シドニー雑記帳




妊娠レポート(その3)






     「妊娠レポート」とか盛り上がっていたら、ころっと流産した福島です。というわけで、今回は流産の経過と手術の様子など、またぞろレポートしてみたいと思います。流産といっても、典型的な自然淘汰パターンということで、本人としては非常に納得していまして、精神的ショックもなく、心身ともにまるで元気です。手術したその日からこの文章書いてたりするくらいですので、どうぞお気遣いなく読み進めてくださいませ。




     まずは流産とわかるまでの経過について。妊娠11週間めに入った頃、夜、お客さんと食事して帰ってきたら、出血してました。その時は別に腹痛などもなかったのですが、夜中になってから生理痛のような腹痛がやってきました。「これは流れたな」とピンと来ました。冷静に考えると「外食したくらいで流れるかぁ?」という疑問はあるし、妊娠経験者の柏木も2〜3日かなり出血したことあるけど大丈夫だったと言うし、「出血=流産」と決め付けるのは早いぞ、と理性は働くのですが、感性的にはそこで悟ってしまいました。
     というのは、胎児に交信しようとしても、なんらレスポンスが来なかったんです。もっとも妊娠11週間で胎児と物理的な交信が出来るわけはないのですが、なんとなく「いるぞ」みたいな感覚ってあったんですよね、前は。なんというか、テレパシーで交信しているような感覚。それがまるでキレたので、「これは・・」と思ったわけです。感情的に悲しいとかなんとかより、「流れるのも分かる」というか、無意識のレベルでなんでしょうけど、妙に納得してました。で、とりあえずアメリカ出張中のラースに電話して「もしかして流産するかもしれないけど、そうなっても悲しまないでね」と伝えておきました。

     翌朝さっそく一般医(GP)に行きまして、ゆうべ使った生理用ナプキンを見せました(流産の残骸と血の固まりは似てるので、出血した場合にはその証拠を医者に見せた方がいいと、公立病院でもらった本に書いてあった)。出血量は大したことはなかったのですが、「妊娠中に出血が起こることはあるが、念のため超音波で確認してみましょう」とのことで、そういう検査を専門にやってる病院を紹介してもらい、その足で検査に出向きました。

     超音波検査でみてみると、お腹経由では胎児が見えず、インターナル(要するに膣経由で見るやつ)に切り替えました。そしたら、胎児は既に死んでいて、羊水に溶けちゃってるんだかなんだかしらないけど、見当たらないそうです。胎胞のサイズも6週間程度の大きさで、ずいぶん前から育っていなかったらしい、と。で、その胎胞の外壁が崩壊しだしていて、それが出血の原因となっているんでしょう、とのこと。あ、やっぱり。

     その結果をもって、また一般医のところに戻りました。お医者さんは「流産」という残念な結果に私が落胆しないようにと、とても気を使って、言葉を選びながら説明してくれました。「このケースはよくあるパターンで、もともと染色体異常や奇形があった胎児が育たなかっただけのこと。要するに自然淘汰です。何がいけなかったということはありません。考えようによっては、障害のある子が産まれてくる前に淘汰されたのだから、ラッキーだったとも言えるわけです。」

     うーん、「障害のある子が産まれてこなくてよかったね」という理屈は何となくシックリ来ないんだけど、「育つだけの生命力がなかった子なんだからしょうがない」と言われると、とっても腑に落ちます。流産の原因になったと考えられる要素も一応考えてはみましたが、コレと言って思い当たるものはない。どう考えても、natureだよな、と。

     そういえば、振り返ってみると「なんとなくこの子は産まれてこないんじゃないか」みたいな兆候的直感は前からあったんです。そんなこと考えちゃ子供に悪いと思うから、意識的に否定してたんですけど。

    たとえば・・・
    • 妊娠テスターでポジティブと出た時。嬉しい反面、なんだか信じられなかった。もちろん妊娠するよーなことはしているので、否定する客観的具体的材料はまったくないのだが、「うっそぉー、なんでー?」みたいな感覚だった。

