今週の一枚(2015/09/07)
Essay 739:「神経衰弱」という教材
今回は、ジャスミンです。いやあ、今年の冬は薄ら寒かったのですが、ろそろやっとジャスミンの白く可憐な花が咲き始めてきました。めっちゃいい香りがするのですね。夜の住宅街などをあるくとツンとします。日本でいえばキンモクセイみたいな感じ(匂いの種類は違うけど)。
神経衰弱という”教材”
「神経衰弱」というトランプのゲームがあります。誰でも知ってるとは思うのでルールの説明は割愛します、いいですよね?
あれには大事なヒントがあるよな〜と、ふと思ったので、今回はこれ。
先にジスト(gist、要旨)を述べておくと、神経衰弱って一発目でペアが出来て成功!なんてことは、まず普通ありえないです。テキトーにカードをめくったらハートの10とクラブの7が出てきました。一回目はそれだけです。そこで学ぶのは、それぞれのカードがどこにあるか、だけです。そこで偶然ドンピシャに同じ数字が出てカードを取れる場合もマレにはありますが、それはあんまり意味無いです。ただの偶然にすぎない。そうやって何回もカードをめくっているうちに、段々どこがどこにあるか分かってきて、「あ、これ!あそこにあった!」というのが分かり、カードが取れるという。
ねえ?めちゃくちゃ学びどころ満載でしょう?
なにかといえば------------------
初動
(1)何か行動を起こすときには、当然のように最初は失敗するが、それは当然であって落ち込む必要などない
(2)最初にどのカードをめくるかなんかどーでもいい。手当たり次第でいい。そこで悩んでも時間の無駄
(2)最初にどのカードをめくるかなんかどーでもいい。手当たり次第でいい。そこで悩んでも時間の無駄
(1)(2)はコトを始めるにあたっては「とりあえずやってみ!の法則」とでもいうべきもので、アテになる事前情報が乏しい場合には考えるだけ無駄だということですね。そこでの時間のロスが惜しいし。じっくり10分間ありもしない戦略を練るヒマがあったら、ちゃっちゃとめくっていけばいい。手際よくやれば数分で全部取れちゃうから。うだうだ言っとらんと動かんかい!の法則ですね。
失敗
(3)最初にたまたまラッキーでカードが取れたとしても、それに何の意味もない。次に続く保証はゼロである。
(4)こうやって”失敗”=カードめくりを重ねることによって、徐々にチャンスが見えてくるし、勝機も訪れる
(4)こうやって”失敗”=カードめくりを重ねることによって、徐々にチャンスが見えてくるし、勝機も訪れる
(3)(4)は序盤において「一喜一憂すな!の法則」ですね。技倆もなにも身に付いていない段階での成功・失敗は、ほとんどが偶然の作用だったりするわけで、そんなもんに一喜一憂するだけ時間の無駄。怖いのはそれ以上に大いなるカン違い(出来もしないのに出来るとうぬぼれたり、諦める必要もないのに鬱になったり)という地獄への特急列車が皆様のお越しを心よりお待ち申し上げておりますよ。ゆえに初動段階でなんか思わせぶりな結果が出てもシカトすべし。「前途多難なスタート」「幸先の良い」とか言うけど、どうでもいいっス、そんなの。初動においては実力なんかカンケーねーよ、だって実力なんか無いんだもん。どんな結果が出ようが無い実力は無い。無いものはあくまでも無い!ただそれだけ。
この場合の「失敗」は貴重な経験・情報収集機会なんだから、いちいちメゲる必要はない。てか、トライアルってそういうものだし。
さらに言えば、この段階に「失敗」なんかありえないのだ。失敗というのは成功する必然性が山ほどありながら、なぜかミスってダメだった場合をいうのであって、成功する必然性が低いときは失敗とは言わない。入学式当日に卒業試験を受けるようなものであって、そんなもん出来るわけがないではないか。だから、初動においては「失敗する資格すら無い」くらいに思ってたらいいっす。失敗というのは「やることやった奴」「成功する可能性を十分に積み上げた人」にだけ許されるコトバっしょ。
