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今週の一枚(2015/11/30)



Essay 750:起業のススメ、永住権のススメ

 写真は、Waverto。平和な日曜の昼下がり

アラーム感覚

 常々あちこちで言ってますが、ここで又、「まとめ」みたいに書いておきます。起業と永住権のススメです。

 これまでは、「まあ、個々人の自由な選択ですからね〜」みたいな一歩退いたところで言ってたキライがあるのですが、今はその「一歩」を詰めます。詰めたほうがいいと思った。「取れ」「やれ」って命令口調で言う気はサラサラないけど、ニコニコしながら雑談がてらに「いいよ〜」とのんびり伸ばすのではなく、シリアスな真顔になって「いいと思うよ」と語りかけるくらいの感じです。

 ああ、この感覚、高校の時に似てます。毎朝、地下鉄東西線。門前仲町駅。乗車率200%の超満員電車。そこで不機嫌丸出し、疲労丸出しのゾンビみたいなサラリーマンの群れ。それまで徒歩で10分の気楽な中学時代から、高校に入った途端毎朝見るようになったのがこの光景で、「うわあ、俺もこうなるのかよ?」と思ったもんです。アラーム鳴りましたね。「ヤバい!」と。なんとかしないとこうなっちゃう。今は静かな大河を流れているだけだけど、いずれ先の方でナイアガラの滝になってしまって、そうなったら手遅れで、だからなんとしても早い時点で船から飛び降りて、バシャバシャ泳いで岸にたどり着かねば!と。でもどうやって?何をすればいいの?と悶々としてた16歳。で、思いついた(巡りあった)のが司法試験で、超難しくて、しばらく人間やめるくらいのハードな生活を強いられるのもわかっていたけど、ナイアガラよりはマシです。二度目のアラームは、思い立って日本を出てきた時です。このへんは何度も書いてるので割愛します。

 それらのアラーム感覚に似てます。おい、待てよ、このままいったらヤバいんじゃないの?と。

 まーね、僕自身はいいですよ。もう先は長くないし、てか「40歳で死ぬ」という高校の時に決めた初期設定(過去のエッセイ参照)は未だに覚えていて、もうとっくに "overdue"で、延滞料金が嵩みまくってるくらいで、いつお迎えがきても基本文句ないです(あくまで”基本”だけど、いよいよとなれば見苦しく取り乱すだろうけど)。やるだけのことはやったという満足感もあるし、あとはその代償として野垂れ死ぬだけです。これだけやりたい放題やって、最後まで幸福に死んだら、なんかバチがあたって地獄に落ちそうで、そっちの方が怖い(笑)。

 だからヤバいってっても自分のことではなく、日頃から接している若き友人達にです。もう子供のようなもんだし。それに、イデア・シンクロナイズというか、彼らの視点からものを見るのが習い性になってる部分もありますから。

 能書きはこのくらいにして、本論いきます。
 起業と永住権ですが、とりあえずはどっちか一つできればいいし、また究極において両者は同じようなものだと思います。年商数千万の個人ビジネス立ち上げてそれでメシ食えるようになるまでの努力とベネフィットと、オーストラリアの永住権とがほぼ同じくらいだと見積もります。そのくらいの努力を必要とされるし、そのくらいの見返りはあるだろう。そして、どちらかができたら、他方についてもある程度目算が立つと思います。ただ時間的先後関係でいえば永住権の方が先でしょうね。年齢制限キツいから。

外部環境

 なぜアラームが鳴ってるかというと、外部環境の変化です。一つは世界規模の変化、一つは日本独自の変化。

Global Equilibrium 〜 地球規模での均衡化

 世界規模でいえば、これも幾つかあって、一つは均衡化、equilibrium的なグローバリゼーションの局面。ごく一握りの先進国に富が集中して、大多数の貧しい国々は食うや食わずで内戦ばっかやってる、という19-20世紀的風景から21世紀になるにつれて、発展途上国が伸びてきます。その一番手が日本だったわけだけど、二番手三番手、、、200番手くらいまである。

 2014年の世界の成長率ランキングをみると、日本は堂々たる172位です。最下位が188位だから、もう後がないくらいに厳しい。でも仲間も多い。フランス169位、フィンランド178位、イタリア179位です。アメリカは117位で、オーストラリアは111位。もう、ベスト100に入れなくても「すげー」とか見えるという(笑)。先進国の成長率なんかほんとそんなもんです。地球レベルでいえばドン亀・劣等生集団なのですよ。このドン亀基準にモノ考えてると地球規模で何が起きてるのかわからなくなる。じゃあ1位は中国かというと、中国ですら13位です。アジアの中でも、ミャンマー、モンゴル、ラオスのベストテン組に負けている。

 まあ、もともとが規模の小さな新興国経済ではちょっと伸びただけで伸び率は凄いですが、絶対量の多寡ではなく、トレンドがどうかです。時が経つに連れてどうなっていくのか?でいえば、新興国が伸びていって、先進国は落ち目になる。それがユークビリアム(均衡化)というもので、コーヒーにミルクを入れて、最初は白と黒クッキリだったのが、黒は白っぽくなり、白は黒っぽくなり、段々褐色一色に溶けていくという。そもそもなんで南北問題があるのかといえば、16世紀以降の西欧の植民地支配の影響であって、本来あってはならないものであり、世界が平和になり機会均等に近づくにつれ、その本来の姿に回帰していくだけです。これを先進国からいえば、これまでが不当に優遇されていたのが、徐々に落ち目になるということであり、同じ仕事をして今日1万円稼げたとしても、来月には9000円になり、再来月には8000円になりということで、やってもやっても豊かにならない。それがトレンドやカレント(潮流)というものの恐さです。下りエスカレーターを登られながら、さらにエスカレーターのスピードが日増しに上がっていくようなものです。だから先進国はどこも大変。それにプラスして少子高齢化とリーマン以降の国庫借金地獄の二大オマケがついてます。

