今週の1枚(07.08.06)
ESSAY 322 : 安倍首相について
写真は、春を待つLane Cove Natonal Park。うちの近所なので時々行きます。今年のシドニーは21年ぶりの寒さで大変でしたけど、春はもう秒読み。just around the cornerです。庭のジャスミンも蕾をつけてきました。三寒四温を繰り返しつつここ2−3週で一気に春になっていくでしょう。
今週はちょびっと時事ネタを書きます。先週の参議院選挙。自民党に逆風が吹くとは思ってたけど、あそこまでボロ負けするとは。
選挙の結果それ自体については、何を書いても「やっぱりねー、そうなると思ってたよ」みたいな後出しジャンケンみたいな嫌味なニュアンスが出てきてしまうから、あんまり触れず、ここでは安倍首相とはどういう人なのか、彼には人気があるのか無いのか、そしてそれは何故なのかについて考えてみたいと思います。
ポスト小泉を決める自民党総裁選で安倍首相が選ばれたときは、支持率70%とか、国民的人気が高いとか、「選挙の顔」になりうる、などなど持て囃されていました。でも僕はなんであの人がそんなに人気があるのかよく理解できませんでした。ESSAY 262/ポスト小泉論について思うこと で、「ポスト小泉ですが、別にまあ誰でもいいっちゃ誰でもいいです。候補者誰も小泉さんのように「これをやりたい」という課題を明らかにしないんだもん。何がやりたいのか見えない」と書いたように、どの候補者もそれほどキャラが立ってるわけでもないし、そもそもこれといったポリシーがあるのかどうかすら分からなかった。
ドングリの背比べの候補者の中でどうして安倍さんが一頭抜きんでていたかというと、一連の北朝鮮の拉致問題でメディアの露出機会も多く、歯切れのいい発言が多かったから国民的人気も高いってことになったのでしょう。まあ、それは分かりますよ。自民党総裁選という身内の選挙の相対評価では圧勝したとしても不思議ではない。でも一国の総理として皆が支持するかどうかは別問題ってことだったのでしょうか。
勿論、最初の頃は支持率も高く、人気が高ければハロー効果じゃないけど、アレも良いコレも素敵ってことで、人気の原因らしき要素が沢山言われます。曰く、普通っぽい感じがいいとか、毛並みがいいとか、ルックスがいいとか、奥さんと手をつないで歩くところが好感度大とか、温厚な感じだけど理念がブレないマイルドなタカ派的なスタンスが良いとかあれこれ言われていたもんです。タカ派系のブログなんかでも、中国や韓国にガツンと言える強面なアニキ的存在として熱狂的に支持されてましたもんね。
しかし人気というのはうつろいやすく、1年もたたない間にココまで凋落するか?ってくらい不人気になっちゃいました。1年前にプラスだったポイントも手のひらを返したように、毛並みの良さ→世間知らずのボンボン、普通っぽさ→カリスマ性の無さ&係長みたいな凡庸さという感じでネガポジ逆転し、「美しい国」という理念もポリシーも首相が旗振ってるだけで誰も聞いてないって感じですらあります。まるでジェットコースターのように上ったり下がったりしてるわけで、「毀誉褒貶(きよほうへん)」って四字熟語を思い出してしまいます。
政治家に対する評価の乱上下やネガポジは常について廻ることであり、別に珍しいことでもないです。しかし、今回の安倍首相の経過というのは、そのような一般的な政治現象を越えて、興味深い点が含まれているような気がします。
ここで「最初っから安倍首相に人気なんてなかったのではないか?」という、やや大胆な仮説を考えてみました。だって、安倍さんって、どう見ても前任者の”喧嘩上手な変人ライオン丸”小泉さんに比べたら小粒であることは否めないし、言っちゃ悪いけどどことなく小者感・小僧感の漂う、とっちゃん坊や的な造形だと思うのですね。僕にはそう見えましたし、今もそう見えてます。「大丈夫なんかなあ、この人」って感じ。そう感じた人は僕だけではなく、実は潜在的に日本人の多くの人は何となくそう感じていたのではないかって気がしています。
それが支持率70%にもなっていたのは、ここが問題だと思うのですが、マスコミ的な増幅バブル・トリックというか、実態のないムードだったんじゃないかと。「人気があると報道されていることが人気の原因」という。なぜなら、これは前のエッセイにも書いたのですが、総裁選のときも、政治家のリーダー選びに不可欠な各候補者の政策や政治能力がマスコミ等で真剣に吟味されていたとは言い難かったからです。麻生太郎氏がマンガ通のオタク系キャラだとかさ、マンガの登場人物の説明をしてるんじゃないんだから、もうちょい実質的な切り口はないのか?って。まあ、語るべき実績もろくになかったってこともあるのでしょうが、ここ数年の政治報道の浅薄さというのはちょっと目に余るものがあるような気がします。やれ郵政刺客がどうしたとか、ゆかりタンとか、小泉劇場とか、「劇場」的に扱ってるかそうなってるだけじゃないのかって。中学校の生徒会選挙でも、もうちょい真剣にやるんじゃないのかしら。
