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今週の一枚(2015/10/26)



Essay 745:新 "不" 自由主義経済

〜要するにセコいだけじゃん

 写真は、前回に引き続きOlympic Park
 いや、木が大きいって、それだけで絵になるな〜って思って。ほれぼれ見惚れてしまった。

どこが「自由」なのか?

 最初にお断りしますが、以下は正確な経済学的定義に基づく「新自由主義」を論じるものではありません。オーストリア学派から始まる「ネオリベラリズム」をハイエクやらフリードマンが展開して、とか論じる能力見識は僕にはないし、またその意思もないです。そういうことを言いたいわけじゃないのよ、と。

 ここでは何となくボヤヤンと言われたり思われたりしている「新自由主義」、つまり、大きな企業がグルーバルにガンガン金儲けをやって、日本では規制緩和とか構造改革を唱えて、結果として派遣社員が増えて、二極分化の貧困化を招いているというネガ側面もあって、、とかのイメージで語ります。

 というか、今となってはイメージで語るしかないし、なんか皆さんそうしてらっしゃいますやん。だって「新」とか言われながらももともとは19世紀の発想ですよ。日本でチャンバラやってる頃の話ですよ。それが時代とともに膨らんで、社会主義はイマイチよくないね、ファシズムはあかんよね、やっぱ皆に自由にやらせるのが一番いいよね、自由がいいよねってあたりが本来の話であって、別に「正社員が減った」というのは議論の中核にあるわけではない。でも、そんな感じに語られてます。

 本来の発想(何が”本来”なのかは論者による)でいえば、僕はバリバリの新自由主義者であり、リベラリストであり、それすらヌルいというアナーキストでもあります(笑)。前々から書いてるように、人がダンゴ虫みたいに集って何かやる理由は「互助とシェア」だと思うし、より有効にコスパよく助け合いが出来さえすれば、そのシステム形態が"国家”と呼ばれようが”原始共産制”と呼ばれようが何でもいいと思ってます。要はその時点で気の毒な人が一人でも減ればそれがベター。「最初に国家ありき」みたいに決め付けなくてもええだろと。

 思うに自由主義の根底にある世界観は「人は本来賢い」という(昔書いた)性賢説であり、社会主義や全体主義、国家主義の本質にあるのは「大衆は馬鹿だ」という性愚説ではないか。お馬鹿な一般ピープルを、優秀なエリートさんが良い方向に導くのよ、その方がトータルでのハッピー量は増えるのよ、いいから何もかもお上に任せなさいよって発想がどっかにあるんじゃないか。確かに、人の個性としての優愚はあるかしらんけど、それを誰がどうやって決めるの?という時点でコケ、その優秀な人が献身的に愚劣な大衆のために奉仕する確率よりも、それを食い物にして私腹を肥やす確率の方が微妙に高いと僕は思うからっす。つまり「絵に描いた餅」ではないかと。「誰かが誰かを導く」ってことは現実としてありますけど、それをトータルシステムとして決めてしまうのは無理だろっていうただその一点で、自由主義者であると。

 だけど世界を見渡すと「自由主義」って言いながら、全然自由じゃないじゃん、やってないじゃんっていうのが本稿のお題です。


 市場原理も自由経済も、本来の意味では良いことだと思います。例えば、音楽でもマンガでも、何が受けるか、売れるか、どのクリエーターが収入を得るか、成功するかは、その音楽を聞いて「いい!」って思った人、そのマンガをよんで「すげえ」と思った人の数と質によって決まる。それらはもうリスナーや読者の皆の自由な判断に任せておけばいい。それをどっかの誰かが「これは優れた作品だから聞きなさい」「これは駄作だから聞いてはいけません」とか決めなくてもいいだろ。勿論そういう評論は自由だけど、それが権力やら権威、システムになったらあかんでしょう。皆の自由な判断に任せておけばいい、そういう自然な選別に委ねればいいってって意味で自由主義であり、市場原理主義です。