    • 妊娠していると分かっていながらも、さほど感情的な喜びは感じていなかった。どちらかというと、頭で考えて盛り上がっていたようなところがある。もっとも妊娠したのはこれが初めてなので、胎児が動いたりするようになるまでは誰でもこんなもんなのかなあとは思っていたのだが、それにしても「妊娠ってこの程度の感慨しかないわけ?」という疑問はあった。特にラースがアメリカに発った3週間前くらいからは、「私は妊娠しているんだ」と意識してないと忘れてしまうくらいだった。

    • 2週間ほど前、寝入りばなにビリビリと電気が身体を走るようなものを感じた。「こりゃ、魂が胎児の中に入ってきたのかな」と思ったのだが、今思えば、もしかしてあれは「胎児が死んだ瞬間」だったのかもしれない(実証のしようはないが)。

    • ラースの予知夢によれば(変な話ですけど彼はよく予知夢を見るんです)、私たちは女の子が二人出来ることになっているのだが(これまたアテにならない話ですけど)、「この子がそのうちの一人」という感覚はどうしても得られなかった。ラースの予知夢に登場する以外に子供がいるのかもしれないが、それにしてもこの子と私はどうやら相性がよくなさそうだなあという感覚があった。

     どれもアテにならないような非科学的・感覚的な話ばっかりですが、そーゆーのって本当にあるんですね。ラースは、「妊婦が”なんかこの子変”と直感的に感じて、医師に訴えるんだけど医師が聞く耳もたず、結局超音波検査してみたら障害のある子だった、という話はよく聞くよ」と言ってました。




     とにかく緊急に流産の処置をしなければならないってことで、さっそく手術のアレンジをすることになりました。が、ここで別の問題が浮上してきました。超音波検査で卵巣腫瘍が発見されたんです。といっても、私自身腫瘍があることは4年前から知っていたんで、お医者さんの方がかえって「げっ」という反応を示してました。日本にいる頃から時々検査もしていたんですが、良性だし摘出するほど大きくもないから、放置していたのでした。一般医によると「どうせ手術するなら、ついでに腫瘍もとっておいた方がいい」とのことで、旅行の計画を遅らせてでも今やっとけと勧めるのでした。で、一時は、目前にせまった旅行をまるっぽキャンセルする所まで話は進み、1週間ほど緊急入院する腹づもりでした。

     一般医と話したのはそこまでで、あとは産科に緊急予約を入れてもらって、その足で例の私立開業医の先生のとこに行きました。この先生もまた流産については慎重に説明してくれて、「このケースはよくあるパターンで、妊娠の5分の1の確率で起こる自然淘汰だから気にしないように」と元気づけてくれるのでした。で、問題の卵巣腫瘍については「手術方法も違うし、緊急を要することでもない。それに、掻爬手術をすると自然に腫瘍も消える可能性もあるので、とりあえず今回は掻爬(そうは)手術だけして、腫瘍については旅行から帰ってきてから再調査して検討しましょう」とのこと。すっかり旅行計画を練り直して腫瘍摘出手術に臨むつもりでいたので、ちょっと気が抜けてしまいました。

     この先生の勧めるとおり、とりあえず掻爬手術ってことで、さっそく翌日の朝に、公立病院のDay Surgery Centreを予約してもらいました。手術自体はとても簡単で安全なもので、2〜3時間ですべて終わり。費用もプライベート患者扱いでも個人負担は250ドルほどで済むそうです。流産した場合、放置しておいても自然に不要な組織は流れ出てくるのですが、中に残留したものが炎症を起こしたりする危険性もあるし、過剰に出血することもため、人工的に膣経由で不要な組織を掻き出すんだそうです。いわば、人工妊娠中絶と同じ作業内容になるわけですが、もともと要らないものを掻き出すだけなので、自然の成り行きを補助するという感じでしょう。

