シドニー雑記帳




7桁郵便番号の謎




     引越通知を日本の知人に送ろうとしておりますが、封筒に宛名を書いている段階でふと手が止まりました。あ、郵便番号7桁になったんだっけ?

     しかし海外にいる身で郵便局のポスタルガイドが入手できるハズもなく(日本領事館行けば呉れるのだろうか、まずありえないだろうな)、面倒臭いからそのまま前の3桁〜5桁の番号を書いて出しました。インターネットでは検索できるサイトもありますが、そこまでする気にもなれませんでした。

     しかし、3桁だっていいかげん鬱陶しい郵便番号を7桁にして、本当に皆さん真面目に書いているのでしょうか。疑問です。




     だいたい、3桁時代だって郵便番号書いていない郵便物は結構貰ったし、また自分でも出したりしました。特に返信先住所というか差出人住所欄に郵便番号書いてない人もかなりの率でいますから、返事を出す度にいちいち調べて書くのも面倒くさく、そのまま出してしまう場合も結構あったように思います。それでさして問題なく着いてたように思います(問題なく着かすように郵便局の皆さんは苦労してはったのかもしれないけど)。

     3桁の郵便番号の場合、都道府県や市町村名は省略しても着くハズだったと思いますが、省略可能な部分もつい書いてしまうのですよね。例えば、僕の昔の住所である大阪市都島区網島町の郵便番号は534で、この534の範囲は確か都島区内だけだったと思うから、理屈の上では、住所の都島区部分まで省略していきなり「網島町1丁目、、、」と書き出てしも良いのでしょう。しかし、そんなことしてある手紙は記憶の限りほとんどなかった。9割がたは「大阪市都島区」からはじまっていたし、「都島区」からはじまる手紙ですらむしろ少なかった。逆にご丁寧に「大阪府大阪市」から始まる手紙もちょこちょこありました。

     いくら郵便番号さえキチンと書いてあれば、最少行政区画から住所を書き始めていいのだと頭で分かっていても、無駄とは知りつつも、ちょっと大き目のところ(大阪市とか市くらいから)から住所を書き始めてしまうという人は沢山おられるでしょう。僕もそのクチです。なぜかというと、いきなり区とか町とかから始めてしまうと、住所欄が淋しい気がして、「本当にこれで着くんだろうか?」と不安になるのですね。それに、都道府県や市町村から始めていくと、住所欄が適当に2〜3行になって、デザインというかレイアウトからしても、ドッシリしていてハマるのですね。





     また、「郵便番号をキチンと書いておけば」の「キチンと」がクセモノで、僕のような下手糞な字だと正しく読み取ってもらえないのではないかという不安がつきまといます。枠からはみ出していないかとか、「1」と「7」を誤読されるのではないかとか。これ機械で読み取ると聞いてますが、こんなもん、機械でちゃんと読み取れるもんだろうか?という性能に関する不安もあります。

     人間の視覚のパターン認識能力は、機械の比ではないと言います。よく知ってる人の顔だったら、その人が泣いてようが爆笑してようが、一瞬であっても、かなり的確に「あ、○○さんだ」と見分けることが人間には出来ます。現物とはかなり違う似顔絵であっても、瞬時に誰かを見分けることも出来ます。これ、杓子定規に情報データを積み重ねて判断するコンピュータでは中々できない。画像データを頭の中でイメージ処理し、違う表情のときとか、子供の頃の写真とか、かなりアスペクト(比率)が変わったりデフォルメされてていても、なお同一人物であることが分かるという融通無碍でファジーな認識能力は、考えてみるととんでもなく高性能だという気がします。こんなもん、ゼロイチ信号の集積であるコンピュータで判別できるんかいな、デジタルに馴染まないのではないかと。

     で、この高性能判別能力をもってる人間様をもってしても、「汚くて読めない字」というは沢山あります。数字なんかでも、「0」だか「6」だかよう分からんとかいう場合もよくあります。人間様でさえよう分からんものを、機械でどれだけ正確に読み取れるものなのだろうか、不安はあります。簡単に「認識不能」になってしまうか、デジタルに思いっきり誤読しちゃうのではないかとか、そんな気もします。手書き入力できるワープロや電子手帳がありますが、あれもよほどちゃんと書いてやらないと中々読み取ってもらえないですもんね。少なくとも人間に判別不可能なほど崩れた字を的確に判別するということはないでしょう。

