノミチみたいなところでバッサバッサ枝を払ってるような状態で、それをリアルに述べても意味わからん。例えば、やっぱライフル射撃の資格取ろうかなとかさー、なんでかというと、このままにっちもさっちもで現体制が空洞化していって、その代謝作用として原始テクノロジー村みたいな小細胞ができていて、そうなると今ちょうど14巻の「自殺島」(マンガね)みたいに抗争も不可避的に起きるかもしれないし、それなりに自衛力もいるかもなとか。その流れなんですけど、そんなの熱く語ってもケモノミチ過ぎて誰もついてこれないでしょうし、付いてきたらエライってもんでもないし。

 最後に、基本的な部分というのは「わかったからもういい」「もう耳にタコだよ」ってもんじゃないだろう。脳内で慣れっこになっていたところで、客観的に解決してなかったら、やはり問題ではあり続けているわけです。目新しさだけ追っててもダメだと。解決するまで基本レベル、何を今更レベルに立ち返らならいとと。

お金多過ぎ問題

 で、基本に立ち返ると、お金多過ぎ問題です。さきのケイ氏によると、イギリスでは実体経済は全金融取引の3%程度しかない。僕が20数年前に聞いたのは世界レベルで1%でしたけど、いずれにせよ社会に必要な分を遥かに上回る量のお金が流通している。1円あれば済むところを、なぜか100円くらい流通している。1万円の携帯を買うために、いちいち100万円財布に突っ込んで家を出ているような、どえらい無駄なことをしている。

 で、その無駄な99%なり97%なりで何をやってるかといえば、金融機関がバクチをやっている。量でいえば圧倒的だから、そのバクチの勝ち負けの中に、実体経済(幾ら給料をもらって何を買ったかとか)いうのは埋没してしまっている。そりゃそうでしょうよ。世帯月収30万円でトントン生活をしている家庭で、なぜか長男だけが毎月3000万円レベルの競馬とかバクチをやってるようなものなんだから、多少給料があがったとか、今月は何を買ったとかいうのも、3000万円レベルでの買った負けたの前では微々たるものです。そうすると、経済の実体がようわからなくなるし、全体の状況に反映しなくなる。いわゆるファンダメンタルズ(実体基礎)として語られる部分ではあるんだけど、そんなの関係なく相場が動くんだもん。世界経済=投機=バクチ=カジノ経済といっても過言ではない。

弊害〜先送り麻薬中毒と偽装煙幕

 この弊害はいたるところに出てきます。てかあり過ぎてどこから書いたらいいか迷うくらいなんだけど、大きいのは実体がピンとこないことでしょう。必要もない金がやたらあって、それが激しく浮きつ沈みつやってるんだから、現実に何が起きているのか見えなくなる。日豪でいえば、僕が来た94年頃、日本人の給与はオーストラリア人の倍くらいあったんだけど、それが20年で逆転し、今はオーストラリア人の方が二倍の給料を得ている。別にオーストラリアが凄いというよりも、健康なインフレ率のまま続けばそうなるでしょう。でも為替はそんなに変わらないのですよ。僕が来た時75円で、そのあと105円も55円もあったけど、今80-85円でしょ?実体経済をちゃんと反映していたら、そんな20周回遅れで立ち枯れていく国の通貨が同じってことはないでしょうに。あの時75円だったら今はその4倍くらいの豪ドル300円くらいになっていても不思議ではないです。事実はるか昔は400円台のときもあったというし。でもってドル300円だったら僕の仕事は即廃業です。だって今より4倍予算がかかるんだったら、来る人だって激減でしょ?今ですら物価2倍くらいなのに、これが4倍になったら8倍増。

