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今週の1枚(09.10.26)






ESSAY 434 : 性賢説と性愚説(その3)



 昨日(10月25日)は、ハーバーブリッジを通行止めにしたうえ、芝生を敷いて、皆で朝ゴハンを食べようという、例によってお馬鹿な企画がありました。僕は、この種の「面白いからやっちゃえ」というオーストラリア人のノリが好きなのですが、本当に1億円掛けて実現してました。しかし、6000人定員に応募者19万人、抽選で決まるのですが、かなり狭き門です。

 折しも同日、シドニーハーバーの7つの橋をウォーキングしようという”7BridgesWaking"という企画がありまして、これに参加するついでにブリッジ朝食の様子を見ようと思ったのですが、ハーバーブリッジに辿り着いたのが朝の10時半で、とっくの昔に終わって、後片付けやってました。午後1時まで通行止めと聞いていたから、まだやってると思ったのに。あとで調べたら、とんでもなく朝が早く、一番早いのは5時45分スタートだというから、さすが早起き民族オーストラリア人。

 上の写真は7Bridges Walkの途中、WavertonからNorth Sydneyに向うスナップです。右の写真は、時既に遅しで、後片付けをやってるハーバーブリッジの様子




 第一回(No.430)第2回(No.432)に引き続いて性賢説と性愚説です。別に通して読む必要もないですが、前回までは、古来から日本人が持っている特殊な傾向=名人という究極の技芸に対するこだわり、教育システムにせよ道具の成り立ちにせよ原則として名人を基準に作られていることを見ました。そして、基底に流れているのは「頑張れば誰もが名人になれる」という観念であり、これが今回のテーマである「人はもともと賢い」という性賢説的な世界観じゃないかということですね。

 なんか分割シリーズ化してやってると、えらい大仰なテーマに取り組んでるみたいですけど、基本は単なる思いつきです。一回でもまとめられるんだけど、読むのもしんどいだろうし、スカスカにして分割し、のんびりやってます。お気楽に読んでくださいまし。


諸外国との差異〜全員が名人


 ところで名人上手は外国にもいます。むしろ天才となれば外国の方が多いかもしれない。また、”クラフトマンシップ”という職人気質のような概念もあるし、各国にはそれぞれ特産品や銘品もあります。日本が日本刀なら、ドイツにはゾーリンゲンがあります。およそ人類が到達できる最高水準を極めること、極めようと努力することは、洋の東西を問わずどこにでも普遍的に見られます。格闘や料理、人体や世界の原理に関する体系的で偏執的なまでの追求だったら中国文化の右に出るものはないかもしれない。

 しかしながら、それらは一部の分野、一部の人々についての話であり、「人はみな」「誰でも」という万人性は持ちません。芸術やスポーツの世界のように、もともと才能に恵まれた人間が、超人的な努力を重ねることによって最高峰を極めるということはどこの国でもあります。それは珍しい話ではない。しかし、特に才能溢れるわけでもなく、また特に限られた業界でもない、言わば「普通の人の普通の仕事」というありふれた日常レベルにおいて、なおも名人レベルを目指すというのとはワケが違います。

 江戸末期の黒船来港のあと、日本にも多くの西洋人がやってくるようになり、当時の日本の見聞録がいろいろと残されているそうです。彼らは大航海時代の末裔であり世界中を植民地にしてきてますから、彼らから見て「日本のここにびっくりした」という点は、世界的にも珍しい日本の特徴といえるでしょう。江戸時代の鎖国という純粋培養にある日本と、世界中を見つつ且つ日本への何の予備知識も持たない彼らの素朴の感想というのは非常に貴重なものです。もちろんとんでもない誤解や無理解もあるのだけど、本質をえぐり出す鋭さもあります。

