シドニー雑記帳


お腹も胸も膨らむ妊婦






       雑記帳もずいぶんご無沙汰してしまいました。「最近、雑記帳の更新がなくてサミシイです」という叱咤激励をいただいておりましたが、なにかと落ち着いて文章を書く、時間的・精神的余裕がないまま、ずるずるとやってきてしまいました。

       え〜、いちおう言い訳を並べてみますと・・・

      • 去年11月頃に妊娠していることが発覚したのはメデタイのですが、「また以前のように流産するのではないか?」という恐怖にかられて、とてもハッピーな気分にはなれないままに年を越したこと。

      • 年越し前、しかも2週間のカンガルー島ドライブ旅行(つわりでヘロヘロだった)の直後に急遽引越という話が現実化し、あっという間に決定、クリスマスイブに引越というハードスケジュールをやってのけたこと。

      • 引っ越後のもろもろ(家具や必需品を揃えたり、家を整備したり)が落ち着いた頃になって、アロマ通販の方で独自ブランド設立話が持ち上がってきたこと。おかげさまで、2月にはデカ腹抱えて2週間ほど一人で日本出張し、そして今も4月デビューを目指して新ブランド設立準備中・・・というわけで、ドタバタ続きでありました。


       ホントは今日は、「アロマ物語」の続きを書こうかなと思っていたんですが、プライベートでたまりにたまった話が山積みになっているので、まずはそっちの方から片づけていきましょう。





      ★引越しました!


      年末年始にかけてトップページの巻頭でも告知していたとおり、年末に引越しました。といっても、APLaCが引越したのではありません。今までは6〜7ベッドルームもある巨大な家に、「田村夫婦と私ら夫婦とシェアメイト+ゲストの方々」という具合に、大所帯で共同生活をしていたわけですが、今回の引越により、私ら夫婦だけがプライベートハウスに移り住むことになった、ということです。

      以前からお互いの家庭のプライバシーもあろうし、家を分けた方がよかろうという話は出ていたのですが、「別々に住んだら、なにかとお金かかるよ〜」(経済的理由)、「仕事の打ち合わせとか、やりにくくなるよ〜」(ビジネス利便性という理由)、「猫に会えなくて寂しくなるよ〜」(情緒的理由)等々から、二の足を踏んでおりました。

      それが何故か、あるタイミングで「よし、家探しだ!」と力強く思ったのですね。潜在意識からのメッセージをキャッチしちゃったというか。で、そういう時に限って、探し出すやいなや、うってつけの物件がすぐ見つかる。すぐ応募する。すぐ決まる。というトントン調子で、ろくろく準備もしないままにクリスマスイブの引越と相成ったのでした。




      「じゃあ、どうしてこのタイミングだったのか?」という、その奥にひそむ原因を考えていくと、いろいろあるのだろうけど、やっぱり妊娠したことが大きかったのかな、という。
      子供が出来たらファミリーらしく独立した方がいいだろうとか、赤子が泣いて皆に迷惑をかけるだろうとか、現実的な理由はいろいろあるのですが、なんというかもっと、精神的なことが直接関係していたようです。

      ある日、ふと思ったんですよね。「この子はオーストラリア人になるんだ」って。考えてみれば、私も夫も「根なし草」でして、生まれ育った国を出てきて、他人の土地で生活しています。おそらくは何年住んでもオーストラリアは「他人の土地」のままでしょうし、祖国も長年離れていれば変化して、戻ったところで自分が心に刻んだ故郷とは姿を変えているでしょう。私たちはどちらもオーストラリア人にはなれないし、デンマーク人、日本人というアイデンティティをもちながら、「他人の土地」で生きていくのでしょう。

      ところが、そんな私たちの子供はオーストラリア人になる。ここで生まれてここで育てば、親がなに人だろうが、アイデンティティはオージーになるでしょうね。特に異民族がごったになっているシドニーでは、なんの違和感もなく「オーストラリア人」というアイデンティティを社会から認められ、社会により育まれていくでしょう。そして、きっとバリバリのオージー訛りのアクセントで話し、オージーの長所も欠点もひっくるめて、こののんびり穏やかな「No Worries文化」を引き継いでいくのでしょう(ちょっと溜め息)。

      オーストラリアがこの子の故郷になるという、なんか、それ考えたら、「私はこのままではイケナイ」と思ってしまいました。APLaCの事務所兼自宅は、生活という面では効率的で便利だし、適当に日本人の出入りがあって話が出来るし、居心地はよかったのですが、「ここにいたらダメだ」という気がしてきたんです。私はもっと、自分なりの自信と「ここで生活している」という実感をもって暮らしたい。「他人の土地」とはいえ、自分が好んで祖国を飛び出して、自分が好んで住みだした国、街なんだから、と。




      5年前に永住権を手にしてシドニーにやってきて以来、相棒田村と持ちつ持たれつという関係でやってきました。お互いの得意分野を生かして、なんとか生き延びてきた、という感じですね。今までは実力も自信もなかったから、二人でやっと一人前だったけど、もういちいちひっついてなくても一人で大丈夫になった、ってこともあります。また、APLaCの仕事という意味でも、田村は語学留学やワーホリさんのサポートを中心に活動していますし、私はますますアロマ通販の方にハマっていますから、担当が明確になってきたという事情もあります。

