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今週の一枚(2014/06/23)



Essay 676:GPIS〜嘘をつくなら自腹でやって

何がしたいの?統失なの?
 写真は、Paddington。
 冬の枯れ木立と曇天は、ヨーロピアン風の街並のPaddingtonによく似合っていたりしました。



 ちょっと久しぶりに時事を。こないだ誰かと話して、意外と知られてないんだ?と思ったので。なんとなく堅い話になりそうなので、その分、いつもよりくだけた喋り言葉にします。

 GPISの運用改革を前倒しにして、日本株の比率を20%まで高めるとかそういう話が飛び交ってます。例えば、日本株買い越し 年金基金、運用改革先取りとか。

 「へえ、そこまでやっちゃんだ〜」とちょっと呆れてますけど、なにが「へえ〜」なのかです。

GPISの運用比率の変更ってなんなの?


 僕が思うに、そして多くの方々から指摘されているように、これって「景気いいですよ偽装」の一環であり、「年金食いつぶし」の一環でもあるんじゃないかと。

なんつーか「他人の金×嘘をつく」という二重の意味でアカンのじゃないかと。

これまであらすじ

 去年から盛んに言われていたアベノミクスって言葉も、ここんとこメッキが剥がれてきてあまり聞かなくなりましたが、抜本的なことは何もやらずに、その場限りの対症療法〜副作用がキツすぎるから過去に封印されてきたもの〜又ぞろ封印を剥がしてやってるだけだと思います。

 過去にも何回か書いてるので詳しい話は省略しますが、その昔は景気対策といえば公共投資で、じゃんじゃん国のお金をばらまいて、大型土木工事をやって、無駄な箱モノをやたら作る。確かに金をばらまくからその限りでは景気は上向いたように見えるけど、強烈な副作用があります。

 一つは、借金が増えることです。国のお金ってことは、僕らのお金ってことで、要するに国債とか年金基金とかを馬鹿遣いするわけです。そのツケが積もり積もって1000兆円になって、暗い未来像になってしまうという。そりゃそうですよね、今から比べればまだ元気で稼げていた日本が1000兆円も借金をして、それに比べればパワーダウンしていく将来の日本がこの1000兆円を返すわけですから、普通に考えたら、無理。バリバリ稼いでいた40代に1000万円借金して、定年後の60代以降にその1000万円を返そうというのと同じなんだから、まあ無理だよねと。それが副作用のその1。副作用その2は、こうやってまとめてドカンとお金が動く、しかも決まったルートを回遊してくるわけだから、そこに利権村が作られ、既得権益の牙城が築かれていくという副作用です。

 それじゃアカンでしょうっていうのは1980年台から盛んに叫ばれていたことで、遡れば橋本内閣の頃、いやもっと前から政治課題になっていて、歴代少しづつやってきた。それが近年の日本政治の流れだったのに、一気に逆行していく。覚醒剤(借金)中毒者が更生のために必死に我慢してきたのに、「最近元気ないよね、一本いっとく?」とかいってまた覚醒剤を打つようなもん。「シャブノミクス」じゃんってのも過去に書きました。

 日本財政もいよいよどん詰まりに近づいてきた昨今、こともあろうも又それをやるか?というのに、結構びっくりしました。気は確かか?と。

 そりゃあ覚醒剤打てば元気になるよ。実際元気になったし、株価もあがったし、GDPも上がったよ。でも、キッチリ覚醒剤分だけしか上がらず、結局波及効果はほとんどない。てか実質は下がってる。いわゆる「第三の矢」の本格的構造改革をやるための導火線というタテマエだったのに、導火線だけ燃えてほんで終わり。まあ、やるべきことは山ほどあるし、とりあえず官僚的弊害をダイナマイトで破壊するくらいの大きなことをやるべきなんだけど、そんなことする意欲も能力もなさそうで、最近では「第三の矢」という言葉すら聞かれなくなってほぼフェイドアウト。

 でも導火線だけって言うけど、この導火線が高いんだよな。残ったのは莫大な借金(国債発行残高)と、年頭以来息切れして下がり始めた株価。まあ、実際、実質賃金は一貫して下がり続けているし、公共料金やら何やら消費税以外にも山ほど上がるわ、物価は上がるわ、かーなり生活きつくなってるいるわけで、それを「いや景気はいいんだ」と「我軍大勝利」的な大本営強弁もさすがにネタ切れになってきた。頼みの綱は株価で、「ほら上がってるじゃないか」と言っていたけど、それも下がった。ピーンチ!と。

 とかいうのが「前回までのあらすじ」みたいな話で、だからここで心を入れ替えてまじめに仕事をするのかと思いきや、今度はGPISですからね〜。そこまでする?すげえな〜って思ったわけです。

GPISという名の博徒

 GPISって「年金積立金管理運用独立行政法人」で、これだけ漢字が続くともうそれだけで拒否反応を示す人もいるような、それが狙いのような(笑)組織で、Government(政府) Pension(年金) Investment(投資) Fund(機関)と英語で言ったほうがわかりやすい。つまりは皆の支払った年金を集めて、それを運用して増やす組織ですね。もっとくだけた言葉でいえば、年金をモトデにして、投資という名のバクチを打つ公的な博徒組織です。大体は、信託銀行あたりに委託しているみたいだけど。このタネ金が巨額で129兆円。すげー金持ちだけど、これって皆の老後の資金です。それを思えば、さらに1000兆円の借金を思えば、129兆「ぽっち」で大丈夫か?って気がするけど(全然大丈夫じゃないんだけど)、まあ、バクチの元金としては結構なものです。

 夢のような話をすれば、この博徒(GPIS)がめっちゃバクチの天才で、国際的にバンバン投資して、がっぽり稼いできて、「ほらよ、1000兆円稼いでやったぜ」とポンと持ってきてくれたら、パチパチ拍手です。でも、まあ、日本人バクチ下手あるね。ラスベガスでもいいカモね。ましてやお役人が上手であるとも思いがたい。仮に天才的な運用をする人材がおったとしても、自由にやらせてくれるような組織ではないね。だから「手堅く元本保証」とかやってりゃいいし、これまでもやってた。地味に国債買ったり。まあ国債がコケたら共倒れだけど。