 僕は(たぶん貴方も)、苦労が嫌いです。好きでやる苦労、ムキになってるときの苦労はWelcomeですが(そのときは苦労とは感じないのだが)、義務でやるような苦労は好きではない。出来れば楽をしていたい。単に金稼ぎでいえば、同じ仕事量だったらペイが良いほうが好ましい。同じ努力を傾注するなら、成果が大きい方がいい。だから鯉の滝登りみたいな、見た目は勇ましいかしらんけど無駄率が高いことは基本的にやりたくない。だったら新興国のほうが良いのだけど、しかし、あまりにも新興国過ぎると、はっきり差別的に「後進国」と言たくなるような状況でもあり、生活してて辛いものもある。だからその兼ね合いです。まあまあ我慢できる程度のレベルであり、慣れたらそれも天国よねってところで、皆と同じように波に乗っていれば、自然と成長できる。似たような仕事ぶりで、個人的にあんまり成長してなくても、全体が成長するからほっておいても給料は上がる。日本の高度成長のときと同じです。子ども心でリアルタイムに知ってますが、普通に暮らしてたら知らない間に家の車がどんどんゴージャスになっていき、テレビ画面が大きくなっていき、住まいが良くなっていく。どんどん贅沢になっていくという。あれは楽ですわ。今の先進国はその逆だから、同じ水準を維持しようと思ったら、どんどん苦労量が増えてくるということで、これは辛い。

 こういった大きなコーヒー・ミルク的な均衡化が、巨大な流れとしてバックグラウンドにあります。これは大きすぎて逆に軽視されがちなんですけど、先進国が束になっても100位にも入れないという世界の現実は、やっぱしっかり知っておくべきだと思います。現時点がどうのって話ではなく、20年後、40年後にどうなるかって長期スパンの話をしているわけですし。

資本主義末期とポスト資本主義

 これも多々語られているのでカタログ総花的に流しますが、資本主義が一人歩きしていくと血も涙もない金儲け搾取マシンと化します。勃興期においては顕著にそうだったので、修正資本主義で公正取引とか独禁法とか福祉国家というカウンターを当てていたわけです。しかし、それももう微妙に限界に来てるようにも思う。なぜなら、企業にしても血も涙もあるように装う広報戦術が上手になるとか(就職説明会とか)、「仕事とはそういうもんだ」という洗脳技術も上手になるし、さらには権力と手を握る越後屋的戦略が今なお(てか、今こそ)有効でもある。ゆえに法で規制するのも限界がある。福祉を充実させてカウンターバランス取りたくても、先進国の国庫はカラ(どころか大赤字)だからそれも無理目、それどころか国民のタンス預金を絞りとって国庫に回そうとするくらい。そしてその年貢収奪の効率化のために、グローバル企業が個人情報を提供して、その見返りにタックスヘイブンのお目こぼしをとかやるかもしれない。

 一方では、生産効率上昇、利潤極大化を図り、テクノロジー最大活用すれば、もっともっと人は減らせる。なんつってもコストのかかるのが人件費(給与だけではなく社会保障費が馬鹿にならないくらい高いし)、できるだけ人を雇わないように、雇うにしても安く雇いたいという方向に流れる。OA化やアウトソーシングはどんどん進み、高性能の3Dプリンターがどんどん値ごろになってくれば(あれ自体が一つの「工場」みたいなものだから)、ますます人は要らなくなる。また、サービス業でも極度にマニュアル化された単純労働で済むように持って行く。生産拠点を安い海外に求める傾向は、新興国のインフラ整備が進むにつれて手頃な立地候補が増え続けるわけだから続いていくでしょう。翻って自国内では失業が増え、購買力が落ちてマーケットとしての旨みがなくなるから、販売拠点も海外になっていく。巨大企業が真剣にその存続を図ったらグローバル化せざるを得ないという面は確かにあります。そうなると自国企業といいながらも、作らない、売らない、税金払わないの三拍子揃って、どこが自国企業なんだ?って話になります。もちろん露骨にそれが見えてしまうとバッシングを受けそうなので、適当に見てくれは良くして、そう見えないように装うでしょうけどね。大広告主だからメディアもそのへんは書けないだろうし。

 やれ失業率が下がったとか雇用が増えたとかいっても、よく見たら正社員が減って、パートや派遣が増えてるだけです。誰もが指摘するところだけど。日本だけではなく、アメリカでもどこでも似たような粉飾やら、印象操作がなされているといいます。そりゃそうだろ〜とは思いますね。自分で確定申告やった人ならわかると思いますが、ある程度は「鉛筆なめなめ」ですよ。「ま、こんなもんだろ」的な苦心の作。

 ちなみに実態がヤバくなってる直近の統計では、金融広報中央委員会(日銀の外郭団体みたいなところ)が出している「家計の金融行動に関する世論調査」です。よく見ると二人以上世帯編単身世帯編に分かれ、ニュースによって焦点の置き方が違います。前者(二人以上)にフォーカスすると「え、皆こんなにお金持ってるの?」という気分になり、後者(単身)だと「え、こんなに持ってないの?」って印象になるのが面白いところです。

 元ネタリンクを貼っておきますが、時系列データ「平成19年から平成27年まで」をクリックすると統計のエクセルファイルがダウンロード出来ます。このうち左端の「1-3」「4-5」というタブで見れます。あー、面倒くさいからキャプチャーして貼っつけておきます。

金融資産ナシをも含む単身世帯全体の統計

 この統計で直近の2015年版の時系列変化(↑)をみると、単身世帯の約48(47.6)%が金融資産を持っていない(貯金ゼロ)ことになってます。単身世帯の約二人に一人は貯金ゼロです。ちょっと安心した(笑)?。しかし、本当の問題は増加率です。昨年の約39%(38.9)からこの一年で一気に48%に増えてるでしょ?(水色マーカー部分)。それまでは2007年に約30%(29.9)であり、9年がかりで39%になっている(年間平均1%)のに、この1年でドンと9年分(9%)増えている。また貯蓄額の平均は773万だけど、中央値はなんと20万円です(「中央値」というのはずらっと順番に並べて上(下)から数えて人数的に丁度真ん中にいる人の値)。ということで、あなたが一人暮らしをしていた場合、一人暮らし貯金ランキングでは、貯金が20万円あったら偏差値50です。

