今週の1枚(02.03.11)
雑文/ なぜ下がる?小泉内閣支持率
ふと朝日新聞のサイトを開くと、小泉内閣の支持率が2月に引き続き3月も下がってきているようです。
ここで、素朴な疑問。なんで支持率が下がるのですか?
日本はとんとご無沙汰なのでリアルな皮膚感覚は分からないので、もしかしたら新聞報道と実際の空気は違うのかもしれませんが(そういう場合って結構あるし)、 でも、まあ、以前にも増して支持率が上がってるということはないのでありましょう。
報道によると、田中真紀子外相更迭と鈴木宗男氏への疑惑、さらに景気対策への不満が大きいようです。だから素朴な疑問になるのですが、こんなもんどれも不支持の理由になんかならんちゃうの?と。
小泉さんがなんで首相になったのか、皆さん彼に何を期待していたのかといえば、日本という行き詰まったシステムの「壊し屋」だからじゃないんですか。構造改革というけど、スクラップ&ビルドで、まずは壊す、それも「叩き壊す」というくらいドラスティックな改革が必要だというのが大方のコンセンサスではなかったのか。皆に調子のいいことを言って、なんだかんだで引き延ばして現状維持を続けた結果、ニッチもサッチも状態になってるという共通認識があったからこそ、もうそういう路線ではなく、非日本的な異端児を望んだのではなかったか。
その意味でいえば、外相の人気がいかに高かったとはいえ、そんなのは所詮スタッフ内部の人事話に過ぎない。鈴木ナンタラなんてのも、そこらへんに幾らでも転がってる利権オヤジみたいなもので今更何ら目新しいことでもない。外務省改革とかいうけど、日本全体のシステムからすれば外務省が司ってるエリアなんか微々たるものだし、これまた枝葉末節。
景気対策といっても、とりあえずぶっ壊すんだから景気なんか悪くなって当たり前ではないのか。それを覚悟していたのではないのか。大体景気対策が不満っていうけど、何をしたらいいわけ?またぞろ対症療法的に公共事業を大規模に復活して、砂地に水をばら撒くようなことをしろってわけですか。
小泉さんが首相になった経緯と期待それに基づく「権限」、英語でいえばマンデイト(mandate)は何かといえば、速やかに、効率よく、後々のために「壊す」そして「新規に作り上げる」ということでしょう。いわゆる「聖域なき構造改革」。だから、支持率が下がるとしたら、壊し方が足りないとか、効率が悪いとか、壊す場所が間違ってるとか、「聖域」が残ってるとかそういう理由であるべきでしょう。
ところが、新聞の一面レベルでざっと見てる分には、今どのくらい構造改革が進んでいて、どうなっているのかという記事が少ない。あまりにも少なすぎるんじゃないか?と疑問になるくらい。あの、小泉さんは首相になってから、いわゆる構造改革のうち、何をやろうとしていて、すでに何をやったのか、言える人ってどのくらいいますか?そもそも構造改革って具体的に何をするのか、打てば響くようにスラスラ言える人ってどれだけいますか。本当だったら、新聞に改革の各分野ごとに「達成率○%」とかグラフにして分かり易く毎日発表して欲しいくらいです。勿論、そんな簡単にグラフ化できるものでもないだろうし、○%が主観的に過ぎるのは百も承知ですが、言わんとするのはメインの目的がそれなんだから、常にそれがわかるように出来ないものか?ということです。
いやしくもリーダーの資質や実績を問うのが支持率であるならば、まず「この人は何をやりたいのか?」を明確に把握し、次に「それはどのくらい出来ているのか?」を客観的に押え、その上で「どう評価するのか?」という段階を経て、最終的に支持/不支持が決まるというのが、理性的な思考経路、、、というのも愚かしいくらい、クソあったり前のことではないのか?なんで、このクソ当たり前の情報が、こうも分かりにくいのか。
僕自身、これまであまり注意して見ていなかったせいもあって、「ところで構造改革って、今どうなってんの?」と疑問に思いました。で、ちょっとインターネットで調べてみました。「小泉内閣」で検索かけてみたら、サイト自体は死ぬほど出てくるのだけど、30〜40くらいのサイトを廻ってみた印象では、これほどメインな論点でありながら、統合的に分かり易く書いてあるサイトは少ない。というか殆どない。「純ちゃん、ガンバレ!」はいいんだけどさ〜って感じ。評論らしきものでも論点がミクロ過ぎたり、言ってみれば枝葉末節なものが目立ちました。
それでも頑張って捜していくとあるもので、特殊法人監視機構ホームページ http://www6.xdsl.ne.jp/~nomura/というのがありました。ざっと見た限りでは、何故、特殊法人が日本の再生のために問題になるのかという基本が分かる、非常に力のはいったページだと思います。
とりあえず一般的なところでは、新聞サイトで構造改革をメインにした特集ページ。朝日新聞だったらhttp://www.asahi.com/politics/reform/index.html
