?c?C?[?g


今週の1枚(10.06.28)




写真をクリックすると大画面になります



Essay 469 : 日豪支持率事情〜民主主義のかったるさ



 写真は、Paddingtonのギャラリー。冬の柔らかい陽射しと、窓に映りこんだテラスハウスがなかなか良い感じなので。ちなみに展示されている写真は、イタリアのシシリーを写したものらしく、お値段は一枚700ドル強でした。


日豪同時上映  支持率低下&選挙近し=首相交代


 今週はちょっと政治的なハードな話題です。
 ご存知の方もいると思いますが、オーストラリアでは先週、史上初の女性首相が誕生しました。ジュリア・ギラード首相で、この人は切れ者で通っており、「いつかは、、」と思ってましたが、時流に乗ったのでしょうか、案外と早く首相になってしまいました。

 今、オーストラリアは女性政治家が多く、連邦首相のギラードの他、NSW州知事もクリスティーナ・ケネリーという女性です(もっとも操り人形に過ぎないという批判も強いが)。GGと称されるガバーナー・ゼネラル(憲法上の元首であるイギリス女王のオーストラリアにおける代理人、日本における天皇のように儀礼的な名誉職)もクェンティン・ブライスも女性。ちなみに、シドニー市長もクローバー・ムーアという女性です。

 このように女性が進出してくるのは喜ばしいのですが、今回の問題はそうではなく、なんで現職のケビン・ラッド首相が任期途中でバトンタッチを余儀なくされたのか?です。一言でいえば支持率の低迷。そして近々選挙を控えているので、この支持率ではどうしようもないということで、リーダーの座をフレッシュなナンバー2であるギラード副首相に譲ったという。これって、日本の鳩山首相が辞任したのとそっくりの経緯ですね。支持率低下&選挙が近いということで首相降板という。一方、対抗馬の野党側のリーダーが魅力溢れて輝いているか?というと別にそんなこともないし、支持率が急降下するほど極端な失政があったのか?というと、大きな目で見れば別にそんなこともないのは一緒です。

 日豪それぞれの「看板のすげ替え」は、選挙戦略として考えれば順当なところなんだろうけど、なんか釈然としないのですね。いや、リーダーという顔をすげ替えると戦略のあざとさに対してではなく、こんなところで下がっている支持率、そしてすげ替えで他愛もなく上がってしまう支持率、つまりは民衆の支持率といういい加減なものに対して釈然としないのです。なんなの、それ?という。ひいていえば民主主義という制度に対する「ため息」にも繋がります。

なぜ支持率が下がるのか?

 新政権の最初のころは、いわゆる「ハネムーン」と呼ばれる新政権賛美のマスコミ論調になり、総じて「温かく見守る」かのような世論の流れになりますが、時が経過とともにそれも段々薄れて批判的な言論が目立つようになる。それはそれでいいです。ただし、最近はそれが行きすぎてないか?という気もするのですね。昔が良かったかどうかはよく調べてないので確定的なことも言えませんし、単なる気のせいなのかもしれないのですが、僕の個人的な感想でいえば、適正に批判的というレベルを超えて、ほとんど「ないものねだり」の域に近づき、首相が右を向いたと言えば右傾向を批判し、左を向いたといえば左傾向を批判し、中道を保っていれば何もしない、意思が見えないと言って批判するという。責任を取って辞任しろと言いつつ、本当に辞任したら政権を投げ出して無責任だと批判するという。こうなると批判のための批判というか、「どないせえっちゅーんじゃ」みたいな感じ。

 ここまで書いて思い出したのですが、僕は昔に小泉政権の支持率が下がったときにも似たようなことを書いてます。2002年3月11日付けのエッセイ44番の「なぜ下がる小泉内閣支持率」です。あの頃は丁度田中真紀子外相について、マスコミが散々持ち上げたあと、地面に落としてクソミソにこき下ろしてた時期です。何で手の平を返したようにボロクソに言うのかと不思議に思い、当時の政策の進捗状況を国会や委員会議事録まで調べて検証したところ、別に小泉首相の政策がブレているわけでもなく、首相になる前に長年言ってたことを首相になってからやってるだけではないかと。結局、郵政民営化を含む構造改革を進め、「自民党をぶち壊す」といって、本当にぶち壊してしまっているのだから、歴代マレに見る言行一致の総理大臣だったようにも思います。