      APLaCの事務所兼自宅にいる限り、日頃会う人のほとんどが日本人であるという状況は免れないわけですし、それはそれで最近の日本事情など興味深い話も聞けて面白いのですが、なんか気が付いたら、「今日も日本人しか会ってない・・・」みたいなことが多いわけです。別に、日本人と会うのがイケナイわけではありませんし、つまらんガイジンと一緒にいるくらいなら面白い日本人と一緒にいた方がずっとマシだったりするわけですから、国籍がどーの、ということが問題なのではありません。

      ただ、私の実感としては、次第に「シドニーに住んでいる」という気がしなくなってきちゃったのですね。ローカルの人々とふれあう機会もほとんどなくなってしまったし、なんかどんどんAPLaC事務所兼自宅が日本に近づいていて、自分はどんどんシドニーから離れているような、そんな感覚。アテンド業務なんかは田村にお任せで、私は買物に行く程度しか外に出ないことも一因なんですけど(車の運転がキライだからイケナイんですけど)。

      それと、ラースにも指摘されたのですが、私の態度って「クローズド」なんだそうで。ガイジンを寄せ付けないような頑なな雰囲気を醸し出しているというんですね。そう言われてみて気付いたのですが、これって「英語しゃべれない症候群」の後遺症なんじゃないかと。その昔は英語が本当に出来なかったので、外で人に話し掛けられるのが面倒だし、怖かった。ところが、オージーはフレンドリーでどこででも気軽に話し掛けてくるわけです。これを避けるために、「頼むから話かけないでくれ〜」というバリアを無意識のうちにこしらえてしまっていたようで、そのクセがいまだに残っていたんでしょう。このバリアを解くためには、意識的に積極的に外に出て行くしかないし、英語に対する自信だけではなく、「ここで生きている自信」みたいなものがないとダメなんだろうなあ、と。

      それで、APLaCの仕事場から離れてみようと思った次第です。夫婦で独立すれば、夫は昼間は仕事で出かけますから、私が否応なく家のメンテやご近所付き合いをすることになります。また、アロマ通販の方も軌道に乗ってきたので、いつまでも仕入れの際にいちいち田村に運転を頼まなくてもいいように、もっと仕入れ先に近いところに引っ越そうという実利的な意味もありました。彼も語学学校&ワーホリさんサポート業務の方がだいぶ忙しくなっていますし。




      で、新居ですが、これ、いいですよ〜。もう私は一目見て気に入ったんですが、住めば住むほどに益々気に入ってきます。シドニーにありがちな昔ながらのうなぎの寝床タイプの2BRハウスですが、よくメンテされているし、キッチン、バスルーム部分は最近リノベーション(改装)したようで、とてもキレイ。昔ながらの造りなので、高い天井にフレスコ画のようなデコレーションが施されていたり、ホンモノの薪で焚く暖炉があったり。裏庭も手頃なサイズで、奥にはガレージ兼ワークショップがあります。よくよく見るとアラがあったりしますが(雨漏りしたりとか、湯沸かし器が錆びているとか)、もとが古い家なんだから仕方ない。気が付くたびに不動産屋に連絡して、修理してもらいます。また、修理までやたら時間がかかるのがオーストラリアなんですが、もう慣れました、というか、諦めました(^^;)。

      一番のお気に入りは、キッチンから続く、中庭エリア。ここにバーベキューセットとアウトドアテーブルセットを置いて、しょっちゅうバーベキューしています。オージーって本当にバーベキュー好きで、いつでも何処でもやっていたりして、「飽きないのかな?」と疑問でしたが、自分でハマってみると、その意味が分かります。

      なにしろ、お手軽(なんでも焼けば済むので、準備いらず)、料理過程から皆で楽しめる(料理人が一人暗く台所にこもる必要がない)、キッチンが汚れない(油ものは外でやるので、家の中の台所は特に掃除しなくてもキレイに保たれるのですね)、意外とおいしい(外で皆で食べるという雰囲気がおいしく感じさせてくれるのでしょう)・・・というわけで、これはハマります。週末はAPLaCのゲストルームに宿泊されているお客さんを招いたりして大人数でやることもあるし、夫と二人だけでもやってるし、ほとんど毎日のように活躍しています。

      ロケーション的にもシティまでバスで15〜20分と意外と近いんですね。まあ、最近はタマにしかシティには出かけませんが、皆さんに気軽に遊びにいらしていただける便利さです。また、商店街にも近いので、自分の足で歩いて買物にも外食にも出かけられるのがウレシイです。毎日のように通う郵便局も徒歩5分。すでにカウンターのおばちゃんや、八百屋のオジチャンとは顔なじみになって、世間話をしています。商店街の逆方向に5分も歩くと、自然公園が広がっていて、お散歩にうってつけ。海もすぐそばで、気持ちいいです。

      もちろん、夫婦二人の生活になって、余計に夫との距離が縮まったということもあるんでしょうね。結婚して2年も経つってのに、いまだに毎日のように「You are beautiful」だの「I love you so much」だの「You are sexy」だのと、言い続けてくれる人がいるってのは、イイモンです(^^;)。冷静に考えると、「このデカ腹どすこい状態のどこがセクシーなんじゃ?」という疑問はありますが・・・。
      口ばかりじゃなくて、家の整備から家事からビジネスの手伝いに至るまで、なにくれとなく協力してくれますし、「本当にいい夫を見つけた」と感謝しています。

      そーゆーわけで、ようやく「この街で生活している」という実感と自信が出来上がってきたかな、って感じです。渡豪後、5年もかかって、ようやく「自分の居場所」を見つけたような、そんな気分。猫に会えないのはちょっと寂しいよな気もするけど、APLaC事務所に行くと相変わらず無愛想に寝ているだけだったりするんで、「ま、猫なんだし、そんなもんか」という。




      妊娠しました!