 さらによく見ると、貯金額100万未満という慎ましいながらもせっせと堅実に貯金に励んでいた層(赤)が12.2%→6.8%に下がっている。同時に右端の中央値(黄)も75万→20万円に一気に落ちてる。これは何を意味するか?直近1年がいかにキツかったかです。この1年でなけなしの貯金を取り崩してしまってドボンしてしまった層がどわっと増えているってことじゃないですかね?一方、二人以上世帯統計ではむしろ貯金額は増えてます。格差の拡大がこの1年で加速度をつけてきたのかな?という気もします。

 まあ、これも絶対ではなく、しょせんは統計だし数字の遊びかもしれません。ただ、この1年で金回りが「きつくなった」と思われるのであれば、「あなただけではないよ」ということです。「なあんだ」で安心したりするかもしれないけど、よく考えたら笑ってる場合ではないのだ。それに「俺金持ってるし〜関係ないし〜」ってことでもない。可処分所得が全体にそれだけ減っているということは、単純にそれだけお客が減ってるということだから、回りまわって自分の儲けにも関係してくるのですよ。


 ま、そのあたりの論議はさておき、資本主義における株式会社の本質からすれば、あくまで株主の配当利益極大化がメイン目的です。従業員を幸せにするために会社やっているわけではない。だから日本の伝統的な家族主義経営や、人材育成に手間暇かけるのは、本来からいえば「邪道」でしょう。しかし、邪道なるがゆえに会社が温かく居心地が良いという時期もあり、それが日本の貧弱な福祉を別の形でフォローしていた。が、そんなこと言ってられなくなって、ムキ出しの金属的でメカニカルな利潤マシンになっていけば、それだけ割を食うのは普通の従業員だということです。実際にもそうなってる。派遣労働業界というのは、本来はテンポラリーな家政婦さんとか料理人などのピンチヒッター的なもので、それこそが「派遣」という言葉にふさわしい。いわば「出入りの業者さん」みたいなもので、誰もノーマルな社員に代替するとは考えてなかった。昔はそうだったんですよ。それがどんどん活用(悪用)されている。

 でもそれもこれも、資本主義のテーゼである「利潤の極大化」からすれば当然の話だし、むしろガンガンやれ〜!って推奨すらされる。良い悪いの問題ではなく、戦略としては当たり前だろうということです。そこに儲かる道があれば、先っぽまでいく。行き着くところまでくだろうという。

資本主義の変容〜コモディティ化

  ちょっと前にも書きましたけど、巨大化に次ぐ巨大化で全世界をガリバー寡占していくという巨大化競争ゲームみたいなものって、永遠につづくのか?といえば、そこは怪しいと思います。大量生産してコストカッティングして、価格競争力をつけて勝ち残り、市場を制覇するという方法論は、これから中間層が広がり、巨大なマーケットが出現してくる新興国では通用する方法論かもしれないけど、先進国ではどうかな〜?という気がします。

 これはあんまり誰も言ってないっぽくて、僕自身の直感でしか無いんだけど、いわゆるこの世の「商品」ってもう飽和しちゃったんじゃないかと思うわけです。ハッキリいって、今の僕に欲しいモノって特に無いですから。最後に憧れの視線で欲しかったのはいつかなあ?もしかするとCDプレーヤーが出てきたときで終わってるかも。CDはやっぱ聴いてみたかったですからね、レコード世代としては。「おお」と思った。しっかし、それ以降のもの、パソコンだって、ネットだって、携帯だって、ユーティリティ(実用品)として、無いと困るからって感じで買っただけ。そんな「おお〜!」はないよな。農家の作業で軽トラが必要だから買いましょうか、くらいの感動のなさです。そして、今に至っては、ほんと無いな〜。一番感動するのは、美味しいものとか、景色とか場所とか、人物とかじゃないかな。モノじゃないな〜。

 これって僕だけの感覚ではないと思います。実際、画期的な新商品って出てないですもん。この世に初めてテレビが出現したとか、航空機のような存在だった自動車が個人で持てるようになるとか、そのくらいの飛距離のある、ドラえもんのポッケ的なものって出てきてないです。そうなると、経済用語でいう「コモディティ化(普通化)」が生じ、安くてそこそこ質が良ければ何でもいいやって感じになる。高いプレミア払っても欲しいとは思わない。今世界的にそんな感じで売れているのってiPhoneくらいじゃないですかね。それもいつまで続くやらです。Windowsなんか、新しいのが出てきても、エキサイティングというよりは、もういい加減にしろって感じだし。

 そうなると大企業で技術力を結集して、すげーの作って、どわーっと大予算組んで広報して世界に売りまくるんだ〜ってやりかたがいつまで続くのか?です。そこそこ使える程度の質で安さが取り柄みたいな感じの商売になっていかない?。それって何よ?というダイソー百均みたいなビジネスモデルであって、ダイソーがいくら大きくなっても巨大財閥にはならないと同じく、そんなに利幅の大きいものでもないし。ちなみに不動産だって似たようなものかも。その昔「高嶺の花」だったのが、こんだけ空き家が増え(続けて)いったら、あまり資産価値としては意味無いですよ。むしろ、住む予定がなく維持費や取り壊し費用に頭を抱える遺産相続人から、そこらへんの空き家を安く買ってきて、基本的な手直しをして、そこそこ住めるようにして一軒家数百万円くらいで売り飛ばすようなビジネスのほうがいいじゃない?という気もします。資産価値としては「負動産」というくらい絶望に近いわけで、あとは純粋にコモディティとしての利用価値です。

 つまりブランドやプレミアという付加価値マジックみたいなものが色褪せていき、大体において洗剤やらゴム草履やらと同感覚になっていくなら、どうなっていくか?というと、大量生産ではないと思います。まあ大量戦略は無くなりはしないだろうけど、絶対的なものではない。ブランドも無くなりはしないだろうけど、それほどの神通力を持つものでもない。日本でも、いっときレジに並んでる全員がヴィトンのバッグ持ってるって風景があったけど、今はそんなことないでしょ?

