新年早々固い話をします。格差問題です。
最近、世界的に流行っている(日本でもそうらしいが)トーマス・ピケティ氏の「21世紀の資本」がありますが、OECDが去年の暮に発表した「所得格差は経済発展にとって有害」というレポートが、世界中のメディアやネットに流れています。
早い話が、ここのところ日本でも話題になってるトリクル・ダウン(=trickle down =ポタポタと"滴(したた)り落ちる")について、「ねーよ、そんなもん」とブッタ斬ってるものです。
それをどっかの誰かがブログで言ってるのではなく、世界的にもそこそこ権威がある(てか総本山みたいな)OECDが言っているというのがミソです。80年代のレーガノミックスや新自由主義などの流れに対する「オフィシャルな否定宣言」みたいなもので(受け止め方は論者によるが)、「え、そこまで言う?」というインパクトあります。今はもう国際的に「そこまで言っちゃう時代」であり、それが通説になりつつあると。
それだけっちゃそれだけの話です。一応、常識的にそのくらいは勉強しておこうと。これで終わってもいいんだけど、それじゃあんまりだから、もうちょい書きます。
OECDレポート
このOECDレポートですが、よく引用されている英国のガーディアン紙の記事を取り上げます。
Revealed: how the wealth gap holds back economic growth (2014年12月9日)
大した長さではないので、ばーっと訳しておきます。
→拙訳
この火曜日、西側諸国の指導的な経済シンクタンクは、イギリスにおける富裕=貧困層の所得格差が1980年台のままで拡大しなかったらイギリス経済は20%以上成長していた筈だというデーターを示しつつ、「トリクル・ダウン」のコンセプトを否定した。
パリを本拠地とする経済協力開発機構(OECD=Organisation for Economic Cooperation and Development)は、所得格差と経済成長との関係について、初めて明快な所見を発表し、富裕層に対する増税と、エド・ミリバンド氏いわく「搾取されている中間層(squeezed middle)」であるボトムの40%の生活改善こそを目指すべきだという、新たな政策提案を行った。
80年代のサッチャー、レーガン時代においては、トリクル・ダウン理論がその中核コンセプトだった。イギリスの保守党とアメリカの共和党の支持のもと、業界組合を弱めて新しい富を創造することが皆にベネフィットをもたらすものだと言われていた。
現在、全人口のトップ10%の富裕層はボトムの10%の貧困層の9.5倍の所得(年間収入)を得ているが、これは80年代の7.5倍から上昇している。しかしながら、そのこと(格差拡大)は、経済成長を遅らせることはあっても、促進させることはなかったとOECDは指摘する。
収入の不平等は、相当な規模で、且つ統計的にもそうとわかるくらいネガティブなインパクトを経済成長に与えており、可処分所得に関する格差是正(所得の再配分)政策は、経済成長の結果に対して決して悪影響を与えるものではない。
それだけではなく、世界でも富裕な34ケ国の統計データーによれば、中底辺層での所得配分の不平等こそが経済成長を阻害していることが指摘される。
OECDによると、1985年からの20年間にわたる所得格差の拡大によって、イギリスにおいては1990-2000年の10年間の経済成長の9%が阻害されている。経済そのものは90年台と2000年代で40%ほど成長しているのだが、もし不平等がひどくならなかったら50%成長はできていた筈なのだ。イギリスにおける格差をフランスくらいに縮小させることで、25年間にわたって0.3%づつ成長できたであろうし、積み上げていけばGDPを7%以上押し上げることができたのである。
「これらの発見は、成長鈍化と格差拡大問題を担当する各国の政策立案者達にとって、豊かな示唆を与えるだろう」とレポートは述べている。
その一方で、このレポートは、経済成長政策の潜在的な悪影響(格差を助長する)を慎重に考慮すべきであると言う。例えば、あまりも経済成長だけに焦点をあて、そして経済成長の成果は自動的に異なる人口階層に「滴り落ちる=トリックルダウン」するのだという安易な想定をしていると、それだけ格差が深刻に増大することにもつながり、長い目でみれば逆に経済の底力を弱めてしまう危険があるのだ。
逆に、長期的に広がっていく格差拡大を制限したり、理想的にはそれを逆転(格差縮小)しようとする政策は、単に社会の公平度を増すだけではなく、社会をより豊かに導く。
所得格差の拡大傾向によって、メキシコ、ニュージーランドなどの国では経済成長を10%も阻害しているし、イギリス、フィンランド、ノルウェーでは9%、アメリカ、イタリア、スウェーデンでは6-7%阻害している。
OECDは、各国政府は、富裕な個人に対する公正なシェア負担を求める税制改革をするべきだと述べ、最高税率の上昇、えてして高額所得が恩恵を被るタックス・ブレイク(減免税措置)の改廃、さらに不動産や資産など全ての税制のあり方について再度検討すべきであるしている。
しかしながら、とOECDは続ける。(富裕層よりも)重要なことは、中低所得者層の不平等の改善であるとする。こういった政府の所得の再配分政策は、低所得世帯が貧困に苦しまないという保証を与える点において、非常に重要な役割を担う。
このレポートの著者は、「これは単に貧困層(人口のボトム10%)が経済を抑制していると思うべきではなく、政府は、ボトム40%全体を気にするべきである。なぜなら、中低所得層は脆弱であり、経済成長の恩恵に浴せないというリスクがあるからである。単なる「貧困対策」だけでは不十分である。
OECDの事務総長アンジェル・グーリア氏は、「この疑う余地のない証拠によって、所得格差の拡大に対処することは、将来にわたって経済を力強くサステナブルなものにするために決定的に重要なポイントになるし、政策論争の中心課題に据えられるべきである。歴史をみても、あらゆる面で平等な機会を提供しようとした国ほど、より繁栄している」と述べた。
原文はURLを参照すれば読めますが、後日削除された場合に備えて、以下にコピペしておきます。
→英語原文
The west’s leading economic thinktank on Tuesday dismissed the concept of trickle-down economics as it found that the UK economy would have been more than 20% bigger had the gap between rich and poor not widened since the 1980s.
Publishing its first clear evidence of the strong link between inequality and growth, the Paris-based Organisation for Economic Cooperation and Development proposed higher taxes on the rich and policies aimed at improving the lot of the bottom 40% of the population, identified by Ed Miliband as the “squeezed middle”.
Trickle-down economics was a central policy for Margaret Thatcher and Ronald Reagan in the 1980s, with the Conservatives in the UK and the Republicans in the US confident that all groups would benefit from policies designed to weaken trade unions and encourage wealth creation.
