今週の1枚(06.09.25)
ESSAY 277/日本帰省記2006(8) 日本の風景写真集A〜三丁目の夕陽、温泉宿、夢の舟盛、猫背
写真は、岐阜市長良川、長良大橋より撮影。このオジサンは何をやってるのか(堰き止めて魚を取っているのか?)今ひとつよく分からなかったのですが、光線の加減が中々良いので。
いつまでたっても終わらない日本帰省記ですが、面白そうな写真がまだ大量に残っているので、ここらでペースをあげてガンガン掲載していきます。
レトロと言いますか、「ほ〜、まだこんな風景が日本に残っていたのね」と改めて感心した風景がいくつかあります。
少しばかり「三丁目の夕陽」の世界ですが、昔の日本は大体こんな感じでしたよね。
しかし、これらは別にレトロ趣味(懐古趣味)によって存在しているのはでなく、現役バリバリであります。丁度、夕陽が現役バリバリであるのと同じように。
上の写真端は岐阜市街地にふと取り残されたような空き地と建物。
写真上中央は川崎市の僕が昔住んでいたあたりのエリアです。
タイムスリップして昭和30年代とか40年代前半にいったら、当時の日本はこんな感じだったと思いますよ。そりゃ綺麗な建物もビルも建てられ始めていたけど、マジョリティはこんな感じだったでしょう。
写真左の家の外にプロパンガスがドーンと置いてある感じといい、空き地の感じといい、けっこう「そのまんま」です。また写真中央の家の裏手まで竹薮が迫ってる感じも、波型トタン壁の部分部分が錆びてる感じも、かなり見覚えあります。こういう形で紹介されるのは持ち主の方(どこの誰かは知らんけど)には不本意かもしれませんが、いや、決してネガティブな意味合いで書いてるつもりはありません。「日本って、結局、これでしょ?」ってことですよ。今この家に住めといわれても、僕はけっこう馴染めます。せせこましいマンションなんぞに住むくらいだったらこっちの方がいいです。第一、僕だってこういう家で育ったもん。一定の年齢層以上の日本人だったら、ほとんど誰もがそうだったと思うし、今でもかなり多くの人が住んでおられるでしょう。だから、こうして残っていてくれてうれしいです。妙にチャライ建物にしてくれなくて。
写真上の右端は、岐阜の著名な繁華街柳ケ瀬の一角。昔ながらのスナックのある小路。よく「なんたら横丁」とか名前がついていそうな感じ。こういった飲み屋がメジャーだった頃、僕は当然コドモだったので、リアルタイムの体験実感はないのですが、お酒を飲み始める大学生以降(昭和50年代後半)にも結構残ってました。まあ、大学生くらいのガキの行けるような店ではないですけど。この種のスナックや飲み屋さんは、今もなお現役パリパリであろうし、レトロだなんていったら失礼なのかもしれないです。
でもこの種のお店、特にこういった”風格”のある佇(たたず)まいというのは、バブル以降めっきり減ってしまったような気がします。大体が地上げにあっていたと思うのですよ。僕も弁護士なってしばらくは、バブルの狂乱地価状態だったから、地上げ案件(対地上げ屋側)を結構やりましたし、中にはこういうお店もありました。
写真上左端は、箱根湯本駅あたりで撮ったのかな。「ルノワール」という喫茶店の名前が懐かしかったので。喫茶「室」という命名も「ああ、そう言えばそうだったよな」と思い出すものがあります。今は、ルノワールという喫茶店、どのくらい残っているんでしょうね。と思って調べてみたら、全然健在でありました。インターネットって、こういう調べものをするのは便利ですよね。有限会社銀座ルノアールという会社がありまして、東京を中心に関東一円に多数(100店近い)の支店を出しています。レトロとかいって失礼しました。創業は1964年。有限会社花見煎餅の喫茶部門が独立して日本橋に一号店を出しています。一昨年にはジャスダックに上場してますし、スターバックス的なニューヨーカーズカフェチェーンや、カフェ・ミヤマというチェーンも展開しています。ルノワール自体も、ほぼ全支店無線LAN対応し(この箱根湯本店も無線LANあり)、コピー機を置いたり、携帯電源も用意したり、マイスペースという貸会議室業務も展開してたりします。