     そして翌日。手術というものは初体験なので、けっこうドキドキワクワクでした。受付で事務手続をして、手術用の割烹着みたいな白い布+ガウンに着替えて、待合室で待ってると麻酔担当医に呼ばれて血液検査をし(妊婦がRH−(英語ではマイナスじゃなくてnegativeと呼ぶみたい)だと次の子供を妊娠した時に血液型不適合が起るのでそのためのチェック。白人にはRH−が比較的多いので、こういう検査が義務付けられているのでしょう)、それから手術室へ案内されてベッドに寝かされるなり全身麻酔を打たれて意識不明。気が付いた時は、回復室のベッドにいました。本当にあっという間のお手軽手術でした。

     感心したのは、手術に至るまでに何度も確認されたことです。「本人に間違いないこと」「記載内容が事実と間違っていないこと」「患者がこれから受ける手術の内容を理解していること」等を何度も確認されました。患者と手術内容を取り違えることがないよう、そして患者が事前に手術内容を知らされていること(インフォームド・コンセント)をしつこいくらいに確認します。「どういう手術を受けるか説明されていますか?」という質問に対して「YES」と答えるだけじゃなくて、「医師にどのように説明されたか、話してもらえますか?」と、こちらにふってきたりしました。これらのインタビューをした医師や看護婦は皆一様に早口で(たぶん決まり文句を一日何度もしゃべっているのだろう)、「これじゃかなり英語できないとツライだろうな」とは思いましたが(英語に不安がある人のために通訳サービスもある)、皆さんプロフェッショナルで親切でした。きちんと患者の目をみて説明してくれて、必ず「質問はないですか?」と聞いてくれます。

     更に感心したのは、病院内のスタッフがメッチャ明るいこと。受付のおばさんなんてパブのカウンターでビールついでくれるようなノリだったし、麻酔担当医なんか採血に失敗して私の血をあちこちにふきこぼしてしまい、「あは、いつもはこんなにmessyじゃないのよ、あは、これじゃ、他の患者さんがおびえちゃうわね、あはは」とか無邪気に笑ってるし。スタッフと患者さんがジョークを言い合ってたりして、神妙な顔してる日本の病院スタッフと比べると全然雰囲気が明るい。「ここ、本当に病院なの?」というくらい。
     もっとも私は今まで大病も入院も手術もしたことないので、「日本の病院は」と一括りにしてモノ言えるほど知っているわけではないです。日本にも「明るい病院」はあるのでしょう。ですので、ここの公立病院は私の「病院イメージ」よりも明るかったという程度に受け止めておいてください。

     結構家族連れも多く来ていて、待ち合い室はほとんど子供たちの遊び場と化してました。手術室にも家族(子供も含む)も何人かまでは立ち会えるシステムになっているので、患者じゃなくても手術用の割烹着を着てる人が結構存在しているので、「元気そうに見える一見患者」に対する「ホンモノの患者」の比率が低い。これがまた、病院が明るく感じられた理由のひとつかもしれません。関係ないけど、手術室のことを英語でtheaterと言うんですね。最初「え?なんで劇場に連れてってくれるの?」と思い切り勘違いしてしまいました。

     回復室で目が醒めてから、手術の記録を見せてもらいましたが、手術そのものはものの10分で終わっていたのですね。ところが私は麻酔がとってもよく効いたみたいで、1時間もぐっすり眠ってました。「麻酔が効くまで10〜15分かかるから、麻酔打ってからドクターに会えるからね」と言われていたのに、麻酔打たれるやいなや意識失ってしまったので、例のドクターが執刀したのかどうかも定かでありません。
     それにしても、麻酔が醒めた時って、超気持ちイイんですねえ。完全に電源落としてから再起動したみたいで、溜まっていたRAMがすべてクリアされたような感覚。痛みも全然なかったし、こんなに気持ちイイなら、また手術受けてもいいわ。