The OECD said that the richest 10% of the population now earned 9.5 times the income of the poorest 10%, up from seven times in the 1980s. However, the result had been slower, not faster, growth.
It concluded that “income inequality has a sizeable and statistically negative impact on growth, and that redistributive policies achieving greater equality in disposable income has no adverse growth consequences.
“Moreover, it [the data collected from the thinktank’s 34 rich country members] suggests it is inequality at the bottom of the distribution that hampers growth.”
According to the OECD, rising inequality in the two decades after 1985 shaved nine percentage points off UK growth between 1990 and 2000. The economy expanded by 40% during the 1990s and 2000s but would have grown by almost 50% had inequality not risen. Reducing income inequality in Britain to the level of France would increase growth by nearly 0.3 percentage points over a 25-year period, with a cumulated gain in GDP at the end of the period in excess of 7%.
“These findings have relevant implications for policymakers concerned about slow growth and rising inequality,” the paper said.
“On the one hand it points to the importance of carefully assessing the potential consequences of pro-growth policies on inequality: focusing exclusively on growth and assuming that its benefits will automatically trickle down to the different segments of the population may undermine growth in the long run, in as much as inequality actually increases.
“On the other hand, it indicates that policies that help limiting or -- ideally -- reversing the long-run rise in inequality would not only make societies less unfair, but also richer.”
Rising inequality is estimated to have knocked more than 10 percentage points off growth in Mexico and New Zealand, nearly nine points in the UK, Finland and Norway, and between six and seven points in the United States, Italy and Sweden.
The thinktank said governments should consider rejigging tax systems to make sure wealthier individuals pay their fair share. It suggested higher top rates of income tax, scrapping tax breaks that tend to benefit higher earners and reassessing the role of all forms of taxes on property and wealth.
However, the OECD said, its research showed “it is even more important to focus on inequality at the bottom of the income distribution. Government transfers have an important role to play in guaranteeing that low-income households do not fall further back in the income distribution”.
The authors said: “It is not just poverty (ie the incomes of the lowest 10% of the population) that inhibits growth … policymakers need to be concerned about the bottom 40% more generally -- including the vulnerable lower-middle classes at risk of failing to benefit from the recovery and future growth. Anti-poverty programmes will not be enough.”
Angel Gurri'a, the OECD’s secretary general, said: “This compelling evidence proves that addressing high and growing inequality is critical to promote strong and sustained growth and needs to be at the centre of the policy debate. Countries that promote equal opportunity for all from an early age are those that will grow and prosper.”