なんか日本帰省記レトロな旅がいつのまにか企業研究になってしまいましたが、「へえ、そうだったのか」ということでひとつ賢くなりました。ルノワールは関西圏には出店してないので高校卒業後ずっと関西の僕としては、主観的にいつのまにか「なつかしい関東時代の思い出」みたいに思ってたのかもしれません。関東の人には全然懐かしくも何ともないのかもね。
写真上中央と右端は、湯河原温泉で撮った写真。いかにも「温泉」的なものは、次に続きますが、「温泉宿」というテーマよりも、レトロというテーマの方が強い二枚を。
写真中央は、これは今も日本全国津々浦々どこにいってもあるような業務形態だと思います。化粧品と薬屋さんとタバコ屋さんが合体し、さらに洋品(=これ自体が死語に近いと思われるが)も売っているという、後のドラッグストアや多角経営の先駆的存在です。どうしてこういう経営形態になったのか、考えてみると興味深いです。アメリカでもドラッグストアがコンビニやスーパー化し、チェーン展開しますし、日本でもそうです。オーストラリアにもPricelineなんて薬屋さんベースのチェーン店があります。なぜ世界的に薬屋さんは多角経営する傾向にあるのか?すぐに思いつくのは、薬事法の関係で薬剤師を置かないといけないという法規制です。ちなみにタバコも専売制になっていて免許が必要です。これがひとつの要因になっているんじゃないかとと思われますが、それだけではないでしょう。小泉首相がぶっ潰そうと頑張っていた特定郵便局→局長会が自民党の地方組織の要になっていたように、あるいは日本各地の農業委員会が農地法上の規制から日本の国土利用や不動産価格形成のひとつのファクターになっていたように(農地を宅地に転用するときに許可が必要)、薬屋さんも単に薬を売っているお店という以上に、なんらかの社会的意味があったのでしょうね。突っ込んで考えていくと本稿の主題から離れていくのでこのくらいにしておきます。しかし、「外国たばこ」という表現も懐かしいですな。
写真右端は、僕が泊まった温泉旅館の中の風景。こういった市松模様のタイル張りの洗面台が又懐かしいです。もっとも、この宿(岩本屋さん)は、こういったレトロの味を売りにしている宿で、この種の風情は館内いたるところにありました。
話が温泉になったところで、湯河原温泉の写真を。
外国から日本に帰ってきますと、スタイリッシュでコンテンポラリーな宿よりも、昔ながらの温泉街に憧れてしまいます。お洒落な洋館にはあまり惹かれない。だって洋館だったらこっちに腐るほどあるし、現に今住んでます。魚屋にいって魚を求めるように、日本に行けば日本を求めます。
温泉街、温泉旅館という言葉や存在それ自体が既にレトロだったりするのですが、温泉のある里というのは日本人の故郷みたいなもので、故郷が変って欲しくないのと同じように、出来れば変っていただきたくないです。そりゃ地元の皆さんの意向もおありでしょうし、時代に対応して生き残るべく頑張っておられるでしょうが、そのあたりの事情に無頓着な第三者としては、昔ながらの風情を無責任&無邪気に喜んだりしてしまいます。
湯河原という場所に特に深い思い入れはなかったのですが、東京からドンコーで行ける範囲であり、且つ昔ながらのテイストが濃厚に残っており、一泊素泊まり4000円くらいという条件で探していたらここになりました。や、でも、良かったですよ。
温泉街というと、なんか町の真中に川が走っており、川の両側に昔ながらの温泉旅館が軒を並べているというイメージがあります。あなたにはそういうイメージはないかもしれないけど、僕にはあります。湯河原温泉は、まさに絵に描いたような温泉街であり、しっかり川が流れており、しっかり両側に温泉旅館が軒を並べておりました(写真上)。
さらに一歩奥に入ると、昔ながらのレトロな町並みが待っていてくれます。前に掲示した薬屋&洋品店もそうですし、前回のエッセイのトビラ写真のショーウィンドウの猫もまたそうです。しかし、ここにもまた「外国タバコ」というのがドーンと売りになっていますね。昔は外国タバコがそれだけ魅力的な訴求力を消費者に持っていたってことですよね。今はどうなんですかね?そんなに洋モクだから、どうってこともないのでは?
