今週の1枚(06.07.03)
ESSAY 266/保険会社の不祥事について
写真は、シドニー大学のキャンパス。のどかな小春日和の土曜日に子連れで散歩に来ている人々。大学というのは誰でも入れますし、シドニー大学は建物や佇まいが綺麗なので観光的にもオススメです。キャンパス内に博物館が沢山あるし。
マズイです。既に締め切りギリギリなのですが、まだ何も書けていません。ネタもありません。どうすべ?
今週は仕事がやたら忙しかったのと、家探し(まだやってる)で奔走したのと、はた迷惑な時間にワールドカップがあり、しかも段々盛り上がっている等の諸要素がミックスして、睡眠不足と疲労とでダウンしてしまいました。そんな状況説明はどうでもいいのですが、ネタがない。どうすべ。というわけで、例によってネタ探しにインターネットを巡回していたら、日本では保険会社の不祥事が相次いでいるらしいですね。まずはそんな小ネタでも書いておきます。書けばだんだん膨らんでいくことを祈って。
保険会社の不祥事というのは、もっぱら監督官庁である金融庁から保険会社が叱られるという形で出ています。行政指導/処分ですね。すなわち、昨年に明治安田生命保険が金融庁から2回も業務停止命令を受け、損保26社に業務改善命令が出されました。今年の5月には損保ジャパン(旧安田火災+日産火災+大成火災)、6月は三井住友海上火災保険が一部業務停止命令の処分を受けています。最近、第一生命保険でも大量の配当金不払いが発覚しています。処分もかなり厳しく、例えば三井住友の場合、医療保険については無期限業務停止を食らっています。無期限に業務停止っていうのはかなりですよね。
なんでこんなに「こらっ!」といって金融庁に怒られているのかというと、「不当な保険金不払い」です。「不」の字が2回重なるので、なんだか意味がわかりにくいのですが、要するに「お金を払わない/ケチった」ということですね。なにをどうやって払わないのかはいろいろなケースがありますが、例えば死亡保険金のように「○○さんが亡くなったら保険金1000万円を払う」という事例で、○○さんが亡くなったのに死亡保険金を払わない、、、という露骨で分かりやすいケースはさすがに少なくて、もう少し技術的な事例、逆にいえば素人が騙されやすいような事例で起きているようです。
新聞などをリソースをもとにみていくと、まず嘘の説明をして保険金請求をあきらめさせるやりかた。これは、「下手に支払い請求をすると保険料が高くなって損ですよ」というパターンのようです。損害保険などではノークレームボーナスなんかがあるから「請求したら却って損」というケースも本当にあるのでしょうが、実際には損にならないケースもあるのに、その場合でも損であるかのように嘘をつく。
次に医療保険などでは、医師の診断書がないのに社員が勝手に契約者を病気と判断し支払いを拒んでいたり、契約者が過去の病歴を告知しなかったことを過度に重視して支払いを拒んだりするケース、さらに自動車保険に付随する特約での支払い漏れなどが指摘されています。
また、かなり技術的なのですが生命保険の配当金漏れが第一生命で指摘されています。保険の配当金というのは、保険契約時の予定より運用利回りが高かったり、入院件数や死亡者数が想定より少なかった場合などに契約者へ剰余金を還元するシステムで、保険の契約者(ユーザー)にとっては実質的に保険料の割引になります。が、これをやっていなかったと。
注目すべきは、これらのケースが一件や二件ではないということです。直近に発覚した第一生命のケースでは、1984年度から2005年度までの22年で、合計なんと約4万7000件、約1億1500万円に上る配当金をケチって払わなかったそうです。三井住友海上になると更にスケールが大きくなって、2002-05件のわずか3年で、約4万5400件、約28億円以上だそうです。やるもんですな。損保ジャパンは、同じく2002-05年に約2万8600件、10億5000万円。
要するに一人や数人のボンクラ社員が手続きを間違えたってレベルの話ではないでしょう。中には社員の個人的なミスもあったのでしょうが、それが累積して数万件のオーダーになるとは思えない。ましてや3年かそこらで4万件以上「間違える」ってことは普通ありえないでしょう。だから、会社ぐるみの”犯行”(もう犯行といってもいいですよね)、会社が方針として「誤魔化せるものは極力誤魔化せ」と檄を飛ばし、やりかたを伝授し、社員にやらせていたと考えるべきでしょう。