 ポートフォリオって言葉があって、ご存知だろうけど、投資の内訳ですね。100万あったら、うち30万円で日本株式に投資して、20万円を不動産に投資、10万円でユーロ買って、20万円で米国債買って、、とかいうやつ。これまでのGPIS博徒は、日本株式の投資比率をもっと増やすということにしたわけです。

 というか安倍内閣がそう指示したと。麻生財務大臣あたりがぶち上げて、そうさせている。

ゴリ押しの肥大エゴ内閣

 あのー、ここで確認したいのですけど、GPISって「独立」行政法人なんだよね。その場の政治権力に左右されず長期的に運営するのが好ましい部局を「独立」させるというのが趣旨じゃなかったっけ。

 ほんでもって、年金って厚生労働省なんだよね。アソーちゃん財務大臣なんだからGPISをどうこうするとかいうのも「管轄違い」「越権行為」なんだわね。でもやる。具体的には、三谷隆博理事長の下に10名から成る運用委員会のメンツの入れかえ。日本の公的年金基金の運用の変化で日本株はいよいよ6月以降に復活へ!という記事に書かれているけど、「すでに任期切れになっている運用委員を再任せず、4月下旬に運用積極派の(といっても安倍首相の意向を黙って受け入れて日本株組み入れ比率の積極拡大に賛成するだけの)運用委員を一気に押し込んでしまった。まだ任期が1年残る慎重派の三谷理事長も、更迭されてしまうことになりそうだ」と。

 しかし、この内閣はこの種のゴリ押し系ルール無視をよくやるよな。
 権力分立や相互チェックという理念もシステムもどこ吹く風で、強権でお友達を送り込む。クロちゃんを送っては日銀の独立性もバキバキ押しつぶし、モミーを送ってはNHKの中立性も押しつぶし、内閣法制局長官に慣例を破って外務省出身の小松氏を送り込み憲法ですら解釈でクリア〜だもんね(もっとも抗癌剤の副作用で苦しんでた小松じいちゃんも国会でブチ切れてリタイアしたが)。【変貌する内閣法制局】 人事握られ抵抗困難  「憲法の番人」から政権の意向に沿う一官僚組織へ

 要するに権力分立が嫌いで、この国のチェック機能を一つひとつ潰して、大政翼賛的な一つコケたらもう全滅という体制にしたいのだろうかしらん。てか、そこまで考えてなくて、チヤホヤされて育ったお坊っちゃまばっかりの肥大エゴ内閣、日本男子の中のひとつのダメ典型みたいな俺様系・脳内全能感炸裂内閣だから、自分のやることに誰かに文句言われるのが病的に嫌いなんかも。ただそれだけのことなのかも。ほんでも、なんでそんな連中が日本の舵取りやってるの?って、それだけでもすげえなって感じだけど。

庶民は聞いてないし

 というわけでGPISも傘下に収め、その豊富な資金力(皆の老後の資金)を使ってガシガシ株を買わせ、そりゃそれだけ買えば株価は上がるから「ほら、株価上がってるじゃん、景気いいでしょ、俺様最高」って言いたいのだろうか。

 実際に買ってるか?といえば買ってる。
 「日本株買い越し 年金基金、運用改革先取り」という記事によれば、「19日に東京証券取引所が発表した6月第2週の部門別売買状況によると、GPIFなどの年金基金から運用を受託する信託銀行の買越額は892億円。5月第1週以降、買い越しが続いており、5月の買越額は6873億円と、平成21年3月に次ぐ大きさだった」と。5月だけで7000億円近く買い超していりゃ、そりゃ株価は上がるわ。

 機を見るに敏な外国系の投資ファンドは、「ほほう?」と動きを察知し、とりあえず相乗りしますよね。だからまた上がる。でもって、これからが株式投資のチャンスですよ〜!去年乗り遅れた方はリターンマッチですよって、とりあえず売買がなければ手数料収入がない証券会社やらメディアやらが鉦や太鼓でカンカン鳴らして、個人投資家が動いて、彼らに高値を掴ませて一気に引くというダンドリっじゃないの。

 でも、商いそのものは活況基準の1日2兆円水準をなっかなか超えない。直近週でようやく超えたから逆にそれが新聞ネタになってるくらいです(「日経平均は4か月ぶりの高水準。売買代金は2兆円超え」)。ありていにいえば、それほど盛り上がってない。国民(個人投資家)だって馬鹿じゃないしね。僕ですらこのくらい書けるんだから、研究熱心な彼らはもっと状況を理解しているでしょう。「日本株、信託銀が7週連続買い越し 6月第2週額は減少」という記事の末尾では「一方、個人投資家は5週連続で売り越した。5週連続の売り越しは、ほぼ半年ぶり。売越額は1541億円と、前の週(4380億円)から7割弱減った」となっているし。もう、個人はドン引き。

 ちなみに、投資主体別売買動向という資料をみつけたのだが、去年の12月期、アベちゃんが東証の鐘を鳴らして「アベノミクスは来年も買いです」とうれしそうに語ったその月ですが、個人投資家の売買差引は -2,345,308(百万) 。約2兆円売り越しているという。さすがは日本の庶民、賢いわ〜、頼もしいわ〜。政府の言うことなんか全然聞いてないし。直近5月も5000億円の売り越しで、信託銀行(年金でしょ)の6800億円の買い越しとは好対照ですな。こと株に関する限り、支持率ゼロ%みたいな。

 だから、総じて言えば薄商いなのでしょう。これはNYダウも同じで、世界どこでも似たようなもので、怖くて何処にも金を出せないんだろうな。リーマン・ショック以来、どの国も政府のお金をぶち込んで流動性を水増ししてなんとか破綻を防いできてるけど(QE)、実体経済そのものがそんなに伸びないので投資先がない。でもお金そのものは、ニューヨークのハーレムあたりの壊れた水道栓から吹き出す水みたいにやたら出てくる。政府主導で音頭とっても踊っているのは関係者ばかりという。売れないバンドのライブハウスみたいなもので、観客はメンバーの彼女だけだという感じか。

