1988年、スケグス・レッドランド(シドニー市内の有名高校)がニューサウスウェールズ州で初めての「IBディプロマ取得コース」を提供する学校になろうと野心を抱いた時、12年生(中等教育の最終学年)の高校卒業資格試験のもう一つの選択肢となるこのコースに「スーパー・コース」というあだ名が付いた。当時の教頭であり、オーストラリアのIB協会代表でもあるクリストファー・ブラングウィンは、この表現に納得がいかなかった。
「別にIBがHSCよりもいいと言いたかったわけではなくて、我々が言いたかったのは、IBは大変ではあるがバランスのよいカリキュラムであるということなんです。複数のことを同時平行して学べ、カリキュラムを通して成果をあげ、自発的に学習できる学生ならば、だれでもIBをやり遂げることができます」と彼は言う。
IBとは、高校卒業前2年間のコースで、毎年世界中の約27、000人の学生が取得する非常に需要の高い資格である。一目置かれるIBを武器にして、オーストラリアの学生はイェール、ハーバード、オックスフォード、ソルボンヌといった教育機関を含め、多くの世界の大学への門をくぐることができる。
1990年には2人のスケグス卒業生がIBディプロマを取得した。以来この6年間、毎年6名から10名の学生がIBのプログラムを修了している。
ブラングウィンによれば、IBによる大学入学率は10%ほどのペースで伸長している。しかし、このうちのほとんどがニューサウスウェールズ州以外の州で取得している。ニューサウスウェールズ州は毎年100万人を越える学生を擁する、オーストラリアで最も大きな教育システムを運営していながら、IBを高校最終学年のひとつの選択肢として取り上げることには比較的遅れている。
ニューサウスウェールズ州の公立校でIBディプロマコースを提供している学校は全くない。ニューイングランド女子校、セントポールグラマースクール、そしてセッグスだけがIBコースを提供しているが、HSC受験生数が63、000人である一方、IBディプロマコースを履修する学生は45人である。
HSCが国際的にも高校卒業資格として認められているために、これほど多くの学校がIBコースを取り上げようとしないのだと、ブラングウィンは思っている。ヴィクトリア州や南オーストラリア州では高校最終学年時の教育について急進的で大議論を呼ぶほどの変革を遂げたが、ニューサウスウェールズ州はこれらの州とは異なり、30年の歴史を持つHSCシステムに大きな変化はない。
しかし、HSC改革についての議論によって、いくつかの名門私立校からIBについての問い合わせが寄せられるようになったという。トリニティグラマー、サマーヒルの両校は、IBコースの導入を検討するための協議会を設置した。また、リバービュー高校では、新コース導入計画は短期間ではあったが、IBにやはり興味を示した。
最近トリニティグラマー高校の校長に就任したミルトン・キュージスは、ブリスベーン男子高校がクィーンズランド州で初めてIBコースを設置した時、同校の校長であった。彼は、IBは統計操作上、情報が一般に開示されないことや、世界に広く認められた資格であることから、特定の学生や保護者には支持されていた、と言う。
「IBは時に成績優秀な学生だけのものとして誤解されているが、トップグループの学生以外の学生にとっても非常に可能性があるものだと私は思います。皆さんは現在検討中のHSC改革の結果を興味深く待っていることと思います。HSCが唯一の選択肢ではないことに気づき始めるでしょう。」
クイーンズランド州ではIBの指導要領はより伝統的だというが認識あったが、ニューサウスウェールズ州ではHSCという最終試験により、指導要領はより厳密になっているので、クィーンズランド州のようにIBが特別伝統的な指導要領としてはみなされにくいだろう、とキュージスは考えている。「クィーンズランドだったからこそ、私は入学(=IB導入に成功)できたんですよ。」と彼は言った。
ニューサウスウェールズ州では、ブラックスランド公立高校がIBコースを導入するにあたって、州政府から補助金を獲得しようとしていたが、この申請は却下された。
教育省の中等教育部長、トレバー・ウートンによれば、ニューサウスウェールズ州では既に高い地位を築いた資格(HSC)があるのだから、2つも同じようなものを共存させれば資源的にも無駄になるし、疑問の声が挙がってくると言う。
IBカリキュラムを導入すれば、教師陣の増員が必要になると彼は言う。「IBは価値がないとは言いませんが、国際的に評判を得ているHSCがあるという事実を考えると、IBへの資金投下は不可能なのです。」