オーストラリア、Ross Gittins氏の論考
さらに、オーストラリアで僕がときどき読む(エッセイでも紹介している)Ross Gittins氏も、これについてわかりやすく触れてます。
こっちの方がコラムなので、読んでてわかりやすいし、面白いです。
Widening income gap slows economic growth (2014年12月13日)
→拙訳
長い間、オーストラリアでは(他の先進国でも)、経済の効率性と公平とはトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たない=AをとればBを失うという相反した関係)の関係に立っているとされていた。
もし政府が所得格差を小さくしようとすれば〜例えば富める者から貧しい者への所得を移転するとか、最低賃金を設定するとか、そういうことをすると、経済はより被効率になり、結果的に長い目で見れば成長は阻害される、、という理屈が長いこと信じられていたのだ。
他方、政府は富裕層に重税をかけず、彼らがその豊かさを謳歌していたら、頑張って働いてリッチになろうというインセンティブを皆に与えるし、投資やリスクテイクもガンガンやろうという気にもなるだろう。そのことによって、経済はより早く発展し、誰もが豊かになれるのだ。これに加えて富裕層がより豊かになろうとしてさらなる生産的な投資が行われる。ということで、富裕でない人には悪いのだけど、富裕層には気楽に富裕のままでいてもらった方が結果的には上手くいくのだと。
この「公平さは成長を鈍らせ、不公平こそが成長の養親である」という「信念」は、我々がこれまでに見てきた多くの税制「改革」の根底に横たわっていた。
高額所得者の税率は67%から47%まで引き下げられ、キャピタルゲイン課税率は他の所得の半分になり、株式配当に関する二重課税を廃止し、さらに消費税などの間接税を導入することで所得税を減税させたりした。それらすべては、それこそが豊かな明日につながると思っていたからだ。
問題は、この「理論」を実証しうるだけの証拠がほとんど存在しないこと、そう、驚くほどに少ないのである。この理論、、、「理論」と聞くとあなたは驚かれるかもしれないが、リッチな人達はそういう言い方を好むのである(特に経済団体とか)。
しかしながら、近年において、学会においては潮流が変わり、世界の研究者達は不公正さ(格差)が経済に対して悪い影響を与えているという証拠を次々に発見している。このトレンド変化はとても顕著であり、ついに国際的な経済機関ですらも言及するようになったのである(だが”私達の経済官僚”ではない)。
今年(2014年)のはじめに、IMFの3人の研究者(Jonathan Ostry, Andrew Berg, and Charalambos Tsangarides)は、「Redistribution, Inequality and Growth(所得の再分配と格差と成長)」において、格差が少ないことと、より早く持続的な経済成長とは相互関係があると発表している。
それだけではなく、長いこと経済学者がインセンティブを挫くので良くないとしていた所得再配分について、よほど極端な例を除けば、決して経済に悪影響を与えるものではないとしている。
所得の再配分と経済成長との間に大きなトレードオフがあるという大前提については、慎重であるべきだ。マクロ経済において現在得られる最高のデーターによっても、このような結論は導き出せない、と彼らは指摘する。
そして、今週、OECDの Federico Cingano(フェデリコ・シンガノ)氏による「 Trends in Income Inequality(所得格差の傾向)」というレポートによっても、似たような結論が出されている。
ほとんどのOECD先進国において、所得格差は過去30年で最高レベルに達している。80年代にはトップ10%がボトム10%の7倍だったのに、今では9.5倍に達している(オーストラリアでは8.5倍)。
シンガノ氏は、多くの国において、この格差是正こそが最重要な政策課題になるべきだと述べる。
「これは、(単に経済だけのことではなく)、富の偏在の常態化は、社会に怨嗟感情を植え付け、くだらないポピュリストに活躍の機会を与え、保護主義的な心情に傾き、ひいては政治の不安定化を招くというリスクもある」と彼は言う。
他面、各政府において格差問題について関心が広がっているのは、経済成長の鈍化や世界不況からの回復においてどのような影響を与えるかである。
彼の過去30年のOECD諸国における経済状態の分析は、格差が経済成長を阻害しているという事実を裏付けている。例えば、NZの場合、2010年までの20年において、もし所得格差が広がらなかったら、あと10%は成長できたという。アメリカとイギリスの場合、蓄積された(=失われた)成長は20%以上にもなるという。
これに対しては、仮に所得格差によって経済成長が阻害されていたとしても、格差是正(所得の再配分)が物事を好転させるという保証はないという批判はありうるだろう。格差是正によってインセンティブが損なわれ、それによって経済成長が阻害されるということありうるからだ。
そういう議論はありうるだろう。しかし、それら批判論も、これらのシンガノ氏のレポートを自説の根拠とすることは出来ない。なぜならシンガノ氏は「これらの結果は、可処分所得に関する格差は経済成長にとってはマイナスであり、その再配分は、最悪のケースであったとしても成長に対して中立的(ニュートラル)である」と述べているからである。
ここで注目すべきは、彼は、経済成長を最も阻害するのは何かといえば、ボトム40%とその他の人々の格差の拡大であると述べている点である。
それと対照的に、他の社会の人々からかけ離れた高額所得者が経済を損なっているという証拠もまた存在しない。富める者は、ともすれば羨望や怨嗟を買ったりするのだが、彼らが経済成長を阻害しているわけでもないのだ。
近年における経済を弱体化させている下半分の所得格差というのは実際何なのだろうか?