 もちろん小泉政権の負の遺産はありますけど、それは構造改革をすれば当然出てくることでもあります。批判は批判として当然になすべきだけど、これといった対案をも示さずイチから十まで全部ダメと批判するのは批判の体をなしておらず、ただの悪口でしかない。そもそも構造改革に対する期待によって小泉さんが首相に選ばれたのだから、構造改革が不徹底であるという批判はありうるけど、構造改革をしたという批判は筋違いでしょう。閉塞した日本をぶち壊すためにドラスティックな自由化という構造改革をしてもらいたかったのだけど、いざ本気でやり始めたら自分の職が危なくなってきたから急にビビって反対するという感じなのか。だとしたら、迷走しているのは世論であり、その世論を代表だか、誘導だか、でっち上げだかをしているマスコミではないかと思われます。これは今だにそう思う。結局、今民主党が事業仕分けなどでやろうとしていたのは、小泉改革の延長線上にあるものでしょう。もっといえば行政機構や社会システムの定期的なシェイプアップや新陳代謝は、誰が首相になろうともやらねばならないことでしょう。それは、誰と結婚しようが離婚しようが、それと関係なく毎日の歯磨きはするようなものです。

日本の事情

 鳩山短命政権についても、僕が見る限り何一つサプライズはなく、全ては想定の範囲内の出来事が起きていただけでしょう。どれもこれも選挙前から分っていたことばかりではないかと。

 経緯を振り返ると、もともと民主党は小沢党首の筈でした。それが献金疑惑によって東京地検特捜部が動いたため、選挙用に鳩山氏にリーダーの交替が起きたわけですよね。

 ここで昨今の日本の検察庁の動きが検証されねばなりません。佐藤優氏が著作で述べているように「国策捜査」に走っているという現実がある。検察が天下国家の計にのっとって動くのは是か非かという議論はあるでしょうが、非とするならば端的に「権力の犬」的な動きになりうるという点でしょう。外務省の内紛によって鈴木宗男議員や佐藤氏は検挙し、後日、ホリエモンや村上ファンドをシャカリキになって潰した。要するに出る杭を打ってるだけはないか。日本の検察庁の動きについて僕個人は司法の持ち場を外れるものとしてかなり批判的ですし(彼らの有罪判決そのものについても批判的)、政権交代が予想される選挙前に野党党首を汚職で捜査するというのもタイムリーすぎるという疑惑はあります。結局、公的に立件できなかったわけですが(検察審査会の再々議決はありうるが)、いやしくもあの特捜部が動いて立件できないということは、最初から結構無理スジだったのではないかという気もします。

 ま、それはともかく、選挙の神様・田中角栄直系の弟子である小沢一郎氏が民主党を表も裏も仕切っていたというのが、一番最初の分りやすい図式でありました。それが疑惑云々で鳩山看板に急遽すげかえられ、選挙に臨み、政権交代が起きた。だから、選挙前に全てのカードは目の前に出されているでしょう。民主党が実力と看板という権力の二重構造にならざるを得ないという事情も、そして自前の権力基盤の薄弱さゆえに鳩山首相が右往左往せざるを得なくなることも、ちょっと頭を使えば全部事前に予想できたことでしょう。こんなもん全然サプライズじゃない。

 経済政策についていえば、未曾有の世界経済危機+日本の人口減と高齢化+グローバリゼーションにおける日本の地盤沈下という三重苦を背負ってる現状においては、神様でもない限り誰がやっても困難なことは見えています。そもそも今の日本国の最大の問題点は何よりも「国庫に金がない」という財政事情なのだし、それが潜在懸念となって日本国債の将来的暴落すらも囁かれている昨今、なすべきことは財政再建しかない。しかし、言うまでもなく景気対策と財政再建は真逆の方向を向いているので、それを同時に達成するのは「息を吸いながら吐け」というような絶対矛盾でもある。大規模景気刺激策→景気回復→税収自然増という美しいシナリオを叫ばれてはいるけど、これまでそれをやってきて破産同然になっているわけだし、内需刺激でどうにかなる問題なのかという疑問もあり、容易に踏み切れないのは僕でも分る。しかし、政府としては何かやらなきゃいけない。要するに「あちらを立てればこちらが立たず」という政治の典型局面であって、従来の玄人的な政治家の手腕とは、いかにどちらも果しているかのように”見せる”かというマジシャン的技術だったりもします。

