シドニー東部郊外にあるマリスト・ブラザース(カソリック中・高校)は、最近、新しい学生を獲得するために地域の映画館広告に4000ドル(※訳者注:約35万円)を投下した。パラマッタ(シドニー西部)近郊のカソリックスクールでは全校において、ある教師を広報担当者として任命した。メルボルン西部郊外にある、セントバーナードカレッジは学校の販売促進用にプロが製作したビデオを用意し、学校の学業レベルを上げるために奨学制度を紹介している。
販売困難な学校市場へようこそ。90年代までは奨学制度の発表など、控えめな広告は時に見掛けられたものの、学校マーケティングといえば、高い授業料をとる一部の名門私立校に限られていた。が、今日では、公立、私立校ともに政府からの教育補助金が学生数に応じて計算されるため、乏しい教育費を補填するための学生探しは戦争と化している。この傾向は大衆市場であるカソリック・スクール(オーストラリアの20%の学生が通っている)、公立校(同70%以上)にまで及んでいる。
シドニーを拠点とする学校マーケティング・コンサルタント、リンダ・ヴィニングによれば、今日、学校は学生獲得競争において「闘う戦略家」を雇うべきだと言う。彼女の新刊「選択−学校における顧客と競争」の中で、校長が新しい学生をリクルートした教師に2000ドルを支払っており、ある教師は6000ドルの現金ボーナルを受け取っているという私立校を紹介している。また、ある寮付設の私立校では、もし学生が大学入学できなかったら、授業料を返還することを保証している。ヴィニングは公立校ですら競争激化する教育システムのモットー−マーケティングか滅亡か(※訳者注:市場拡大努力をしなければ、学校は潰れるという意味)−を迅速に学んでいるという。「個人にとっても学校にとっても、存続をかけた問題なのです。」
しかし、一部の教育者や親たちは、この風潮が教育的価値を侵食し、学校は教育の質よりもイメージを気にするようになるのではないかと恐れている。多くの人々が教育水準の上昇といった競争激化の恩恵を支持する一方で、市場競争が手に負えなくなっていることに気を揉んでいる。ヴィニングの本にある例はスキャンダラスで退行的で脅かしているだけだとする人もいる。
ナンセンス
オーストラリア保護者協会の代表者ジョセフィン・ロナーガンは、授業料返還保証制度について「全くもって無意味で、ふざけたシロモノだ」と言い、生徒を獲得した教師への支払いについて「石鹸セットを売るようなものだ」と言っている。
より高い教育を受けた保護者たちは、将来の就職難への不安もあって、子供たちの教育により熱心である。学生年齢にあたる人口の減少、流動性増加による地域の学校以外への入学機会の増加、そして、増加する複合文化人口による教育需要の多様化といった、様々な社会要因が学校における競争激化現象を招いている。
州政府は公立校が地域外からの学生も受け入れられるよう、そして学生獲得の競争力を高めるための手段と需要を促進しながら予算管理を学校に委任するよう、学生受入区域を拡げた。公立普通校は優秀な学生をひきつけ学業水準を引き上げて、積極的に需要を増やしていこうとする試みを行っているが、セレクティブ・スクールの拡大がこういした公立普通校の努力を阻んでいる。(※訳者注:セレクティヴ・スクールとは、入学試験に合格した優秀な学生のみ受け入れる公立のエリート養成学校。以前は少数しかなかったが、保護者からの要求に応えて政府が徐々に増加させている。)
連邦政府は最近、私立校設立時の規制を緩和し、私立校への補助を強化したので、市場はさらに広がり、学生獲得競争はさらに注目されるようになるだろう。1985年に先の労働党政権によって導入された私立校増加制限のための規制、そして補助金制限制度の導入にもかかわらず、学生の公立校から私立校への移動現象は続いている。(※訳者注:フレーザー政権以前は学校は私立であれ公立であれ政府からの補助金額は一律であったが、フレーザー政権時に私立校への補助金額が制限されるようになった。)フレーザー政権が終わりを告げた1983年と比較すると、オーストラリアの私立校に通う学生が占める割合は、24.4%から今年29.4%にまで上昇した。
ヴィニング曰く、1993年に学校マーケティングセンターを設立して以来、彼女のビジネスは年々二倍成長を遂げてきた。1日セミナーでの講演料は1100ドル、3日間コースの1人あたりの参加費用は425ドルである。
マーケティングの最高峰にある学校の場合、より儲かる海外留学生といった学校にとって付加価値のある学生をひきつけるための手法はより洗練されてきている。高価な広告利用や開発担当者、マーケティング担当者の採用はもちろん、海外留学生を編入させるために留学斡旋業者を利用する寮付設の私立校もある。その費用には幅があるが、ある業者は獲得した学生一人につき3000ドルを請求する。
