今週の一枚(2014/09/29)
Essay 690:有害無益な猟奇事件報道
病んでいるのは誰?〜ニュースって本当に必要なの?
写真は、ノースのWaverton駅近く。
奥深く切れ込むシドニーハーバー(先にいくとパラマッタ・リバーになる)が遠望できて、気分はちょっと地中海っていうか、瀬戸内海っていうか。んでも、入江の海の青&屋根のオレンジ色がオーストラリアの色ですね。飛行機の上から見るとよくわかります。
奥深く切れ込むシドニーハーバー(先にいくとパラマッタ・リバーになる)が遠望できて、気分はちょっと地中海っていうか、瀬戸内海っていうか。んでも、入江の海の青&屋根のオレンジ色がオーストラリアの色ですね。飛行機の上から見るとよくわかります。
猟奇事件報道の無意味さ
バラバラ殺人とか通り魔事件とか、この種の変わった犯罪〜いわゆる猟奇事件があると、いっときえらく世間を賑わせたりするけど、しかし、そんなもん報道しなくても良いし、こっちも知らなくても良い、というのが僕の意見です。なぜなら、意味ない上に有害でもあるからです。
深層心理は迷宮
第一の「意味ない」という点ですが、猟奇事件は行為者の独特の精神ワールドによって展開されるものであり、且つ人間の(深層)心理なんかとどのつまりは迷宮なんだから、どこまでいっても理解不能だからです。これって別に猟奇事件でなくても、普通の万引きでも同じでしょう。捜査や裁判で「犯行の動機」とかいうけど、あれも言ってみれば作文だもん。「カッとなって」「ムシャクシャして」などの常套句が使われますが、別にそんなに真剣に調べているわけでもない。アバウトそのカテゴリーに入ったら「そーゆーことにしておけ」ってなものでしょう。僕自身、検察修習で取調べやって調書とったり、起訴状書いてた経験、刑事裁判で判決起案した経験でもそう言えます。突っ込み出したら収集つかないし、結果的な犯情にさしたる違いがなかったら適当に「わかりやすい」ものにしておいたらいいというのが現場の感覚でしょ。とにかくメチャクチャ忙しいんだから。
殺人など重大事件になると、もうちょっと掘り下げて調べるけど、それでも「本人すらよく分からない」というの場合はよくある。「そんな馬鹿な」と思うかもしれないけど、あなただって子供の頃のイタズラ、例えばピンポンダッシュなんかで取っ捕まって、「なんでこんなことをするんだ?」て問い詰められたとして、ちゃんと自分の心理を説明出来ましたか?今現在だって、つい仕事をサボったとか不注意なミスをしたとき、「なんでこんなことを?」と上司に問い詰められて、「それはですね」と理路整然と説明できますか?もっと言えば、「なんで昨日カレー食ったの?」と言われても説明できないですよ。「なんとなく」「食いたかったから」というのが正直なところで、それを「そんなんじゃ説明になっとらん!」「もっと真面目に答えろ!」と机バンバン叩かれて、問い詰められても困っちゃうでしょう?
これは人間の意思決定科学やらいう領域に関するものだと思うのだけど、人はなんでそういう行為をするのかって、意外とこれがミステリーなのですね。実は子供の頃のトラウマが関連していたり、実は微妙に他の要素が介在していたり(密かに好きな子の前で恥をかきたくなかったとか、昨日友達に言われた言葉がトゲのように刺さっていてつい弱気になってたり)。自分でも良くわかってないのが普通ですよ。「分かってる」と思ってながら実は違うというのも普通。人間というのはよく嘘をつく生き物だけど、誰よりもまず自分自身に対して嘘をつく。自分に言い聞かせるように、「そういうことにしておく」って作業を無意識にやる。
だもんで、なぜ通り魔なんかしようと思ったのか?と言っても、平常状態から精神が病んでいく過程はある程度追えるかもしれないけど、実際に頭の中で何と何がつながって〜とかいうのは、結局分からんと思う。本人だって分からんでしょう。「とにかく誰でもいいから殺したかった」といっても、それは最終段階であって、なんでそこまでイッちゃったんだ?と、WHYを一つづつ遡っていくほどに迷路になる。
世相なんか反映してるの?