あたりですか。
朝日ばっかりなので毎日新聞も見てみたのですが、うまいことまとまってるページは見当たりませんでした。小泉関係のニュースを時系列で並べている http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/koizumi/はあったのですが。
でも、一番細かいところまで分かるのは、首相官邸のページでありました。http://www.kantei.go.jp/
このトップページに、「主な懇談会・会議等の活動状況 」というリンクがあり、それぞれ、
「 郵政三事業の在り方について考える懇談会 / 首相公選制を考える懇談会 / 行政改革推進本部 / 司法制度改革推進本部
/ IT戦略本部 / 産業構造改革・雇用対策本部 / 都市再生本部 / 市町村合併支援本部 / 経済財政諮問会議 / 総合科学技術会議 / 男女共同参画会議 / 中央防災会議 / 税制調査会 / 総合規制改革会議 / 地方分権改革推進会議 」があがっています。
そのなかでも中核を占めるのが、つまり「思いっきりシステムを変える」「小泉首相でないと出来なさそうなこと」という観点でいえば、経済財政諮問会議、行政改革推進本部、それと産業構造改革・雇用対策本部でしょう。最も日本の中枢部分の変革。
経済財政諮問会議のページで、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizai/tousin/020301kouka.html(これだけ進んだ!構造改革:見えてきた小泉構造改革の成果)というのがあり、自画自賛というか手前味噌なのを割り引いても、「何をやりたくて、何をしたの?」という素朴な問いには、結局これが一番わかりやすかったです。もう少し細かく書いてあるのは、構造改革と経済財政の中期展望の骨格
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizai/tousin/010118kaikaku.htmlですね。これが一番、「何をしたいか」という面では、簡潔で総合的かもしれません。
あと、行革委員会の、特殊法人等整理合理化計画/http://www.gyoukaku.go.jp/news/h13/news1218-2.htmlとか、産業構造改革委の「530万人雇用創出計画と日本経済の再生」
http://www.kantei.go.jp/jp/sangyoukouzou/dai2/2siryou1.htmlなんかもあります。
で、首相はこれまでどれだけやっているのか?ですが、 特殊法人の民営化でいえば、住宅金融公庫廃止、道路公団民営化、など163の特殊法人・認可法人のうち17を統廃合、45を民営化、38を独立行政法人に改組するようにしたようです。小泉首相が原則として掲げた「廃止・民営化」は約4割にとどまった。八つの政府系金融機関の再編と、成田、関西の2国際空港の民営化の方法は、政治折衝に持ち込まれることになった(2001年12/14 朝日)。郵便事業で言えば、来年度には郵政「公社」になるようです。
もうちょいミクロに見ていくと、かねてからの首相の持論でもある郵政民営化ですが、どうなっているのでしょう。
そもそもなんで郵政を民営化したいのか、またその根っこにある特定郵便局とは何なのか?ですが、詳しくは、この問題について熱く語ってるサイトがありましたので、そちらを参照していただきたいです。●知られざる世襲公務員たち −特定郵便局の研究− http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj5057/sub70tokutei.htmというサイトです。特定郵便局長を斬る(前編)/http://members.tripod.co.jp/J_Coffee/tsure9.htmlにも書かれていました。
これだけ話題になっているから周知のこととは思いますが、一応おさらい。特定郵便局は、実は日本の郵便局の実に4分の3にも及ぶ多数の郵便局ですが、もともとは明治維新の頃、国家インフラもろくすっぽない時に、日本全国どこにいっても存在する「地元の名士」さん達に郵便業務をやってもらったのが始まりです。100年前の話ですね。で、100年前の制度が基本的には現在も生き残っているわけで、いろいろとおかしな状況も生まれてくるわけです。これまで長年批判されてきたのは、「世襲制の国家公務員」とか、給料のほかに自宅なのに国から家賃が支給されるとか、郵貯で歩合給がもらえるとか、一人あたり年間480万円の自由裁量で使える経費が支給されるとか、まあ、いろいろ言われているわけです。