嘘をつくなら自腹でやれよ

 ほんでも、株式系雑誌や経済誌、大手メディアは「いよいよ回復だ」と色めき立っているけど、色めき立ってる場合かよ?という根本的な疑問があります。

 なんか、もう、ほんと嘘ばっかって感じじゃん。

 でも、まあ、政権をめぐってあれこれの権力闘争をやるのはいいですよ。素敵なことだとは思わないけど、スポーツにある程度のラフプレイも、反則スレスレも、ダーティトリックもあるでしょう。それもこれもひっくるめての試合であり、実力だと思うから、ある程度は許容の範囲でしょう。大したことやってないのに、てか全然ダメなことやってるのに、さも素晴らしいことを成し遂げているかのように印象操作をするのは、ある程度は認めましょう。それも「ワザ」の一部だと。

 しかしね、嘘もいいけど、自腹でやんなさいよって気はするのだ。こともあろうに年金でやるこたないだろう。

 これまでは日銀のお金でやってた。自分でお金印刷して自分で国債買ってという、幼稚園児のママゴト遊びみたいなことやって、でもそれも結局は「国の=皆の=借金」という形で勘定書はこっちに廻ってくるんでしょ?もともと日銀などの中央銀行というのは、時の政権の人気取りや政権闘争のジタバタから金融システムを守るために高い独立性が認められ、期待されているのに、それを傘下に置いたら反則でしょう。自分のチームから審判出してるようなもん。異次元緩和とかいってたけど、異次元ってのは「ありえないくらい馬鹿げた」って意味でもあるんじゃないのか。

 しかしさすがの日銀も息切れで、ワンパターンも限界ってなったら、今度は皆の老後の貯金箱に手を突っ込んで、それを燃やそうとする。

 なんかねー、博打に狂ったバカ亭主がタンスをひっかきまわして、「あなた、そのお金だけはダメ!」と泣いてすがりつく奥さんはっ倒しているみたいな。いや、実際、今は皆さん不安になってるし、「長生きリスク」なんて新しい日本語フレーズが出てきて、それで検索かけたら山ほど出てくる。長生きするのが「恐い」というくらい、そこまで皆追い詰められている感じがするなかで、その虎の子の資産である年金を、嘘を塗りたくるために使っていいの?と。政策レベル以前に、人としてどうなの?

ちゃんと言いなよ

 そりゃ投資なんだから、それで得するかもしれないよ。上手に運用したら皆もニコニコでしょう。このままいったらどっち道足りないんだから、これをモトデに増やしてくる、ある程度のリスクはしょうがないんだってのも分からないではない。しかしね、ほんとそんなに出来るの?やるといっても、どうせ信託銀行やら投資顧問会社に丸投げしょ。彼らもプロだからそれなりに運用はするけど、また暴落とかしたらどうすんの?リーマン・ショックってそのプロ中のプロであるリーマン・ブラザーズが大損ぶっこいて潰れたって話でしょう。

 株価が上がって喜ぶのは資産家階層やら含み資産が増える企業であり、暴落して泣くのも彼らです。それは良い。そういう前提で彼らも真剣に資産運営やビジネスやってんだから。リスクはリスクで織り込み済みであり、覚悟の上でしょう。

 しかし、一般国民にとってみたら、暴落するところまで予想はしてないんじゃない?年金月5万円貰える筈だったのに、「ごめん、相場に手を出してスっちまった」とか言われて、3万円で我慢しろって言われたら納得出来ないんじゃないですかね?皆が、「それでもいい、やってくれ」っていうならそれもアリですよ。でも、その前提として「皆の老後のお金でけっこうリスキーなバクチはじめます」「スるかもしれません」ってことは、やっぱちゃんと言うべきちゃう?と。まあ「年金運用法人が日本株価投資比率を変える」という報道だけで「ちゃんと言ってる」ってことなんかもしれないけど、だったらメディアももうちょっと説明しろよって気もするし、それが通るなら僕ら国民側はもっと激しくガリ勉やって自己防衛努力をせなならんっつーことなんでしょうね。

 でも、なんか、分かってる人、少なさそうよ。だから今回書いてるんだけど。

で、勝算は?

 で、暴落するかどうかっていえば、それはわからないです。でも、この上り相場自体が自分で作ってるだけのことで、要するに株で言えば「仕手」をやってるわけで、それを発火点として皆がドカンと乗ってくれるからこその仕手勝負でしょう。自分が高く買ってるから相場が上がってるだけだったら、別に全然儲けはない。手数料分だけ損。

 それに、いくら運用比率を変えるとかいっても、いつかは限界がくる。上がるだけ上げておいてもう弾切れですってなったら、そこで他の人々が買い続けてくれなかったら、まあ、下がりますよね。そのとき膨大に手元にある株式はどうすんの?10%運用比率を上げるといっても、モトが130兆あるから13兆円。それをぶち込み続けて高値の株式に変えて、それをいつ売って儲けるの?「儲け」というのは、自分の後に自分よりも高く買ってくれる人が登場して初めて実現するわけだが、13兆円分買ってくれる人々っているの?外国人投資家の買い越し総額がそのくらいだというから、彼らがまた買ってくれると?あのハゲタカ連中が?それはないんじゃない?じゃあ、損するの?トータルで2割損しても、それだけで3兆円近く損するわけで、3兆円つってもピンとこないけど、基礎年金の給付費は年間20兆円ちょいくらいらしいから、そこから3兆溶けちゃったらキツくない?月収20万が17万になるようなもの。

 だからでしょ?これまで地味で堅実な運用ばっかやってたのは。儲かる機会をみすみす逸してはいたけど、逆に暴落損のリスクもまた避けられてきた。政府が買えって煽っても言うことを聞かず、堅実性を優先させるべきという年金の本質を貫いてきたわけじゃん。「日本の公的年金基金の運用の変化で日本株はいよいよ6月以降に復活へ!」という記事に出ているグラフが分かりやすいけど、日経TOPIXでドカンと利益がでているときもGPISはぼちぼちしか儲けていないけど、しかし、ドカンと大損するときにも大した損はしていないで済んでいる。つまり、これまではそれなりに仕事はしてくれていた。