      現在6ヶ月めで、おかげさまで順調に育っているようです。クレイとアロマのおかげでしょうか(^^;)、コレといった問題もなく、お腹は日々膨らみ、既にドスコイ状態になっています。身体が重たいのは不便ですが、産まれてきたらもっともっと大変だろうから、今のうちにやれることはやっておこうと、忙しく立ち働いています。





      流産の後遺症

      妊娠が発覚したのは11月中旬。その直後から夫ラースと二人でアデレード・カンガルー島まで往復4000キロのドライブ旅行の予定でして、今更中止するのも勿体ないので、予定どおり旅に出ました。イヤミなことに、ちょうど出発の前日からツワリが始まり、旅行中は食べ物にはずいぶん苦労しましたが、幸い嘔吐まですることなく、無事帰ってきました(「シドニー以外の観光情報」でカンガルー島を紹介しています)。

      この頃はとにかく「流産の恐怖」にかられており、「前回みたいに、突然血が出て流産するんじゃないか」とそればかりが頭を占め、ちっとも幸福感なんて味わえませんでした。ラースにも「そんな心配したって、流産する時はするんだし、するかもしれないなんて悩んでる分だけバカバカしいじゃないか!」と鋭い指摘を受けていましたが、「ほんなこと頭じゃ分かってるけど、気持ちがどーしょーもないっつーの!」とかえって腹ただしくなるばかり・・・という悪循環でありました。

      あの、暗い話で恐縮ですけど、ついでだから書いちゃいますけど、流産って精神的にキツ〜イものですね。私も流産した当初は「自然淘汰なんだから、ま、そういうことで」って感じで、別に深い悲しみもなにも感じていなかったんですが、その後徐々にジワジワとやって来ました。救いのない喪失感と自責の念、これが心と身体と両方からジンジンとやってくるというか。面白いことに、気持ちだけじゃなくて、身体の方まで「ここにあったものが、なくなった」という感覚でして、身体からして「こんなん、納得できないよ〜」と叫んでいるような感じがしました。別に物理的に痛いとか不快とかじゃないのですが、まるで身体(子宮か?)にも心があるみたいな。「女は子宮でモノを考える」というけど、ホントかも。

      次第に「なくしたものを絶対に取り返すんだ!」という執念のようなものが混じってきて、なぜ子供が欲しいのか、もうワケわからなくなってくるのですね。もう、単なるリヴェンジ(復讐)。けど、「何に対する復讐なんだ?」という。

      一時は自分でも相当おかしいところまで行っていたと思います。赤ちゃん、妊婦、子供を見るだけで、心が締め付けられるように痛み、目を逸らさずにいらせませんでした。友人が妊娠した、出産したと聞くと、「お願いだから、その話は聞きたくないの!」と叫んでしまいそうなほど、たまらん状態でした。

      よく流産した人はすぐに妊娠するとか言いますが、たしかにすぐ再妊娠した方はあまりこんなふうには感じないのかもしれませんが、私の場合はその直後に卵巣の手術をしていますし、年も年ですから、そう簡単に妊娠するわけはないのです。しかし、分かっちゃいるけどツライのですね。毎月生理が来るたびに「ああ、もう私は二度と妊娠できないのだぁ」という絶望的な気持ちになり、涙することもありました。

      「このままではヤバイ」と自覚し、次第に「私の人生なんだから、子供がいなきゃいないでもいいじゃないの」「だいたいどうしてそんなに妊娠にこだわるのか?といえば、単なる復讐心に過ぎないではないか」「子供が出来ることによる受動的な変化を待ち望んでいるよりも、変化させたいのなら、能動的に自分の人生変えていけばいいじゃないか」という気持ちに切り替えるように努力していきました。これ、流産した方、妊娠できない体質の方、たぶん皆さんそうやって乗り越えていらしたと思うのですが、実に大変ですね。頭では分かっているのに、心がなかなか言うことを聞いてくれない。




        こんな精神状態をどうやって切り抜けたのかを思いきって紹介しちゃいますが、ここから先はちとオカルトチックになります(^^;)。ご覚悟をば。

        そんなある日の夕方、たまたま目の前に満月が昇ってくるところを目撃しました。それは大きな大きな満月で、紺碧の空を背景に薄オレンジ色の光を満ち満ちと湛えていました。この時、月からメッセージを受け取った・・・ような感覚で、一種の悟りが入ってきたんです。

        「人間の生死は、われわれが宇宙で決めているのだ」といったよーなメッセージで、要するに妊娠とか流産とか、そういうものは人間がコントロールできるものではなく、自然界で定められたものだってことでしょう。そういや、なぜ生まれた時に頭上にあった星の位置の関係で、その人の運命や性格までが占えてしまうのか、不思議ですよね。この満月以来、ずいぶん気持ちが楽になりました。

        それでも、まだ「妊娠できない」問題は私の身体と心にまとわりついていました。苦しい時だけの神頼みをしたこともあります。しつこくしつこく、神様におねだりをしたところ、ついに神様からのメッセージらしきものがやってきました。とても呆れたような声でした。「そんな心配しなくていい、あんたは次世紀を生きる子供を育てることになっているんだから」と言われました。って文章にすると奇妙なハナシですが、まるで自分の潜在意識を通じて、どこからともなく入ってきたメッセージで、「ホンモノだ〜」ということだけは分かりました。