でも、僕としては最も問題だと思うのは、今の日本の動脈硬化症の色々な要素というか、ガチガチの利権サイクルというかそういうものの一角を占めてる点だと思います。特定郵便局そのものにも上記のような利権はありますけど、それはまだ可愛いもので、もっと大きなサイクルがありますよね。例えば、郵便局は郵便貯金を預かる日本最大の金融機関です。住友三井なんかメじゃないくらい超巨大組織です。預金量251兆円。都銀全部ひっくるめてそのくらいじゃなかったかしら。で、その集めたお金はどこにいくかというと、勿論国にいくわけですが、国会の議決に基づいて予算として執行されるのではなく、財務省の資金運用部資金という形で、財政投融資資金として運用されます。政府が金融政策、財政政策をするときに弾力的に運用されるという。これだけだったら何のこっちゃでしょうが、「弾力的に」ってことは、「悪用」も出来るのですね。要するにこっそり集めてこっそり使えるから、もっと露骨にいえば政府や官僚のヘソクリみたいなものです。
で、問題になるのが、このヘソクリが特殊法人に貸し付けられたりする。ここで特殊法人問題にリンクしていくわけですが、特殊法人というのは、キツい批判によればほっとんど何の役にもたってないけど、ただお役人の天下り先として機能していると。天下りしたお役人がいわゆる「渡り鳥」をする度に、数千万の退職金をせしめるわけだけど、まずそれがけしからんと。また、その退職金はどこから出てるのかというと、モトをただせば郵貯から出てる分も多いと。でもって、この特殊法人がいい加減に仕事してるから、不良債権をバカバカ生んでしまって、最終的にはまた税金で補填してると。住専とかね、
特殊法人というのは元々公益性の強い分野で設立されますから、国の監督を受けます。例えば道路公団。国が「今年はこれだけのお金で高速道路を作ろう」と決めます。で、それを実行に移すのが道路公団。もちろん道路公団の職員さんがダンプ運転したりコンクリートを練ったりするわけではないですから、当然外注に出しますよね。入札。そうなると談合があったり、口利きがあったり。そうなると政治家が出張ってきたり、元官僚OBが活躍したり。
ここに国民の税金があります、国がこのお金を皆のために使うことになってます。また国民が預けた郵便貯金があります。これは政府の資金運用部資金として使われます。要するにメチャクチャ膨大なお金があり、それが毎年使われます。一つは予算として、もうひとつはヘソクリ的に。一方では、権力というのがあります。皆のことを決定する力です。どこに橋をかけるかとか病院を建てるかとか決める力です。これは国にあります。国はその権力に基づいて決め、お金を使って実行します。
そのこと自体は何ら悪いことではありません。当たり前のことです。が、これだけお金が流れると、いろいろハイエナみたいな人が寄ってくるわけですね。正しくモノゴトが決定され、正しく実行され、正しくお金が使われればいいけど、そうならない。国家と民間企業の間にいろいろな中間団体があるわけですね。中間団体である特殊法人は、権力の中枢にいる官僚達の老後の楽園として食い物にされ、また無競争独占状態の親方日の丸だから経営もいい加減だったりします。例えば、高速道路のサービスエリアのガソリンは何故高いのでしょうか?高速道路の管理を仕切ってるのが事実上一社(公団)だけだからですね。余談ですが、日本の高速料金の高さは論外レベルだと思います(オーストラリアの高速道路は都市部の一部を除き基本的に無料)。それがひいては、「国内旅行よりも海外旅行の方が安い」という考えてみればメチャクチャ奇妙な状況を生み出し、日本全国の観光産業や地元の活性化を阻害しています。
さらに、頭のいい人はもっと色んなことを考えます。特殊法人にさらに子会社があったりします。事業を下請けに出します。で、必要以上に高いお金で発注します。子会社儲かります。その法人は赤字になります。でも、赤字だって国が補填してくれます。いや、補填させます。予算が通らないなら、貸し付けという形で前述の郵貯のなれの果ての財政投融資なんてのが出てきます。で、必要以上に儲かってる子会社に、その特殊法人のおエライさんがまた天下りしたりします。で、退職したら莫大な退職金が払われる。要するに自分の退職金を増やすために、あとで天下りする子会社を儲けさせるということが出来ます。
もう少し具体的にいうと、別に恨みはないですが道路公団を例にとると(前述の特殊法人監視機構のページから勉強しました)、道路公団は直接出資している会社が4社、ほかにも道路施設協会、高速道路調査会、高速道路技術センターの3つの子会社的な財団法人があります。そのうちの道路施設協会が35億円を出資し、67の会社を経営しているそうです。要するに協会を中継地点として子会社を次々作り、公団の業務をほぼ独占受注してるわけですな。この協会はさらに、全国の高速道路のサービスエリアやパーキングエリアの占用許可を公団から受けて、レストランや売店、ガソリンスタンドなどを営業させています。こういったファミリー子会社67の95年度の収入は5,600億円。サービスエリアなどで運営を委託しているレストランなどの店舗の売り上げは約3,400億円。テナント料や直営店舗の売り上げ等を合わせた収入は、95年度で約738億円となる。経常利益は29億円(朝日新聞1997年3月14日より)だそうです。こうして親会社が赤字の一方で、子会社は利益を得て増殖していくのである。