     そういえばマークシートなんか、あれは黒白のデジタル世界ですからコンピューターに馴染むと思われるのですが、それでも不安が残ります。特に、欄外に「こういうマークは読み取れません」として、枠からはみ出した例などが注意書きに並んでますが、あれを見てるとますます不安になりませんか?1〜2ミリはみ出してしまったときや一回消しゴムで消したときなど、「あ、これはアカンのではないか」とナーバスになってしまい、精密作業のように塗り込んだり、潔癖症のように偏執的に消しゴムかけたりしますもんね。試験のときなど、ただでさえ時間が足りないのにと、恨めしく思ったことも一度ならずあります。

     よくワープロで年賀状宛名印刷とかしますが、あれも印刷設定や紙の流れるタイミングのズレなどでで、簡単に枠からズレて印刷されちゃいませんか。僕は、あれでハラハラするのがイヤで、葉書印刷する気になれないのですけど。

     というわけで、郵便番号をキチンと書くというのが、意外と難しかったりします。いくら郵便番号を書いても、「これで大丈夫だ」という気になれないのです。だから、郵便番号の記載の有無を問わず、住所は住所でちゃんと書こうと思ってしまうわけですね。逆に言えば、郵便番号が導入されたメリットは、僕としては全くないと言っていいし、単に面倒臭い記載欄が一つ増えたというのが正直なところです。




     根本的なこといえば、葉書や定型封書の場合、郵便番号を書く位置が決まってるから、機械で大量処理、大量読み取りできるのは分かるとしても、非定型サイズの郵便物や、自分で勝手に郵便番号マーク「〒」を書いて、大きさも行間もマチマチな字で書かれた郵便番号を機械が読み取れるとはどうしても思えないんですけど。そんなのどう考えても無理じゃん。そら、係員の人が見て、郵便番号の位置が機械の読み取り口にあたるように、一つ一つ郵便物の位置をズラしていけば読み取れるかもしれませんけど、そんなことするなら、最初から宛先住所見てとっとと仕分けした方がよっぽど早いんじゃなかろかという気もします。




     そんなことを漠然と考えているなかで郵便番号7桁システムの導入になったわけですが、これまでの不満というか不安が解消されないまま7桁になっても、面倒臭さだけが増大して、ますます皆郵便番号書かなくなるのではないか、という気がします。皆さん、書いているのでしょうか?

     ところで郵政省もそれなりの言い分があるだろうし、良く知らないままブツブツ愚痴こぼしていても仕方ないので、郵政省のホームページに行ってきました。まあまあ良く出来たホームページで、新番号のオンライン検索サービスもあるし、都道府県別のダウンロードもできます。

       さきほど物の試しにダウンロードしてみたのですが、日本全国版のダウンロードはLzhで圧縮しても1.6Mもあるうえに、これを解凍すると11Mにまで達します。表計算ソフトのエクセルで開くのですが、容量がありすぎて途中で終わってしまった(北海道からはじまって秋田県で挫折)。テキストファイルで開こうものならメモリー食い過ぎてコンピューターが死にます(^^*)。まあ研究すればそれなりにやりかたはあるのでしょうが、面倒でも都道府県毎のダウンロードした方が無難でしょうし、こんなもんにHDの容量使うくらいならオンラインで検索した方がいい。もっといえばポスタルガイド貰ってきて手で引いたほうが一番早い。海外では手に入らないので今度帰国したときにでも貰ってこよう。

     で、番号7桁化にする郵政省の言い分ですが、煎じ詰めれば「より迅速に、かつコスト(特に人件費)を削減して低料金で配達するために」「皆様のご協力をお願いします」ということに尽きるようです。

     もう少し丁寧に引用すると、『新郵便番号制の導入は郵便物処理の機械化の範囲を拡大し、人力に依存する割合の極めて高い郵便事業の効率化を推進することによって、将来にわたってなるべく 安い料金で良質な郵便サービスを安定的に御利用いただくことを目的とします。』とのこと (新郵便番号制マニュアルより)。

     うーん、ま、そうなんだろうけど、この程度の理由ならば聞かなくても想像がつきます。というか、この理由でOKなら、郵便番号を100桁化することだって出来ないでもない。極端な話、「受取人の似顔絵を住所欄の横に描いてください」とかいう目茶苦茶なシステムだって、それが「コストを削減して迅速に配達するために必要なんです」と言われてしまえば、「そうなんかなあ」ということになりかねない。問題は、それをすることによって、具体的にどの手間が省けて幾らくらい人件費が節減できるかという論理的・具体的なデテールでありましょう。