 しかし、この記事の見出しと結論部分はなんなの?かなりヤバい内容をきちんと書いているくせに、それをさも素晴らしい出来事のような見出しをつけ、結論部分でも「それでいいのだ」と強引に論理をねじ曲げている。後先考えず、その場限りの株価上昇をさもチャンスであるかのように結論付け、だから株を買え、だからウチの雑誌の特集号を買えってか?もう「一本、いっとけ」記事で、御用記事書くならもっと頭使って上手に書きなさいよ、そんなんじゃ賢い日本の庶民は騙せませんぜ、って気がするんですけど。

 記事はともかく、せっかく年金らしく堅実にやっていたのに、それを又しても委員の首をすげかえて、言いなりにして、馬鹿遣いさせて、そんで成算あるの?そのあたり考えているの?っていうと、そこが疑問なんですよね。考えてないんじゃないか?てか、どうでもいいと思ってない?と。とにかく目先の「ちくしょう、馬鹿にすんな」という子供じみたモチベーションでやってるように見えるんだけど。

 極端な比喩をいえば、皆が寒いよ〜(景気悪いよ)っていうから、皆の家に火をつけて火事にして、「ほら、あったかくなりましたよ」って言ってるようなもんじゃない?もっとエグい比喩でいえば、お年寄りとか弱者の身体にガソリンぶっかけて火をつけて「ほら、温かく〜」って言うようなもんじゃないの?って。いや、これ、言い過ぎだとはあんま思いませんよ。そう表現されてもしょうがないくらいの事をやっているように、僕には見えます。

で、何がしたいの?

 ここが見えないですね。
 一国をある方向にリードする場合、それも激しくそれをしようとする場合、あちこちに無理が生じるし、反対者や弱者を踏みつぶすこともある。それが良いか悪いかは別として、それが政治というものの一つの面であるのは事実でしょう。Aという目的を達成するためには、BとかCという目的を劣後させ、場合によっては封殺することもアリでしょう。

 でも、それはAという目的がこの上もなく明瞭に見えている場合です。ちょっと前に書いたように、明治期の日本みたいに、国民全員の生活基盤を叩き壊し、路頭に迷わせながらも、それを貫けたのは、西欧列強の植民地になるのを防ぐというその一点においてはこの上なく明瞭だったからでしょう。だから許されたというか、通った。

 しかし、今これだけ自国民をいじめて、嘘に嘘を重ねて誤魔化して、そんで何がしたいの?というとよく分からない。正直、「え?あれ?」って感じなんですよ。戦後レジュームの脱却という理念は、僕は全然支持しないけど、それはそれとして分かる。アメリカに押し付けられて従属させられて半植民地化されてきたのが「戦後」であり、そこから離脱するのだという抽象的な理念そのものは理解を示してもいい。でも、やってることは、ひたすらアメリカのご機嫌取りっつーか、より忠実なポチになります、パシリになります、兄貴、俺にいかせてくださいって感じじゃん。半植民地どころか、全植民地化を目指しているように見える。

 秘密保護法もアメリカに言われてだし、総背番号制やガチガチの監視システムもそうだし、普天間などの沖縄米軍基地もそうだし、で、何?今度は集団的自衛権?なんでそこまで言いなりになるの?もちろん対米追随は、一つの国の施策としてアリな方向だとは思いますよ。でもそれって戦後レジュームの脱却ではなく「強化」「固定化」じゃん。

統合失調症なの?

 よう分からんのだわね。もしかして統合失調症なの?

 なんかねー、見てると精神がヤバくなってない?って。統失かアルツハイマーの認知症かって、島状記憶陥没というか。中韓と売り言葉に買い言葉で喧嘩するのはいいけど、トータルの戦略がないから、その場限り過ぎる。アメリカに苦い顔をされたり、ロシアと中国が蜜月になるのを指食わえてみてて、ロシアには北方領土諦めてねって言われちゃったり、結局、いま一番日本と仲が良いのは北朝鮮であるという、おっそろしくトホホな状況になっている。ヘボ将棋みたいに歩を突かれたらとにかく取るみたいなことばっかやってて、トータルな陣形も戦略もなさげにみえる。あんの?

 安倍ちゃん、何がしたいの?戦車乗ってGO!GO!したいの?大見栄切りたいの?いいカッコしたいの?もしかしてそれだけ?マジ、それだけじゃないの?

 ここで連想するのは、映画の予告編ですね。あるいはプロ野球名場面集みたいな、いいとこばっかり、盛り上がるキメキメのシーンばっかり貼りあわせたようなもの。

 だから島状記憶陥没というのだ。前後の脈絡がない。
 普通、前後の脈絡を考えるから、Aを主張しようとしても、Bに配慮してそこそこにトーンダウンさせたりはする。賃上げを要求しても、言いすぎてクビになったら元も子もないから、それなりに抑えた表現にする。AとBの最大公約数を模索する。でも、前後の脈絡がなく、主観的な見栄ポイントだけで動くから、もう無茶苦茶になる。昨年末の靖国だって、個人的な一周年アニバーサリーみたいな主観価値だけで動くから、B(アメリカ)が見えてない。西欧人にとって元旦以上に大事なクリスマスホリデー時期ということすら念頭にないから、休日ぶち壊された連中が「あの馬鹿が!」とトサカにくるのも無理はない。当日の朝に第一報を受けた日本の外務省筋の幹部連中も、一瞬頭が空白になるくらい呆然とし、次に「あの〜」と同じ感想を抱いたそうだが、さもありなん。で、アメリカが怒ったら怒ったで今度はそれしか見えないから、是が非でも迎賓館で国賓待遇だ、一泊させるんだ、それが無理なら数寄屋橋次郎で親密さを演出だって、非モテ男子の初デートみたいな痛いことやってる。

 でもね〜、脈絡が見えない、てか脈絡が「無い」だけに、そのポイント、ポイントでは全力でカッコつけられるから、その意味では強いんですよ。それが「力強く、頼もしいリーダー」に見えてしまうという、残念な知的能力の人たちだっているだろうしね。でも、それって通り魔が全力疾走をしているのを見て「力強い」といっているのと同じじゃないの。

軍事?