        ちなみに、私はいわゆる宗教も神様も信じていません。ただ、人間存在を超越する、いわゆる「神的な」存在については、体験的に実感しています。先の妊娠問題について受けたメッセージだけではなく、今までにもこういったメッセージをキャッチしています。「神様」というから勘違いされるのですが、それは、偶像化したり人格化した神様ではなく、もっと捉えどころのないものであり、自然界にモワモワと在るもの、宇宙意識、そんなイメージがあります。

        ほんでもって、その神的な存在へのアクセスは自分の潜在意識(昔、田村が書いていた「原始感性」みたいなもの)を通して出来る、ということも体験上分かってきました。考えてみると、昔からこの潜在意識から発せられるメッセージに従って、「なんか分からんけど、今はこうしなきゃ」と人生選択してきたような気がします。幸い、ここらへんのアンテナ感度だけは抜群にいいようです。




        私の神的存在論を展開しだすと、また長くなりますのでここらへんで切り上げますが、そんなわけで、満月と神的存在からのメッセージによって、私の「妊娠問題」は解決に向かいました。で、「子供なんかいなくても、ラースと二人で幸せにやっていけるんだし、人生を充実させる方法ならいろいろある!」とふっきれた時に、そういう時に限って、懐妊したというわけです。

        よく「妊娠したいしたいと思っているときに限って出来ない」といいますが、本当にそうだなあと思います。そういう心の焦りが物理的にもホルモンや子宮系に影響を及ぼすのでしょうね。また、結果論的な見方ですけど、妊娠による受動的な変化を期待しているというのは、ある意味、動機不順だし、子供にとってもいい影響を与えないでしょうし。

        というわけで、実は長〜いトンネル(といっても半年くらいのことですが)を抜けてきたわけですが、これはこれでいい体験だったなと思っています。なにより、子供をなくした人の気持ち(胎児の状態ですらコレなんだから、いわんや生まれてきた子をば)、子供が欲しいのに出来ない人の気持ちが痛いほどよく分かりました。それと、子供ってのは人間がコントロールして「作る」ものではなく、自然界の営みの一部として「出来る」ものなのだ、ということも。




      「この子らは生まれてくる」という確信について

      というわけで、懐妊したとはいっても疑心暗鬼の3ヶ月を過していたため、とても皆さんに「妊娠したの!るんるん」と明るく報告できる気分ではなかったのでした。ついでに、今回はしっかりツワリもあったので、「いつも気持ちわるい」という肉体的事情も気持ちを暗くしていた原因だったのかもしれません。

      懐妊してすぐ、GP(一般医)に訪れた時(専門医への紹介状を書いてもらうというためだけに、GPに行かなきゃならない)、この気持ちを思い切ってお医者さんに打ち明けてみたところ、「Absolutely normal!」と一言。一度流産した女性が「またか?」と心配するのは当たり前だ、というのはよく分かるのですが、そんなこと言われても何の慰めにもならないじゃないですか。私が聞きたかったのは、医者としての科学的データに基づいたコメント、たとえば「一度流産した女性が再度流産する確率は○○%」とか、そういうことだったんですけどね。一般医じゃそこまで詳しく知らないんでしょうね。

      ともあれ、10週めあたり(年明け早々)で専門医(Obstetrician=産科)に出かけたところ、導入したばかりの超音波マシンをうれしそうに使いながら、うにょうにょと動く胎児を見せてくれました。「ここまで育ったら、もう流産しないよ」と言われ、一安心。それでもまだかなり懐疑的でしたけど。

      その後、13週めの超音波検診(ダウン症などの染色体異常を発見するために行うもの)を受けた時に、なんと「一卵性の双子」だということが分かりました。どおりで、まだ3〜4ヶ月のわりに異様にお腹がデカイと思いました。双子だと聞いた時はビックリしましたが、なんか、これですごく腑に落ちたんです。「お、この子らは必ず生まれてくるわ」という確信みたいなものが感じられたというか。

      というのは、計算上の出産予定日は7月20日頃と宣告されていたのですが、これが何かおかしいと思っていたんです。なんだか分からないけど「いや、ウチの子は7月には生まれてこない」という。なんの根拠もないのですが。ところが、双子だということで、ふつう3週間ほど早く生まれてくるわけです。6月末・・・、それなら納得! これまた、なんの根拠もないです。ただ、そう感じて、一人納得しただけのことです。

      それから、双子だということ。以前に「妊娠しましたシリーズ」を書いた時にもチラと触れたと思いますが、「ラースの予知夢」と一致するんですね。「私にソックリな若い女の子二人と、年老いたのにまだ若々しい私と、年老いてハゲ頭になったラースが一緒にいる夢」。なぜこれが予知夢かというと、ラースが私に初めて会った頃(もう5年以上前、ろくすっぽ話もしたことがなかった頃)、この夢を頻繁に見るようになったそうで、私となんのコンタクトもできないままデンマークに帰国してからは見なくなったのに、結婚するためにシドニーに来てから、また同じ夢を見るようになったと。で、これまた変な話ですけど、このラースが見るという予知夢が、私にも頭の中で画像となって見えるんですわ。

      というわけで、私たちは双子だと聞くやいなや、「あ、あの子たちね」と納得したわけです。だから、最初から女の子だと思っています(一卵性なので、性別も一通りしかありえない)。これで男だったら笑うしかないですね。ほんでもって、もう一回双子を孕むことになるんでしょうかね(^^;)。まあ、性別はどっちでもいいんですけど。




      超音波検診は必要か?