 これに加えて子供手当などのいわゆるバラマキ批判にしても、少子化対策が必要だという皆の声あってのことだし、各機関にバラ撒いて利権が発生したり、誰かにポッケナイナイされるよりは直接家庭にバラまいた方がまだしもマシだとも言えます。というか、これだって財政再建という目的からしたら相反するものです。だから、老獪な政治家のように選挙前にはバラ色公約を並べて、受かったらニコニコしながらシカトするという方法をとれば良かったのに、根が真面目というか、ナイーブというか、素人臭いというか、そういう民主党集団だったから、必要以上にマニフェストやら公約達成にこだわってしまって自重自縛になる。これだって、「まあ、そうなるだろうなあ」ってのは見えていたでしょ。

 事業仕分けにしても、やれ政治ショーだの、不徹底だの、やり過ぎだの(どっちなんだ)批判はあれこれありますけど、その政治ショーすらやらなかったこれまでの政権に比べたら一歩も二歩も進んでいると言えます。実際、日本の公費天国はヒドいものがあると思いますもんね。それに同調して利権という甘い汁を吸うのではなく、そこにメスを入れるのがまさに望まれていた政治であり、それをギクシャクはしながらもやってるわけでしょ。

 直接的なトドメになった普天間基地問題でも、日米関係という何十年にもわたる親分子分関係を前進させようというのだから、難しくて当たり前。というか、最初から無理目だったのは国民的にも暗黙の了解だったのではないのか。大体、なんで今更沖縄の基地のことが政局の焦点になるのかという疑問もあります。僕にはよく分らんのですが、なんでなの?近未来に戦争でも起きそうなの?僕個人の意見としては、これまで米軍基地は沖縄、原発は福井県みたいに、面倒なことやアブナイことは全部地方におしつけて、知らんぷりしてヌクヌクしているという日本社会のマジョリティのアンフェアな冷淡さに対して一石を投じたという点で評価をしたいです。ずっと前に沖縄の女子小学生が米兵3人にレイプされたとき日本国民は激怒したけど、喉元過ぎれば熱さを忘れてきたじゃん。国民内部の不公正を是正するのは大事な仕事だと思いますよ。

 想定内でいえば、田中直系の小沢一郎が金権的体質を持ってないわけがないし、そういう泥臭い古い日本社会の体質に通暁している人間が全然いないような政党なんか、やっぱりヤバいんじゃないでしょうか。青臭い理想だけでは物事動かないというのは、日本人なら誰でも知ってるし、それはもうサークルの運営ひとつ、忘年会の会場ひとつ取っても、泥臭くて古くさいイトナミが必要だったりします(うるさ型の先輩の承諾を事前にとって根回しをするとか)。それに一皮めくれば魑魅魍魎の日本社会のなかで、数十億円程度の集金能力すらないような人物の「政治力」なんか本当の意味ではアテにならないという意見もあるでしょう。それにヤクザや総会屋などのアンダーグラウンドに対しても一睨みで黙らせるだけの「力」なくして日本社会は動かないという指摘もあるでしょう。清濁合わせて呑むといいますが、濁にも強くなければ実行は出来ないという。

 でもそんなことは前々から分ってたことで、金権だの汚職だの何を今さらのように驚いたり、批判してるのだ?という気もするのですよね。それに汚職だなんだといっても、見た感じでは一昔前に比べたらかなりクリーンになってるし、大体が秘書の給与だの税法上の処理だのチマチマした重箱の隅を突くような、はっきり言ってどーでもいいような事を大袈裟に言い過ぎているような気がします。そんなさ、自分だって会社の出張費誤魔化したり、小学校の頃からお母さんに給食費や何やらを水増し請求して、差額で買い食いしてきたりしてるんだから、他人様のことを言えるかっつーの。またどーでもいいような小さな経歴詐称で大騒ぎをして議員辞職みたいな話になったりしますが、詐称でいえば、誰だって体重とかスリーサイズを詐称してたりするでしょうが。