 まあ、そんな個人の精神のありようはそのくらいにして、21世紀の世界で軍備増強って戦略はアリなの?という客観論でいえば、そんなのナシに決まってるでしょう。

 大体戦前の軍国主義に回帰とかいうけど、する/しないではなく、出来ないですわ。実力的に。戦前の日本は、反省点はマウント・フジくらいあるけど、ほんでも強いには強かったもん。日清日露と戦争続きで喧嘩慣れしてたし、軍備も、あのアメリカとそこそこタメ張って4年やれたんだから、戦後のソ連くらいには強かったんでしょう。純粋に軍事力や喧嘩の上手さでいえば世界の上位ランクです。ワールドカップでいえば、イタリアやブラジルとタメ張れるくらい強かった。それに無能な大本営とかいっても、軍全体にはそこそこ人材はいた。東大蹴って陸士や海兵に入るくらい、国家の優秀な人材が結構いた。

 今とは全然違う。もし今の状況で本気で戦前レベルに強くなろうとするなら、もう消費税200%くらいにして金ひっかき集めて膨大な軍事力を作って、財閥系企業だろうが全部国家統合して兵器開発部も作って、日本の勝ち組エリート層が競い合って自衛隊に入るくらい、東大蹴って防衛大学に入るくらいにしないと、物材人材の充実はないでしょう。軍隊で出世=人生の成功ってパラダイムを実際に作らないと。でも、そんなことが出来ると思う?

 第二に、これは何度も書いてて書いてるほうが飽きてますが、喧嘩でケリがつく時代は、戦後のキューバ危機で終わってると僕は思ってます。ぶっ飛ばせばいいんじゃあって、本宮ひろ志的なノリで話がつかなくなった。だって米ソがガチでやったら地球がぶっこわれるもん。それに「ぶっ飛ばして解決」というのが本気でそうなら、とっくに第三次世界大戦やってたでしょうよ。いまだって、ウダウダ言ってないでドンパチやればいい。でも、実際には戦後の軍事衝突のその全てが内戦や国境紛争の小競り合いに過ぎず、国と国とガチ喧嘩は無い。

 だからキューバ危機以降は、政治で解決なんだわね。もっといえば経済で解決です。儲かるかどうかです。球技で言えば、昔は全員で殴りあって殴り勝った方が勝ちだったんだけど、だんだんサッカーみたいになって、ボールを入れた方が勝ちになった。もちろんその過程で、ラフプレイもファイトもあるけど、それは大きな構造のなかのイチ戦術にすぎず、要するに皆口だけ番長ゲームをやってるわけだし、やるとしてもブラフやブラフを迫真的に見せるためのものでしかない。それに、もし本当の本気で中国とかロシアとやるんだったら、あいつら二カ国だけで核兵器1万6000発だっけ、持ってるんでしょう?あっちが真剣にブチ切れて「このがきゃ〜、死ね死ね」でありったけ核兵器打ち込まれたら日本終わります。列島の形が変って世界地図書きなおさなきゃ。だから全面ガチなんかありえないです。やったらアホです。

 で、アメリカさんも、世界の警察とか、覇権とかいうのに、いい加減うんざりしてるんだと思いますよ〜。てめーの国の足元でフードスタンプの配給食料で食ってるのが十数%もいるという、ほとんど昔のどん詰まりのソ連みたいな状況になってて、国外に出てってええカッコしいやってても腹は膨れない、皆納得しない。そんなのブッシュ時代にさんざんやりまくって、で、アメリカ国民が幸福になったか?というと全然でしょ。嫌気がさしてるんだと思いますよ。ま、軍産官トライアングルがあるからそう一直線にはいかないだろうし、煽る一派も依然としているだろうけど、客観的に見て世界を制覇したってあんまりいいこともない。

 だから、ロシアや中国が出てくるなら、やってもらおう、肩の荷を分散してもらおうという部分もあるでしょう。普通に考えたらそうじゃないか。ただし、どっちも砂の民族国家(個人の自立志向が強く、砂のようにサラサラしてるから強烈に締め付けないと国家の体をなさない)だから、自国民を締めるためにカッコつけに戦争めいたことやったり、カッコつけすぎて引込みがつかなくなったりもするだろう、だから一定のカウンターは当てとかないとねってな感じっしょ。でもカウンターを当てるのにも金がかかる、人も死ぬ、勿体無い、ケチりたい、誰か代わりにやってくれないかな〜、そうだ日本がいるじゃないかって話じゃないですかね?集団的自衛権ってのは。ま、アメリカのパシリであり、ちょっと代わりに行ってボコられてきてくんない?って話でしょう。

 それに戦車GO!の気のいい統失の安倍ちゃんが乗っかってるって構図っすか?で、それを成し遂げるためには支持率を維持しないとならず、そのためには経済が良くなってなければならず、そのためには株価が上がってくれないと困るわけで、それで皆の老後の資金に手を突っ込んでガンガン相場にぶち込んでるって話っすか。コクミンたまんねーよな。

ことのついでの補論

で、世界はおもしれーぞ

 オーストラリアで日常やってますと、日本で話題になってることが、なんかパラレルワールドみたいな、「え?」って感じがする。なんでそんなことが話題になるの?と。

 個人的な直近10kmの日常話でいえば、とにかくヨーロピアンがオーストラリアに来てる。シェアでもタコ部屋シェアといえば、日韓人ばっかというのが通り相場だったんだけど、いまではEU連合みたいなものも増えてます。それだけヨーロッパの若者には職がないんだろうし、ワーホリとか留学って気楽なノリではなく、ガチの移住希望で、世界に活路を見出すって感じ。これは年々そうなっているし、加速度的にそうなってる。