テイストとパーソナライズ

 じゃあ、それに代わるものは何か?といえば、言葉が見つからないけど、テイストであり、パーソナライズでしょう。あるいは物質に対置するものとしての精神で、マテリアリズム vs スピリチャリズムです。スピリチャルというとお花畑っぽいイメージがあるかしらんけど、物体そのものの価値よりも、そこに価値を見出す個々人の価値観にこそ意味があるという発想ですね。「経済の主観化」っていってもいいかしらんけど。例えていえば、マクドナルドやファミレスのような資本の力で、魅力的な商品を開発し、大量操作することでコストカッティングして、安定的に稼げるビジネスよりも、そこらへんの横丁で料理上手なおばあちゃんが、ヒマつぶし or ボケ防止のためにやってる、モロ家庭の味のお惣菜のランチ定食500円の方がいいやって人が増えてきてるんじゃないですか。昔は、そんなみすぼらしい所で食べるのはカッコ悪いって話だったんですけど、今はそんなことないでしょ?むしろ「味」があってカッコいいかもって。だから、変わってきてると思いますよ、消費者選好。

 と同時に、シェアリング経済で見てきたように、あれが世界数十カ国で一気に広まってることからも、「ありあわせでいいや」って指向はあると思うのですよ。シェアリングというとUber vs タクシー業界みたいになってるけど、本当はむちゃくちゃ種類があって、Uberのようにドライバー付きではない、ただの車のシェアシステムだけだったらオーストラリアにしっかり定着してます。これらの本質は、いちいちプロに頼んで高いカネ払わなくても、そこそこ経験のある人にやってもらえばいいやってライトな感じであり、これは昔からあります。パソコンに詳しい人にちょっと見てもらったり、メカに詳しい人に直してもらったり。実際、引っ越し手伝って、パーティの準備手伝って、草刈りやってという日常雑務のシェアリングシステムもあります。従来面識のある個人間でやってたのを、ネットワーク化して、面識がなくても誰にでも頼めるような形にしているという点がミソです。しかもその人のプロフィールや評判もネットで一発でわかるようにSNS的に情報開示している点もミソです。これも、コモディティなんかその程度で十分だろって意識の広まりと言えなくもない。

 また、Airbnbにせよ、Vayableにせよ、プロフェッショナルなサービスを提供する旅館やホテル、プロフェッショナルなツアーやガイトがありながら、「地元ローカルの人(でもド素人)に世話になる」という方が「テイスト」があって面白いし、パーソナルに知り合いになれるし、自分だけのカスタマイズした旅にしていけるって部分に価値がある。つまりは「味わい」「個人化」なんだけど、これがポイントになってしまうと大企業は辛い。大量生産というのは最大公約数処理をするし、ロットで大量にやるからこそのコストダウンや旨みもある。でも、そうなると素朴の「生のテイスト」が出ないし、個人化は難しい。

 それでも、チェーン展開している美容室みたいに、マニュアル化しつつ個人レベルに対応するというやり方もできなくはないですけど、そうなると安さで勝負になるから利幅は少ない。一方シェア経済というのは、基本的に初期投資は限りなくゼロですから、これに台頭されたら、従来の産業構造は全般的に厳しくなります。またビジネスモデルが全然違います。例えばUberでも、あそこはタクシー会社でもなんでもなくて、単なるアプリソフト開発・販売会社です。ソフトを開発して、提供して、一定のコミッションを貰うというスタイルです。「やり方」だけを売っている。

 つまり世界規模で経済のフォーマットが書き換えられつつあるのでは?ということですね。

 話題から外れるけど、ちなみにもう一歩進めば、シェアからバーターにいくかしらんです。物々交換です。ギリシアは凄いことになってますが、市民はしたたかに物々交換やってるようです。すでに多く報道されていますが(ギリシャで広がる代替通貨 洗練された物々交換手段ギリシャに広がる共生経済:地域通貨TEM)、一種の共生経済であり、地域通貨のTEMというのも生み出しています。庶民が通貨発行権を奪回してます。このバーターリング経済=共生経済って興味深いです。日本でも根付くんじゃないかな〜。先見ビジネスの一つになるかも。ギリシャには実際こういうTrade Nowというビジネスサイトも出てきます(ギリシャ語だから内容わからんけど)。ちなみ物々交換は国家間でもやってて、ロシアと中国、イラン、北朝鮮などがやってると。


 あー、駆け足で書いてるつもりだけど、長くなった。これらが世界的な趨勢です。

日本独自の問題

先進国共通の問題

 これも問題山積で、先進国に共通の問題は全部あります。少子高齢化(というか現在から近未来における人口バランスの悪さ)、経済の停滞、金融経済の維持や破綻のメンテで国庫がカラになってること。そのせいかどうか、政治がダッチロール化し、メディが劣化していること。そのせいかどうか(その2)、国際資本や既得集団など一部の思惑て国の方向性が引きずられがちであること。

 これは日本だけではなく、先進国だったらどこでもそうだと思います。オーストラリアは色々な点でまだマシだけど、それでも「マシ」というに過ぎない。地殻変動のような巨大な流れとして地球の平均化が生じてるならば、オーストラリアだってその影響は免れないし、現実に日々侵蝕されている。多くの仕事はインドその他に流れていっているし、ガソリンのセルフは昔からだけど今ではスーパーその他のセルフも普通。郵便局の小包セルフマシンすら、ATMのように24時間営業しています(Chatswoodの駅近くにあるよ〜普及のために郵便料金が安くなる割引キャンペーンやってた(る?)らしい)。