 ビジネスでも、長年地道に研究して画期的な新製品を作ったとか、似たような商品でもあれこれ頭をひねって新しい切り口で売ってみるとか、より良いものをより安価に提供した人の勝ちってシンプルなルールがあります。これが守られているなら、僕は何の文句ないです。グローバル企業だから、金持ちだからダメだというつもりは毛頭ないです。

 問題はそうなってないこと、自由といいながら自由ではないことです。

 そこでいう「自由」というのは「誰もが(共通・公平なルールで)"自由"に競争して」って意味ではなく、「強さにモノを言わせて"自由"にルール無視をできる」って意味になってはいないか?と。えー、「自由」ってそういう意味なのかよ?って根本的な疑問があります。

 例えば野球だって、前提条件の理不尽はいろいろありますよ。甲子園でも晴天に恵まれやすい西日本のチームの方が、豪雪に見舞われて練習時間が少なくなってしまう北日本のチームよりも強くなりがちだとか、伝統名門校の方が優秀なメンバーが集まりやすいとかいう不平等はあります。また、金の力で全国からスカウトしてくるってのもあります。そのあたりの線引をどうするかってのはありますが、まだそのくらいだったらここまで腹は立たない。今僕がムカついているのは、なんかしらんけど「強い」チームは、自分が攻撃するときだけ3アウトではなく10アウトまで攻撃できるようにするとか、1対3で負けているのに何故か勝ってしまうとか、そういうレベルです。それはありえんやろと思うんだけど、でも「強かったら何をやってもいいんだよ」「自由なんだよ」ということで、ほ〜、そうなんかい?と思うわけです。弱肉強食とか競争社会ってそういう意味なのかよ?と。そんなのただのクソゲーじゃんかよ。



 今回の写真はココ、Newington Armory です。"Armory"というのは見慣れぬ単語で、一瞬字面でアロマ?とか戸惑ってしまうのだけど(わない?)、「兵器製造工場」という意味です。アーモリー。「青森」と覚えたらよろし(笑)。
 兵器工場といっても「軍産複合体」「軍需産業」とか大仰なものではなく、古〜い時代の牧歌的なそれです。

例えば

例えば電話会社

 オーストラリアでもそれはあります。いや、オーストラリアの方が透明に露骨だったりもします(笑)。

 最初の頃、「なにそれ、ムカつく〜」と思ったのは、電気とか電話料金です。電話料金でも、「30秒単位で計算してたのを1分あたりに変更します。皆さんにとっても計算しやすくなりましたよ」とか"おためごかし"に書かれているんですけど、おいおい違うでしょう。ただの露骨な値上げじゃん。というのは、例えば従来の30秒単位というのは、30秒50セント、1分1ドルとしたら、29秒で通話を切ったら50セントで済み、31秒になったら次の1ドルになることでした。それを1分カウントにするということは、29秒でも1ドル、極端な話1秒でも1ドルになるということで、これまでの0秒〜29秒までの50セントを1ドルに値上げするってことです。それを、なーにが「計算しやすく」だ。まあ、そのものの言い方はご愛嬌にしても、これ何百万人も契約者がいるんだから濡れ手に粟に儲かりますよ。ほー、そういうことするわけ?と思った。

超実戦ビジネス英語講座

 あ、ご愛嬌で思いついた、余談ですけど「超実戦ビジネス英語講座」の時間です。
 こちらではよく"Unfortunately"(不運にも)が使われます。お客に対して不利な条件をゴリ押しするときによく使われますね。同じように "Regettably"(後悔、遺憾ながら)もよく使われますね。いっときオプタスが好んで使ってましたね。値上げするときは大体これ。なにが regrettably じゃい、リグレットするなら値上げすんなよ!って心のなかでツッコミますよね。ほかにも、部屋を借りていてどっか不具合が出たのだ修理してくれと不動産屋に連絡してもガン無視(よくある)。やっと返事が来たと思ったら、"Unfortunately"(残念なことに修理業者と連絡がつかなくて云々)。嘘つけ、単にお前がサボってただけだろ、なーにが「不幸にして」だよ。というわけで、英語圏でJOBをゲットした皆様は、顧客に対して不利な事柄を押し付けるときは、いけしゃあしゃあと ”Unfortunately”と言いましょう。「あんふぉ〜ちゅねいとり〜」と高らかに(笑)。いや実際高らかに言うんだよな、「ふぉ〜」のあたりを伸ばして。超実戦ビジネス英語講座でした。