 かといって別に汚職が良いとか強弁しているわけではないですよ。問題は、そういった形式的には違法なことが、どれだけ実質的に害悪を垂れ流すかでしょ。現実問題、数億規模の資金がなかったら日本では選挙活動すら出来ないし、それだってアメリカの大統領選挙のケタ外れの巨額ぶり(ヒラリー、オバマで70億円、ブッシュにいたっては300億円)からすればまだしも可愛いものです。あちこちから政治献金やらパーティで資金集めをやっているわけで、その数百数千という数で流れ込んでくる金の流れのどれかが帳簿上適正処理されなかったといって、それがどうしたって気もするのですよ。問題はそういった不正な金の流れが、業界の慣行を変えてしまったり、社会の倫理観を変えてしまったりという悪影響を及ぼす、そういう実害が具体的にどの程度あったのかであり、その実害をこそ問題にすべきでしょう。

 小沢疑惑にしたって、政治資金規制法違反(帳簿上の処理)という形式ではなく、どういう実質的な「悪いこと」がなされたかが問われるべきだけど、要するにアレでしょ、選挙地盤の東北+建設土建業+献金+談合という、日本の何処に行ってもある地方経済の風景じゃないんですか。公共工事の発注を巡って、JVなど参加メンバー各位があの手この手で画策し、入札やら談合やらが行われ、どっかの「実力者」が「口きき」するとかしないとか。そうなってない日本の地方があったら教えていただきたいくらいありふれた光景であり、日本でビジネスマンやってて「初めて知った」なんて奴はいないでしょう。むしろ「初めて知った」なんて言ってる奴に選挙権をあげていいのか?という疑問が湧くくらいで。別にそれがイイコトだと言うつもりはないけど、問題は個々の誰かの動きというよりは、トータルとしてそういうシステムになってしまっている状況、その構造の改革こそが問題でしょう。幸か不幸か今は国庫がカラだから、以前のように、景気対策=赤字国債乱発+公共投資→利権と汚職という図式が全体にしょぼくなってるといいます。また、ヤミ献金だけを言えば、最初から帳簿になんか載せないで、議員会館のトイレの個室に現金の入った紙バッグを「置き忘れ」、1分後に入ってきた人物が「偶然拾った」だけでも出来ちゃうんだから。

 もちろんそういう不正な社会慣行に対する批判は激しくなされるべきであり、システム的な整備は怠ってはならないでしょう。だけど、駐車違反のように誰でもやりがちな一般的な事柄で個々的に検挙される場合、「運が良いか/悪いか」だけの問題になりがちだし、それが一般の受け止め方でしょう。誰でもやってるんだけど、たまたまAさんが見つかったら、そのAさんは運が悪いと。脱税でも、CDの違法コピーでも、検挙されたら「運が悪い」と。これは子供の頃からそう思っているのですが、殆ど誰でもやってるような、半ば常識と化しているような違法行為が検挙され、その運の悪い人間を皆で寄ってたかって叩くというのは、メチャクチャ偽善じゃないのか?と。さらに、検挙する側が何らかの意図のもと、気にくわない奴だけ狙い打ちして検挙をするようなことがあれば、それは「権力の恣意的な濫用」というもっともっと悪いことです。

 ということで、この小沢問題はある意味ではとても興味深く、日本社会のいろいろな問題点が複雑に入り混じっています。談合を初めとする地方経済のありかた、政治家の関与や影響力、そもそも政治に金がかかる現実、検察という公権力の行使の適正さ、今更のようにわざとらしく驚くマスコミ、それに釣られて上がったり下がったりしている支持率、、、もう論点がてんこ盛りです。しかし、どれ一つとってもサプライズはないよね。ここで僕が言いたいのは、そんなことは選挙前から分ってたことであるにも関わらず、選挙後に支持率が上がったり下がったりしていることです。