     一般的に言って、機械化=省力化と即つながるもんでもないでしょう。「職場へのパソコンの導入」と同じく、一見合理化できそうでいて、実際やってみたら前より却って手間暇が増えたということもありうるわけです(やれ壊れた、やれ紙詰まりだでメンテに追われるとか)。身近なところでは、「ワープロで年賀状印刷」なんてのも、シコシコ入力して、設定が分からんとか、印刷に失敗とかカリカリくるようなことばかり。挙句の果てに貰った人から「ワープロって味気ないよね」なんて言われてしまうという。トータルでいえば、手書きの方が早いし、印象も良かったり。




     で、従来の3桁と新7桁とで「ここが違う」という説明に関しては、配送システムを改編するという説明がありました。新7桁の場合、7桁番号と同時に住所欄の数字部分も機械で読み取り、そこでバーコードを印字し、そのバーコードをもとに配達局での仕分けまでやる(配達の順番なんかも機械でやるのでしょう)。そこまでオートメ化するために、より細かい仕分け情報が必要であり、だから7桁にするのだと。

     この説明のオリジナルは郵政省のホームページ該当部分に書かれてありますが、念のためにその部分をそのまま引用すると、


    Q:番号制になると、どのように効率化するの?
    A:郵便局の機械で、郵便物に書かれている新郵便番号と住所の数字部分(丁目、番地、号等の数字)を合わせて読み取ります。これをバーコードに変換して郵便物に表示します。配達局では、機械でバーコードを読み取り、配達順に郵便物を並べ、配達します。

     とのことです。


     要するに改正点は、
     @住所欄の数字部分も機械で読み込みバーコードを印字する、
     Aそのバーコードに基づいて配達局での配達順仕分けも機械作業でやる、

    ということなのでしょう。
     配達局での配達仕分をスムースにするための改善ということのようです。住所欄の機械読み取りも数字部分だけですから、結局、住所を全て数字化することによって全面機械処理を可能にしようということなのでしょう。




     だったら、住所欄にも数字だけ書けばいいんじゃないの?という疑問も出てきます。郵便番号部分で町名表示まで済むのだから、あとは「1丁目2番3号」を「1−2−3」だけ書けば足りる。全体で1234567(郵便番号)−123とかいう数字だけ並べていても郵便物は届くことになりゃせんかという気もします。でも、やっぱり住所は書かなきゃいけないようでもあります。いろいろ見てみても「これからは宛名住所は全て数字でいいです、漢字は一切書かなくてもいいです」という広報はしてないようですので。なんで?

     なんでなのかなあと思うと、一つには「住所表示の数字部分」と一口にいっても色々な住所パターンがあるから(大字(あざ)/小字入り乱れて地番表示が一つも出てこない住所とかありますし)、住所表示の完全数字化(バーコード化)には細かな修正ルールが沢山あるわけで、国民に勝手にナンバリングされても困るという事情もあるのでしょう。

     でもそれだけではなく、やっぱり数字だけで正確に読み取り切れるかについては郵政省も不安があるのではなかろうか?何万何億という単位でやってれば、読み取り不能の場合も相当数出てくるでしょうし、そのときは手作業でやることになるわけで、やっぱり住所は必要だ、と。


     読み取り不能に関する記述は、前述のマニュアルのなかの「IDバーコード」に関するくだりでちょっと出てきます。すなわち

    『(2)IDバーコード
    ア.区分機で読み取りが完了しなかった郵便物は、ビデオコーディングシステム(区分機で読み取れなかった郵便物の画像をディスプレイに映し、読み取れなかった部分をオペレ ータがキーボードから入力する装置)を用いてI Dバーコードを印字します。

     というわけで、オペレーターさんが補助作業をするようです。この補助作業も、ビデオで見ながらキー入力ってやりにくくないのだろうか?形状も様々な小包なんかビデオで読み取れるのだろうか(住所欄が横向いてしまって画面に映らないとか)?人間が見てもあまりの字の汚さに読めない場合や郵便番号書いてなかった場合、いちいち手元のポスタルガイドで調べて入力するのだろうか?そんなことするなら、従来通り漢字表記の住所をパッとみて手で仕分けした方が簡単なんじゃないのか?そこまでバーコードにこだわらんでもいいんじゃないか?とか疑問はでてきます。