     手術で一番時間を食ったのは、回復室で麻酔から醒めていく過程でした。意識が戻ってからしばらくしたらベッドの頭を高くして、それからお茶とサンドイッチをもらって(これが何故かおいしかった)、ベッドを降りて椅子に座って・・と次第に身体を慣らしていくわけです。これに2時間近くかけてました。その間に「手術後、していいこと/いけないこと」を説明されるのですが、これもちゃんとパンフレットになっていて、ボーッとした頭で記憶しなくてもいいようになってます。
     ちなみに「24時間以内にしてはいけないこと」とは、車の運転、飲酒、重労働、運動、重要な決断(サインはするなと言われた)だそうです。その他、出血が止まるまでは(2〜3日)お風呂に入らないこと(シャワーはOK)、今後4週間はタンポンじゃなくてナプキンを使うこと、とのことで、セックスもOKだそうです。「本当にいきなりセックスしてもいいんですか?」と聞いたら、「まあ、ふつうは出血が止まるまではしないけどね」とちょっと呆れ顔で返答されましたが(^^*)。
     帰宅の際は、必ず誰かに付き添ってもらわなきゃ帰れないことになっているので、田村に迎えに来てもらいましたが、これも病院側で電話かけて呼んでくれます。

     終わってみると全然どこも異常なくて、そういやちょっと生理痛みたいな鈍痛はあるものの、とても「今日手術を受けました」という感じじゃないです。念のため、帰宅後に執刀したドクターに電話をして確認しましたが「なんら問題なし、旅行も予定どおり行ってよし、帰国したら検査に来るように」とのこと。「Have a nice trip!」だって。尚、公立病院の方からも翌日の朝電話をくれて、「異常ないですか? 生理の時以上に出血があるようなら医師に相談してくださいね」とアドバイスしてくれました。また、翌日昼頃に一般医の先生からも電話がかかってきて、「気分はどう? 大丈夫?」と親切に聞いてくれました。皆してすごーく気にかけてくれてるみたいで、感動。まあ、これもお医者さんにとっては、営業活動の一環なのかもしれないけど。

     そういうわけで、現在体調良好。これで身体の心配ナシで世界周遊旅行に臨めます(^^*)。本当にこのタイミングで流産発覚しといてラッキーでした。旅行中こういうことになると、緊急入院とかちょっと面倒臭いですもんね。それにオーストラリアの出産制度についてもかなり勉強できたし、新しい英単語もずいぶん覚えたし。
     ラースには「あんたはいつも物事の明るいサイドだけを見るクセがあるんだねえ」と呆れられてますが(^^*)。まあ、年も年だし卵巣腫瘍もあるし、これでまた妊娠出産は遠のくかもしれませんが、別に子供を持つことはMUSTではないし。「いい経験したんじゃない?」と、ラースと話してます。いずれにせよ、旅行から帰ったら卵巣腫瘍の処置を検討しなければならないので、もしかすると今度は「入院レポート」シリーズが始まるかもしれません。お楽しみに(^^*)。




     ところで、流産が発覚する前に日本の資料とオーストラリアの資料を見比べて検討していたのですが、その中で面白いなと思ったことを比較紹介してみたいと思います。

     まず日本側の資料ですが、妊娠関連本は手元に一冊もないので、先日ニュータウンの古本屋で12ドルで仕入れてきた「講談社 現代家庭医学大事典 三訂版」を読んでみました。 1971年第一版発行、89年三訂版第15刷発行ってことで古い情報ではあるのですが、一応9年前まではふつうに売られていたものだから、基本的な認識はそう異なっていないだろうと思って読んでみたのですが、ああ、驚いた。「(初夜に性交をしないと)将来の夫婦生活に悪い心理的影響を残すことさえあります」とか「初交時には体位について話し合うべきではありません。・・正常位によるべきでしょう」とか、婚前交渉など当然許されない文化背景にある人が書いたものであることが窺われます。妊娠・出産についても、倫理的コメントはその文化背景をもろに感じられるものなので、医学的コメントについても最新の情報として受取らない方がいいのでは?と疑いたくなるのでした。
     一方、オーストラリアの資料は公立病院で貰ってきたNSW州Health Department(厚生省にあたる)が発行している「Pregnancy Care」という冊子です。最新のオーストラリア情報と、やや古い日本の資料を比較するのはフェアではありませんが、こういった差異が出てくる両国間の文化背景を考える上では参考になるでしょう。