 つまり、ほっておけばズブズブと地盤沈下して死んでしまうと。だからこそ政治、経済、人々の頑張りが期待されるのですが、オーストラリアの場合は、40年がかりで育んできた移民政策が下支えをしています。日本で移民というと「低賃金の外国人労働者」って判で押したようなアホアホな認識があるけど、オーストラリアの難しい永住権をパスしてくる年間20万人の連中は、すげー頭がいいか、すげー金もってるか、多くはその両方です。毎年20万人優秀な人材を補給するから、経済のエンジンになるし、そのときそのときで地球の最もエネルギッシュなところと勝手にどんどんパイプがつながってくれるから、それが好サイクルを生んでいる。日本でも、もし移民を入れるならば優秀なビジネス移民の方がいいです。日本は下にいくほど世界レベルで優秀ですから間に合ってますもん。でも上にいくほど世界レベルで比較して無能ですから、上を取り替えたほうがいい。プロサッカーの監督みたいにね。もう政治家とか取り替えたいくらいですけどね、

 ただ、そうはいっても昨日今日始めた政策ではなく、昔からのやりかたを踏襲しているだけで、今現在からのこれといった画期的なビジョンや方針があるわけではないです。これ、誰がやってもそうは思いつかないと思いますよ。切り開くというよりもアジャストするのが精一杯で、あとは所得再配分をして社会が荒れるのを防いでいくしかないでしょう。地味で忍耐力のいる仕事です。でも、そこまで地味だと選挙に勝てないから、なんかかんか打ち上げるわけですけど、そこでポピュリズムに流れたり、しょせんは出来っこないことをブチ上げてるだけだから、段々白けてくる。でもってスキャンダルやら、なんやらで話題そらしをやる。

日本独自の問題

メンタル

 それに加えて、日本の場合ネガ要因になるのが2つあります。一つはメンタルです。前方に厳しい状況が予想される場合、そういう時こそ冷静にシタタカに、しかしパワーは増強して精力的にあれこれやらないといけないんだけど、これ国民性なのか何なのか、そこを微妙に避けるところがありますよね。一つは、もうダメだでペシミスティックに無気力になり、○○が悪いとかいうだけ。もう一つは、そんなことないよと無意味に楽天的になる。表裏一体ですけど。

 本来なら、問題の過小評価せずシッカと目を開いて問題を見つめて攻略ポイントを探しだし、できるだけの手を打った上で、あとは天に任せるってときに楽天性というメンタルは登場するのであり、それに至るまでの「諦めるな!なんとか出来るはずだ!もっと探せ!もっと手を打て!」って励ますメンタルでもあるのでしょう。楽天性とは怠け者や臆病者の免罪符はないです。「大丈夫だよ」とさしたる根拠もなく問題を矮小化する(広い意味では選挙にいかないのもそうかも)のはオストリッチ症候群の最たるもので、単に逃げてるだけ。そして、いよいよどうしようもなくなるとバンザイ玉砕戦法になり、そこではバンザイ精神の美しさが称揚される。でもね、これでは勝てるものも勝てないですよ。一言でいえばメンタルが弱い。敵から目を逸らせたら、もう負け犬パターンです。

 だからこそ戦争とか懸念されるわけでしょ?オーストラリアは、アメリカに付き合って馬鹿みたいにアフガンに出兵したりしてるから、れっきとした交戦国です。今現在も戦争中ですよ。また陸海軍は「自衛隊」ではなく、ただの軍隊です。だから形でいえば日本よりもはるかにイケイケの軍事国家なんだけど、しかし、軍事国家っぽくない。この国ではおよそファシズムは生じないだろうなって思えるのは、個々人のカウンタパワーが強く、またダメダメな部分を摘出することをそんなに嫌がらない。ダメな点を見出すのは成功や向上の第一歩ですから。

 しかし日本の場合、戦争だの軍事だのになると、いきなり戦前っぽい、ナチス以上に非合理的で幼児的でオカルティックなファシズムにいっちゃうのは何故なのか?やっぱ土壌となるメンタルだと思います。すなわち精密な分析とか対策から逃げてることです。いや実際には優秀な人は日本に山ほどいるんだけど、彼らの言説はあまり取り上げられない。イヤなことに正面からメンチ切って対応しない。すぐ逃げる。全員がそうだと言ってるのでは勿論なく、そうでない人も大量にいるんだけど、集団になると何故かそうならない。イヤなことであればあるほど、虫歯と同じで早期発見&治療すべきなんだけど、先送りにする。影で愚痴や悪口はいうけど、面と向かって文句を言わない。できるだけ言わないでガマンして、いよいよとなったらブチ切れる。

 不思議に思うのが、戦前の軍国主義でも、武力の増強と優秀な戦略と実行という本質からしたら関係ないことをやたら熱心にやる。やれ、男女が付き合っていたら軟弱だのボコられ、スカーフ巻いてるだけで華美に流れた非国民呼ばわりされ、やれ英語は敵性語だから使っちゃダメとかいう。馬鹿じゃねーのって思うけど、今、もし中国が仮想敵国になるなら、中学校から全員中国語やらせるべきだし、徹底的に敵国のことを知るべきでしょう。敵の情報をより正確により多くゲットした方が喧嘩は有利だし、知人や友人も沢山作ったほうがいい。がんがん留学させ、がんがん人を派遣して、見てこさせたほうがいい。敵を知らないで喧嘩なんか出来るわけがない。千羽鶴折ってる心情は美しいけど、そんなヒマがあったら優秀な教育を受けさせ、優秀な兵器を設計してもらった方がいい。「喧嘩に勝つ」というただ一点にのみ集中したらいい。弁護士なんか基本的に軍人だから、僕も「勝つ」というただ一点にのみ全ての力を集中しようとする思考パターンがあるし、その過程の装飾みたいなものは基本どうでもいいです。でも装飾にムキになるというのは、僕に言わせたら、本質的に喧嘩が下手な人、闘争というものに向いてない人だと思います。