この「儲かってる子会社」である道路施設協会の12人の常任理事は、全員が建設省、道路公団のOB。子会社や業務委託先の会社の社長にも、公団のOBの名前がずらりと並ぶ。例えば、子会社の一つである高速道路調査会では、職員23名に対し役員23名という構成であり、天下りポストのためにあるといわれても仕方あるまい、と批判されています。しかし職員の数と役員の数が同じというのは「ナメとんのか」というくらい露骨ですな。
こんな美味しい領域を、地元の顔役的な親分連中、政治家が利用しないわけがありませんね。中央官僚にはどのように国家事業を遂行するか決める権限があり、政治家はそれを大本で決める力があります。各企業や、地元の土建屋さん達は、その利権の構造に食い込もうと頑張ります。そうなると自ずと「常連さん」達で「平和的に」モノゴトを決めようとします。
日本人はパブリックや社会正義という観点から自分達の行動を律するのには不慣れですが、顔なじみの集団のなかで「うまくやっていく能力」だけは抜群に強いですから、ますます「常連さん達」の絆は深まり、平和にことが進むようになります。だから余所者は入れません。どんな有望な新規ベンチャーを立ち上げても、常連さんに入れないとやっていけません。その昔、常連さんになりたくて、皆に好かれようと頑張ってプレゼントをバラまいたけど、あまりに焦りすぎたので結局裏目に出たリクルートという会社がありましたね。
このように、エブリワンハッピー(except 国民)の状況が作られており、それを総合的に管理監督しているプロデュサー軍団が自民党なのだと思います。自民党は、国民以外の「常連さん」達の党です。自民党も勿論選挙でやってますので、選挙民の支持を受けなければ当選しませんし、権力を得られるわけがありません。だったら、国民の過半数は常連さんなのか?そんなことないですよね。絶対少数の常連さん達が、絶対多数を握っているわけで、そこにはそれなりのマジックがあります。それは、都会の人は1票しかもらえないところを、常連さんが多い地方の人は5票もらえるという具合にすればいいのですね。現にそうなってますよね。いわゆる議員定数不均衡の問題ですね。最高裁で何度も何度も違憲判決が出てるけど中々ビシッと改まりません。
もう一つのマジックが組織票です。ガチガチに組織で票を固める。これも、「誰もが誰もを知っている」という過密着社会の日本で、しかも仲間はずれになるのを極端に恐れる日本人の心理風土が追い風になって、ますます威力を発揮します。かくして、「投票率が低ければ低いほど、(組織票の相対比率が高くなるから)強くなる」という世にも不思議な政党、自民党が勝つわけですね。
さて、特定郵便局長ですが、全国1万8000人の特定郵便局長さん達は会(全国特定郵便局長会(全特))をつくり、一説によると20万人の自民党員を入党させ、100万人の集票能力を持っているといいます。自民党の集票マシン御三家(農協と遺族会)の一つと言われる所以です。だって、特定郵便局長さんは、明治以来「地元の名士」がなるんですからね。
というわけで、日本という列車に乗って生きていこうと思ったら、まず特等車コースが「常連さん」の仲間に入ることですね。一等車が、常連さんたちのおこぼれを貰うことです。でもって、二等車には、常連さんに入れないで割を食ってる大多数の国民がすし詰めになってるわけですな。割を食いながらも、それでも経済が成長してくれていれば、まあいいかってなもんでしょう。でも、バブル以降そうはいかなくなった。そんなに日本が無制限に成長できるわけではなくなった。世界はそんなに甘くない。グローバライゼーションが益々進展し、日々刻々強力なライバルが出現している今日、日本もまた死に物狂いで頑張る必要がある。だから、今までの常連天国みたいな無駄をやってる余裕がない。全体にジリ貧になってるところで、一部の既得権者だけが既得権の甘い果実をむさぼってるのは許されなくなった。だから、システムをガンガン改変していかなければならない--------というのが、首相の「聖域なき構造改革」の骨子だと思います。
小泉さんという代議士は自民党議員でありながら特定郵便局廃止なんていう自殺的政策を長年掲げてきました。いわば折り目正しい「変人」であり、このくらいの変人でなければ、権力者自らが自分の権力システムを叩き壊すという自殺的な改革など出来はしないんじゃないか?という国民(常連以外の)の期待にこたえて、彼は権力を付託されたわけです。「国家の権力は、国民の信託に基づく」という民主主義の原点的構図がこのくらい奇麗に描かれたのは日本の歴史の中でも珍しいケースだと思います。