     両者の差異が大きく出ているのは、「性生活」「旅行」に対する考え方です。

     まずは「性生活」から見てみましょう。日本の文献では「妊娠初期は極力控えるべき。中期はさほどの警戒はいらないが、強い刺激や腹部の圧迫を避けること。末期は極力つつしむこと、特に分娩予定1ヵ月前になったら禁欲とします」と書かれています。セックスは妊娠に害を与えるものだから、できるだけ慎むように、というのが全体のトーンです。
     これに対して、オーストラリアの資料では、基本的に妊娠中の性交を奨励しています。「あなたと胎児に問題がない限り、セックスを継続できます。夫婦のどちらかがセックスに対する興味が失せることもありますが、よくあることなので気にしないでください。妊娠中のセックスについては特にルールはありません。妊娠後期では性交後あるいはオーガズム後に前陣痛が起ることがありますが、害はありませんので心配しないように。イマジネーションを使って新しい体位を試しましょう。臨月が近づく頃には、精液が子宮頚部を円熟させ、分娩の準備を助けることもあります。」だそうです。分娩直前のセックスに関する認識が、180度違うのが面白いところです。

     「旅行」について。これも両国の考え方の違いが如実に現れています。日本の文献では、「妊娠中の旅行はできることなら避けたほうが安全です。とくに流産の多い妊娠初期、早産をおこしやすい妊娠末期の旅行は避けるべきです。」から始まって、大変慎重なコメントが続いています。
     オーストラリアの資料ではどうかというと、「旅行は危険」という認識のひとかけらも見当たりません。「Travel」の欄は「Car」と「Air」に分かれているのですが、最初の「Car」の項目では「しっかりシートベルトを締めましょう」に終始しています。「Air」では「各航空会社によって妊娠中の搭乗ルールは異なるので、確認しましょう。もし妊娠に問題があれば旅行計画について医師や助産婦と相談しましょう。一般的に飛行機による旅行は完璧に安全です」と、これだけ。妊娠に特に異常がなければ、旅行すること自体いちいち医師に告げる必要もない、という勢いです。

     これ以外にも日常生活の過ごし方・妊婦の身体のお手入れ法などで小さな差異が見られるのですが、全体を通して感じるのは、日本では妊娠期間を特別の状態と認識し、「なにかあっては大変」という前提でコメントされているように思います。オーストラリアでは「妊婦ったって普段とそんなに変わらないんだし、いくつかの注意点さえ踏まえておけば、あとは心配することないのよ、出来るだけ普段の生活の中で妊娠期間を楽しんでね」というeasy goingなトーンが漂っています。

     そういえば、別に妊娠に限ったことではなく、患者・病気に対する認識もオーストラリアでは概してお気楽気味で、「いかにも病気の雰囲気が漂う環境にいたら、気分が滅入って余計病気になっちゃうよ」というコンセンサスがあるような気がします。先に述べたように病院内の雰囲気がやたら明るいことも、手術後も出来るだけ早く家に帰そうとするのも、そういう発想から来ているのでしょう。同じ療養するなら病人ばかりの環境にいるより自分の部屋で家族とともに居た方が治りは早いよ、どうしても病院に居なきゃいけないのならせめて雰囲気だけでも明るくしようよ、と考えているのかもしれません。私立病院などでは個室に自宅の家具まで持込んで、自分んちと変わらない雰囲気を作り出したりするそうですし(見たことはないけど)、外来者の面会許容時間も日本の病院より長いんじゃないかな。「病は気から」と言いますが、物理的な病気よりも精神面の健康を優先させた考え方なんでしょう。まあ、あんまり早くから退院させすぎて、自宅でトラブルが起きることもあるのでしょうけど、そのためのサポート体制も調えているようです。これは、掻爬手術ごときで、3人もの医師がいちいち自宅に電話かけて様子を確認してくれることからも窺えますね。
     もっともここらへんの医療システムとその考え方については、素人の私がちょろっと垣間見たくらいでコメントするより、プロの解説を聞いた方がいいと思います。APLaCのホームページ内で、アデレードで看護婦をされている松原さんのホームページを掲載していますので、ご参照ください。