 そういえば、賃貸物件のインスペクションにいって、好条件の物件だったので見に来るオージーも沢山いて、もう黒山の人だかり。そこへ遅れて不動産屋のお兄ちゃんがやってきて、ドアの鍵をあけて皆を中に入れる手はずになってるのですが、持ってきた鍵束が違うらしく、とっかえひっかえ延々と鍵をつっこみ(どうしてこんなに?というくらいこちらの鍵束は凄い)、最後には "Unfortunately"と皆に言うという。なにがUnfortunatelyじゃい、お前がアホだから違う鍵持ってきただけだろって思うけど、オージーもそういうの慣れてますから、「は」と声なき吐息を全員でハモって、ぞろぞろと帰路につきます。その際エレベーターで乗り合わせた中高年のいかにもイギリス系のおばさまが、憤然と "VERY PROFESSIONAL"と言ったので吹き出しそうになりました。この皮肉めかしたきつい一発って、英語圏の人好きですよね。アイリッシュの"deadpan(死んだ鍋)”と呼ばれるユーモラスな言い方もキツイですけどね。全く無表情で皮肉ギャグを言う。「政府がまた増税するらしいぞ」" Excellent"(素晴らしいね)って感じの。以上、余談でした。


 そうそう電話関連で言えば、日本の携帯電話。なによあの囲い込み作戦?イギリス史のエンクロージャーか、顧客=家畜的な。こっちみたいに日本でも2ドルSIMカード売ってくれよ。LebaraにせよAmaysimにせよ、SIMカード専門会社が雨後の筍のように出てきてもいいじゃん。普通にSIMロック解除している機体を売ってくれよ。仮にSIMロックかかっても「海外行きますから」と電話一本で解除してくれよ。なんでこっちで普通に出来ていることが、日本では出来ないのよ。理由は勿論「その方が儲かるから」だけど、競技場に希望者を入場させないで、自分らだけが競争やってて、そんなの「自由」競争でもなんでもないやん。

例えば銀行

 かねてから何度も紹介している、オーストラリアの「戦闘的な消費者団体」CHOICEでは、その昔、オーストラリアの金融業界(主として銀行業界)に喧嘩ふっかけてました。ぼったくりだろ、ほとんど詐欺だろ?という感じで何度もキャンペーンやってます。あ、"campaign"の本来の意味は「とある集団が特定の目的を達するためにおこなう行動」で、選挙運動もそうだし、軍事侵攻もキャンペーンといいます。 Better banking campaignとか、High fees and big claimsとか。国会に意見書を提出をしてたりもします。


 いや、でも、銀行。これも前に書いたことありますけど、例えばクレジットカードの利率が18%というのどうよ?ねえ、奥様、どう思われます?ヒドイわねえ、ぼったくりもいいとこよねえ。なんで皆怒らへんの?今の日本の普通預金の利率なんか0.02%とかそんなんよ。そりゃ銀行も商売だから、貸出金利と預かり金利にスプレッドを設けるのは当然です。それはいいですよ。それに綿密に審査してやる商業貸出と違って、誰でもカジュアルに作れるクレジットだからリスク値高いというのもわかりますよ。でもねー、それにしてもねー、あんまりちゃう?自分が払うときは0.02%で、客に払わせるときは18%、これ何倍?2対1800ですよ、900倍ですよ。どこに世界に売り買いに900倍も差をつけたボロ儲けが許されるんじゃ。こんなの覚せい剤の原価と末端価格並ですよ。

 それに邦銀の振込手数料108円とかなによ?オーストラリアのネットバンキングだったら無料ですよ。だってシステムちゃんと組んであるのは最初からそうなんだし、あとは入金操作などの手間賃、すなわち人件費なんだけど、それは消費者がやってくれるんだから、ほんとメンテ費用と減価償却費のごく一部くらいじゃないのか?換算すれば1円くらいじゃない?

