シドニー雑記帳



留守番明けの近況






     2月末に田村が戻ってきて、やっと留守番から解放されました。「最近のAPLaC、全然更新がないじゃないの」と思われてたことでしょうが、留守番で忙しかったのです、すみません。

     「今週の一枚」だけは田村が前もって作っておいてくれたから、そのままUPするだけ。でも、それ以外に特に更新出来なかったんです。といっても実は、細かい訂正やら追加やらはちょくちょく入れてるんですが、わざわざ「更新記録簿」にご紹介するほどの内容でもないのですね。

     留守番って言っても、なに大したことをやってるわけでもなく、APLaC関係で言えば毎日アクセス数をカウント&記録して、メールの返信書いてって、ただそれだけなんですが。しかし、ふだん二人でやってることを一人でやると、結構な仕事量になるもんです。猫の世話やら鉢植えの水やりやらゴミ出しやら新聞や郵便物の出し受けやら、ひとつひとつは大したことじゃないことだけど、一人でやってると結構忙しいような気がする。まあ、去年豪勢に6週間も世界周遊してしまいましたし、たまには相棒にも休みをやらないとフェアゴーの精神に反してしまってイケマセン。

     田村にしてみれば、もっとも暇なシーズンを選んで帰国したのでしょうが、こういう時に限って忙しくなるもんですね。語学学校一括パックのお客さんが来られることは分かっていたのですが、それ以外のプロパーじゃない仕事(翻訳、夏休みの学生グループツアーの企画、おまけにビデオのナレーションまで!)が舞い込んで来ました。ほんでまた、こういう時に限って、アロマ商品の発注メールを沢山戴いたりして。ありがたいことなんですが、「おお、なんでまた、この時期に?」という(^^;)。




     なんせデカイ家なもんで、家事だけでも結構大変なわけです。掃除は週イチくらいで誤魔化してますが(マジメにやると半日かかる)、ごはん作りは毎日のお仕事。料理はもともと柏木の担当だったのですが、一時帰国中の筈の彼女も日本に根が生えてしまった様子。おかげでレパートリーだけは増えました。

     このところ、夫ラースが晩御飯の残りものを翌日のランチに持って会社に行くようになり、職場のオージーたちも珍しいアジア料理に興味をもつみたいで、日ごとに持参する量が増えていき、「今日のちまきは1個2ドルで売るぞ」とかやってます。特に「酢めしで作ったおにぎり」が好評で、毎晩余ったごはんをにぎにぎしています。

     折角だから、「ガイジン好みのおにぎり」を開発しようと、少しずつ中身を変えたりして結果を聞いています。「傾向と対策」としては、甘めの酢味をベースに、アクセントをつけるとウケルみたいですね(シドニーでは手巻き寿司が結構人気で流行ってるようなのに、おにぎり屋さんがないのですが、たぶん「酢めし」がポイントなんじゃないかと思います)。梅干しも丸っぽ入れるとすっぱすぎてダメだけど、細かく散らして混ぜるとアクセントになって好まれる。それと、直接塩が舌にあたるのはイヤみたいなので、あまり沢山塩を振らないこともコツ。のりは味付け海苔みたいに味がハッキリしてる方がいいらしい。
     ほとんど昔やってたマーケティング&商品開発のノリです。いっそのこと、ランチ用おにぎり配給サービスでも始めようかしら。

     最近はパイ、ケーキ、プリンなどお菓子作りにも挑戦していて、ビギナーズラックで一回うまくいくと「あたしって才能あるかも」とイイ気になったりして、凝ってしまうんですよね。うれしくなって、写真まで撮影してしまった。「そんな暇あったら、ホームページ更新しろよ」と思うのですが。

     家事といえば、洗濯。洗濯機がやってくれますが、シドニーは本当に天候不順というか、さっきまで好天だったのに急に雨が降り出したりするので、干してる間も空の様子をチェックしていなければならず、気疲れします。もっとも地元オージーたちは全然気にしてないみたいですけど(雨が降ろうが槍が降ろうが、干したら干しっぱなし、「いつか乾くだろ」という悟りの境地に達しているらしい)、私はその辺、小心な日本人です。昨日は長引く雨天にしびれを切らして、ヒーター焚いて乾かしました。暑い、暑い。そしたら、翌日は晴天。人生、こんなものなのね。