シンガノ氏の所見は、「human capital accumulation theory(人的資本蓄積理論)」に行く着くものと私には思われる。それは、下半分の低所得世帯では、所得の増加が少ないゆえに彼らの「投資」を制限する〜つまり教育や訓練などに使うお金がないために、低スキルの労働力しか持ち得ず、それが社会の生産性や成長の足かせになるということだ。
しかし、私は思うのだが、なぜ、David Gonski氏のようなビジネスマンを得て、社会経済的に不利な立場にある者に良い教育を受けさせるようにしないのだ?そして、なぜ、我々は、かくも大幅な大学の学費値上げを止めさせないのだ?その方がよっぽど経済成長に貢献すると思うのだが。
→英語原文
Saturday, December 13, 2014
Widening income gap slows economic growth
One of the most significant developments in applied economics in recent times is something we've heard little about in Australia, where we seem to be living in our own little cocoon, oblivious to advances in the rest of the world.
For decades, economic policy in Australia - and most other developed countries - has been based on the assumption that there's a trade-off between economic efficiency and fairness (or "equity" as economists prefer to call it).
If governments try to make the distribution of income between households less unequal by, say, using taxes and government spending to redistribute income from rich to poor, or by setting a reasonable minimum wage, it's long been believed, this will make the economy less efficient and so cause it to grow more slowly.
On the other hand, if governments don't do as much to redistribute income away from high-income earners, this will provide stronger incentives for people to work harder, invest and accept risk in the pursuit of greater profits.
This, in turn, will cause the economy to grow faster, leaving us all better off. What's more, the rich have a higher propensity to save, and greater saving will finance additional productive investment.
So, sorry about that, but we have to go easy on high-income earners because this makes the economy work better.
This belief that fairness reduces growth but unfairness fosters it lies behind many of the tax "reforms" we've seen over the years.
The moves to cut the top income tax rate from 67 per cent to 47 per cent, to tax capital gains at half the rate applying to other income, to end the double taxation of dividends and to use introduction of the goods and services tax to increase indirect taxation and cut income tax, are all motivated by the belief this would be better for the economy.
Trouble is, there's been surprisingly little empirical evidence to support this theory - a theory, you'll be surprised to hear, rich people really like (just ask the Business Council).
In recent years, however, the academic tide has turned and researchers are finding increasing evidence that inequality may actually be bad for economic growth. The tide has turned so far it's reached the international economic agencies (though not our econocrats).
Early this year, three researchers at the International Monetary Fund, Jonathan Ostry, Andrew Berg, and Charalambos Tsangarides, published a paper on Redistribution, Inequality and Growth, which found that lower inequality was reliably correlated with faster and longer-lasting economic growth.
What's more, they found that redistribution - the thing economists have long assumed would dampen incentives - seems to have no adverse effect on growth, except perhaps in extreme cases.
"We should be careful not to assume that there is a big trade-off between redistribution and growth. The best available macro-economic data do not support that conclusion," they found.
And now, this week, the Organisation for Economic Co-operation and Development has published a paper by Federico Cingano, Trends in Income Inequality and its Impact on Economic Growth, that comes to similar conclusions.
In most OECD countries, the gap between rich and poor is at its highest in 30 years. In the 1980s, the top 10 per cent of households earnt seven times what the poorest 10 per cent earnt. Today it's 9 1/2 times. (In Oz it's 8 1/2 times.)
Cingano says that doing something about this trend has moved to the top of the policy agenda in many countries.
"This partly due to worries that a persistently unbalanced sharing of the growth dividend will result in social resentment, fuelling populist and protectionist sentiments and leading to political instability," he says.
But another, growing reason for policy-makers' interest in inequality is its possible effect in reducing economic growth and slowing the recovery from the Great Recession.
His econometric comparisons of the performance of OECD countries over the past 30 years confirm earlier findings that increasing income inequality has an adverse effect on later economic growth. In New Zealand, for instance, its total growth over the 20 years to 2010 would have been more than 10 per cent greater had its income disparity not widened as much as it did over the 20 years to 2005.
For both the United States and Britain, their cumulative growth would have been more than 20 per cent greater.
You could argue that just because inequality reduces the rate of economic growth, this doesn't mean government measures to redistribute income will make things better. Those measures could, by reducing economic incentives, make their own contribution to reducing growth.