では当の会社がどう説明しているかというと、これがまた怒りの火に油を注ぐようなことを言ってます。医療保険の不払いについて、記者会見で会社側は、医療保険に対する社員の理解不足と説明しており、利益確保のためケチったわけではないと釈明してますが、「いい加減にしろ」って気もしますね。また、第一生命の配当金不払いについての説明は、コンピューターのプログラムミスだとなっています。しかし、22年間にわたって延々プログラムミスが放置されていたのだろうか?この日進月歩のITの世界からしたら定期的にシステムのヴァージョンアップや総入れ替えだって行われただろうし、まさか22年前のコンピューターを今も同じプログラムで走らせているわけでもあるまい。しかも、このミスは2年ほど前の社内調査でつかんでいたという事実が明らかにされており、分かっていながらも今回金融庁に怒られるまで公表しなかったことは言い逃れできないでしょう。
総じて一言でいえば、日本の保険会社は消費者をあんまりレスペクトしておらず、「騙せるものは極力騙せ、ぼったくれるものは出来るだけぼったくれ」という方針で業界一丸となって邁進していたということでしょう。大雑把で乱暴な総括であるのは百も承知だけど、あまりの件数の多さ、罪を認めない往生際の悪さ、さらに子供騙しの弁解でなんとなると思ってる態度=平均的顧客の知性を馬鹿にしてるとしか思えないからして、そのくらい乱暴な総括をしたくなってしまいます。
なんでこんなにヒドイのだろう?という点で、色々な解説が付されておりますが、これも一言でいえば「競争が厳しいから」ということのようです。もともと保険会社というのは、勝手に商品を開発して売ることは許されません。金融庁に認可されないとダメです。ゆえに各社とも似たり寄ったりの商品ラインナップになるわけで、逆に言えば他社の動向を見て、ちょびっと差別化してればそれで良いという感じになりがちです。そうなるとどこで競争するかというと、これがGNPというらしいのですが、義理(G)、人情(N)、プレゼント(P)という人間臭い営業力の勝負になると。
よく生保の勧誘員の女性が頑張っていますよね。「ニッセイのおばちゃん」みたいな。あれも「鮎の友釣り」みたいなものらしいですね。鮎の友釣りというのは、鮎を釣るときに、一尾の生きた鮎をひっかけておいて、その先にも針を流しておく。鮎は「あ、仲間がいるから安全だ」と思うのか安心して寄ってきて針にかかるという。生保の場合も、勧誘員を常に募集していますが、続く人はマレだそうです。大体が挫折して辞めてしまう。でも、一人勧誘員を雇えば、その人が自分の家族や親類一族、知人などを必死に勧誘して保険に入れてくれますから、会社としてはモトがとれるのですね。勧誘員さんは、家族知人などもとからあったコネを使い果たして、いよいよ地力で開拓となるとそうそう簡単に上手くいかない。歩合制だから誰も入ってくれなかったらやってられずに辞めてしまう。会社としては勧誘員さんの営業能力なんか最初からそんなに期待してないわけで、でも友達を連れてきてくれるという部分にメリットがあるから雇うのでしょう。鮎の友釣りと言う所以です。
でも続いている勧誘員さんもいるわけで、大変だろうなって思うのですが、そういう方はえてして(全てとは言いませんが)、エネルギッシュなというか、アグレッシブというか、もっとありていに言えば押しの強いタイプのような気もします。自分のテリトリーのようなどっかの会社があって、そこに新入社員が入ったらもう強引に入れちゃう。「あんた、新人?じゃ、ここにハンコ押して。いいからいいから、ここでは皆そうなんだから」みたいなノリで。
でも、思い出したけど、この種の保険会社の騙しに近いというか騙しそのもの営業実態が批判されたこともありましたよね。いつくらいだったかな、一時払い終身保険とか売り出してる頃。バブルが弾けてとてもじゃないけど当初の予定利率なんか達成できないようなときに、なんだかんだ理屈をいって幻惑して結果として利率の低い保険に乗り換えさせたり、その際の説明も殆ど無いか嘘だったり、勝手に書類を捏造したり。10年くらい前だったかな、新聞を賑わせていたような記憶がありますが、誰か覚えてないですか?