そしてこの種の不満を抱いていたのも僕だけではないと思います。なんというか、マスコミの皆さんは、国民の知能指数を実体よりも20くらい低く考えておられるのではなかろうか。「どうせこんな難しいこと書いたって読みやしないよ」「もっと分かりやすいネタじゃないと食いついてくれないよ」という、脱力感と諦念にむしばまれているのではなかろうか。あるいは、僕が国民の知能指数を実際よりも20くらい上に過大評価しているのかな。
で、そのムード先行というか、ムード”だけ”みたいな感じでスルスルと自民党総裁になり、一国に総理になった安倍さんだけど、最初の頃は「まあ、やらせてみようか」「他にこれといった対案もなし」という、好意的に見守りましょうというのが皆の感じだったのでしょう。やりもしないうちから、あーだこーだ難癖をつけるのも良くないしって。それが高支持率の内実だったと思います。が、総理に就任して数ヶ月、年が変わる頃には早くも怪しくなり、相次ぐ経費問題や郵政選挙での除名議員の復党問題などで凋落の一途をたどり、年金問題爆発でトドメをさされるって感じになってます。しかし、これ、早すぎないか?なんでこんなにメッキがはがれるのが早いのか。というか、ムード主体の”メッキ”だったからこそ、時間が経てば煙やバブルが自然に消えていくように、人気も落ちていったのかもしれません。
ところで、安倍さんの実績はあるのか?といえば、公平にみてそれは「ある」とは思います。例えば、アメリカ一辺倒だった小泉路線から中国と韓国に友好的な関係を築こうとしたり(まあ、これもアメリカの指図によってやらされただけという見方もありますし、多分にそんな気がする)、法案提出97本で成立率91.8%は小泉以上であるとか、中国残留日本人孤児の国家賠償訴訟で和解したり、薬害肝炎訴訟で和解の意思を示すという点もありました。彼のポリシーである「戦後リジュームの脱却」という点からは、教育基本法の改正や憲法改正のための国民投票法を作ったり、防衛庁を防衛省に昇格させたり、それが「実績」としてプラス評価されるかどうかは論者によって180度わかれるだろうけど、全く何もしなかったわけではないです。それは認めてあげないと。
しかしながら、選挙前には松岡農水相の自殺をはじめとする閣僚不祥事や年金問題が爆発し、不人気度に加速がつき、そのままズルズルと土俵を割ってしまったって感じなのでしょう。安倍さん本人や安倍支持者からすれば、選挙では堂々と安倍政策の本筋、つまり新しい日本の方向の基礎となる憲法改正や外交、教育という大きな土俵で、その実績と能力について皆に考えて欲しかったのが、関係ない一過性の不祥事で煙幕が張られてしまい、ろくすっぽ本質的な判断がなされないままボロ負けしてしまったって感じに映っているでしょう。そりゃあ納得できないでしょうし、続投!と意気込む気持も分からないではないです。
安部さんは、「北朝鮮拉致問題で男を上げて総理になり、年金問題でボロ負けした」という理解は、非常に表面的、マスコミ的ではあるけど、一面の真理は含まれていると思います。
僕個人が思っている安倍さんの評価は、個々の政策や理念や、たまたま噴出した不正疑惑や年金問題、あるいはわずか1年未満の短期間での実績などがメインの要素になるのではなく、もっともっと大づかみなところで見ています。ざっくばらんに「この人、頼りになるんか」「使えるのか」という観点で、「それなりの人だわ」って思うか、「ああ、やっぱりダメかも」って思うかです。個々の政策や問題は、ベースとなる人間力を断片的に窺い知るテストのようなものです。
結論的に言ってしまうと、なんかこの安倍さんって人は、”趣味的”に総理をやってんじゃないか?って感じが抜けません。