      出産時に36才の「高齢」になっているワタクシは、医師の勧めに従って先天性の染色体異常(ダウン症など)を発見するための超音波検診に臨みました。ここは産科、病院とはまた違って、超音波専門屋さん。場所も違うところにあります。

      この検診を受ける前にラースとも話し合って「たとえ、ダウン症でもなんでも、生まれてくる生命力のある子なら生まれてくる運命にあるのだから、人工中絶はしないことにしよう」と決めていたのですが、「だったらこんな検査自体受ける必要ないんじゃないの?」というジレンマに悩みました。それでも、「もう予約しちゃったし、とりあえず行こうか」てな具合で、釈然としないまま出かけていきました(もちろん、ラースも付いてくる)。

      まずは、カウンセラーらしき人との面談があり、染色体についての一般的な説明、先天性染色体異常の識別方法、その後の詳細検査の方法、また、染色体異常が起こる確率は母親年齢と相関関係があり、私の場合は年齢で計算すると「223分の1」の確率だということを説明されました。そして、いよいよ超音波技師のおねえさんに導かれて、検診室に入りました。モニターをのぞくやいなや、おねえさんは「あら、双子!」と叫びました。たった3週間前に主治医のところでスキャンした時は一人しか見えなかったのに。

      染色体異常の確率を計算するために、胎児のあちこち(どうやら首の後ろの厚みが重要らしい)のサイズを計っているようでしたが、途中でおねえさんは「先生に相談してくるから」と席をたって部屋を出ていってしまいました。「きっと何か異常があるに違いない・・・」と不安におもっていると、若い男性の医者が神妙な顔をして検診室に入ってきて、モニターをじっと睨んでいるわけです。こっちはますます不安になります。

      検査が終わったあと、医者と話し合う時間が設けられていたのですが、「なにも異常はない、ダウン症の確率は1197分の1と、1855分の1。10代の妊婦並みの低さである」と説明されました。このお医者さんがモニターを神妙な顔して覗いていたのは、どうやら「一卵性双生児」が珍しいから、だったみたいです。なんだよ〜、いたずらに人を不安にさせる態度はやめてくれ〜〜。

      しかし、どうして3週間前のスキャニングで双子であることが発見できなかったのか?という疑問は残ったのですが、要するに私の主治医は超音波機器を導入したばかりで、あんまり操作に慣れていなかったのが大きいみたいですね。もっとも超音波機器の種類も超音波屋さんにあるものほど、質がいいものではなかったでしょうし。

      ともあれ、こんなエピソードのおかげで、ラースは「超音波検診をする度に、胎児が一人ずつ余計に発見されて、増殖していく・・・という悪夢」を見ることになります。ご愁傷様(^^;)。

      それにしても、超音波検診って本当に意味あるのでしょうか? 先天性の染色体異常がわかったところで、中絶という判断をするかしないかは各カップルに任されるわけですが、ウチのように最初から「中絶はしない」と決めているのなら意味ないですよねえ(といっても、実際問題、双子が先天性異常だったらやっぱり中絶を選択していたかもしれません・・・)。
      それに、その他の異常がわかったところで、どうにもしようがないわけです。この後も双子だということで、出産までにあと2回の検診を勧められるようですが、その目的がイマイチよく分かりません。「二人とも同じサイズで育っているか」を確認するんだとか医者はいいますが、じゃあ、片方に栄養の偏りがある場合はどうするのか?と聞くと、別段取りたてて対応策があるわけではない、と言うし。

        ※その後チェックしたデンマークの医療レポートによれば、一卵性双生児の栄養の偏り症(TTTS)は10〜30%の確率で起こるのだそうです。最近ではレーザーを利用した局部手術により、双子の栄養バランスを調整することにも成功しているそうです。

      かといって、「いちおう超音波検診しておきますか」とお医者さんに言われてしまうと、「そうですね」と安易に答えてしまうという。その必要性については疑問はあるものの、「この検査をすると○○が分かる」と言われると、ついついやりたくなるのが人情というか。人間、便利なものを発明してしまうと、その利用価値を各自が真剣に検討する前に、「みんながやっているから、やるのが当たり前」になってしまって、深く考えずに利用してしまうものなのでしょう。
      考えてみれば、パソコン、インターネットにも似たような性格がありそうですね。複雑なアプリケーションなど使わずに、手書きでやったらよほど効率的ってこともありますし(^^;)。

      最近、オーストラリア議会で「妊娠中の超音波検診は本来不要なものなので、メディケア(国民皆保険)の対象外とする」という法案が通ったそうですが、その発想も分からないことはないなと思います。




      双子ということ

      「双子なんだよ」と伝えると、「喜びも二倍ですね」とおっしゃる方がいる一方で、「大丈夫?」「ちゃんと産めるの/育てられるの?」という反応がかえってきたりします。そんなこと言われてもねえ、別に狙って双子作ったわけでもないし、実際やったこともないんだから、「ちゃんと出来るかどうか」なんて分からないに決まってるし、出来る/出来ないの問題ではなく、現実として「やらねばならない」んですけどね。
      ウチの両親など「一人でも大変なんだから、二人イッペンなんて・・・」と溜め息をつくわけですが、「あのね、あたしはまだ一人も産んだことも育てたこともないの。比較するものもないんだから、一人だろうが、二人だろうが、私にとっては一緒だよ」と強気な発言をしてます(^^;)。

