オーストラリアの職場において特筆すべきことを挙げながら、彼らの仕事観とその背景にあるものを探ってみよう。
以前8ヵ月ほど電車通勤をしていたが、電車のいい加減さにはほとほと呆れかえっていた。5分程度の遅れは当たり前。厄介なのは時々早めに到着して、そのまま早めに出発してしまうこと。ほんで次の電車が遅れたりするもんだから、2重に遅れる。朝はほとんど毎日、セントラル駅の直前で電車が停まる。最初は信号停止かと思っていたが、そうではない。通常、セントラル駅で運転手が交代するのだが、交代する予定の運転手が遅刻すれば、その分遅れ、後から定時にやってきた電車まで遅れ続けることになる。また運転手が突然休暇をとれば、その電車丸ごと運行されないという噂もある。だとすれば、ピンチヒッターという体制は殆ど浸透してないことになろうし(あるのかもしれないが瞬時に対応できていないことは確か。実用的には役に立っていないことになる)、そもそも定刻通りに電車を運行させることが、さほど重要なこととは思っていないんじゃないかとすら思われる。
一度、セントラル駅で「この電車は20分間ここに停車します」とのアナウンスが入ったことがあった。急ぐなら他の電車に乗り換えることもできるし、バスに乗り換えることもできる。でも人々はのんびり新聞なんか読んだりしてくつろいでいるのだった。乗客も「車通勤の人だってよく遅刻するんだし、別にいいじゃん。それより勤務時間が減ってラッキー」くらいに思っているのだろうか。客のその寛容さがまた遅延を招いているのではなかろうか。
一方、この現状に怒りをぶちまけている投書も新聞で読んだことがあるので、全員がOKとは思っていないのだろう(そりゃそうだろうな)。では何故改善されないかというと、その投書の人がいみじくも結論づけてたように、「環境を考えてマイカー通勤は控えていたが、そろそろ真剣に車の購入を検討しなくてはならなくなるだろう」ということで、耐え切れない人は車でいくのだろう。その結果、電車の採算性はさらに悪化し、人件費も設備投資もままならず、道路渋滞だけが広がっていくという悪循環なのかもしれない。
プライベートライフ重視型の生活スタイルだからだ、とよく言われる。しかし、ただ単純にオージーが怠惰だから仕事嫌いで早く遊びたくて仕方ないというだけでもないだろう。また、残業手当のつかない会社も結構あることも要因の一つだとは思う。が、それでもサービス残業は1分たりともしないという毅然とした姿勢にはもっと深い理由があるに違いない。その他の理由を考えてみよう。
1つには女性の社会進出。性別による差別は違法なので(「女性社員募集」という広告も違法)、女性も男性と同等に働いているし、昇進もする。小さな子供を持つお母さんも子供をベビーシッターや保育園に預けながら仕事している。忙しいお母さんたちが男性と遜色なく働こうとしたら、5時以降の付き合いや残業度合いが仕事の業績に影響してしまう体制では無理がある。まあ、ニワトリとタマゴの関係ではあるが、ここに仕事とプライベートをきっちり分けようとする社会的背景があるような気がする。
もう1つ、思い当たるのは終身雇用制ではないこと。つまり、いつ首を切られてもおかしくない、言ってみれば不安定な身である。だから、会社の仕事に力を入れるよりも、自らの能力を高める努力をしておかねばならない。5時に退社したオージー社員はどこへ行くかというと、友達と外食するばかりじゃなくて、資格取得を狙って夜のコースに通ってみたり、健康維持のためにプールやヨガ教室に通っていたりするのだ。アフターファイブは自分を磨くための時間にあてているというわけだ。
それにしても、5時5秒過ぎに退社するのって至難の業じゃないですか?? オージー的習慣にすっかり馴染んだある日本人に伺った話では、「5時カッキリ退社術のコツは、午後4時すぎたら仕事に熱中しないこと」だそうです。
しかし、彼らのとっての「納期」とは「一応の目安。相手側の要請」にすぎず、自分の仕事時間内に一生懸命やって終わらなければ、なんら罪悪感なく自動的に「納期は延びた」と判断されるらしい。事前に依頼しておいた納期後に電話で催促すると「ああ、先週は忙しくてね〜、今週末までには何とかなると思うんだけど・・それでいい?」なんて具合。「いいわきゃねーだろ、先週までに必要だったもんが、なんで今週末まで待てるんだよ」と怒っている人を私にはいまだかつて見たことがない。「私だってそんなふうにせっつかれたくないもん」という社会的コンセンサスが浸透しているのでしょう。
しかも、パートタイマーという雇用スタイルが一般化しており、日本の「パートさん」のようにお手伝い的存在なのではなく、パートでも一人前の独立した仕事を任されているため、その相手を捕まえなければ話が進まない。結果、週2回しか出社しない人を捕まえるために、3日もウェイティング状態ということになる。オーストラリア内ならそれでもよかろうが、日本が相手となると、かなり厳しいものがある。
そういえば、先日の新聞に「こんなことでは業績は伸びない。他の人の仕事もきちんとフォローできる体制を整えなくては、企業は生き残れないぞ」という記事があった。「何を今更、当たり前じゃん」と言いたくもなる。今後少しは改善してくれると嬉しいのだが。