自分の好きな論点やテーマに関してはやるんだけど、総合的にマネージする力量がない。政治家というのは言うまでもなくプロフェッショナルな職業であり、日本のような調整型社会では、抜群の人間関係調整力とカリスマ性が必要です。多くの人間の力関係やベクトルを正確に見抜き、もっとも摩擦の少ない方向と方法を立案し、チャッチャと実行していかないと、日本のような社会で集団をリードすることは出来ません。それはもうアナタが宴会や旅行の幹事をやったらよく分かると思います。政治家というのはこの点でプロであり、宴会の幹事の千倍くらいの力量が問われるところです。他の政治家連中、官僚、利益集団、関連団体、マスコミ、国民各層という利害もベクトルもバラバラな連中を同時に相手にし、誰からも一目置かれるようにもっていかねばなりません。そんなことは並の人間に出来ることではないです。しかも、単に調整して足して二で割るのではなく、一定の理念のもとに引っ張っていかねばなりません。そのためには、日本というものを隅々まで知り尽くし、人間というものを奥底まで見抜くような世間智が求められます。理想をいえば、誰よりも高潔な理想を持ちつつ、誰よりも悪賢くしたたかな人物が一国のリーダーたり得るのでしょう。これがいわゆるトータルでのマネジメント能力です。安倍さんには悪いけど、これが乏しいように見受けられたのですね。
まず安倍人気の引き金になった北朝鮮拉致問題での活躍ですが、これはこれで評価はしますが、「有能な部下」である証明にはなっても、「有能なボス」である証明にはならないと思います。なぜなら、ああいう特殊局限された問題は比較的取り組みやすいからです。難しいのは全方位展開&マネージメントであり、外交から経済、福祉まで同時並行的に進めていくことです。スポット的なテーマだったら、一生懸命勉強して精力的に取り組むだけでそこそこの成果は出るでしょう。ましてや拉致問題というのは、それまで他の政治家それほど関心持って取り組んでなかっただけに(やってた人はいるけど一部)、ドラマティックな展開を見せてメディアの脚光を浴びた時点で立役者になったというのはラッキーだったと思います。ちなみに拉致問題が初めて国会で質問されたのは1988年1月28日の民社党の塚本委員長からであり、二番目が同年3月26日の共産党の橋本議員からということで、もともとは野党から提起されてきた問題です。
しかし、拉致問題の重要性を否定するわけではありませんが、拉致問題に匹敵する日本国内外の問題は他にも沢山あります。数百というオーダーであるといってもいい。メディアに注目されることもなく、日の当たらない地味な分野も沢山ありますし、そういうエリアで黙々と努力している方々も沢山います。したがって、これらの個々の分野で優秀な実績を残したとしても、評価はするけど、だからといって総理としての能力があるかどうかは自ずと別次元の話だと思います。注目するキッカケにはなるけど決定打にはならない。逆に言えば、それだけのキッカケで総理になれちゃうところが、なんだかなあって思うゆえんでもあります。まあタイミングの妙もあるのでしょうし、マスコミ主導(なにをテーマに報道するか)の国民的人気ってやつなのでしょう。ともあれ、他にこれと言った候補者もなく、最初の頃は、まあお手並み拝見という感じではありました。
そこで、安倍さんの首相としての総合力はどうか?ですが、まず組閣の時点でミソをつけますよね。自民党という人材集団から幅広く人材を発掘してきたかというと、安倍さんの個人の仲良しグループで組閣していると批判されたりしています。安倍さんという人は、生まれながらに総理になることが決まってるくらい政界のサラブレッドなわけで、人脈を作る環境としては最高だったにもかかわらず、それほど豊かな人脈を築けてないんだなってのが分かってしまいます。仲良し内閣のせいかどうか、とにかく結果的には、わずか一年以内に佐田玄一郎、松岡利勝、久間章生、赤城徳彦の各大臣が問題を起こして交代していて、これだけ初期不良の多い内閣は前代未聞だそうです。まあ、この種のスキャンダルは運もありますし、必ずしも本筋に関連しない些細なこともあるでしょう。しかし、こうも数が重なれば何かを推定させるでしょう。
スキャンダルはともかく、人脈構築能力が乏しい、各方面から一目置かれてないってのは、一国のリーダーとしては致命的な能力欠損だと思います。日本社会では、何を言うかではなく、誰がいうかによって話が通るかどうかが決まります。Aさんが言ったら通らないけど、Bさんが言うと、「まあ、Bさんがそう言うなら」で通る。これは僕らの身近な仲間内でもそうですよね。だから、「安倍さんに言われたら従うしかないわ」って思ってくれる人がどれだけいるかが、政策実行力の基礎になります。