 また、インド系の人が増えましたね。中国人も増えてるけど、インド人の方が遥かに増えている。だらけって感じ。ここ数ヶ月の発見ですけど、英語学校のクラスにインド系がいるという新(珍)事態。なんで新しいかっていうと、インド系で国外に出ていけるような層は、バリバリのエリートか富裕層かです。その両者は往々にして共通するし、彼らアッパークラスはデフォルトで英語が出来る人が多い。公用語の一つでもあるし。それが海外まで出てきて英語を学ぶようになったということは、それだけその下の中間層が充実してきたってことでしょう。だからBRICKSは終わったとかいうけど、それはゴールドマン・サックスちゃんの投資戦略としてはそうだというだけの話で、実体部分ではまだまだ伸びしろあります。むしろこれからだろって感じがする。

 カミさんがやってるセミナーの英語クラスには、オージーのエリート層がよく来るみたいで、例えばソリシター(弁護士&司法書士)の人とか。あるいは、信じられないことにトリプル・ディグリーを持ってる人とか。こっちの大学は超ハードだからシングルでもディグリー(学位)取るのが大変です。ダブルでやる人もたまにいるけど、もうアホみたいに秀才君でしょう。それがトリプルだもんね。昔の日本で三冠王といえば、司法試験と国家上級(いわゆる高級官僚キャリア)と外交官試験に同時に全部受かることだったけど(全部首席合格というスペシャルヴァージョンもある)、そんな感じ。まだ若い女の子なんだけど、マレーシアから来て、永住権も2つ持ってて、シンガポールと香港にも自分のビジネス展開しようと。華僑系なんかな。華僑の人って言語に異常に才能ある人多いし。前に知ってた語学学校のスタッフは、これがまたアイドル歌手みたいな愛らしい顔立ちをしてて、まだ20代中頃くらいにしか見えないんだけど、それでも7カ国語喋れるって言ってた。日本語もはじめましたって、実際、遭う度に上達してる。すげえもんだなって感心した。

 ここで学ぶべきは、これが今の世界のレベルなんだろうねってのが一つ。こういった連中と立ち混じってビジネスボール蹴って遊べるわけだから、そりゃあ面白そうだろって。同時にそういうバリバリの連中がレイキを学ぼうとしているというのが二つ目。もう下らないカテゴリー意識なんか全然ないもんね。役に立つ、面白そうだと思ったら、貪欲にバリバリ咀嚼していこうとする。自分で壁を作らず、あくまで攻めの姿勢。さらに三点目としては、50代で60代で新たに学び始める人が多い。セミナーでもどこでも行ってみたら50代以上ばっかみたいな感じで、それも老後の〜なんてヌルいノリではなく、フレッシュでガチで、ここでも攻めの姿勢。そもそも「守ってる」奴なんかそんなに見ない。

 「守ってない」でいえば、アジア系のそこそこイケてるカフェが増えてきた。これまではアジア系といえば、PHOとかPad Thaiとかそこらへんのエスニック系一辺倒だったけど、最近は、内装もメニューもけっこうオシャレで凝っていて、味もコーヒーもそこそこってのが目につくようになった。僕の住んでいるLane Coveなどというグルメ後進地域ですら、わりとマトモなカフェがあるけど、そこはベトナム人らしきファミリー経営で、内装やケーキ類を見てると普通にニュータウンやバルメイン系なんだけど、スタッフや厨房を見ると普通にアジア系のノリだったりして。アッパーノースのゴードンにもそういう店があったし、クロウズネストにも韓国系かな?おしゃれっぽいケーキ&バゲッド屋が盛況。昨日は同じクロウズネストで、ハンガリーの伝統菓子の店で、やたら沢山あるケーキは100グラムいくらで切り分けて量り売りする面白い店にいったけど、ここもスタッフメインはアジア系。味はイマイチだったけど。パディントンのファイブ・ウェイという白人ヤッピーの総本山みたいな、SONOMAの本店もあるラウンドアバウトの角っちょにあるタイ料理屋が、実は朝から普通のカフェやってて、さっき食べてきたけど、なかなかいける。コーヒーも水準超えてたし、メニューも一歩進んだカフェメニューで面白い。でもスタッフ全員タイ人で。いや〜、アジア系、進化してます。へえ、こんなことやっちゃっていいいんだ?うわー、面白れ〜って感じ。ジャパレスも、完全オージー志向の店は、もう内装とかが笑っちゃうくらい豪華で、これバブルの頃によく見たなってノリ、空間デザイナーとかいたよなーって感じで、ジャパレスと言われなかったらどっかの高級ホテルのバーみたいな。

 こんな環境に日々おってですね、さて世界はどっちにいくんかな、中々大変だけど、でも面白れーことになってるな、なんかウキウキするよねって感じなんですね。で、日本のニュースとか読むと、え?なんでそんなことが議論になるわけ?と頭が一瞬ぶっ飛びます。どこの世界の話なの?って。

マスメディアの存在意義

 あれこれ書きながらも、とある政権があれやこれや画策するのはアリだと思ってます。それが例え虚偽であろうが、詐欺であろうが、ほとんど犯罪行為であろうが何であろうが、上に書いたようにある意味では「それもワザのうち」くらいに思ってます。プロレスみたいに、反則も、場外乱闘も、乱入もワザのうちです。

 別に全面的に肯定支持するわけじゃなくて、批判は批判として火が出るように激しくやればいいとは思いますが、政治とは本質的に権力闘争という部分をもつわけだし、闘争というのは究極的には殺し合いだから、言ってしまえば何でもアリです。実際、政治をめぐって内乱は起きるわ、テロは生じるわ、暗殺はあるわで、インドの歴代首相なんか暗殺されるのも仕事のうちみたいなものでしょう。インディラ、ラジブ、そして首相じゃないけどマハトマのガンジー3人は全員暗殺され、隣のパキスタンでもベナジル・ブット元首相は2007年に暗殺されている。日本だってある。1960年の浅沼稲次郎刺殺が有名だけど直近だってある。天下り会社を追求し、ロシアと統一教会の関係にも言及していた国会の爆弾男石井紘基氏(民主党)は、2002年10月25日に、世田谷区の自宅駐車場で右翼の男に刺殺されているし、長崎市長の伊藤一長氏も2007年に暴力団に銃撃されて死亡、元厚生事務次官の山口剛彦氏は2008年に奥さんとともに自宅で刺殺されている。そんなに珍しい話ではない。昨今では王将の社長が暗殺されているし。