とまあ、保険会社というのは結構泥臭い世界だと思われるわけですが、ここ10年の規制緩和によって、損保と生保の相互乗り入れが解禁になりました。正確に言えば、第一分野(生命保険)と第二分野(損害保険)の相互乗り入れ=生保が損保の商品を売ってもいいし、損保が生保の商品を売っても良くなった。さらに、外資などのカタカナ保険会社の参入。第三保険(医療保険)の解禁と重なり、保険業界はバトルロイヤル状態になっているのでしょう。
このような業界事情が、今回の大型不正不払い発覚の背景にあるようです。
さて、僕は保険には入っていません。こちらの保険は入ってもいいなとは思うのですが、日本の保険には入る気がしませんでした。特に生命保険関係には。なぜかというと、これは既にどっかで書いた気がしていて二番煎じネタは書きたくないのですが、、、、えーと、ここだここだ「今週の1枚(02.02.11)オーストラリアの近況:難民問題・プライベート保険」に書いてますね。簡単に概要だけ書きます。要するに、@30年モノの保険なんてこの先行き不透明な時代にナンセンスであること、A保険というのはぱっと見には魅力的に思えるけど、電卓叩きまくって検証すれば一定資産を○%で運用しているのと同じことであり、その運用利率は普通の定期と似たり寄ったりであること、B保険会社というのは機関投資家であるべきだけど日本人や日本の会社はバクチがヘタだから有利に運用なんか出来ない可能性が高いこと、C政府の介入(EX円の買支えを命令される)など余計なファクターがはいって運用実績が悪くなること、D途中で止めたらスズメの涙の返戻金しか戻らないこと、などです。
僕が日本にいた当時、バブルの余韻がまだ漂っていた頃は、積み立て式生命保険の予想運用利回りは5・5%でした。すごいですよね。「こんな利率が続くわけないよな」と思ったら案の定ズルズルと下がっていって、保険料金の値上げや、支払い金額の減額などが新聞紙上を賑わせました。今、幾らくらいで売り出しているんだろう?こういうことって案外調べても出てこないものです。ためしに日本生命のサイトにいって、ニッセイ積み立て利率変動型年金の固定金利型商品を見ると、据置期間5年での積み立て利率は1.15%(利回り0.69%)でした。15年でも1.75%(1.54%)。
金利ゼロの日本にいたら魅力的な商品に見えるかもしれないけど、利率1%前後の投資物件って普通に考えたら「ありえない」ですよ。こんなのに入るくらいだったら、僕の場合、オーストラリアの銀行の簡易定期預金に入ります。これは例えば、ANZ銀行のV2プラスのように各銀行が出していますが、大体始めに50万円入れ、1ヶ月は下ろせず、その後は幾らでも自由に引き出せ(キャッシュカードで下ろせる)、利率は日割りでつきます。直近の資料では4.5%ついてました。5年据え置きで1%の保険に入るくらいだったら、1ヶ月据え置きで4−5%の普通の銀行の、投資とすら呼べないくらいの初歩的な口座に入れます。本格的に投資と呼ぶんだったら年に7−8%くらいで廻さないと。
あと日本の会社は一部の例外を除いて内向きだから、日本がダメになると連鎖反応的にダメになる傾向があります。僕が保険会社の情報として一番知りたいのは、どこにどれだけ投資してどれだけ儲かったかという「投資能力」です。保険というのは端的にいってバクチであり、保険会社はプロのギャンブラーです。どこかの会社の保険に入るということは、どこかのギャンブラーにお金を預けて増やしてもらうということでもあります。だから、ギャンブル能力の優劣がとても重要だと僕は考えるのですが、各保険会社がどれだけ優秀なのかどうかはあまり語られないし、その種の情報は極端に少ないです。ためしに日本生命の(ニッセイに恨みはないのですが、日本を代表する会社ということで)年間会計書類をPDFファイルで落としてみましたが、細かな内訳はないです。ただ、主として日本の株式その他に投資しているらしいというのは分かりました。でもそれだけで十分です。要するに、日本の国内市場に投資していると。ということは日本がまたド不況になって、株式相場等が崩壊したら、保険会社の運用利回りも下がり、保険金が減額されるというわけでしょ。つまり、「内向きだから連鎖反応」というわけです。