この点、田中角栄などは天才的だったといいます。安倍さんとは対照的に、小学校しか出てない新潟の貧乏な若者だった田中角栄は、それがゆえに人の心を掴む術を心得ていたと言います。有名なエピソードですが、まだ若い田中議員が郵政大臣(だったかな)になった頃、官僚達と初顔合わせの会合があった。東大卒のエリート官僚達は学歴のない田中を内心馬鹿にしていて、初会合で恥をかかせてやろうと思って待ちかまえていた。しかし、会合が終わる頃には、田中の熱弁に圧倒され、全員立ち上がって涙を流して拍手していたという。まあ話半分という点を割り引いても、対面した人間を味方に引き入れる能力は凄かったらしいです。実際、田中は官僚を味方につけていましたし。また、田中組閣のとき、官房長官しか引き受けないぞと心していたライバル大平があっさり外務大臣を承知してしまったのも、催眠術のような交渉力によってと言われています。なんでも大平が部屋に入ったら、田中は大きな世界地図を広げていて、「大平さん、わしゃ小学校しか出てないので難しいことはわからん。ワシはこの真ん中の小さな赤いところ(日本)だけやるから、あとは全部キミがやってくれんか?」と言われ、「そうか、あとは全部俺か」と思った大平は思わず外務大臣になってしまったという。
かなり伝説化していますが、この種のレジェンド(伝説)が出てくるくらい、リーダーというのは化け物的なサムシングがいるのだと思います。「こいつは別格」と会う奴に自然に思わせるなにかです。それが人脈構築力に計り知れないくらい役に立ち、立案した政策を実行するにあたって不必要な摩擦を起こさせない不可欠な要素だと思います。これは、時代が変わろうがなんだろうが、日本人が日本人である限り、人間が人間である限り、変わらんでしょう。
その後も安倍さんの人事には疑問符がつくケースが多い。批判の激しい郵政議員の復党問題でも、郵政選挙のあとわずか1年4ヶ月で国民の民意に反する形で復党を認めたという結論もさることながら、長々続いた復党問題では、平沼vs中川という自民党内部の実力者同士の交渉という側面が強く、反面の安倍さんの存在感が希薄で、最後に復党してきた議員に「おかえりなさい」と言うだけでは、総理として事態を収拾する力量がないんじゃないのか?という弱いイメージが出てきてしまったように思われます。党内の有力代議士を、「俺の言うこと聞かないなら死ね」とばかりに公認を外した小泉前首相の剛腕に比べて、安倍首相のいかにもパシリ小僧的な軽さが浮き上がってしまったのではないでしょうかね。人事面での疑問は、他にも、せっかく念願叶って防衛庁を省に昇格させたのに、防衛大臣に小池百合子議員を任命するというあたりのセンスの悪さにも出てます。別に小池議員がどうのというわけではないけど、防衛大臣でしょう?軍隊という超暴力集団の親玉でしょう?自民党という集団に彼女以上に適任者はおらんのか?って気がします。なんか、ここで女性を起用することによって落ち目の支持率を回復させましょうというあざとい媚びだけが浮き上がってしまうという、これも人事面でのミスに加えて、民意を読むセンスの悪さも指摘されるでしょう。
次に実績面ですが、まず法案成立率の高さですけど、これは全然プラス評価されてないでしょう。特に最後の方は強行採決の連発であり、これだけ強行採決をすればそりゃあ成立率も高くなるでしょうと批判されています。一般に強行採決というのは、ラストリゾート(最後の手段)と言われていて、いかに絶対多数を握っているとはいえ、出来るだけ反対する意見を聞き、説得と納得の過程を繰り返し、論議不十分だったら成立を急がず継続審議にするというのが、最盛期を誇っていた自民党時代ですら原則でありました。これが、まあ、与野党での駆け引きや、裏取引、料亭での密室政治と非難される部分でもあったのですが、しかし、やたら数の力でゴリゴリおしていけばいいってものではないです。
また、どんな法律でも通せばいいってもんではなく、無理矢理採決してしまったかのようなものもあります。よく指摘されているのが、今リアルタイムで問題になってる政治資金規制法で、せっかく改正したそばから足元で赤城農水相問題が出て、改正法がザル法だったというのが丸わかりになってしまっています。来年1月1日施行なのですが、施行を前にして早くも再改正の話が出ているのはかなり情けない話で、法案も成立させればいいってもんじゃないのがよく分かる構図になってます。
結果として、法案成立数/率は実績としてプラス評価されるよるも、数の力を頼んだごり押しとしてマイナス評価される面の方が強いのでしょう。大体、安倍首相がこれだけ強行採決できるのも、前任者である小泉首相が先の衆議院選挙でボロ勝ちしてくれた遺産あっての話であり、彼の力で勝ち取ったわけでもない。また、強行採決をするというのも、野党や自民党内部の反対者に対する説得・調整能力の欠如として受け止められる余地があり、それを皮肉って「対人能力のないおぼっちゃまのワガママ」と斬って捨てる人もいます。
安倍首相が一番議論したいであろうホームグラウンドである教育問題と憲法改正問題についてです。それが重要な問題であること、論議することの大事さについては僕も賛成ですが、@もっとやって欲しいことがある、Aそれをアナタがやるの?って点で疑義があります。