もしここで「失敗」というものを無理やり観念するならば、それは「失敗しなかったこと」でしょう。分解すれば、この段階で失敗を「犯してはならない過ち」であると勘違いすること、そしてそれにビビって結局何もやらなかったこと、です。その愚かさは、神経衰弱やってて「もし外れたらどうしよう?」と思って結局カードをめくることでができませんでした or 最初の一回でカードが揃わなかったので前途を悲観して自殺してしまいました〜って場面を想定すればよくわかると思います。
学習能力
(5)要は学習能力がどれだけあるかであるが、自分がめくったカードをよく覚えてないと、同じ失敗を何回もやって無駄なうえに、対戦相手に過剰にヒントを与えてしまうから、カードをもっていかれて負ける可能性が高まる
(6)学びのヒントになる失敗は、自分の失敗だけに限らない。他のプレーヤーの失敗もまた同じ価値をもつ
(5)(6)は学習能力の問題ですね。「ちゃんと学べ!の法則」。ここがクリティカルに大事なんだけど、いい加減な心象イメージを抱くのは「学び」とは言わないです。大きな全体構造は見えているか、細かなデティールはクッキリ見えているか、なぜ上手くいかなかったの因果関係メカニズムの仮説は幾つか用意しているか、その検証はどうするか等々、頭を使うのはこのステージです。(6)学びのヒントになる失敗は、自分の失敗だけに限らない。他のプレーヤーの失敗もまた同じ価値をもつ
神経衰弱でテキトーに二枚めくって、ハートの7とスペードのJが出たとして、「なんか赤いのが出たな」「絵柄が出たな」じゃ学びになってません。大雑把すぎ。絵柄じゃわからんのだ。「あ、男性の絵柄でした!」までクリアになっても、まだキング(13)とジャック(11)かわからんかったら意味がない。さらに、位置記憶が曖昧になったりします。「左の上から3番め、、、、あれ4番めだったかな」とか曖昧だったりすると、学び不十分です。
でも、他人のめくったカードも同じくらい参考になります。
なんつーか、失敗/成功→自分自身の本質を占う、みたいに思ってませんか?ここで失敗する俺は本質的にダメなやつなんだとかさ、何かといえま自分自身のサムシングを表現しており、その意味はなにか?と思ってしまう。まあ、そういう側面もあるとは思うけど、でも、これも自意識過剰の一形態だと思います。失敗の多くは単なる「リサーチ工程」にその本質があり、別に動物占いみたいに自分を占う作業ではないのだ。なんでもかんでも「自分」を絡ませるのは止めたほうがいいです。
リサーチ工程なんだから、誰の失敗でも役に立つ。学術論文みたいなものですよ。地味な実験を延々繰り返して「有意なる相関関係は認められなかった」という結論であろうが、それは大事な橋頭堡になりうる。でもそこがズレてる人は、他人の成否にいちいち反応して、「あいつはスゴイ、それに引き換え俺は、、、」と自分にからませて落ち込んだり、「ざまーみろ、いい気味だ」とか喜んだり。違うでしょ。
情報整理
(7)すでに取られてしまったカードの記憶を後生大事に抱えていても何の意味もない以上に、記憶の混乱を招いて却って不利である
(7)は、「引きずるな!の法則」で、3がペアになって取られてしまったら、もう3のことは忘れるべし。取られてしまったカードのことを未練がましく覚えていると、それがまた記憶の混乱に拍車をかける。みつかるまでは必死に精密に記憶すべきなのですが、一旦終わったら、即消去!です。これ難しいんですけどね。つまり「ちゃんと忘れろ!の法則」です。忘れる技術です。実務では非常に大切な能力。これは情報整理の重要性でもあります。
経験情報が増えてくるとゴチャグチャになってきます。クラブの3とスペードの4の位置をカン違いして記憶したりして。最初は情報が少ないのがネックだったのが、途中から情報が多すぎることがネックになっていきます。