上の三枚の写真は、岩本屋さんという温泉宿の中です。まずチェックインしたらとりあえず一風呂。ちゃんと黄色い桶に「ケロリン」と書いてあります。お約束どおりですよね。ところで、ケロリンって何なの?薬だとは思うけど見たことないぞ?一回飲んでみたいぞと思って調べてみたら、富山の薬屋さん(これも定番ですね)、内外薬品というところが出している鎮痛薬で、昭和38年頃から宣伝用に銭湯の湯桶としておかれるようになったそうです。内外薬品のサイトはここです。いわゆる「よく知ってるけど全然知らない」ということで、この際一度ケロリンをちゃんと認識しましょう。
ケロリンファン倶楽部なんてページもあり、そこではケロリン桶の由緒正しい解説が記されていました。それによると、広告媒体として湯桶を考えたのは、睦和商事という東京都江戸川区の会社の営業マンだったそうです(現在は社長)。トリビア的に「へー」と思っちゃうところですけど、よく考えるとスゴイですよ。昭和38年、東京オリンピック以前、新幹線以前の時代に、しっかり広告戦略というものを考えて実行しているわけですから。「衛生上の問題から、銭湯の湯桶が木から合成樹脂に切り替えられる時期「風呂桶を使った広告は多くの人が目にするはず」ということで話がまとまり」と説明されていますが、時流を見抜く的確な視点、大胆な発想、そして行動力。ちなみに、最新のアメリカの経営理論とかMBAとかマーケティング理論とかいろいろ横文字満載で紹介され、ビジネス本が出てますけど、「それって実は昔っからやってんじゃないの?」と思われるようなことが沢山あります。調べてみたら実は江戸時代から似たようなことはやっていたとか。アカウンタビリティとか、コーポレイトガバナンスとか横文字にしちゃうから幻惑されるだけの話で、内容的には実はもう知ってるってことも多いですよ。
昭和38年に第一号のケロリン桶が置かれたのは、なんと東京駅八重洲口の東京温泉だそうです。東京温泉?八重洲口?目まいがしそうですね。パラレルワールドみたい。あー、俺、日本のこと何も知らんわって思ってしまう瞬間です。東京温泉、今もあるそうです。東京クーアという名前だったりしますが、日本初のサウナで男性専用ですが健在です。なお女性の方は、八重洲口から徒歩7分に浦島館というのがあるそうです。夜行バスで早朝に東京駅に着いた人のために、JRバスでは割引券を出しているようですね。ほお。
ケロリン桶ですが、のべ200万個出荷したそうです。今も年間4−5万個のペースで納品されているそうです。このケロリン桶の発案者である睦和商事のHPがあり、ここにさらに詳しい情報があります。印刷技術がキクプリントという熱に強い方式であることとか、関東と関西でサイズが違うのはなぜかとか、あとケロリングッズもあります。ケロリンキーホルダー500円、ちょっと欲しいかも。ロフトや東急ハンズに売ってるらしいです。
さて、一風呂浴びたあとは、部屋にもどって濡れたタオルを窓際に干して、冷蔵庫からビールを出してきて「ぷはー」とやるのが、やはり正しい日本人のあり方でしょう。その正しい写真が、上の写真中央です。海外で頑張ってる日本人同胞に捧げます(^_^)。富士山や桜の写真よりも、この一枚のヒーリングパワーの方が大きいと思うぞ。
写真右は、ドンちゃん騒ぎの翌日、早朝6時頃の部屋の窓から眺めた風景。お酒を飲んだ翌朝は、妙に早起きだったりするんですよね。しかし、異様に爽やかでしたね、この風景。空気がひんやりしてて、かつ適度に湿り気を帯び、透明度が高く。
ところで宿決めに関しては仲間と一緒に色々探しまくっていました。わざわざ掲示板まで作って「ここはどうや?」ってやってたわけですが、相当調べて込んできての結論、「しょせん、インターネットじゃ本当のところは分からんね」ということでした。当たり前ですけど、商業サイトが多い関係で、商業的にメリットのある部分がドーンとくるわけですよ。いわゆる「売り」の部分ばっかり強調されるから、情報のバランスがすごく悪くなるんですね。実際に来てみて、「おお、湯河原というのはこういうところだったのか」と思ったわけで、現実の湯河原を正しくイメージさせるような情報なんか皆無に近かった。一番役に立ったのは普通の地図です。地図を読み込んで、駅までの距離や周辺の状況を推測していったのが、もっとも正しかったし、役に立ちました。