次に、なんかあるとよく「世相を反映」とかいろいろ言われるけど、何がどう反映しているのか、これも結局分からない。宮崎事件のときも、オウム事件のときに、のべ人数でいえば数百人くらいの人がメディアであれこれ言ったり書いたりしたけど、議論百出で、衆目の一致する通説が形成されているわけでもない。いわば言いっぱなし書きっぱなし。仮に通説らしきものに到達したとしても、今度はそれが客観的に正確であるという保証はどこにもない。だから結局はわけがわからないままであり、「世相を知る」という社会学的な知見の増加という観点では、ほぼ無駄といってもいい。
だからといって議論する意味がないと言うつもりはないです。社会学や心理学その他の見地から、ケーススタディとして議論するのは、個々人の研究レベルの上昇、あるいは集合知の上昇に資するでしょう。それはそれで意味があるし、大いにやればいいです。しかし、それはそれなりのレベルでの話であり、且つその前提として、豊富な(てか膨大な)正確な資料が必要でしょう。興味本位のイエローペーパー的な下世話な報道で何がわかるというものでもない。正確ではないどころか、意図的に潤色して、あるコトないコト大嘘書きまくりってのが通例でしょうし。
そもそも個々人の意思決定に、そこまで「世相」とやらが反映するのか?という疑問があります。そりゃ大きな外部環境としては勿論ありますよ。やれ受験戦争だ、やれ就職氷河期だ、その時どきにそういう社会の状況というのはある。でも、そんなものは銭湯の富士山の絵みたいなバックグランド背景であって、それが決定的な因子になるなら、そのときに受験/就活やってた人は全員犯罪を犯すことなる。でも事実としては圧倒的大多数はそうなってないわけだし、他の世代や時代と比較して、どれだけ統計学的な相関関係があるか?といえば、ほとんど有意な差はないんじゃなかろうか。ぶっちゃけ、0.0001%のレアケースをもって100%を語るというのは、純粋論理でいえばおかしいでしょう。
宮崎事件でも、酒鬼薔薇事件でもなんでもそうだが、それで何がわかるというのだ?酒鬼薔薇事件当時は「きょうびの14歳は〜」とか言われたもんだし、いっとき少年がバタフライナイフで持って〜って盛んに報道されたときは「最近の17歳は〜」みたいな言われ方をした。「もう理解不能」「この世代は気が狂っている」かのごとき、ほんとクソみたいな世代論がメディアを賑わすものです。
でもって、酒鬼薔薇事件の犯人は、今31歳?そんなものでしょう。今の30歳前後といえばワーホリのギリホリ世代だけど、この”酒鬼薔薇世代”の人達は、他世代が理解不能なまでに気が狂っているのか?定点観測のように15年以上、のべ千人以上10-30代前後の人たちと話をし、それどころか一緒に寝泊まりしてきた僕の感覚でいえば、な〜んの差もないです。そりゃ時代が下るにつれてヘナチョコになってる感はあるかもしれないけど、それは50代や60代でも同じことでしょ。世代論というよりは時代論の方が強い。かてて加えて言うなら、個々人の個性の差の方が、時代・年代・世代の差よりも遥かに大きい。一言でいえば「カンケーねーよ」です。
結局、そんなアイソレーティド(孤立した)事例一つをつつきまわしても、何もわからない。
世相や世代、時代の病理を切り込むであれば、むしろ、あまりにも当たり前すぎて誰も話題にしないようなありふれた事例の方がはるかに役に立つと思います。例えば、メンタルな要素を問題にしたかったら、メンタル因子が非常に強い犯罪類型、つまり放火犯とか主婦の万引きあたりの変化を調べた方が「世相」はわかると思いますね。
しかし、それにつけても「人間を舐めてない?」って気がするのですね。人間ってのは、実に色々なことを考えているもので、ある行為に出るにしても、社会がそうだ、就活状況がそうだってのもあるけど、同時に家庭環境どうだったとか、恋人と別れたばかりだったとか、車で事故ったり財布落としたりの厄日が続いてヤケクソ気味になっていたとか。さらに体調。たまたま生理痛や偏頭痛が激しくてイライラしていたとか。このように自分をとりまく経済環境や人間関係や将来の見通しやら、健康状態、、、細かく数えれば数十数百の要因がそこにあり、たまたま×たまたまの組み合わせで「そういう気分になった」ってもんだと思うのですよ。それを「世相」一発でなにもかもって解明〜って、そりゃ旦那、無茶でっせ。
娯楽にしても低級
まったく違った観点もあります。いや、そんな大それた話じゃなくて、近所の火事場見物みたいな単なる野次馬根性。つまんねー日常に幾分かの潤いをもたらすために面白おかしくくっちゃべってるだけ。罪もない庶民のささやかな娯楽なんだから、目くじら立てなくてもいいじゃないですかって。しかし、これにも異論あるのよね。娯楽というのはわかるし、多分実際にもそうなんだろう。「三号棟の山田さんの奥さんが駆け落ちしたって」「まあ」という、ちょい刺激的なうわさ話や他人の不幸話は、メシが美味くなるためのフリカケみたいなもんでしょう。そういう心理は多分にあろうし、僕にもあろうし、了解可能です。しかしですね、他人のエロ話に盛り上がってる暇があったら、お前がセックスしろよって気もしますね。その方がずっと面白いんじゃないの?