 もともと銀行は「晴れてる時に傘を押し付け、雨が降ったら傘を取り上げる」と言われて長いこと批判されてきたけど、バブルの頃から劣化が激しい。バンカーが「銀行家」と敬意を込めて「家」を付けて呼ばれたのは何故か?お金はあるけど才能やプランがない人と才能やプランはあるけどお金がない人を絶妙に結びつけることで社会に貢献するからでしょう?そこでは個々のビジネスの展開や経済情勢に関する並外れた洞察力が必要であり、それがあるから畏敬を込めてバンカーという栄誉ある名称を与えられた。

 んでも、バブルの頃から貸出だって形式審査ばっか。担保ありますか?って抵当物件の市場価格が規定の安全係数を越えたら審査OKって、「誰にでもできる簡単なお仕事」になってしまった。ほんとあんなの女性週刊誌の「あなたの性格診断」のフローチャートよりも簡単じゃん。誰でもどころかお猿でもできる。たまーにそこから外れた時は大体は政治家絡みやらムニャムニャの不正融資ですわ。でもってノンバンクや住専や作ってはしゃいでいたらバブルで大火傷を負って、だったら潰れればいいのに、国が馬鹿にみたいに兆円単位で助けちゃう。しかも税金で助けられている間に貸し渋りだの貸し剥がしだのやって、潰れなくてもいい優良な中小企業が全国で何千何万と倒れた。なんのために存在するのだ?今となっては貸出も乏しく、投資もやばく、結局国債ブタ積みと手数料収入で食ってるという。こんなお猿に年収1000万以上の価値がどこにあるのか。これが自由競争なのか。

 こんなのいくらでも類例があります。ガンになっても全然出ない「がん保険」とかさ、これも有名な話ですけど。


 この建物が兵器工場。ね、牧歌的でしょ。北海道でチーズ作ってますと言われても、そうかと思ってしまうような。
 行った時はなんにもやってなかったけど。

労働環境

 一般給与所得者の労働環境はさらにひどく、サービス残業だのなんだの実質賃金低くしてる。それってダンピングであって不正競争の一種です。そりゃそうです、賃金払わず奴隷使って人件費安く済ませられたら、利潤率も高くなるし、最終価格も安くできるから競争力もつく。でもそれは競争力詐欺であって不正だと。サッカーでときどき手を使ってるのと一緒だと。その昔、西欧から日本人は「働き過ぎ」と言われたことがあったけど、あれもズルいよな。本当は、賃金搾取が不正競争だってことなんだろうけど、それを日本国内にもってくるときは「働き過ぎ」という「勤労の美徳もほどほどにね」とマイルドに意味を変えている。換骨奪胎の「情報操作」ね。ほんと、昔っからこんなことばっかやってるわ。

 日本の「正社員」という概念制度は、資本主義の原理からは出てこず、封建主義だと思います。すなわち「身分保障」であり身分制度です。資本主義なり自由経済というのは、好きなときに好きな価格で折り合いがついたら交渉成立というのが大原則。でも、一旦雇ったらよほどのことがない限りクビ(契約終了)に出来ないという話は、資本主義の論理からは出てこない。むしろ矛盾する。企業はいつでも好きなときに好きなようにクビにできる権利を持つ。それは消費者(契約の一方当事者)が好きなときに好きに買えるのと一緒。高度成長のときは永遠に成長出来るという錯覚があったし、その錯覚も無理ないくらいの実質があったし、実際にも終身面倒もみられた。その「一蓮托生」でモチベーションも生産性も高まるという合理性はあった。そこまでは良いけど、そうじゃなくなったらいつまでも残しておく制度ではない。もともと中小企業には正社員なんて実質保護があった時代はないですしね。だから企業にしたら今日にでも正社員制度を全廃したいでしょう。いつでも自由にクビにしたいでしょう。そこは理解できる。また、それをガマンして使ってるんだから、多少はお前らも滅私奉公せよというのはバーター取引的な、共同正犯的な論理でわからないでもない。