     あと、貴重な時間を圧迫しているのは、歯医者。もっとも圧迫されているのは時間というより、お金なんだけど。もう4000ドル注ぎ込んだもんね(自慢してどうする)。虫歯1本神経まで治療してクラウン(かぶせるやつ)入れると2000ドルくらいしちゃうんだわ。歯には国民保険が効かないのです。プライベートの保険でも予防(チェックとクリーンナップ)はカバーされるけど、治療部分は自己負担。ラースも2本治療したから、二人で8000ドル。これだけあったら、また世界旅行できるぞ、という痛い出費であります。で、慌ててデンタルフロスを使い出しました。
    オーストラリア滞在する皆さん、虫歯にはご用心を。

     しかし、読み直してみると、全然忙しそうじゃないですね。日本にいる頃、「忙しい」といえば睡眠時間3時間とかだったけど、今じゃどんなに忙しくても1日8時間は寝てますからねぇ。全然言い訳になってませんねぇ。




     成立しない言い訳はさておいて、近況ですが、なんとウチにポッサム君がやってきました!


     ポッサムというのは左の写真を見ればお分かりのように、リスとムササビのあいのこみたいなルックスですが、カンガルーと同じ有袋類でして、オーストラリア大陸固有の動物です。田舎に行けばどこででも見られる野生動物で、家に住み着くこともあるのですが、そうすっとオシッコが臭い。で、田舎住まいのオージーにとっては、ポッサムといえばネズミがゴキブリ程度の害虫並みの扱いを受けていたりするそうです。

     でも、都会じゃそうそういないでしょう。ウチ、シティまで車で15分ほどなんですけど、まあ、緑だけは豊富にありますから居てもおかしくないけど、今まで見たことなかったし、本当にウチに来るとは思いませんでした。

     夜、ビデオを見ていると隣のキッチンでモソモソと音がするので、こりゃまたウチの猫がエサを漁っているのかと思い、「こら!チビ!なにやってるの!」と覗いてみると、そこに居たのは猫ではなかった。それから、ポッサム君、焦って出口を探そうとするんだが、明るすぎてよく見えないのか、走っては壁に激突し、バスルームに迷い込んでしまうという始末。家じゅう総動員(って3人ですけど)で、ポッサム君救出作戦を実行して、ようやくブッシュに帰っていきました。その後も、早朝に猫のエサむさぼり食ってるのを、夫が目撃しています。




     話はポーンと飛びますが、「算数が苦手な人々」について。私も日本人としては「算数苦手」なクチですが、オーストラリアに来てからは「私より算数出来ない人が結構いる!」ことに驚くことがしばしばあります。

     まず、オーストラリアに来てすぐ気付いたのは、店員がお釣をくれる時に「足し算式」で計算していることです。買ったものの商品代金に加算する形で、「商品が3ドル75セントだから、はい(25セント渡す)4ドル、はい(1ドルコインを渡す)5ドル、はい(5ドル札を渡す)、これで20ドルね」という具合に足していくんですね。つまり、「あなたとわたしが同じ金銭価値を手にすればいいのだ」という発想なのです。これ、どうもオーストラリアだけじゃないみたいで、ヨーロッパ旅行した時も同じ場面に遭遇しているので、おそらく世界のかなり広い範囲でこういった計算方法がなされているのでしょう。

     でも、このやり方だと、ちょっとイレギュラーなパターンになるとすぐ躓きます。たとえば、商品代金が8ドル20セントだった場合、邪魔なコインを処分したいから、10ドル札一枚に、20セントコインを出したりしますね。お釣は2ドルコイン1枚くれりゃ済むことなのに、これが計算できない人が結構いる。コイン分を無視して1ドル80セントご丁寧にコインを集めてくれて、端数の20セント分をどう処理していいか分からなくなった挙句、こっちがあげた20セントコインを戻してくれたり。