この種の話題にはあまり興味はないのでそれほど詳しく突っ込めませんが、オーストラリアの保険や投資のポートフォリオをみると、オーストラリア国内市場の投資割合はそれほど高くなく、その代わり国際投資が多いです。しかも分散している。いろいろなところに分散してかけているので、リスクヘッジがきく。仮にオーストラリア国内がド不況になっても、南米の株式を買ってたり、インドに投資してたりするから全体のダメージは軽減される。ただし、これをやるためには全世界がよーく見えてないとダメです。全世界の情報が手にとるように理解できないと、またその情報収集能力&分析能力がないと話になりません。そして全世界の情報というのは、日本語で記載されたものよりも英語で記載されたものの方が圧倒的に多いし、日本語を喋る人よりも英語を喋る人(ネィティブではなくても)の方がはるかに多い。また、雑多の情報をふんだんに取り入れ、分析するためには、純粋培養のような社内人材だけでは足りないでしょう。NYでバリバリ鳴らしたトレーダー、サンパウロで頑張っていた金融関係者などが流動的に入ってくる必要もあるでしょう。現在の投資というものが情報戦であり、かつ世界を舞台に投資がなされている以上、ともすればタコツボ的になりがちな日本の情報面や人材面でのディスアドバンテージは避けられないんじゃないかと考えるゆえんです。
もう一つあります。これが一番根深いと思われるのですが、メンタリティの問題です。
日本では「保険は安心を買うもの」という認識が広がってますが、こんなのはあくまで宣伝文句であり、実態は保険とはあくまでバクチでしょう。「バクチ」という表現は刺激が強すぎるかもしれませんから、「なんらかの不確定性が関与する」と言い換えてもいいです。でも分かりにくいよね(^_^)。例えば、ある保険会社の商品を買って、毎月積み立てます。これで老後も安心だと思うでしょう。しかし、老後になる数十年後までその会社が倒産しないでいる保証はどこにもないです。また、保険商品の保険金も予定利率に過ぎず、事情変更があることは大いに予想されますし、それは小さな活字で書かれているはずです(滅多に説明されないだろうけど)。ここに不可避的に不確定性が入り込む、つまり「どうなるかわからない」という要素が入ります。「どうなるか分からない」という要素が入る以上、バクチといってもいいでしょう。また、これが自分で商売をするとか受験をするなど、自分の努力や行動で結果が左右されるならまだしも、自分の手の届かないところ(当の保険会社が収益をあげるか潰れるか)で物事が決まるわけですから、勝ち馬に投票する競馬と本質は同じでしょ。だからバクチ。
そもそも「安心」なんかお金で買えないし、もっと言えば「安心」などこの世に存在しません。万物は流転してるの。そうなの。今この瞬間にも大宇宙は光速で膨張を続け、地球は猛スピードで公転軌道上を走り抜け、あなたの立ってる地表の奥深くではマグナが煮えたぎり、マントルが対流しています。あなた自身の細胞も約3ヶ月で総取替えになるくらい活発な新陳代謝が行われています。3ヶ月前の自分とは物質的にいえば全く別人。ただ記憶情報をコピーしてるだけです。川の水は流れ、草木は繁茂し、あるいは枯れる。静止しているものなどこの大宇宙に一つも存在しない。全てが流動的なこの世界で、何を根拠に「安心」を求め、またその「安心」の内実とは何なのか?
