今週の一枚(2015/11/09)
Essay 747:CSIROの未来シナリオ
CSIROの未来予測レポートを紹介する経済コラム
今週は、現地の新聞記事(経済コラム)の紹介です。
オーストラリア最大の科学機関CSIROがオーストラリアの将来に関する予想レポートを出しましたという紹介記事なのですが、これがなかなか興味深いです。
まずは記事全文と拙訳を記し、後に私見を述べます。
Emissions hold key to economic and environmental harmony (SMHの記事)
CSIRO fills Treasury's gap on environment modelling(Ross Gitten氏のブログ)
Saturday, November 7, 2015
CSIRO fills Treasury's gap on environment modelling(Ross Gitten氏のブログ)
Saturday, November 7, 2015
After Treasury's hopelessly inadequate attempt to peer into the future in its intergenerational report earlier this year, just look at the far more fair dinkum future-viewing exercise that CSIRO unveiled on Thursday.
今年、財務省が救いなく不適切な試みとして世代間の将来像を描いてたその後、この木曜日にCSIROはそれよりもはるかに公正な未来像を描いた。
Treasury's effort was little more than a propaganda exercise about the need to restrain government spending, and showed clear signs of government interference. It was widely criticised for purporting to tell us what could happen to the economy over the next 40 years while making no allowance for the effects of climate change and other environmental problems.
財務省の試みは、いかにして政府支出の抑制を正当化するかというプロパガンダの域を越えるものではないし、政府の意向が色濃く反映されていた。これは、向こう40年間の経済予測をしたものであるが、気候変化や環境問題の影響について全く考慮を払われていないという点で広く批判されていたものである。
By contrast, CSIRO's peer-reviewed modelling exercise attempts to look at what may happen to the economy out to 2050, after accounting for the economic effects of climate change - and our efforts to reduce it - plus other environmental problems such as energy use, water use and use of other natural resources.
これとは対照的に、CSIROの研究者たちによる査読によるモデル形成の試みは、2050年における経済がどうなるかについて、きちんと気候環境変化についても織り込んでなされている。経済的影響、それを緩和する措置、その他の環境問題、すなわちエネルギー、水資源や他の自然資源の活用についてまで考慮に入れられている。
This attempt to integrate changes in the natural environment with standard economic modelling is a heroic effort, the first time to my knowledge it's been attempted for our economy.
スタンダードな経済モデルと自然環境の変化を統合して行ったこの試みは、非常に素晴らしいものであり、私の知る限り我々の経済に対して行われた解析としてはおそらく初めてのものだと思われる。
設定で英語字幕も出てきます。
It's contained in CSIRO's first Australian National Outlook report, but also reported separately in this week's issue of the prestigious scientific journal, Nature.
このレポートは、CSIROの「Australian National Outlook」というレポートの中にあり、世界的に権威のある自然科学誌「Nature」誌にも紹介されている。
The project was directed by Dr Steve Hatfield-Dodds, a former Treasury economist now with CSIRO, with participation by another three economists and 13 scientists, mainly from CSIRO.
元財務省のエコノミストであり、現在はCSIROに在籍するDr Steve Hatfield-Doddsによって指揮されたこのプロジェクトは、他に3名の経済学者、さらに主としてCSIROから13名の科学者の参加によってなされている。
The question they sought to answer was whether the mounting ecological pressures in Australia can be reversed while our population continues growing and our material living standards continue rising.
このプロジェクトで求めている「解」は、このまま人口が増え続け、物質的生活水準が今後も上昇するという仮定にもおいて、はたしてオーストラリアは、現在山積しているエコロジカルなプレッシャー(諸問題)を好転させることが可能なのか?という点にある。
To put it another way, can economic growth be "decoupled" from natural resource use and environmental stress?
これは、自然資源や環境ストレスと経済成長を「デカップル」(その相互関連性を遮断)することは可能なのか?という問いかけに置き換えることもできる。
The modelling takes a fairly conventional "computable general equilibrium" model of our economy, but surrounds it with eight other models of different aspects of the environment - global climate change and economic growth, water use, energy use, transportation, land use, material flows and biodiversity - which have effects on the economy.