You could argue it, but you'd get no support from Cingano's analysis of the evidence. "These results suggest that inequality in disposable incomes is bad for growth, and that redistribution is, at worst, neutral to growth," he finds.
But get this: he found that what does most to inhibit growth is an increasing gap between low-income households (the bottom 40 per cent) and the rest of the population.
"In contrast, no evidence is found that those with high incomes pulling away from the rest of the population harm growth," he says.
So the rich attract most envy and resentment, but they're not what inhibits growth. What is it about inequality in the bottom half of the distribution that leads to weaker economic growth in later years?
Cingano finds support for the "human capital accumulation theory", suggesting that lower relative increases in the incomes of families in the bottom half make it harder for them to invest in the education and training that increases the value of their labour and the size of their contribution to growth.
But I've got an idea. Why not get a businessman, say, David Gonski, to propose ways of making sure the socially and economically disadvantaged get a good education?
And why don't we hugely increase university fees? That's bound to make us grow a lot faster.
所感
なかなか興味深い論考で、蛇足ながらちょっと考えてみます。
社会正義=感情論としての所得格差
所得格差の問題について、まず僕が思うのは、経済論よりも先に社会正義 or 感情論で語られる場合が多いという点です。平たくいえば「納得出来ない」「ズルい」という不満を持つ人が多いかどうか。
あ、先に言っておくと、「正義」の定義は無数にあるけど、ここでは「ムカつくかどうか」というカジュアルな話をします。正義というのは理論的に導き出されるのではなく、まず直感的に「おかしい」「変だ」感じるものであり、その感情結論の後付けに理屈をくっつけるってのが実際でしょう(ただし感情だけに任せておくと余りにも不安定だから理屈の型をはめて行き過ぎないように矯正する)。
で、格差に関するムカつきですが、これは「(格差は)あってはならない」と「ある程度はしょうがない(あった方がいい)」の間のどのあたりに線を引くか、という問題だと思います。確かに、頑張った人はそれなりにご褒美がないと誰も頑張ろうという気にならないかもしれない。地道な努力とリスクテイクの末に成功したら億万長者だあ!というのは、アメリカンドリームのように人々を発奮させるし、社会を前に進ませる。逆に「やってもやらなくても結果(報酬)は同じ」だったら、頑張るだけ損だってことにもなるし、それこそが共産主義が沈滞する理由でもある。その意味で、結果としてある程度の所得格差(貧乏人と金持ち)が生じるのはしょうがないことだとも言える。
しかしそれも程度問題で、日本全国でたった一人勝ち抜いた人だけが年収1000兆円稼げて、残りの全員は年収10万円で餓死同然だったら明らかにやりすぎでしょう。どのあたりに線を引くか?です。
この線引は、経済云々ではなく、人としての一般感覚でしょう。