 こういうメンタルは、皆で仲良くやる人のメンタルだと思う。争いごとには向いてないよ。また一寸先が闇になってるような危機管理も不得手な資質でしょう。常に縁起でもない、考えたくもない「最悪のケース」を想定し、あらん限りの手を打ち、微妙な空気の流れの変化を感得して、即座に方針を変える。山登りや漁師のような感覚。でも、考えると気が滅入るから考えないことにしましたってんじゃ、取れる魚も取れないよ。

 さてそれらのメンタル風土が個々人にどういう影響をあたえるかといえば、負けが込んでくると社会全体が精神病棟みたいになってきて、気が狂ってくる。当たり前の物事が当たり前にすすまないから、こっちの感覚がおかしくなってくる。これがヤバいことの第一。バランス感覚崩したら、あとでいう起業もクソもあったもんじゃないですから。目の前に勝機が来ているに、「え、でも、だって」とかウダウダいってて反応速度が遅れて勝機を逸するとか。第二に、社会全体がギスギスしてきてそれで精神健康を病むという。これもバカバカしいことです。第三に、全面戦争はないけど、ショーやアトラクションのように、あるいは公共投資のようにやる地方的な小競り合いとかテロの演出とかはあるかしらんけど、それにとばっちりで損害を受けること。もっとバカバカしいです。

 総じて言えば皺寄せが庶民レベル(総資産数億円以下だったら全部庶民)にいくから、どんどん生きにくくなり、唯一の生命維持の方法は、クソみたいな職場を「忍」の一字で我慢するだけという「アンクル・トムの小屋」的な人生になるが最大の実害でしょう。それもこれも収入やら生計の戦略が一つしかないからでしょう。また一つしか無いところまで追い込まれてしまっているわけで、そこから先は王手!王手!王手!の連続で畳み込まれるから、自分の手なんか打たせてもらえなくなります。それは困る。だから先んじておく。

被爆と老後医療

 もう一点、日本固有の問題でいえば、放射能問題が全然解決してない(単になかったコトにしてるだけ)点です。これは将来的に、外貨獲得(外から金もってこさせるのが一番てっとり早いし)においてネックになるところです。これも業種によって違うと思いますけど、事柄がヘルシー系とか食系だったら、悪影響あるだろうな〜。チェルノブイリのときだって、日本はヨーロッパのパスタを気持ち悪がって食べなかったもんね。でもって、地球儀レベルでいえば、日本全体=チェルノブイリみたいなものです。実際にはそんなに大きくないのだけど、だいたいチェルノブイリの大きさそのものが普通レベルで分かってないし、日本列島の大きさだって世界から見たら似たようなものです。日本とパキスタンとどっちが大きいかといえば、パキスタンの方が2倍以上でかいです(約80万平方キロ、日本は37万)。そしてパキスタンの西部で世界最悪レベルの原発事故があって、事故後4年たっても未だに収集しておらず、その目処もたってなかったら、どうすか?パキスタン西部に行きたいですか?そこで取れた野菜や川魚食いたいですか?だから、世界からはそう見えてるという。今この瞬間にもそう思われていると。

 これは実害があるかどうかというレベルではなく、世界的な「風評」としてどうかってビジネスレベルでの話です。風評だろうがなんだろうが、そう思われたら終わり。今回のフランステロで海外旅行やめてる日本人だっているくらいなんだから。でもって今後劇的に収束するのであればまだマシですが、現状がダラダラ続くとして、2021年になったら10年間汚染されっぱなしの国、2031年になったら20年間汚染され続けた国、その間に何もしなかった国になってしまう。これは日本というビジネス資産価値を毀損すると思います。

 ここで、今も外国人観光客が増えてるじゃないかとか、中国人が爆買いしてるじゃないかっていうかしらんけど、本当はもっと来てもらいたいです。先進国ってそれで食うのが一番ラクなんだから。フランスなんか人口6600万人なのに観光客8000万人来る。だから日本でも1億5000万人くらい来てくれたら生活楽になるよ。1300万人だって喜んでる場合じゃなくてその10倍目指さなきゃ。今までがダメすぎたから多少目立ってるだけの話で、そんなレベルでモノ考えてる時点でセンス悪すぎ。ビジネスやるには「見えてない」というのは致命的。爆買いっつってもオムツとかそんなレベルじゃなくて、聞いた話で確認はとってないけど、フランスのワイナリー100箇所以上買収してるとかそんなレベルですよ(確認しました〜Chinese now own 100 Bordeaux chateaux, as wine mania grows ) 。オーストラリアでも不動産買いまくってるし、日本で撤退したシティバンクがこっちではどんどん支店増やして中国語の案内書いて儲けてます。日本のバブルのときだって、ジャパンマネーは世界を全部買い占める気か?と大反発食らってたんだから。

 さて、そういった風評的なイメージ損害ではなく、実害レベルでどうかですが、これはもう因果関係が複雑すぎて、実際上の感覚では運みたいなものでしょう。車や飛行機に乗ったら事故るかもしれない、でも乗る、という。が、この被爆は、タバコ吸ってる僕ですらイヤです。なぜって話は簡単で、車も飛行機もリスクを侵す代わりに、移動できたというベネフィットも得ているからです。タバコだって、イノチ削って吸う見返りに美味しい時間があるわけですし。リターンがあって、そのリターンとリスクの比較衡量の問題だとしたら、被爆というのはリターンがない。単に何もしないでいいだけというメリットがあるだけで、それってただの現状維持であって積極的なリターンはない。だったら単純損じゃないか。雨に降られて濡れているのに、傘をささなくてもよいという現状維持を得るようなもの。