で、ここで冒頭に戻って、小泉首相の支持率が何故下がるの?です。
なんで下がらねばならんのか、僕にはわかりません。
小泉さんは言うだけで全然何もやってない、言うだけで実はバリバリの保守派なのが発覚した、、とかいうなら話はわかります。でも、そんな感じじゃないですよね。
前述の郵便民営化の流れを追って、いくつかの記事を抜粋してみますと、
小泉純一郎首相は14日の閣議後に片山虎之助総務相と会い、中央省庁等改革基本法にある「(郵政)民営化等の見直しは行わない」との条文削除を指示、03年公社化後の早期民営化をめざし議論を本格化させる意向を示した。郵政公社も含めた政府系金融機関すべての検査を金融庁が実施する法改正を検討する意向も示した。また、郵便事業を条件付きで民間業者に全面開放する総務省案を了承した。(朝日 2001/12/14)
特定郵便局の渡切費廃止、需品費にかわり114億円削減
20日に示された来年度予算の財務省原案で、郵政特別会計に毎年1000億円規模で計上されてきた「渡切費(わたしきりひ)」が廃止となった。これに代わって特定郵便局の物品費や事務経費などにあてる使途が限定された「需品費」として880億円を計上し、今年度の渡切費(994億円)から114億円を切りつめた形になった。
渡切費は、特定郵便局長に支給される裁量権の大きい事務経費。かねて「使途が不明朗」との批判があった。03年の郵政公社化で廃止する方向だったが、不正支出疑惑が浮上したことなどから片山虎之助総務相が1年前倒しで廃止方針を示していた。財務省は「郵便局で使う勧誘用の景品などの費用を厳しく見直した結果」と説明している。(朝日 2002/12/20)
総務省は当初、郵政事業庁が衣替えしてできる公社のトップには郵政事業庁長官を横滑りさせたり、旧郵政省OBをすえたりすることを想定してきた。しかし、小泉純一郎首相が提唱する郵政民営化論に押され、新公社には独立採算を維持できる企業経営手法を採り入れることが固まっている。このため省内でも「新公社の最高経営責任者には、企業経営のプロが就くのが望ましい」との判断に傾きつつある。(1/9)
ということで、素朴な印象としては、「やってんじゃん」という感じです。
郵政民営化に向かって具体的にモノゴトが進むとか、マジに特定郵便局が廃止になるとか、ちょっと前まで考えられなかったことです。「そうなったらいいんだろうけどなあ、まあ、無理だろうなあ。小泉さんが首相になるくらい無理なことだろうなあ」というのが、通説的見解だったのに、実際に、現実に、マジに、そうなってるわけでしょ。これって、すごくないか?
もうちょいミクロ的なところを見ますと、官邸のホームページの、郵政三事業の在り方について考える懇談会の議事要旨が載ってるページがあります。 ここで実際にどのように議論がなされ、首相はどう発言しているかがわかるのですが、
(総理大臣)
全面自由化とは、民間企業ができるところからやらせれば良いということ。公社は、既にユニバーサルサービスができているのだから、国民は困らない。民間は創意工夫してできることをやり、競争によりサービス水準が向上する。 参入企業は登録制でも支障ないはず。できることをやってもらうことによりいろいろな知恵が出てくるという意味での全面参入。
(田尻主査)
ユニバーサルサービスを担う公社が独立採算で収支相償う方法を考えることが必要。
(総理大臣)
それは優遇していることになる。公社は税金も払わない。
(田尻主査)
研究会では、全面参入によって公社の収益が悪化する度合の測定とその場合にどのような方策が必要かということを議論。 何らかの形で合理的、客観的に考えられる条件設定をしても全面自由化だということであれば、作業は非常に進めやすくなる。
(総理大臣)
原則として全面自由化させるべき。全国一律で走れなければトラック業者は認めないとか、ピザも全国配達しなければ認めないと言ったらどうなるか。
ここでも、あくまで全面自由化ということを述べてますな。この質疑議事録は延々続くのですが、なかなか面白いです。色んな人が意見を言ってるのですが、首相が一番ラディカルなことを言ってるというのも日本らしくなくて面白いです。
総じて僕が見るに、彼は総理大臣になる前にやると言っていたことを概ねやっているのではないか?大体、彼くらい総理になる前に政策がハッキリしている人も珍しいし、言ったとおりのことをやろうとしている人も珍しい。また、政策本位で権力は移動するなんて政治現象も珍しい。前任者の森さんの場合に、「何をやりたいんだか分からない人」が、「何がどうなったのか分からないまま総理になり」、結局「何をやったのか分からないまま終わった」のに比べると雲泥の差だと思います。
だから、もう少しやらせてあげたらよいではないか?