     もっとも大きなスーパーではレジに入力すれば機械が勝手に計算してくれますから、まず間違うことはないのですが、個人商店ではこのテの釣り銭ミス、大いにありがちです。
     ちなみに、いつも私らが行くマリックヴィルのショッピングセンターの片隅に、モノは新鮮で安いチキン屋さんがあるのですが、ここの兄ちゃんは今まで一度もお釣を正しくくれたことがありません。まあ、あれだけ頻繁に間違えていれば、収支は結局トントンになるよな気もしますが、人間こっちが損した時はクレームしても、得した時は黙っているもんですから、きっと毎月「おかしいなあ、もっと利益出てる筈なのになあ」と腕組みしているかもしれず。もしかして、毎月の売上もちゃんと勘定できてないのかも。いや、お客さんもお釣が少ないことに気付いてないのかも。




     なんでこの国の人々(この国だけじゃないのだろうが)はこんなに単純計算が出来ないのかなあ?と考えてみるに、もともと暗算が出来ることに価値を置いていないのではなかろうか?と思えてきます。

     そういえば、義務教育でも電卓使うんですよね。中学の算数(あれは数学とは呼ばない)の教科書見ると、割り算のところでは「だいたい幾らくらいになるか予測してみましょう、そして電卓を叩いて出てきた結果と比べてみましょう」とありますから。子供の頃から電卓ばっか使ってたら、暗算が弱くなるのも当然です。義務教育から電卓採り入れてるくらいだから、オーストラリア教育省も「まあ、暗算なんてのは特技のひとつだね」くらいに捉えているとしか思えない。

     そういや、ソロバンなんてのもないし、九九丸暗記なんてのもない。九九に関しては一応「3カケル4ハ12」くらいには教えるようですが、日本みたいに歌のように語調を利用して、「小3に上がるまでに丸暗記しなさい!」なんてことはない。頻出する基本パターンだけ覚えておいて、そこから引き算・足し算するようです(6×9なら、60−6で答えを出す)。

     だから、算数苦手な人にとっては生きやすい国です。よく聞く話ですが、算数苦手だった日本人学生がオーストラリアに留学したら、数学の授業でちょっと暗算してクラスじゅうから拍手喝采浴びて、急に「数学得意」になったとか。ありうるわなあ。

     あと、暗算とは話が違いますが、店員がお釣計算する段になって、いくら預かったか分からなくなっちゃって「ええっと、いくらくれたっけ?」とかいうこともよくあります。日本だったら、お客さんから預かったお金はきちんと「1万3円お預かりします」と確認し、しかもお釣を渡し終わるまではレジの中にはいれず、お互い見える場所に置いておきますよね。あれ、やらないんだわ。
     でも、すごいなと思うのは、こっちが「50ドル札渡したよ」と言うと、なんの疑いもなく信じること。ということは、ウソつく人もあまりいない、いや、ウソつく人はいないという前提で成り立ってるのでしょうね。性善説というか。 オーストラリアのこういうとこ、イイですねぇ。




     お次は英語ネタ。英語についてはいくら語っても語りきれないのですが、今回は「ヨーロッパ系言語スピーカーはいかに英語習得で楽をしているか」という、思わず羨望と嫉妬が文面から滲みでてしまうお話です。

     ええと、夫ラース君はデンマーク人なのですが、ヤツは英語習得に関してメチャメチャ得しています。昨年デンマークを訪れた折に、「すごい、デンマーク人はみんな英語喋れるぞ」ということは以前雑記帳に書きました。理由としては、言語体系が似ている(文法も語彙も似てるし、語順が一緒)ということがメインではないかと思ったのですが、最近「どうもそれだけじゃないぞ」ということを嗅ぎ付けました。

     まだ英語がそれほど自由に喋れない頃は、「ちくしょう、語順さえ同じだったら、どんだけ楽になるか」と思ったりしたものです。語順に関しては文法的に分解しているからいつまでたっても喋れないわけで、固まりとしてまるっぽインプットしてしまえば、楽になります。