さらに娯楽といっても、もっと気持ちの良い娯楽は他にも幾らでもあるでしょうが。何も好きこのんで、こんな猟奇事件がどうとか、死体損壊の状態がどうとかやらんでもええやんか。そんなキショ面白いつーか、痛気持ちいいような変態チックな娯楽のネタしかないんかい?という。
まあ、そういうB級ホラーやスプラッター的な娯楽映画があるくらいだから一概には否定はしませんよ。B級ホラーは嫌いじゃないし。だけどあれは嘘だもん。誰も傷つかない。それに嘘をどこまで本物っぽく見せるかって、しょーもないことを大真面目にやっているって妙な可愛げみたいなものがあるから好きなんですよ。本物でやったらシャレにならないでしょう。
それにそんなに本物がいいなら、法医学の本でも読みなさいな。腐乱死体とか溺死体とか。肺の内壁に船虫がどうとか、蛆の成長時期から死亡時期を逆推定するとか。さらにお好きなら警察の鑑識員とかになればいい。列車の飛び込み自殺にせよ、交通事故にせよ、四散した臓物とか自分の手でつかんでバケツに入れたり、並べ直したりできるから。ハンパな仕事じゃないですよ。頭下がるわ。僕も死体解剖を目の前で見ましたけど、本当の本物を見たら「面白い」なんて感覚は出てこないです。なんか、もう、人が「物体」になるのって、悲しいです。
有害な点
これは山ほどある。まず第一に、被害者やご遺族の心情です。もう掛ける言葉も見つからない。知らんぷりして、そっとしておいてさし上げるのが人間としての礼節じゃないの?と思う。人の道を踏み外すのを「外道」というけど、この種のいたましい出来事を娯楽的に消費する行為はやっぱ外道だと思う。表面的にいくら深刻ぶった顔をしようが、外道は外道。ましてや一般的に是認される事件報道の枠を超えて、あれこれ面白おかしく書いて売って儲けているメディアはド外道だと思う。職業に貴賎はないというし、僕もそう思うけど、これに関してはある。はっきり「賤業」だと思います。第二に、誤った通念を社会に撒き散らす。集合知や民度の上昇ではなく、低下をもたらす。ある意味では知的疫病といってもいい。例えば、宮崎事件のときは、いわゆるオタク=犯罪予備軍のような見方がされた。もう忘れた人も多いかと思うけど、リアルタイムのバッシングは結構ひどかった。あれから20年以上、そういう見方はかなり薄れたし、クールジャパンなんて逆に経済的に利用しようとすらしているけど、なんだかなあって気がする。それよりも誤った認識によって、自分の趣味嗜好で肩身の狭い思いをしたり、必要以上に自分の人生の可能性を諦めてしまったりした(結婚なんか出来っこないとか)人達が潜在的にどのくらいあったのか、その”被害”の総量を考えるとぞっとする。そのマンパワーの逸失、メンタルヘルスの侵害、それはもう「国富の毀損」「災禍」と呼んでも差し支えないのではないか。
第三に、重大事件があると、精神疾患と犯罪の関係がオシャレ小鉢のようにセットで語られ、「野放し」論が出てくるのだけど、あれもどうかと思う。なぜなら、統計的にも、精神疾患者と”健常者”が犯罪を犯す確率を比較すれば、健常者の方が高かった筈です。ま、犯罪類型によっても違うけど、大雑把に言ってそう。その誤解のベースにあるのは、精神病=暴れ狂っているという愚昧なステレオタイプだろうけど、これって「日本人=眼鏡+出っ歯+カメラ」以下の正確性しかない。
嘘だと思ったら精神関係の医療施設に行けばいいです。仕事で何度か行ったことあるけど、自分の殻に閉じこもったり、一人でブツブツいったりって人が多い。大体犯罪というのは、それなりのエネルギーや計画性や統一性が必要で、ある意味「健康」でないと出来ないって側面もある。犯罪を犯してなくてもその「恐れ」があったら予防拘禁するのを認める理論を「社会防衛論」といったりしますが、それを是認するとして、そして血も涙もなく人権もクソもなくリスクの最小化こそが最優先にくるのであれば、精神病者を皆殺しにするよりは、健常者を皆殺しにした方が効果的。理屈の上ではそうなる。