 総じて言えば、民主党のダメさ加減というのは、従来の自民党的ではない部分、非自民的な素人臭さというか、馬鹿正直さというか、ギコチなさ、タヌキ度の低さというか、そういう部分だと思います。これ、全盛期の自民党だったらキレイにクリアしてたと思います。そもそも国民もそんなに期待してなかったしね。なんとなく現状維持できてたらそれで良かったし、上り調子や全盛期の日本だったらそれで良かった。何か問題が起きても、永田町的な派閥抗争をドラマチックに演じたりして、政策よりも政局という具合に巧妙に争点をはぐらかしてきたんじゃないでしょうか。いけしゃあしゃあと知らんぷりしたり、わざとらしく壇上で土下座したり、感極まって号泣したり、そのあたりはお手の物でしょう。そのへんのタヌキ芸が民主党には出来ない。出来ないことがイイコトなのか悪いことなのかといえば、「老獪な政治屋オヤジから清新な市民の手に政治を奪回する」という意味ではイイコトなんだとは思うんだけど、でも、「もうちょっとキレイに騙して欲しいな」という国民の声もあるのではなかろうか。僕も多少はそう思う。もうちょっと”悪く”てもいいよと。

 というわけで、別にサプライズなんか全然ないではないか。大体において想定通りに物事が進んでいて、このギクシャクをどうこなしていけるか、どう政治集団として成長していけるかを数年かけて見ていけばいいって感じだと思ってました。政党内の権力構造が二重になってるとか、政策ごとによって内部対立があるのは、むしろ健康な政党としては当然のことであって、国民各層の広範な意見を集約すればどうしてもそうなるし、なんでもかんでも一色に染め上げるようなファシスト的な政党が良いとも思いません。

 にも関わらず支持率が乱上下、というか急降下しているわけで、特にサプライズもないくせに、なんで?と思うわけです。あの程度のことで「期待を裏切られた」とか本気で思っているのか?と。そのくらい事前に予想してなかったのか、そんなに無邪気にハイレベルの期待をしてたのか?本当に?って。なんか見てると、民主党に対する批判は、素人的なドン臭さに対する批判部分と、小沢一郎に代表される玄人的な部分に対する批判とに分かれてて、批判自体もかなり迷走しています。なんというか、本音の建て前のギャップが激しいのは、政治家側ではなくむしろマスコミや世論側に強いような気がしますね。


オーストラリアの事情


 オーストラリアのケビンラッド政権も、直近には支持率が急降下していました。しかし、これもなんでそこまで急降下しなきゃいけないのか、僕には腑に落ちない。

 ラッド政権は、その前のハワード長期政権に比べたらかなり画期的な政策を立案し、実際にも実行してきました。アボリジニやストールンジェネレーションに対する正式な言及、さらに地球温暖化の京都議定書の承諾など、オーストラリアが長いこと頬被りしてきた懸案事項を就任するや立て続けに実行しています。世界経済危機への対応策も見事で、オーストラリアは先進国中もっとも影響の少ない国になってます。

 支持率急落の直接の引き金になったのは、結局は温暖化対策ということでガス排出権取引制度が議会で通らなかったこと、さらに資源業界に対する超過税制が業界の猛反発を食らったことです。しかし、温暖化対策というのは「総論賛成・各論反対」の典型的な分野であり、誰でも総論は賛成するけど、いざ電気料金の値上げとか自分のフトコロが痛むとなると消極的になるというエリアです。これをクソ真面目に推進すれば人気が無くなるのは、いわば当然のこと。資源税も、増税すれば人気がなくなるという、いわば典型的なことで、それほどの「失政」という気もしません。

 結局、何が問題なのか僕にはよく分らず、おそらくは「賞味期限が切れた」というあたりが順当なところでしょう。その証拠に、これまでの副首相のギラードが地位を禅譲されて首相になったら支持率はV字回復しています。これまでの政権のナンバー2が首相になっても政策それ自体にそう違いはないでしょうから、「顔が変わったら新鮮味が出た」というだけのことではないかと。だとしたら、非常にくだらない話だなと。

 この賞味期限説は、日本の場合も同じで菅首相になっただけで支持率が回復しているのだから、単純というか、「嘘?」って感じですらあります。だって、民主党が本来もっている問題点は大して改善されているわけではないでしょうに。