      ちなみに、ラースのお兄さん夫婦(在デンマーク)も一昨年双子(こちらは二卵性)を産んだので、情報はいろいろ入ってきます。
      どうも出産そのものは一人の時と大した違いはないようですね。二人入っている分、お腹がデカくなることは確かのようですが(写真みたら、ホントにドデカかった)ですが、彼女も自然分娩で産みました。日本の人はよく「じゃあ、帝王切開だね」と言いますが、私のお医者さんは自然分娩でイケるよ、と言っていますし、私も最初からそのつもりです。もちろん問題があれば、途中で急遽切り替えってことはあるでしょうけど。一人めが出てきてから、30分くらいしてからまた陣痛が起こって二人めが出てくるそうで、一人ずつ2回お産することと比較すれば、ずうっと楽チンみたいですね(ふつうはそういう具合に比較しないのかな)。

      子育てについては、まだやってないので何とも言えませんが、まあ、二人の子供を別々のタイミングで育てるよりは効率的なんじゃないかなあ(と、相変わらず楽観的なワタシ)。片方が泣いたら、二人分のおむつ替えて、ついでにおっぱいあげたらいいわけだし。1才くらいになれば、二人で勝手に遊んでいてくれるので、親としては手間がかからず楽みたいです。洋服やベビー用品のリサイクルがきかないのが難ですけど。

      私、今まで一卵性と二卵性の違いをよく知らなかったのですが(というか、一卵性はひとつの卵子にふたつの精子が受精するんだと勘違いしていた)、一卵性双生児ってのは全く同じDNAを持っているのですね。ひとつの精子と卵子が合体して細胞分裂を起こしていく過程で、突如パカっと(と音がするのかどうか知らないが)二つに割れて、その二つが二つとも別個の生命として宿るものだそうです。ひとつの受精卵が二つに分かれるというあたりが、なんか感動的というか、不思議というか。よほどエネルギーの有り余った受精卵だったのか・・・? ともかく、自然のなせる業というのは大したものですね。

      ラースの調査によれば、二卵性双生児は排卵誘発剤の使用頻度が高まる昨今、ますます増えているそうですが、一卵性については10万分の1の確率だそうで、しかも若いお母さんに多いとか。一卵性の双子にまつわるオカルトチックな話も聞きますが(お互いテレパシーで結ばれているとか、二人の力が集中すると神秘的なパワーになるとか)、そういうこともあるのかもしれませんが、とりあえず「自分の分身」のような人間が存在する、というのは生きていて心強いだろうなあと、一人っ子の私はちょっと羨ましく思います。逆に、自分にそっくりなヤツがそばにいるのが、うっとーしいってこともあるでしょうけど。

      でも、いくら同じ遺伝子だって、それぞれの個性はあるはず。もともと同じ遺伝子をもつ人間がどのように変化して、独自の個性を発揮していくのか、なかなか楽しみです。

      妊娠4ヶ月めくらいで既に名前もすっと入ってきて(別に名前を考えようとしていたのではなく、ボケーっとしていたらフッと思い浮かんだ)、お腹のどっちにいるのがどっちの子かも分かって、その片方の方がアクティブな傾向があるような気がしていました。でも、同じ遺伝子なのに、胎児の頃からそんな違いがあるものか?と自分なりに疑問でした。でも、キックが始まってみると、いや、違うんですね〜。アクティブに違いないと直感していた子はハッキリと「蹴り」を入れてきますが、おとなしめだと直感していた子はキックというより、もぞもぞと動きます。

      この「キック現象」ですけど、体内に自分ではコントロール不可能なエイリアンがいるようで、面白いモンですね。まだ動きが激しくないせいでしょうけど、この感覚は「ガスが腸内でポコポコと移動している感じ」に非常によく似ています。ただ、ガスが移動するよな場所ではないところ、もっと前の方で動くわけですけど。





      カップル参加の母親学級

      私は前回卵巣手術の際に入院した時と同じ産婦人科の先生を選び、同じ私立病院で産むつもりで、予約をいれてあります。一昨年オープンしたばかりの新しい病院ですが、産科についてはとくに力を入れているみたいだし、なんつってもゴハンがおいしかったし(^^;)。設備も病院というよりは高級ホテルのスイートルーム並みで、分娩室は絨毯敷でソファやらテレビやら冷蔵庫やら何でも揃っています。バスタブ付きの広いバスルーム、お散歩スペースにも出られるデザインになっています。モニターとベッドが一応隅っこに申し訳程度に置かれていることを除けば、「分娩室」という感じはまったくしません。ここならリラックスして陣痛をやり過ごせそうな感じ。

      ちなみに、妊娠6週間の時点で電話したら、すでに病院の予約は満員でした。が、主治医がこの私立病院に特別枠をもっていたので、ネジ入れてくれました。シドニーの私立病院で出産しようという人は、とにかく懐妊したら即刻、専門医(obstetrician)と病院に予約をとることです。「もしかして、みんな妊娠する前から予約いれてるんじゃないの?」と疑問に思えるほど、すぐに予約はいっぱいになるみたいです。

      この私立病院でいくつかの Pregnancy Class を運営しているので、ラースとともに参加することにしました。いわゆる日本の「母親学級」にあたるわけですが、母親に限らず、皆さんほぼ全員、パートナー携えて参加しています。そういや、超音波検診や産婦人科でも夫連れの妊婦さんをよく目にします。日本じゃ考えられないけど、仕事休んでまでも、奥さんに付いてくるのですね。出産の時に夫が立ち会う(というか手伝う)のはあったりまえの世界みたいだし、出産後もしばらくは仕事休んで夫が家に張り付いて手伝うそうです。だから、経済発展が滞るわけですね(^^;)。