     で、最近はとりあえずの会話では苦労しなくなった代わりに、セットになった慣用表現・言い回しが分からず悔しい思いをします。日本語でいえば、ことわざや四字熟語にあたるのでしょうが、こういうの知ってると的確にニュアンスが伝わりやすくなったり、会話に機微が出てくるし、うまくモジればジョークにもなったりするので、是非とも覚えたいわけです。それに、なんといっても相手が言ってる表現が聞き取れないのは困ります。もっとも最近では単語そのものは聞き取れるのですが、「で、それで?」という具合で、セットになった時の意味が分からない。

     たとえば、「Aさん、もうすぐ結婚するんだって」というと、「Knock on wood!」と言われます。「はあ? なんで結婚するのに木を叩くわけ?」とラースに聞くと、「Cross my fingersと同じだよ」と。「はあ? 木叩くのと、指交差するのが同じ?」と更に混乱してきます。

     ちなみに、クロスフィンガーとは人差し指に中指を交差させるジェスチャーを表していて、「グッドラック(幸運を祈る)」の意味なんですね。じゃあ、ノックオンウッドは?というと、幸運を祈る時に木を叩くことになってるそうで。キリスト教と関係あるのか知りませんが、昔、魔除けに木を叩いたことが起源になってるらしいです。

     こんなん知らなきゃ分かりませんわね。で、ラースに「こんなややこしい表現、どこで覚えたのよ?」と詰問すると、「デンマーク語にも似たような表現があるんだよ」と。たとえば、デンマーク語では「木を叩く」代わりに、「テーブルの下を叩く」と言うそうです。クロスフィンガーに至っては、まったく同じだそうで。

     ほんと、こんな例がいっぱい、あるんです。ちなみに、今思い付く限り、列挙してみましょう。


    英語の慣用表現 デンマーク語(英語に直訳) 解説
    knock on wood knock under the table 本文で解説しました。「幸運を祈る」の意。ちなみに中国では食事の時に飲み物をついでもらったら、「ありがとう」の意味でテーブルをコンコンと叩きますが、起源は全然違うんだろうな。
    out of blue sky out of cloud free heaven 直訳は「青空からやってきた」ってなところですが、いいアイデアがひらめいた時とか、探していたものが突然見つかった時に使うそうです。デンマーク語「雲のない天国からやってきた」の方が意味に直結してるような気がする。
    Don't kill the goose that lays the golden eggs Don't kill the hen that lays eggs of gold 「金の卵を産むガチョウを殺すな」ということで、アンデルセン童話がモトだそうです。貪欲な男が金の卵を毎日1個ずつ産むガチョウを入手したので、「このガチョウを殺せば、中に沢山の金の卵が入ってるはずだ」と思って殺したら、中は空っぽだったという。つまり、「欲をかいてはいけないよ」という意味だそうです。余談ですが、アンデルセンってデンマーク人なんですよね。それなのに、デンマーク語では何故かガチョウの代わりに「メンドリ」というんだそーで・・・。
    crystal clear crystal clear よく語学学校でも先生に「Are you clear?」と聞かれましたが、クリアとは要するに「Do you understand?」の意味です。で、そのクリアにクリスタルがつくので、「完璧に理解している」という意味になります。これ、デンマーク語もまったく同じなんだって。
    pissing down pissing down 最初、「It's pissing down today.」と聞いた時は、「なに下品なこと言ってんだ、こいつ」と思いました。Pissって「オシッコ」のことなんですけど、どういうわけかそれが転じて「どしゃ降り」の意。お空がオシッコたれまくってる、ってことでしょう。別に下品な表現でもないらしく、上品なレディーでも普通に使うそうです。これもデンマーク語と同じ。ずるい。
    beauty of picture picture beauty 「絵のように美しい」ことの形容。まあ、分かりますけどね。
    It's not my cup of tea. It's not my bottle of water. 推測すればお分かりでしょうが、「私のお気に入りじゃない」ということで、否定的な意味で使います。英語がお茶で、デンマーク語が水だという。
    Holy mackerel! Holy herring! 直訳すると「神聖なサバ」。「Oh, my God!」なんかと一緒で、「ありゃまあ」と驚いた時に使います。しかし、英語がサバで、デンマーク語がニシンってのは、どういうことなんじゃ? サカナなら何でもホーリー(神聖)だと思ってるんちゃうか。そういや、ラースが作った大晦日料理はニジマスであった。マスもホーリーなんだそうだ。ツナは?と聞いたら「It's too big to be holy」だって。そういう問題か?