 その中で、出典は忘れましたが、印象に残った部分があります。それは江戸末期〜明治初期の庶民の生活ぶりについて書いたものですが、工芸品の質やデザインのレベルの高さに触れたものです。世界レベルからみて、日本人庶民が普通に使っている普通の日常道具のレベルがとんでもなく高いと。僕らからすると当たり前で気づきにくいのですが、彼らからしたら驚天動地の話らしい。何かというと例えば大工や車夫の手拭いです。タオルではなく、和式の手拭いですね。「それがなにか?」というと、デザインの凄さです。普通彼らの常識でいえば、こういった労働者階級の使うタオルなんてボロ切れみたいなものであり、それで十分機能は達する。しかし日本の場合、どうでもいいような末端の手拭いにさえ、ハッと息を飲むような斬新なデザインの模様がほどこされており、一見して高度な技法を用いたと思われる染色がなされている。そのことに彼らはビックリしたそうです。

 おそらく征服者の傲慢さをもって日本に乗り込んできたであろう西洋人からしたら、パッと見の日本人は辺境地に細々と暮している"土人”にしか見えなかったでしょう。彼らの考える文明や文化は、煉瓦造りで堅牢な建築物であり、壮麗な装飾をまとった衣服であり、金ピカの食器であり、重厚な筆致の絵画、数十の音が重なり響くオーケストラだったでしょう。ようするにゴテゴテしてるのが文化だと思ってたのかもしれない。そういう彼らの固定観念からしたら、木と紙で出来た家とも言えない粗末なあばら屋に住み、男達などは軽装というよりもフンドシ一丁で闊歩している当時の日本人は、人間以下の半動物のような存在、丁度オーストラリアにやってきたイギリス人がアボリジニを見たのと全く同じような感じでしょう。何年日本に暮しても、その日本人観を全く変えなかった頭の固い西洋人もいたとは思います。

 しかし、中には”慧眼の士”もおり、優れた洞察力で日本の凄さを理解しています。確かに重厚万歳の価値観からしたら、簡素というよりはみすぼらしい日本人の暮しではありますが、よくよく見てみると、ぶっ飛んだセンスとそれを裏打ちする技術力がある。手拭いの図案なんか似たりよったりと思うでしょうが、実は千差万別、単色や晒だけではなく、総柄、小紋柄、四季、名所、縁起物、歌舞伎などなど、あらゆるデザインがほどこされています。日本古来のデザインは今の僕らから見たらメチャクチャ斬新です。それは千代紙の色と図案のバリエーションの多様さ、あるいは家紋等にみられる「こんな図柄どうやって思いついたの?」と呆れるくらい自由奔放な発想をみてもわかるでしょう。手拭いにそれだけ工業デザイン力があるなら、衣服もしかりで、浴衣にせよ、着流し、帯、雪駄、いずれも少なからぬこだわりと技術がみられる。最初はあばら家のように見えた家でさえ、柱は真っ直ぐ立ってるし、変えたばかりの青畳は清潔でチリ一つ落ちておらず、障子の幾何学模様には1ミリのズレもない。そして何もなさそうな和室の奥には床の間があり、シンプルなデザインの掛け軸や一輪挿しが飾ってある。

 江戸期の日本文化、特に江戸という都市文化においては、ゴテゴテしないことが粋でした。いかに削ぎ落とすか、何もない空間にさりげなく図形と色を配置させ、その取り合わせの妙を楽しむという感覚は、遡ればワビサビに至るのでしょうが、そんな大層な芸術概念を持ち出すまでもなく、普通の庶民が普通の美的感覚として持ち合わせていました。当時のヨーロッパの美は、例えばロココ調のように、目がチカチカするような絨毯を敷き詰め、鏡の周囲には額縁のようにウネウネ彫刻が刻まれ、天井にも彫刻を施し、家具の足は猫足だったりするわけですね。一言でいえば暑苦しいのが美だったわけで、江戸っ子的には”野暮”だった。西洋人の中には、芸術や文化センスのある人もいて、西洋とは全く異なる美の体系があることを見抜いたわけです。そのあたりが最後までぜーんぜん分からず、日本人を蔑んだまま一生を終えた馬鹿も相当いたとは思いますが、そんな馬鹿ばっかりではないということですね。