このモデルは、きわめて普通の「CGE="computable general equilibrium"=計算可能一般均衡分析」を採用しているが、同時に環境に関する8つの異なったモデル=世界的な気候変化と経済成長、水資源利用、エネルギー消費、運輸、土地利用、物質の流れと生物学的多様性、これらがいかに経済に影響を及ぼすのか?に関連して論じられている。
But can any person or model accurately predict what will happen in the future? Of course not. So the exercise identifies 18 different plausible "scenarios" of how things may unfold and runs each of them through the nine-model set-up.
しかし、これらについて誰が、あるいはどんなモデルが未来を正確に予測できるのだろうか?もちろん誰にも出来はしない。そこで、この試みは9つのモデルを設定しつつ、それらがどのように展開し、影響をあたえるかについて、起こりうべき「18のシナリオ」を描き出している。
Each scenario combines differing global drivers of change with differing domestic drivers. The global drivers cover differing rates of growth in the global population by 2050 - it may grow to 8 billion, 9 billion or 11 billion - and differing rates of greenhouse gas emission.
それぞれのシナリオは、それぞれに異なる世界的な変化要素と国内的な変化要素との組み合わせによってなされている。世界的因子でいえば、例えば2050年までにどれだけ人口増大が見込まれるか〜80億人、90億人、110億人の可能性、それと温室効果削減の達成度についての組み合わせである。
Limiting global warming to 2 degrees above pre-industrial levels by 2100 would require "very strong" efforts to "abate" (reduce) emissions. Limiting it to 3 degrees would require either a "strong" abatement effort if the global population was allowed to grow to 11 billion, or a "moderate" effort if the population grew only to 9 billion.
産業革命以前の水準に比べて温暖化効果を2100年までに2度以内に抑えるためには、排出削減に「非常に強力な努力」が必要とされる。世界人口が110億人まで達するという前提で且つ3度までに抑えるためには「強力」な努力が必要とされるるが、90億人までならばそこそこの(モデレートな)努力で足りる。
That leaves "no abatement action", with the global population growing to 11 billion and global warming reaching 6 degrees. Gasp.
また、「なにもしなかった場合」も想定され、そこでは世界人口が110億まで増え温暖化も6度上昇することになる。おお。
(Turns out those last two drivers made little difference to environmental outcomes, according to the model.)
国内的な変化因子は、農業生産性の向上の進展度、生物層の保護のために二酸化炭素発生を抑える森林再生市場とその発展に伴う土地活用法の変化、水その他の資源を個々人がいかに有効に使うようになるか、我々の生産性の向上が実質収入を増大させるよりも労働時間を減らす方向にどの程度の影響をあたえるか、我々が行っている消費活動が物品の購入よりも「経験」を購入するように変化していく度合はどの程度か?などなど。(もっとも最後の2つは、モデル理論によれば、環境変化という結果に関しては大した違いをもたらさないらしい)。
It's assumed that Australia's abatement effort is at the same rate as the global effort. Up to half our net reduction in emissions is achieved by "carbon sequestration" - withdrawing carbon dioxide from the atmosphere and storing it in plants - achieved by reforestation of cleared land.
これはオーストラリアの抑制努力がだいたい世界平均程度であるという仮定による。実際の削減の半分は炭素削減であるが、これは大気中の二酸化炭素を抑制し、且つ荒野の森林再生によって地表に留めることによってなされる。
So, we build this amazing nine-model model, then run each of the 18 different scenarios through it. What results do we get?
ということで、興味深い9つの理論モデルを打ちたて、そしてそれを走らせて18通りのシナリオを描いている。ではどのような結果になるのだろうか。
In all scenarios, the economy and living standards are projected to grow strongly. The value of economic activity (gross domestic product) is projected to rise 10-fold over the 80 years to 2050 (the exercise actually starts in 1970, with actual data up to 2012).