     他にも「英語ことわざ辞典」等を参照すれば死ぬほど出てくるでしょうが、上記は私たちの回りで頻出したものですから、シドニーでの頻出度は高いと思われます。こんな具合にデンマーク語と英語の表現はほとんど同じだから、ラースは英語スピーカーが言ってることは単語を拾った時点で「あ、あのことだな」と推測つくんだそうです。ここが、私とラースの英語力の大きな差になっている!と、私は睨んでおります。

     こういう表現、日本語と似てるものもあることはあります。たとえば、一石二鳥なんかそのまんまでして「killing two birds with one stone」です(これ、もしかして中国語起源のを英語に直訳したんちゃうか?という気もする)。でも、ほとんどの慣用表現は日本語とは違うし、日本語に訳せないものもある。文化背景が違うせいでしょうか。たとえば「板につく」なんて表現は、カマボコがなきゃ出てこない発想でしょうし(起源は全然違ったりして)、「水に流す」なんてのも水が豊かな国だからこそ出てくる発想じゃないかな。

     ヨーロッパ諸国は歴史的に関係が深いし、キリスト教文化という共通項を持っているので、ヨーロッパ諸国には英語に似た慣用表現がかなりあるのでしょう。が、どうやら特にデンマーク語は英語の慣用表現を真似してるらしい(デンマーク人に言わせりゃ「イギリス人がデンマーク語の慣用表現を真似した」んでしょうが)。ラースによれば、実際、ドイツ語にはさほど英語と似たような慣用表現はないし、ラテン語圏に行けばまた違うそうです。

     ヨーロッパ史には疎いので(共通一次で世界史とったんだけど、何も覚えていない・・・)、詳しいことは分かりませんが、イギリス人の起源を辿ればバイキングまで逆のぼるそうですし、コペンハーゲンも古くから貿易港として栄えてきたわけだから、デンマーク語と英語の慣用表現が似ているのも当然といえば当然なのでしょう。

     語学学校で勉強されている方、しようと思っている方、同じクラスにいるヨーロッパ人が英語ペラペラ喋れるからって、ひるまないでください。彼らは私たちの半分も努力しなくても自然と喋れるんです。そのくせ、文法やスペルはメタメタだったりしますから、自信を持ってください。そして、彼らの何倍も努力して英語をモノにしてください。 がんばれ、日本人学生!!





     さて、次の話題はまたコロっと変わります。
     先日、ワーホリの方がいらした時に、「ガイジンはカッコイイ」という先入観が日本にはあるような気がする、という話をしてました。「なんで?」と聞くと、「やっぱりルックスがカッコイイし、英語喋れるし」と。そういや、アメリカ軍のベース勤務の黒人を連れて歩くってのが流行ってたような。

     しかし、どうも日本で言うところのガイジンというのは、「英語圏の人」をイメージしているようですね。まあ、それはそういうものとして話を進めるとしましょう。

     で、「英語圏の人はカッコイイ」ですか? どう思います? 正直言って全然ピンと来ないんですけど。まあ、背が高くて足が長くて、顔は彫りが深くて、目は紺碧で、髪はブロンドで、という「美しいガイジンのイメージ」というのがありますが、ガイジンさんが皆そんなふうにイメージどおりというわけはないです。不格好な人もいれば背の低い人もいるし、顔だって決して美しいとは言い難い人だっている。どうも日本に露出するガイジンさんというのは、モデルだったり、タレントだったりして、もともと美しい人しか見てないから、ガイジン=カッコイイ幻想につながってしまうんじゃないかと思えるんですね。要するに情報が偏ってるだけじゃないかと。

     それに、青い目とか金髪のガイジンって、そんなにイイですか? 私には美観がないのか、よく分かりません。でも、ラースと話してるうちに、だんだんカラクリが分かってきました。