     話は妊娠に戻りますが、日豪でどうしてこんなにも妊婦に対する認識が違うのかなあと考えてみました。で、もしかして日本の場合、伝統的な「家制度」による倫理観に影響されているのかな、という仮説を思い付きました。先日シドニーに学生さん10名連れて来られた英語塾の先生(女性)にもうかがってみたのですが、「産科の先生に、旅行していいですか?と聞くと、責任はとれませんよ、と言われちゃうんですよ」とおっしゃってました。妊娠中の旅行が危険かどうかという医師としての回答ではなく、「万一なんかあっても私は知りませんからね」という責任回避表明が出てきちゃうんですね。これは別に日本の産科がよろしくない、というのではなくて、先生もそういう回答をせざるをえない社会的文化背景ってのがあるんだろうな、と思ったわけです。

     ちょっと大胆な仮説ですが、大風呂敷広げてみたいと思います。「家制度」という社会システムに於いては「子供=お世継ぎ」であります。家の継続のために必要不可欠な存在です。そんな認識はいまや表面的にはなくなったかもしれないけど、私らの両親の世代ですらそういった感覚は無意識の中に残っていると思います。だから、妊婦の親たちとしては、「妊娠した→なんとしても立派な子を産んでもらわねば」という反応になるわけで、そのための障害と考えられることはどんなに小さなリスクであっても一切オミットしたくなる。それで医学的根拠の有無に関わらず、「これしちゃダメ」「こうしなきゃダメ」という過剰反応が出てくる。行き過ぎると「妊娠中セックスすると奇形児が産まれてくる」とか「トイレ掃除をすると良い子が産まれる」みたいなメチャクチャな迷信まで出てきちゃう。まあ、今時そんな迷信に翻弄されてる人もいないでしょうけど。

     この孫期待願望が乗じて、世間一般のコンセンサスとなり、「妊婦になにかあっては大変」という妊婦過保護体制が生まれているような気がします。日本で妊婦してると、まるで腫れ物に触るみたいな対応されちゃう(ラッシュアワーは除く)という話も聞きますけど、そうですか?
     あと、旅行に関しては元妊婦だった方からの羨望的感情も影響しているんじゃないかな、という気はしますね。「私だって妊娠してるからって旅行諦めたんだかんね!」みたいな。で、いざ旅行中に流産しようものなら、「ほれ見たことか、あの人妊娠してるってのに軽率なことして、自業自得よ」という世間の後ろ指が待っていたりして、これじゃあ直接的な害はないと分かっていても旅行する気になれないだろうなあ。いや、現実はそれほどひどくないと思うのですが(今じゃ世間の後ろ指なんて実際ほとんどないだろうし、あっても村八分にされて食っていけないとか、そこまで深刻に日常生活に影響を来すほどのものでもないと思う)、それでも、「世間の人はこう見るだろうなあ」と思うと、なんとなく食指が動かなくなるという部分はあるかと思います。

     「健康な子供(特に男子)をボコボコ産む女」が立派な女で、子供を産めない/産まない女は価値のない女として見下げられるような価値基準が、いまだに残っているんでしょうか? そういや「ウチの嫁は赤ちゃん産めないカラダなんですって。息子も結婚する前にアタシに言ってくれりゃよかったものを、今更どうしようもないじゃないねー」なんて話も聞いたことあります。孫が出来たことをあからさまに自慢する人(孫が出来たら嬉しいのは分かるけど)、孫を産めない嫁(娘)を嘆く人(孫が出来ないのが残念なのは分かるけど)、もう少し相手の状況・気持ちを察してから発言して欲しいもんだと思ったこともあります。