@のもっとやって欲しいことですが、それは小泉内閣がやっていた構造改革です。いたるところで動脈硬化を起こし、閉塞感が蔓延している日本社会を構造的に変えることです。日本社会の閉塞感はバブル崩壊から現在に至るまで、スッキリ晴れてくれていないと思います。むしろ悪化してるかもしれない。というのは「閉塞ってなによ?」に関わることですが、頑張っただけの見返りはある、正しいことは報われるって実感が持てるかどうかだと僕は思うのです。やったらやっただけの結果が返ってくると自然に思えるかどうかですね。もし、頑張ったら見返りが来るというのが信じられたら頑張る奴も出てくるでしょうし、意外なところから新しいヒーローが出てきて、新しい社会の扉を開いていってくれるでしょう。明日は何があるか分からない、もしかしたら考えもいない展開になってグーンと楽しくなるかもっていうワクワク感です。で、それが無い。
逆に言えば、結果というのは別の力学(家柄とか)で最初っから決まっているのであり、何をどう努力しようが無駄って思えたら誰だってやる気がなくなりますよね。最初から上流階級に生まれたり、その階級に属せば人生なにかと得をし、そうでなければ理不尽に損をし続けるだけであり、この構造は絶対に変わらないって決まってたら、もう生きているのがイヤになりますよ。「どうせ強い奴が勝つ」「変るわけないよ」っていうシラケムードが蔓延する。ここ数年でどうなったのかといえば、プラスマイナス拮抗してると思います。ガチガチの会社カルチャーというのはかなり解体されてきましたし、盲目的忠誠心を持つ人も少なくなったから企業の不祥事も昔よりも公になりやすくなってる。公取委もガンガンやってるし、公共投資の大幅削減で地元の談合体質も解体しかけてきているし(それが今回の参院選の結果=保守王国の地方自民党の惨敗)。
しかし、マイナス材料も多いです。いわゆる格差社会とカルチャーが蔓延し、それを打破しうるサクセスストーリーの否定(ホリエモンや村上ファンド事件=しかしあの村上一審判決の問題意識の無さはなんなんだ)、ホワイトカラーエグゼンプションなど大企業の搾取構造の進展。世襲議員の普遍化。結局、強いところがワガママをゴリ押ししてそれきりかよってムードもありますよね。
十数年前細川政権発足時の国民的盛り上がりも、これで日本はもっと楽しい国になるかもって多少は信じられたからだし、小泉人気ももとを正せばこの点でしょう。いかにも自民党らしくない人物が総理になることで、これまでとは違った社会になるだろうという期待があったからです。モヤモヤ閉塞しているだけに、スッキリクッキリしてるものが欲しい、「異物」まがいにキャラが立ってる人が欲しいのでしょう。
ところが安倍さんは格差社会の頂点にいるような毛並みの良さであり、いわゆるこれまでの日本的構造と力学関係がゆえに総理になれたような人です。あの人が、僕らと同じくド庶民の家に生まれていたら総理になれたとは思えないです。どの血筋に生まれるかは安倍さん個人の責任ではないので批判はしませんが、思えば皮肉なポジションです。国民が打破を望んでいる閉塞感や固定的な身分カルチャーの保守本流のまっただ中に彼はいるわけです。それが理由なのかどうかは分かりませんが、格差社会やら閉塞打破に関する安倍首相の積極的なコメントや政策は、寡聞にして見受けられませんでした。
また、「打破」というややもすると暴力的なニュアンスから、望まれるリーダーはバイオレンスなものを感じさせる人が好ましく、その意味でも小泉さんは適任だったのでしょう。無茶な行動も、それが既成構造の打破に向かうときは皆も支持しますが(郵政反対議員の公認外しとか)、そうでなければ単に無茶なだけ(強行採決の連発)ということでしょう。
もう一つ、やって欲しいのは経済です。生活や暮らしの安定です。それは経済や金融に精通して適切な施策を講じることができる能力であり、平均的な国民の生活苦をよく理解し、実際に使える福祉制度を構築していける能力です。結局、どれだけ手厚い福祉ができるかは、どれだけ国が豊かであるかにかかっており、最終的には優秀な経済政策に帰着します。
そりゃ憲法も大事かしらんし、拉致問題も腹が立つし、ナメられない国家を作るのも大事だろうし、教育や道徳も大事でしょう。だけど、それよりも日常生活がキチンと廻っていくこと、日々の生活収支がちゃんとリーズナブルになっていることが、僕らにとっては一番大事です。幾ら国粋主義的主張をする人でも「俺の全財産をカンパするから強大な軍隊を作れ」という人は少ないでしょうし、徴兵制度になったらイの一番に俺を徴兵しろって人も少ないでしょう(だったら今の時点で自衛隊に入ってるでしょう)。ナショナリスティックなブログで燃えてる人だって、自分が失業したり、家業が倒産したり、家が全焼したり、家族に事故があって植物人間になってしまったりしたら、そんなことやってるヒマないでしょう。要するに、あれもこれも食えてるからこそ初めて言えるようなことだと思います。食えなくなったらそれどころじゃないよ。