     デンマーク人ってほとんど目はブルーで髪はブロンドなんですね。グラマーだし、背はメチャ高くて足も長い。美しいガイジンのイメージそのものです。なんたって、洋モノのアダルトビデオに出てる女優はほとんどデンマーク人だそうですんで、日本人のガイジンイメージにあてはまるのも不思議ではない。で、そういう美しいガイジンの国から来たラースは、「デンマーク女性は、目はブルーだし、髪はブロンドだし、足は長すぎるし、おっぱいもおしりもデカすぎるし、boring!」と言うわけです。彼の目には、ダークアイ&ダークヘア&チビ、これだけで十分魅力的に映るようです。

     最初は、「こいつ、アジア人好みなのかな?」と疑っていたのですが、デンマーク行ってみたら分かりました。本当に皆さんダークアイ&ダークヘアで小さいのが珍しいのか、興味津々なのです、老若男女を問わず。私なんか、ほとんどお人形さんのように扱われて、「うわ、喋った」みたいな目で見られたこともあったぐらい。ラースのお父さんなんか「これほど美しい女性は今だかつて見たことがない」と連発していたそうで、「そぉかぁ?」って感じ。特に田舎では、日本人のガイジンへの憧憬以上のものを感じました。

     そこで、納得しました。「な〜んだ、隣の芝が青いってことじゃない」と。日本人だって、もし全人口の半数くらいが青い目で金髪で伸長180センチ以上でEカップだったら、ガイジン見ても別になんとも思わなくなるでしょう。人間は「ないものねだり」する動物なのでした。




     ところで、シドニー近郊で国際結婚している日本人女性のネットワークがあるそうなんですが、そこでは「生っ粋のオージーと結婚している人がエラくて、アジア人やその他の血をひく移民と結婚している人を見下す雰囲気がある」というんです。私は当事者には会ったこともないし、そういう雰囲気を察知するようなスチュエーションに出くわしたこともないので、真偽のほどは分かりません。
     ただ、一度、ヨーロッパからの移民二世と結婚している日本人女性に会った時に、彼女が「私の夫はオーストラリアで生まれたの」と何度も強調して言っていたもので、「あれ、そんな話聞いたことあったな」と、そのネットワークの噂を思い出しました。

     しかしねえ、生っ粋のオージーなんてどこにもいやしないんだし(元を辿れば皆移民じゃん)、なんでダンナがオーストラリア生まれかどうかにこだわるんかな?、なんでオーストラリア生まれだとエライのかな?、と不思議です。まあ、もしかしたら日本人女性の価値観というより、オーストラリア社会の中でやっぱりまだ移民1〜2世に対する、それとない差別はあるのかもしれないですね。差別というほど明確なものではなく、ほんのニュアンスで察知するような「キミたちは本当のオーストラリア人じゃないでしょ」という意識が態度になって出てくることがあるのかな、と。たぶん、その立場にたった人でないと気付かないような微妙なものが。

     私たちはモロ移民1世ですから、「キミたちは本当のオーストラリア人じゃないでしょ」とも言われないし、言われたところで「そうよ、私は日本人だもん」とサラっと返せますけど、二世になるとそのあたり微妙なのかもしれませんね。ベトナム系二世の子も、「私はオージーだ」と断言しますけど、小学校に入って初めて英語聞いて「勉強しなきゃ」と思ったといいますし、大学卒業したら「祖国を見るために」ベトナム旅行に行ったし、やっぱりアイデンティティの葛藤みたいなもんはあるんだろうなあ。

     ずいぶん前にアグネスチャンが出産した時、わざわざアメリカで産んでその子供をアメリカ市民登録したわけですけど、その時のインタビューで「私は中国人で夫は日本人。だから、アメリカで産むことで自分自身がナニモノなのか?を自分で考えて欲しかったんです」なんてのを読んだ記憶がありますが、さて、その子はどのように育ったのでしょうね??



1999年3月5日:福島


★→シドニー雑記帳のトップに戻る

APLaCのトップに戻る