 日本人だってその気になれば幾らでもゴテゴテできます。日光の東照宮なんかゴテゴテの極致ですし、晴着のあでやかさや重厚感はヨーロッパの貴婦人のドレスを越えるものがあります。サイケでエキセントリックなデザインだったら、歌舞伎において「これでもか」というくらい発展しているし、なんでもあるわけです。やろうと思えばいくらでもゴテゴテ出来るんだけど、そこを敢えて抑えてシンプルに徹するというセンスは、むしろ現代の都市型デザインに近いものがあります。

 この技術力とセンスで日常生活を営んでいるので、一般庶民の生活用具も洗練されまくっています。未開地の蛮族らしく素朴な石器&手づかみかと思いきや、目にも鮮やかな朱塗、渋い光沢を放つ漆塗の箸なんかを用いています。食器も、似たような皿だけかと思いきや、同じモノが二つとないくらいバラエティに富んでいる。茶碗にせよ、徳利にせよ、湯呑みにせよ、皿にせよ、いちいち全部違う。幾何学的な直線・曲線をビシッと決めたかと思えば、不可思議なふくらみを用いたり、ごつごつした自然な凹凸を愛したり。また、焼き方も、触感も、彩色も、デザインも何もかもが違う。その全てが当時の感覚でいえば一級品の工芸品のようであったといいます。

 もっとも、どの民族にも長年培われた美的センスと体系があります。別に日本だけの話ではないです。アボリジニも、インディアンにも、大地とともに暮してきた民族の深い深い叡智が刻まれています。どの民族にも、息を飲むような美的センスがあり、文化の結晶のような壮麗な神殿や工芸品があります。

 しかし当時の西洋人が驚いたのは日本人のセンスや技術力だけではなく、それが一部の特権階級だけのものではなく、下層階級にまで広がっていたということでした。大概、この種の工芸美術品というものは、王侯貴族や僧侶・祭職者の独占物であり、下層階級は質素というか、単純にボロい生活をしているものでした。むろん日本だってそういう面はあり、源氏物語に出てくるような平安貴族の”雅(みやび)”は圧倒的大多数の庶民達の悲惨な”羅生門”的な生活の上に成り立っていましたし、秀吉の大阪城にせよ家康の東照宮にせよ、煎じ詰めれば権力者のコケ脅しでありました。贅を尽くした極上品の数々もありますが、それらは宮内庁御用達のような権力者特注品です。しかし日本の美はそれに尽きるものではなく、そんな大金を払わなくても、そこそこリーズナブルな値段で一般庶民にも美を楽しむことが出来ました。それは江戸期260年の泰平の時代を通じ豊かにふくらみ、全国各地の特産品が、大阪という中央市場を通じて全国にまた流通していきます。だからこそ、北海道名産のコンブが沖縄料理に多用されるという流通革命みたいな出来事が普通に起こってたりもします。

 ということで当時の日本の下層階級や一般庶民の生活水準、特に都市生活者の日常工芸品に関する質の高さが窺えるわけですが、ここでの問題は、何故それが可能だったのか?です。

 これだけセンスの高い、これだけ手間ひまかけた工芸品を買おうと思ったら、そんじょそこらの財力では無理でしょう。しかし、江戸期の庶民は普通に手に入れている。なぜか?おそらく、品質に比して値段がべらぼうに安かったのだと思われます。そうでないと買えるわけがない。じゃあ、なんでそんなに値段が安かったのか?

 はい、やっとメインテーマに戻ってきましたね。なぜ安かったのか。それは当時の日本人が、これだけハイレベルの工芸品を生産しながら、本人達は全然ハイレベルだと思ってなかったからでしょう。ありきたりの普及品、むしろ”安物”とすら思っていたから値段が安く、横町の熊さんでも買えたのでしょう。そうじゃないですかね?