でも、安倍さんが経済や福祉に詳しいって話は聞きませんし、これといった見識も窺い知ることが出来ませんし、それを際だたせるような行動もありません。なにも魔法使いと言われたグリーン・スパンになれとは言いませんが、おお、さすが経済には詳しいわって唸らせてくれる一幕はついには無かった。あのー、なんだかんだいっても経済あっての日本でしょう。世界的に言えば、腐っても鯛の日本経済は物凄いハイレベルで頑張ってます。その日本経済を支えているのは世界に売れるものを作り続けている一群の企業軍団であり、それをサポートするサービス産業や官僚機構でしょう。逆に言えばココがコケたら、とりあえず失業者が増えるという以上に、外貨収入はガタ減りになり国際収支は超赤字になるから、エネルギー資源も買えないわ、食糧も買えないわということで、この資源も食糧も乏しい島国は飢餓状態に叩き込まれるわけでしょ。オーストラリアみたいに、石炭は売るほどあるわ(だから今のオーストラリアは石炭を中国に売って超バブル)、食糧も売るほどあるわだったら、レイジーにやっててもそこらへんの原っぱでバーベキューしてキャンプやってりゃ死ぬことはないですよ(なんか風景が目に浮かぶわ)。でも日本はそうじゃない。高レベルで走り続けてなんとかなるという際どい運営を宿命づけられているわけです。
でも、本当に日本を支えている層=すなわちアナタのような普通の市井の職業人ですが=、この人達のエリアの問題というのは高度にプロフェッショナル過ぎて一般的な話題になりにくい。また忙しすぎてインターネットその他でガンガン発言してるヒマなんかない。だからサイレントマジョリティになるしかない。でも、彼らの力をあなどってはならないし、彼らの評価はかなり厳しいと思われます。営業車で走り回って得意先に頭を下げまくってるあなた、パソコンの前で帳簿をつけて唸ってるあなた、ローン返済と学資に圧迫されて家計簿をつける気力がなくなりつつあるあなたは、生きていくこと、生活していくことのシンドさを骨身に染みて理解しているでしょう。だからこそ、ある人物を評価するにあたり、その人がリアルな生活というものを骨身に染みて理解してるかどうかを見抜く力もあると思います。
ところで、教育問題や憲法などは、誰でも一家言持ってます。別に勉強しなくても特殊なスキルがなくても、誰でもなんか言えます。でも、経済政策とか福祉などは、かなり勉強しないとものが言えないでしょう。ましてや一国をリードする立場にあるのだったら、国際ビジネスの最先端についての造詣がなければ先手先手の戦略を構築できるわけもないです。インターネット社会になることを早くから予知して、情報ハイウェイ構想を実行していったクリントン・ゴア政権のような先見の明が必要です。しかし、安倍さんにこの面でのスキルがあるか、あるいは優秀なブレーンがいるかとなると、心許ないのが実情です。逆に、「おぼっちゃまに庶民の暮らしがわかるのかねえ」って懐疑的なムードすら漂ったりします。
僕が思うに、年金問題があれほど大騒ぎになり、選挙での致命傷になったというのは、こういった背景があってのことなのでしょう。年金問題それ自体は、連綿と続く過去の為政者の失策であり、安倍さんはたまたまそれが発覚したときに在職していたに過ぎません。いわばトバッチリであるわけで、彼の責任ではないです。でも、そんなことは国民だって馬鹿じゃないから分かってるとは思うのですよ。全員が弁えているかというとそれはないでしょうけど、相当多数の人はそこらへんはクールに見えてると思います。
だから、年金問題があそこまで問題になったのは、経済や福祉について無頓着なんじゃないかというかねてからの不満のトリッガーになったに過ぎないんだろうなって気がします。それともう一点は、この問題に関する対処のマズさです。口では厳正に対処とかいうんだけど、なんか緊迫感オーラがない。この問題、一般の国民にとっては、「なにー!?」と思わずちゃぶ台を蹴り倒したくなるような話でしょう。これまで延々と払ってきた年金、人によっては延べ数百万、一千万以上払ってきた年金、そしてこの先行き不透明な日本で唯一の寄り処になる年金、それが「わかりません」「わからないから払えません」で済まされていいわけではないです。日本の年金なんか全然アテにしてない僕ですが、でも仮に自分がその立場だったら、「ふざけんじゃねー、馬鹿野郎!」で役所に火を付けたくなりますよ。それも5000万人分。これが民間企業だったら一夜にして倒産でしょう。銀行だって顧客の預金について帳簿がないからわかりませんは通らないし、その噂が出た時点で取り付け騒ぎになるでしょう。