 ここでなんで為替が変わらないのかの専門話はどうでもいいです。しょせんは思惑の積み重ねだし、後出しジャンケン的な結果論的な説明しかないから。それに、ああも言えるこうも言えるって世界ですよね。例えば、日本の通貨が高いのは、日本が安定した社会でカントリーリスクが少ないからだと言われます。でもそれって言葉を変えたら、普通だったら国民がブチ切れて暴動起こして革命起こしてってカントリーリスクが上がるのに、日本人は羊ちゃんだから大丈夫だよ、もっといえばあいつら馬鹿で天然奴隷だから安心だよねって言われているようなものでもあり、侮辱的な相場でもある。実際、僕個人は、バブルのあと銀行の火遊びの後始末(住専問題)に税金使って救済とかいった時点で、アホらしくなって一人静かにブチ切れて、こりゃあ先はねーなーでオーストラリアに来たわけですけど。ま、それだけじゃないんだけど、もし本当に円がどんどん安く安くなっていったら、社会の新陳代謝も進んだはずですよ。潰れるべきエリアは潰れるだろうし、海外で働いた方が数倍給料がいいんだからどんどん出て行って民間レベル、それも企業ではなく華僑のような個人レベルでの国際拠点が今の数倍できていただろうし、そうなれば世界の何処にいっても一人くらいは知り合いがいるからやりやすいって人的インフラもできたでしょうに。さらにストレートに物事に反映するなら、政府の無策がこれ以上もなく浮き彫りになるし、批判も強くなろうし。

 今はまったくの真逆ですもんね。金融という煙幕はって誤魔化すために株価を上げている。去年いっとき落ち始めてやっと終わるかと思ったら、皆の虎の子の年金に手を付けて、まさかそこまでするとは思わんかったけど。で、今度は「一人殺すも、二人殺すのも同じじゃあ」みたいな論理なのか、郵貯資金を次に農林資金をてな感じで、株価で誤魔化すために他人の金を焚き火にくべている。毎日330億でしたっけ?燃やしているという末期症状になってきている。

 リーマン・ショックの後始末もまだ出来てない。あの後世界経済は回復しましたなんて言ってるけど、普通預金の金利が0.01%のどこが「回復」じゃい。金利が低いというのを別の言葉でいえば、お金を投資してビジネスで儲けようにも儲からないってこと、お金借りても有効に活用して儲ける方策がないってことでしょうが。だから借り手もいない、企業も設備投資をしない。さんざんバクチ三昧やってドカン!がリーマン。その後始末、巨大金融機関の救済のために、またお金を大量に流通させる。お金多過ぎだからバクチやってるのに、それを救済するためにさらにお金を流通させるという、もう殆ど「迎え酒」の世界です。でも今日の破綻を防ぐには先送りにするしかないという。本当に覚せい剤と同じことで、アベノミクスが出てきた時も「シャブノミクスだろ」とエッセイでも書きましたけど、禁断症状が激しすぎるから、また追加でシャブを射つようなものです。こんなの何の解決にもならず、てか明瞭に悪化するだけなんだけど、一時的な対症療法にはなる。でも対症療法に走ってる時点でもう死んでるじゃん。

シャボン玉星人

 ということで、リーマンの後始末で天文学的な税金をどこの国もぶちこんだから後がない。相撲でいえば徳俵まで足がかかっているのに、また新たな徳俵を外柄に設置して、また、、と繰り返しているだけ。でもって、ただでさえお金があるのに、さらにドカドカでてきたから無理矢理にでも投資先をみつけなければならない。ちょっとでも有望だったら大げさに騒ぎ立てて100倍くらいの価値をつけてバブらせるしかない。新興国バブルなんかそうだし、BRICsなんかもモトはゴールドマン・サックスが言い出したものですしね。

 要するに、もう彼らはバブるのが仕事みたいなものだし、バブルのシャボン玉のなかでしか生きていきけないシャボン玉星人みたいなものなんでしょう。だから、もう、バブるためのネタがあったらなんでもいい、些細なこと、ほとんどヤクザの因縁の「肩が触れた」みたいなことでも、「○○君がこう言いました」みたいな「ネタ」探しをして、それで金が動く。理由が合ってるかどうかなんかどうでもいい。とにかく動いてそこに上下動ができれば、その落差で稼げますからね。今の世界は、イエちゃん(アメリカFRBのイエレン議長)とドラちゃん(欧州中央銀行のドラキ総裁)とクロちゃん(日銀の黒田総裁)の「こう言いました」ゲームですよね。Simon Saidsか。最近クロちゃん不調で、年末の代用措置は笑ったけど、一瞬ドワワワ!と盛り上がってロケットのように株価が上がったけど、「なんや、しょーもな」というのが発覚、30分で急降下して地に沈み込んでいる。ロケット発射失敗みたいな。マイナス金利も1週間持たなかったもん。