 ということは、当時の日本人の普通のレベル、それは商品の品質にせよ、それを製造する職人の「一人前」のレベルにせよ、ズバ抜けて高かったということを意味すると思います。つまりはエブリワンが名人であり、匠(たくみ)であったということであり、また誰もが努力をすれば名人級になれるということでもあり、且つ実際なれていた、と。

 僕が性賢説というコンセプトを思いついたのもココです。一般庶民の職業や立場における要求水準が途方もなく高く、人々の技術向上への努力量がやたら多く、そして誰もが頑張れば一定水準にいけるという楽天的なまでの確信があったということです。それも一部の思想家や教育者がそう思ってただけではなく、普通の庶民が普通にそう思っていた。あまりにも当たり前にそう思っていたので、いちいちそう思っているという意識すらないほどに。

 これに対し、西欧その他の国々では、そこまで普遍的に人間を信じていない。「ダメな奴は何をやってもダメ!」という観念が抜き差し難くあり、だからこそ才能や実力に恵まれた一握りの天才や特権階級の貴族達が世の中を引っ張っていかなければいけないんだという意識が強い。ゆえに「階級」というものが歴然(ないし隠然)としてあり、人間というのは同じではない、だから期待してはいけないという意識につながる。それが流れ流れて一回目にやった"idiot proof"のように、「どんな馬鹿がやっても大丈夫」という発想につながる。

 なお、この差異は現在にも連なっており、西欧の方がエリートや天才に対する教育システムは優れているように思います。特権階級や、素質に優れた子供に対しては、一般教育システムを平気で無視して特別な英才教育を与える。昔から飛び級はありますし、セレクティブスクールという飛び級クラスの秀才ばかり集めた学校システムを作る。型にはめず、天才の自由奔放な発想を認め、伸ばそうとする。そして「人類に貢献せよ」というとてつもないハイレベルのモラルを与える。僕がオーストラリアに来たときも、頭のいい奴はとんでもなく賢いけど、馬鹿はとんでもなく馬鹿であり、その人間類型のダイナミックレンジの広さにびっくりしましたが、そういうことです。

 これが日本の強さとダメさにつながってて、何度も書いてますが、日本の末端庶民、つまり僕ら(と言っては気を悪くしますか?)の職業的な意識とスキルの高さは、世界的にもズバ抜けています。平社員が毎日の通勤列車で、社長が読むような経営論のビジネス書や雑誌を読み、仕事のあとの一杯飲み屋で「だいたいウチは〜」と経営論を熱く語る。普通のヨーロッパの庶民が会社終わったら、スポーツパブで贔屓のサッカーチームの応援をしてますよ。日本という国は、僕らのような末端ヒラ社員で持ってる国だと思いますね。それだけに、特殊エリート教育システムがないので、エリート達のレベルが世界的にみれば低い。エリートが社会を動かすシステムも洗練されてはいない。政治家、経営者、いずれにしても、世界が日本の動向を固唾を呑んで見守るなんてことはない。経営者も、まだ松下幸之助や本田宗一郎などの町工場の庶民レベルから始めた人達は世界最高の庶民レベルをそのまま上に持って行ったので世界最高の企業に出来たし、伝統的なモノ作りの発想でいけたけど、既に存在するエリートシステムを仕切って、社会をリードしたり、還元したりというスキルのある人間は乏しいし、ノブリス・オブリージェのようなモラルもないから、不況になったらすぐに派遣を切ったりする。

 、、と、これは話が逸れるので、このあたりで止めておきましょう。


名人ではない教育システム 〜江戸期における庶民文化の興隆と寺小屋

 さて、これまで日本の古典的な教育システムを書いてきました。すなわち、丁稚奉公から始まり、親方や兄弟子に怒られ殴られながら長い下積み期間に修行をし、やがては名人技を身につける、、、という職業観や人生観です。

 しかし、そこまでシビアではなく、「そこそこでいいじゃん」というレベルの非名人教育システムも日本にはありました。いつ頃からかはよく分からないのですが、おそらくは江戸期だと思います。それも元禄文化の頃からかなあ。だいたい、「そこそこでいい」という目標設定は、趣味的なレベル、つまりは「それでメシを食えなくてもいい」というレベルですから、それなりに生活にゆとりが出てきてからでしょう。食うや食わずのカツカツ生活だったら、そんなカルチャーセンターや趣味の習い事みたいなことをしている余裕はないでしょうから。よく古典落語の世界で、豪商の旦那やボンボンが三味線や地唄を習う設定が出てきますが、ああいう感じなんでしょうね。