そこをきちんと分別整理できるかどうか?それは全体の位置関係と細かなデテールの鮮明な記憶にかかってます。全部連動してるのですね。いい加減な学びをやってると後でゴチャゴチャになってきて、経験と経験がバッティングしてきてよくわからなくなる。それもこれもひっくるめて「ちゃんと」学べるかどうかでしょう。
もっかい言うと、情報が増えすぎてワケがわからなくなったら、大抵の場合、それは個々の情報を正確に分析・理解していないことが原因になっていると思います。いい加減に理解した気になってるから、その情報の置き場所がいい加減になるし、他の情報との識別ができなくなる。かくして大いなる判断ミスや早とちりをする。
野球のルールをいい加減に覚えてると、バッターボックスに入ってるバッターにキャッチャーがボールをタッチして、はいアウト!やったー!え、違うの?塁を離れている人にタッチしたらアウトじゃないの?え、コールド負けって、風邪引いた人が多くなって人数揃わなくなったから負けることじゃないの?犠牲フライで三塁ランナータッチアップでも、あんなの打った瞬間に走ればいいじゃんよ、なにをボケっと待って打球の行方を見てるんだよ、やる気ないんじゃないの?あーあ、なんか職場のモチベーションってのが感じられないんですよ、やる気ない奴ばっかりでさあ。
以上の次第で、神経衰弱というゲームは、仕事やら人生の本質である「失敗=経験を積み重ねて→成功」という、よくあるパターンがめちゃくちゃわかりやすく表現されているのですね。もうそのための「教材」として開発されたんじゃないか?って変な想像を起こしてしまうくらい(笑)。
ということで、今回はこれで終わりにしてもいいのですけど、それじゃナンだから実際の場面に適合させてみましょう。
応用ケーススタディ〜就職や仕事の場合
ベーシックな知識
まず、(1)(2)の「とりあえずやってみ」の法則ですが、ろくすっぽ実社会に出て働いてもいない段階で、何が向いているか、適性は何かなんか、ハッキリ言ってわかるわけないです。だから、とりあえず「やってみ」です。あ、書いてて思いついたけど、(1)以前に(0)があった。それは「自分が何の目的で何をやってるかを知ること」です。神経衰弱だったら、「トランプゲームをやろうとしている」「そもそもトランプとは〜」「神経衰弱のルール」などの基礎知識を押さえたうえで、「たくさんカードをとって勝ちたい」「勝敗もさることながら、みなでキャッキャと楽しい時間を過ごしたい」という漠然とでもいいから目的を持つことでしょう。
仕事や就職をするにあたっては、この世界はどんな原理で廻ってるの?なんで「仕事」なんてもんがあるの?どうしてやらなきゃいけないの?仕事をしてどうなりたいの?ってあたりがベーシックなところになるでしょう。
「水」でも、さまざまな温度があって、零度以下になると氷結して固体になり、それ以上になると液体になり、100度の沸点になると湯気が出てくるわけですよね。就職というのは、その”湯気”みたいなもので、湯気=水、じゃあないよと。
規模が巨大になったからといって、その総体が非自由業になるわけでもない。トヨタは、別に誰かに強制されてトヨタやってるわけでもないし、誰かに命令されて車作ってるわけでもない。その意味で総体としては自由に業を営み、自らこれを運営していることに変わりははないです。トヨタのトップも、そこらへんの零細個人事業主も、発想のフォーマットやゲームのルールは同じです。市場を睨み、消費者のニーズを把握し、動向を分析し、差別化をはかり、試作品を作り、営業で攻め、販路を開拓し、広報にいそしみ、アフターケアーやクレーム処理に追われ、定期的に決算をして自らの活動をクールに分析し、さらに、、って、屋台のラーメン屋さんもアップルのCEOも発想の枠組みは同じです。ただ規模がめちゃくちゃ違うだけ。
そしてそのあたりを曲がりなりにも全部こなせる人が、個人事業主なり自由業者になれるわけであり、且つ大企業の首脳陣にもなれる。たまたま規模が巨大だから、部分的な歯車仕事が膨大に多くなったのでカン違いしがちですけど、本来資本主義なり自由経済社会で生きていこうと思ったら、これ全部一人で出来ないとダメっしょ?