まともな人々の生活が人質になってる件

 ただ、本当の問題は、バクチ好きの連中が役満だハコテンだで楽しくゲームしてる分にはいいんだけど、その負けの精算を税金でやってることです。おかしいじゃん。勝ったらその取り分は彼らのもの、負けたらその負け分は国民が払うって。いい商売だよな。なんでそうなるの?といえば、実体経済の1〜3%分も彼らが握ってるからです。潰れるとそっちまで持っていかれるから、「国民生活に重大な影響」とかいって救済する大義名分も実質も出来てしまう。つまり、大多数の真面目に汗を流して働いている人々の生活や人生が、まんま人質になってるという構造が問題だと。

 だから「分離しろ」ってケイ教授の言い分は、僕は一理あると思いますよ。僕ら庶民レベルで金融機関が必要なのは信金レベルで足りるもんさ。日常の決済と、せいぜいが数億以下の小金の管理やローンくらいですもん。メガバンクなんか必要ないし。実際、国際取引はビザとマスター、ATMでいえば各子会社のシラスとプラスの二社で済んでるし、一つですらいい。てかもう水道や電信電話や道路のようにインフラでありさえすればいい。巨大企業の設備投資はどうするんだ?って、そんなの今時古典的に銀行から借りてなんてやってないでしょ、どーせ。イクィティでもなんでもやりかたはあるし、そういうことを専門にやる会社があってもいいですよ。本当に儲かる話ならほっておいても金の方から歩いてきますよ。幻のG資金とかさ(^^)。てか、僕の私見によれば、これからの人類の生活に巨大企業なんか要らないですもん。大体99%の仕事はAIでやっていけるとかいうなら、企業が巨大であるメリットなんか別にないもん。まあ、このあたりは先走り過ぎ・端折り過ぎなのだが、少なくとも、どっかの誰かのバクチの買った負けたで振り回されるのはバカバカしいと思うのです。

実体経済がしょぼくなってる件

 とは言いつつも、今はがっちり爪が食い込んで、振り回される体制が整ってるから、下手すりゃ海底に沈まされます。今年になっていよいよ大詰めになってきて、ヤバくもなってます。最近一般にネットでも知れ渡るようになったバルチック海運指数(不定期船の運賃指数、85年を1000として換算)も、リーマン直前は1万、2年前でも2000以上あったのが、今はついに史上初めて300を切ってます(海運指数が初の300割れ ばら積み船運賃、下げ加速(日経 2016/2/5)。これは世界の海運状況の指数ですが、それだけ世界で船が動いてない(貿易などの荷が動いてない)ってことでしょう。実体経済そのものが世界的にしょぼくなっているのでしょう。てか、船作り過ぎ、多過ぎって部分もあるでしょ。豪華クルーズ激安ダンピング、でも質も劣化してよく沈むわ、船長逃げ出すわって話。

 ここもですねー、いろいろ細かい理屈はあるんだろうけど、経済って何よ?って根本的疑問もあるわけです。景気がいいとか悪いとかさ、別に景気がいいからといっていつもの10倍メシ食うわけでもないし、人間が生きていくにあたって必要な物資サービスの絶対量なんか、そんなに変わるはずないでしょう?そりゃ暖冬だからスキー客が減ったとか、冷夏だから海水浴場はあがったりだとかあるけど、その程度。実体経済ベースに物事が進んでたら、そんなバブルも破裂も恐慌もめったに起きないだろうし、何がどうしてどうなったというのは予想も理解もできます。