 だから時代がどんどん非正規増加になるのは、ある意味当然。つか、非正規というよりも資本主義的にはこっちが「正規」なんだけど。しかし、正社員封建制度の負担が残ってるからって、それを次の世代を搾取することで帳尻を合わせたらあかんでしょう。なんで正規と非正規で年収で数百万円も差があるの?同一労働同一賃金、「一物一価」主義は資本主義の原則じゃなかったのか。

 また、なんで非正規を派遣会社から取るの?てか派遣会社ってそもそもなんなの?就職あっせん会社ならわかるけど。あれは正規(雇用)がクビにしにくいから、クビにしやすい雇用っぽくない労働力が欲しい、でもまともやったら労働法上不平等で違反になるかしらんので、これは「雇用契約」じゃないよ「請負契約」だよというミエミエの脱法行為でしょう。てか脱法行為が法律化されているという。ワーホリさんのクソファームのコントラ仕事みたいなもんね。時給換算したら200円くらいとかさ。だから結局、派遣会社レベルでピンはねされ、行った先でまた差別されるという。

ビビッて逃げたらあとは地獄

 それもこれも上の世代が変えるべきときにちゃんと変えられなかったという根性無しに起因するんでしょう。僕自身も「上の世代」だから水平射撃で遠慮会釈なく言えば、根性無さすぎ、保身に走り過ぎ。僕だって15年かけて築いた前職辞めて知らない外国に行くくらいの根性(なのかな?)あったぞ。「無理」じゃないよ、現に出来たよ。俺に出来たことが、なんであなたに出来ないのか。あなたは僕ほど馬鹿ではないからだって?あはは、まあ、否定はせんよ(笑)。でもね、次の世代に迷惑かけたらあかんでしょ、やっぱ。これってキレイ事で言ってるんじゃなくて、ケジメの問題として言っているの。

 日本の分岐点を遡れば(無数にあるが)、例えばバブル崩壊のときになんで大銀行を生かしたのか?です。三井だろうが住友だろうが全部潰せばよかったのに。そうすれば後からどんどん生きのいい新しい金融機関が生まれたのに。大企業で飼い殺しにされてガマン一筋数十年の人材も、新天地を得て、思う存分能力を発揮できたかもしれないのに。ところがスケープゴートみたいに北海道の拓銀はつぶし、証券会社でも山一だけ潰してあとは生き延びた。あそこでおかしくなったと思う。住専で税金使うって聞いた時に、僕も日本離脱を完全に決意しましたもん。「こら、あかんわ」と(もっともこれは日本だけでもなく、リーマン・ショック後の先進諸国は大体同じ)。

 でもねー、「影響が大きすぎる」でビビッてスジを外したら、そこで終わりでしょ。そこで逃げたらあとは地獄ですよ。そのときは小康状態になっても問題の根幹は放置だから、あとで延々苦しむはめになる、結局トータルでは大損になる。それにそういう状態になると弱い所から順々にしわ寄せがいき、不公正な苦痛が長々と続くことになる。日本の根本フォーマットがあそこで狂ったと思ってます。誰にでもわかる因果関係や論理の透明性がなくなった。中小企業は潰れて死ねだけど、銀行や大企業だとなぜか税金で救ってもらえる=大火事で近所の住人は延焼して死んだけど、放火犯だけは助けてもらえるみたいな、おかしな話になった。以後、「頑張った人、真面目な人が報われるゲーム」から、「セコい人、ズルい人が得をするゲーム」に日本のフォーマットが上書きされたと思うし、その影響は年を追うごとに顕著になってきている。違いますか。