     余談ですが、私は一人っ子ですが、子供の頃よく母の友達と称する人に「麻紀子ちゃんも兄弟欲しいわよねえ、おかあさんにもう1人くらい産むようにお願いしなさい」なんて、無遠慮に言われたりして、子供心に何となく不快でした。「あたしはこれで満足してるのに」と。大人になって振り返って、「もし母がなにかの事情でこれ以上産めない状態だったとしたら、どんなに母を傷つけていただろう?」と、あの頃感じた不快感のモトを発見しました。要するに、人の事情も知らずに人のプライベートにズカズカ踏み込んでくるデリカシーのなさに不快感を感じたのでしょう。

     しかし、まあ、孫期待願望というのは生物として当然ある願望なので、それを一概に否定することもないと思うのですね。ドーキンスが「利己的な遺伝子」で説明したように、「人間は遺伝子の乗り物に過ぎない」と考えると説明がつく事象はいろいろあるようです。親が孫の誕生を期待することは勿論、「姑が嫁いびりをするのは、嫁をいびり出して次の若い嫁にもっと自分の遺伝子を引き継ぐ子供を生ませるためだ」といった話が、たしか竹内久美子の「そんなバカな!」に書いてあったと思います(読んだのは遠い昔のことなので記憶に自信ありませんが)。遺伝子の生き残り競争に勝とうと思えば、自分の遺伝子を引き継いでくれる子孫がどんどん生まれてくるに越したことはないですもんね。

     一方、西欧的な考え方は個人主義が基盤になっているので、家族計画は夫婦間の問題であって、夫婦の親やら他人やらが出てきてとやかく言うべきことではないという社会的コンセンサスになっているようです。ファミリーという括りは二世代どまりであって、おじいちゃん、おばあちゃんは蚊屋の外(マメに家を訪ねたりはするけど、一緒には住まない)。そういや、伴侶を無くしたお年寄りでも子供の世話にはならず、自分1人で死ぬまで自分の世話をしていくのが当然とされてます(それで老人福祉が手厚くなっていて、税金が高い)。オーストラリアでも「親の面倒を見るのは子の役目」という価値観は存在しないようです。
     そうはいっても、やっぱり遺伝子としては孫をたくさん産んでもらいたいわけですから、オージーの嫁姑間のやりとりなど見てると「なんだ〜、日本と一緒じゃん」と思うシーンに遭遇したりします。いくら社会的コンセンサスという縛りがあっても、生物的衝動には逆らえないというか。その意味では、日本の家制度というのは、「遺伝子の意向に素直に従っている自然摂理に適合した社会制度である」とも言えなくもないでしょう。

     どっちがいいとか正しいとかは一概に判断できませんけど、おもしろいことに自分が人生のどのステージにいるかによって、シックリ来る価値観が違うようですね。自分が出産年齢にある時期は西欧的価値観の方が心地よく感じられますし、自分が孫誕生を期待する立場にあったら日本的価値観の方がシックリ来るでしょう。もしかして、この価値観の違いは、年長者をリーダーとして尊重する日本社会と、働き盛りの年齢層を真のリーダーとみなす欧米社会との違いから来ているのかもしれません。そういや、首相の年齢も日本と欧米じゃずいぶん開きがありますもんね。




     その他、オーストラリアの資料を読んでいて「ふーん」と思ったことをいくつか。

     日本では「妊婦は身体を冷やさないように」というのが常識ですが、こっちの資料には「妊婦は身体を温めすぎないように注意すること」と書かれています。冷たい飲み物をたくさん飲むこと、お風呂は温度を下げて短時間浸かること等。これは比較的温暖なNSW州の資料だから、体温が上がりすぎることを警戒する指示を掲載しているのかもしれませんが。