第一に、将来的に科学技術や経済システムの進展変容によって、いわゆるホワイトカラーが絶滅危惧種であるというのは、以前から書いてますし、誰でも言ってることです。ある程度のことなら進化した人工知能でやってのけられるし、今ではプロ将棋の有段者レベルは軽くクリアするくらいまできてるし。そういった状況で人間労働が必要とされる局面というのは、機械よりも安いからという理由だけで採用されるマックジョブか(だから機械が安くなったら失業するし、現にしている)、あるいは機械では到底及びもつかない複雑で総合的な思考判断が出来る意思決定エリートに二極分化されるということも、よく言われます。100人に一人の勝ち組なんてのも今や昔の話で、将来的には千人、万人に一人になるかもです。それが嫌なら個人起業してニッチを攻めるしかない。だとしたら、上にいくにせよスピンアウトするにせよ、いずれにせよ必要とされるのは「トータルで全部出来る」という能力であり、それらは磨いておいて損はないでしょう。これがひとつ。
もう一つは、就活だって「起業」だということです。商品は「自分」です。いろいろな会社を訪問をして「僕、要りませんか?」と営業廻りに出ているわけですからね。企業は「消費者」で「間に合ってまーす」とか言われちゃうという。自営・自由業者は基本これですよ。石焼き芋や竿竹がのんびりした呼び声で街路をゆったり練り歩くのも、履歴書持ってでかけているのも、本質は同じっしょ?全然「売れない」=就職できないなら、なぜかを分析し、商品力を高め、差別化をはかり、営業を頑張る、と。それに、採用されたところ、今度は仕事の内容として又同じような営業をやらされたりするわけですよね。今度は商品が違うだけ。自分を売るのではなく、会社の商品を売る。
以上、言い出したらキリがないのでこのくらいにしますが、「トランプとは?」「神経衰弱とは?」というベーシックな部分はまず押さえておいていいでしょう。
各論当てはめ
ちんたらやってたら長くなりそうなので、以下、飛ばします。まず、「とりあえずやってみ」ですね。何が適性で、何をしたいのか?なんて、正味の話、やってみないとわからんですよ。例えば、鮭の養殖場で、卵が孵化するときの微妙な温度管理に絶妙のカンをもっている人、天賦の才能を持っている人がいるとします(そんなのあるのかどうか分からんけど例えばの話)。でもね、自分がサケの孵卵の温度管理に適性があるかなんかおよそ分からんでしょう?この世の職業は数千という単位であるし、一つの職に求められるスキルや才能も数十という数であるでしょう。そのうちどれだけ知ってるの?といえば、まあ、ほとんど知らんよね。これで何を選べというのか?