This increase in GDP is driven by a 2.9-fold increase in population, leaving a 3.2- to 3.6-fold increase in GDP per person.
全てのシナリオで、経済と生活水準は強く成長すると予測されている。経済活動の価値(GDP)は、1970年を起点にして(その後2012年までの統計による)2050年までの80年間で約10倍にも上昇するらしい。
GDP10倍増の内訳は、人口が2.9倍に増えること、そして一人あたりのGPDが3.2倍から3.6倍に上昇することに基づく。
GDP10倍増の内訳は、人口が2.9倍に増えること、そして一人あたりのGPDが3.2倍から3.6倍に上昇することに基づく。
On some scenarios, net greenhouse emissions fall to zero or lower by 2040. From four times the global average today, our emissions per person could fall below the global average by 2050.
いくつかのシナリオにおいては、2040年までに温室効果をもたらす炭素排出はゼロないしそれ以下になることが想定されている。現在世界平均の四倍にも達する一人あたりの排出量は、2050年までに世界平均まで下がるということだ。
Apart from reforestation, emission reduction comes from reduced emissions (within Australia, not elsewhere) and from the economy's reduced resource-intensity (that is, fewer natural resources being used to generate each dollar of GDP).
森林再生はさておき、排出削減は、オーストラリア国内における排出減少、そして経済活動における資源集中度の低下によってもたらされる(GDPの各ドルはより少ない資源によって獲得される)。
National water extractions are projected to maybe double in 2050, but up to half this increase could be met by desalination in coastal cities and water recycling for industrial use.
国内的な水資源の摂取量は2050年までに2倍になるが、その半分は、沿岸部の淡水化プラントと工業用水のリサイクル化によってもたらされる。
Water stress - seen in rain-fed water use in water-limited catchments - improves or is stable in seven of the 18 scenarios.
水資源問題=摂取量が限られている雨水による貯水は、向上するか堅牢だというのが18のシナリオのうち7つである。
Pressures on biodiversity (preservation of species) could also be reduced despite economic growth and increased agriculture. But carbon and biodiversity tree-planting could increase the pressure on river-based water systems.
バイオダイバーシティ(生物の多様性=種保護)に関する問題は、経済成長と農業生産の増大を仮定しても尚好転しうる。ただし炭素と自然保護のための植林は、川をベースとした水資源システムに悪影響を与える可能性もある。
Overall, 13 of the 18 scenarios show improvement in a least one environmental indicator, but only three - each requiring "strong" or "very strong" abatement effort and development of reforestation markets ? show improvement in all three environmental indicators.
総じていえば、18のシナリオのうち13までは少なくとも一つの環境局面において向上が予期されている。しかし3つの環境因子全てについて向上が見込まれるシナリオをたった3つでしかない(それぞれについて「非常に強力な」あるいは「強力な」削減努力や森林再生市場の拡大が求められている)。
So the modelling suggests economic growth can continue without worsening - and even while improving - pressures on the natural environment, but only if we and the rest of the world greatly increase our efforts to reduce emissions.
このモデル理論は、環境を悪化させることなく経済成長が行われうること、場合によっては向上すら見込めると示唆しているが、しかし、それは我々と世界の人々が、削減について相当努力することを条件にしている。
。
Now, I should warn you that modelling exercises - economic and scientific - are always subject to limitations and open to criticism. They rely on many assumptions and are widely misused by vested interests.
さて、私はここでモデル理論、経済と科学というものは、常に限界があり、常に批判に対して開かれていなければならないと改めて告げなければならない。これらは多くの仮定に基づくものであり、且つ、既得権益者によって幅広く悪用されてもいるのだ。
I'm sure in 20 years' time, this CSIRO modelling will look very crude. Right now, however, it's a wonder of the modern world.