 というわけで、あの時点(90年代初頭)で、あまり良い世の中になりそうにないな、こらあかん避難しようと思ったのです。その頃は、なんぼなんでも10年もすれば膿も取れて、いい感じに壊れて、便秘も直ってスッキリ風通しよい日本になるだろうと思ってました。だから「とりあえず10年」という感じで、10年も英語喋ってたら多少はうまくなるだろうしねくらいの目論見でした。甘かったですね〜。10年どころか、まさか20年以上経って、2015年になってもまだやってるとは思いませんでしたね。楽観的に過ぎたのか、悲観的に過ぎたのかよう分かりませんが、もしかして2030年くらいになってまだやってるのかしらね?

それ、自由主義なの?

 この手の話は山程ありますし、僕がここで敢えて言い募るまでもなく、いくらかの社会経験のある方だったら、同じくらいのボリュームで「こんなの、なんぼでもありますよ!」てなもんだと思います。

 ただ、ここで「世の中そんなもんよ」「それが人生よ」"Such is the life"みたいなマトメにしたくないです。
 そーゆー"That's how life goes"「そんなもよんよ」っては大いにありますよ。人生のペーソス、「とほほ」的な悲しい味わいもあります。都々逸なんかそうですよね。「嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い」とか「うちの亭主とこたつの柱 なくてならぬがあって邪魔」とかね。うめえ!ってのはあります。まあ、多少の理不尽は世の中あります。無理が通れば道理が引っ込むし、泣く子と地頭には勝てないです。「ボヤいてたって腹はふくれねえぞ」的な。

 でも、ここで言いたいのは、それは一体「自由経済」なのか?「新自由主義」なのか?ってことです。全然自由じゃないじゃん、むしろ不自由にすることで儲けてるだけじゃんってことです。

劣化 

 強い奴が勝手にルール変更なり、なんなりズルをしているという理不尽に加えてもう一つあります。それは強いと言われている連中が劣化していることです。

 考えてみれば、もし本当に強かったらそこまでズルする必要ないですもん。正々堂々フェアに戦って、向かうところ敵なし!ってのが「強い」ことでしょうに、「俺らの攻撃のときは10アウトまでいいことにすっから」みたいなズルをやるというのは、まともにやったら勝てないってことでもあり、要するに強者ではなく「弱者」ではないか。つまりは「卑劣な弱者」。

 それが巨大企業であれ、巨大国家であろうが、ズルいことやりだしたら下り坂ですし、劣化が始まっているといっていいと思います。昨日までやらなかったズルを今日やるようになったというのは、今日は昨日よりもヘタレになったからでしょう。

 日本に限らず世界の大企業なんか見てても、別に商売が上手いとか、商品開発力が凄いとかあんまり思えないのですよ。新興企業が大きくなる過程は凄いな〜って思うけど、大きくなった後はぱっとしない。知らない間にこそっと手数料を値上げして、また分からないように特別に小さな字で読みにくくしておいて、塵も積もればで広く浅く巨大に儲けるってのは「商才がある」とか「ビジネスが上手と」かいうよりも、端的にセコいだけではないか。少なくとも僕は尊敬できないです。

 僕は大企業だからといって目の敵にしてるのではなく、そこがデカくなるにはそれだけの営々たる努力もあっただろうし、人並み外れた商才もあっただろうから敬意を持つのヤブサカではないですよ。でもね、最近(ここ20年ほど)「おお、さすが!」と思わせるような画期的な商法を考えたり、斬新な新製品を送り出したりってのは少ないです。大きくても優秀なところ、頑張って良質な仕事をしてるところも沢山あるでしょう。でも、目につくのはやたら劣化してるところが多い。今書いたように単に目先の小銭を集めるだけ、だけどそれがスケールがデカイからそれで儲けてるだけという。