     それはさておき、一体どのくらいの割合で読み取り不能ケースが発生するのか、どういう場合に不能になるのかという詳しいデーターもありませんので良く分からんのですが、いずれにせよ読み取り不能ケースがあるという前提に立てば、前述の話に戻りますが、「郵便番号をちゃんと読み取ってくれるか不安」だから「結局住所も全部書いてしまう」→「住所欄をシコシコ埋める手間は減らない」ということになっていくのでしょう。

     だから結局、従前どおり住所は書かなアカンわ、郵便番号は七桁もあるからいちいち調べなければならんわということになって、二度手間の負担だけが増すような気がします。





     ところで、郵政省も頑張っているのでしょうから、たかだか数字4文字くらい書く手間を国民が惜しむべきではないのかもしれません。数字4文字分くらい、普通に書いても1秒程度で済むのですから。

     しかし、3桁が7桁になるというのは、数字を4つ余計に書くという手間だけではないのでしょう。相手の郵便番号を暗証できるくらい知ってるなら、数字4文字書き足すだけですが、実際にはそんなことありえないでしょう。

     従来の3桁表示なら区画が大きかったら、「○○区は全部○○○だよ」とアタリがついていました。小学校のときの年賀状なんか、交遊範囲がクラスメートだけだったから、郵便番号全部同じなんてこともありました。でも、これが町名ごとに変わるとなると、そのような推測はほぼ不可能でしょ。だから、一件一件ぜーんぶ調べないとならない。これは意外と手間だろうなと思います。

     調べると言っても、いつもいつも所定の位置にポスタルガイドがちゃあんと置かれている家ばかりではないでしょう。早い話が僕の場合なんか、「あ〜、ここに置いてたハズだったのになあ、どこいっちゃったのかなあ」で探し回っています。まあ、これは3桁だろうが7桁だろうが同じことですが、常に常に郵便番号書けるわけではないということです。





     さて、いろいろ書いてきました。別に郵便局の皆さんの努力にケチをつけるのが本意ではないし、国民のひとりとして無理ない範囲での協力はするつもりでおりますが、「しかしなあ」と思ってしまう部分はやはり残ります。

     まず確認すべきは、新番号導入によって、宛名書きの手間は軽減されないということ。これは郵政省も最初からハッキリ言って欲しいと思います。

     第二に、これで本当に事務効率が上昇するのか、コスト的に引き合うのかという疑問があります。「機械で読み取り」とかいっても、一体どの程度読み取れるものなのか。定型郵便物、郵便番号欄がキチンと所定の位置に印刷されているものは、読み取り場所が一定してるので大量処理になじむでしょう。しかし、非定型郵便物、小包、そうでなくてもちょっと分厚くなってしまったものとか、ファンシーな絵葉書とかの場合、どこに郵便番号が書いてあるのかは、人間が目で見て確認しないかぎり分からんのではなかろうか。

     特に海外から日本に送る場合、葉書も封書も国によってマチマチですし、日本の郵便番号欄なんてあるわけがない。オーストラリアの郵便番号は一律4桁で、封筒右下部分に番号欄があります。

     場合によっては、郵便番号欄が所定の位置に印刷されており、形も一定である定型郵便物ないし第一種郵便物に限って郵便番号を書くということでもいいような気がします。非定型郵便物の場合、どうやって処理されているのかがよくわからないもんで。

     第三に、ぶっちゃけた話ですが、「本当に皆、7桁書くの?」という不安というか疑問があります。真面目にやるには面倒臭すぎないか?という、きわめて人間的なレベルでの話。これも、従来の3桁段階で、一体どの程度の割合で郵便番号を書いていたのかという情報も知りたいところです。それなりに皆さん書いていたでしょうが、書いてないものも相当多数あるはずです。それが実際に何%くらいなのか。

     番号ナシの郵便物を処理するために人力作業は必要でしょう。番号ナシの割合が0.01%くらいなら、人力補助作業でも割に合うけど、これが70%くらいになったら、機械の導入・メンテコストをトータルすると最初から全部手でやってたほうが安いのではないかという話にもなるでしょう。全国津々浦々の各配達局にバーコードリーダーと仕分機を設置するということなると予算的にも相当なものでしょう。限界効率というか損益分岐点というのはあると思うのですが、実際どんなもんなんでしょう。