20年後、このCSIROモデルはとても粗雑なものに見えることは確かだろう。しかしながら、現代の世界においては驚異的なことである。
雑感
社会の流動性
CSIRO(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation=オーストラリア連邦科学産業研究機構)は、国立の科学研究所で、最大の規模を持つ、オーストラリアの科学の殿堂みたいなところです。スタッフは6500人。本部はキャンベラにあるけど、施設は国内に50カ所あるそうです。オーストラリア人だったら誰でも知っているでしょう。その科学機関が未来予想のレポートを出すのは普通の話でしょうが、興味深い点が多々あります。
第一に、理系的、サイエンティフィックに将来の環境問題を提言するだけではなく、それと同じボリュームで経済予測も加味し、経済学と自然科学とをにらみながらインテグレーテッド(統合された)考察をしている点です。この統合性が画期的です。普通、この種のレポートは、環境問題に関する理系的な所見をもとに警鐘を鳴らすだけで終わると思います。専門外の世界・国内経済についてまで言及する例は少ない。
しかし敢えてそれをやっている点が凄い。野心的な試みなのですが、しかし、経済は経済、自然科学は自然科学ってそれぞれの分野でそれぞれに言ってるだけでは意味ないというのも一理あります。だって現実は一つしかないわけだし、いくら環境がよくなってもそれで経済がダメになったら意味ない、というか実行不可能だし。経済は環境のことを考えて立案しなければならず、環境政策は経済的現実を十分に考えて行わないといけない。当たり前の話ではあります。
でも、それを実際やろうとするのは難しいし、ましてやレポートという形で仕上げてしまうのは凄いと思います。世界の「ネイチャー」に掲載されるだけのことはあるでしょう。
なぜそれが可能なのかというと、このリーダーのSteve Hatfield-Dodds博士がもともと財務省の経済学者であるという点にあるのでしょう。その人が今はCSIROにいるという人事の流動性がまず凄い。なんで経済学者が科学系に機関にいるの?就職できたの?という点ですよね。それはCSIROの中枢の科学者達が、科学オタクとしてタコツボ化しておらず、経済の重要性をよく認識していたことを意味するでしょう。また、科学というのは単に人智の限界を広げるだけではなく、実際に人々の生活に寄与した方が良い、さらに進んでそのためにはお金がいるよね、お金をどうマネージしたらいいのかという点も問題になり、科学者はそこまで考えていいじゃないかって視点があります。そのあたり、「さばけてるな〜」と思います。
さらに、同じ国の機関であるのに、政府が唱えている政策やレポートについて「全然ダメ」と言わんばかりに全く違う所見を出していること。そのあたり、日本的に「なあなあ」「丸く」しようという気が全くない。そもそも、リーダーであるドッズ博士自身だって財務省の出身であるのに、財務省のメンツ丸つぶれみたいなレポートを堂々と出す。そのあたりの流動性、風通しの良さです。
と同時に、このCSIROのレポートを、経済学者がコラムで紹介しているという点も凄いです。単に環境科学系の記事ではなく、経済記事として紹介するに値すると判断したわけで、そのあたりも風通しよさげです。
国民への信頼
第二に、このレポートのビデオ(上掲)の後半部分に言っているように(同シリーズの各論ビデオでも全て同様)、個々人の選択が非常に重要であり結果に対して90%のウェートを占める、だから皆考えろ、議論しろ、ディベートしろという国民に投げ返している点です。頭のいい優秀な我々の言うことを聞けという「啓蒙」ではなく、あくまで考えるのは個々の国民であり、決めるのは君らだよというスタンスですね。我々は、およそ考えうる18(20)のシナリオを用意し、なんでそうなるのかのメカニズムを色々な統計を使って説明しているだけで、これは全て議論の資料なのだと。つまり、ありがちな結論を押し付けるような形になってない。押し付けるも何も結論自体が18通りもある。また、世界経済や人口、それに国内的な変数因子を複雑に組み合わせる議論だから、結構賢くないと理解もできないんだけど、「このくらい分かるだろ」ということでポンと国民に投げている。そのあたり、国民は馬鹿だという前提に立っていない。まあ投票率100%に限りなく近いこの国では、そのあたりのレベルは確かに高いと思います。馬鹿ストレスが少ない。というよりも、自分もかなり全力でトバさないとついていけないのは、ある意味気持ち良くもあります。