      最初に参加した Early pregnancy classでは、もともと知っているようなことしか登場せず、まあ常識の範囲内だったので、あんまり行く意味なかったかなと思いました。が、「私たちが知っている程度のことでいいんだ」ということが確認できたという意味では自信がもててよかったんでしょう。

      このクラスは初めて妊娠したカップルのためのクラスなのですが、私よりも年上じゃないかって人が多かったです。比較的裕福なエリアの私立病院ですから、生活水準の高い人=奥さんもキャリア積んでる人が多かったのかもしれませんが。それにしても、オーストラリアは高齢出産が多いようですね、40才代で初産でも珍しくないそうです。

      「生活水準の高い、比較的高齢の人たち」というセグメントがかかっているせいかもしれませんが、皆さんやたらと(私にとっては)「どっちでもいい細かいこと」を突っ込んで質問してました。いわく「染髪は胎児に悪影響か?」「人工の肌染め(日焼けしたように見せるためのカラーリング)は害になるか?」「いつ頃から仰向けになって寝てはいけないのか?」等々。

      染髪だの肌染めだのについては、どこまで害なのかは分からないまでも人工的なものなのだから有益でないことは確かなのだから、避けられるものなら避けたらいいし、気にならないのならやったらいいし、もう個人の判断の領域でしょう(助産婦さんは「有害ではないらしい」と自信なさげに言ってました)。「仰向け」については、お腹が重たくなったら自然に仰向けに寝たら不快になってくるんだろうから、「いつから」とか「してはいけない」とかいう問題ではないと思うし。

      「公共の場での間接喫煙についてはどうすればいいか?」という質問が出た日にゃ、私は脱力しました。他人様に「わたしゃ妊婦なんだぞ〜、あんたら全員タバコ吸うな〜」と主張・強制できるわけもないんだし、そこまで気にするのなら、パブとかそういう場所に行かなきゃいいだけのことでしょうが。「どうすればいいのか?」という回答を求めているあたりが、非現実的というか、過剰反応というか、まるで妊娠を病気とでも捉えているみたいな、そんな大仰な雰囲気を感じてしまいました。もしかしたら、回答を求めているわけではなく、「間接喫煙みたいな細かいことまで、こ〜んなに気にしています」という一種の優等生ぶり、エリートぶりを表現したかっただけなんかな?とか、ちょっと揶揄したくなる雰囲気も感じてしまいました。

      あと「胎児は一日何回動くべきなのか?」なんてのもありました。助産婦さんは「1日12回未満だったら、病院に連絡して検査を受けるように」とアドバイスしていました。けどねぇ、仕事したり家事したり忙しい日々を送っていながら、「今日胎児は何回動いたか?」なんか数えていられますか? ずっと布団でゴロゴロしているなら、正の字書いてる余裕もあるかもしれないけど、それ以外に考えるべきこと、やるべきことは沢山あるわけで、イチイチ数えていられるはずがないじゃないの。異常がある時には、「あれ? なんか変だな、最近あんまり動かないな」みたいな感じ方をするのが普通ではないのだろうか? うーん、やっぱり「妊娠は病気のひとつ」みたいなノリがありますねえ。

      もうひとつ、レクチャラーの助産婦さんが「妊娠中に食べてはいけないものリスト」を発表しました。主に、リステリアなど細菌感染を起こしがちなもの=生ものを避けろという指示だったのですが、これに対してラースはスっと手をあげて「1億2千万人の日本人が生魚食べているんだから、そんな危険なはずはないんじゃないか?」と発言しました(こーゆーところでわざわざ茶々入れするのが、ヨーロピアンなんだよなあ、日本人はイチイチ発言しないよなあ)。助産婦さん、うろたえつつ、「このリストはNSW州厚生省で出されたものですから、私からは提案しか出来ません。たぶん、子供の頃から生魚を食べている日本人と我々は免疫が違うのでしょう」と苦しい説明をしていました。

      いずれにしても、このNSW州のリストに何と書いてあろうが、助産婦さんが何といおうが、刺し身や寿司を断つつもりは毛頭ありませんでしたけど。他の食品にしてもリストをあてにするより、自分が食べて大丈夫だという直観を信じていた方が間違いがないんじゃないかって気がして。しかし、皆さんよほどこのリストが気になったとみえて、クラス終了後にはリストに人だかりが出来ていました。

      近々、出産に関するクラスがまた開催されるので、参加してきます。その他、この病院では、妊婦のためのヨガ教室、アロマセラピー教室もあるのですが、どちらも自己流ながら知っていることなので参加の予定はありません。でも、個人的にはアロマもヨガも大いに利用しています。





      妊娠中もイージーゴーイング

      妊娠中は4週間に一度、産科のお医者さんに会いにいきます。公立病院の場合はまたシステムが多少違うのですが、私が選択した「産科のお医者さん&私立病院で出産」コースをとると、病院ではなく個人産科医のところに訪問することになります。毎回やることといえば、体重、血圧の測定、そして、お医者さんはお腹を触って黙々となにやら大きさを計ってはデータを記入しているようです。