「頑張った」「すごいことをした」こととご褒美とが、「まあ、こんなもんでしょ」とおおまかに納得出来る対応関係にあるか/ないかです。農作業で、他人の2倍草むしりをした人は賃金二倍貰えるとかわかりやすい例なら納得しやすい。しかし、似たようなことをやっていながら、年収で2〜3倍の差がついてくると「なんでじゃあ!」と腹が立つ。特に、時給1000円レベルのカジュアル労働者を大量に酷使しておきながら、CEOは赤字になっても年収3億円+ストックオプションとか言われると、ムっとする。
余談ながら思うのですけど、人の能力や頑張りの差というのは、特殊な事例を除けばせいぜい2〜3倍なんじゃないかしらん。4倍差だったら、4倍の成果を出して4倍過酷な労働をしているってことになるけど、そこまでの差ってないんじゃない?仕事の中には、そんな目に見えて「成果」がわかるものばかりではないし。
昔経済学の講義でチラ聴きしただけの曖昧な記憶ですが、熟練労働(ベテラン職人)と非熟練労働(ド素人)の労働生産性や付加価値の差は、平均でならしてしまえば、1.2倍とかそんなもんだったような。例えば弁護士と素人の差はとてつもなく巨大であるように見えながら、全ての業務を精査していけば、「誰がやっても同じ」って部分が結構あるのですよ。郵送するために封筒書きやら切手貼りやら、法廷にいくまで電車乗ったり歩いたりって時間も結構ある。僕が新人イソ弁の頃、「俺、全然使えないかも、生産性ないかも」と落ち込んだもんです。書類整理もコピー取りも事務員さんの方が遥かに優秀だし、本業の方は未経験過ぎて危なかっしいし、労働生産性でいえば1以下の0.7くらいじゃないか?とか。そりゃここぞというとき一発長距離ホームラン的な熟練技能は出てきますよ。でも全部の時間をべったと均したら、そう大したもんじゃないなと。
だから7.5倍が9.5倍で拡大だっていうけど、そもそも7.5倍という時点でおかしくない?って気がしますね。そこまで役に立ってる奴なんか滅多にいないよって。
思うに、所得格差の問題って、皆が問題だと思ったり、ムカついたりした時点で既に「問題」なのでしょう。一生懸命努力した奴がそれ相応の結果を出し、それ相応のご褒美を貰うことについては、人はそんなにムカつかない。懸命に走ったランナーが表彰台に上るのを拍手で称えるように、彼が皆よりもより多くのものを得て、そこで格差が生じたとしても、それは納得できる。納得できる格差は「格差」(問題)としてはあまり認識されない。
じゃあどういう場合に納得出来ないかといえば、どこぞの阿呆ボンのように馬鹿で無能なくせに、単に金持ちの家に生まれたというだけでエラソーにして裕福な暮らしをしているような場合。あるいは、同じ仕事をして同じような成果を出しているのに、なぜかそいつだけ給料が飛び抜けて多い場合。女性だというだけで、あるいは◯◯だというだけで、なにやら割を食って損をしている気がする場合。逆に、全然働く気もないにも関わらず手当やら給付を貰ってる人がいると、これも不公平だぞとムカつく。つまりは、格差はあってもいいけど、その格差のメカニズムが不透明だったり、対応関係がおかしかったりする場合にムカつく。
何を言いたいかというと、所得格差論を、弱者救済やら社会正義論の側面から切り込んでいくと、ともすれば単なる感情論になってしまいがちだということです。なぜなら、一面においては、正義とはすなわち感情のことだから。
しかし感情論はアカンです。間違ってます。例えば生活保護がズルいという感情、あるいは社長は飲み歩いているばっかで働いてないのに給料高くてズルいって感情があるとしても、今度は「その感情は正しいのか?」という問題が出てくるのですよね。その感情を生み出した前提となる事実認識がスカタンである可能性はある。てか大体の場合、そんなに世間を手に取るように知ってる人なんかいないから、ほぼ100%といっていいくらい誰もがどっかで間違っているでしょう。単なる偏見って場合もある。社長はいいよなって思うけど、実際に自分がやったら、こんなに大変なものだとは知らなかった、ヒラの方がよっぽど楽って話はよく聞くでしょ。嘘だと思うならやってみ、やれるもんならやってみ。子供の頃は大人はいいなズルいなって思うけど、自分が大人になったら子供はいいよなって思う。それが愛すべき人間のサガでしょ。
だから感情論になってしまったら、それぞれの感情の根拠が結構間違ってるがゆえに、ほぼ全員が間違った感情を持ってたりして、それでケンケン議論をしているという、ちょっと離れてクールにみたら馬鹿丸出しみたいな不毛な状況に陥りがちです。良くないんじゃないの?
実利としての格差是正
このOECDリポートが興味深い点は、そういう感情正義的な格差論から自由である点です。つまり、いい/悪いの問題にしておらず、「格差があると経済成長が進まないから」「結局損だよ」と言っている。
ところでレポートの本当の学術的価値は(これはピケティ氏の著作もそうだと思うが)、膨大な統計データーを収集し、それを解析していく知的ダイナミズムにあるんじゃないかと推察します。各国のデーターといっても、そんな綺麗にフォーマットが揃ってるわけはないし、単位もバラバラだし、信用性も色々あろうし、同じ国の同じ役所のデーターでありながら、年度が違うだけでもう対象が微妙にズレているとか。僕もエッセイ書くのにときどき調べるけど、もう悪夢のようにメチャクチャ。なんでこのデーターがないんだ、なんでこの年だけ基準が違うのだとか。それをピケティ氏は過去300年の世界中のデーターを精査しているわけで、気が遠くなるくらい膨大な知的労作だと思うわけです。結論よりも、それを導き出すまでのプロセスに意味があるというか。学術的論証というのはそういうものだし。