 でもバクチはほーんとわからんもん。何の根拠もなく勢いだけでどんどん巨額になりうるし、安目引いたら奈落の底だもんね。バブル〜破裂後に弁護士やってて見たのは、アホみたいな風景ですよ。ちょっと相続した土地を売っただけで10億円くらい転がり込んできて、それを兄弟で分配して、一人3億。それでやめときゃいいのに、さらに「投資」するから、3億がゼロ(むしろマイナス)になるのに1年かからんかったもん。去年遺産分割とか不動産売買やって、今年自己破産の申請してみたいな話がやたら多かったです。何やってんだか、です。

 んでも、今は世界レベルで平和が相対的に広がってきて、新興国のインフラも教育水準も上がってきて、世界的に生産力もついてきた。またテクノロジーの進歩で生産力もどんどん向上してきている。ありていにいえば、向上どころか過剰生産でダブついて暴落してたりもする。鉄鋼も中国がアホみたいに生産するからもう屑鉄価格同然にまで落ちているという話も聞きます。そりゃ新興国だって設備が整ったら作ってみたいでしょう。で、ボンボコ作る。でも、そんなに需要があるわけではないから供給過剰になって値が落ち、過剰在庫になる→そうなると価格競争になる→そうなると日本だけではなく世界レベルで手抜きやら偽装やら質の劣化が生じる。だってそれをしろって仕向けているのが、儲かりさえすればそれで良いんだって株主の意向であり、相場の意向ですからね。去年あたりから世界レベルで自動車のリコールがやたら増えているし、つい最近もイタリア、トルコのオリーブオイルが硫酸銅で色付けしてたとか言われているし、まあ、そうなっていくんでしょう。何やってんだかです。

「利益」って何?

 こうなってくると、そもそも「儲けて」「利潤をあげて」という旧来の方法論そのものが有効性を失ってくるような気もしますね。じゃあ、どうすんのっていうと例えばバーターです。市場で売って〜激しい競争に打ち勝って〜でもその過程で粗製になったり利潤極小になったりして疲弊して多少の利益をあげて〜それで欲しいものを買うくらいだったら、物々交換にしちゃえばいい。実際、この1月に中国とイランが仲良しアピールをしてますが、その中で、”we will have a yearly output of 600,000 tons of steel,” an assistant to Mr. Li said. In August, the plant ? which has a private train, 700 mostly Chinese employees ”(China Deepens Its Footprint in Iran After Lifting of Sanctions (New York Times Jan 16 2016)というのがあって、中国で余りまくってる鉄鋼60万トンや、鉄道車両や中国人労働者700名を含むプラントを提供して、その見返りに石油を貰うというバーター。“We do a lot of bartering,”と言っている。うまいやり方ですよね。中国は暴落した鉄鋼を片付けられるし、イランは暴落した石油をさばけるし。最近国家レベルでそういうのよく見ます。

 世の中そっちに流れているような気がしますケド。これだけ生産力があがってきて、もうそんなに欲しい商品はなくなってきたら(今一番欲しいのは商品ではなく「自分の時間」「自分らしい生き方」でしょうし)、生産→商売→利潤(儲かる)→将来利潤を見越して先行投資して儲ける(投資)→その単純な値動きの上下動だけにバクチを打つ(投機)という流れそのものが時代遅れになりつつあるんじゃないですかね。そんなバーターやられちゃったらバクチの入り込む余地がなくなる。てかお金そのものがそんなに要らないし。ほんでも今更やめられもせず、やめたらバタンと突然死だし、だかといって明確な指標があるわけでもなく、もうネタみたいなものを追いかけて、今日も飛ぶ飛ぶシャボン玉ってことですか。

 そんな無理がいつまで続くか?というと、結構微妙でしょう。リーマン後数年でバタンといくかと思ったら、粘り腰でよくぞここまでって持ったけど、今年か来年あたりイキそうな気もしますね。今度日本に帰省するけど、わずかに残ってる日本円、この際使っちゃおうかな〜、もっててパーになったらつまらんし、預金封鎖とかになったら面倒臭そうだし。