それで自分が”排除”されてしまったら意味がない、とにかく自分だけは絶対安全でないとダメで、その自分の安全を確保するためには、他人を永久隔離しようがぶっ殺そうが構わないんだって人もいるかもしれない。でも、それを貫きたかったら、とりあえずはラオウのようにこの世の覇者になってくださいな。それもしないで、とにかく自分だけは〜って調子ぶっこいてる人、そういう人を「健常者」って言うのかしらね。
第四に、くだらない娯楽に耽っていると社会全体の生産性が落ちて、社会そのものがダメになる。これは麻薬や賭博が蔓延すると社会がダメになるのと同じ論理です。まあ、普通に考えてもわかるけど、他者に対する人間的な思いやりを忘れ、他人が泣こうが喚こうが自分の利益になると思えば徹底的に利用し、なんでも感情にまかせて断罪するという幼児性自己中丸出しのエセ正義観念を助長し、且つ物事を知的に考察するという大人の態度を衰退させ、、、ってやっていたら、非常に住みづらい世の中になる。こういう環境においては、知的体力が落ちてくるか故にイノベーションも起きず、経済競争にも勝ち抜けないから貧困化し、他人を思いやって助け合うのを馬鹿にするから結果的に社会保障費が急増し、それが財政破綻を加速させ、増税その他でさらに景気を悪化させ、、、と社会まるごとスパイラルで肥溜の底に落ちていくようなパターンになる。貧すれば鈍す、鈍すればさらに貧す、という地獄車のような無限連環。ダメじゃん。
阿部定事件
ところで猟奇事件といえば阿部定事件ということでちょっと調べてみました。ご存知ない人は、その昔「一世を風靡した」といっても過言ではないくらい大騒ぎになった(らしい)事件で、女性が男性を殺しただけの話なんだけど、男性器を切り取って持っていったという点で大騒ぎになった。でもって今更ながらWikiなどを読んでいると、非常に興味深いことが幾つかわかります。
事件概要はWikiの阿部定事件に書かれていますが、概要よりも犯人である阿部定さん本人の人生史の方が興味深い。なにかといえば、彼女の人生も非常に起伏に富んでいて、当時でいえば普通だったんだろうけど、現代の日本人の水で薄めたような人生の10人分くらいを一人で生きているくらい濃いです。ほーんと、昔の人の人生というは濃厚で、略歴を読んでいても「まだあんのか?」って途中で息が切れるくらい二転三転、四転五転する。連ドラや小説のモデルにしたくても濃すぎて、クドすぎるだろう、ここまで展開させたらリアリティないだろうってくらい。
そのくらい濃いのでここで引用しようと思ったけど止めます。それだけでこの倍の分量いっちゃうから。それで思うのは、この人は、こういう事件を起こしたから有名になってそれが全てみたいに思われがちだけど、客観的に全人生をみていくと、この事件こそがほんのアクシデントのようなもので、その人となりをあんまり表してないんじゃないかというのが一点。
第二に犯行それ自体がよくわからない。腰紐で首をしめて縊死させたのは事実のようだが、被害者の要請によってそれをやったという変態チックなセックスもありーの、だけど寝ている間にやってるから怨恨痴情の線もありそうだ。しかしこれだけ豊富な遍歴のある人が小娘みたいに精神的に逼迫するか?という疑問がある。第一、殺害当時にも他の男性と関係を継続していたわけで、そんなに「一途」に思い込んでいたってのも疑問がある。さらに「寝ている間に首をしめろ」云々は被害者本人が指示しているという点からすれば、承諾殺人や自殺幇助になる可能性もある。もっとも死人に口なしだから、本当のところはよくわからない。