 例えばマーケティングでも輝いていたのは80年代が最盛期だと思います。「なるほど!」という新機軸を打ち出したりね。でも、90年代以降「そうなの?」という感じ。

 けっこう昔の話ですが、こちらのスーパーで買い物してて、いつも買ってる商品が微妙にデザインが違っている。あれ、これ同じものなのかな?と思って、レジのオージーのおばちゃんに「これ、同じなの?」と聞いてみました。そしたらそのレジのおばちゃんの答が良くて、"Same contents, same quality, same price, bit less quantity and different package, we call it MARKETING"って。笑っちゃいました。「内容は同じ、品質も同じ、値段も同じ、でも容量はちょっと減って、新しいパッケージにする。これを「マーケティング」というのよ」と。

 いやもう本当そうで、そういうセコい戦略ばかりが目立つ。世の中のエリートさんは、ハーバード・ビジネス・スクールまで出て何やってんだって。そりゃその方が短期的には収益あがって、株主に配当が出来て、優秀な経営者ってことになるんだけど、その評価基準そのものが劣化してる。

 巨大資本ならでは体力やネットワークを活かして長年地道な研究を続け、ついにブレイクスルー的な新しい製品を開発しましたとかいうなら拍手もしましょう。でも、単に力まかせにぶっ潰しているようなケースも目立つ。オーストラリアでもそうだけど、地域のローコスト航空会社が台頭して画期的なサービスや値段で頑張ろうとすると、大手の航空会社はその路線に採算度外視の激安価格をぶつけて、小さなところの体力が持たなくなるまで潰そうとする。潰したら一気に値上げをしてそれまでの元を取る。こんなの拍手できないですよ。

 要するに劣化してるのだと思います。画期的な新しい商法、斬新な商品を切り開いていく力に乏しい。だから、こう言っちゃなんだけど馬鹿でも出来るような力任せ&図体まかせのやり方に走ったり、広く浅く気づかれぬように値上げしてくすね取るようなスリみたいな手法に走る。

 業績あげるのもコストカッティングばっかで、その内容も要するに下請けから絞りとり、従業員から搾取をしという弱い者いじめでしかなかったりもします。日本の大企業の労働分配率はどんどん下がっているし、逆に内部留保は300兆円にもなっているのは有名なので皆さんも知っておられるでしょう。そりゃ先が見えない世の中だから怖くて会社にお金を貯めておきたいって心理はわからないではないですよ。先が見えないから節約して貯金しなきゃねって。でもそれは一般消費者のメンタルであって商人のメンタルではない。商人というのは、資本があったら将来に向けて投資して大きく返ってくるようにあれこれ考える人のことをいう。差し当たって使いみちのない300兆円も抱えているということは、300兆円分投資先がみつからない、資本の有効活用の方法が見つからない、要するに無能だということではないか。そんなに溜め込むなら従業員とか下請けに払ってあげて生産性を高めたり、ロイヤリティを強化したりすればいいのに、ケチ臭くそれもやらない。ド素人が経営しているのかしらって思っちゃうくらいです。

 もちろん大企業であってもちゃんと頑張ってる会社や部局があります。わかります。全てがそうだと言ってるのではない。ただ、全体としてここ20年の傾向をみていると、どうしてもこのような感想を抱いてしまうわけであるし、それがあながち迷妄であるとは思えないのですよ。

 

中小企業の強み

 一方中小企業はどうかというと、日本の企業の99.7%はこれですので一概には言えないです。ダメダメなところも多数あろうし、実際に潰れるところは潰れている。ただ、図体が小さく、危機感も強いだけに、イケてるところはイケてます。例えば、中小企業の4社に1社は大企業より儲けているという記事は2013年で古いんですけど、「平成21年度法人企業統計調査」によれば、資本金1000万円以上1億円未満の中小企業の売上高経常利益率をみると、24.8%もの中小企業が大企業の平均値を上回っている」そうです。この記事に書かれている内容は、かなり思い当たるフシがあります。アジアに出て行って年間成長率50%以上叩き出しているというのもわかります。