内容論〜温暖化について
このレポートでは、二酸化炭素→温暖化という前提に立っています。CSIROはかなり初期からその立場です。ここで、なんかしらんけど温暖化懐疑論がやたら盛んなんですけど、世界的には別に懐疑論はそれほど強くないです。てか、「まだそんなことを言ってる奴がいるのか」レベルでしょう。これはずっと前のエッセイでも、僕も真剣に疑問になってあれこれ調べたのですが、率直に言って懐疑論の方が部が悪いと思います。簡単な例証をいうと、例えばWikiの温暖化懐疑論を見ても、懐疑論は世界的に無茶苦茶たくさん出ています。この点がおかしい、本当はこうなのだって説が十数説かそれ以上ある。それは諸説入り乱れて別にいいんだけど、大事なのは温暖化論を上回るだけの世界的支持を受けている説はどれ一つとしてないという点です。拮抗すらしておらず、本人一人が言ってるだけ、ないし少数のグループが言ってるくらいです。あと、個別にここがおかしい的な重箱の隅をつつくような批判はあるんだけど、それもいちいち全部再反論されちゃってケリになってたり、仮にそこがそうだとしても、おそらくは何百万という単位である世界中の全てのデーターを統一的に説明できるのか?といえば、全然出来ないし、またその気もない。どんなことにも部分的反論は出来る。そんなに難しいことではない。いわゆる難癖みたいなもので、そこだけ見てればそのとおりなんだけど、でも全体を包括して説明できなかったら結局意味がないです。よく「これで全部説明できる」とか言ってるけど、それは「言ってるだけ」「豪語してるだけ」で、実際には全く説明できてないです。もっと激しい矛盾がもっと大量に出てきてしまって、結局ボツ。だから支持者も少ない。
あと陰謀論とかたくさんあるんだけど、どれもこれも説得力に乏しい(だから陰謀論として相手にされないわけなんだけど)、お話としては面白いけど、それだけです。原発推進のために煽ってるんだとか、環境ビジネスのためだとか、欧米支配の優位性を保つためだとか言われているけど、原発なんかそんなこと言わなくても既成事実化してゴリ押しすれば済むし、それを言うなら原発以外のニューエネルギーを助長する危険があるし、それぞれに事実そうなってる。そもそも環境ビジネス(ソーラー蓄電機とか)陰謀論とも矛盾するし。欧米支配とかいっても排出量は先進国が圧倒的に多いんだから自分で自分の手足を縛ってなにが支配だって気もするし。大体これまでの社会システムをどーんと変えようという話なんだから、これまでの社会システムにあぐらをかいてきた既得利権が一番割を食います。オーストラリアでもそうだけど、資金量豊富なそれらが温暖化詐欺キャンペーンをするのはわかるし、実際鉱山セクターが激しい攻撃をして、アメリカと大企業の使いっ走りで筋肉バカと言われたアボット首相も炭素税を廃止してしまった(しかし、連邦&各州政府の公式見解=温暖化=は全然変わってないです)。だからこそ先日失脚して、ターンブルに「人々の知性を尊重するリーダーシップが必要だ」"style of leadership that respects the people's intelligence" was neededなんて言われてしまうわけです。
陰謀論で一番あたってると思うのは出版社陰謀論で、とにかくそれっぽくセンセーショナルな本を出せば、暇な人が読みますからね。出版不況の昨今、嫌韓本と一緒で、出せば売れるって本はとても貴重だと思いますから、大切に育てるって、これはビジネス的に理解はできます。心理的に負けが込んで、知性が低下している社会では、そういうのは良く売れるでしょう。「これを読めば全てわかる」という、もうその時点で嘘じゃんって話なんだけど、でも読んじゃうという。「彼女のハートを必ず射止められる、必殺の名フレーズ10選」なんて記事をむさぼるように読んでる人が、およそモテないのと同じことです。つまり世の中そんなに甘くないよってことですね。