今の時代、なんでもいいから「どれにしようかな」でテキトーにやってみりゃいいと思いますね。どうせ日本企業の先行きはヤバそうなんだし、外資になったら、これはこれで熾烈でドライな浮沈があるから(いきなり日本撤退とか)、就活時に決めた仕事で一生そのまま〜なんてこたあないでしょう。終身雇用とか正社員幻想とかあったのは、たまたま高度成長時代だったからであって、あんな一過性なヘンテコなサンプルなんか参考にできんでしょう。そもそも企業寿命30年説とか言われているなかで、終身なんて観念するところが世の中舐めてますよね。ま、実際長続きする企業もあるけど、それはめちゃくちゃ努力をしたか(リストラも含めて)、政財界とどっか不正なつながりがあるか、存在はするけど腐食空洞化するか、どれかでしょ。高度成長の時代は、皆で山に登ってるような時代ですから、なにをどうやろうが、どの道を通ろうが頂上にはいけたのですよね。逆にいえば「選ぶ」必要なんか無かったんだわ、本当の話。で、実際「選んで」もいないんだわ、正味の話。「なりゆきですよ、なりゆき」ってな感じで、結婚と同じ。
それに、今悠々自適な年金世代の80以上の就職時期というのは、そんな選ぶとかいう余裕のある感じじゃないですよ。終戦で餓死者が転がってるなかで「メシ食わせてやる」の一言につられて入ったみたいな、いい加減なものだったりするわけです。僕の親父もメシにつられて進駐軍で働いてたそうだし。あれが進駐軍ではなく、東京通信工業とかいう小さな町工場やってる連中と飲み屋で知り合って一緒にやってたら、今頃僕の親父はソニーの重役として引退してたでしょう。戦後の大企業の創業連中なんか、話聞いてりゃだいたいそのパターンが多い。まあ大体が「メシ」ですよね(笑)。それか「ぶらぶらしてんなら、手伝え」とか言われて。それがだんだん大きくなって、やがて就職試験をやる話になったら、「お、俺らも受けなあかんのか?」とか重役陣一同青ざめたとか。
これも極論なんだけど、結局適性とかさー、どうでもいいんじゃない?って気もしますね。だって、今の世間で働いている人の全員が適性あってその仕事をやってるわけでもないでしょ?目分量でみつもって半分は適性じゃないのにやってるんじゃないの。それに適性なんて話になる以前の仕事も山ほどあるし。世間の仕事の90%は(ちゃんと学習して熟達すれば)誰にでも出来ることだと思います。また業種と職種とでは全然レベルの違う概念で、個々人の性向に近いのは業種よりも職種でしょ。例えば、鉄鋼業界であろうがマスコミであろうが経理の仕事はさほど違わないもん。そして職種の内容や、”真の適性”についても分かったようでわからないもんね。経理だって、数字に強くて几帳面だったらいいのか?といえば、実は”誤魔化して辻褄を合わせる創造力”が何よりも大事、上級職になるほど”うまいこといってお金を集めてくる集金能力”がモノをいうとか。
じゃあ就活って意味ないんか?っていえば、まあカードめくりですから、そこにそんなに意味はないと思いますよね。それよりも慮外の果実の部分が大きい。これを機会に業界研究とかやるから勉強するよね。また、理不尽な目に合わされたり、いい加減に合否が決まったり、うざったいリクスー着て炎天下歩いたりして、「世の中こんなもん」という実地教育になるし、知らない間に営業の練習になってるし。売り手市場でどこにでも行けるとしたら、今度は資材購買や仕入れ管理の練習になるし。さて、どの業者さんとお取引しましょうかねって選定は、何をどうやってもついてまわりますから。無駄な部分は1ミリもないと思いますよ。
ゲームの神経衰弱では、「上から三番目にダイヤの8がある」と明瞭クッキリに経験情報が得られますけど、現実ではそうではない。ぼやや〜んとして8にも見えるけど、6かもしれない。上から何番目といっても一番上がどこなのかも実はわからないから位置関係もあいまい、、そんな感じでしょう。そこで何をゲットするかです。
やり始めるのはテキトーで良い分、ここでは五感と頭を使うべしです。なんで詰まらないの?なんでイヤなの?の原因も、「接客業に向いてない」「細かい作業が苦手」「文才ないからダメ」「職場の人間関係が肌に合わない」とか、大雑把過ぎるでしょ。
神のみぞ知る本当の原因は、実は、直接の上司が嫌いなだけ、しかし好き嫌いを言えるほどよく知ってるわけでもなく、ただ単に小学生時代に自分をイジメていた級友に顔立ちや話し方が似てるから、「あ、こいつ嫌い」と直感的に思ってしまい、それをベースにものを考えているから何もかもイヤに見えてるだけ、かもしれないです。人間の無意識や深層心理なんか、アホみたいなことで右にも左にもいきますからね〜、わからんすよ。結婚でも「運命の出会いでした、一目惚れでした」っていっても、なんで一目惚れしたの?といえば、昔の初恋の相手、当時は高嶺の花で電柱陰青春だった人に面差しが似てるからとか、名前が同じだからとか、けっこーしょーもない理由だったりするもんです。心理学の実験とかでもよくあるやん?