あと、旅の宿とかじゃらんとか楽天とか、旅館検索予約サイトも沢山見ましたけど、あれで「満室」となってても、全然ガラガラだったりもします。実際、僕らのときも「残室1」というギリギリの状況だったのですが、フタを開けてみたら、僕らともう一室しかお客さんはいなかったわけで、もう超ガラガラといってもいい。だったらあの「残室1」とか「満室」という表示はなんなのか?と思いますが、あれは要するに提携しているじゃらんなどの割り当て部屋数なんでしょうかね。アテにならないですよ。だから、ほんと、インターネットなんか使わないで、ちゃっちゃと電話して聞いた方が早いし、正確。インターネットは、さっきの喫茶ルノワールやケロリンを調べるには優れたメディアだと思うけど、こういう実用面では意外と役に立ちません。特に「詰めの部分」ではかなり無能である局面が多いです。ですので、何度も言いますが、あまりアテにしないように。シドニー情報にしても、同じことは言えるでしょう。そんなことより、大雑把に本質を掴んだ方が役に立ちます。
「日本に帰ったらコレを食べよう」と心ひそかに思ってたものを食べてきました。
写真上左端から、湯河原温泉でタクシーの運ちゃんにオススメの所を聞いて食した夢の舟盛り。
中央の写真は、夏の日本(関西)だったらコレでしょうということで、鱧(ハモ)の落とし。京都木屋町にて。
右端は、知っている人は知っているギトギト系ラーメンの元祖である天下一品のラーメン。京都銀閣寺店。
大抵の日本食材はシドニーでも手に入りますし、実際工夫次第で日本にいるときより日本食を食べてたりするわけですが、食材的に手に入らないものもあります。その典型がハモです。あとフグ。夏のハモ、冬のフグは日本(特に西日本)では定番なのですが、こればっかりは日本に行くしかないです。何度も書いているようにハモの出回る夏場に帰国したのは十数年ぶりですので、まさに十数年ぶりのハモになったわけです。もっとも、ハモの落としそれ自体に強力な美味覚があるわけではなく、味といったら殆どが梅肉の味だったりします。そりゃ真剣にイイモノを食べれば独特の味わいはあるのでしょうけど、普通に食べる場合、視覚と触感がメインでしょう。ひんやりフワフワしたハモの華と、横に添えられた梅肉の紅色とのコントラストが楽しいという。だからこれは、日本の夏に、昼間に「くそ〜、暑いぞ〜」とうだりながら仕事をして、やっと解放された宵時に冷たいビールとともに食べるという総合的なシチュエーションが美味しいわけでして、同じものをオーストラリアの強烈な陽射しに照らされながらユーカリの木の下でバーベーキューをしながら食べても、「なんか違うぞ」ってなもんでしょう。
同じように、お刺身の船盛は別にシドニーでも食べられますが、わざわざ温泉町までいって、わざわざ地元のタクシーの運ちゃんに聞いてという段取りがイイわけですね。
マニアの一品である天下一品のラーメンは、実は店によってけっこう味が違います。京都が本場で、大阪になるともう違う。それどころか、同じ京都でも許せるのは今出川通りまでで、それよりも南下すると味が軟弱になるような気がします。なんというか「食えるものなら食ってみろ」的な気合みたいなものが薄くなり、一般向けになるような気がしますね。これは商売を考えたら仕方のないことで、マニアにしか受けない究極の一品を出しても、売れないんだったら意味がないです。なんで京都の北がいいかというと、あの辺りは昔から大学の巣(京大、同志社、立命)であり、学生達の熱烈な支持を受けて発展したからでしょう。僕も、冬に下宿で夜中まで麻雀やって、「小腹が空いたな」と皆で「うー、さぶ!」とか言いながら底冷えのするクソ寒い京都の町を歩いて、(烏丸)今出川店まで食べに行ってました。寒くて、熱くて、ギトギトで、という強烈な取り合わせが麻薬的で、ハマったもんです。
これは本店である北白川店に程近い銀閣寺店。一番最初に食べたのもココでした。当時は単に「中華そば」とかいう大きな提灯がかかっていて、単にラーメンを食べるつもりで入店し、「なんじゃ、こりゃあ!」とギトギト系ラーメンの衝撃を受けたものでした。なんせテーブルの上までギトギトだったもんね。しばらく「もう絶対行かない」と思いつつも、麻薬患者のようにあるとき無性に食べたくなるという。ネットで調べても、天下一品のディープなマニアは数多く、皆さん熱い想いを語ってらっしゃいます。誰かも書いていたように、銀閣寺店、いいんだけど、「なんだ、この物体は!」というギトギト衝撃度が足りなかったように思います。美味しかったですけど、「面妖な!」という部分がもうちょい欲しかったような。