IBは1963年に設立された。履修科目は、2つの言語(1つは母語となるだろう)と、6つの異なる分野から成り立っており、化学、生物を含む実験的科学分野、歴史、地理、経済、哲学、人類学を含む個人と社会の分野、そして数学がある。他に選択科目として美術、デザイン、音楽、ラテン語、古典ギリシア語、コンピューター学習、そして学校ごとに認可されたコースがある。
6科目のうち少なくとも3科目は高い成績を取らねばならない。各科目は7段階で評価され、総合点で24点以上取ったら、ディプロマが取得できる。また、個人研究に基づく4000字の論文、科目ごとの関係を見る「知識論(Theory of Knowledge)」、地域サービス活動への義務参加といった、3つの課題も修了しなければならない。
また、5才から15才の学生用のIBプログラムもある。
ブラングウィンによれば、IBはオーストラリア全土の大学に認可されているという。IBとTER(HSC結果をもとに算出される得点)との換算方法はニューサウスウェールズ州では公開されていないが、IBの最低合格点24はおおよそTERの56にあたる。
IBの30点はTERの80点に、40点はTERの99点にあたる。
IBコースは学校にとって決して安い選択肢ではない。IBコースを提供する学校として登録するための費用は10、000ドル、学生一人につき500ドルの追加費用が必要である。
ニューイングランド女子高校のIBコーディネーター、ヘレン・ダンガーによれば、学生がIBを選択する理由は、別に大学に行きたいからではなく、チャレンジしたいからだという。彼女は、IBコースは成績優秀な学生だけに制限してはいないという。「IBは学生の自信と知的な可能性を伸ばします。IBを取得した学生も履修中の学生も全員がやってよかったと言うことに気づきました。かなり平均的な成績の学生もIBを履修しています。彼女たちから聞くことは、みな意欲をもち、喜んで自主的に勉強しているということです。」
スケグス・レッドランド高校のIBコーディネーター、ジェーン・レイリーはIBコースの学生における挫折率は高くなる傾向にあるという。
あまりの学習時間の多さにうんざりして、IBの取得目的が分からなくなったまま、継続している学生もいるという。
「IBは需要がありますが、学業の厳しさ以上に非常に時間がかかります。IBは素晴らしい、興奮させるような響きがあるので、学生は挑戦したくなります。たしかにその通りなのですが。」
海外の大学への留学という野心を抱いて始まったIBは、より需要の高い学習制度となってきた。朝早くから勉強し、ランチタイムもそこそこに、不可能でない限りすべての活動的な社会生活をしなければならない、ハードなものなのだが。
12年生のマリオン・キングはHSCとIBプログラムと格闘しているニューサウスウェールズ州でもハードな学生生活を送っている学生の一人である。
他の学生が11月のHSC試験で学業生活を終えるところ、マリオンは5月のIBの最終審査に向けてあと6ヶ月間学習することになる。「チャレンジですよ」と彼女は言う。「自分が何をやろうとしているのか、よく認識しておかねばなりません。下手すれば障害になりますからね。」
しかし、追加授業と学習にも関わらず、マリオンはIBプログラムは「ドタン場の調整力」を養えるので、HSCの得点を上げるのにも役立っていると思っている。
また、彼女はIBはTERのように州内の学生の成績如何で結果が左右されないスケールで判定されるからいいと言う。
IB履修学生であるリサ・スタック(18才)は、ケンブリッジ大学で奨学制度を取得したいと願っている。IBは彼女の学習スタイルに合うらしく、以前よりも面白い課題を発見したという。「18ヵ月間HSCをやったけど、繰り返しばっかりでうんざりしたわ」と。
リサはIBの場合、教科書を写しておしまいというわけにはいかないのだという。「IBは成績や評定なんかの問題ではなくて、より情報が大切。IBに比べるとHSCなんかチンケに思えちゃう。」
しかし、マーティン・リヒター(17才)は、IBはもはやHSCよりも単に学業的に需要が高いとは思っていない。つまり、IBは学業面だけで優れているのではないという。彼の兄姉がIBディプロマを見事取得し、イギリスの大学に入学してから、彼はIB取得を決めた。
彼は学習過程を「"hectic"−消耗するほど多忙」と表現する。週末も放課後もなく、ただまっすぐ帰宅して机に向かうだけ。「IBが特別変わっているとは思わないよ。HSCだって同じくらい大変だと思うし、HSCの方が選択科目が豊富だね」と彼は言う。