個別の内容
大まかな概要はCSRIOのサイトで読めますし、CSIROのサイトにあるフルレポート(PDF)もダウンロードできます。僕もまだ咀嚼しきれていないのですが、人口も経済も成長しつつ、しかし環境的にも向上するという夢物語のような未来像を描くシナリオのキーポイントは、reforestation とか Land Market とか呼ばれている部分にあると思います。森林再生や緑化計画なのですが、樹木を増やすことによってCO2を減少させるだけではなく、それ自体によって「儲ける」という点がミソです。
97年の京都議定書を契機に二酸化炭素(の削減)そのものが国際取引の対象になっていて(Carbon Trade)、その市場まで出来ているわけですが(Carbon trade exchange)、1トンの二酸化炭素排出抑制がcredit(CO2e)になっている。そのメカニズムと現状についてはよく把握出来ていないのですが、そのあたりは別に夢物語でもなんでも無くてノーマルな経済活動として動いています。
そして、農業従事者や地方再生と絡んでくるのですが、オーストラリア各地の土地所有者(農場主など)は、手持ちの遊休地を植林緑化することによって新たな収入の道を開いてあげる。経済学的な予測によれば、1トンあたり40-60ドルになると"sweet spot"になるらしく、具体的に儲けが出てくるので広まるだろうと。そうなると、農場主は、農業以外にも(30%ほど)収入が広がるだけではなく、天候や市場によって収入が極端に左右されるのを減殺するというリスクマネジメントにもなる。さらにこれらによる地方経済の向上は、地方再生にもつながり、ひいては別の局面(水資源)にも好影響を与えると。そのあたりを軽く説明しているのが下のビデオです。12秒〜56秒あたりの箇所です(あとは一緒)。
もちろんこんなことが一朝一夕に出来るはずもないです。ただ、難しいけど出来ないわけではない。また難しいだけに段階的にこのくらい何をすればこのくらい結果が変わるだろうという予測をしている。経済施策その他の観点で7つのシナリオを描きつつ、強力な政治的リーダーシップと、複雑に入り組んだ諸関係を上手にマネージすることが求められています。
この点に限らず、全体に本当にいろんな要素が関連してくるので頭がウニになりそうです。非常に難しい。経済は経済、環境は環境と分離独立して論じる方がよっぽど簡単です。でもそれでは意味がない(ことはないが実効性に乏しい)。現実は常に一個しかなく、あちらを立てればこちらが立たず関係になるところ、あちらもこちらもどちらも全て立つような相関関係はどこにあるか、その絶妙なメカニズムはどうやって構築していくか。環境科学も経済も政治も全て等価のものとしてぶち込んで膨大なデーターをもとに予測し、立案し、検証するというのがこのレポートで、なるほど野心作です。
それだけに読んでて刺激的です。エネルギー資源問題でも、エネルギー効率の向上がキーポイントになるのですが、それは家庭においては省エネ家電の普及であったりもします。時が経つにつれ優れたエネルギー効率をもつ(消費電力の少ない”燃費”のよい)新しい家電製品になるのですが、2050年まで大体2-3回冷蔵庫を買い換えるとして国全体ではこの時期にこのくらいになるはずだとかタイムラグも考える。電力でも、発電システムの向上もさることながら、送電システムの効率化の方がより効果が高いとか。そのキモになる部分は、全体の送電量ではなくピークタイムのマネジメントが大きな意味を持つから、あれこれ莫大な予算を投じて発送電設備をどうかするよりも、ピークタイムを減少させるような社会政治的なやり方の方がコストベネフィットでは有効(少ない予算で大きな効果)があるとか。そのためには(ここは書いてなかったけど、私見では)、ピークタイムをズラしたかったら、まず一エリアの一極集中を緩和すべきであるし、そのために工場やオフィスを分散させ、各エリアの都市計画法上の規制を調整し、土地税制にインセンティブを設けるとか。また通勤時間や労働時間のフレックス化を推し進めるとか。