民主主義というかったるいシステム


 まあ、こういう支持率の上下動は、政治ショーにつきものの茶番であって、いちいちマトモに問題視するのは大人げないことなのかもしれません。

 しかし、特に失政らしい失政もなく、あるいは失政はあるとしてもそんなもん当初から見えていた範囲におさまっているにも関わらず、こうも支持率が変動するのはいかがなものかという気がするのですよ。それよりも、その支持率によって、そういった政権が倒れ、政策の継続性が分断されるとか、実行が遅れるとかいうことになったら、結局一番割を食うのが国民だ思うのですね。それでええんか?と。賞味期限が切れたなんて冗談めかして書いてますけどね、そんな「飽きた」とか「新鮮味がある」という愚劣な理由で一国の政治があっちゃこっちゃいっていいんか、そんなことして遊んでる余裕なんかあるんかい?という。


 ここで思ったのが、ああ、民主主義っていいんだけど、かったるいよなってことです。

 過去にも何度か書いてますけど、民主主義という政治システムは、万歳!とかいって絶賛するよなものではなく、「ま、しゃーないか」と舌打ちするような感じで採用するシステムだということです。民主主義は決して理想の政治形態ではなく、いわば「最も被害が少ない」「他にもっとマシなシステムを思いつかない」からスタンダードになってるだけです。代表的な欠点としてはメチャクチャ効率が悪いことです。しかし、その欠点が同時に最大の長所にもなっている。

 効率が悪いというのはこういうことです。今ここに、その国の将来を考えれば絶対にやっておかねばならない政策があるとします。早く着手すればするほど、少ない費用で効果倍増、だから一刻も早くやるべきであると。しかしその種の政策というのは長期的な展望に立っているだけに、庶民的にはピンと来ない。むしろ日常的には生活が不便になったり苦しくなったりするから反発する。だから民意に基づく民主主義では国民の支持が得られず、なかなか政策が実行されない。そして、誰の目にも明らかにヤバくなってから、ようやくその政策の有効性が浸透し、いよいよ実行されることになるけど、その時点ではもう莫大に費用がかかってしまうことになるし、手遅れという事態もある。そして、それすら実行されないということもあります。少数派になりつつも、旧来体制で利権を持っていた実力者達があの手この手の政策の実行を阻害し、汚職などのスキャンダルを起こしてグチャグチャにしようとする、また目先の話題に飛びつくマスコミや国民がまんまとその手に乗って政局が混乱したりして益々実行が遅れる。かくして、どんどん手遅れになっていく。もう、まどろっこしくてしょーがないという。

 例えば、日本の明治維新や戦後の改革があります。明治維新なんて士農工商を廃止したり、もうメチャクチャ革命的なことをやってるわけですが、あれを民主主義でやってたらまず無理なんじゃないかって気もしますね。暴力革命によって政権を得た薩長独裁政権だからこそ、強引に力づくでも推進できたのでしょう。逆らう奴は叩き殺すくらいの勢いでやってますから。戦後の財閥解体や農地解放なんかも、民主主義でやってたら到底無理でしょう。神様同然のGHQだからこそ出来たといわれます。

 というわけで、先進的な政策を効率よくやろうとすれば、絶対に独裁政権の方が向いてます。秦の始皇帝が万里の長城を作ったように、逆らう奴は一族郎党皆殺しという絶対的な恐怖政権を持ってるからこそ、そんなことが出来る。世界大戦後、植民地上がりの新興国が日本の明治維新みたいなことをやろうとしますが、強力な中央集権で一気にコトを進めなければならないから、いわゆる開発独裁になったり、あるいはファッショ的な共産主義になったりします。皆で仲良くやってたら中々ラチが開かないという。

 かくして民主主義というのは非常に効率が悪く、かったるいものですが、かったるいからこそ最大の長所にもなります。独裁制は、それが善政だったらメチャクチャ効率がいいですから良いのですが、一旦悪政に振れたらストッパーがないから、もうどうしようもない。内部抗争やクーデター、あるいは革命でも起きない限り止まらない。革命なんかそうそうしょっちゅう起きるものではないですし、内乱はそれ自体が不幸です。その点、民主主義は、万事にわたってグズだから、悪政になっても遅々として進まない。いわばガンの進行が遅い。それに、なんぼなんでも、これは溜まらんということになれば、自然に選挙によって政権が交代する。