写真上左は、これを食べるためだけにわざわざ京都から新幹線に乗って名古屋までやってきた味噌カツ。しかし、実際に名古屋駅周辺をほっつき歩いても、なかなか味噌カツの店がないんですよ。ちゃんと調べてから来れば良かったです。さんざん歩き回って、名古屋名物地下街のとある店にはいったのですが、妙に口当たりがよかったりして、今ひとつでした。あのアカ抜けない味噌味がイイわけで、もうちょいコッテリして欲しかったです。くそお。
しかし、舟盛といい、ハモといい、天下一品といい、味噌カツといい、全て過去の経験や記憶あってこその一品です。学生時代京都に下宿してたからこそ天下一品に出会い、今それを食すると当時の思い出が立ち上がってくるわけです。同じように司法修習で岐阜に1年4ヶ月いたから中京圏の風物に愛着を覚え、大阪で仕事してたから夏のハモの魅力を知ったという具合に、グルメとかなんとかいっても、ものすごくパーソナルなものです。もし僕が記憶喪失になったら、感じ方はおそらく全然違うでしょうね。また、全く何の愛着も思いいれもない人が食べて美味しいかどうかは、また別物でしょう。
写真上中央&右は、これは実際には食べてません。写真だけ。
中央は、新幹線名古屋駅のホームの立ち食いのきしめん屋さん。「それが何か?」という人もいるでしょうが、美味しいんですよ。知ってる人は知ってます。特に新幹線出張の多いビジネスマンだったら、先輩上司から伝えられて、知ってる人が多いんじゃないかな。僕も出張のときに楽しみにして食べてましたけど、ほんと美味しかったです。「きしめんってこんなに美味い物だったのか」と初めて感じた。今回は味噌カツのために食べませんでしたけど、結果論でいえばこっちにすれば良かったかも。
写真右は、「なんなの、これ?」と思って撮った一枚。岐阜の長良北町あたりですね。昔住んでたエリア(福光東)の近くですねっつっても、土地の人以外は知らないだろうけど。こういうお店は日本全国ありますよね。でも、このお店、かなりエクストリームに走ってますよね。焼き鳥屋さんでスズメやカエル、イナゴまではいいとして、カンガルーがこんなところで食べられるとは。アオ海亀とか、ワニとか、さらにサソリなんかどうやって食べるのだろう?サザ虫、まゆ子に至っては、何となく分かるような気がするが、それ以上考えたくないって感じですね。本当に頼んだら出てくるのだろうか。
別にこのテーマで撮り貯めたわけではないですが、街で写真を撮ると、特に駅のホームで写真を撮ると、必ずといってもいいほど誰かが猫背になってケータイやってますよね。オーストラリアでも結構やってるけど、そんなにメール機能も充実してないし、iモードもないし、そもそもそういう面倒臭いのオージーは好きじゃないし、やるんだったらパームトップ系になるしって感じです。だから、日本に帰ると、「おお、猫も杓子も」って目に付きます。
右の写真は、新幹線の浜松駅(だったかな)のホームにて。列車が停まる直前まで皆さん頑張っておられます。
写真下は、左から京阪電車浜大津駅、中央は阪急長岡天神駅(だったかな)、右は書いてあるように神戸三宮駅。
写真上左と中央は近鉄京都駅ホームと車内。
右端はJR京都線高槻駅だったと思います。これは直接やってる人は写ってないようだけど、おそらく写真中央左よりに写ってるワイシャツ姿のおっちゃんの背中からして、この人やってるんじゃないかな。どうしても携帯電話をいじくってると、俯き加減で猫背になりますからね。
思うのですがケータイが普及して、もともと猫背気味だった日本人の猫背度が一層UPしたのかもしれないです。肩凝り度や背骨歪み度も増しているかも。
3年前に日本に帰ったときと比べると、嬉しそうに携帯をあやつってるオジサンが増えましたね。むしろそっちの方が目立つくらいです。ふーん、中高年層もやるようになったのねというのが発見でしたが、これも穿った見方をすれば、若い人の方が総じて操作に習熟してるから短時間で終わらせ、中高年層の方が長い時間かかってるから、結果的にやってる時間の長い年輩の人が目立つのかもしれません。
文責:田村
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