 なぜなら、小規模な会社は社長本人が現場に出ているから自社のことを良く知っているし、顧客との距離も近いのでニーズもわかる。単にレポート数値でわかるのではなく皮膚感覚でわかる。そして、これまで生き残るためにとんでもない飛距離のある分野とのコラボをやったり、大企業の無理難題を呑んだりする中で否が応でも鍛えられる。絶対無理みたいなことでもあの手この手でやってのけるような柔軟性や粘り腰があるんだけど、それは毎日のように現場にいないと何が出来て何ができないかがわからない。言うならば荒波に強い。何でもアリのトリッキーな海外現場にも強い。その全てを知ってる人間(社長)が最終決済権を持って現場にいるんだから、そりゃ強いですよ。

 言うまでも全ての中小企業が強いわけじゃないですよ。ただ生き残る過程でタフにしたたかになる教程はあるということです。僕も前職で中小企業の社長サン達とは接しましたが、本当によく知ってますよ。自分の会社の製品やサービスについては、どこが強くてどこに弱点があるか。工場内においてあるコーラの自動販売機が最近調子が悪いんだってことまで知ってる。そしてこれからどうするか?については「なんでそこまで?」というくらい広い広い視野であれこれ考えている。いい勉強になりました。

 ちなみに日本の機能繊維素材は世界一 だが純日本製衣服は風前の灯火という記事を発見しました。これは『繊維ニュース』という繊維業界の専門誌をもとに、なぜか(って言ったら失礼かな)「女性セブン」が記事にしているものです。なんか最近、スポーツ新聞や女性誌の硬派化が目立ちますよね。「統制外」だから自由に書けるからかな。ともあれこの記事を一読されると、日本の繊維素材の技術力はまだまだ凄いのがわかります。でもね、素材系はしょせんは下請けです。それら優秀な素材を作って世界に冠たる大ブランドをおっ立てるのが巨大企業の役目な筈です。シャネルやグッチと並び称されるくらいのブランドを作って世界に売りまくることができているのかというと出来てない。ユニクロくらいだろうけど、あれも中小企業からのし上がっていったわけで、従来の大企業は勝ててない。大きいところほど国際競争力がない。逆に素材の良さがダイレクトに出やすい商品、例えばスポーツ衣料や用品は強い。アシックスの海外売上比率は70%もあり、外に出てって勝ってるパターン。


 一方、アメリカあたりに留学してMBA取って、いわゆる「経営のプロ」として鳴り物入りで入ってきた人たちの中には、優れた人ももちろんいるけど、全然使えないのもいます。数値だけで非採算部門を切って捨てて短期的に業績アップみたいなことばっかするから、従業員は「やってられっか」って気分にもなる。会社だって人間の集合だし、人間というのは気分で動くので、そのあたりの感覚をわからないと人の上には立てないです。カミさんのもといた会社も一部上場のデカイところだったけど、そして今ではもう潰れそうだけど、「よく今までもったよ」とか言ってましたね。ここでもいわゆる経営のプロとかいうのが途中で入ってきて、業界のノウハウも全然わからんわ、将来の展望もないわで、会社の一番大事な資源部分(中核的営業ノウハウと取引先との人間関係)をせっせと壊してくれたおかげで、今では瀕死の病床で「時間の問題」になってる。時間の問題といえば、そういうことをやり始めた時点でもう命運は決まってたようなものだというし、逆に言えばデカい会社というのは経絡秘孔を突かれて「既に死んでいる」になってから実際に死ぬまで15年くらいかかるのねということでもあります。でもね、そのガシガシ壊している最中に、経済雑誌はこぞって「新しい経営手法」とかいって大絶賛してたらしい。



 さて、最後に政界とメディアを残しておいたんだけど、でもこれは皆さんもよく知ってるからもういいですよね。長くなるとしんどいでしょうから、このくらいで。

 結論として何が言いたいかというと、新自由主義がどうとか議論されてますが、それって「自由」なの?もしかして始まってすらいないんじゃないの?ということです。




 なんとなく風景的にアメリカ南北戦争みたいなイメージがあります。時代的にもそんなもんだろうし、その当時の建築様式なんでしょうね。



文責:田村



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