 かくして民主主義とは、良い政治を効率的に推進するシステムではなく、むしろ独裁体制防止システムであり、政治暴走をとめるセーフティシステムだということです。もともとがブレーキとして開発されたものなので、アクセルとしては機能しにくいのですね。まあ、人間なんか賢そうにみえてアホだったりしますから、幾らそのときに「良い」と思えることでも、時代が下って後から見たら全員で大ボケかましていたということも良くあるわけです。だから、アホにはアクセルよりもブレーキの方が相応しいということでしょうね。

 とまあ、わかってるんですけどねー。民主主義がかったるいシステムだということは百も承知している筈なのですが、それでも「ああ」とため息出てきてしまうのでした。

 だけど、最後まで吹っ切れない疑問は、この乱上下している「支持率」とやらですけど、これって本当に民意を反映しているの?と。なんかTVの視聴率と同じで、ある程度は反映しているのだろうけど、それほどのモンなの?という。平均的な日本人って、もっと普通に賢いと思うんだけど、どういう調査でどういう統計を出しているのかしらね。

 それにこの支持率って、最近やたら頻繁に出てきませんか?気のせいかなあ。その昔は、半年に一度とかそのくらいの頻度で、それほど大仰に扱っていなかったような記憶があるのですが。これはオーストラリアのメディアでも同じで、やたら支持率やら国民の意見の統計が新聞の一面を賑わせています。うがった見方をすれば、最近、マスコミの記事の作り方が雑になったのでしょうか。支持率報道なんか、統計結果を右から左に報告して、円グラフでもつけて見やすくすれば一丁上がりですからね。一面記事の作り方としては安直なものでしょう。それに頼りすぎてないか。センセーショナルになりすぎてないかと。

 大体良薬口に苦しですから、国家にとって本当に必要な政策(増税とか)をするときは、決まって支持率が下がるものです。重大な決断をするときも同じ。問題を先送りにしないで、意欲的に取り組む政権であればあるほど、短期的には支持率が下がります。当たり前じゃん。また難しいことに取り組んで、それでダメだったとしても、取り組まないで先送りにするよりはよっぽどマシですよ。それで政策が迷走したように見えようとも、それだけ難しいことやってるんだから当然ではないか。鳩山政権の米軍基地問題、ラッド政権の温暖化政策など、従来の政権が避けていた難しい問題に取り組んで玉砕しているわけですが、それがダメだったからその政権がダメってことにはならないんじゃないかな。それがダメなら、結局難しいことにはチャレンジしないで、見て見ぬふりをする小市民政権だけが得をすることになりますよね。それでええんか?と。

 難しいことに挑戦したり、短期的には不人気になるに決まっている政策をやってる横で、毎月のように支持率報道をして、やれ下がったとか、やれダメだと大合唱したら、出来るものも出来なくなっちゃう。それっていいのか?と。政治環境として好ましいのかというと僕は疑問です。これは政府の肩を持つとかいうことではなくて、チンタラかったるく物事が進み、そのツケはぜーんぶ僕らに跳ね返ってくるからです。

 ここまで書いて、なんか日豪に共通する(ということは世界的にも進行しているかもしれない)特徴がぼんやり見えてきたような気もします。メモ書き的に書き殴っておけば、@チャレンジ精神の衰退、難しいことをやろうとしなくなった、Aじっくり腰を据えて成り行きを見守るという精神的キャパが乏しくなり、性急に結果を求めようとし、ちょっとダメだったらもうダメだと決めつける、Bやたら他罰的というか気楽に他者批判をするようになった、、、これって世界的な傾向だとしたら、日本だけではなく人類が劣化してるのかしらね。劣化というより、何なんだろう、、人間がこういう精神パターンに陥る環境というのは、、世界的に「希望」の総量が減ってきてるのかな。



文責:田村






★→「今週の一枚ESSAY」バックナンバー
★→APLaCのトップに戻る