考えていて思ったのですが、これ、温暖化の真偽なんかある意味ではどうでも良くて、そういう状況にあるなら、それを逆手にとって、さらにそれをレバリッジにして全体に好転させていくという発想の核心が大事なのでしょう。「じゃあ、こうすればいいじゃん」と次々に思いつく発想力であり、「えーと、そのためには、、」とそれを実行するための強力な予測能力と行動力。
日本との差異
これらはオーストラリア独自のものであり、日本に横滑りして利用できるものではないです。前提条件が全然違います。オーストラリアは国土がやたら広いうえに、人口が少なく、且つ乾燥した土地ですので、日本とは異なって水資源問題が非常に重要でもある。また山火事の問題もある。一方、人口や経済はコンスタントに上り調子になることが当然の前提になっており、且つ農業生産国でもあるので世界的な農作物輸出も大きな柱になる。もう何かもが違うので比較するだに愚かしいのですが、しかし、その発想の核にあるものは学べます。また、日豪いずれであれ、グローバルな動向そのものは同じです。例えば世界人口70億があと30年で90億とか110億になるとかいうのは同じ。人口が増えれば需要も増えるわけで、単純にそれだけで経済は伸びる。このあたり人口経済ともにダウントレンドな日本に染まってると誤解しがちなんですけど、世界全体でいえば圧倒的にアップトレンドです。むしろ増えすぎて困っているくらいで、だからこそ食料危機だというネガ視点も出てくるけど、だからこそビジネスチャンスという視点もある。
なんかねー、日本におると変な思考バイアスがあって、これは自分でもそうだったから分かるんだけど、ある程度まで予測して分岐点になると、無意識的にネガな方向に進んで、最後は破滅的結論になって「もう終わりだ」とメランコリックな気分になってそこで思考停止するという不毛なパターンですね。人口が増えて食料の奪い合いになって食料自給率の低い日本はもう終わりだ、みんな餓死するんだみたいな(笑)。オーストラリアの場合は、農業が一つの柱ですから人口が増えて食料需要が高まるのはうれしいことであり、農業生産物価格はおよそ50%上昇するだろうという胸算用をホクホクと弾いているわけです。それに、仮に飽食から飢餓の時代になるといっても一夜明けてそうなるわけではなく、10年、20年の過渡期があるわけで、その過渡期において何があるかというと、今までとは比較にならないくらい「農業は儲かる」というシナリオもあるわけでしょ。品薄になれば価格は上がるわけだから。
また、株価や国債が暴落して世界恐慌が起きて〜というのも金融経済に限っての話で、そんなもんロングスパンでいえば一過性の事柄にすぎない。仮に大恐慌が起きて、日本の企業は全部倒産して、日本人は全員ホームレスになったとしても、それがどうした?でしょう。ロングスパンでいえば「そういう大変な時期もあったね」というだけのことで、その程度のことは直近百年でいくらでもあった。昭和恐慌も、関東大震災も、戦争と敗戦も、オイルショックも、バブル崩壊もわずか百年の間に全部あったわけで、平均すると20年に一回くらいの率であるわけで、「よくある話」でしかない。人生史でいえば、大学入試で苦労して、20年後に会社でリストラされて苦労して、その20年後に離婚したり病気になったりしてまた苦労して、、ってなくらいの頻度でしょう。きわめて普通の話、誰にでもあるありふれたエピソードです。「その程度のこと」では全然終わらないのよね、社会も個人も。
そんな一過性の小さな波は何をどうしても普通にやってくるんだから普通にシカトしておいて、さて、見るべきは30年、50年スパンによるグランドデザインだと思います。
最後に、CSIROの動画ってめちゃくちゃ沢山あってどれも面白いのですが(ここに動画一覧がある)、そのうちから2009年の「Science making a difference 」というものをあげておきます。6年前で画像は古いんだけど、横断的にいろいろ見れるし、オーストラリアの観光(?)案内にもなるし。
文責:田村