これ、結局、ミステリーですわ。でもってミステリーで構わないとも思う。しょせん男と女の奥深いあれこれについては、余人の介在を許さない、彼らだけの問題とも言える。その昔、大阪市役所の無料法律相談にいって、男女心中の生き残りという初老の男性の相談を受けたことがあります。もうダメだで長年連れ添った奥さんと二人で東北にいって、そこで仲良く自殺。睡眠薬か服毒だったかな。しかし、何の因果か自分だけ生き残ってしまったという。その場合、一応生き残ったほうが自殺幇助という罪名になって刑事裁判になる。まあ当然のように執行猶予になるわけだけど、しかし、こんなの国家がクチバシ突っ込んで税金使って裁判する必要なんかあるのか?って根本的な疑問があります。世の中法律で解決できないこともある、、てか、出来ることの方が遥かに少ない。しょせんは交通信号のように便宜的に設けられたシステムに過ぎない。結婚に関する憲法24条だっけな、「婚姻は両性の本質的平等、、」という呪文を千回唱えたら、だれでも結婚相手が見つかるってもんでもない。
阿部定事件も、本質的にいえば、男女の間で「いろいろあった」というだけのことであり、とりあえず客観的に人が一人死んでるから、殺人その他で粛々と審理、処罰すればいいだけのことで、大騒ぎする必要なんかどこにあるんだ?って気もする。そりゃ男性器を切除して云々ってのはセンセーショナルかもしれないけど、でも「それがどうした?」って言えばそれだけのことです。それであなたの人生変わるのか、それで日本国の行く末に変化があるのかといえば、何もないでしょう。
エンジョイする世間
第三に、にもかかわらず、異様なまでの当時の世間のはしゃぎ方です。右の記事は、Wikiにあった当時の新聞記事を引っ張ってきてますが、こんな感じで報道されています。Wikiの引用によると、
この事件はすぐに国民を興奮させた。そして彼女の捜索について引き続いて起こる熱狂は「阿部定パニック」と呼ばれていた。瓜実顔で髪を夜会巻きにした細身の女性を、定と勘違いし通報を受けた銀座や大阪の繁華街は一時騒然としてパニックになった。定が現れたという情報が流れるたびに、町はパニックになり、新聞はそれをさも愉快に書きたてた。この年に起こった失敗した二・二六事件クーデターの引用で、目撃例の犯罪が「試みイチ-ハチ」(「5-18」または「5月18日」)と諷刺的に呼ばれた。国民は美しいこの猟奇殺人者を二・二六事件で暗くなった世相を吹き飛ばす女神のような扱いをして歓迎した。「上野動物園クロヒョウ脱走事件」「二・二六事件」とあわせて「昭和11年の三大事件」と呼ばれている。
(中略)
この犯罪の詳細が公表されたときのデマでは、石田のペニスが驚異的なサイズであると切り出した。しかし逮捕の後、定に質問した警官はこれを否定した。「石田のモノはちょうど平均であった。私を性的に喜ばせたいというテクニックと奉仕的な愛撫をする石田が好きだった」と定は答えている。定の逮捕後、石田のペニスと睾丸は東京医科大学の病理学博物館へ送られた。第二次世界大戦後まもなく、一般に公開していたようだ。
(中略)
この犯罪の詳細が公表されたときのデマでは、石田のペニスが驚異的なサイズであると切り出した。しかし逮捕の後、定に質問した警官はこれを否定した。「石田のモノはちょうど平均であった。私を性的に喜ばせたいというテクニックと奉仕的な愛撫をする石田が好きだった」と定は答えている。定の逮捕後、石田のペニスと睾丸は東京医科大学の病理学博物館へ送られた。第二次世界大戦後まもなく、一般に公開していたようだ。
アホか?と呆れるくらいのパニックぶりですが(ところで「パニック」って昭和11年から日本語になってたのかしらね)、しかし「パニック」といいながら、明らかに民衆もメディアもこれを「エンジョイ」してますよね。僕にはそう見える。「2.26事件で暗くなった世相を吹き飛ばす」などと書かれていますが、結局、病んでいたのは彼女本人というよりは、社会や世相ではないか?という気がしますな。この年は日米開戦5年前で、日中が一触即発になり、貧富の格差が激しくなり2.26事件が起き、東京オリンピック開催が決定され(結局戦争でナシになったが)、悪名高い731部隊の前身が出来、天皇機関説の美濃部達吉が右翼に襲撃され、日独防共協定でナチスと結びついた年でもありますから。