授業料が安くなるに従って、多くのカソリックスクールは−教育費の80%を連邦政府及び州政府からの補助金に頼っており、私立校の3分の2の学生を教育しているのだが−より安あがりなマーケティング手法を模索している。新しいガイドブック「あなたの学校のスーパーマーケティング」の著者であり、シドニーのカソリック教育局の宣伝部長でもあるテッド・マイアーズは、入学する学生数は増加しているものの(過去20年間で全学生数の17%から20%に増加)、カソリックスクールはもはや「いい風聞が広がる」のを待っていたのでは存続できないと言う。
カソリック教区内の大家族の子供が一人入学したら、その弟妹も必ず入学するという「芋蔓式マーケット」の消滅によって、彼らも他の学校と同様の問題に直面している。「好むと好まざるとに関わらず、古き良き時代は終わった。学校の宣伝、促進、販売は今や確実に教育論議の対象となった。」と彼は書いている。
彼の本はラジオ広告、ビデオからコンサート、インターネットに至るまで、あらゆる学校の宣伝方法について描写している。マリストカレッジの校長、ポール・フェンサムは、映画館での広告投下について、こう弁護している。「カソリックの校長の中には消費者主義の型に引きづられていると懸念し、宣伝活動を躊躇する人もいます。が、今日ではほとんどの校長が単なる入学者探しの問題ではなく、学校そのものを宣伝し、学校を支えている学生や家族にいい学校だと感じさせることでもあると認識しています。」
クリエイティブ
マーケティングを背後で動かしているのはカソリック及び公立校の校長たちであり、学校のスタッフやPTAはそれに翻弄されている。彼らの挑戦は限られた資金をクリエイティブに活用することであるが、貧困な地域、地方や孤立した遠方の地域では、資源の不足により最低目標にも満たないところもある。これは裕福な地域がマーケティングやビジネス技術も備えたスタッフを抱えているのと対照的である。
ウーロンゴン大学教育学教授、ケン・ジャニコットは「海外での経験則では、最もよい学校は大規模でも不活発でも官僚主義的でもない。又、必ずしも裕福な学校でもない。独立していて、活動的で、自主的で、保護者が子供たちに望んでいることに対する反応を示す学校である」という。大学入学に成功したら授業料を返還する保証制度や、学生をリクルートした教師に支払う制度を、より消費者指向の教育を提供する「すばらしいアイデアだ」と考える。保護者が最も気にしていることは、学校の学業成績であると彼は言う。
しかし、オーストラリア保護者協会のロナーガンは、保護者が学校を選択する時の基準は単に学業成績だけではないと思っている。「ほとんどの保護者は子供たちに学校で幸せであること、就職できること、大人になってからの生活を満足するため、そして幸せに生きるための十分な技術を子供たちが身につけることを望んでいるはずです。」彼女は授業料返還保証には批判的である。「私にはまるで教育の精神を取り去ってしまったみたいに思えますね。こういった精神からどのくらい離れてしまうのか、注意すべきと思います。」競争によって学校の水準は向上するかもしれないが、「提供できる限りの最も可能な教育から恩恵を受けるのは、子供たち自身であることを望むんじゃないでしょうか。」
ヴィクトリア州ディーカン大学にある教育センター所長ジェーン・ケンウェイは、ヴィニングの本にあるような例が、市場価値に翻弄されて学校運営法の主流を占めるようになってしまうのではないかと懸念している。「恐いですね、教師がよい仕事をするよりも顧客を連れてくることによって報酬を受けるようになるとは。実際に学校がどうなっているのかよりも、イメージばかりを考慮している校長はたくさんいます。」
メルボルン東部のメソジストレディースカレッジの校長、デビッド・ローダー曰く「もし学校宣伝のすべてが素敵な制服や魅力的なグランドに終始するなら、時間の無駄だと思います。でも、学校の本当の差別化につながるのなら、いい仕事だと思いますよ。」
しかし、ヴィニングとマイヤーズは、頑固にも保護者は存在性に欠けた派手な見栄えをサッと眺めて判断すればよいのだとする。 もし商品が期待と異なっていたら、行動で意思表示(※訳者注:つまり転校)するだろうと彼らは言う。
しかし、シドニーのインターナショナルグラマースクール校長、デイビット・ライトは、競争を強調しすぎると学校とはそもそも何なのかという本質が破壊してしまうと言う。「私は結果を測定し、よい学校とは何なのかを明確にする努力をするよう約束しています。それは学校の精神と魂とともに行うべきことですし、見栄えのよいパンフレットには載せられるものではありません。学校の質とは学校が邁進していく道です。そして、われわれは経済合理主義者への道を失いつつあります。」