オーストラリアの感覚に馴染んでしまうと、あのジョン・ハワードでさえ首相7年目を迎えます。また、オーストラリアは3年に1回総選挙が行われますが、3年という期間も「政策の効果出てくるのを見極めるには短すぎる」という批判があります。少なくとも3〜4年はじっくりやらせてみて、それで判断しないことには、なんのための総理交代、政権交代なのかわからなくなる。
ああ、だが、しかし、小泉首相の就任当時の「純ちゃん人気」的なアホアホな感じといい、今回の田中vsムネオ君のドタバタにせよ、「はあ〜」と思ってしまうのであります。それは、当の外務省やら登場人物が「はあ〜」なのではなく、それを報道するマスコミの論調と、世論の雰囲気や動向が「はあ〜」なのです。僕が日本から出てきた8年前も相当なものでしたけど、今は益々進行性痴呆症というか、日本人ってアタマ悪いんじゃないの?という気がして来てしまいます。どう見ても、知能指数100じゃないぞ、90も危ないぞ。本当はそんなワケないのに、どうしてそんな具合に物事が進行してしまう(ように見える)のでしょう?
そもそも田中外相になんで人気があるのか分からんというか、もともと彼女の政策って何だったのよ?あの人に政策なんかあるの?まあ、あの、よく言えば快刀乱麻、天真爛漫、悪く言えば傍若無人、厚顔無恥のオバハンだからこそ、常連さんガチガチのサイクルを打破してくれる鉄砲玉になってくれるんじゃないかという期待はありましたよね。でもって、その期待にはある程度応えてくれたと思います。ただ、同時に「覚悟はしていたが、ここまで無能とは思わんかった」という失望も与えてくれました。功罪相半ばす、という感じですが、まあ、鉄砲玉に仕事をしろというのがもともと無理だったのかもしれない。ただ、鉄砲玉としての仕事は十分したと思います。
しかし、マスコミによる下品なバッシングは、あれは可哀想だったと思います。可哀想というエモーショナルなことではなく、はっきりいって本筋に関係ない個人攻撃、ゴシップ攻撃という品性の低いもので、スミアキャンペーンみたいでした。なんというか、話がすぐに低次元になりすぎ。最後の鈴木議員とのドタバタだって、なんかホームドラマ仕立てみたいにさ、「居酒屋でエラそうに説教ぶっこいてるムカつく自己中オヤジ」と「スーパーで”卵一人1パック”となっているのに何度も並び直して買い占めてて、注意されると”いいじゃないのよ”と居直るド厚かましいオバハン」の対決みたいにされちゃって。田中外相もいろいろ失点をしましたけど、その大部分がこういった理不尽なバッシングが間接的に影を及ぼしているように思います。
余談ですが、人はなんでゴシップが好きかというと、政治家や自分よりも優れている人、つまり自分のコンプレックスを刺激するような人々が、実は自分よりもどこかしら劣るのだという慰め的な幻想を与えるからだと思います。強い人間、優れた人間の些細なアラを捜して、足を引っ張って、猿のようにヒヒヒと笑って安心したいからでしょ。劣等感と嫉妬。ゴシップや他人の噂話が好きだったり、ワイドショーが好きだったりする人間ほど、劣等感が強いんだと、僕は思ってます。また、実際劣等感を持ってしかるべきほどに、無能で劣等な人物であるケースが多いと思います。キツい言い方かもしれないけど、彼らがやってる非人道的な行為に比べればまだ可愛いもんです。
悲しいかなどんな人間にもそういう卑劣な側面はあります。僕だってキッチリあります。でも、一人の人間のハバというのは広く、一人の人間が卑劣なことも、高尚なことも同時に考えうる。問題だと思うのは、国民と呼ばれる僕らひとりひとりのパーソナリティのうち、レベルの高い部分に焦点を合わせるのではなく、低い部分に焦点を合わせているかのような報道の仕方です。なんでもかんでもワイドショー化している。個々の事件や論点がどうという以前に、全体として漂ってくるのは、「マスコミは(ひいては日本人は)日本人に絶望してるんじゃないのか?」ということです。もうヤケクソのように、レベルの低い地点に集中しているような。そこまで自分達を貶めなくてもいいじゃないか?と。もう少し日本人というものを賢いものと信頼して話をしてもいいんじゃないか。日本人そのものに対するスミアキャンペーンのようにさえ思えます。