国民にとってはかなり切実な問題であり、人によっては人生掛かっているくらいに差し迫った問題なんだろうけど、安倍首相の場合、その怒りと焦燥を理解してるのかな?って思わせる部分があり、それが皆の怒りを買っているのではないでしょうか。かつて連立与党で厚生大臣になった菅直人議員は、折しも薬害エイズ訴訟で秘匿したがる官僚を怒鳴りつけてでも書類を出させ、さらには被害者の前に出て行き土下座して謝罪して男を上げました。この「叱りつけてでも」というリアクションがウケるところだし、「なんとかするんだ!」という気迫が周囲に伝わったのでしょう。年金問題は、菅直人が厚生大臣時代にも発生していたわけで、彼も又責任者ではあるのだけどその点にはあまり言及されず、安倍さんが年金問題でミソをつけたのは、国民の痛みを我が身の痛みとして感じることが出来るかどうかの差だと思います。まあ、これもあざとい見方をすればパファーマンスに過ぎないのかもしれないけど、適宜適切なパフォーマンスが出来るのも政治家として必要なスキルでしょう。
最後に、憲法問題や教育問題ですが、僕なんかはハッキリ言って「お前が言うな」って思いますよ。
憲法も教育もメチャクチャ大事な問題ですよ。それを語ることは大事なことですよ。総理がこの問題について確固たる信念を持つことは、賞賛されるべきでこそあれ、非難されるべきことではないと思いますよ。
そうなんだけど、上記の安倍さんの一連の過程を見ていると、この人に戦争とか平和とか人間の根源に迫るような部分が理解出来るのだろうか?って気分になります。戦争というのは、それを実体験として知ってる人ほど、もう二度とイヤだという傾向があります。「いやあ、もう一回やりたいですね」って人はマレです。僕も実体験はないけど、想像力を使って段々類推できるようになりました。あんなの個々の僕らにとってみれば、ある日突然徴兵という名の拉致をされ、20キロのフル装備を背負わされて炎天下を10キロ走らされ、部隊内部で陰湿なイジメを受けたり荷担したりして、知らない土地に行って目の前で人間の手足や内蔵が散乱し、挙げ句の果てに自分も片腕を失い、わけも分からずジャングルかどっかを放浪し、傷口を縛り付けた汚い包帯からウジ虫がボロボロ落ちたりするわけでしょ。そんなのしたくねーよ。それでも勝てばまだいいですよ。負けたら勝って入ってきた他国の連中に奴隷のように小突かれたりするわけでしょ。勝ったところで、名を上げるのは雲の上の存在の”将軍”でしょ。だから、戦争体験者ほど、それも内務官僚とか将軍様とか自分ではツライ思いをしなかった連中ではなく、実体験として南方に送られたり、満州引き上げ時にリンチを受けたり、シベリアに何年も抑留された人ほど、「もうやだ」って思うもんでしょう。あんな辛く、惨めで、無意味な体験を正当化するどのような理屈もこの世にはないわって思ったりするのでしょう。
でもそのへんの肉体感覚が薄れれば薄れるほど、しょーもない理由で戦争に走ったりするのでしょうね。過保護に育って肥大した自我が傷ついたという些細なことから「戦争じゃい!」って感じになってしまうという。あまりにも日常生活から隔絶しすぎてるからピンとこないんだろうけど、戦後日本で9条を巡って対立していたのも、どちらの立場であろうとも戦争を実体験として知っていた連中がやってたわけです。だから、あまりにもヘビーな体験なので、そう簡単に決着が付かなかったって部分もあったと思うのですよ。それが風化するにしたがって、軽々しく論じられるようになってるキライはあると思います。
でもって、安倍首相のいう「戦後レジュームの脱却」というのも、この「軽々しく論じる」系に入りそうな感じに見受けられるわけです。これだけのヘビーなテーマを、どれだけの覚悟で言ってるのさ?って。
教育問題も同じことで、誰でも一言は言えるけど、万能の解決策はない領域です。教育というのは、魔法の杖の一振りで何とかなるものではなく、日常的な現場で地道にやってくしかない、しかも効果が分かるのは20年後という報われない分野だと思います。しかし、安倍さん肝いりの教育再生会議も、その秘密体質が批判の対象になり、さらに「単なる井戸端会議」「時事放談以下の思いつき」と厳しく批判されるような低レベルなものになってるといっていいでしょう。