ちなみに動物実験だったかな、遺伝子的にはイトコくらいの距離にある異性に惹かれるそうです。ま、わかりますよね。メイティング(配偶者選び)は、自然のプログラムでいえば、生き残りをかけた遺伝子シャッフルによるヴァージョンアップ作戦ですから、あまりにも自分と遺伝子が同じだったら意味ないし、まるで違ってたらそれも問題で、適当に違って適当に同じくらいがいいんだと。
で、そういったパーソナルで、本質的に無根拠な理由なイヤになっているのは良いとしても、それを基点にして同心円を描くように周囲を全部黒く塗っていく。要は、特定個人がキライなだけ(それも手前勝手な間違った理由で)なんだけど、「職場の雰囲気が良くない」→「会社に将来性を感じない」→「業界自体がもうダメ系だ」→「日本経済はもう終わりだ」→「人類はやがてハルマゲドンで全員死ぬのだ」と、どんどん広がっていく。
これを神経衰弱でいえば、最初にめくったカードがたまたまダイヤの2とダイヤの9だったら、「ああ、このカードは全てダイヤで埋め尽くされているのだ」と思うくらいアホ。あるいは最初の一回目に外れたら、もう一生合うことはないんだ、俺の人生は終わったと思うくらいアホ。
でもって、「リサーチできました!」「いやあ、長いことないすね、あの業界も、あんなことやってるようじゃあ」とかいっても、そんなのリサーチとは言わないし。でもなー、この程度のレベルの"情報"が普通にまことしやかに流れたりするしな〜。笑い事ではないですよね。
もうちょい突っ込んでいえば、結局ポイントになるのは、その概念イメージが生理的な感情記憶を呼び起こすようなどうかだと思います。「あのテカテカ油ぎった顔がイヤ」「デリカシーのないしゃべり方がイヤ」とか、「はにかんだ微笑みが好き」「繊細そうな長い指が好き」とか。だもんで「業界」なんて、無味乾燥な抽象概念を好きとか嫌いとかなりにくいです。それはもう礫岩と火成岩とどっちが好きか?酸化と還元とどっちが好み?みたいなもんです。好き嫌いになるのはナマの生理感情記憶であり、その感情記憶とリンクするものは簡単に好き嫌いを言える。だから「月曜日は嫌いだけど、土曜日は好き」だと思える。しかし体験が乏しく、あまり生理記憶がないものは好き嫌いがない。ツンドラとサバンナとどっちが好き?みたいな。
ということで「この業界は向いてないな」とか思ったとしても、煎じ詰めたら「あの匂いがイヤ」ってことかもしれないです。ホルマリンや消毒液の匂いがイヤとかね。でも、そんなのは特定の職場、建物にだけ言える話かもしれないし、少なくともそれはその業界の本質部分ではないです。つまりはちゃんと見てない、学んでない、と。カードをめくってみて「なんか赤っぽかったかも、、、」くらいの精度でしかものをみてない。それではカードをめくって失敗した甲斐がないです。
いずれにせよ、せっかくカードをめくったんだから、そのカードが何であるか、目をカッと見開いて見ないことには、失敗するだけ損です。二枚揃わなかったから取れませんでした、なんて結果部分はどうでもいいです。そのカードに何が書いてあったのか?でしょう。「なんか黒くて絵が描いてあって」とかいうのも精度が足りない。
カードが揃う
そうやってしっかり見ていくうちに、大体の見当もついてくるでしょう。積み上げてくるうちに、「あ、3ってさっきどっかででたぞ」と見えてくる。あれこれ体験するうちに、「あれ、この感覚、なんかとかぶってるぞ」と。だんだん考えていくと、「ああ、そういうことか」と何かが見えてくる、カードがそろって取れるようになる。とにかくバンバンめくっていって、そのカードをしっかり覚えていけば、そのうち重なってくる部分がでてきて、それが勝機なり転機になります。仕事というのは、わりとコレが多い。