考えてみれば極めて健全なことだとは思うが、オージーは週末が大好きである。ジョークで「オージーの唯一の悩みは、今度の週末何をしてすごすか?ということである」なんて話があるが、確かに常に週末のプランを練っているらしいことは伺える。月曜日の朝には必ず「週末、どうだった?」という社交辞令が交わされるが、単なる社交辞令というより、自慢大会的要素もたぶんにあるように感じられることもままある。週末になると気合入れて遊ぶというスタイルが馴染めない私は、こう聞かれる度に「ずっと寝てた」とかホントのことを答えては、周囲をシラけさせていた。最近ではちょっと楽しそうに「ショッピング!!(実は、ただ単に食料品買出しに行っただけなんだけど)」なんて答えていたりする。けっこう、気をつかう。
ところで、オーストラリアにはホリデー休暇以外に病欠(Sick Leave/有給)というのがある。ニューサウスウェールズ州では年間一定期間認められている。なんでも名詞を短縮して愛称化してしまうオージーだが、このシックリーブまで「シッキー」という愛称で親しんでしまっている。いつぞやの新聞に「オーストラリア人に愛されて○○年」なんてタイトルで特集されていたが、シッキーは統計によると何故か月曜日と金曜日に多いそうである。この記事にはこんなコメントがあった。
「ダメだよー、病気の時にシッキーとっちゃあ。せっかくのシッキーが台無しじゃないかー」
さて、その休暇の間の仕事はどうなっちゃうのか?というと、社内で調整する。一応引き継ぎなどすることはするし、引き継ぎしきれない場合はスタッフ派遣会社に依頼したりしてテンポラリースタッフ(一時的な穴埋め要員)を雇うこともある。が、実はスタッフ一人くらい抜けていても、仕事なんてわりと問題なく回っていくもの。彼らもそれを知っているから、広い意味での仕事に対する責任感に欠けてしまうのだろう。仕事への情熱とプライベートライフへの情熱を両立させることは、日本とは逆の意味で難しいようだ。
主な理由は日本のような終身雇用制度になっていないため、会社は経営があやしくなれば、あるいは従業員の能力を見限れば、簡単に首を切られるため。当然、会社に対する忠誠心など生まれず、それより自分自身が生き抜いていくための方策を誰もが真剣に考えるようになる。会社に尽くすくらいなら、自分を磨くことに注力する。いつ首を切られても、すぐに再就職できるように別の道を常に準備しておく。だから、就職してからも時間をとっては、夕方から自費でコンピューターの教室へ通ったり、アカウントの勉強をしたりする。で、自分の能力が今の仕事を越えたと判断したら、自分の能力に見合うポジションを見つけて転職する。
新しい会社に入社するや、合わないと判断すればさっさと次へ移っていくし、そこに不思議なくらい躊躇がない。ひとつの会社にいてもなかなか昇進できないが、他の会社へ移る際には給料の交渉など出来るから、他に移りながらキャリアアップしていった方が効率的に給料も役職もアップできるというわけなのだろう。20才代で既に10社近い職業経歴を持つ人も珍しくない。こういうケースは日本だったら「こらえ性のない奴」とか「よほど忠誠心、協調性がないのだろう」などと悪く評価されがちだが、オーストラリアでは「いろいろな環境でいろいろ学んできた人」「積極的にキャリアを積んでいる人」との評価につながることも多い。(実際には「こらえ性ないだけ」ってのも、いるんだけど・・)
また、これは学校教育における「キャリア教育」の成果なのだろうが(ほとんどの高校には「キャリア相談」担当の先生が常駐している)、若いうちから自分のキャリアについて真剣に考えている人が多く、将来の自分のキャリアの組み立てを計画的に実行している人もいる。
若干22才のジュディは20才の時に観光業でのキャリアを目指すと決め、大学を休学してホテルに勤めだした。フルタイムの仕事をしながら、夜はレストランでアルバイトをし、ホテルとレストランの両面から接客業について学んだ。1年後には日本の旅行会社に就職し、オペレーションを学びつつ、週末は近所でガイド業もやっている。こういった経験を通して、彼女は着実に観光業を多角的に学んでいっているわけだ。
転職が多いもう一つの理由に、パートタイマー雇用制度が確立されていることがあると思う。4)でも説明したように、パートタイマーは単なる補助業務をやる人ではなく、一人前の仕事を任されていながら、仕事量の関係から週に20時間など限られた時間内で仕事することになっている、ひとつの契約スタイルにすぎない。だから、複数のパートタイムジョブを掛け持ちしている人も多く、いろんな経験を一度にすることが出来る。だが、パートタイムジョブは通常、契約制になっているので、契約が切れればまた次の仕事を見つけなければならない。結果的に履歴書の職業欄が増えていくわけである。
以上、職場の特徴を挙げながら、オージーの仕事観を考えてきたが、ただ単純に「怠惰なオーストラリア人」という国民性の問題だけではなく、そうなってしまうに至る社会的背景、制度の影響もあることがご理解いただけたかと思う。しかし、最近の様子からは、アメリカ資本の流入やアジア経済の脅威などにより、「呑気にやってた古き良き時代」「ラッキーカントリーで陽気にやっていた時代」とは変わってきていることもなんとなく読み取れる。
「オーストラリアの会社は日本企業を見習え!」的な発言も聞かれるし。新聞にも「社員と一緒にお茶の時間をとるようになってから、効率があがった」なんて、私たちから見たら「当たり前だろ」と思われることがさも貴重な実験結果のように報告されていたりする。
日本的な企業の良さと、オージーのプライベートライフ重視の生き方との「いいとこ取り」をすることは出来ないものだろうか??
(1996/12/01 福島)