 なんせ、その国その社会における最も苛烈な利害衝突の場であるから、何があっても不思議ではない。「激しい利害対立」とはそういうもので、もともとが血なまぐさいことをやってるいるのだ。その意味でいえば、安倍っちの誤魔化しがごとき、小学生の可愛いイタズラレベルと言えなくもない。いずれにせよ、とりあえずは政治という本来の職領域の出来事であるとは言える。

 ところが、日本のマスメディアのひどさは、これを上回る。本来の職域を超えるというか、自己否定するというか、それこそ異次元でしょう。報道機関やジャーナリズムの本質は、第一に事実の報道であり、第二に公平中立であると思う。第二の点は、社説や社是として特定の政治的意見を述べるのもアリだし、期待されもするから、必ずしも絶対ではない。が、少なくとも「意見」と「事実」は書き分けるのが最低限の条件でしょう。でもって事実の報道とは何かといえば、あることは隠さない、ないことは言わないってことだと思うのだけど、これを特定の意向やフィルターでミスリードさせていたら、それはもう「報道」でもないし、ジャーナリズムでもないし、むしろ「デマ」に近くなる。むろん、真剣にやればやるほど時の権力と対立し、場合によっては生命の危険すら伴うでしょう。また営利法人なのだから、スポンサーの意向によって経済的に潰される危険は常はある。このような緊張関係を構造的に持つゆえに、報道の自由、取材の自由という特権的な地位が与えられ、三権分立に次ぐ第四権力として認められてきた。

 ところがぎっちょん、それやってないじゃん。ある程度は「しゃーないよな」って許容の範囲はあります。そのくらいは分かってますが、しかし、なんぼなんでもひどすぎる。無能や懈怠による不作為というレベルを超え、未必の故意も超え、確定的故意による犯行といってもいいくらい。福田、麻生総理の頃の報道は、単純にイエローペーパー的に劣化しただけという「無能」くらいで済んだけど、鳩山・小沢あたりから、特定の(既得権層の)意向に沿って動いているかに見えるようになり、針小棒大に騒ぐようになったが、安倍ちゃんになってからは茶坊主や幇間レベルの、接待ゴルフの「ナイショ!」レベルになっていき、実際一緒にメシくったりゴルフやったり、タモリ氏の有終の美を汚すような番組編成すらしている。「中韓ダメダメアラ探し新聞」になってる産経は、もうそういう「芸風」だからいいとしても、読売もそうだし、日経も政府や財界の御用新聞に堕している。

 それは延々と書く必要がないくらい、皆さんも御存知でしょう。ちょっと前に便所紙同然と言われたが、いまはもうウンコ紙以下だといってもいい。もちろん全てのマスメディアがダメなわけでもないし、良質な報道も尚あるし、文化欄や芸能欄その他は別に普通にやってるといってもいいでしょう。問題なのは花形と言われる政治部・経済部であり、さらにその上層部ですわ。

 僕も10年前くらいからアホらしくなって読むのを止め、Googleのニュースだけにしてたけど、それすら数年前から読むに値しない、時間の無駄だと思って止めました。こんなの見てたら阿呆になるわと。

マスメディアの使い方

 こんなん書き出したら止まらなくなるけど、いくつか。第一にマスメディアの使い方だけど、かなり能動的にやらないとダメになってると思います。つまり報道されていることを受動的に読むのではなく、「ところで、あれはどうなったの?」という報道されてないこと、なんでアレは報道されないのか?という「不報道」部分も考える。書かれていることを半分として、その倍のフォーマットを自分の頭の中に作り、その空白を自分で埋めていくような作業が必要とされるでしょう。

 実際にやってるのは、ふと気になったトピックをニュースではなく一般検索して、いろんな人のブログや意見を見て、そこから更に派生させて検索かけていくような感じです。これだけ読んでおけば十分なんてものは何処にもないから、必要に応じて四方八方に、当然のことながら海外サイトや英文にも広げて、全体像を構築するような感じ。「いま何が起きているか」というのも、ショートスパンではなく10年スパンくらいに広げて、直近のアレがどうした、コレがどうとかいう、半年もしたら皆が忘れるような話は全部バッサリ切って捨てるといいです。これで80%くらいオミットできるから、スッキリしますよ。むしろ1年前とか昔の報道を改めて読み直し、「これはどうなったんだ?」とやるほうがよく見える。何がモミ消され、何が曖昧にされていったかがわかるから。

 だからなんつーのかな、新聞やニュースを読む、視聴するというよりは、自分が刑事さんになって「捜査をする」くらいの感じでいるといいかも、です。仮説をたてて証拠を集めるという。でもって証拠同士が矛盾してきたら、また仮説を検証するという感じ。で、証拠もちゃんと吟味する。嘘の証言、嘘ではないがニュアンスが違って受け取られてないかとか。

 あーもー面倒くせー!って感じだけど、でも、ある意味その方がいいですよね。昔だって似たような情報操作はやってたんだし、なまじ適当にメディアが優秀っぽく見えたら信じちゃって良くなかった。いまは、全然信じられないから、その意味では却って好都合かも。でもって、クソ面倒くさいから、本当に自分にとって必要なのは何か?生き残るための環境理解のために必要なものはどれか?と考えるようになるから、その意味でも良いとも言える。

自民の変容  共生原理→共食い原理

 第二に、これは特に50代以上の方々に申し上げたいのだが、昔の自民党のイメージは、綺麗さっぱり捨てたほうが良いのではないかと。今の自民党は、名前こそ同じだけど、中身は全然別物でしょう。自民の基礎構造は、小泉郵政改革で、そして今はあの農協すら切り捨てようとしていることから分かるように、従前のような組織構造原理になっていない。もうなんだかよく分からない集団になっている。