 などとつらつらと続いていくわけですが、このくらいで。

経済のことは経済だけではわからん

 一点、今回のコラムでなるほどねえって思ったのは、「利益は不確定でも得た気になるが、損失は確定するまで計算に入れない」という人間心理です。あるあるある、です。病気なんかもそうですね。健康によくないだろうな〜、ヤバイんだろうな〜とか抽象的には思うんだけど、でもリアルに損失計上しない(実際に行動には出ない)。マジにそれを計上しだすのは、実際にバタンと倒れて動けなくなってからです。老化もそうだし、ゼネラルに老化を日々加速させる被爆もそう。実際にヤバくなるまで計上しない。海外行くなら英語やらないとダメだな〜とは抽象的に思うんだけど、マジにやらない。で、いよいよ現地でのっぴきならない「うきゃー」という状況に陥ってからその「損失」をリアルに認識するという。誰でもそう。

 と、同時に利益は不確定でも得た気になってるという部分もそう。有名大学出たとか、資格を取ったから、だからもう快適ライフが約束されているかに思う。もう受かる前にすら、勉強を始める前にすらそう思う。実際に何一つ現実化してない利益なんだけど、なぜか既にあるかのように思ってしまうという。これも誰でもそうだろう。

 ということは別に金融セクターの皆さんが人間離れして強欲で人として終わってるわけではなく、人ってもともとそういうご都合主義で生きているのでしょう。皮肉なことに、だからこそ「希望」というものも得られたりもするのだが、さて、どうしたもんか。

 僕としては、そんなご都合主義の希望ではない、本当の希望が欲しいですね。でも、それは希望というよりも「快楽」なのかもしれない。実現したからどうとかいうのではなく、実現するための一歩一歩が既に気持ち良いという。成功するから楽しいのではなく、なんかやってること自体が既に楽しいという。常に黒字になってるというのが好ましいなと思うのでした。これは理想論ではなく経験論です。俺はこれまでそうだったよ、という。本当に自分の将来にとって有意義なことは、その一歩一歩が既に楽しく感じられると思うし、実際そう感じられた。

 そんなこと言い出したら「利益とは何か?」論にまでいくのだけど、この際いってもいいんじゃない?思うに、経済のことって経済だけ見てたらわからんもん。利益とは個々人の価値観によって決まるものであり、それを十把一からげに均一化しないと経済論って成り立たないんだけど、そこに既に根本的な誤謬があるような気がするよ。人は儲かるために合理的に行動するという大前提があるけど、それって「合理的」なのか?って。結局経済のあれこれをリアルに感じて意味付けしていくのは経済以外のなにか、それは人生哲学であり、思い出や感情であったりするんじゃなかろかって思います。もっと文学読め、文学っつーか(^^)

 ちなみに本当の意味での人の「資産」というのは、僕は「良い思い出」だと思いますよ。文句無しに、ああ良かったなあ、感動したなあという純度の高いもの。それも何かを鑑賞してとかじゃなくて、実際に自分でやってみての感動。それは恋人との待ち合わせであったり、友と快酔せし夜であったり、ふと見上げた空の広さであったり、そんなもん。あれこれ手をつくして、その純度を高めていくこと、それが本当の意味での人の「仕事」だと思います。あとは全部些事であり、その準備活動だと。だって、50歳過ぎたら言ってもいいと思うけど、それがあったら結構生きていけるんですよね。不回避的に襲ってくる人生の運の凹みに耐えられるのは、「あんときゃ楽しかったな」って記憶です。信念とか、家族とか、なべて「大切なもの」がありますが、それがなんで大切だと感じられるのか、そのリアルな感情根拠はなんなのよ?といえば、そういった純度の高い記憶だと思う。それなくして大切なものを大切だとは感じられないんじゃないかな。ということで「資産」って本当はそういうもんじゃないの?と。だから、経済話を考えてると、チャートとか見てないで、哲学やれ、哲学って気分にもなるのでした(笑)。







文責:田村



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