     そういえば、と、思い出したのですが(妊婦への注意とは関係ありませんが)、風邪による発熱の際の対処法が、欧米では日本とはまるで逆なんです。日本では熱が出たら、体を温めなさい、部屋を温めて多めに布団をかけて、がんばって汗を出しなさい、というのが民間でなされている解熱対策だと思います。ところが、欧米では(どうもオーストラリアだけの話ではなさそうです)、熱が出たら水や氷で身体を冷やせ、と言います。子供が熱出したら、水風呂に入れて身体の表面から熱を奪い取るんだそうです。
     日本人の感覚からすると「えー、うっそー、そんなことしたら却って風邪が悪化するじゃん」と思うのですが、これが長年受け継がれてきた民間療法であることを考えると、それなりに効果はあるようです。オーストラリア在住日本人医師の方のお話しでは、どちらの療法がより効果的かについては、医学的にはよく分からないそうです。どっちもアリなんでしょうね。
     オーストラリアでホームステイしていた日本人学生が風邪をひいた時に部屋に暖房たいて毛布を沢山掛けて寝ていたら、ホストマザーが入ってきて、「そんなことしたら、あんた死んじゃうわよ!」といきなり窓開けて毛布をひっぺがされた、という話を聞いたことあります。ホームステイする人はそのへんのこと知っておくと役立つと思うので、思い付きですが加筆しておきます。

     また、妊婦用の資料を読んでいて感心したのは、遺伝病についての解説が非常に詳しく書かれていた点です。どういう病気でどういう国・地域出身者にキャリアが多いかということまで触れられていました。これも移民国家ということで、mixed marriageが多いので、こういう解説が必要なのでしょう。いろんな国から来た人を診なきゃならないお医者さんも大変でしょうね。




     そういうわけで、そろそろ時間となりました。明日から6週間留守します(留守中のAPLaCは田村と柏木が守ってくれますので、ご安心を)。
     行先はアメリカ、デンマーク(+スカンジナビア諸国)、日本で、バンコク経由で9月中旬にシドニーに戻ります。アメリカでは20年前初めてホームステイ体験をしたロサンゼルス近郊の田舎町まで、すっかりおばあちゃんになったホストマザーを訪問し、シアトル滞在中の知人宅を訪れ、ラースの仕事先ボストンに行き、もしかしたらカナダのプリンスエドワード島(だっけ?赤毛のアンの舞台)目指してドライブするかもしれません。

     その後、フランクフルト経由でデンマークに渡ります。ラースの出身地は見渡す限りファームだらけという超田舎でして、そこでまだ見ぬ舅に対面するわけですが、彼は英語しゃべれないし、私はデンマーク語しゃべれないしで、どうなることやら(^^*)。一度ラースの不在中にお父さんからかかってきた電話に出たはいいが、お互いの言葉が全く分からず、電話口でお互い爆笑しながら電話切ったことがあるくらいですので、わはは、あまり深く考えないでおこう。その他、デンマークでは彼の家族(兄弟とかおばさんとか)や友人宅で世話になりつつ、狭い国土を2週間かけてゆっくり一周します。ラースがコペンハーゲンで仕事している間には、スカンジナビア諸国に1人旅する予定もあって、これまた楽しみ。1人旅なんて本当に久しぶりで、わくわくします。

     そして、旅のトリを飾るのは日本であります。おいしい日本料理をたらふく食べて、日本ならではの懐かしい自然を眺めるのも楽しみですが、懐かしい友人たちに会うのは何よりも楽しみです。また、「ここにこいつと住むとしたら」というシュミレーションもしなければなりません。そして、ラースが初めて見る日本をどう感じるのか、興味深いところです。日本の夏の蒸し暑さ、ほとんど忘れてますが、さてサバイブできるでしょうか?

     帰国する頃には、書きたいことが山ほど溜まっていることでしょう。お楽しみに(^^*)。
     行ってきま〜す。


1998年7月31日:福島

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