 あと僕が調べたところで、要するに老化が早まるということで、それってどうなの?です。老化の問題になると年金やら老後の生活やら、そのときの医療システムや介護問題とリンクしてきます。国家レベルでの医療インフラというのは、要するにその国がどれだけ富裕かどうかにダイレクトにつながってますから、自分が老化する数十年後の日本が富裕国になっているのか、貧困国なっているのか。もちろん前者の方がいいんだけど、前者に至る道筋は合理的に解明できているのか?といえば出来ないです。あれこれ考えてみたけど思い浮かばないな。なんとなく騙し騙し、ほそぼそと、まだやってまーすくらいの感じじゃないかと思われるわけです。出来るくらいならもうとっくに出来ているでしょうし。そうなると今よりもマトモな老後医療ケアを受けられる見通しは暗く、その暗い見通しゾーンにより早く(老化して)到達し、その不満足な状態により長く滞在する可能性があるということで、やっぱ面白くないですな。つまり、プラス・マイナス何にもしなくも、ただ損するだけってのが詰まらないと。生きてるだけで損してるみたいなのってどうよ。だから強烈なプラスを積極的に見いだせないとならない。ハードル高いです。

 あと身体がいうこときかなくなってくると当たり前だけどシンドイです。でもって、その頃の仕事が、簡単な時給系のマックジョブである可能性が高いし、あれって肉体労働が多いから、老化が早いとその意味でも厳しいです。交通誘導員とか、ずっと立ち詰めで、腰が悪くなったら厳しいだろうなって。しかも労働条件悪悪だから、有給休暇がないから病気でしばらく休んだら、それだけでドボンという懸念もあります。だもんでマックジョブ的にやろうと思ったら、健康は絶対条件になるはずです。相互に関連してくるのですね。

起業と永住権

保険

 どちらも同じ意味があって「保険」です。保険かけておいた方がいいよ、と。言うまでもなく保険商品としての保険ではないですよ。

 住みたいと思う国の永住権を取るのは、いざ日本がヤバくなったときに自分と親しい人を疎開させることができるからです。別に観光ビザでもいいんだろうけど、それだけだったら働けないとか、期間制限があったり(そこは国によって違う)します。オーストラリアの場合、ビザが厳しい方に入ると思いますが、永住権(あるいは帰化して市民権)以外に、現地で働いて生計をたてるためには労働ビザや学生ビザ、そして黄金のワーホリビザしかないです(どんだけ黄金なのかは取れなくなってから身に染みて感じると思うよ)。でも労働ビザは、一般に年収600万以上で、オーストラリア雇用主から「是非に!」と懇願されないと取れません。ハードル高いね。学生ビザは、まず学生であるために授業料払わないとダメだから、その授業料と生活費稼ぎだすだけで大変でしょう。それに永遠にやってられる方法ではない。いつか「はいこれで終わり」って刻限打たれてしまいます。だとしたら永住権しかない。とってしまえば、あとは楽ですから。

 現在のところ、一般にこれを取るまで数年戦争、僕はざっと「十年戦争」って呼んでますけど、そのくらい時間がかかります。だけどかけるだけの値打ちはあろうかと。人によってはもっと早いだろうし、人によってはダメだろうし、だいたいズブ素人から丁稚奉公にはいって、一人前になったり、自分で店持てるまでと似たようなもん。起業して、あれこれ失敗して、でもなんとかコンスタントに乗ってくるまで。1年でできるかもしれないし、10年かかるかもしれない。そのくらいのスパンのイベントであるということです。

公租公課の安さ〜可処分所得の多さ

 オーストラリアのメリットは疎開先というだけではなく、低所得者(移民一世は終生そうだくらいに覚悟しとくといいです)の場合の公的負担が消費税以外ほとんどゼロだということです。社会保障が厚い。年金は掛け金システムじゃないから取られません。受信料もないです。税金の無税基準が結構高いので、ゼロもありえます(非永住の場合は32.5%とクソ高い)。健康保険も無料(てか税金で一括して払う)。失業保険も税金だし、条件さえ合えば誰にでもずっと出る。年金の二階部分(厚生年金=スーパーアニュエーション)は、雇用の場合、雇用先企業は全部支払う(日本は折半)。

 こっちに来た頃、大雑把に年金調べて、「え、そうなの?」と思って、これは取った方がいいなと思った。一生レベルでいえば、無駄に払って結局返ってこないかもしれない年金とその中間利息(これで倍くらいになる)、さらにこっちで掛け金ゼロでもらえる年金、その他の健康保険(日本にいるときは年間40万円以上払ってた)などなど、トータルで言えば1億円くらい浮くな〜と思ったです。実際、その感覚にそう大きな違いはないと思いますよ。家賃も物価も高いし大変だけど、こういう趣味的な仕事はしやすいです。そうでなければやってらんないですよ。逆言えば、オーストラリアまでやってきて金金いうのはアホらしく、趣味的なことやらなあかんとは思ったもんです。

 皆さんわりと物価とかは気にするんだけど、公租公課(税金など)はシカトしてたりしますよね。それダメっす。物価と賃金はリンクしていて、物価が高ければ賃金も高いから、稼げるんだったらそれほどナーバスにならなくてもいいと思います。むしろ、お上に持っていかれる分がキツイです。節約ってことが出来ないし。日本の場合、月額30万ちょいの給料だったら、例えばの資料をみたら、所得税4500円、住民税9000円、健康保険15000円、介護保険2500円、厚生年金26000円とか出てました(ここ)。所得税は5%だけど住民税は10%だからキツイですね。収入によるけど、税金抜かしても何だかんだで月額4万以上かかるでしょ。ってことは年間48万、約50万円。10年間で500万、40年稼働するなら2000万円でマンションくらいなら買える。人生スパンでそれだけのお金があるのとないのとでは違うでしょ?