外務省問題もそりゃ深刻かもしれないけど、全体の構造改革の絵からすれば優先順位は低い。外務省は、唯一の利権がODA絡みしかないという、常連さんの政官財トライアングルにもろくすっぽ入り込めない三流官庁と言われたりするわけだし、だからこそ公費を使い込むという分かり易くも原始的な不正しかできないわけで、要するにその程度のモノでしょ。今は巨悪を退治しましょとやってるわけなんだから、そのくらいの小悪党などどうでもいいちゃ言い過ぎかもしれないけど、ほとんどどうでもいいです。全体が治まれば、自然に立ち枯れる運命にあるのだから。
政治なんか100点取れるわけないです。基本的には利害の調整なんだから、もともと100点なんか取れるわけがない。だから、100点でないことを理由に、その政治を批判するのは、カラスが黒いといって批判しているようなものです。小泉内閣が景気対策をやらないとかいう批判も(やってるんだろうけど満足いく効果がないという批判も)、僕から見たら無いものねだりの観が強い。
総じていえば、暮らしが良くないことの責任を「政治が悪い」って押し付ける発想そのものが幼稚に思える局面が多々あります。いろんなケースがあるから一概に言えないにせよ、自分の人生が上手くいっていない責任の90%はそいつ本人にあるんじゃないんですか。戦争をおっぱじめるとか、貴族階級がものすごい搾取をするとかでもない限り、政治が一人の人間に及ぼす影響なんか10%もあるかないかだと思います。
会社が倒産するのも、リストラされるのも、就職難なのも、基本的に政治のせいというよりも、そういう経済環境にあるからでしょう。確かに、銀行がメチャクチャに貸し渋りをしているのを政府が介入せずに放置し、あるいは助長するから潰れなくてもいい会社が潰れることはあり、その意味で政府の責任もあると思います。それは正しく批判すべきでしょう。ただし、それも、護送船団方式でやってきた今までのやり方を転換すべきであり、潰れるべき銀行はとっとと潰して処理するのを先送りにしてきたことにあるわけでしょ。
雨が降ったら濡れるのは当たり前で、雨が降るのは政治の責任ではない。また雨が降りそうだから傘を事前に準備すべきかどうかは、すぐれて個々の判断に基づくべきで、政府が傘を忘れた無能者に傘を配って歩く必要はない。それが資本主義、自由競争というものでしょう。政府がなすべきは、傘を忘れて雨に濡れて身体を壊した人が安心して休める公的な休憩所や病院の設立であり、あるいは雨が降りそうかどうかの天気予報を流すことであったり、そういう自由社会で正しく生きていける倫理とスキルを教育することであったりすることだと思います。今やってるのは、それ以前に、一部の者が不公平に傘を独り占めにしているとか、傘の流通がどっかで阻害されて、マジメにやっても傘が行き渡らないとかいう問題を改革しようということだと思います。
それを雨が降っていること、降り続いていること、傘を渡してくれないことで政府を批判する人が多い。本当にそんな稚拙な批判を感じている人がどれだけいるのか疑問なんですが、これは日本だけではなく、どこの国でもそういう甘ったれた政府批判が横行している。もともと甘ったれた批判だから、いくら批判したところで実効性など無い。そうなったらそうなったで「国民不在」とか「政府不信」とかスネて、さらに投票にいかないということでアホ度が加速する。アホも数が集まればパワーになるから、政府も嫌々飴玉あげたり対応しなくてはならなくなるし、全体を考えずに一部の人を優先しようとするし、最終的にはそういう人達ばっかりで政府が作られるようになる。「この程度の国民にこの程度の政府」とは、けだし名言だとは思う。だが、もういい加減、甘ったれたアホに媚びなくても良いのではないか。
自由社会というのは「弱者死すべし」という残酷なゲームだと思います。本能的にそれに忌避感を抱く人は、無意識的に封建主義か共産主義にシンパシーを感じているのではないか。そして、日本人においてそういった人の比率は50%を超えると思う。自由主義でいいと生理的に思える人は半分もいないと思います。半分以上いたら、日本はこういう社会になってないでしょう。あのですね、誤解のないように言っておくと、そのゲームの残酷さを知っていれば知っているほど、それを補完するために福祉というものが大事なことであることも知っているもんだと思います。西欧社会がそうであるように、競争は残酷なまでに公正に、だからこそ福祉はあくまで手厚くまたボランティアも盛んだという。日本ではそこが中途半端というか、競争の残酷さには馴染めないかわりに、福祉を軽んじ、生活保護を貰ってる人を「努力が足りない」と見下すような意識でいる。それは、ハンパな競争をやってるからではないか。