 いわゆる一般的な庶民の"学校”、公教育というのものは明治時代になって初めて本格化します。それまで公的に行うのは基本的にエリート教育であり、庶民は自学自習でありました。聖徳太子以降、先進的な大陸文化を習得する最高教育機関としての寺が建立され、律令国家で大学寮や陰陽寮制度が出来ます。これはいずれも貴族階級のための教育機関であり、学者と呼ばれる専門プロも登場します。「学問の神様」であり、受験期になると絵馬を奉納する天神様の元祖である菅原道真などは学者の家系です。平安貴族の没落と共に学問の担い手は貴族から僧侶に移り、高野山や比叡山、鎌倉時代の五山文学、金沢文庫、室町期の足利学校などがあります。が、いずれも武家や僧侶など特権階級のためのものです。

 一般庶民の間で教育が盛んになるのは江戸の元禄期以降でしょう。世の中が落ち着いて経済も豊かになるにつれ、町人文化という一大カルチャーが興ります。松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴など文学者や歌舞伎役者、さらに浮世絵師などがが出てきます。それは、作家や役者、ミュージシャンやイラストレーターがそれだけで食っていけるという商業的基盤が成り立ってきたということですね。江戸時代に歌舞伎座で歌舞伎をやってるのは当たり前のようで、良く考えると凄いことですよ。だって会場という建物資産の管理・運営、チケットの流通販売システム、舞台衣装や道具の制作とメンテ、役者の養成システム、ギャラの配分システムがあったということでしょう。そして、複雑で膨大な経理をこなしていたということです。そのへんの河原で適当にやって投銭を貰っていた大道芸の頃からしたら、システムの精緻さに雲泥の差があります。複雑なショービジネスのシステムが成立してたってことです。

 同じように江戸期には、ルネサンス時期のダビンチのように、とんでもない民間の学者が輩出します。歴史の水戸学、朱子学、渋川春海の天文学、円周率までやった関孝和の和算、貝原益軒の博物誌や本草学、個人的努力で日本地図を作ってしまった伊能忠敬、そしてまんまダビンチのように何でもできた天才・平賀源内などなど。

 それだけ世の中が成熟し、経済的に発達してくると、そこに参加するためには、最低限の文字の読み書きと算数が出来ないとならないことになります。リテラシーとニューメラシー/読み書きソロバンといわれる基本教育ですね。でも、幕府は全然そういうことにはノータッチで、やっていたのは寺小屋というシステムです。システムというか、いまの私塾や学習塾のようなものが雨後のタケノコのように出来てきたわけです。政府が音頭とって「せーの」でやってるわけではない。推定では、江戸だけで1500、全国で1万5000の寺小屋があったとされ、幕末の日本人の識字率は8割という世界史的に破格なレベル(当時ロンドンで25%、パリで10%)に達していたとされます。

 これら寺小屋は、お師匠さんが教えるわけですが、このお師匠さまはお坊さんやお侍さん、豪商や豪農などの旦那さんが、半ばボランティアでやっていたようです。今でもお寺の境内で、地元のおじいちゃんが少年のための剣道教室なんかやってますが、あんな感じでしょうね。最初は本当にボランティアで、授業料も「おこころざし」だけであり、だからこそ月謝や謝金という「感謝」の”謝”の字が使われます。また、一人づつ全部進度が異なり、徹底的にマンツーマンで教えたというから、今の公教育よりもよっぽど手厚い教育だったかもしれません。そのうちに徐々にそれだけで食っていけるように商業的に成り立っていきます。また幕府によって年中お家取り潰しや改易が行われていたので、大量に失業貴族(仕官先を失った武士=浪人)が市中に出回り、有力な人材(教師)の供給源になったのでしょう。貨幣経済が発達した江戸期で、未だに「○○石」という古臭い中世経済でやってた武士階級は時代遅れになり、ビンボーになります。世界史的に見ても、これだけ質素な"貴族"階級というのは珍しいです。なんせ「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉があるくらいですから。プライドは高いが収入は低い(ことに慣れている)という貴族&知識人階級が大量にいて、彼らを媒介として、それまで武士や僧侶という特権階級内で行われてきたエリート教育が、徐々に一般庶民にひろがっていくわけです。こういう現象って本当に珍しいと思います。