しかし、そんな玄人的な凄さは一般市民には分からない。ピケティ著作も、英文で700ページもある膨大な検証作業と、その知的にスリリングな部分が一番美味しいところだと思うけど、そこまで読み込める人は少ない。今チラと日本のネットを見てみたけど、そのデーター抽出推論過程を具体的に論じているものは見当たらなかった。大体が「今ブームである」という「現象」を述べているにとどまっている。「今これが流行ってる」系の単なる「世間話」ですな。バブルの頃にやたら流行った浅田彰氏の「構造と力」という難しい哲学本を思い出した。皆知ってるけど誰も理解してない、てか読んでないという(^^)。
で、その一番美味しい部分は読解能力がないからパスするにしても、それでも尚も果実はあります。
このOECDレポートは、膨大な論証作業をしつつ、最後に「所得格差が広がると、経済成長が阻害される」という結論を導いている。これは大きな意味があると思う。
なぜなら「貧乏人は死ねというのか!」という話ではなく、所得格差が広がると社会全体が損をするし、富裕層ですら損するかもよって皆の話になるからです。確かに貧富格差が拡大すれば、金持ちはより金持ちになって、その限りでは金持ちウハウハかもしれないけど、もしかしたら格差が拡大しない方が全体のパイが増えるから、金持ちの個人の取り分ももっと増えていたのかもしれない。例えば、富裕層は資産として不動産やら株やら投資物件として持ってたりしますが、全体の景気が底上げされて世の中金回りがよくなったら、持っている不動産や投資対象も上がる。所有している会社の営業もよくなるし、収益も高くなる。
このレポートの面白いのは、いい/悪いの価値判断ではなく、誰かを救済するとか懲らしめるとかいう部分的な話でもなく、「みんなの実利」面で説いている点です。
ボトム40%こそが勝負
第二に、何度も強調されているけど、下から10%の貧困層を救い上げるだけではなく(貧困対策ではなく)、下から40%の「中の下」以下の階層、大雑把にいえば下半分をいかに充実させていくかが問題だと指摘している点です。トップ10%とボトム10%の差だけを考えるのではなく、トップ60%とボトム40%の差を少なくする方が実体的には意味があるという点です。
今の日本は非正規労働者が40%前後といわれますから、まさにこれに照応するのですが、下半分と上半分の差を縮めていくって部分が大事だというのは、感覚的にわかる気がします。ボトム10%の救済は、これは人道的な配慮、ないし治安経済的配慮から当然に必要ですけど、こと経済でいえば、ボトム40%をどう暮らしやすくしていくか?です。これは本当にそうだと思う。
レポートでも特に「可処分所得(ディスポーザブル・インカム)」の所得再配分とも言っているし、40%が今よりも多少でもリッチな気分になり、あまりケチらないで欲しい物を買ったりすれば、その全体の経済効果は凄いものがあるでしょう。だもんで対策としては、金持ちへの増税というよりは、低所得者への減税(その他の負担軽減)の方が大事で、その財源の一つとして金持ち課税があるに過ぎないってことじゃないかな。
大体格差拡大(≒弱肉強食)でいいんだったら、雁首揃えて国なんか作る必要はない。自然状態でそうなるんだから。国が存在する意義はまさに「自然状態の矯正」にあるのであり、それは合理的な理由を超えて広がってしまう格差の是正であり、それが出来ないなら国の存在意義(状況改善システム)なんか無いと思います。ましてや、それを助長するのであれば、状況悪化装置であり、存在自体が有害ということになるでしょう。その視点だけで見るならば、です。
でもって、40%という大きなボリュームをもった集団の是正だったら、単に給付金をあげてとかいう個別的な方法ではなく、大きくシステムを変えていく方が効率的でしょう。それも減税だけではなく、「生活しやすくなるための全て」が対象になるでしょう。かなり低廉な託児所を多く作ったり、低廉な公的な宿泊施設(ネカフェよりもちょいマシくらいな)を沢山作ったり、奨学金の申請や返済条件を緩和したり、皆が困ってる部分をちょっとづつでも直すだけでボトム40%はそれだけ救われる。
また高額所得者への課税でも、要はお金を使って貰えばいいんだから、税率を高くする反面、経費控除をダダ漏れで認めるのもアリだと思います。税率◯%以上の最高税率になったら、とにかく国内で金を使ったこと全部が経費になるという具合にすれば、税金で持っていかれるくらいだったら、地元の商店街でも、高額商品でも、リゾートでもなんでも使っちゃえになるだろう。へたに税金経由(政府経由)にする方が途中でピンハネされるからかえって無駄とも言える。やり方なんか幾らでもあるように思います。
日本における歪み
長くなるから思いついたメモ書き程度に。