支持率調査は投票行動とは違いますし、まあ、田中vsムネオ騒動と小泉首相の収め方に「なんだかなあ」という素朴な感じを抱き、そのまま素朴に皆さん答えただけという気もします。そんなに大袈裟に考えることは無いのかもしれない。
しかし、「イメージが壊れた」とかね、そういうエモーショナルというか直感的というか、「うーん、ちょっとガッカリって感じぃ、みたいなぁ」という思考能力ゼロ的な選択肢、最初から国民の知能指数を20くらい下に見積もってるような回答を用意せんでもいいではないか。女子高生に人気タレント調査やってんじゃないんでしょう。でもって、それに嬉しそうに答えている人が相当数いるというのは、どうなのよ?って感じはしますね。
もともと、小泉首相みたいな人が存在すること自体、「変」だと思います。本来、国家のシステムを変革したいなら、野党が政権をとるのが当たり前でしょ。それを与党から壊し屋が出てくること自体が変です。でもって、日本のガチガチのシステムが、いかに強烈なキャラを持ってるとは言えども一人の人間でそう簡単に壊せるわけではない。荒れている不良高校に一人の正義派熱血教師が赴任したからといって、直ちにワル連中が心を入れ替え、学校全体がクリーンになるわけはない。
だから思うのですが、僕ら国民は、彼が首相になったからといって、短期間になんでもかんでも改革が進むなんておとぎ話的な魔法を信じるほど愚かではないのではないか。そんなことが出来るくらいだったら、誰も苦労はしてないし、日本は15年前にもっと何とかなっている。
だもんで、何をすべきかというと、まずは首相の主義・行動と、自分たちの期待が一致する限り、最大限働いてもらうことです。「やってほしいことをやってもらう」ということでしょう。そのためには下らないことでエネルギーを消耗してほしくない。田中外相問題とか本筋に関係ない事件は100%シカトというのが言いすぎなら、せいぜい3%くらいでいい。
第二に、やるべきことをやっているかどうか、不断に監視することでしょう。「今どうなってんの?」ということですね。そりゃ、全ての局面で政策通になる必要はないですが、もう何十年も語られている問題くらいは常識として知っていて、現在の政策進行状況くらいは一応把握しておけ、と。これも全ての国民に求めるは無理だから、少なくとも大学出てる奴。だって、世界的に言えばバーチャロー(学士)の称号を持ってる人の知的レベルというのは、最低そんなものでしょ。自国の政治状況を説明することが出来る程度のインテリジェンスは持ってないと(それも英語で説明できるくらい)、外に出て恥をかくでしょ。
第三に、小泉政権のあとに、誰を持ってくるのか。支持率下がるのが「もっと、しっかりせよ」という批判的激励ならばまだしも、支持率下げて改革を遅らせて、その挙句元の木阿弥になってしまったら意味がない。小泉政権も無限に続くわけではないのだから(というか存在すること自体が不思議なような政権だし)、いずれはその次を考える必要があるわけだし、それに備えて、次は誰なのかをチェックしておく。それは野党に政権を取らせる事かもしれないし、別の自民党議員かもしれないけど、「小泉よりも彼にやらせた方がいい」と思えたときに政権が交代するというのが一番の理想ですよね。で、あなたは誰だと思いますか?
結局のところ、「小泉的な路線を打ち出さないと政権は奪れない」というムードを作り、ある程度持続させ、それが日本の政治カルチャーになっていくことを望みます。でもって、心の中でひそかに望んでるだけではなく、こうして言います。自分の今あるポジションで出来ることはします。だってさ、どっか他の国のヤツに、「この程度の国民」とは言われたか無いですもん。
写真・文/田村
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