大体ですね、山谷えり子議員あたりを事務局長に据えて議事をリードさせてるあたりで失当だと思う。彼女は、民社党、民主党で当選したのにあとで自民党に鞍替えし、“まともな保守系女性”を育てようという会を主宰し、政治理念は保守であるのに自分は茶髪。夫婦別姓を主張していたのに、掌を返したように反対に廻るが、自分は未だに旧姓を使う。神道や靖国問題に積極的なくせに本人はクリスチャン。詰め込み教育がオウムを生んだとゆとり教育を提唱したのに、今はゆとり教育が学力低下につながったと批判するという。教育再生会議でも「子守歌を聞かせ、母乳で育児」「授乳中はテレビをつけない」を盛り込もうとして、さすがの低レベルな内容に自民党内から待ったが掛かったという。権力を得るためにここまでなりふり構わぬ変節を繰り返す人も珍しいし、ある種政治家としていい根性してるという気もしますが、自分の頭で考えた(かどうかも疑わしいが)アイディアは「授乳中はTV禁止」というレベルの人間も、ここまで徹底すれば国会議員になれるという見本みたいな人だと思う。しかし、よりにもよってこの程度の人物を内閣総理大臣補佐官にし、教育再生会議担当室事務局長に任命する安倍さんの人事センスはいかがなものかという気がします。本気で教育改革をやろうと思っているのか。
以上、総括すれば、安倍さんが唱えている戦後レジュームの脱却というのも、目玉の教育再生会議のレベルの低さを見てれば、戦後脱却どころか戦前回帰ノスタルジー耽美系以上のものではないような気がする。憲法問題などについても、経済とか福祉とか他の真に必要とされる分野については見識が薄いから気の利いた政策も打ち出せず、とりあえず誰も言えそうなテーマで何か言ってるに過ぎないんじゃないか?って疑問が湧いてくるのですね。
政界のサラブレッドの毛並みの良さも、それを有意な人脈形成に利用できてないし、衆知を結集して難局に当たるということも出来ていない。それは逆に本人の人間的魅力(TV写りなどではなく、対面する人間を味方につける迫力とカリスマ性)の乏しさの現れであると理解できなくもない。また、そのサラブレッドの貴公子的ポジションが、一般国民の皮膚感覚を理解するのを妨げ、それが国民との接点を失わせ、結果として信頼を失ったということじゃないかって気がします。
安倍さんの不支持率も、格差や閉塞感にイライラしている20代30代の男性、あるいはバリバリ一線で仕事をしている40代50代の男性において高いというのもうなずける面があります。結局、安倍さんには悪いのだけど、大したカリスマ性も人間性にも恵まれず、かといって魔王のように君臨し断行する剛腕もなく、はたまた政策通でもない政界きっての王子様が、苦労知らずゆえにマイルドで温厚なハンサム顔で人気が出たけど、だんだんその無能さがにじみ出てくるに従って人気が落ちていったということなんかなって僕は理解してます。
まあ、国民の人気といい、選挙の結果といい水物ですしアテにはなりませんよ。もしかして本当は凄い有能な政治家なのかもしれません。一国の総理がそんなにコロコロ変るのもカッコ悪いし、来月にはここシドニーで開催されるAPECにレイムダック状態で参加し、各国首脳から冷淡な視線を浴びるのも気の毒な気がします。だけどなー、なんかなー、一言でいえば、おぼっちゃまが仲良しグループで趣味的に総理やってるって気がしてならないんですよ。でもって、こう感じているのは、僕だけではないと思いますけどねー。まあ、本人もそこまで馬鹿じゃないと思うし、頑張ってもらいたいとは思いますけどね。
ところで、オーストラリアでもそろそろ総選挙です。二大政党制バリバリのこちらでは、現PM(首相)のハワードと、野党党首のケビン・ラッドがことあるごとに新聞紙面を飾っています。このケビン・ラッド氏ですが、声を荒げたところを見たことがないというくらい温厚な性格で、顔もまた温厚で、その意味では安倍首相に似てます。が、オーストラリア有権者の評判は今のところ落ちてないです。このままいけば新首相になるでしょう。なぜかというと、温厚なんだけど弱そうに見えないんですね。どんな問題を突きつけられても「あ、それはですね」と冷静に切り返す聡明さ、自分の夫人がバリバリのやり手経営者でそれがゆえに政治家として利益相反になるというスキャンダルが発生したときも、短時間の間に夫人が会社を売り払い、綺麗に処理してるわけで、それだけの思い切ったことを瞬発的にやってのけられる実行力として逆に評価されてる部分もあります。温厚だけど賢い、そしてやるときはズバッとやるから弱そうではないという。安倍さんもその路線でやってくれたら人気もある程度回復するのではないかなって気がしますね。
文責:田村
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