起業

 起業ですけど、これも将来の保険です。そんないきなり会社辞めて、全財産ぶち込んで、来年には家を建てよう〜なんて目指さないでください。最初の三年は儲からなくていいです。視察だけでもいいくらい。だから今の仕事も辞めなくていい。

 最初に成功するのは難しいんだけど、その後も安定して飛行しつづけるのはその数倍難しいです。早くお金にしようと思うと、自分の適性や生き甲斐もなにも考えずとりあえずやったりするんだけど、向いてないことやっても成功しにくい。仮に成功したとしても、この先一生好きでもないことをやらなきゃいけなくなるから、それも辛いですよ。それに早く結実するものって、一過性の波に乗ってるだけって場合が多いので、早く終わっちゃうんですよね。あとが続かない。出来れば、今もニーズがあり、50年後もニーズがあるものがいい。全く同じでなくてもいいけど、そちらに向かっていって、一番大事な時期にちゃんと稼働できて保険になるものがいい。

 つまり、クビになりました、貯金ヤバいです、なかなか就職できないです、形だけ年金は出るけどその頃には月3000円くらいだから話になりませんってときに、あるいはそうなる以前に、どうにかなるスベや心当たりを増やしておくということです。だから今は練習でいい。ちくしょー難しいなーってのがわかればいいです。むしろ妙に成功して慢心するほうが怖いです。

 起業がいいよというのは、上で述べた大量生産マストレンドから、個人、テイスト系にシフトしていることもあります。そんなに大企業やらマス・ブランドが昔ほど強くなくなってきてる。同時に、新しく感度のいい人達も少しづつではあるけど増えているから、逆に言えばやりやすくなってはいると思います。シェアリング経済にせよ、バーターリング経済にせよ、要するに全員起業化の流れですからね。

 結局、単純にお金を稼ぐだけなら普通に就職して給料もらってりゃいいですよ。それが一番簡単。一番人口が多いということは、一番簡単だということでもある。ただし、それでは詰まらないとか、そこでクビになったらいきなり真っ暗になるとか、それが怖いからどんなことにもひたすら耐えているうちに鬱になってしまうとか、それなりに副作用もあります。怖いのですね、生命線が一本しかないというのは、それが切れたら真っ逆さまって気分になるから。また人生の可能性が限定されてしまうという息苦しさもあるかと思います(僕はあったな〜)。

 だからそれと平行して、じっくり自分なりのものを育てていく。水やって、肥料やって、勉強して、人にあって、アイディア出して、実行して、失敗して、反省して、一歩一歩進んでいくってことは、大きな支えになると思います。いわばライフワークというか、気合のはいった趣味みたいなところから入っていけばいいと思います。とりあえずフリマやバザーで出店とか、市役所にお願いしてポスター貼らせてもらったり、教室開いて生徒さん募集とか、そんなところから始めていって、沢山学んでいく。連ドラみたいに、一つそういうものがあると凄く精神的に楽だと思います。会社辛くても、まだ辛抱しやすい。仲間もできるしね。

永住権の起業の一種

 でね、永住権だって、戦略練って、一つ一つ修練をつんで(多くは英語力=そこがネックになる)、いろんな人と出会って、出会いを大事にして、紆余曲折があって、最後の最後で2年待たされて、、、というのは、起業やるのと感覚的には似てるのですね。ほとんど同じようなものだといってもいい。

 だから仮にダメだったとしても、そこまでの修行で得た成果というのは、後の活動に役立つと思います。そうそう一筋縄ではいかないのが最近のシステムですから、どっかで「出会い」とかいうファジーな要素が入ります。でも、これって人生一般のルールと同じであって、ファジー要素が無いほうが気持ち悪いですよ。そこをどう取り組むかが、人生技術の一番むつかしいところでもあるのですから。

 思うのですが、シリアスな登山家とかスポーツのようなものだと考えたらいいのかもしれないです。10年くらいかかるよっていいましたし、そのくらい掛かる人も多いのですが、逆に言えばシリアスなスポーツをやる場合、選手生命ってそんくらいでしょう?種目によるけど。だもんで、ちょっとマジにプロボクサーを目指してみるとか、バンドでやってみたいとか、役者になりたいとか、そういうことを10年くらい思いっきりやって、努力もするし、出会いもあるし、運にも左右されまくってトホホになるし、で、結局四回戦ボーイで終わりましたとか、デビュー直前までで果てました、大部屋役者のまま芽が出ませんでした、、でも、いいと思います。よくないかもしれないけど、じゃあやらないほうが良かったのか?といえば、多くの人はやってよかったって思うんじゃないかな。そういう熱中できた人生って、いいもんだと思うし。僕だってそれなりにやってきて、思うのは結果じゃないよな〜って。それ目指してやってたって時間がやっぱ濃密でデカイですから。すっごい汎用的なノウハウを学ぶし、自信もつくし、生き方も変わるし。

 以上、なんぼでも書けるけどこのくらいにします。
 あ、これは、もっぱら僕の世話した方々へ向かって書いてる部分が大きいです。なにかといえば、すでにオーストラリアも知っていて、そこで生きていくためのノウハウも実力もある人。ウチの卒業生だったら、多分、オーストラリアのどっかの町に、無一文で放り出しても、大した問題もなく、元気でサバイブ出来るでしょ?そのくらいの実力(てか1年しっかりやれば誰でもそのくらいいけるけど)のある人向けです。

 もしまだ海外体験が乏しく、永住先もネットやデーター見て、どれにしようかな、みたいに探している段階だったら、とりあえず一回住め、です。すっごいイヤな国かもしれないじゃん。いるだけで不愉快でムカムカするとか(笑)。そんなところに10年がかりでトライするのは悲劇ですよ。そこに居られるだけでハッピーってところが絶対あると思いますし、そう感じられるくらい自分を鍛えないとならない面もあるでしょうしね。そもそもハッピーを感じる感性が錆びついてたりするだろうから、まずはそこから油をさしていかないとダメじゃないかな〜。







文責:田村



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