格差の悪化問題は、日本も全く同じ状況だと思うし、今の政府は思いっきり真逆のことをやってるのだけど、それはさておき、根本的に思うのは、妙な部分が妙に結合しちゃってるから話がややこしくなってるんだろうなって日本の特殊事情です。
一つは一般に真面目で勤勉と言われている(本当かどうかは僕は疑問だが)日本人の「美質」が裏返しになってる点です。頑張る→良い結果というそれはそれで大雑把には正しいんだけど、それを過大なドグマにしている。「働かざるもの食うべからず」というフレーズが示すように、「努力をしたら絶対食えるはずだ」という社会に対する無邪気な信仰があるよね。これをもっと掘り下げれば、社会・人間プラスチック論というか、どこまでも均質なものだと思ってるきらいがある。人や状況による凹凸認識が甘い。局面におけるダイバーシティ認識が貧弱。
つまり「俺にもできたんだから、お前にも出来るはずだ」と思いがち。しかし、いくら努力をしてもダメという泣きたいくらいな局面てのは実際あるんだけど、その点で世間知らず。第二に「俺に出来ないんだったらお前にも出来ない筈だ」「(それが出来たのなら)何か悪いことでもやってんだろう」という金持ち=悪人説にも傾く。日本は世界で唯一成功した共産主義と揶揄されるのですが、その根底にあるのはこの人間・社会の均一プラスチック論なのではないか。
次にくるのが「蔑視」です。低所得者であるのは、努力をしなかったからだ、要領が悪いからだ、劣っているからだということで、貧乏人に対する蔑視につながる。これは自分が貧乏だった場合の卑下にもつながる。お金が無いということで、何やら人間的に後ろめたい気持ちにならざるを得ないという歪んだ感覚。これが歪んでいるのは、金持ちや政治家は全員悪党だという矛盾した(もし結果と努力が常に比例するなら金持ちほど人間的に優れていなければ嘘でしょ)感覚とカップリングしており、要は自分がつねに中心点にいて、そこから外れたやつは軽蔑すべき人間であるという、恐るべき幼児性につながっている点です。
さらに面倒くさいのは、受験勉強の弊害と言ってしまえばそれまでだけど、お勉強が出来るエリートさんの中にある劣等感と優越感のゴッタ煮感情です。ときどき異様に偉そうにしている自称エリートがいるけど、あれって多分根深い劣等感の裏返しだと思います。なんでそう言うかというと、僕個人の体験として、小学生低学年の頃はドがつくくらいの劣等生で、勉強ができない悲哀を存分に堪能しました(^^)が、司法試験に受かる頃は超がつく優等生でもあり、個人の体験として垂直的に縦覧してきたからです。経験的にも、他人を見てても、お勉強が出来る奴って自意識過剰になりがちなのよね。また、大体そんなにクラスで人気者にならないし、モテないし、性体験もオクテで、そこらへんの勉強の出来ないヤンキーちゃんの方がよっぽど進んでる。そこに劣等感がある。だけど自分の方が上だという優越感もある、というか優越感にすがりついてないとやってられないって部分もある。それがね、官僚サマなどの中には残ってる人も居て(そうじゃない円満な人も沢山いるけど)、貧しい国民に対して、必要以上に侮蔑的になるんじゃないかなって思ったりもします。よく居るでしょ、「あいつらは〜」みたいな物言いする人。
そして、そういった複雑な感情が、さらに勝ち組さんたちの深層心理に「高所恐怖症」みたいな心理を生むだと思います。この座にいれば安泰だけど、失脚して庶民の海に転落したらもう死ぬしか無いみたいな恐怖感。ずっと前「司法戦争」という小説を読んだのですが、そこの登場人物でバリバリのエリート判事補が出てきます。東大も司法試験もトップクラスの一握りの人間だけが、最高裁の所付判事補になるんだけど、何かのトラブルに巻き込まれる。これでエリートコースから転落したらあとは街の弁護士をやるしかない、そんなこと出来ないし、もう死ぬしか無いみたいに恐怖感情にかられるという。読んでて「馬鹿か、お前」って思ったんだけど、何自惚れてるんだ、転落するほど高い所にいねーよ、それが「高い」と思ってるのはお前だけだろって。だから、転落して庶民の海にドボンとはいったらもう生きていけないって不思議な恐怖感。だから高所恐怖症ね。
それが地位に対する異様なまでのしがみつきと保身を生む。なんでそこまで?って唖然とするほど保身にかられて今の日本のエライさんはやってますよね、もう恥も外聞もないのか?ってくらいだけど、だから彼らにとっては生きるか死ぬかなんでしょう。転落して庶民になったら死ぬくらいに思ってるんだろうなって。エスカレーターにしがみつくのは、自力で登ってくる自信がないからでしょ?自力でなんぼでも登れるという本当に自信のある人だったら、そのあたりのこだわりはないでしょう。
でもそこで保身にかられちゃう人々が多いから、なんでもかんでも不都合なことは握りつぶしたりする。んでも、嘘ばっか言われてもね〜、こっちも困るんですけどね。とりあえず良い方向に進んでいかなくなっちゃうし。
とまあ、こういう部分があるからボトム40%の改善といっても、なっかなか進まないんじゃないかなって思います。じゃあどうするか?ですが、もういい加減やめます。長くなってごめん。
文責:田村