      私の先生はもともと寡黙な科学者タイプでして、白衣着て黙々と試験管実験をやっていそうな人です。珍しいデータが出てくるとうれしくてニヤリとしそうな(^^;)。ですんで、こっちから質問でもしないと会話もないまま終わってしまいます。妊娠生活上の注意事項とかも、聞かない限りなにも言いません。こんな科学者みたいな人がなんで産科なんかやっているのか不思議なくらいなのですが、それでも前回の流産と卵巣手術によって、この先生のウデだけは確認し信頼しているので、今回もお願いしたわけです。

      今、6ヶ月めでして大変順調に来ているのですが、体重の増え方だけは気になります。4ヶ月めに3キロ、5ヶ月めにまた5キロ増え、という調子で、すでに普段の体重から10キロをオーバーしています。双子のせい、そしてラースの遺伝子のせいもあるのでしょうが、特にいっぱい食べているわけでもないのに、異様な伸び具合。日本だったら定期検診の看護婦さんに「体重コントロールがなっていない!」と叱られるところでしょう。

      ところが、先生は「あはは、ご主人、大きいからねえ」と笑って言います。「よく育っているよ〜」と。「本当に体重、気にしなくていいんですか?」と聞くと、「そんなこたぁ気にしなくていい」と、全然気にも留めていない様子。聞く処によると、日本では「小さく産んだ方が母体への負担が軽いから」とか「妊娠中毒症を避けるため」とかで、体重を出来るだけ増やさないことが奨励されているようですね。妊婦の増加体重は8キロから10キロとか。こちらでは10〜12キロが標準らしいのですが、私はそのオーストラリアの標準すら軽く突破する勢いですからねえ。

      でも、毎日おいしくゴハン食べてますし、適度に歩いてもいますし、体調はとってもいいので、心配するだけ無駄かなと思ったりして。ここで産むなら、こちら方式に、もう深いことは考えずイージーゴーイングでイッたらいいんだろうと、腹括ることにしました。

      出産については今後、病院の助産婦さんに会って、どういう方法で出産したいのかとか詰めることになります。「病院や先生に産ませてもらう」のではなく、あくまで自分たちが責任をもって選択し、自発的に「産む」という発想なんですね。ですから、出産方法など自分たちの希望を述べて、状況が許す限り、それに即した形で行えるよう、事前に打ち合わせしておくわけです。

      産む時の姿勢(日本のようにベッドに寝かされての分娩は重力利用が出来ない上、いきみにくく、非効率的といわれる)、会陰を切開するかどうか、使用する麻酔類、モニターの種類、誰がヘソの緒を切るか、赤ちゃんを洗ってから手渡すかどうか、等々、とても細かいことまで打ち合わせるらしいです。

      私としてはアロマセラピーを100%生かしたいこと(こんな面白い実験のチャンスはなかなかないぞ)、産む姿勢はその時のノリで決めたいこと(先に決めておくより、それが一番自然だと思うんですけど)だけは主張するつもりです。あとは、すべて臨機応変ってことでいいのではないかと考えています。

      あ、それから、夫には絶対そこに居て、一緒にお産を体験して欲しいです(夫はもちろん最初からそのつもりですが)。なぜか?と聞かれるとよく分からないのですが、夫なしで出産するなんて考えられなくなってしまいました。別に具体的になにかを手伝ってもらうことを期待しているわけではないのですが、たぶん、「私の子供たち」ではなく、「私たちの子供たち」という実感を一緒に味わいたいんでしょうね。





      双子だとか、高齢出産だとか、慣れない海外での出産だとか、支援してくれる親が近くにいないとか、不安材料はいろいろあるわけですが、私、全然不安に思っていません。それどころか、出産はきっとうまくいく、この子たちはきっと健康に生まれてきて、元気に成長し、それぞれに道を見つけて何かをやり遂げる、私たちファミリーはもっと暖かくて幸せになれる、という根拠のない確信があったりします。呆れるほど楽観的かもしれませんが、だって、そういう確信があるんだからしょうがないじゃないですか、ねえ(^^;)。




      以上、引越、妊娠と、この数ヶ月で身の回りで起きた変化について書いてみました。でも、実をいうと、この2つの出来事以上にエキサンティングで日々を充実させてくれているものがあるのでした。冒頭に触れた、アロマ通販の新ブランド設立話です。単にビジネスとして面白くなってきたぞ、というだけではなく、ようやく私が本当にやりたかったこと、人生の方向性が見えてきたかのような喜びがあります。知恵を絞れば絞るほど面白くて、どんどん深みにハマっています。

      昨年6月、「頑張らなくたっていいんだって」という雑記帳の1編で、「DOに脅迫された症候群からBE状態のナチュラルな自分を確認するために、オーストラリアにやってきてノホホン生活をやっているんだ」ということを書きました。今はBE状態だけだけど、そのうちDOフェイズがやってきたら、今度は単にDOオンリーに呑み込まれるのではなく、BE+DO状態でなにかが出来るのではないか?という。この新しいフェイズ「BE+DO」が今、やってきた!って感じがするわけです。

      ここで書いた引越による「自分で選んだ街で生きている実感・自信」、結婚妊娠出産による「ファミリーを築いている幸福感」と併せて、このアロマ通販における展開が、人生における大きな新展開を生んでくれそうな予感でワクワクしています。お腹(&おっぱい)の膨張とともに、夢や希望で「胸」も日々膨らんでいる、って感じですね(^^;)。

      というわけで、アロマ新ブランド設立話については、また河岸を改めて近いうちに書いてみたいと思っています。




    2000年3月27日:福島



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