     第四に、これは逆説的な話ですけど、「人件費を圧縮して低コストで」ということですが、この先予想される大量失業時代において、そんなにクビ切らんでもいいじゃないかという気もします。すでに98年1月段階で、男性の失業率は3.7%と過去最悪を記録しているわけですが、低賃金でもいいから、仕分係のパートさんを大量に雇ったらどうかとも思うわけです。

     これは、郵政民営化ともカラみますが、もし民営化ではなく公共的役割を全うするならば、「雇用の受け皿」としての機能があってもいいかなと。当然無駄な人員を抱えて赤字になったりするでしょう。でも、1000人パートで雇って赤字が一億増えてそれを国庫から補填する場合と、1000人路頭に迷って生活保護のために1億円を支給する場合とでは、国の算盤は一緒でしょ(まあ、給付事務費用とかいろいろ違いはあるだろうけど)。で、国の算盤が一緒だったとしたら、生活保護よりはパート支給のほうがいいと思います。貰う側の心理や生き甲斐からしたら、正々堂々と働いて賃金貰った方が、はるかに生きているという実感は得られるでしょうし、そこらへんが積もり積もれば社会全体のエネルギーなり雰囲気もいい方向に変わるでしょう。

     ワークシェアリングみたいなことですけど、そこらへんの議論が日本でやられているかどうか知りませんが、「確かに無駄だけど、失業対策として有益である」という哲学を掲げて議論されるのならば、僕は歓迎しますけど。少なくとも、またぞろ失業対策として無駄な公共事業に金をドバドバ注ぎ込むよりは、納得できます。「郵便番号を書かなくても済む」というベネフィットもあるわけですし。

     第5に、これは思い付きですが、7桁郵便番号にするならば、自分の住所のバーコードシールを廉価に(あるいは只で)配ってくれないものだろうか。つまり、郵便局に行って自分の住所を書いた申請書を出すと、自分の住所のバーコードを印刷したシールを100枚100円くらいで作ってくれる、と。これを、封筒のなかに同封したり、葉書の差出人欄のところに貼っておくなり(着脱自在にしておく)しておくと、手紙を貰った人が返事を書くとき、いちいち住所書いたり郵便番号調べたりしないで、そのバーコードシールを貼り付ければ済むという具合にするわけですね。

     郵便番号7桁といっても最終的にはバーコードを作成するためのインプット作業の一環に過ぎないならば最初からバーコードで宛名書きすればいいじゃないかと。で、いずれにせよ郵便局でバーコードを作成するわけだから、コストは似たようなものじゃないかということです。既に郵政省でも「カスタマーバーコード」(差出人のほうでバーコードを印刷する)制度を作っていますし、料金割引制度もあるようですが、それを一歩進めて、バーコードシールを作る。

     これなんか、やりようによっては、プリクラみたいに流行るかもしれないでしょ。無味乾燥なバーコードだけでなく、余白に顔写真入れたり、デザインも凝ったり(読み取りに支障ない程度に)して、「自分だけの住所シール」を作ると。「よかったら手紙ちょうだいね」でシールを渡すわけですね。まあ、ほんまに当たるかどうか分かりませんが、当たったら、郵便量も増えて増収になるじゃないですか(^^*)。

     第6に(まだあるのだ)、ポスタルガイドで郵便番号を調べるといっても、これが出来るのは「漢字知ってる人」だけでしょ。母国語に漢字がない人(日本と中国、あるいは韓国以外の地球人全員だけど)にとって、漢字なんか判読できっこないです。我々がアラビア文字を模様としか思えないと同じで。僕らも住所書くときローマ字表記にするわけですから、ローマ字表記のガイドというのはあるのでしょうか。面倒臭いけど作っておいた方がいいと思いますけど。




     ちなみにオーストラリアの場合、前で述べましたように、郵便番号(post code)は一律4桁です。エリアもそれほど細分化されてませんし、国全体で1800万人しかいないということも手伝ってか、郵便番号一覧表も日本のポスタルガイドに比べれば全然少ないし、調べるのはそう苦労しません。電話帳の裏なんかにも書いてありますし、第一、普通の地図のエリア表記の下に郵便番号も書いてありますから。日本で郵便番号のついてる地図って売ってるのかな。あったら、宛名書きするとき、「ふーん、あいつはこんなところに住んでるのか」とか地図で見られて結構面白いかもしれません。

     なんて、宛名書きの作業中、「ああ、面倒くさいな7桁」と思ったことから、あれこれと書き綴ってしまいました。ではでは。


1998年3月1日:田村

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