販路開拓を頼まれてやっていたときでも、ふーん山形県の建築関係かあ、、、あれ、そういえば学生時代青春18切符で旅行して、山形行ったよな、そこで旅費が尽きたところで親切にあれこれしてくれた人、なんつったかな、そうそう上森さんだ、懐かしいな〜あの陽気なおっちゃん、元気でいらっしゃるかなあ、確か工務店やってるとか、そうだそうだ軽四の荷台に乗せてもらって上森工務店とかペイントしてたぞ、ちょっと連絡してみようかな、えーと、連絡先、、名刺もらったと思うけど、どこいったかな〜、あ、写真撮ったときトラックも写ってたから、そこに電話番号とか書いてないかな、えっと、、みたいな感じ。
今たまたまケーススタディで就職とか仕事を書きましたけど、別にカードめくりはそれに限ったもんじゃないです。こういったさりげない人間的な交流のすべてがカードになるし、人ではなくても旅行で訪れたとか、理容店での順番待ちのときに読んだ雑誌の写真のイメージとか、それらが全部カードになります。
なんせ、神経衰弱は52枚しかないけど、リアル現実では人だけでも世界で70億枚ありますからね。バンバンめくれ、です。これが風景とか物事とか料理とか音楽とか、、、もう無限にありますから、バンバンめくれ、です。
今一枚6のカードをひいて、もう一枚めくる段になって、どこに6があるかな〜?と全然見当もつかない、次の一手がわからない、行き詰まってますとなったら、そんな6なんか握りしめてないで、ちゃっちゃと他のカードをめくればいい。当然6以外の可能性が高いので、その場ではダメなんだけど、そんなの関係ない。そこで9をひいて、次回別のところに9をみつけたら、その時点で揃うのだ。
今までの自分の仕事やキャリアが、この「6」みたいなもので、直ちにお金が稼げないとか、方向性がわからないとかいったら、それとは全く違う方向のサムシングをめくってみた方がいい。結局は合致率あがります。というよりも、そんな頭で理屈考えるのではなく、裏返ってるカードがあったら、とりあえずめくってみる、もう条件反射のようにめくってみるって感じがよろしいかと。
だから、困ったな、事態が進展しないなと思ったら、てかそう思う前に、英語カードだけ握りしめておくのではなく、どんどん全然関係ないカードをめくっていったらいいです。陶芸だろうが、ラグビーだろうが、エスニック料理だろうが、チャリティだろうが、不動産市場だろうが、なんでも。そこでめくっていって二枚揃いそうになったときに、そのチャンスを円滑にすすめる絶大な環境構築ツールが語学ですから。フライパンを製造するのと同時並行に食材を探せ、です。食材だけあっても美味しく調理できないし、フライパンだけあってもしょうがないと。
最後に余談ですけど、僕がAPLACの卒業生ネットワークでA僑とかいってやってるのも、これと同じです。歴代1000枚くらいありますから、その全てと連絡がつくわけではないけど、なんかのことで「あ、そろった」「つながった」みたいなことがあるわけです。もうあらゆる縦軸・横軸・斜め軸で「○○といえば、、、そういえば、○○さん、そんなことやってなかったっけ?」とかね。まあ、揃ったからといって僕が何らかの具体的な利潤を得るわけでも何でもないんですけど、でも、揃うと「なんかうれしい」って感じ。利潤とかお金とかって、なんかやってて、そこそこ形になってきたら、勝手に向こうから歩いてきますもん。ミルクを熱していたら次第に表面に膜ができるような。でも膜を作るためにミルクを温めているんじゃなくて、あくまで美味しいミルクを飲みたい、そしたら膜がつきましたってことだろうなって思います。
そう、神経衰弱の本質=この世界の本質は、一直線に結果を求めるとこが出来ない点にあると思います。徒労感漂うカードめくりをしばらく続けていくうちに、、ってところがミソです。どこでどうなるか全く予想もつかないのもミソです。ただし、一回めくったカードはきちんと覚えておくこと。
まだまだありますけど、長くなったのでこのへんで。
神経衰弱、いいすよ〜(笑)。
文責:田村