 何を延々書いているかというと、なんで今の僕ら日本人がこうなっているの?というルーツになるからです。全ての物事には必ず理由があるといいますが、なんで日本では学習塾や予備校がここまで発展したの?とか、いつから識字率が高かったの?とか、なんで植民地化されずに明治維新に成功したの?とか、どうして日本製の製品は質がいいの?とか、ぜーんぶ理由があり、原因があり、根っこがあるからです。そして、それは Who are we?というアイデンティティや「地の性格」理解につながります。地の性格が分かると、これは強いですよ。何に向いているか、こういうタイプの人間がこうやると失敗するだろうとか、かなりの精度で予測できるようになりますからねー。ま、それはそれ、とりあえずは「ほー、そうだったのか」という素朴な部分が面白い。

 大体ですね、なんで僕がAPLaCなんかビジネスとしてはあまり儲からないことをやってるのかとか、なんで毎週一銭の得にもならないのにこんだけ長文のエッセイを書いているのかとか、自分でも「なんでやろ?」と不思議になるのですが、今回みた感じでは、やっぱり僕も純然たる日本人なんでしょうね〜。脱藩浪人が寺小屋やってるようなものですし(笑)、あとでも述べますがやたら勉強好きという日本人のDNAが流れているからでしょう。


「成長する喜び」をシェアする社会

 さて、ここまででわかるのは、日本の江戸時代は、庶民レベルで相当強力な知的・文化的底力があったということです。当時で識字率80%なんて、およそ地球人のレベルじゃないですよ。読み書きソロバンができないと経済社会への参加が出来ず、メシが食えなかったという必要性は確かにあるでしょうが、それをいうなら産業革命や資本主義の元祖であったヨーロッパだって同じことでしょう。なのにイギリスですら20%、都市部でいいとこ25%マックスだったというから、それだけでは説明がつかない。なんで江戸期の日本人はこうも教育熱心だったのか?

 だから、それが性賢説なんだろうなって僕は思うわけです。教育熱心が事実だとしても、じゃあなんで日本人は教育熱心なの?という新たなWHYが出てきますよね。そんなに教育に熱心になれるのは何故なのか?結論的に思うのは、端的にそれが「面白いから」でしょう。人間というのは道義的な善悪や、「べき」論だけでは動きません。それによって何らかの「快楽」が得られないと動かない。では教育熱心の裏にある快楽とは何かというと、自分が成長することの純然たる喜びでしょう。何かを習い、何かを習得する。それによって自分が前よりも賢く、強く、有能になることには無条件な快感があります。昨日まで出来なかったことが今日出来るようになった、昨日まで乗れなかった自転車に今日乗れるようになった、うれしいですよね。メッチャクチャうれしいです。そこには素朴で純粋な喜びがあります。

 性賢説社会の根っこにあるのは「自分が成長する喜び」であり、それが社会に行きわたり、皆でシェアしているんだと思います。ゆえに、何かの役に立つとか、就職に有利とか、そういった実利的な側面はありつつ、それに尽きるものではない。極端な話、クソの役にも立たなくなって、一つものを知ることには純粋な喜びがあるし、なにかが出来るようになることは自分の自信を増やしてくれるから無条件に気持ちいい。僕らはこれを民族的なDNAとして持っているし、シェアもしているのでしょう。これはとてもとても大きなことだと思います。

