高齢者ケア特集(7)

最期は一人

99年10月

オーストラリアで看護婦をしていて、特に違いを感じることの一つに死の迎え方がある。

日本では、親の死に目に会えないものは親不孝者と呼ばれ、全く助かる見こみのない患者さんにも心臓マッサージや人工呼吸がされて家族の到着を待つ。


日本で看護婦一年目の時、難病で回復の見込みのない患者さんに呼吸停止が起こり、その娘さんが到着するまで心臓マッサージと人工呼吸がされた。娘さんはすぐ来るといった。タクシーで来れば30分で着くはずだった。しかし、その娘さんは一時間近くも来なかった。

そしてやせ細ったAさんに心臓マッサージは続けられた。なぜ、Aさんは今までそんなに近しくなかった家族を待つために、こんな苦しい思いをしなくてはならないのかと思うとかわいそうで、処置をする医師の横で、ボロボロ泣いたことを思い出す。


家族の死に目についている事は、家族の義務として日本の文化に入りこんでいるのだろう。

オーストラリアでは患者さんの多くは、一人で亡くなっていく。本当に衰弱して、後数日が命では?という状態でも、24時間、夜まで付き添う家族に出会うことはない。


一件だけ、インド人の家族で、お母さんの臨終に家族交代で24時間ついていたのを見たことがあるだけだ。中には実の母が今晩が峠かという時に、夜中に臨終になった場合は朝まで連絡しないでほしいと看護婦に言っていく人もいる。

つまりこれは文化の違いなのだ。臨終についている事は西洋では大きな意味を持たないというしかないだろう。そして患者さんが亡くなったと連絡しても家族は病院に来ないことが多い。家族は死化粧の終わった体に会いに葬儀屋さんへ行くのだ。(「エンゼルセット」参照)

何日かして落ち着いてから、患者さんの遺品を取りに来たり、看護に感謝してくれた家族はチョコレートなど小さな感謝のしるしを持ってあいに来てくれる。文化はあらゆる面で看護に影響を与えるようだ。


★→高齢者ケア特集 INDEX に戻る
★→MATTIE'S HOMEPAGE のトップに戻る
★→APLaCのトップに戻る