 新自由主義が競争原理のゼロサム原理で、誰かが勝つためには誰かが負けなければならないって優勝劣敗の原理だとしたら、昔の自民、昔ながらの日本のムラ社会原理というのは、よく言えば共生原理、悪く言えば談合原理で、皆が潤うためにドカンと富を取ってきて、それを年功序列や信賞必罰原理で分配するという、半共産主義みたいなものでした。田中角栄や、今なおそれをやるムネオちゃんがそうだけど、その過程で賄賂も談合もやりまくるけど、「子分を養う親分」というアジア的・家族主義的な原理はあったと思います。それが封建主義的な古臭さや、理不尽で非合理なシステムの温床にもなり、清新な改革を阻むガンでもあったのだけど、「従う奴は食わせてやる」という原理はあったと思います。

 昔の自民党というのはその原理の体現者であり、あらゆる利権、利害の中央相場みたいなもので、そこであんな話やこんな話が行われ、分け前の分配が行われた。それが日本の政治であり実務であった。いろいろダーティなところもある親分衆だけど、そのあたりの「実務(調整)」能力は抜群に高いから、人間的にはイケ好かない野郎だとしても、まあ、任せておけばいいだろう、そんなに悪いようにはしないだろうって信頼感もあった。

 でも今は違うもんね。子分を食わせる気はないし、共生原理ではなくゼロサム原理になってきている。後付の理屈で言えば、共生や談合が出来たのは国富が拡張する時期だったからこそで、上の連中が濡れ手に粟で大儲けしつつも、下の連中にもボーナスを大盤振る舞いすることが出来たし、金で黙らせることも出来た。でも、今のように国富の縮小期になったら、子分の食い物を親分が奪うような話になってくる。つまり共生原理ではなく、「共食い原理」であり、ゼロサムであり、カニバリズムでもある。

 あの古臭い自民党がなんで新自由主義とこんなに親和性があるのだろう?なんでTPPなんて自民の本質に相反するようなことをやろうとするのだろう?という根本的疑問は、多分、この組織原理の変容によってある程度説明できるような気がします。ま、言い出すと長くなるので、今日のところは、昔の自民のままだと思うと外すんじゃないですかね?ってことを述べるにとどめます。

 ま、自民に限らず、誰かに何かをやってもらおう、やってくれるだろうと待ってる人から順番に食われていくという、あるいは下手に目立ったらターゲットにされるというイジメの横行するクラスみたいな、結構恐い社会になっていて、それが何となく皮膚感覚でわかるから、怖くて迂闊にものも言えないって感じじゃないですかね。ま、国富の縮小期ってのはそんなもんかもしれません。

じゃどうすんの? 我慢と安定→不安と自由

 で、どうすんの?といえば、原理がわかれば、あとは簡単っしょ?
 時代が変わるときというのはチャンスの宝庫でもあるんだし、ワクワクしてればいいんですわ。ははー、面白いことになってきやがったぜって。

 例えば、不安と不満は二項対立で、大企業に入っていれば不安はないけど束縛される不満(我慢)はある、独立してやれば不満(我慢)はないけど不安はある。今は不満から不安にシフトしているんだから、プラス価値観を安心から自由にシフトさせてやればいいわけじゃん。てことは、「自由」をより十全に使いこなせる奴の勝ちゲームってことなんかね?って。わかりにくい?だからー、これまでって、安心・安定という価値をゲットするための代償として自由を犠牲にしていた、不満を持ちつつ我慢することで成り立ってきた。子分になって親分のいうことを聞いていればメシは食わせてもらえた。無茶言われて煮え湯飲まされても、ひたすら忍の一字で我慢することが処世訓だった。違いますか?でも、それら多大な犠牲を払って得られた安心や安定が蜃気楼のように霞んできたら、こりゃあ戦略変えなければ嘘でしょうが。

 じゃあどう変えるの?といえば二つ。強化ヴァージョンと、反対ヴァージョンですわ。強化っつーのは、これまで程度の忠勤では切られるかもしれないから、これまで以上に忠勤に励む。もう「すがりつく」「ナリフリ構わずしがみつく」って戦略です。それはもう安倍っちのアメリカすがりつきやら、東電や原発村の方々や、モミーや、みんなの党のナベちゃんがお手本を示して下さっているじゃないですか。あの路線ね。だんだん宗教がかってきて「信心が足りない」と怒られたりして、食べて応援しろと、日本は神国だからカミカゼが吹くんだと。でもってここでも二つに別れて、ロクデナシの男と中々別れられない薄幸な女性パターンと(信じられないけど信じたい)、もう開き直って全然信じてないけど、信じているフリする派と。

 反対ヴァージョンは、安心を得るために我慢してたけど、安心を得られないなら我慢する必要もないよねって割り切ってサバサバする方向。どっち転んでも安心を得られないなら、もうしゃーないやんけと割り切る。その代わり、我慢をしなくても良い、これまで諦めて犠牲にしていた自由を奪回できるわけで、その自由性を基軸に組み立て直すということです。自由=不安定=不安で、同じことなんだと。大空を自由に飛べるということは、いつ墜落して死ぬかもしれないということでもある。その場合に自由に羽ばたける快感にフォーカスするか、墜落不安にフォーカスするかで、見え方は天国地獄に変わる。また、自由とは本質的に能動的でないと意味がなく、これまでのような受動的で、指示待ち・お手本待ち・マニュアル探し・皆は?と周囲を窺うという方法論は全く通用しない。前例を探すのではなく、前例があったらもうダメだ、今更遅いくらいに思えと。これをどれだけ徹底的に、それこそOSレベル、セントラルドグマの書き変えレベルに変えられるかです。ま、最初っからそんな書き換えの必要がないタイプの人は、自由度が高まってきている分楽しいでしょう。書き換えに難儀している人は、そのマインドセットとメンタルコントロール技術がキモになるでしょうね〜。

 えらく長くなったので、もうこのへんにします。



 
文責:田村



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