僕が思うに、この世界での真の安心とは、健康に変わりつづけること、流れつづけること、新陳代謝を怠らないこと、フットワークを良くし、絶えず周囲の状況がよく見えていることだと思います。正しく見て、正しく予期し、正しく動くことが、大いなる安心につながるのでしょう。だとしたら、保険に入るというのも数ある「動き」の数ある選択の一つに過ぎず、そこで思考停止になってはならないでしょう。つまり、この会社は本当に満期まで存続しうるのか、利率が下がる見込みはどのくらいなのか、なぜこれだけの利率を維持できると考えるのか、その根拠は?と考えつづけ、ダメだと思ったら即乗り換えるくらいのフットワークの軽さが求められると思います。実際、お金持ちほどこの原理をよく知っていて、投資の選択肢の一つ一つについて正確な理解と、実践的なアドバイスを与えてくれるブレーンを持っています。保険に入る以外にも、不動産投資、株式投資、さらに美術品やら競走馬を買う、将来有望な若い才能のスポンサーになるとか、いくらでも選択肢はあります。
なんでこんなことを言うのか?というと、どうも保険会社は、我々一般消費者をアホだと思っておられるらしい。小賢しい甘言を弄すれば阿呆な消費者などコロリと騙されるわいと見ているようです。だって、そうでなければ、「嘘の説明をして請求を断念させる」とか、配当金支払いを22年も頬かむりしているなどの行動に出られるわけがないんじゃないですか?適当に難しい小理屈並べて、深刻そうで、誠実そうな顔をして「残念ですが、、」と言っておけば、諦めてくれるだろうって思ってるわけでしょう。
それ自体、「ちょっとなあ」と思いますが、もっと大事なのは「アホだ」ということが事実だということです。本当にそれで騙されちゃってるわけでしょ。某社で4万5千件、某社でも同じくらいとかいって、積み上げただけで既に10万件以上それで騙してきたわけでしょう。表ざたになってないけど、他社だって似たり寄ったりだとしたら、数十万というオーダーにのぼるはずです。ということは、自分がお金を払っている保険でありながら、コロリと騙されちゃってる人がそれだけいるってことでしょう。もっとも、全員騙されたわけではなく、これを不服として金融庁に訴えている人が沢山いたからこそ今回の行政処分になったわけです。それでも、そこまでキチンと異議申立てをしたのは全体からすれば一部の人でしょうし、大多数は「ああ、そうか」で収まっていたわけでしょう。
なんでそんなに簡単に騙されてしまうのよ?といえば、それだけ自分が加入した保険商品の知識が乏しいってことだと思うのですよ。どうして乏しいのかというと、やっぱり「保険=安心=思考停止」みたいな認識&メンタリティがそこには存在してるんだろうな、と。保険に入るのも一つの投資であり、一つのアクション、一つの選択であり、それが正しかったかどうか、また時代に合わなくなっているかどうか常に検証しようという姿勢の欠如です。
ひるがえって保険会社側を見ても、義理人情プレゼントのGNP路線を打破するだけの新路線を打ち出していないし、規制緩和のビッグバンが行われても尚、他社の動向を見て、「皆でいっしょに」的にメンタリティが維持されているような気がします。だってさ、保険商品が似通ってくるのはまあ構造上仕方のない面もあるとはいえ、今回のような不祥事(というか詐欺罪じゃないの?)が、またまた横並び的にいろんな保険会社から噴出してくるってのはどうなのよ?って思うわけです。堂々と鳴り物入りで売り出している他社の商品に比べれば、こんな他社の不正行為なんて普通わからないですよ。わからない筈なのに、なぜか足並みを合わせるように同じことをやっているという現象をどう理解すればいいのでしょうか?考えうる可能性は二つ。不正行為に関してまで他社の動向をよく知っていたという可能性。ありがちですけど。第二の可能性は、他社が何をやってるか分からないけど、大体考えることは似通ってくるので結果的に同じになってしまったってことです。どちらにしても、脱力するような話であります。
日本の構造というのは、何のネタでも同じようなところに戻ってきますが、どうしてこんなに静止的、固定的、思考停止的、パターン的、金太郎飴的になるのだろう?高度経済成長の後遺症がまだまだ残ってるということでしょうか。高度成長の頃は、皆で同じことをしていれば大丈夫だったし、それが一番合理的でもあった。前のエッセイでも書いたように、規格大量生産こそが成長のルートでありましたから、バラツキがあったら生産性が落ちる。また典型的な生き方のパターンの中に入っていないと有形無形で様々な不利益を蒙る。大分是正されてきたとはいえ、夫がサラリーマンで、妻が専業主婦で、子供がいて、、、という規格=スタンダードな生き方でないと、やれ年金だ、税金だ、家を借りたり、ローンを申し込んだりするにも何かと不便であるという。
というわけで規格大量生産時代のメンタリティがまだまだ残っているのでしょう。そりゃ一朝一夕に解消しないかもしれませんよね。「生き残りたかったら変化しろ、変化し続けろ」みたいなメンタリティが一般化するのには、まだまだあと何十年もかかるかもしれません。保険会社の不祥事騒ぎを読んでたら、うとそんなことを思ってしまいました。
やれやれ、このくらい書いておけばいいかな(^_^)。
ところで、日本のワールドカップ熱は醒めてしまったのでしょうか?今が佳境ですよ。眠いのを我慢してみたドイツ・アルゼンチン戦も凄かったけど、早起きして見たブラジル=フランス戦も凄かったですよ。なんかもうサッカーの次元が違うというか、「は〜」と溜息つきます。んなことやってるから体調壊すんだけど。
文責:田村
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