 この日本人の特性は、法隆寺の古代から現在までありとあらゆる局面で登場します。プロの現場でのOJT(On the Job Training=現場教育)での名人デフォルト基準のハイレベルさだって、「もっといいものを作りたい」という子供のような快感に裏付けられていたのでしょう。現在の職場、バイトの現場ですら、「こうやった方がお客様のニーズに素早く応えられる」と頼まれもしないのに現場がいろいろ考え工夫して動くのは、純粋な改善・成長願望であり、「上があるならのぼりたい」という本能的なものがあるからでしょう。女性は習い事が好きで(ケイコとマナブ傾向)、多忙なOLさんも会社が終わったら英会話教室に通ったりします。男の子は習い事にはあまり関心がありませんが、そのかわり独学自習が好きです。バイクに乗ったらコーナリング技術を極めようとするし、喧嘩に強くなるためにあれもこれもやるし、ギターやダンスの練習を黙々とやります。「人を素手で3秒で殺す方法」なんか幾ら修行して身につけたって、それを発揮したときは殺人罪だからほぼ絶対に役に立たないんだけど、それでもムキになって修行します。「勉強」とか「教育」とかいうから話が見えなくなるのですが、自分が強く、賢く、カッコよくなるためのイトナミというのは、殆ど全員といっていいくらい皆さん何かやってる。

 性賢説社会日本を別の言葉で言えば、「成長快感をシェアしている社会」と言い換えることも出来るでしょう。だからこそ、日本の末端ヒラ構成員のレベルは世界最高水準なんだと思います。僕らからしたら当たり前なんだけど、世界的には全然当たり前ではない。

 この点、もうちょい自覚的になった方がいいのかなと思ったりもしました。
 このシリーズ、実はまだまだ続くのですが、日本人はせっかく1000年以上育んできた美質を持っているのに、なんか最近生かし切れてないんじゃないかって気分もあるのですよ。なんせほっといても自分で勝手に学習する民族なんだから、庶民と貴族の二分割が前提の性愚説西欧システムを持ってきてもミスマッチするんじゃないかって。たとえば、就職とか人生設計においては、スキルとかキャリアとかいう横文字に踊らされすぎてないか、とか。あれって一種のエリート世界での話であり、誰にでも通用する話ではないし、日本の職場が本当にスキルやキャリアなんか求めているのかも非常に疑問です。そもそも「役に立つ」ということをそんなに重大に考えない方がいいよ。また、マニュアルだって、「どーしようもない馬鹿がこの世にいる」という世界観を前提にした"idiot proof"という視点が大きいのだから、これも日本に合わないようにも思う。「お前は馬鹿なんだから書いてあるとおりにやればいいんだよ」という職場教育をするよりも、「お前は賢いんだから、臨機応変に処理しろ」と言った方がしっくりくるんじゃないか、とか。

 また、ほっといても自分で勉強する民族だから、江戸期から私学、私塾が盛んです。まあ、公教育なんか世界的にも19,20世紀以降のシステムだからどこでも同じですが、それにしても日本人は本質的に教え魔であり教わり魔だから、政府が音頭とって公教育やらなくても勝手に自分でやってしまうでしょう。僕はほとんど公立教育だけで成長した人間で、予備校や塾なんか一回も行ったことがないので、ああいう存在は必要悪くらいに思っていたのですが、これを書いてるうちに必要悪どころかむしろあっちの方が伝統的には正統派なんじゃないかという気もしてきましたね。マイクロソフトのマニュアルよりもサードパーティ出版の解説書の方が絶対にわかりやすいように、教科書よりも参考書の方がわかりやすいように、お役所で決めた純正版よりもプライベートバージョンの方が質が高かったりします。今も公教育の低下が叫ばれていますが、発想を転換して、全員私塾に通うものと想定し、補助金をだしたりして塾の費用を軽減した方がいいのかも?という気もしますね。勝手に好きなように学ばせたって、日本人は勉強好きだからそこそこいくって。人を信じない性愚説発想で西欧のシステムは出来ているけど、日本の場合、ポーンともっと信じてやった方がいいじゃないかって気もするんですけど、どうでしょうかね。

 ま、それはともかく、まだ続きます。
 本当は、千葉周作と嘉納治五郎の話をするはずだったのに。次回あたりに書きます。



文責:田村




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